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天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
56/105

番外編 迷子の迷子の仔ネコさんは、どこですか?

「あ、ネコだ」

 楸は、道端で仔ネコとばったり出くわした。

 椿達の住む街を歩きながら仕事をしようかどうか考えていた時だ。仕事をするなら椿に連絡しないとな、そう思ってケータイ電話を取り出した楸の視界に、ネコの姿が映った。

 白色の長めの毛に額や背中など所々グレーの毛が混じった、ハンディータイプのモップのように太い尻尾が特徴的な、仔ネコだった。

 楸は、その仔ネコと向かい合い、立ち尽くした。

 仔ネコも、浴衣に身を包んだ天使・楸のことを見ている。

「ん?」

 ふと、楸は記憶の糸を辿ってみた。

――このネコ、どっかで見たことあるな

 そう思ったからだ。

 どこだったかな、必死に思い出そうとする楸が何の気なしに横を見ると、そこにヒントというか答えがあった。楸の目は、板張りの壁に張られた貼り紙に釘付けられた。

 その貼り紙には、今 目の前に居るネコとそっくりのネコが写る写真が掲載されていた。

「迷いネコ、捜しています」

 貼り紙の一番上に書いてある文字を、楸は読んだ。そして、必死さが文字から伝わってくるような全文手書きの貼り紙を、上から黙読していく。写真の下には、ネコの特徴として「白に所々グレーの長めの毛。太い尻尾」と、まさに目の前に居るネコと同一の特徴が書いてあった。

 楸が目の前のネコを見たことあると思ったのは、これと同じ貼り紙を他の所で見たことがあったからだ。

「えっ?まさか?」

 楸は、思いがけない出会いに驚き、目の前のネコと写真に移るネコを見比べた。

「やっぱ、これお前だよね?首輪もしてるし、野良ってことはなさそうだけど…?」

 楸が確認するようにネコに問いかけると、その言葉の意味を理解しているのか否かは分からないが、ネコは「にゃー」と高音の声で小さく鳴いた。

「やっぱそう?」

 ネコの「にゃー」を、楸は「YES」と解釈した。

――仕事にはならないだろうけど、居なくなって心配しているだろうし、届けてあげるか

 そう考えた楸は、貼り紙に書いてある住所をケータイにメモしてから、ネコの捕獲に臨んだ。

 腰をかがめ、ゆっくりと、ネコに歩み寄る。

「ちっちっち。ほりゃ ほりゃ、おいで」

 そう言いながら楸は、ネコに警戒心を与えないように気を配りながら手を伸ばしたつもりだが、ネコは、楸の手を避けるように身体を反転させ、逃げて行った。

「あっ!ちょっ、ちょ待てよ!」

 楸とネコの鬼ごっこが、始まった。



 楸が下駄履きであることを差し引いても、逃げるネコを走って追いかけるのは困難を極める。楸は走って追いかけることを早々に諦めた。

 だから、空を飛んで追いかける。

 だが、それにしても苦労は変わらない。真上からずっと見ていないと、例えば曲がり角に差し掛かれば、ただの壁でもネコを隠すには十分な死角を作り出すし、そもそも人間と同じ道だけをネコが通るとは限らない。むしろ、平気で他人の家の敷地にお邪魔したり、建物と建物の間の人一人通るのがやっとという細い道を通ったりと、見失ってしまいそうな道を好んで通る。まるで、楸のことを撒こうとしているようだ。

 しかし、楸は諦めない。

 何度か見失いかけたが、やっとネコが動きを止め、捕まえるのに絶好の機を得た。

「あれ?」楸は、足を止めたネコが佇む傍らに、見知った人間が居ることに気付いた。「あれって、カイ?」

 ネコとカイは、河川に臨みながら土手に並んで座っていた。先にカイが座っていた所に、後からネコが合流して行ったのだ。

 この状況をどうしたものかと楸は考えたが、いきなり接触すればまた逃げられると思い、しばし成り行きを見て、確実に捕まえられそうなチャンスを待つことにした。

「どもっす」

 カイは、ネコが来ても特に動じることもなく、隣に座ったネコに対し、まるで頻繁に会っている友人のように軽く挨拶した。

――えっ?知り合い?

 と不思議に思いながら楸は、捕まえにかかる好機、その時を待つ。

「最近どうすか?」

――えっ、敬語?

