表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
43/105

第十六話 天使VSライフ・リセッター再び?(後篇)


     椿 Ⅱ


 石楠花の分析が的確なのか、良く分からなかった。ほとんど妄想に近いような推理にしか聞こえなかったが、それでも、情報が何も無いという所から、あれだけ考えを巡らせられる事、それには感心した。

 石楠花の分析は、偽物がいる事が大前提となっていた。いるけど、情報が無いだけだ、と。だから、偽物の存否は、依然として重大な問題となっている。石楠花は偽物が現れるだけなら、今現在はそうでなくとも、充分に有り得ることだと言っていた。しかし、俺としては、それすらも疑わしく思える。

 もしかしたら、石楠花からの連絡は、『偽物は存在していない』というものかもしれない。そう半信半疑で待つこと数日、火曜の夜に、石楠花からメールが来た。

「つーか、俺のアドレス知ってんじゃねぇかよ…」

 不満に思うが、それはさておき、書いてある内容を確かめる必要がある。

『偽物について、やはり存在することが判明した。と言っても、ライフ・リセッターの名前を使っているところまでは確認できなかった為、そいつの言動から判断したに過ぎない』

「じゃあダメじゃねぇかよ」

『じゃあダメじゃねぇかよ、とバカにしたニット帽に言っておくが、ほぼ確信は得ている。あとは本人に確認するだけだからな』

「会話か!人の思考先読みしたメール送ってんじゃねぇよ」

 不気味な気持ち悪さを感じたが、メールの続きを読む。

『そいつの性格や目的については、多少の齟齬、食い違いっていう意味だが、概ねあっていた。よってこの前言った通り、偽物退治は、金曜の夜に行う』

 メールは、あとは当日の集合時間と場所を書いて、終わっていた。



 そして、金曜の夜。俺達四人は集まった。

 夜の8時を回り、すっかり日も暮れ、これからの事を思う俺の気持ちがそうさせるのか、空気がどんよりと重い気がする。

「何で夜なんだよ?」

「こそこそ動くようなヤツが、真っ昼間っから動くかよ」と石楠花は答えたが、それでは理屈に合わないだろう、と俺は「お前は違ったじゃないか」と食い下がった。

「それは、俺が偽物じゃないからだ。臆病に最善手ばかりを取り続けていると、自然、行動の幅は狭くなり、結果として正体がばれやすくなる」石楠花はそう言い「ま、それも自分を捜している敵がいれば、の話だがな」と付け加えた。

 俺の質問にひとしきり答え終えると、石楠花は空を見上げた。

 雲が幾重にも重なり、月や星の輝きを遮っている。たまに雲の切れ間を見つけては、月が顔を出すが、シャイなのかすぐにまた雲に隠れる。石楠花は、この真っ暗な空を見て、何を思っているのだろうか? つーか、何か考えているのか?

 石楠花の無表情から、その感情を読み取ろうとしたが、出来なかった。

 石楠花は、俺達の方へ視線を戻し、この後の作戦について語った。

「作戦は簡単だ。お前らと同じ『釣り』でいく」

「じゃあ、篝火呼ぶか?」

 作戦が前回同様『釣り』であることを聞き、俺の頭の中に、真っ先にその名が浮かんだ。篝火は、演技なんかしなくても不吉で不幸、マイナスのオーラを自然と身に纏っている為、囮役には最適だからだ。

 しかし、俺の提案に、石楠花は首を振った。

「篝火って、あの青い頭だろ?あれはダメだ」

「なんで?」俺は、理由を求めた。俺の提案を即却下したのだから、当然明白な理由があってのことだろうと思い、返答はすぐ来ると思った。が、石楠花は何も言わず、うな垂れ、盛大な溜め息をついた。「どうしたんだよ?」

「いやな、あんたらの…何て言うんだ…バカさ加減、ほとほと呆れてんだよ」

「ちょっと!」と天使は、声を高くした。「一緒にしないでよ。バカは椿だけだ」

「怒るとこ違ぇだろ、バカ天使!」

「悪かった」

「お前も謝んなよ!」

 俺が怒る姿を、石楠花は楽しそうに見ていた。その態度は、たしかに俺の神経を逆なでるが、グッと堪え「で、何だって?」と話を戻した。

「だから、あんたのバカさ加減に、ほとほと呆れていたんだ」わざわざ『あんた』と言い直してきやがった。「さっきも、『何で夜?』とか間の抜けた事を言っていたし、今度は『篝火は?』ときた」石楠花は、わざとらしく大きな溜め息をつき、「いいか」と続けた。「まず、さっきも言ったが、悪事を働くのは、人目の少ない夜がほとんどだ。基本だよ。でだ、『釣り』をする為の餌に、わざわざ食いつきにくい餌を用意する事もないだろうが。普通、あんな非常識な頭したヤツ、みんな無視のオールスルーだぞ」

 言われてみれば、確かにそんな気もするが…。

「じゃあ、何でお前は、人目の多い真っ昼間に、あんな非常識の青い髪したヤツに声掛けたんだよ?」

「それはだな」と石楠花は、苦い顔をして答えた。「昼の方が人を観察するには好都合だし、人ごみに溶け込む事さえできれば、特に怪しまれる事はないと思ったからだ。あいつに声を掛けたのは、なんとなく、面白い頭したヤツがいるって好奇心がそそられたからだ」

「なるほど。強過ぎる好奇心がアダになったワケだ」

 と、茶化すように天使が言った。

「全くだ」と石楠花は嘆いた。「普通、あんな雑な方法で、『釣り』が成功するわけが無いんだ。けど、あまりにバカ過ぎて、俺の頭じゃ予測できなかった」

 負けを認めた発言は、普通はそのまま勝者への称賛であるはずなのだが、全く嬉しくない。ただただ侮辱された気分だ。

 しかし、癪ではあるが、石楠花の言っている事は理解出来た。

「じゃあ、どうすんだよ?」

 釣りをするにしても、肝心のエサが無い。無謀にも竿だけ振るのか?

