番外編 拳王・ゴリラ、ある日の一日
「ぐあぁ~」
大きく伸びをして、拳王・ゴリラは目覚めた。
拳王・ゴリラの生活スペースは、修練場に凝縮することができる。それは、拳王・ゴリラに引きこもり的性質があるのではなく、修練場があらゆる面で完備された場所だから、ということだ。まず、寝る場所は修練場に畳を敷けば済む。他の事に関しては、修練場と繋がった部屋が、まるで一人暮らしをしているかのような、最低限の物が備わった場所になっているといえば済むだろうか。冷蔵庫やガスコンロなどはあるし、水も通っている。トイレやシャワールームは、天使の館自体に備わっている物を使っているので、特に不自由を感じることなく、拳王・ゴリラは生活している。
だが、拳王・ゴリラは、当り前のように修練場からも出る。一所に収まるような男ではないし、それなりに忙しい。
そんな拳王・ゴリラのある日の一日を追ってみよう。
午前四時
拳王・ゴリラの目覚めである。
獣の咆哮のような声を出しながら大きく伸びをして、拳王・ゴリラは目覚める。体内時計は正確に時を刻む為、寝坊することはないし、寝起きはいい方だ。
目が覚めると、まず布団として敷いていた畳を片付ける。拳王・ゴリラは五十嵐の手によって作られたロボットであるため、寝汗をかく事はないが、一応という事で畳は窓の近くの日も当たり風通しの良い場所に置いた。まだ早朝過ぎて薄暗い外に日は出ていないが、いずれ遅れてお日様も顔を出すだろう。
畳を片付け終えると、簡単に身支度を整えた。顔を冷水で洗い、ボサボサになった寝ぐせ頭を、濡らした手グシで整える。いつもの、後ろに流しながらも重力を無視して跳ねている、ライオンのタテガミのようなヘアスタイルの完成だ。
さて、これで自分の事は一旦終了した。
実はこの日、拳王・ゴリラはいつもよりも一時間ほど早く起きていた。何故なら、拳王・ゴリラが「父上」と慕う五十嵐が昨晩「明日の朝はパン食いてぇ」と言っていたのだ。そうであれば拳王・ゴリラとしては、ぜひ焼きたてのパンを食べてもらいたいということで、早起きしてパン作りに臨もうとなったのだ。
拳王・ゴリラは修練場の奥の部屋で、五十嵐に作ってもらった特大サイズのエプロンを身に付け、パン作りを開始した。
拳王・ゴリラは人工知能を搭載した高性能のロボットであるが、本来は戦闘訓練の師範として作られているので、料理面の知識は備えられていない。そのため、『簡単!はじめてのパン作り』という本を頼りに、材料を揃え、そのレシピ通りに作っていく。
パン作りは素人でも、そこは拳王・ゴリラ、自慢の腕力をいかんなく振るい、生地を練っていく。うどんならば、相当のコシが生まれるだろう。
生地をこねると、待つのは発酵の時間だ。しかし、拳王・ゴリラは、この時間も無駄にはしない。どうするのかというと、早朝の静けさの中で座禅を組むのだ。ロボットに精神統一が必要かと問われれば、たぶん要らないという答えになるだろう。が、それでも拳王・ゴリラは座禅を組む。何故なら、五十嵐が「武術の師範って、そういうことやってんべ」ということでプログラムしてあるからだ。だから、拳王・ゴリラは心を静め〝無″となる時間を取る事にしている。二次発酵の時も、座禅を組んだ。
イースト菌が頑張り、生地が膨らむと、発酵は終わり。座禅も終わりだ。
生地を成形させ、予熱を終えたオーブンに入れる。
パンが焼けてきた、いい匂いがする。食欲はない拳王・ゴリラも、食欲がそそられる匂いの種類は、他者の反応から何となく知っている。これは、そそられる匂いに分類しても良いはずだ、と拳王・ゴリラはパンの出来に満足感を浮かべた。