 どちらかというと乱暴な言葉遣いが多いカイのまさかの丁寧な口調に、楸は無言でつっこんだ。

 しかし、まさか楸が上空から見ているとも気付かず、カイはネコとの会話を楽しむ。

「にゃー」

「あ~ なるほど」

――何に対しての納得だよ!

「あの…俺のことになるんすけど、ちょっといすか?」

――ずっとお前しか喋ってないよ

「実は俺、好きな人がいるんですよ」

――知ってるよ。あの貧乳でしょ

「はい」

――……えっ?俺の心の声、まさか届いてる?

「いや、そんなことないっすよ」

――いやいや、そんなことあるみたいっすけど

「なっ…!告白とか、無理に決まってるじゃないすか!」

――あっ……俺、置いてかれた。ま、いいけどさ。てか、告んなら、さっさとしなよ

「…そうなんすよ」

――何が?

「俺もう、どうしたらいいか分かんなくて。本気で人を好きになったこととか、今までなかったから」

――いや、何ネコに真剣悩み相談してんの?頭大丈夫?

「にゃー」

「……そっすね!」

――あれっ?解決した?

「ありがとうございました!」

 カイは、ネコに礼を言って頭を下げると、立ち上がって何処かへと走り去った。

 何やら人格者的アドバイスをしたらしいネコは、カイのことを見送った後、悠然たる態度でその場を立ち去った。

「何あれ?」

 全く理解できないといった面持ちで呆れながら、楸はボソッと洩らした。



 カイと別れたネコは、また楸から逃げるかのように移動した。

 もちろん、楸はまた空を飛んで追いかける。

 すると、ネコが突然 足を止めた。またもや誰かの足元で佇んだのだ。

「あれっ?」楸は、ネコの側に立つ人物がまた知り合いであることに気付いた。「柊だ」

 ネコは、柊に出会った。

 柊は見下ろし、ネコは見上げ、両者は見つめ合った。

 楸は、両者の動向を見守った。今度こそ、とネコを捕まえるチャンスを窺う。が、それどころではなさそうな気がした。

――まさかあいつ…ネコ喰わないよね…?

 楸がそんな心配をしてしまうのは、柊が難しい顔でネコを見ていたからだ。しかも、だ。柊が、辺りを気にしてキョロキョロし始めた。

 周囲に人の目が無いことを確認すると、柊は動いた。腰を曲げてネコに手を伸ばした。

 これはまずい、ネコが危険だ、そう察した楸は慌てて柊を止めに入ろうとした。

 が、意図せずして楸の動きが止まった。

「にゃんこぉ~♡え~、何処から来たの?」

 嬉しそうな満面の笑みで甘えた声を出す柊の意外性に驚き、楸は凍りついた。

「にゃー」

「あ~ん、かわいい~♡首輪付いているようですけど、お出かけでしゅか?」

――えーっ…キモっ

 ネコにデレデレになっている同僚の姿に、楸は引いていた。

 だが、上空に居る楸の存在を知る由も無い柊は、目一杯ネコを愛でていた。リラックスしているネコの頭をなでて、アゴをなでて、モフモフのお腹をなでている柊は、幸せそうだった。

