番外編 残留思念が赴くままに
霊のエロガキ、レイラの話です。
レイラは「霊羅」と書きます。
レイラは今日もどこかを彷徨っている。
レイラは、幽霊だ。
小学生の時に交通事故に巻き込まれて死に、レイラは幽霊となった。幽霊となったのは数十年も前だ。それ以来、満たされぬ想いが多く、また 幽霊として存在し続ける中で新たに未練も増え続け、結果 幽霊として長くこの世に留まっている。
レイラがこの世に留まる要因は、ハッキリしていない。それがこの世への未練である事に変わりは無く、レイラ自身もそれがどういう感情か、なんとなく理解している。しかし、レイラはそれを認めない。認めないから、欲しいものに手を伸ばす事を躊躇い、結果として未練が晴れる事は無い。
ただ、レイラも認めている要因が、確実に一つある。それは…。
「あ~。女の子抱きたい」
霊
空は、青い。
俺は、青白い。
女の子は、ピンクだろう。
この『女の子がピンク』説は、まだ確証されていない。俺が死んでから構築した説だから、身体の感覚を持たない俺には、実証する術が無い。俺の中では、見ているだけや話で聞くだけでは、実証したとは言わない。自分を実験体として確認し、それで初めて仮説が証明される。
この仮説、長らく証明することは不可能なのではないか、そう諦めの気持ちが芽生えていた。しかし最近、憑依した時に俺に感覚が伝わるくらいに相性のいい、丁度いい容れ物を見つけた。
椿だ。
あいつの身体に憑依した時、俺は、久しぶりに身体を通り抜けていく風や暑過ぎる位の日差し、甘いパフェの味など、様々な感覚を楽しむ事が出来た。今まで何人もの人間に憑依してきたけど、あれほど相性のいい容れ物は他にはないと思う。もう、心の底から感激したとも言っていい位だった。
だけど、両手放しで喜べない、決定的な問題があった。
椿の抵抗力が強過ぎて、あいつの身体の支配権を完全に俺のモノにすることができなかったのだ。
最高の容れ物なのに、最大の障壁が立ちはだかった。あれで支配権を俺のモノに出来さえすれば、椿の身体使って好き放題できるのに、それができない。居心地のいい最高の物件を見つけたのに、後から図々しくも勝手にルームシェアされた気分だ。これでは、俺の自由が無い。
椿という容れ物が見つかったにもかかわらず、俺の仮説を証明することが出来ない理由は、他にもある。仮に主たる主導権が椿にある状態でも、その主導権を全く奪えないワケではない。一時であれば、奪う事は可能だ。だから、椿が女のコとお楽しみの時に、主導権を奪えばいいワケだ。
しかし、それがそういきそうにない。
まず、椿はモテない。見た目が悪いワケではないかもしれないが、あんなバカでチキンな男、モテるワケ無い。女のコが寄って来ない男に、俺はどんな希望を見出せばいい?
次に、椿周辺の女のコ事情だ。俺が知っている中でも、椿は女のコの知り合いが最低二人はいる。榎さんと柊さんだ。この二人、どっちも可愛くて女のコとしてのレベルは高いんだけど、なかなか厄介なんだよね。まず榎さんは、何故か俺の事が視える。霊感とは別の理由らしいが、とにかく、幽霊の俺を視る事ができる。そうであれば、俺が何かしようとした時、榎さんが目の前にいれば俺の一挙手一投足は全て視られている事になる。そんな状況では俺の行動が制限されるのは必然だろう。そして、柊さん。彼女は、凶暴過ぎる。「大きい方がいい」と思っていたガキの俺も、長い幽霊生活の中で『貧乳』に対する喜びも見付けている。だから、柊さんのスレンダー過ぎる身体も、何ら不満ない。しかし、ひとたび抱きつこうとすれば、彼女は殴りかかってくる。防衛本能なのか恥ずかしさからなのか、理由は何にせよ、彼女が相当心を許している相手じゃないと、彼女に触れることすら難しいだろう。椿では、絶対無理だ。あいつの身体で抱きつこうとすれば、相性が良過ぎることが逆に災いし、死んだのに死ぬような思いを味わう事になるだろう。
分かったか?
椿では、俺の欲求は満たされない。
てことで、他に誰かいい容れ物はないかな~?