「ききっ」石楠花は、不気味に笑うと、榎のもとへと歩み寄った。「いるじゃないか。普通の、どこにでもいそうな、それでいて抵抗する力もなさそうな、そんな女が」

「おい、まさか…」

 俺は、その名前が出ない事を望んだ。しかし、確かに名前は出なかったが、石楠花は榎を見下ろし「お前が、エサだ」と言った。

「ふざけんなよ!何で榎がそんな危険な役…!」

 俺は、石楠花に掴みかかる勢いで、必死に反論を試みた。

 が、石楠花は「お前こそ、ふざけんな」と冷たい目をして言った。

 たじろぐ俺を尻目に、石楠花は言う。

「言っただろ。中途半端な正義感は、逆に危険だと。あんたら、危険を承知で動いていたんじゃないのか?実際に危険が生じたからって、いまさら我が身かわいさに手を引くのか?あんたらの覚悟は、その程度なのか?」

 そう言われ、俺は何も言い返せなかった。俺達は、殺人犯を相手にするかもしれないと言われていて、それを承知で動いていた。決して覚悟が無かったワケではない。けど、榎を危険な目にあわせたくないのも、本心だ。

 だから、答えは榎に任せた。榎がもし、いやだ、とひとこと言えば、それを受け入れようと思う。つーか、言えよ。

 しかし…。

「はい」榎が言った。「大丈夫です。私、やります」

 それは、俺の望まない答えだった。

 真剣な面持ちで答えた榎を、俺はどんな顔で見ていたのだろうか。きっと、受け入れ難い事を突き付けられ、苦痛で顔を歪ませていただろう。

 表情の硬い榎を気遣い、石楠花は「ききっ」と笑った。

「そこまで深刻に考えるな。確かに危険な役だが、絶対危険な目に遭うと言うワケでもない。最善を尽くし、かりんとうのことは護るつもりだ」

 そう言われても、危険である事に変わりない。石楠花の作戦を承服しかねていると、榎が「大丈夫だよ、椿君」と俺に笑みを見せた。

「石楠花さんも言ったけど、元は私が言い出した事だし、ちゃんと覚悟も出来てる」

「けどさ…」

「だから、よろしく」

 そう言って、榎は俺を見て微笑んだ。

 その顔を見て、俺も覚悟を決める。

 俺は、期待されていた。榎は、俺を信じてくれた。だったら、俺も覚悟を決めるしかないじゃないか。

「ききっ。そいつによろしく言っても、果たして役に立つかどうか」

 俺の事をバカにしたようにやれやれと言った感じで首を振り、人の覚悟を踏みにじるようなことを石楠花は平気で口にした。

「っせぇよ」

「ニット帽がいくら張りきろうと、出来る事は限られるぞ」

「は?」

「まさかお前、偽物をぶん殴れば、それで全て解決するとでも思ってるのか?時代劇じゃあるまいし、成敗してやると言って拳振るっても、その場しのぎにしかならない」

「あ…」

 悔しいが、殴れば済むと思っていた。榎に危険な手が伸びた所を、ぶん殴り、もうやりませんとでも言わせれば、それで解決すると思っていた。

 俺が自分の浅はかさを反省している所を、石楠花は畳みかける。

「今回みたいなケースでは、暴力は解決の手段たりえない。だから、それ以外の方法、ニット帽じゃ絶対無理な方法を取る必要がある。ニット帽はせいぜい、かりんとうの無事を願いつつ、万が一には盾になるくらいしかやる事ないな」

「じゃあ、どうすんだよ?」

 俺が訊くと、石楠花は「暴力以外で、相手の心を折る」と断言した。

 そして、フーッと息を吐いた石楠花は「偽物とは、俺が対峙する」と、特に興奮することも、変に気を張る事もなく、平然と言った。

 石楠花とは対照的に驚き戸惑う俺達の視線を一手に集め、石楠花は「様々な面を考慮に入れても、この中で俺が一番上手く立ち回る事が出来る」と続けると、そこで一度「が…」と天使を見た。