 柊が幸せそうなのはいいが、その姿、楸にとって見るに堪えなかった。

「柊」

 楸に声を掛けられ、柊は、ビクッと反応して声のする方向、上空に居る楸のことを見上げた。

「柊、そのネコ捕まえて」

 しかし、唐突に楸にそう頼まれても、戸惑いの中に居る柊はすぐには動けなかった。

 そうこうしている間に、ネコは自分を追いかけてくる楸の存在に気付き、その場から逃げ出した。

「あ~あ」落胆の声を上げながら、楸は、柊の側に降り立った。「柊がもたもたしてるから」

 楸は非難したが、その声は柊には届いていなかった。

 柊は、俯いたまま、黙ってしまっている。見られたくない姿を、よりにもよって厄介なヤツ (楸)に見られてしまった事で、自分を責めていた。

 柊が黙ってしまっているその理由を、楸は察していた。察した上で柊を茶化すような事を、敢えて楸はする。

「あ、さっきの柊ね、可愛かったでしゅよ」

 柊の頭をなでながら、先程の柊の口調をマネして、楸は言った。

 楸のこの言葉で、柊の恥ずかしさは限界を超えた。

「んぎゃーーーっ!」

 色白の顔を真っ赤にした柊は、奇声を発しながら、楸の記憶が消えかねない、むしろ消そうとしている、そう思うぐらいの威力で楸を殴り飛ばした。



 記憶はギリギリ残っていたが、楸は気絶してしまっていた。

「ったた…ったくもぉ~、あのモヤシめ」

 柊への不満を口にしながら、楸は目覚めた。

 辺りを見渡しても、ネコはおろか柊の姿も無かった。柊が居れば〝千里眼″でネコの現在の居場所をおおまかにでも掴んでもらえると思ったのだが、それは望めそうにない。

 どうしようか、考えた楸の導き出した作戦は、単純な〝人海戦術″だった。

 椿を呼んで頭数を増やし、ネコを捕まえよう。

 ということで、椿を呼び出す為にケータイを取り出した楸は、電話を掛けた。

 しかし、電話に出たのは椿ではなかった。

「もしもしもし?どうしたの、楸君?電話 掛けてくるなんて珍しいね。もしかして、のっぴきならないほどにのっぴき?」

 そのワケの分からない事を言う呑気な声の主は、十六夜だった。

「あれ、十六夜?」

 予想外な人物が電話に出たことに、楸は戸惑った。

 しかし、間違ったからと言って、すぐに電話を切ることはなかった。ネコを見失ってしまった今となっては、特に急いでいるわけでもないし、「ごめん、間違った」の一言だけで切るのは失礼に思えた。だから楸は、電話を掛けるに至った大体の経緯を説明した。迷子のネコを探していて、一度見つけたのに見失ってしまったから、人海戦術に移ろうと思って椿に連絡しようと思ったところ、間違って十六夜に電話してしまった、と。

 そう説明した上で、改めて謝って電話を切ろうとした楸だったが、電話の向こうで十六夜が「ふっ」と薄く笑ったのを感じ、黙った。

「どうやら、おめぇさんもでかいヤマを踏んでいるみたいだな」十六夜は、いつもより声のトーンを落とし、妙に演技がかった口調でそう言った。「気を付けな。やっこさん、かなりの人気者らしいぜ。他にもきな臭ぇやつらがその辺に集まってきてるみてぇだ」

 十六夜の突然のキャラチェンジにどう対応しようか戸惑った楸だが、とりあえず「どうして分かるの?」と聞くだけのことを訊いた。

「俺のセンサーに引っ掛かったんだよ」十六夜は、答えた。「奴さんの首輪にはあの時、こっそり発信機を埋め込んでおいたからな。ま、こんなこともあろうかと、ってやつさ」

「へー、あの時って、どの時?」

「楸!」十六夜は、楸の疑問を遮るような一際大きな声で楸の名を呼んだ。そして、楸が黙ると、「今から奴さんの現在地を示す地図を送る」と静かに言った。

「あ、ありがとう」

 楸がお礼を口にすると、暫しの間が空いてから「……死ぬなよ」と十六夜が言った。

「えっ?迷いネコ探し、まさかの死と隣り合わせのミッション?」

「ああ。無事生きて帰れたら、一杯やろうや」

「……ああ。お前も、絶対生き残れよ」

「ふっ…言われるまでもねぇぜ。なんたって、明日は娘の七歳の誕生日だからな」

 十六夜がそう言ったのを聞くと、楸は一度フッと笑い、電話を切った。

 そして、十六夜からネコの現在地を示しているという地図が送られてくるのを待つ。

 一分経つか経たないかと言ったところで、十六夜から画像が添付されたメールが来た。その画像を開くと、胸の前で拳を握っている十六夜の姿が映っていた。写真の下に書かれたメールの本文には『ウソついてごめんね(笑)』とある。

「はぁ~、やっぱりね」

 途中から十六夜の茶番に付き合ったのは自己責任なのだが、楸は、無駄に疲れた。

 メールには続きがあり、『死亡フラグ踏んでんじゃねぇか的なツッコミ大歓迎』とあったが、楸は黙ってケータイを閉じた。



 十六夜のせいでネコ探しの気力を削がれた楸は、人海戦術を取ることを忘れ、空からぼんやりと見下ろしながらネコを捜していた。

「どこ行ったんだよ?」

 力無く呟いた楸は、いつの間にか商店街の方にまで流れていた。

「あれ?」

 楸は、そこで何かを見つけた。

 それは、捜していたネコと紙袋を抱えた見知った男・石楠花だった。

 何かを食べながら歩いている石楠花の後ろを、ネコがついて歩いている。

「石楠花」楸は、空から声を掛けた。ネコが逃げないか心配したが、ネコの関心が石楠花の方に向いていて自分の存在など気にも掛けていないようだと察すると、石楠花の側に降り立ち、「何してるの?」と訊いた。

