番外編 サンタ伝説
街は、すっかりクリスマス一色。
道行く人々は、数日後に迫ったそれぞれのクリスマスに期待していたり楽しみにしていたり、少し不安だったりと様々な想いを抱いている。いろんな想いがあるだろうが、みんな、クリスマスを楽しもうという気持ちでいる。
そう、この人以外は。
「カッ!何がクリスマスだよ!」と椿は、不満を露わにしていた。「黙ってさっさと正月の準備しろよ。クリスマスよりも大切にすべき、この国の重大行事だろうが。つーか、クリスマスってキリストさんの誕生日なんだろ?だったらカップルでいちゃついてチキン食ったりしてないで、黙って十字架持って祈ってろ、ボケ!」
「どうしたの、椿?」と、椿の隣を歩く楸は、クリスマスを全否定するかのようにいきり立っている相棒に、声を掛けた。「随分荒れてるね。いくらモテないからって、幸せカッポーを僻むのは良くないよ」
「っせえ!つーか、別に僻んでねぇし。ただ単に、世間の勢いに流されるだけで浮かれている、この空気感が気に入らねぇだけだし」
「はぁ~、あっそう」
こりゃダメだ、そう察した楸は、とにかくクリスマス色の強いこの場から離れようと考え、「疲れたしさ、喫茶店行って休まない?」と椿を誘った。
その楸の誘いに、椿は黙ってついて行った。
椿達は、いつもの喫茶店『スダジョーネ』に来た。
そこで、二人は絶句する。
「いらっしゃいませ」
そう言って椿と楸を出迎えるのは、笑顔が眩しい店のコだ。今日はクリスマス仕様なのか、丈の短いワンピース風のサンタの衣装を着て接客に当たっている。その姿に、楸はおろか、クリスマスを否定するような発言ばかりの椿ですら、息を呑んだ。笑顔が眩しいサンタが、きびきびと働いて接客してくれる、それがどんなに美味なコーヒーよりも、客にとっては癒しとなっていた。
店のコはいい。問題は、マスターだ。
いつも無愛想なマスター、眼力だけでマナーの悪い客を追い出す事も出来そうなマスターが、サンタの格好をした店のコや、ささやかながらクリスマスの飾り付けがされている店内の雰囲気に合わせてだろう、自身もクリスマス仕様になっていた。
「はい、コーヒー二つ」
運ばれて来たコーヒーそっちのけで、椿と楸は、カウンターに戻るマスターの後ろ姿を眺めた。
マスターの頭には、トナカイのような角があった。
「俺、あんな怖いトナカイ初めて見た」と楸。
「つーか、あれトナカイか?角の生えた……マスターだろ」と椿。
「まんまじゃん」
「だって、めったな事言うモンじゃねぇだろ」
椿と楸は、トナカイの角が付いたカチューシャを付けているマスターを見ながら、こそこそと会話していた。
ともすると鬼とも捉えられかねないマスターの姿を見て恐怖した椿の頭の中からは、クリスマスへ対する怒りがすっかり消えていた。
「ところで椿。今年のクリスマス、どうするの?」と楸は訊いた。
「あ?どうするも何も、たぶん店の手伝いしてるよ。去年もそうだった」椿は答えた。
「いや、そうじゃなくて」と楸は、右手をひらひらと振ると、言った。「クリスマスをどう過ごすかじゃなく、サンタさんの話」
「あ?」
何言っているんだ、コイツ? と椿は、顔をしかめた。
「あ、じゃなく、サンタさん」と楸は、明るい声を出した。「クリスマスと言ったら、何を差し置いてもサンタさんでしょ。椿はもう、何頼むか決めた?」
「お前…」と椿は、心底呆れながら言う。「歳いくつだよ?サンタなんているわけねぇだろ」
「あ、椿はいないと思う人なんだ」
「いないと思う人っつーか、いねぇだろ」
「いるよ」と楸は、深海にも魚はいるよ、とでも言うように平然と応えた。「そこいらじゅうに、結構うじゃうじゃいるよ」
「うじゃうじゃって……一応言っとくが、サンタの服着ているヤツは、みんなサンタじゃねぇぞ。コスプレした、ただの人間だ」
「それぐらい知ってるし」
「あ?」
「泥棒が泥棒の格好していないのと同じで、サンタさんはサンタの格好していないんだよ」
「どんな例えだよ。つーか、泥棒とサンタを同列に並べんな」
「いい、椿」と楸は、人差し指を立て、講義を始めた。「そもそも、椿達は騙されているんだよ。良く考えてよ、あんな太っちょな体型で、世界中の子供たちにプレゼント届けられるワケ無いでしょ。プレゼント届けるよりも先に、トナカイから『太り過ぎだ』って抗議の手紙が届いちゃうよ」
「はは」と椿は、乾いた愛想笑いをした。
しかし、構わず楸は語り続ける。