「俺は、腕力はからっきしだ。相手が暴力に訴えてきた場合、まず勝てない。だから、アレ寄こせ」

「あれ…?」天使は訊き返した。

「アレだよ…あの、俺を眠らせた玉」

「ああ、ねんねこ玉のこと」と天使は納得した。が、石楠花の求めている物が判っても、それを求める理由までは判っていないようで、天使は「でも、どうして?」と尋ねた。

「ききっ。どうしてって、ニット帽はかりんとうの事で手一杯。浴衣のは、明らかに闘えるタイプじゃない。そうなると、俺は自分の身は自分で護らねばなるまいよ」

 自分の身に危険があるかもしれないという話でも、石楠花の顔色は全く変わらない。むしろ、どこか楽しそうだ。

 その石楠花の様を不気味に思うが、石楠花の頼み自体は普通の事だ。自己防衛のために事前策を打っておこうという、至極自然な、理論派の石楠花らしい判断だ。だから、天使に断る理由は無いのだが、「あれ?」と天使は間抜けな声を出した。

「あれれのれ?」

 天使は、色んな道具やアメなど、仕事に関係ある物からどうでもいい物まで、多種多様な物がたくさん入っている浴衣の袖口に手を入れ、がさごそと中を探った。

「どうした?」

「いや…ねんねこ玉のストック、無いみたい」

 袖口から手を出し、その手には何も持っていない事をアピールするようにヒラヒラと手を振り、天使は言った。

「おいおい、勘弁してくれよ。俺の計画は、ソレありきなんだぜ」

 石楠花の非難を受け、天使は慌てて「ちょっ、待って。すぐ戻って、五十嵐さんに貰って来るから」と言い、何処かへと飛んで行ってしまった。何処かへと言うか、天使の館に戻ったのだろう。

「つーか、必要なら事前にメールで言っておけよ」

 天使がいなくなった後で、俺は石楠花の落ち度を指摘した。

「それもそうだな」石楠花は、珍しく反論せず、素直に受け入れた。「ニット帽でも気付く事に気付かなかったか。どうやら俺も、緊張しているようだな」

「ちっともそう見えねぇよ!」

 緊張感を感じさせず、石楠花はあくびしていた。



 天使は、なかなか戻って来ず、時間だけが悪戯に流れた。電話を掛けてみても、果てしなくコール音が流れ、留守番電話サービスセンターにも繋がらない。どうしたんだよ、と連絡がつかない事にイライラしていると、石楠花が、ハァと大きく息を吐き出した。

「仕方ない。浴衣のは抜きでやろう」

「いいのかよ」俺は、言った。

 天使が作戦遂行の重要なキーパーソンを担っているワケではないが、それでも不在のままに事を進めるのは、あれでも一応相棒だから、どうなのかと躊躇ってしまう。それに石楠花の身の安全の事もある。

 しかし、石楠花は、やはり平然としている。

「いいんだよ。あの玉も、なきゃないで別に支障無いしな」

「んだそれ?」

「それにな」俺が疑問を投げかけるのを遮るように、石楠花は声を張った。「俺の調べでは、そろそろターゲットが動き出す。浴衣のを待っている暇は無いんだよ」

 石楠花の言葉で、俺と榎の緊張が一気に高まった。。

「榎…大丈夫か?」

「うん……ありがと」

 榎の声は、覚悟を決めているからなのか、震えていなかった。怖くないのか、と疑問に思ったが、それを訊くのはやめた。訊く事で、榎の恐怖心を呼び起こしてしまうかもしれない。そんな足を引っ張るようなマネは避けたい。

「ききっ」という石楠花の笑い声が聞こえ、俺と榎は、覚悟を固める。

「行くぞ、偽物退治だ」



 月明かりの無い外套だけが頼りの道を、だいたい三角形の様な形を組んで、俺達は歩いている。待ち合わせ場所から違うトコに移動すると言った石楠花は、俺達の先を歩いている。その足取りは、暗闇の中にある我が家へ帰るかのように、迷いがなく、暗がりへと進んでいく。まるで人の眼を避けているように、人気の無い方へ、人気の無い方へと進んでいる。

「この辺でいいか」

 不意に、石楠花が言った。

 石楠花が『釣り』のスポットと決めたこの辺は、外套がさらに少なく、薄暗い。近くにコンビニもなく、住宅街からも離れてしまっている為に、人通りは全くと言っていいほどに無い。つーか、無い。では、近くには何があるのかと言うと、昼間は子供の遊ぶ声がこれでもかというほどに溢れているだろう保育園や、すでに本日の営業はとっくに終えたカフェ、何らかの工場の様な建物や施設など、俺の生活には関係ないものばかりがある。そのどれもが、今日はもう終わり、と静かな眠りについている。おそらく、夜の十時近くという今の時間にこの辺を通るのは、夜中にあえてジョギングをするような人と、通勤通学路がこの道で、帰りが遅くなったと嘆く人くらいだろう。まあ、そんな人も今日はいないようだ。

 作戦は、こうだった。人通りの少ないこの辺を榎が歩き、偽物をおびき出す。そして、犯罪の証拠を掴んだ所で、榎を救出し、石楠花が偽物を倒す。まとめてしまえば、非常にシンプルな作戦だ。

「不測の事態が生じた場合にのみ、各々の判断に任せる」作戦決行の直前、石楠花が言った。「身を護るもいいし、偽物を殴るでもいい、逃げても構わない。が、それ以外は俺の作戦を守れ。勝手な行動は慎んでもらう」