さあ、パンがイイ感じに焼き上がったぞ。
手作りパンの出来上がりだ。
七時
出来立てのパンをバスケットに入れて持ち、拳王・ゴリラは五十嵐の部屋を訪れた。
五十嵐は、開発室としてあてがわれている職場に寝泊まりしている。それは、仕事に熱心だからというワケではない。快適な職場づくりを心掛けていたら、いつの間にか生活用品が充実してきて、気付いたら開発室を自宅のように使っていたというだけのことだ。
その五十嵐の私室となった開発室を、拳王・ゴリラは訪れた。
「父上!いい~朝だぞ!」
昨日も酒を呑み そのまま寝たのであろう、ソファーに横になっている五十嵐に、拳王・ゴリラは声をかけた。
朝から元気な拳王・ゴリラの活力漲る野太い声を目覚ましに、五十嵐は起きた。もぞもぞと起きることに抵抗感を見せたのは一瞬で、焼き立てパンの芳ばしい匂いも手伝って、五十嵐はむくりと起き上がった。
「ふぁ~。おう、拳王・ゴリラ。おはよう」
寝惚け眼をこすりながら、五十嵐は言った。
「おお。おはようございます」
そう応えると、拳王・ゴリラはソファーの下に落ちていた眼鏡を拾い、五十嵐に手渡した。「悪いな」と受け取った眼鏡をかけた五十嵐は、その良く見えるようになった目で、ソファーの前のテーブルに置いてある拳王・ゴリラの手作りパンを見つけた。
「なんだこれ?」五十嵐の顔に、驚きの色が浮かんだ。「まさか…オメェ、これ作ったのか?」
「ああ。昨晩 父上が食べたいと洩らしておっただろうが」
五十嵐としては、拳王・ゴリラに頼んだつもりは全くなかった。なんとなくその時の気分で独り言として呟いただけであるし、買い置きの食パンでいいと思っていた。それが、朝起きて目の前にあるのは、出来立ての手作りパン。それも、五十嵐が我が子のように愛情を注ぐ、拳王・ゴリラの手作りだ。
感動しないワケがない。
「オメェはほんと、出来た子だな」五十嵐は、その目に涙を浮かべた。「待ってろ。今コーヒー淹れっから、一緒に食おうや」
「おお、すまない父上」
拳王・ゴリラと五十嵐は、一緒に朝食を取った。
五十嵐は、食べている間 何度も「うめぇ」「うめぇ」と言い、満腹感と満足感で腹も心もいっぱいになった。
そして食べ終えると、五十嵐は二度寝した。
拳王・ゴリラは、使った食器を五十嵐が昨晩 酒を呑んだときに使用したグラスなどと一緒に洗い片付けた。ついでに、寝ている五十嵐を起こさないように音を立てず部屋を掃き掃除し、脱ぎ捨ててある白衣を洗濯しようと、四~五着の白衣を手に部屋を出た。
すぐ後で パンを入れたバスケットを忘れた事に気付き、それを取りに戻った。
九時
洗濯した五十嵐の白衣を屋上に干し、拳王・ゴリラの朝やるべきことは、一通り終わった。
修練場に戻ると、拳王・ゴリラは、自身のトレーニングを開始した。
師範といえども、修行を怠ってはいけない。これも、五十嵐のプログラミングの中にある。しかし、たとえプログラミングされていなくとも、人工知能を搭載した拳王・ゴリラは、その必要性に自ら気付き、やっていただろう。事実、トレーニング内容は拳王・ゴリラ自ら考えている。
この日は早朝の座禅の効果もあり、自分の精神状態が良好であると判断した拳王・ゴリラは、瞑想の中の世界で創り出した相手と闘う事を選んだ。
やることを決めると、拳王・ゴリラは、目を閉じた。精神世界へと入り込む為だ。