「何も」

 そう答えた石楠花は、どこか不機嫌そうだった。

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、さっきからネコにストーカーされてんだよ」心底迷惑そうに、石楠花は言った。「ったく、俺は言葉が通じない生き物は苦手なんだがな」

「あのさ」楸は、控えめに言った。「たぶんだけど、原因はそれじゃない?」

 ネコの様子を窺った楸は、石楠花が右腕に抱えている紙袋ではなく左手に持っている小袋を指差した。

 それは、乾燥した小魚やアーモンド、ピーナッツが入ったお菓子だった。

 楸は、石楠花がぽりぽり食べている『それ』が、ネコを惹きつける原因であると考えた。

「ききっ。おいおい、これは俺の貴重なカルシウム源だぜ」石楠花は言った。

「カルシウム源だぜって、もっと別の形で摂取しなよ」呆れた面持ちで、楸は返した。

「ききっ。人の食生活を他人にとやかく言われたくはないな」

 石楠花はそう言うと、ゆっくりとした動作で、ネコの前に屈んだ。

 何をする気だ、と楸は石楠花の動きをしげしげ見つめる。

 石楠花は、小魚の入った小袋を左右に振り、ネコの興味が本当にこの小袋にあるのかをまず確認する。ネコが左右に動く小袋を 首を伸ばしながら見つめ続けていたので、確かにネコの興味はこれだ、と石楠花は確信した。すると、石楠花は、小袋を両手で包むようにして隠した。ネコの視線が集中しているのを口元に笑みを浮かべて嬉しそうに確認しながら、石楠花は、両の手の中にある小袋を揉み始めた。