「不測の事態って、どんな場合だ?」俺は訊いた。

「俺の予想だにしていない場合だから、まずそんな場合は無い」

 つまり、勝手に動くな、ということらしい。

 俺は、最終確認の意味で、榎のことを見た。榎は、普段と変わらないような服装に肩からカバンを下げ、どこにでもいる女子大生風な格好をしている。ともすれば、プチ家出をしているように見えなくもない。確かに、いくら自然体で負のオーラを発することが出来ても、奇抜な青い髪をした女より、榎の方がエサ役には向いているのかもしれない。

「大丈夫だよ。心配しないで、椿君」

 そう言うと榎は、「いってきます」と俺達に背を向けた。

 その細く華奢な背中が遠ざかるのを、俺は黙って見送った。

 榎の姿が見えなくなると、「じゃあ、俺達も姿を隠すか」という石楠花の言葉通り、俺達は身を隠した。車道や歩道から一目でばれることのないよう、物陰に身を隠す。物陰に身を隠すと言っても、辺りには都合いい障害物はない。だから、榎のいる直線道路の一つ手前の曲がり角や、道路沿いに生えている木の陰に身を隠しながら移動する。辺りが静かなだけに、周囲への警戒を怠らなければ、もし人や車が来た場合、相手の視界から逃れるように身を動かせば、充分に姿を隠し続ける事は出来るだろう。

 榎は、歩き続けている。歩くスピードは、普段よりも遅い。少し俯きながらの気重な感じで、石楠花の指定した『人気の無い釣り場』を歩きまわっている。

「おい、こっち来い」

 不意に、石楠花が言った。冷静だが、有無を言わせぬ圧もある。その言葉に反応し、俺は石楠花の手招きに従い、木陰に身を隠した。意識せず、背筋が伸びた。

「どうしたんだよ?」俺は、小声で訊いた。

「車が来る」

 石楠花に言われ、俺は耳を澄ました。すると、確かに遠くの方にエンジン音が聞こえた。どんな聴力してんだ、と驚いたが、それどころではないだろう。

 車は、ゆっくり走っているようだ。人気の無い通りを暴走族よろしく、ステレオを叫ばせながらスピードを出しに出して走る車は、たまに見かける。しかし、その車は、音楽もかけていなければ、スピードもあまり出していないようだ。法定速度、ギリギリ下と言ったところだろうか。いくら夜は速度を抑えるようにと教習所で教わったにしても、抑え過ぎな感がある。

「ききっ。獲物を捜してんだよ。おそらく、な」と、ゲームの解説をするかのように、石楠花は楽しそうに言う。「たぶん、俺達の前を通り過ぎた後、かりんとうを見かけたら、少し速度を上げるぞ」

「なら、そこで捕まえるのか?」

「違う」俺の考えは、即座に否定された。「まず、ここで捕まえても、拉致監禁の証拠を掴めるかどうかと言ったところだろう。それでは足りない。はっきりと、殺人の証拠を抑える為には、まだ早い」

「あとは?」まず、と言うことは、他にもあるのだろう。

「あとは、やはりまだ早いからだ」

「ん?どういう意味だ?」

「偽物のターゲットが女の場合、というか女しか狙わないと思うが、そいつは一度相手を確認するはずだ。強姦のような犯罪被害にあった女は特にだが、夜道で人通りが少なければ、それだけで女の警戒心は高い。だから、その場周辺の状況確認の意味も込め、一度車で通り過ぎ、それだけで相手が怯えを見せるか、警戒心がどの程度あるかなどを見るはずだ」

「それで、あまりに警戒心が強ければ、抵抗して思わぬ反撃に遭うかもしれないから、その人は諦める」

「ききっ。たぶん、な。」

 偽物の行動に予測を立てていたら、エンジン音が大きくなった。

 遠くから、何かに遮られて聞こえた音ではなく、俺達の歩いて来た方向から、だんだん音は近付いて来る。

 五人乗り程度の普通乗用車が、俺達の前を通り過ぎ、角を曲がった。そっちには榎がいるはずだ。石楠花の予想が正しければ、ここで車は速度を上げる。

 俺達は、それを確認すべく、足を急がせた。

 石楠花の予想は、正しかった。

 角を曲がった車は、それまでの遅れを取り戻さんとするかのようにエンジン音を鳴らし、今まではウォーミングアップだとばかりに、今まで以上の速度を出した。榎を見つけたようだ。が、やはり榎をスルーした。

 予め心構えをしていたのだろう、榎には動じた様子はなかった。

 という事は、と心して待っていると、先程と同じ車が、先程と同じ方から来た。どこかで一周し、戻って来たのだ。また隠れた俺達の前を通り過ぎ、榎に近付く。今度は、俺達の隠れている所までは速度を出し、榎に近付くと、次第に速度を落としていった。

 そこからは、一瞬だった。と思う。

 車は、榎の横に止まった。榎も、自分の真横に止まった車を見て、足を止めた。すると、車の助手席側の窓が開いた。最初から開いていたのかもしれないが、とにかく、そこから手が出てきた。その手には、スプレー缶が握られていた。スプレーから出た無色のガスは、榎の顔周辺を覆う。すると、ガスを吸った榎が倒れた。催眠ガスだ、と気付いたのは、いつだろうか。榎が倒れると、運転席から男が出て来た。顔は見えないが、背丈などから男だと判断する。男は、榎を抱えると、後部座席のシートに寝かせるように置いた。そして、男が運転席に戻り、車は走り去った。