そうして入った世界には、二メートルを越える筋骨隆々な拳王・ゴリラの屈強な体格より、数倍も大きい怪物がいた。鋭い爪とキバ、振り払った風だけで一般的成人男性を転ばす事が出来るであろう筋肉質な太い腕、踏み下ろせば地を割ることも可能だろう脚、それに翼なんかもある。普通の人ならば立ち向かう勇気すら出ないだろう怪物を、拳王・ゴリラはあえて修行の相手に選んだ。
しかし、そうは言っても想像の世界だろ。そう思われるかもしれない。
だが、拳王・ゴリラは真剣だ。
本気で殺しに来る怪物を相手に想定し、拳王・ゴリラも実際に体を動かす。そして、怪物からの攻撃を食らうような事があれば、それを反省し、自分の動きを見直す。そうやって、自分を高みへと持っていくのだ。
一時間を超える死闘を演じた時、拳王・ゴリラは倒れた。いかにロボットといえども、疲れたのだ。そして、僅かな休憩を挟み、再び戦場へと戻る。
この日はそうやって、拳王・ゴリラは修行していた。
十二時
昼前に修行を切り上げた拳王・ゴリラは、再び五十嵐の部屋を訪れた。
「父上!昼はどうする?」
拳王・ゴリラの質問に、何かの薬品をいじっていた五十嵐は顔を上げ、考えた。
「そうだな……スパゲッティとかがいい」
「なら、タラコではどうか?」
「いいな。それ頼む」
「承知した!」
一度 五十嵐の部屋を出て、拳王・ゴリラは修練場に戻った。
そして、修練場の奥の部屋で湯を沸かし、パスタを茹でる。その間、買ってきた出来合いの物ではなく、ちゃんとタラコをバターと生クリーム、ほんの少しの醤油で混ぜて、和風のタラコソースを作った。
ラーメンではないので岡持ちには入れず、皿に盛り付けたタラコスパゲッティをそのまま冷めないように急いで運び、拳王・ゴリラは五十嵐の部屋へ行った。
タラコスパゲッティが運ばれてくると、五十嵐はそれまでやっていた作業をピタッと切り上げ、拳王・ゴリラと一緒に昼食を取った。
やはりこの時も五十嵐は「うめぇ」と感動していた。
午後一時
昼食の片付けを終えると、拳王・ゴリラはその日のお菓子作りを始めた。
お菓子作りは、拳王・ゴリラが女性受けするようなギャップを、と五十嵐が付け加えた拳王・ゴリラの趣味だ。だから、拳王・ゴリラは楽しみながら、今日は何にしようか考えている。
今日のお菓子を何にするか決め、それをあらかた作り終えた時、拳王・ゴリラのもとにその日初めての客が来た。
客は、柊だった。
「師範、います?」
控えめに訊ね、修練場の中を覗き込むように柊は顔を出した。
「おお、居るぞ」修練場の奥の部屋から、拳王・ゴリラは現れた。「よく来た」と柊の訪問を歓迎しながら、拳王・ゴリラは「修行に来たのか?」と訊ねた。
「はい!」
柊は、はっきりと返事をした。
拳王・ゴリラは、戦闘訓練の師範として作られたにもかかわらず、修行を申し込んでくる者は少ない。それは、拳王・ゴリラが強過ぎることと、不器用な性格がわざわいして たま手加減を忘れることが主な原因である。普通の天使にとって拳王・ゴリラは、野生の獣と大差ないのである。しかし柊は、その強過ぎる師範と本気でぶつかる事が出来る数少ない人物であり、よく修行を頼みにも来る。だから贔屓にしているということでもないが、拳王・ゴリラは、柊の申し出を快諾した。
「ガッハッハ。いいぞ、かかって来い」
そう言うと、拳王・ゴリラはエプロンを外した。
柊も「ハッ!」と不敵な笑みを浮かべ、簡単な準備運動の後、戦闘の構えを取った。
拳王・ゴリラがつけてくれる修業とは、武術の型を教えてくれるようなモノではない。必要な力を見極め、それを教えた上で、トレーニングを課すモノでもない。