○
容れ物を捜していたレイラは、まず、少し横道にそれる事にした。レイラは本来の目的以外にもやりたいことが多く、横道にそれる事を悪い事だとしない。その瞬間に最もやりたいことを、それがレイラの行動指針でもあるからだ。
だが、この時の横道は、本来の道から全く逸れるモノではない。少なくとも、レイラはそう判断する。
レイラは、二次元の女の子にも興味を示した。
だから今、レイラはオタクであろう人物を捜している。
オタクならば、ギャルゲーという未知なるゲームに傾倒しているはずだ。だとすれば、そいつの代わりに自分がゲームをプレイして、攻略してやろう。二次元を攻略出来れば、一コ次元が上がっただけのこの世界でも、ギャルゲーと同じように攻略できるだろう。レイラは、そう考えた。
「あ~あ。どっかに分かり易くオタクの住処みたいな所ないかなぁ~」
思うように事を運べず、レイラは気落ちしかけた。
レイラの探し方は、至って単純だ。
昼間っからカーテンを閉めている部屋、これをオタクの部屋だと判断し、侵入する。
これだ。
幽霊のレイラは、壁などの障害をモノともせずすり抜ける事が出来る。だが、だからといって手当たり次第に家宅侵入を試みる事は、レイラの美学に反した。だから、明らかにそうだと目星を付けた部屋へ侵入し、オタクの身体を出来れば拝借し、ギャルゲーの攻略をと考えたのだ。
そして、見付けた。
「あった!」
声を高くして満面の笑みを浮かべ、レイラは真昼からカーテンを閉め切っている部屋へと入った。
そこは、十六夜の部屋だった。
十六夜の部屋に入ると、レイラは「えっ?」と顔をしかめた。
「なんかイメージと違う。てか、なんかレトロゲームやってるし」
レイラのイメージでは、昼間からカーテンを閉め切るようなオタクの部屋は、女のコのフィギュアが一杯で、エッチな雑誌やゲームやマンガなんかが床を埋め尽くしている物だと思った。
しかし、十六夜の部屋は、確かに木張りの床が見えないほどに散らかっているが、女のコのフィギュアなどは無かった。様々な雑誌や情報誌、少年漫画や少女漫画が本棚から溢れるほど大量にあり、汚い。テレビの前には様々なゲーム機が置かれていて、こんがらがっている配線コードやゲームソフトも乱雑に置かれていて、汚い。バラバラになったトランプやUNO、統率が全く取れておらず好き勝手な場所に居る将棋のコマやチェスの駒が散らかってあり、汚い。他にもコマや竹トンボ、サイコロや何かの剣、木材や地球儀など、多種多様なモノが部屋にあふれている。一言で言うなら、汚い。
そんな汚い部屋で、十六夜はテレビゲームしていた。
今 十六夜がプレイしているのは、爆弾を置いて敵を倒す、そういうゲームだ。建物内を移動するのではなく、四角いステージ上の限られたスペースのみで、一度に置ける爆弾の上限数を増やしたり爆弾の火力を強化したり、キャラクターのスピードアップをしたりなど、様々なアイテムを入手して強くなりながら敵を倒すという、あのボンバーなマンのゲームだ。
少しイメージと違う部屋だったが、レイラは、十六夜の部屋を物色した。肉体を持たないレイラは物を触る事が出来ないが、それでも、可能な範囲で部屋を見て回った。
「なんだよ~。色々あって面白いけど、つまんない部屋だな」
レイラは、文句を言った。がっくりと肩を落とす。
見て楽しめる、そういう物が少なかったのだ。
だが、そんなレイラの退屈を紛らわすようなことがあった。
それは、十六夜のプレイするゲームだ。
十六夜の操作するキャラクターは、追跡ボムや時限ボム、地雷ボムなどの特殊ボムを持っていないが、爆弾を置ける個数や爆弾の火力、キャラクターの移動スピードなど、基本的な性能が高かった。そして、その中でも圧巻と言えるのは、十六夜の技術だった。十六夜は、ブロックをすべて破壊したステージ上を、操作キャラクターを左上から右下へと障害物を縫うように移動させ、一列ずつ爆弾を置いていった。そうすると、敵キャラクターは逃げる場所なく、やられていく。それは、ボスキャラクターも例外ではない。十六夜は、敵の動きと自分の爆弾の爆発するタイミングや火力などを全て把握し、戦場を駆け抜けた。
「すげぇ…」