 一瞬ではなかったが、三十秒もかからなかっただろう。

「行くぞ!」

 これ以上は姿を隠す必要もないし、何より榎が心配だから、俺は飛ぶが如く勢いで走り出した。が、その俺を、「待て」という、落ち着き払った石楠花の声が止めた。

「んだよ!」

「あんた、まさか車と同じ速度で走る気か?」

 俺は、一度完璧に足を止めた。

 石楠花の考えは、概ね正しいだろう。人間が車と互角に走る事が出来るワケがないのだからやめておけ、という。しかし、それは普通の人間なら、だ。俺なら〝願いを叶えやすくする力″があるから、後で脚の筋がボロボロになる事などを覚悟する、もしくは考えなければ、車と同じくらい速く走る事は可能だ。

「言っておくが、お前が出来ても俺は無理だぞ。あと、俺なしで偽物退治は無理だと、断言してもイイ」

「んじゃあ、どうすんだよ!」

 榎の身に危険が迫っているからと、俺が大声で詰め寄っているのに、石楠花は涼しい顔をしている。「来いよ」とだけ言い、閉店後のカフェの駐車場へと向かった。

 何をする気なのだ、と疑問に思っていたら、石楠花は駐車場に停められてある一台のバイクに跨った。

「お前…それ?」

「ききっ。俺が移動の事を考えてないと思ったか?これは、俺が事前に置いておいた、俺のバイクだ」御主人が来た事が嬉しいのか、エンジン音を上げ、バイクは目覚めた。「ほれ、さっさと乗れよ」

 すでにヘルメットを着けた石楠花に、予備のヘルメットを投げて渡された。それを受け取り、石楠花の後ろに乗ってから、ヘルメットをつけた。

「ちなみにで言っておくと、かりんとうのカバンに発信機を入れておいた。そっから出る電波が、俺の手元の受信機に届く。だから、見失う事はない」

「石楠花、スゲェな!」と俺は、素直に感嘆の声をあげた。

「ききっ。お褒めの言葉どうも。が、いくら場所が分かっても、一寸の遅れで永遠の後悔をすることも有り得る」

 そして、石楠花の次の言葉をスタートの合図とするかのように、バイクは勢いよくスタートダッシュを切り、一気にゴールまで駆け抜ける。

 では、よーい…「ききっ。振り落とされるなよ」



 真っ暗な闇の中を、バイクは迷いなく駆け抜ける。バイクが照らすライトの光は、さながら闇を切り裂いているようでもある。実際、雲は流され、さっきよりも月明かりがある。

 石楠花は、バイクの速度メーター近くに取り付けた受信機の画面を時折チラッと見て確認しながら、バイクを走らせた。バイクも、御主人と戯れることを喜ぶかのように、嬉しそうにエンジン音を上げ、どんどん速度を上げた。軽快に走る。

 途中、右へ左へと予告なくハンドルを切られ、本当に振り落とされるかと思ったが、何とかなった。

「ここか?」

 バイクがある建物の前で止まったので、俺は、石楠花の背後から訊ねた。

「ああ」

 石楠花は、ヘルメットを外した。それにつられ、俺もヘルメットを取る。ついでに、石楠花が建物を見上げていたので、それにもつられた。

 その建物は、一目で廃屋だと分かった。

 前は当然人がいたのだろうが、今は誰もいない。一階部分は駐車場になっていて、二階から上は事務所や簡単な店を開業できるようなスペースになっているのだろう。だが、何処の階もテナント募集の看板が掲げられている。しかも、不景気の煽りをモロに受けてしまったのか、テナント募集の看板すらも建物と同様に廃れてしまっている。おそらく、廃屋と化したのは昨日今日の話じゃなく、けっこう前だ。

「ききっ。景気が良けりゃあ何処に建物構えようと儲けられたかもしれないが、ここは立地が悪いからな」周囲の様子を観察しながら、石楠花は、廃屋と化した理由を考えていた。「表通りに面しているワケでもないから交通の便が悪い。周りもおてて繋いで寂れていて、やっているのかどうか分からないようなビジネスホテルやスナック、ここと似たり寄ったりの建物ばかりで、そもそも人が寄り付くような気配が無い。よっぽどの物好きか、それとも悪い事を生業とするようなヤツらじゃなきゃ、ここは使わない。それにしたって、こんなボロじゃあ、もう建物としての価値はないわな」

「けど、だから利用するヤツもいる」

「ききっ。その通り」珍しい。石楠花が、俺の考えを肯定した。「一般的な価値が無いからこそ価値があるとするヤツもいる。拷問に使うとか、な」

「なっ…!」

「ききっ。焦るな。偽物の目的は、拷問じゃない。が、ここを利用しようとはしているようだな。ほれっ」

 俺は、石楠花の指差す方を見た。石楠花の指差す駐車場の一角には、車が一台停まっていた。先程 榎を連れ去った車だ。憎き相手を見つけ、俺は駆け寄ったが、車内は蛻の殻だ。何か手掛かりがあるかもしれないと思い、ドアに手を掛けたが、鍵が掛かっていて開かない。