ただひたすら実戦を重ねる事、それが拳王・ゴリラの修行方法だ。
拳王・ゴリラは、うっかりさえしなければ、相手の力量を見極め、それに合わせた対戦相手となることができる。その時、相手よりも少し上の力を出し、相手の地力を底上げできればいいな、とか考えている。そういう感じで実戦を主とした修行を、拳王・ゴリラは相手に課す。
柊に対しても、例外ではない。
柊は拳王・ゴリラを倒す気で、拳王・ゴリラは柊を倒す気で、互いに全力でぶつかっている。それは、中途半端な気遣いは修行の邪魔でしかないと判断し、同時に相手への信頼も持って初めて可能となる、殺気さえ生じるほどの真剣な修行なのだ。もちろん、二人とも相手を殺す気はない。しかし、殺すぐらいの気合を持って臨む。
そんな実戦修行を、二人は行った。
三時
柊は、この日 三度目の敗北を味わった。
最初は肉体のみのバトルで負け、その次は「能力を使ってもイイ」という条件下でのバトルで負け、最後はたっぷり休憩を取った後に、もう一度肉体のみのバトルで負けた。
「今のは惜しかったな」
拳王・ゴリラは、相手へのフォローを欠かさない。そして、どこがいけなかったのか、どうすればいいのか等のアドバイスも忘れずに言う。そのアドバイスは、柊が素直に「はい」と聞き入れるほどに的確なモノであるという。
膝をついて荒い呼吸をする柊を見て、「そろそろ切り上げよう」と拳王・ゴリラが提案したその時だった。
「ゴリ君いますか?」
柔和な笑みを浮かべた雛罌粟が、修練場に来た。
「おお、ヒナさん!」拳王・ゴリラは、突然の来客に嫌な顔一つせず、むしろ心からの歓迎の意を示す。「よく来た!今 丁度、おやつタイムをと思っていたところだ!」
「ふふっ。私も、そうだろうとタイミングを見計らって来たところです」雛罌粟は、笑顔で応え「紅茶を持って来たの。私 淹れますから、台所借りますね」と言うと、修練場の奥の部屋へ行った。
「おお、柊。お前もおやつタイムして行くだろ?今日は、シュークリームを作ったんだ」
「あ、はい。頂きます」
拳王・ゴリラの誘いを喜んで受け、柊もおやつタイムをとる事にした。
「ガッハッハ!そうでなくてはな」
嬉しそうに笑いながら、拳王・ゴリラは修練場の奥の部屋へと消えた。そして、三人分の紅茶を持って来た雛罌粟と一緒に、それ何人分?と目を疑う様な大量のシュークリームを持って、拳王・ゴリラも戻って来た。
「今日は支部長殿にも差し入れようと思って作ったのでな、大量に出来てしまった。まだまだあるから、遠慮せずに食ってくれ!」
拳王・ゴリラの作ったシュークリームは、サクサクの生地の中にバニラビーンズの混ざったカスタードクリームが入っていて、美味しかったという。そんなシュークリームが山のようにあったのだが、柊がそのほとんどを平らげ、拳王・ゴリラを満足させた。
四時
名残惜しく終わったおやつタイムの後、柊と雛罌粟が修練場から出ていくのを見送り、拳王・ゴリラは、支部長の所へシュークリームを差し入れに行った。
支部長はデスクについて、書類整理をしていた。デスクを挟んで支部長の前に立ち、拳王・ゴリラは、シュークリームが数個入った紙製の箱を差し出した。
「ガッハッハ!いつも世話になっていますからなぁ、俺が作った物で申し訳ないが、良かったら食ってやってください」
拳王・ゴリラの差し出した包みを受け取った支部長は、中を確認し「わぁ~シュークリームだ」と喜ぶと、「ありがとう、拳王・ゴリラ君」とお礼を言った。
「ガッハッハ!なぁに、礼には及ばん」