 そして、次に石楠花が手を開いた時、その手の中のあったはずの小袋は消えていた。

「あれっ?えーーっ!」

 驚きの声を上げたのは、楸だった。

 ネコは、特に驚いた様子はなく、エサを持たない用の無くなった男に愛想を尽かしたように、そっぽを向いて何処かへと歩き去った。

「ききっ」と石楠花は満足そうに笑っていた。「まさかネコにも通用するとはな」

 そう言った石楠花は、先程消したはずの小袋を何処からかまた取り出し、食べていた。

「石楠花って、何やってる人?」

 呆気にとられた表情で、楸は訊いた。

「ききっ。…内緒」

「マジシャンとか?」

「いや。手品に関する一通りの技術は、色々使えるし遊び半分で習得しただけだ」

 石楠花の謎は深まるばかりだ、と楸は小首を傾げた。

「ところで、浴衣の」石楠花は言った。「あんた、こんな所で油売ってていいのか?さっきのネコ、捜してたりしたんじゃないのか?」

「あっ、そうだった!」

 そう気付いた楸だが、辺りを見渡してみてもネコの姿は見当たらない。

「やっぱりか」石楠花は、嬉しそうに笑みを浮かべていた。

「何で分かったんだよ?」

「いや、来た時からずっと、あんたはそれとなくネコに注意を払っていたようだったから。ききっ、あれ? もしかしたら、捕まえた方が良かったか?」

 いやらしく笑う石楠花の顔から、楸は、石楠花はネコをわざと逃がしたのだと察した。

「あー、もう!」

 不満を爆発させるように、楸は言った。

「ききっ。さっきのネコなら、向こうに逃げたぞ」とある一方を指差して、石楠花は「欲しかったら、小魚一匹くらいならやるが?」と小魚を楸の方に差し出した。

「要らない!」

 半ば自棄になって応え、楸は石楠花の指差す方向へと飛んで行った。



 石楠花の所から離れたネコは、道端である女性に出会った。

 その人は、頭の上に仰向けになって大の字で寝ているリスを乗せて歩いていた。

「あ、ネコだ」

 ネコを見付けた榎は、頭上で寝ているリスのアマリリスに気を遣ってバランスを取りながら、腰を屈めた。警戒心薄く触らせてくれるネコの下あごを、榎は笑顔でなでている。

「ん?どうした、ネェちゃん」

 異変に気付いたアマリリスは、榎に訊ねた。

「あっ、起こしちゃった?マリーちゃん」

「あ~、それはいいが、それよりそのネコ、どうしたんだ?」

「う~ん?わかんない。首輪してるから野良じゃないっぽいけど、一人でお散歩してるのかな?」

 榎が曖昧に答えると、アマリリスは「ふ~ん」とどうでもいいとでも言ったような関心の低い相槌を打ち、榎の頭から肩へと移り、ネコに近付いた。榎が屈んだままである事もあり、アマリリスとネコの距離は、一メートルも無くなった。

「お前、どこから来たんだ?」

 ぶっきらぼうな物言いで、アマリリスはネコに訊いた。

「にゃー (どこってことも…ただ、家にいるのが耐え切れなくなって出て来た)」

「ふ~ん」

 また興味もなさそうにそう言うと、アマリリスは何かを考え始めた。

「どうしたの?マリーちゃん」榎は訊いた。

「ああ。ネェちゃん、ここまで送ってくれてサンキューな」アマリリスは榎に礼を言うと、ネコの方を顎でしゃくり、「こっからは、こいつに送ってもらうわ」と言った。「なっ、いいだろ?短いあんよで歩くのは、けっこう疲れるんだ」

「にゃ、にゃー (べっ、別にいいけど)」

 アマリリスに頼まれ、しぶしぶと言った感じでネコは了承した。

 ネコのOKを貰うと、アマリリスは榎の肩からネコの頭の上に飛び移った。

 そのまま、アマリリスを乗せたネコは、何処かへと歩いて行った。

 その後ろ姿をぼんやりと見送っていると、榎は、「榎ちゃ~ん」と声を掛けられた。

「あっ、楸さん」

 榎に声を掛けたのは、ネコ捜し中の楸だった。

 楸は、榎のそばに降り立った。

「榎ちゃん。この辺でさ、首輪付けた白い仔ネコ見なかった?」と楸は訊いた。

「あ、うん。それならたぶん、さっき見たよ」榎は、そのネコの特徴を伝えて楸の探しているネコと同一だと確認すると、自身の持つ特異な力で知ることが出来たアマリリスとネコの、動物たちの会話の内容を楸に教えた。「それで、マリーちゃんを乗せて、あっちの方に行ったよ」

「ホント?」楸は、一足遅かったと悔やむ思いもあったが、手掛かりを掴めたことに、そして何よりも榎と出会えたことに喜んでもいた。「榎ちゃん。もしよかったら、俺と一緒に来てくれない?そのネコ、どうやら迷子みたいで飼い主も捜しているようだから、俺も捜してるんだよね。だから、榎ちゃんも一緒に来てくれると正直心強いんだけど、だめかな?」

 楸は、榎に訊ねた。

「そうなの? 分かった」榎は、二つ返事で了解した。「私でよかったら、力になるよ」

「ありがと。じゃ、早速だけど後を追おう」

 榎の協力を得た楸は、榎と一緒にネコを追いかけた。



 アマリリスを頭に乗せたネコは、ちょっとしたピンチに陥っていた。

「公園を突き抜けた方が近道だから、そっち通ってくれ」とアマリリスが言うので立ち入った公園に、首輪を付けているのに散歩用の紐、リードを付けていない犬がいた。その犬は、リスよりも仔ネコよりも遥かに大きい。その上厄介なことに、アマリリスとネコに興味を持ってしまったようだ。尻尾をバサバサと振りまわす自分に対し、危険な相手を前にした動物二匹が本能的にピンチを悟るような、そんな興味を犬は示している。

――マズイ、ここは俺が何とかしねぇと

 犬と対峙しても臆することなく、アマリリスはこの窮地をなんとか脱してネコを護る方法を考えた。が、何も名案が思い付かない。いつも非常食に持ち歩いている、飛び道具の武器にもなるドングリも、さっき食べつくしてしまった。話し合いが通じるとも思い難い。怖くはないが、怯えるネコの震えが足から伝わってきて、それがアマリリスの焦燥感を強くした。