「開けたいなら、手伝おうか?」

 俺の背後から、石楠花がゆっくりと歩み寄り、そう言った。

「出来るのかよ?」

「ああ」石楠花は、事も無げに言い切った。それはまるで、他の人より少し速く走れるよ、程度の自然な返事であり、特に鼻に掛けることもない。「二~三分もあれば余裕だが、今はそんな事しているほど暇じゃないだろ」

 それもそうだ。

 俺は、車の前輪に軽く蹴りを入れ、気持ちを車から離した。「行くぞ」と先導する石楠花の後を追い、建物の一側面に設けられている非常階段を上る。

 石楠花は、非常階段の施錠がすでに外れている事に、「俺がやろうと思っていたんだが、手間が省けたと思うか」と若干残念さを滲ませていたが、すぐに口元に薄く笑みを浮かべていた。

「ききっ。そそられる結果だといいな」



 非常階段を上り、地上四階建ての建物の屋上手前まで来た。まだ屋上に出ていないのは、石楠花が「殺人の証拠を掴む為だ」と、何処から取り出したのか、デジカメを見せながら言ったからだ。だから、俺達は階段を上り切らず、半開きの扉から顔だけを出して、屋上の様子を見ている。傍から見れば滑稽な格好かもしれないが、一応真剣だ。

「起きろ」

 榎を担いでいた偽物が、榎の肩を抱くようにして立たせ、揺すり起こした。今のタイミングで榎を起こしたということは、石楠花がバイクを飛ばしてくれたおかげで、相手とのタイムロスは僅かだったようだ。

 榎は、目を覚ました。睡眠薬の効果なのか、フラフラと足下がおぼつかない。「なっ、何ですか?」と、戸惑いの声をあげた。

「黙れ!」という男の声が、榎を黙らせた。「騒がなければ、もう少し長生きできるぞ」

 偽物の声は、緊張感からか、上擦っていた。石楠花とは違う感じの、不気味な冷たさを感じさせる偽物の雰囲気は、どこか危うさを持っている。石楠花の予想が確かなら、偽物は恐怖しているのだ。自分が望んで作り出した状況とはいえ、相手の必死の反撃をくらう事も考えられるし、考えもつかない事態になる可能性もゼロではない。だから、警戒し、恐怖している。

「おい、やべぇんじゃねぇのかよ?」

 俺は、石楠花に訊ねた。偽物は、すぐにでも榎に手を出すかもしれない。だとすれば、一瞬の遅れが文字通り、命取りになる。

 しかし、石楠花は冷静に言った。「まだだ」と。

「まだ早い。今のままでは、拉致監禁の証拠を抑えられても、殺人は無理だ。だから、まだ待て」

 石楠花はそう言うのだが、俺には分からない。偽物は、弱いながらも抵抗する榎を無理矢理引きずって、屋上の縁にまで行く。榎の手を後ろに回し、それを掴む事によって動きを封じている姿は、それだけでも殺人未遂の疑いを掛けられるのではないか。実際、偽物が少し力強く榎の背を押せば、榎はよろけ、そのまま落下してしまうだろう。

 どうしても我慢できず、俺は駆け寄ろうとした。が、石楠花に手を掴まれ、力ずくで止められた。

「まだ早いって言ってるだろ。しかも、今飛び出したら逆に危険だ。お前にビビったあいつが何をするか、分からないワケじゃないだろ?」

「じゃあ、いつ?」俺は、石楠花に詰め寄った。ボリュームを持たないように枯らした声で、相手に気付かれないように気を配りながら、可能な限りの大声を出した。「つーか、どうやって?」

 今飛び出したら危険だという。ということは、俺達は飛び出す事が出来ない。少なくとも、今は。しかし、今を見送り、いつかのタイミングを待っていて、それでいいのだろうか?それまで、榎は無事でいられるのか?そして、どういった方法で、榎を助けるのか?

 俺は、石楠花の顔をまっすぐに見て、答えを待った。しかし、石楠花は、偽物達の方を見ていて、顔を背けている。俺から見える横顔からは、何を考えているのか分からない。無表情で偽物たちの方を見ていた石楠花は、ふと空を見上げた。眼を固く閉じ、何かを思案しているのだと思っていると、いつも聞いているはずの薄気味悪い「ききっ」という笑い声が聞こえた。いつもより薄気味悪いというか、不気味な笑い声が。

「何だよ?」

 俺が抽象的すぎる質問をすると、石楠花はフーッと息を吐き出し、口元に薄い笑みを浮かべた顔を、俺に向けた。

「いや、そろそろいいかと思ってな」

「行っていいのか?」俺は、声を高くし、スタートの合図を待った。俺の期待通り、「ああ」というだけの短く迫力の無い号砲だったが、石楠花はゴーサインを出した。

 では早速、と思ったが、「おい…」とある事に気付き、飛びだしそうになった足を止めた。

「今行って、榎は大丈夫なのかよ?」

 俺の疑問に、石楠花は「ききっ」と笑うだけだった。

 しかし、それが、俺に石楠花の真意を伝えた。

「お前…何考えてんだ?」

 突然崖っぷちに立たされたような、言い知れぬ不安を感じた。石楠花を問い詰める声が震える。

「ききっ。俺が何考えているのかって?俺の動く理由は、常に同じだ」石楠花が、俺を崖から突き落としにかかった。「俺は、そそられた。偽物にじゃないぞ。信用してたヤツに裏切られ、死んでいく時、どうなるのか。恨み辛みを叫びながら死んでいくのか、絶望のままに死ぬ時の顔はどんなか」そこで一度言葉を切り、石楠花は、榎のことを氷のように冷たい目で見た。「あのガキ、俺が少し気を許しただけで慣れ慣れしくしてきやがった。少々灸を据える意味でも、あいつには実験体になってもらう」