支部長は、では早速、とシュークリームを一口食べると「うん、美味しいよ」と感想を述べた。拳王・ゴリラは「それはよかった」と笑うと、あることを思い出した。
「そうだ!支部長殿、今 時間あるか?」
「うん。大丈夫だよ」
確認を取ると、「では、失礼して」と拳王・ゴリラは、机を回り、支部長の背後に立った。そして、不思議そうに拳王・ゴリラの動向を見ていた支部長の肩に、拳王・ゴリラは手を置いた。
拳王・ゴリラは、支部長の肩を揉み始めた。
「そんな、気を遣わなくていいよ」
「なぁに。父上からも『あいつは気苦労が絶えないから、たまにマッサージでもしてやってくれ』と言いつかっている。日頃の感謝だ。遠慮せんでください」
「そうなんだ」
支部長は、五十嵐の気遣いを噛みしめていた。そして、これ以上余計なことを言わず、親切を受け入れよう、そう思ったのだが、
「いたたたっ!」
拳王・ゴリラのマッサージは痛かった。
「ガッハッハ。父上からは『あいつは、痛いぐらいがちょうどいいらしい』とも言われている。安心して任せてください」
「いや騙されてる!五十嵐君に騙されてる!てゆうか何これ、いじめ?いぎゃあぁぁぁ!」
支部長室から出た金切り声が、天使の館内に響き渡った。
六時
痛みで倒れた支部長を医務室に届け、ついでに雛罌粟から軽い御叱りを受けた拳王・ゴリラは、修練場に戻って来た。ちなみに、支部長に怪我などは無く、拳王・ゴリラも頭を下げたので、後腐れは無い。
そろそろ夕食時だと思った拳王・ゴリラは、何を食べたいか五十嵐に訊こうと、彼の所を訪ねた。五十嵐は、直前に雛罌粟からきつく説教をされているのだが、それを引きずるどころか全く気にも留めておらず、平然としていた。
「ああ。今日は呑むから、夕飯はいらないかな」
どうやら、五十嵐は高橋と酒を呑み、その時にツマミとして柊の作った食べ物もあるから、拳王・ゴリラは特に何もしなくていいのだそうだ。もし何か食べるとしても、自分で何とかするらしい。
そうであれば、拳王・ゴリラは修練場でひとり、簡単な夕食を取った。
七時
夕飯後、その片付けも済ませると、拳王・ゴリラはやる事が無くなった。
どうしようか?
そうだ、白衣を干しっぱなしだった。
取り込んだら、次はどうしようか?
風呂に入ろう。
天使の館の一階フロアには、大浴場がある。それは、単なるシャワールームではなく、湯船もある、ちゃんとした浴室だ。拳王・ゴリラは、そこへ行った。
「あれ、ゴリさんも今から風呂?」
脱衣所で服を脱いでいると、後から入って来た楸に声を掛けられた。
「おお。楸も今からか?」
「はい」そう返事をし、脱いだ浴衣を簡単に折り畳んでカゴに入れた楸の目に、不意に拳王・ゴリラの肉体が入った。「ゴリさん。相変わらずマッチョですね」
「ガッハッハ。そうか?」拳王・ゴリラは否定もせずにただ笑うと、楸のことを見て「楸は相変わらずヒョロヒョロだな」と言った。
「そうでしょうよ。俺はゴリさん達と違って、バトルするタイプじゃないんですから」
「だが、もう少し鍛えてもイイと思うぞ」
「いいですよ、俺は」
拳王・ゴリラと楸の体格は、全く違う。拳王・ゴリラの身体を、地中深くに根を張った、樹齢数百年を超える大木と例えるなら、楸は小枝だ。そんな大木と小枝は、衣服を全て脱ぐと、タオルを肩にかけ、風呂場へ行った。
拳王・ゴリラが湯船につかると、先に入っていた楸なんかは、拳王・ゴリラの入った時に起きる波で身体を流されそうになる。楸は、「うひゃー」とそれを楽しむ。サウナに入ると、ロボットの拳王・ゴリラは汗をかかないが、楸は大量の汗を流す。そしてサウナから出て水風呂に入ると、楸は「うひゃー」と波を楽しむ。