十六夜のプレイしている物と全く同じではないが、同種のゲームをした事があるレイラは、十六夜のレベルの高さに驚き、感嘆の声をあげた。
最初は、十六夜のプレイする画面を見ているだけで満足だった。しかし、次第にレイラは自分もやってみたくなった。この男のようにハイレベルなバトルを楽しみたい、そう心がうずいたのだ。
当初の目的とは違ったが、このゲームを攻略したい、その衝動を我慢することが出来なくなったレイラは、十六夜の身体に憑依しようとした。
「それぃ!」
レイラは、十六夜の中に入った。
しかし。
「強いですね、コイツ。けど、世界の運命を託された僕の前には、雑魚も同然です」
十六夜は、レイラの憑依を全くと言っていいほど全然、意に介していなかった。
十六夜の中で、レイラは困惑していた。
「こいつ何で無反応なんだよ?」
通常であれば、無反応という事は有り得ない。レイラを拒絶して身体が動かなくなったり、レイラに支配されて身体を動かされたり、その反応に差異はあれども、全く影響が出ない無反応という事は、レイラの経験上有り得ない事であった。
しかし、実際 十六夜はレイラのことを意にも介さない。
拒絶されるでも支配されるでもなく、レイラを受け入れたままでも自己を保ち、ゲームを全面クリアした。
「やりましたよ!世界に、世界に平和が訪れたんですか、これ?」
ラスボスを倒したが、そういえば何で闘っていたんだっけ、そういう疑問が十六夜の中にあった。
しかし、そんな十六夜の疑問はどうでもいいと言うほどに、レイラの疑問は大きかった。
「なんなんだよ、こいつ~?」
十六夜という不可思議な存在に恐れ慄いたレイラは、憑依を諦め、十六夜から飛び出した。そして、十六夜の部屋からも、逃げるように出ていった。
十六夜の部屋を出た後、レイラは再び街中を彷徨った。
「さっきの男はダメだ。規格外過ぎる。もっと普通のイイ男を捜して、女のコを抱こう」
気持ちを切り替え、レイラは本来の目的である容れ物探しに集中した。
そして、すぐに見つかった。
「居た!」
レイラの眼鏡に適う人物、歳は二十代後半と言ったところだろう、長身痩躯な男が駄菓子屋から出てくるところを、レイラは目撃した。
その男とは、石楠花だった。
石楠花は、駄菓子を食べながら家路を歩いていた。
「無駄な脂肪の無い長身、聡明さを感じさせる端整な顔つき、あれこそ未来の俺の姿に違いない!」
レイラは、石楠花の容姿に、決して訪れる事の無い自分の将来像を重ね合わせた。
そして、思う。
「あの身体なら、椿以上に相性が良いはずだ。そして、あの身体を使って…」
良からぬ考えが、レイラの頭を満たして行く。
「ぐふふ」と下衆な笑みを浮かべたレイラは、早速と、石楠花の身体へ憑依した。
ビクッと、石楠花の身体が震えた。
それは普通の事だが、十六夜の時には無かった反応だ。
石楠花の脚が止まった。
レイラは、「今度こそは」と期待した。
しかし、レイラの期待は裏切られる事となる。
石楠花の身体に入る事は出来た。それは事実だ。しかし、石楠花との相性は予想していた以上に悪かった。ミス・ユニバースが実は男だった、それぐらい裏切られた感情が、レイラの中にあった。
レイラの意思では、石楠花の身体を動かす事が出来なかったのだ。
十六夜の時と違って、石楠花の脚は止まったし、憑依すること自体は出来ているはずだ。しかし、石楠花の身体がレイラの思い通りに動く事はない。食べようと思っていないのに、休むことなくスナック菓子が口へと運ばれていく。
「なにこれ?感覚はないけど、どんどん口が渇いていく気がする」
レイラは、このままではマズイと判断した。実体を持たない自分だが、かっさかさの砂のようになって風に流される、そんな不安が頭をよぎり、身体を持たないはずのレイラは寒気を感じた。
慌てて、石楠花の身体から出る。
石楠花は意識を取り戻すと、憑依されていた時も淀みなく食べ続けているスナック菓子を、そのまま食べ続けた。
石楠花は、一瞬意識が飛んでいた。しかし、咀嚼していた駄菓子を飲みこむと、「ききっ」と笑うだけで、何事も無かったかのように次の駄菓子の袋を開けた。
「なんだろうな?すごくそそられるような、そんなチャンスをみすみす逃した気がするな」
そう言うと、石楠花はまた不気味に「ききっ」と薄く笑った。