 石楠花が言い終わるのが早いか、俺は駆け出していた。

 助け出す方法なんて考えてない。榎を助けなきゃ、榎を失いたくない、そんな気持ちだけが俺の中にあった。

 この時、俺はどんな行動を取れば正解だったのだろうか?駆け出した俺の背後で、高笑いする男をぶん殴れば良かったのか?それとも、石楠花の高笑いと、自身に向かって走ってくる俺に驚いた偽物を、ぶん殴れば良かったのか?それとも、すでに偽物の手から離れ、地面に向かっていく榎に、届きもしない手を伸ばし、その手が何も掴めない事を嘆いて、その場に泣き崩れればよかったのだろうか?

 取るべき行動が分からない俺は、その場に立ち尽くした。


     楸 Ⅱ


 椿が、半泣きで立ち尽くした。

 当初の計画とズレが生じているようだ。

 しかし、ここで各自の判断で個人プレーに走ることは、むしろ危険に思えた。計画発案者の石楠花は、何故か高笑いしているが、それも自棄になって、というワケでもなさそうだ。

 どうするべきか悩みもしたが、俺は計画通りに動く。

 この場に居る全員から姿が見られないよう〝視覚防壁″を張ったまま、俺は動く。と言っても、特殊な力を持った榎ちゃんには、俺の姿が見えている。だから、榎ちゃんは他の人、例えば偽物の男や椿から見たら不自然に浮いているのだが、浮遊感に怯えもせず、俺の手に掴まっている。

 椿は呆けたまま、榎ちゃんの動きを見ていた。偽物は、椿以上に驚き、現実離れしたこの状況を、眼を見開いて見ていた。

 俺は、榎ちゃんをゆっくり、椿の近くに降ろした。榎ちゃんは、すとんと着地を成功させた。が、その場にへたり込んでしまった。偽物の殺人の証拠を掴み、偽物から榎ちゃんを確実に奪い返す為には、偽物に目的を達したのだと思わせ、その直後に生じる隙を衝く必要があった。それには、本当に落下しているように見せる必要があった。だから、一瞬だが、榎ちゃんは本当に落下していた。落下している時も俺が榎ちゃんの手を握っていて、榎ちゃん自身覚悟もしていただろうが、実際に催眠ガスをかけられて連れ去られもした。やっと恐怖から解放され、安心して腰が向けたのかもしれない。

 榎ちゃんは、小刻みに震えていた。

 相当無理をしただろうし、心底怖かったに違いない。でも、榎ちゃんは泣かなかった。作戦には承諾していたし、なにより榎ちゃんは今回の事の言い出しっぺでもある。だから、それなりの責任感や覚悟はあったはずだ。しかし、そういう心構えがあったとしても、恐怖は感じる。なのに、声も出さず、必死に恐怖心を抑え、我慢している。

 本当は榎ちゃんを安心させてあげる役も俺がやりたいんだけど、しゃーねぇから、今回は椿に譲る。

 椿も、言いたいことが色々あるだろう。「だから、やめろって言ったんだ」とか「もう無茶はすんな」とか、もしかしたら「バカ野郎」とただ怒鳴るかもしれない。だけど、椿はたった一言、心の底から出した様な、安堵の声で言った。

「よかった」と。

 へたり込んだ榎ちゃんの高さに合わせるようにしゃがむと、椿は、榎ちゃんの肩に手を回して、自分の方へと抱き寄せた。榎ちゃんも、椿の肩に身体を預ける。

 まあ、前の椿から比べれば、充分に及第点だ。

 相棒の成長は、俺の不満をチャラにした。

「ききっ。無事で何よりだ」

 石楠花が、冷たさの感じられない、ただの薄ら笑いを浮かべ、椿達のもとへ歩み寄った。

 椿は、石楠花のことをキッと睨んだ。そして、何故か頭が回ったのか、石楠花から視線を逸らし、キョロキョロと辺りを見渡した。きっと、俺を捜しているのだろう。が、今はそれどころではないだろうと俺は、椿の頭を掴み、偽物の方へと顔を向けさせた。

 強引に向かせた事で、椿の首は軽く負傷した。

「おい、後で全部説明しろよ」

 痛めた首筋を抑え、偽物の方を向いたまま、椿は言った。

「ああ」石楠花は、更に歩を進め、椿と榎ちゃんを通り過ぎ、偽物に近付いた。屋上の縁にいて、何が起こっているのか状況を掴めず、逃げることも忘れて唖然としている偽物との距離を、あと三~四歩の距離にまで詰め、石楠花は足を止めた。「ききっ。さぁて。本意ではないが、義理でも通すか」

 さあ、偽物退治、勝負だ!