「ゴリさん」再び湯船に浸かりながら、楸が言った。
「ん?何だ?」
「今更ですけど、ゴリさんって風呂 大丈夫なんですね」
「おお。完全防水となっているし、父上からも『清潔感を心掛けるように』と言われとるからな」
「へ~。五十嵐さん、やっぱすごいんですね」
「おお。父上はすごいぞ」
それから楸がのぼせるまで、拳王・ゴリラは、五十嵐の事を誇らしげに話し続けた。
気絶するほどではなかったが、長風呂でのぼせた楸の熱を取る為、拳王・ゴリラは、楸を修練場に招いた。アイスを御馳走しようと思ったのだ。
バニラアイスをモナカで包んだ市販のアイスを貰った楸は、それを見て楽しそうに「ゴリさんの腹筋みてぇ」と言った。
「ガッハッハ!それを喰えば、楸も俺のようになるぞ」
「ホントですか!じゃあ俺、マッチョになっちゃいますよ」
アイスを三個食べた楸は、翌日腹を壊した。
九時
楸が帰った後、拳王・ゴリラは、五十嵐の事が気になった。
「父上、いるか?」
五十嵐の部屋を訪ねた拳王・ゴリラは、彼にしては控えめな声を出し、部屋へ入っていった。そこには、聞いていた通りに五十嵐と高橋の二人がいたのだが、起きているのは高橋だけだった。
「くくっ。五十嵐ならなぁ、さっき飲み潰れたぞ」
赤い顔でいびきをかいて寝ている五十嵐と違い、シラフの時となんら変化のない様子で、高橋は言った。
「そうか」
「せっかく来たんだ。お前も呑んでいけよ」
五十嵐が寝てからも一人呑んでいた高橋は、一緒に飲む相手が見つかり喜んだ。拳王・ゴリラは断る理由もなかったので、二人掛けのソファーに寝かせた五十嵐にタオルケットをかけた後で、高橋の酒に付き合う事にした。
高橋は、新しいグラスを出した。そこに氷を入れ、ウィスキーを注いで拳王・ゴリラに出した。出された量が僅かとはいえ、アルコール度数40近いウィスキーを、拳王・ゴリラは一口で飲み干す。
「くくっ。いい飲みっぷりだなぁ」
「ガッハッハ。そうであろう。父上も、『男たるもの、酒の一つも呑めないでどうする』と言っていたからなぁ」
「五十嵐の教えにしては、まぁまともな方だな。ほれ」
「おっとっと。かたじけない」
「くくっ……お前も、だらしない父上がいると苦労するだろ?」
「ガッハッハ!いや、楸や柊ほどではないな」
「くくくっ。言いやがる」
その後、高橋としばし雑談を続けた。
十時
拳王・ゴリラは、修練場に戻って来た。
拳王・ゴリラが失礼すると腰を上げた時、「高橋さんも、そろそろやめてはどうか」と言ってみたが、高橋はウィスキーの瓶を揺すりながら「まだ残っている」と言っていた。拳王・ゴリラを「もう少し付き合ってくれてもいいだろ」と引き留めようとしたが、拳王・ゴリラは「そろそろ瞑想の時間だ」と断った。それ以上 強く引きとめる事は無く、高橋は「おやすみ」と言って別れた。
修練場に戻ると、拳王・ゴリラは、黙って座禅を組んだ。
そう言えば今朝もやったな、と充実感を覚えたのは最初だけで、すぐに心を無にした。
修練場には月の明りと拳王・ゴリラだけで、他には音も光も何もない。
静寂だけの時が流れた。
十一時
静寂が破られる。
「ゴ~リく~ん」
酔っ払ってフラフラの状態の雛罌粟が、修練場に来たのだ。
「おお。ヒナさん」座禅を組んでいた拳王・ゴリラは立ち上がり、雛罌粟の突然の来訪を迎え入れた。「どうした?今日は帰られないのか?それに、その手の物は…?」