「ちょっと、この男も違ったな」
石楠花の背中を見送り、レイラは言った。
石楠花に憑依した時、まるで窓も何も無い真っ暗な部屋に閉じ込められた気がしたレイラは、石楠花に見切りをつけ、次の容れ物を捜しに行った。
「あ、れ、はぁ~、柊さんだぁい」
柊の姿を見つけると、その途端にレイラの機嫌が良くなった。うかれていると言っても良いほどに、ご機嫌だ。
まだ遠くに小さく見えるだけの柊 目掛け、レイラは文字通り飛んで行った。
しかし、小さな柊を見つけてご機嫌だったレイラだが、柊に近付くにつれ、「あれ?」「ん?」「んんっ」と顔をしかめていった。
柊の隣に、男が居たからだ。
「なんで?」レイラは、声を大にして文句を言った。「なんで柊さんが男と一緒なの?いくらスレンダーなあの身体でも、尻は軽くないはずだ。なのに、なんで!」レイラの文句は止まらない。「柊さんはどっちかっていうと、男を寄せ付けない、近寄りがたい高根の花タイプの人でしょ。それがなんで!しかも、天使のくせに人間とって、それありなの?」
レイラは、柊が男と並んで歩いている事が気に食わなかった。
柊は今、男・カイと並んで歩いている。
時間を遡って説明すると、この日仕事がなかった柊は、特にやる事もなくフラフラと飛んでいた。テキトーに店を見て回り、服屋でマネキンや店員の服装を見てオシャレを学び、お腹が空いたらどこかで大食いチャレンジなどをして腹を満たそう。そんな計画を頭の隅に描きながら行動していたら、柊はカイを見つけた。
「カイ」と名前を呼び、柊はカイの横に降り立った。
「ひ、柊さん!」
歩みを止め、カイは、突然現れた自分の女神に驚き、戸惑い、喜んだ。
「何してんの?」
「いや、俺は別に何も…。柊さんは、今日はどうして?」
「今日はどうしてって」その要点を得ない質問に苦笑いを浮かべ、柊は「アタシも、別に何も」と答えた。「特に目的もなくただブラブラしていたところにアンタ見かけたから声掛けちゃったんだけど、迷惑だった?」
「そ、そんな。迷惑だなんて、全然」
平常心を失ってテンパりながらも、カイは答えた。本心だった。本当に迷惑などではなく、叫びたくなるほどに嬉しかった。
「そう。良かった」
柊は、極僅かに薄く笑い、そう言った。
良かった?
その言葉に一瞬疑問を感じたカイは、直後 心を躍らせていた。『柊さんが、俺と会えてよかった?』と、柊の言葉を勘違いして解釈したのだ。
しかし、確かに柊は、カイと会えて良かったと思っているのだが、カイの受け取り方とは少し違う。
「アンタさ、師範……拳王・ゴリラ師範に修行付けてもらっているんでしょ?どうだった?」
男としてのカイと出会えた事を喜んだのではなく、同じ師の下で修行する門下生と出会えた事を、柊は喜んだのだった。
「えっ?ゴリラのおっさんですか?」
予想外の名前が出て来て、カイは戸惑いの声を上げた。
「そお。アンタさ、師範にまともな一撃食らわせる事とかできた?」
「いや……あのおっさん、有り得ないほどに強いし頑丈だから、決定打となるとまだですかね」
「やっぱり?」そう言った柊は、少し嬉しそうだ。「やっぱ師範強いよね」
柊は、拳王・ゴリラのことを「師範」と仰ぎながら、倒すべき目標ともしている。だからだろう、同じ目標に、天使ではない人間の身でありながら向かっていくカイに、仲間意識のようなものを感じていた。仕事仲間ならば、楸が居た。自分に稽古を付けてくれと向かって来る者ならば、椿が居た。友達は、榎がいる。しかし、同じ目標、それこそ攻略することが出来るのか不安になるほどに大きな山に向かっていく仲間は、それまで柊にはいなかった、初めて出来た存在だったのだ。
カイと拳王・ゴリラについての話をする事に、無自覚ながらも柊は、喜びを感じていた。
しかし、そんな細かい事など、カイにとってはどうでもいいことだ。
カイにとって、柊と話す事、柊と一緒に居る事、それ自体が幸福な時であるからだ。
喜びを感じるコトに違いはあれども、柊とカイは、傍から見れば仲良く楽しそうに会話をしていた。
そして、そんなところに、レイラがやってきた。
「何あいつ?柊さんにデレデレしちゃってさぁあまぁ。そんなに貧乳をその手に収める事が出来たのが嬉しいんですかね?」