「椿達が見て知っている『赤い服着た、太っちょサンタさん』は、現役を引退したサンタさんなんだよ。サンタは一人じゃない、受け継がれるモノだから、後世のサンタが育てば、第一線を退くサンタも出てくる。そうして現役を引退してから激太りしたサンタさんが、サンタの存在を世にアピールしていたら、その姿が世の中に定着した。椿達の知っているのは、あくまで引退した姿のサンタさんだけなんだ。だから、今世界で活躍している実際のサンタさんは、その世の中のイメージを逆手にとり、赤い服を脱ぎ捨て、日々の鍛錬で鍛えたボディを見せるようにワンサイズ小さめな黒い服を着ているんだ。本当のサンタさんが、仕事中に見付かって子供たちが集まって来たら大変だから、あえてサンタのイメージからかけ離れた格好で仕事をしているんだ」
「嘘つけよ。ウチのサンタは、ウチの両親だぜ」
「あっ…椿っ……」
「あ?」
「めったな事言うモンじゃないよ」
そう言う楸の顔は、知人の身に降りかかる問題について自分のことのように悩んでいるような、そんな苦悩の表情だった。
「どういう意味だよ?」
「ちょっとサンタさんの話をしていいかな」そう前置きをしてから、深刻そうに楸は語りだした。「昔はね、サンタさんの数も今よりずっと少なかったんだ。とてもじゃないけど、世界中の子供たちの所へ、一晩で行くことなんて出来なかった。その自分たちの力だけじゃどうすることも出来ない問題に直面していたサンタさん達は、ずっと悩み続けた。でもね、そうして悩み続けていたある年のクリスマス、突如として問題が解決したんだ。問題を解決してくれたのは、偽物のサンタたち、そう、世界中の子供たちの両親だった。我が子にもサンタが来たという幸せを与えたい、そんな想いを持った親が世界中にいて、世界中で偽物のサンタが生まれた。だけどさ、考えてみてよ、自分たちの預かり知らぬ所で自分たちの偽物が生まれる、普通ならほっとける話じゃないだろう。でも、本物のサンタさん達は、その親たちを責める事は決してしなかった。『子供の喜ぶ顔が見たい。子供に幸せを与えたい。その気持ちは、偽物なんかじゃない。彼らも、サンタの意思を受け継いだ、立派なサンタだ』そう言ってサンタさん達は、偽物のサンタさんを認め、感謝すらした」
「……へ~」
椿はもう、頭ごなしに否定することをやめた。作り話だろうという疑いを拭い切れたワケではないが、妙に作り込まれた話に、すっかり聞き入っていた。
「偽物のサンタさんも増えて、世界に幸せが広がった。でも、ここで問題が発生した」
楸は、苦い顔をして言った。
「それって…?」
「ああ。偽物は、本物にはなれない。何時まで経っても偽物サンタは、偽物のままだった。これが悲劇を生んだ。本物のサンタさんなら、一年のほとんどをクリスマス一日の為に費やす事が出来るけど、普通の親じゃ、そうはいかない。子供の欲しいものを探ることにしても、そっとプレゼントを枕元に置くにしても、普通の親にはハードルが高過ぎたんだ。だから、サンタの存在に疑問を抱いた子供が、プレゼントを置く時に薄め開けている事にも気付かず、我が子に目撃されてしまったんだ。サンタさんは実は両親だった、この事実は、子供たちにとって受け入れがたいほどの衝撃だった。世界が悲劇に包まれるのに、時間はかからなかった。そして、悲劇はリンクする。サンタはいない、と夢を見られなくなった子供が増えてしまい、存在を否定されたサンタさんは、表舞台から半ば追放される形で姿を消すことになったんだ」
「マジかよ…」
椿は、責任の一端を感じ、気が重くなった。
「ま、でも、サンタさんが活動し辛くなったのは、それだけが理由じゃないけどね」と楸は、暗くなった空気を払拭するように、努めて明るい声で言った。「子供たちが欲しがる物も、最新ゲーム機だとか魔法のステッキだとか、高価な代物が増えて、それも多様化した。そのことも、サンタさんが生き辛くなった理由の一つではあるらしいよ」
「そうか…」
「うん。…でも、確かに生き辛くなった事でサンタさんの数はまた昔みたいに減ってきているみたいけど、今もサンタさんはちゃんといるよ。なんでも、今のサンタさんは、目に見えるプレゼントよりも、幸せっていう目には見えないプレゼントを贈ることに心血を注いでいるらしい。恵まれない子供や、こんな時代でもサンタを心から信じる子供たちに、幸せのプレゼントをしているらしいよ」
そう言うと楸は、これで話は終わりだとでも言うように、静かにコーヒーを飲んだ。
それにつられて、椿もコーヒーを飲む。いつもより、コーヒーが苦く感じた。
それまで喋り続けていたのが嘘のように、二人の間に沈黙が流れた。
サンタの悲しいリアルを突き付けられ、椿は、少ししんみりしている。
しかし。
――おいおいおいおい!ちょっと待てよ、俺!