雛罌粟の持っている酒瓶に、拳王・ゴリラは見覚えがあった。それも、かなり最近見たものだ。
「ふふっ。これですか?これはですね~高橋さんからぁ~奪ってきちゃいましたぁ」
酒が入って気分がハイになり、まともな会話が出来そうにない雛罌粟に変わってここで説明すると、五十嵐の部屋で呑んでいた高橋は、場所を自分の部屋に移そうと思って移動していた最中に、雛罌粟に遭遇した。高橋からアルコールの匂いを嗅ぎ取った雛罌粟は、その手に持つ酒瓶をどうするのかと尋ね、高橋がこれから呑むのだと答えると、その酒瓶を没収しようとした。当然、高橋は抵抗した。「ふざけんじゃねえ。これは俺んだ」と、最初はその程度の反論の弁だったのだが、雛罌粟が一歩も引かずに注意を繰り返していると、高橋はうっかり禁句である「ブス」の一言を口にしてしまった。これはセーフだろうと思い、「やめろ、ブチャイク」と。そして、その場で寝てしまった高橋の横から、雛罌粟は酒瓶を拾い上げた。「まったく、ちょっとしか残ってないっていうのに」と呆れていた雛罌粟は、ふと生じた悪戯心からか、それとも好奇心、もしくは復讐心、まあ理由はなんにせよ、高橋から取り上げた酒瓶の中をウィスキーだと気付かず、口にした。強いアルコールにむせ返った雛罌粟だが、吐き出すことなく飲み込んだ。結果、酔っ払った。
雛罌粟は、お世辞にも酒癖が良いとはいえない。というか、悪い。何が悪いかと言うと、他人に絡んでくるのだ。
「残り少ないけどぉ~一緒に呑もっ」
しかし、雛罌粟は瓶に直接口を付けてひとりだけ呑み、拳王・ゴリラに愚痴をこぼし続けた。
「私、ブチャイクじゃないですよね?」
「私、老けてないよね」
「何でモテないのよぉ?」
拳王・ゴリラは、「それは…」と、その酒癖の悪さが理由なのでは、と言いかけたが、止めた。「何故だろうな?」
十二時
高橋の残した酒の量が少なかった事もあってか、酔ってクダを巻いていた雛罌粟も、一時間と経たず寝静まった。
修練場の木の床に寝てしまった雛罌粟を、拳王・ゴリラは軽々と抱え上げ、二畳の広さに二枚重ねの、計四枚敷いた畳の上に寝かしつけた。もちろん、タオルケットを掛ける事も忘れない。夜でもまだ寒さが厳しくない今の時期ならば、タオルケット一枚で大丈夫だと拳王・ゴリラは判断したのだ。
雛罌粟を寝かしつけると、拳王・ゴリラは自分の寝床の準備にかかった。いつものように畳四枚で四畳の寝床を作り、その上に横になる。しかし、あることを思い出した拳王・ゴリラは、「おお、そうだった」とガバッと起き上がった。
「明日は、確かカイが来ると言っていたな」
修行の予約が入っていた事を思い出した拳王・ゴリラは、以前カイと手合わせした時の事を思い出し、明日はどうするべきかと考えを巡らせた。自分がどの程度の力で、どういった戦法で闘えばいいか、様々なシミュレーションを繰り返し、カイにとって一番良い修行を考えた。
午前一時
カイにとってベストな修行を頭の中に思い描き、拳王・ゴリラは再び横になった。
そして、今日一日を振り返り、全てのことがありがたかったと感謝し、就寝した。
本編に深く関わることのないだろう拳王・ゴリラをメインとした話になりました。拳王・ゴリラがいなければ、五十嵐はどうなるのでしょう?
拳王・ゴリラの設定に関しては、未だ固まっていない部分もあります。なので、今後『ロボット』と表記するときもあれば『人形』とする時もあるかもしれません。
高橋と五十嵐が二人で酒を呑むのは、二人の時間が合うからです。別に支部長や拳王・ゴリラたちを仲間外れにしているわけではありません。