レイラはカイに対し、言いがかりという他 何でもない怒りを抱いていた。口をへの字にし、カイのことを罵っている。
そして、レイラは決意する。
「だったらその幸せ、スレンダーな貧乳を抱き締める事が出来る幸せ、分けてもらいましょうか」
そう言うと、レイラはカイに憑依しようとした。が、カイの身体に入る直前、その動きを止めた。
カイが、バッと勢いよく振り返り、レイラの向かって来ている方を見たのだ。
「どうした?」
突如として表情を強張らせたカイに、柊は訊ねた。
自分でも無意識な反応であったため、カイは「いや、何となく悪寒がして」と首をひねりながら、曖昧に答えた。
不思議に思うカイと柊の傍らで、レイラだけは笑っていた。
「あの反応……もしかしたら俺を受け入れ、感覚の共有すらも可能にする、椿に代わる霊感の備わった器なのかもしれない」
レイラは期待感から、目を見開き、口角を上げていた。
そして、その「もしかしたら」という思いを持って、レイラはカイに向かっていく。
さっきのは自分の気のせいだと思い込んでしまったカイは、今度はレイラの憑依に対し無防備となっていた。
そのせいで、レイラに憑依されることとなった。
だが、レイラの期待は、またもや外れることとなる。
カイは、動物的な感の良さを持って、レイラの存在に勘付いただけに過ぎない。それは、霊感の強さとは少し違う、ただの直感だ。それに、もし仮にカイに霊感が備わっていたとしても、カイの肉体はレイラの望む器とはならないだろう。
相性が悪いのだ。
「あぁ…うぅ…いぁ」
と、レイラは愛の甘い言葉を囁いたつもりであったが、呻き声のような言葉ではない言葉しか、レイラが憑依した状態のカイは、喋る事が出来なかった。
「ハ?何?」
カイの異変に柊は戸惑ったが、それ以上に不気味さを感じ、眉根を寄せた。
カイに憑依したレイラは、柊の質問に答える事は出来ない。「ハグしたい」と答えようとしても、言葉を上手く発せないのだ。
レイラは、相性が悪く思い通りにならないカイの身体に苛立ちながら、一縷の望みを託し、感覚の共有は可能か、それを確かめる事にした。
レイラにとって幸いなことに、かなりゆっくりはあるが、カイの身体を動かす事は出来た。そして、その緩慢な動作でも、「ハッ?なに?」と何が何だか分からずオロオロしている無防備な柊に抱きつく事が出来た。仮に動きが機敏であれば防衛本能が働いて拒絶できただろうが、ゆっくりであるが故に混乱状態の柊は、レイラに抱き付くことを許してしまった。
レイラが憑依したカイは、柊の肩に手を置き、柊の身体を自分の方へ寄せると、左手を柊の背中へ、右手を柊の頭へと回し、柊を抱き締めた。そしてさらに、柊の頭を抑えつけ、柊の顔を自分の胸にうずめさせた。
突然のカイの行動に、戸惑う以外に成す術の無かった柊は、顔を真っ赤にした。
だが、何も分からずにいる柊とは対照的に、レイラは理解した。
「なんだよ。この男、霊感があるのかと思いきや、さっぱりだ」
感覚共有が出来ないと判ったレイラは、カイの身体も自分を受け入れるだけの器ではないと見切りをつけた。柊を抱き締めた感触を味わう事が出来なかったことに不満を抱きながら、カイの身体から出た。
そうしてレイラは二人のもとから離れるのだが、一つ確信を得ていた。
「柊さん、俺が抱き締めた時 嬉しそうじゃなかった。ただびっくりするだけで、喜んじゃいなかった。だからって、全くの拒絶でもない。たぶん、あの二人は友達止まりの仲だったんだ」
そう納得し、何処かへとレイラは飛び立った。
しかし、だ。
取り残された状況のカイと柊は、心中穏やかではない。
まず、意識を取り戻したカイは、密かな愛を寄せる柊を包み込むように抱いている状況に、なにこれ、と困惑の絶頂にある。そして柊も、いくら自分の不注意が招いた状況とはいえ、男に抱き締められた事に恥ずかしさを覚え、わなわなと震えていた。
カイの心臓はかつてないほど、バクンバクンに高鳴った。
「あの、柊さん…コレは」
いくら弁解しようと思っても、カイにとっては、いきなり買ってもいないのに手元にある宝くじが三億円当たったのにも等しい状況だ、思いがけない喜びに頭が回らない。