と椿は、自分に言い聞かせた。
――何架空のサンタに感情移入しちゃってんだよ?どうせこれは、クソ天使の作った話だろうが
そう思い、疑いの芽を出した椿は、「話は面白かったが、だから何だよ?つーか、最初から言っているだろ?サンタは、いねぇって」と楸に言った。
そう椿に言われた楸は、嘘をついた事を謝るでもなく開き直って怒るでもなく、ただただ悲しそうな目で椿を見ていた。
「椿…天使は信じるのに、サンタは信じないのか?」
その楸の言葉は、鋭い衝撃となって、椿を貫いた。
今 目の前に居る楸を、たまに疑いたくもなるが、天使だと確かに認めている。少し前までだったらサンタと同じように存在を完全否定していた天使を、今の自分は、その存在を認めている。
ならもしかしたら、サンタもひょっとすると本当にいるかもしれないし、天使の話も本当かもしれない。
揺れる椿の心の中で、いつしかサンタへの疑いの芽は、枯れてしまった。
喫茶店を出て楸と別れた椿は、思う所があってコンビニに寄ってから、家に帰った。
そして、モヤモヤを抱えたまま、その日の残りを消化していく。
――サンタさんに、申し訳ない事したかもな
風呂上がり、自分の部屋に戻ってきた椿は、ベッドの枕元をぼんやり眺めながら、そう思った。
そうやってぼんやりと立ち尽くしていると、楸の言葉が思い出された。
「サンタも、俺達天使のように世界中に支部を設けていて、実働隊以外にも、プレゼント調達係や、子供たちが欲しがっているプレゼントを把握する係なんてのもあるらしい。だから、ツリーに欲しいプレゼントを書いた紙を飾ったり、クリスマスよりも前から枕元にサンタ宛ての手紙を置いておいたりすれば、それで欲しいプレゼントを貰えるらしいよ」
その楸の言葉を思い出すと、椿は動いた。
母に「ラブレターでも書くの?」と茶化されながらも貰った便箋を前に、ペンをとった。そして、子供の頃の純粋な気持ちを思い出しながら、サンタへの存在を疑ってしまったことの謝罪と、欲しいプレゼントのリクエストを、その紙に書いた。
気持ちを込めて書き上げたサンタへの手紙は、枕元に置いた。
これで、自分の謝罪に気持ちは伝わるだろう。
良かったら、返事の代わりにプレゼントを置いて行って下さい。
そう思いながら、枕元にコンビニで買ったお菓子が入っていた靴下を置き、椿は、十二月二十五日クリスマスの日の朝を迎える。
クリスマス当日の、夕方。
「椿のお母さん」
「あら、楸君。いらっしゃい」
楸は、椿には黙って、こっそり椿の家を訪ねていた。
「お願いしていた件、どうなりました?」
楸が、そう控えめに訊くと、椿の母は、快活な明るい笑みを浮かべた。
「バッチリ!もうプリントも終わっているわよ」
「ホントですか!」
楸は思わず声を弾ませる。
「はい」と言いながら、椿の母は、楸に何かを手渡した。
椿の母が楸に手渡したのは、写真だった。
その写真に写っていたのは、椿だった。ベッドに横になって寝息を立てている椿の写真。
その椿の枕元には、真っ赤な靴下が置かれていた。その姿はまさに、現実でもなかなか拝めないマンガのような、サンタさんからのプレゼントを心待ちにしている子供だった。
その椿の写真を見て、楸は笑いだした。
「ホントに信じてるよ、このバカ」
「ねぇ。私も、まさかと思ったわ」
と椿の母も、我が子の愛らしいバカな様に、微笑を浮かべている。
「サンタさんが本当にいたとしても、プレゼント貰える子供って年じゃないだろうが」
「ねぇ。そういえば」と椿の母は言うと、ケータイを取り出した。「ケータイの方でも写真撮ったんだけど、要る?」
「あ、超欲しいです」
椿の『サンタさん、僕はいい子にしてプレゼント待っています』写真は、母から楸のケータイへ送られた。
その送られて来た写真を見て、楸は、満足そうに微笑む。
「ありがとうございます。待ち受けにします」
「どういたしまして」
そう言った椿の母のケータイの待ち受けは、既に『サンタさん、僕はいい子にしてプレゼント待っています』になっていた。
椿のプレゼントのリクエストは、『主人公らしいトレードマーク』と書いてあったらしい。
そんなモノをリクエストされても、困ってしまう。
だから楸は、「つまらないものですけど、サンタさんからってことで」と言って、椿の母にケーキの詰め合わせが入った箱を手渡した。
「あら、気を遣わなくていいのに」
「いえ、俺もサンタさんの意思を継ぐ者ですから、遠慮しないでください」
そう言って楸は、椿の母に笑顔を見せた。
心底満足した楸のクリスマスは、これで終わった。
「やっぱり、一度疑ったからな…」
クリスマスの日の朝、椿が残念そうにそう呟いた事は、誰も知らない。
楸にダマされた椿のクリスマスでした。
楸は、クリスマスに彼女がいない場合は誰かを巻き込んで遊んでいます。今までは高橋や柊でしたが、今は椿というピッタリの相手が見つかり、喜んでいます。