――なかなかに絶体絶命っぽいじゃないの

 アマリリスは、自分を奮い立たせる為、あえて不敵な笑みを浮かべた。が、それで何かが解決するワケでもない。

 犬が、「ぐるる」という低い呻き声を出した。

 襲いかかってくる、そう感じ取ったアマリリスは、成す術も無い状況を歯痒く思いながら、現実を受け入れる覚悟を決めて目をギュッとつむった。

 しかし、犬が自分たちに襲いかかってくることはなかった。

「つーか、紐付けてねぇと危ねぇだろ」

 アマリリスが恐る恐る目を開けると、通りすがりのニット帽をかぶった男が、呆れた顔をしながら犬の首輪を掴み、犬の身体が半分浮くような、多少乱暴な方法で犬の動きを制止している姿があった。

 そこに、犬の飼い主らしき中年のおばさんが掛け脚で近付いて来た。

「すみません」とおばさんは、男に頭を下げた。

「いえ。あの、余計なお世話かも知んないすけど、紐外して遊ばせんならもっと広くて人の居ない場所がいっすよ。ちっちゃい子に怪我さしたり他の犬とかとケンカされたりしたら困るでしょうから」

 そう面倒くさそうに言いながら、男は犬をおばさんに渡した。

 おばさんは、可愛いペットを乱雑に扱われたことに腹を立てたようだが、ニット帽の男が言う事も正論であったから「そうですね。すみません」と心のこもらない謝罪をすると、犬の首輪にリードを付け、「さ、行きましょ」とその犬の物らしき名前を呼んで、足早にニット帽の男から離れて行った。

「んだ、あのクソばばぁ」

 ニット帽の男は、反省の色の見えないおばさんの背中を、悪態をついて見送った。

 そして、公園はただの近道に通っただけだからと、ネコたちを気に掛けることなく再び歩き出した時、「お~い、椿」とニット帽の男を呼ぶ声がした。

「んだ、クソ天使かよ」厄介者の登場に苦い顔をした椿は、楸から顔を背けた。

「こっちのセリフだよ」

「何でだよ!俺のどこが『クソ天使』なんだよ」

 そんな挨拶を交わすと、椿は「で、何してんだ?」と楸と一緒に来た榎に訊いた。

「そこのネコ」と榎は、先程犬に襲われかけていたネコを指差した。「迷子みたいでね、追って来たの」

 そうとだけ榎が説明すると、椿の反応を待たずに楸は「じゃあ、榎ちゃん。お願いしていい?」と榎に声を掛けた。

 公園に来る前、ネコの後を追っている時、楸は『ネコの説得』を榎に頼んでいた。無理矢理捕まえるよりも、動物と会話できる榎に説得を頼む方が確実そうだしネコにとっても良い様な気がするという、楸の判断だった。

「うん」と榎はアゴを引いた。ネコの前に歩み寄り、話をしようと膝を折る。が、榎が何か言い出す前に、軽く手を上げたアマリリスに止められた。「マリーちゃん?」

「……ここは、俺に任せてくれよ」

 アマリリスは、抑揚のない声でそう言った。

 榎は、どうしようか一瞬考えたが、「うん」と身を引いた。

 作戦とは違う榎の様子に気付いた楸は、何が起こっているのか状況を知る為にも〝テレパシー″で榎と繋がった。普段よりも強く繋いだテレパシーで榎と感覚をも共有して、自分も動物の言葉を聞き取る為だ。

「危なかったな」アマリリスは、リスに言った。「けどよぉ、さっきも教えたが、野生ってのは危険な所なんだぜ」

「……わかった…つもりだったにゃ」

 そう応えたネコの声は、沈んでいた。

「仕方ねぇさ、そう落ち込むな。今日の今までは運が良かっただけで、こういうこともある。猿のダチに聞いたんだが、人間の言葉に『百聞は一見に如かず』ってものがあるらしいんだ。何事も身をもって経験しないと分からないってことだろうな。『野性』がどういうものか、まぁほんの一部でしかないことには違いないが、分かって良かったんじゃねぇか?」

「…にゃ」

「お前が『野性』を知らないのと同じでさ、野生で生まれた俺には『人間に飼われる生活』は分からない。だから、お前が『人間の愛情を鬱陶しく感じた』ってことも『飼われる生活が窮屈だ』ってことも、お前が逃げ出した理由はどれも俺にはピンとこない」