そして、ゆっくり自分から離れるカイが何も言えずしどろもどろとなっていると、
「問答無用!」
と柊に殴られた。
男に強く抱きしめられた柊にとって、その恥ずかしさを吹き飛ばす為にも、その行動はベストな選択だったのだ。
しかし、これではあまりにカイが可哀そう過ぎる。
柊に殴られても気を失う事がなかったカイに、改めて弁解するチャンスを与えるのはやぶさかではない。
「違うんですよ 柊さん!突然気を失ったかと思ったら、さっきみたいな状況になってて、俺も何が何だか分からないんです!ホントです!」
カイは、必死に弁解した。
そりゃあ 結果として嬉しい状況にあったが、それは自分が意図して創り出したモノでは決してない、と。
そのカイの弁解に、それまで取り乱していた柊も、耳を傾けた。
そして、「あれ?そういえば最近、似たような経験があったな」と思い出す。
そうして過去の経験から、柊は、この一連の不可思議な出来事を引き起こした人物がレイラであると、見当を付けた。
事の真相に思い当たると、柊は、カイを殴ってしまった事に後ろめたさを感じた。
「ア、アンタも 無意識とはいえアタシに手を出したんだから、これでおあいこね。じゃね」
そう言うと、柊は逃げるように何処かへと飛んで行った。
さて、残されたのは、カイである。
カイは、身体に残る痛みではない別の感触を味わいながら、幸せを感じていた。
経緯はどうであれ、柊を抱き寄せていたのだ。嬉しくないワケが無い。殴られはしたが、それも弁解して自分がしでかした事ではないと分かってもらえた。
そうであれば、カイに残るのは、不意に生じた、殴られた痛みを忘れさせるほどに大きな幸せしかない。
柊と会話する時間が短くなってしまったが、カイは、幸せだった。
しかし、幸せを感じる一方で、カイは不甲斐なさも感じていた。決して自分の力で成し得たことではない、とちゃんと理解しているからだ。
「今度は何者かの手を借りず、俺がちゃんと自分で自分の気持ちを真っ向からぶつけて、柊さんに受け入れてもらおう」
カイは、そう決意した。
やはり、とレイラは思う。
「やっぱ、そう簡単にちょうどいい器なんて見付からないんだなぁ」
気落ちしたレイラは、榎と一緒に歩いている椿を見付けた。
「仕方ないかぁ」
レイラは、溜め息交じり呟いた。
仕方ないけど、新しい物件に急遽引っ越し出来るワケもないから、またあのゴキブリの出る部屋に帰ろう、レイラはそんな気分だった。
榎は、霊感とは別の理由、自身の持つ特別な力によって、レイラの姿を視る事ができる。だから、レイラが自分たちの背後から来ていても、椿に入る直前にその存在に気付いた。
「あっ」
榎は思わず声を出してしまったが、すぐに口を閉じた。レイラが、自身の口の前に人差し指を立て、静かにするようにとジェスチャーをしたのだ。
榎を黙らせ、レイラは、悠々と椿の中に入り込む。
レイラが憑依した椿の身体は、拒絶反応などは一切見せず、平然と「ティアーモ」とイタリア語で榎に愛を伝えた。そしてイタリア人らしい愛の表現はやはり抱きつく事であろうと判断し、椿の身体は腕を広げ、榎に向いた。
しかし、榎がその腕の中に飛び込む事も、椿が榎を迎えに行く事もなかった。
「つーか、レイラだろ?何してんだ、おぉコラ?」
椿が、身体の支配権を取り戻したのだ。
「ちょっと邪魔しないでよ、椿」レイラは、椿の妨害を非難した。「俺は今から榎さんに抱きついて、首筋周辺の匂いを嗅ぐんだから」
「嗅ぐんだから、じゃねぇよ!」
椿は、怒鳴った。
レイラとの会話は、椿の身体一つで行われている。その為、呼吸のタイミングが合わなかった今のような場合、怒鳴ったことで急激に体内の酸素を使ってしまい、椿はむせ返った。「大丈夫?椿君」と榎に心配されたが、椿は、大丈夫だ、と榎を手で制し、肩で息をし、たっぷりと体内に酸素を取り入れた。
「ちょっと勘弁してよ、椿よぉ、おい」レイラは言った。「お前が苦しむってことは、俺まで苦しむってことなんだよ。分かってる?」
「知るか、ぼけぇ!」椿は、語気を強くして言い返した。「何しに来た?つーか、出てけ!」
「榎。今夜、俺がお前を快楽に誘うぜ」
「無視してんじゃねぇよ!つーか、やめろお前!マジでキモいしダセェ」
「榎。愛してるよ」
「直球勝負に賭けんな!」
「榎。俺、フワッフワの卵のオムライスが食べたい」
「何だそれ?」怒りを鎮めた椿が、疑問を投げかけた。
「いや、本当にただ食べたいだけ。作ってちょうだい」愛の言葉が波のように押し寄せ、顔を赤くしてオロオロと戸惑っていた榎が、レイラの依頼する声で我に帰った。「俺、女のコの作ったオムライス、出来ればケチャップでハートが描いてあるヤツ食べたいんですよ」
それぐらいなら、そう思った榎は、レイラの頼みにOKの返事をしようとした。しかし、それを遮る勢いで、レイラは喋り続けていた。
「そして、オムライス食べた後は…榎さんは高校のジャージとか持っています?それ着て、内股ぎみに体育座りしてもらっていいですか?俺、そのポーズを正面からローアングルで見たいんですよ」
そう言い、レイラは品の無い笑みを浮かべた。
「おい」身体の主導権を取り戻し、椿が割って入った。「頼むから俺の身体で変態発言はやめてくれ。つーかお前、本能に忠実すぎんだよ」
椿は、呆れて言った。
レイラが何か言い返してくるだろう、そう思った椿はレイラの次の言葉を待った。そして実際、レイラは「そうだよ」と言った。しかし、その声にお茶らけた感じは一切なく、トーンダウンしたレイラの声は、椿と榎に違和感を与えた。
あれ、こいつどうしたんだ、と不思議に思う。
場の空気が変わった。
レイラの創り出した空気は重く、茶々を入れられる感じではない。
「俺は…」レイラの憑依した椿の身体は苦い顔をして、語り出した。「死ぬほどの後悔じゃなく、ホントに、死んで後悔したんだ。死ねば、それまではどうでもいいと思っていた事まで、全てを後悔すると知った。生きていたいって、死んで初めて思った。だから、偶然であったとしても与えられた今の時間は、今の人生でだけは、絶対に後悔しない。……絶対に。だから、俺は自分に正直に、後悔することなく、一瞬一瞬を全力で生きようって、そう決めたんだ」
そう力強く言うと、レイラは、椿の身体は俯いた。
場の空気が重く、レイラを可哀そうだと思い、同情しそうになった。実際、榎はそうなっていたかもしれない。しかし、椿は違った。
「だったら、もっと有意義に生きろよ!」顔を上げ、椿は言った。「お前の後悔しない生き方って、全部エロい生き方なのかよ!」
椿のこの一言で、場の空気が元の明るい、ふざけたものに戻った。
「有意義じゃん」レイラは明るく言った。「誰だってやりたいことでしょ。みんな、色欲に正直に生きたいでしょ。てことで榎さん。俺、チャイナドレスのスリットの、あの紐で前後を繋いだ部分、あのワッカの所から手を入れたいんだけど、チャイナドレス着る予定ないですか?」
「ありません!」榎は、強く否定した。
「つーかだから、俺の身体でそういう事言うな!」
「じゃあ榎さん。膝枕で耳かきして、耳にフーッて息掛けてください」
「いい加減にしろよ、お前!」
「だったら…」レイラは、考えた。「榎さん。俺の頭なでて、イイ子イイ子してください」
それは、最大限の譲歩だった。この場で出来るだろうことで、レイラはこれなら満足できる、そう思って言ったのだ。
榎も、それならと思った。それなら、確かに多少恥ずかしいが、他の事に比べると大分易しい、叶えてあげられる要件だと思った。
しかし、だ。
「絶対やだ!」
と椿が反論したのだ。
「なんでだよ?」とレイラも、強気の姿勢で言い返す。
「何でもクソもお前、んなガキみたいな扱い、俺は絶対されたくねえ」
「はあ?何言ってんの 椿?女のコにイイ子イイ子されるっていうのは、ガキ扱いとは違うんだよ。ガキとは別、むしろ大人だと認識した上での甘え方っていうかさぁ」
「知るか、んな理屈。とにかく、俺の身体でンなマネすんじゃねぇよ!」
椿とレイラの言い合いは、平行線が続いた。
どちらも、譲れない想いがある。
榎が「椿君、そんなに私に撫でられるのが嫌なの?」と落ち込んでいる事は、この際無視しよう。
さあ、問題は椿とレイラの譲れない争いだ。
しかし、もしかしたら終わる事が無いのでは、そう思われた争いも、呆気なく終わった。
「じゃあいいよ」レイラが、折れたのだ。「その代わり、オムライスは食べるからな。榎さんが作ったオムライス食べるまで、俺は椿の中から出ない」