「……にゃ」

「俺には正直、野性こっちの方が性に合ってる。危険も多いが、それと同じだけ自由もあるから。けど、そこのネェちゃんに会ってから、友達とはまた違う自分を気に掛けてくれる存在が居る事も、嬉しいかもって、少しだけ思うようになった。不自由だと思っていた飼われるペットの生活も、まぁ悪くないかもって思ったりもした」

「………にゃ」

「俺が言いたいのはそれだけだ。あとはお前の好きに決めろ。一人の自由がいいのか、大切な人との不自由がいいのか。……もしこっちがいいなら、最初ぐらいは世話してやるぜ」

「…………帰ろっかにゃ」

 考えた末、ボソッと呟くような小さな声で、ネコは言った。

「へぇ~。いいのか?こっちは危険と隣合わせだが、魅力的な世界も広がっているぜ?」

 と敢えて決断を揺さぶるアマリリスの発言にも、ネコは「うん」と答えた。

「もしかしたら、広い世界が良い、っていうのは思いすごしだったかも。不自由でも、愛してくれる人のそばが、大好きな人のそばの方が、何よりもうれしい、広い世界…なのかも」

「あっそ」アマリリスはそう言うと、榎の頭の上に移動して、これでもう自分の出番は終わりだ、とばかりに頭上で寝転がった。

 迷子の家出ネコが帰宅を決めたのはいいことだ。説得したのがリスだとか、そういう細かいことは気にしない。楸は、ミッションを達成したことにホッと胸をなでおろすのだが、どうしても気になることはある。

「榎ちゃん。その男前なリス、どちらさん?」

「このコ?マリーちゃん」と榎は笑顔で答えた。

「あ、名前だけはかわいいんだね」

 もうどうでもいいや、とりあえずネコが無事に帰るのを見届けて今日は帰ろう、楸がそう思った時、「おい!」と状況に取り残され続けた椿が不機嫌そうに言った。

「何がどうなってんだよ? つーか、ずっと気になってたんだけど、そのリス何?何でネコの頭の上に乗ってたんだよ?」

「うるせぇな」アマリリスが言った。「ネェちゃん、こいつが例の玉無しだろ?」

「うん」と榎は頷いた。

「癪だがさっき助けられたんだ。代わりに礼言っといてくれよ」

「わかった。 椿君。このリスの名前は、マリーちゃん。さっきは助けてくれてありがとう、だって」

「あ、いえいえ。どういたしまして…じゃねぇよ!」

「椿、うるさい」迷惑そうに楸が言った。

「っせぇ、クソ天使!何が起きてんのか理解できない俺の身にもなれ!つーか、何?今回、俺の知らない所で話進んでんの?」

 納得できないと騒ぐ椿だが、ネコの帰宅を見届けるために楸はついて行き、アマリリスが「帰りたいけど疲れた」と言うのでタクシー代わりに榎が送って行き、結局公園に一人寂しくぽつんと取り残された。

「え、これで終わり?」


飼われている動物が逃げ出すこともあるようで、その理由を自分なりに考えてみたつもりです。



カイが猫と喋っているのは、石楠花から『ネコザル』と呼ばれるほどにカイが動物的だからです。榎と違い、力の影響ではありません。

ちなみに

「最近どうすか?」

「家出してきた」

「あ~なるほど。あの、俺のことになるんすけど、ちょっといすか?」

「いいよ」

「実は俺、好きな人がいるんですよ」

「へ~、素敵ですね」

「はい」

「付き合ってるの?」

「いや、そんなことないっすよ」

「告白は?したの?」

「なっ…!告白とか、無理に決まってるじゃないすか!」

「そうなの?」

「…そうなんすよ」

「なんか、大変そうだね」

「俺もう、どうしたらいいか分かんなくて。本気で人を好きになったこととか、今までなかったから」

「にゃー (どうしたらいいかじゃなく、どうしたいかで考えたら。僕だって、家の中の生活が嫌だったから『外に出たい』と思ってとびだしたんだ)」

「……そっすね」

「そうだよ。こんな小さい体の僕だって思い切って飛び出したんだ。キミも、悩んでないで、思いっきり飛び出そう」

「ありがとうございました」

という、会話の内容になっていました。本文では無言の楸とのやり取りになっていますが、テンポを重視したから書いていないだけで、ネコは「にゃー」と喋っていました。

ホント、あのアホは、ネコに何を相談しているのでしょうね。



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