レイラは、言った。
なでなでされるよりは、椿はそう思った。
「わかった。それでいい」
勝手に決められた形ではあるが、榎も、それならばいいと思った。
三者の意見が、合致した。
もちろんレイラも、妥協案ではあるが、それでいいと思っている。
とにかく榎の家に上がる事、それを第一目標としたのだ。部屋にさえ上がればどうとでもできる、そういう思惑があるから、椿との言い争いに折れたフリをしたのだ。
「じゃあ早速材料を買いに、スーパー行こうよ」
「は?何でだよ?」レイラの提案に、椿が異議を唱えた。「オムライスぐらいなら、あり合わせの材料で作れんだろ」オムライスはお手軽料理である、そう考える椿は「榎、玉ねぎと何か鶏かウィンナーみたいな肉くらいはあるだろ?あと、卵」と榎に訊いた。
「うん」
榎は、頷いた。
しかし、だからといって納得できないのがレイラである。
「分かってないな、椿は」
「あ?」
「女のコと一緒に買い物に行くこと、それもお楽しみポイントじゃない。一緒にスーパーを回って、買う気もなかったチーズとかスナック菓子を買うことからが楽しいんじゃない」
「知るか、んな妄想!」
椿は納得できなかったが、どうしてもとレイラが引かなかったので、この後三人は、スーパーに行った。
「俺、グリンピースは嫌いだから、入れないでね」と言うレイラの要求もあり、もともと榎の家には材料も揃っているらしいので、結局スーパーでの買い物は、二リットルのペットボトルのお茶とベビーチーズだけとなった。
スーパーを出た時、結局何しに来たんだ、そう不満に感じた椿だったが、そこでは何も言わなかった。
榎の家に着くと、レイラは鼻呼吸を繰り返した。
女のコの、榎の匂いを、この機会にたくさん嗅ごうと思ったのだ。
なんだったら、ベッドにダイブしたい。
しかし、椿が黙っているワケが無い。
「榎一人に料理させると心配だからな」と取って付けた理由を言い、居間から出て、キッチンでオムライスを作る榎のそばに立っていた。
途中何度か、料理をする榎の姿に欲情したレイラが榎に後ろから抱きつこうとしたが、椿の強い意志がそれを許さなかった。
レイラが変な事をしないように、椿は自己を保つことで必死だった。その為、「榎一人に料理させることが心配だ」と言ったくせに、榎の動向にまで注意をはらえなかった、
結果、後で後悔することとなる。
榎の作ったオムライスは、しょっぱかった。
チキンライスはケチャップと塩コショウで味付けする、という基本は抑えていたが、塩が多かった。もしかしたら物足りないかも、そう言えばチャーハンって醤油よりも塩をメインに味付けするって聞いた事がある気もする、そういう中途半端な知識から、榎は塩コショウの他にも塩を多めに振った。そうして出来上がったしょっぱいチキンライスを包むことなく、その上にグチャと乗せられただけの卵は、やはり塩コショウが多かった。しかも、フワッフワにする為にはどうすればいいか考えた榎が、「やっぱ牛乳かな」と入れ過ぎた牛乳によって、スクランブルエッグよりもヒドイ、皿に盛り付けた時にビチャという音がしそうな卵焼きとなった。
オムライスと言うよりは、赤いご飯の上にドロドロの卵が乗っている、そう表現した方が的確な気のする物体は、あまり美味しくなかった。
だが、その物体は、決して食べられないぐらいにヒドイ物ではない。
それが、さらに椿とレイラを追い詰めた。
食べられないモノならば、極端な話、残飯を置かれたならば、文句を言うことができる。しかし、榎の作ったモノは残飯ではなく、何とか食べられるものだった。そうであれば、榎を傷つけたくないという思いだけは共通して持っていた椿とレイラは、何とかしょっぱい物体を、美味しいと言って食べ切った。
あぁ、女のコを知るのはやっぱり並大抵のことではいない。食事をして疲労感を覚えたレイラ、そう思った。
自由奔放なレイラの話でした。
やっていることがだんだん悪霊じみてきてしまいました。
以前何処かで触れましたが、榎の料理の腕前は「美味しくないけど、だからって笑えるほど不味くもない」というレベルです。ですが、本人は「見た目はちょっと悪くても、美味しくできた」と思っています。