 勝負の幕開けは、静かな立ち上がりとなった。

 石楠花と偽物の男は、しばし向かい合ったまま、視線をぶつけ合っていた。石楠花は、口元に薄く笑みを浮かべて相手をまっすぐに見据え、いかにも余裕があるといった感じだ。しかし、偽物は石楠花と対照的だ。椿達より少し歳は上だろう、二十代半ば位の男は、その歳にしては随分やつれていて、目の周りを覆う濃いクマも手伝い、不健康に見える。不健康と言うよりは、なんか、病んでいる。顔は石楠花の方を向いているが、目線はキョロキョロと定まらない。今の状況が危機的なものであることを、自覚しているのだろう。

 逃げる算段をしていたが、何も思い浮かばなかったようだ。「お、お前らは、何者だ?」と、会話の中に、活路でも見出そうとしたのかもしれない。偽物は、上擦った声で早口に「何故、俺を狙う」と問い掛けた。

「ききっ。別に、お前を狙ってはいない。俺は、な」

 石楠花は、ゆっくりと相手が聞き取り易いように喋り、応えた。

「俺は?」と石楠花の発言に違和感を覚えた男は、確認するように呟いた。

 が、お構いなしに石楠花は言う。

「俺が何者か、その質問に答える為には、俺も一つ、あんたに質問をしなければならない」

「な、何だ?」

「あんた、『ライフ・リセッター』っていう都市伝説、知ってるか?」

 それは、確信を衝く質問だった。もしここで「はい」と答え、さらには「俺がそうだ」と主張すれば、それはそのまま男が偽物である事の証明となる。石楠花を除く俺達は、固唾を呑んで待った。

「ライフ…リセッター…?」偽物は確認するように繰り返し、「あ、ああ、話だけなら、少し聞いた事がある」と答えた。「詳しくはないがな。そ、それがどうかしたのか?」

「ききっ。やっぱな」

 男がライフ・リセッターの偽物ではない事が判明しても、当然、それも石楠花の想定内だ。全く、動じない。椿だけが「なっ…」とか言って驚いている。

「そ、それがどうしたんだ?」

「まあ、待て」手を前に出して男を制し、石楠花は一度会話を止めた。「順に話してやるよ」と、自分のペースに持ち込んでいく。

「知っているかもしれないが、ライフ・リセッターとは、ある都市伝説の名前だ。ライフ・リセッターは、その正体などについては謎に包まれているが、唯一確かな事がある。それは、非常に好奇心が強く、残忍だという事だ。以前は、『死の恐怖を知りたい』と言って、無実の人間を次々と拷問にかけ、多くの命を奪った事もあった」

 偽物だと思われていた男は、頷く代わりに唾を呑んだ。

「ライフ・リセッターについて、まだ言っておく事があるが、その前に、これだけは言っておかなければならない」

「な、なんだ?」

「それは、お前がライフ・リセッターだと思われている、と言う事だ」

「な、なんで?」男は、当然うろたえる。「俺は、違う!」と首をブンブン横に振って否定した。

「わかってるよ。あんたは、違う」石楠花は、男を諭した。「あんたの〝殺し″には、殺すという事以外の目的が無い。そこに、本物との決定的な違いがある」

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!俺が…」

「殺しをしている証拠が、どこにあるんだ?か?」

 男の言葉を石楠花が奪い、繋いだ。石楠花の言葉が、本当に自分が発しようとした奪われたものだったから、言うべき言葉を失い、男は黙った。

「あんた、バカか?」男を嘲笑い、石楠花は、ポッケから取り出したデジカメを「これ、な~んだ?」と掲げた。「さっきの、このガキを突き落とした瞬間なら、ばっちり納めさせてもらった。他にも、車に連れ込むシーンもあるから、殺人だけでなく、拉致の証拠もあるぜ」

 どんどん、男は追い詰められていく。眉間のしわも深くなっていく。石楠花を睨む目つきは、明らかに〝敵対心″を持っている。

 男の変化を嬉しそうに見ながら、石楠花は続ける。

「そろそろ、最初の質問に答えようか?」

「最初の、質問…?」

「おいおい…自分で言ったこと、もう忘れたのか?言っただろ、『お前は、何者だ?』って」

「あ、ああ…」

「それに答えようって言ってんだ」男の関心を引いてから、石楠花は言う。「俺は、ライフ・リセッターの遣いのモンだ」

 当然、男は疑う。「ら、ライフ・リセッターって、都市伝説なんだろ?」と。

「ききっ。確かに、その名はあるかどうか曖昧な都市伝説となっているが、その名を持つ男は、ウチらのボスは、ちゃぁんと生きている」

「ぼ、ボス?」

「ああ。ボスは言っていた。『俺と同じ名前を使っているヤツが、俺の他にいる。そいつは、大した好奇心も持ち合わせておらず、ただ人を殺している。そんなの、ライフ・リセッターの名を汚すに等しい行為だと思わないか』と。だから、俺が遣わされた」

「お、俺は!俺は、一度もそんな名、名乗ってない!」

 一際声を大きくし、男は反論した。

「わかってる。あんたにとっては、言いがかり以外の何物でもない。が、ボスはそう御考えだ。事実、あんたは理由の無い〝殺し″はしているだろ。だったら、身勝手はお互い様だろ」

 そこで、石楠花が一度話すのをやめると、空気が変わった。ように思った。

 男が、右の肩を引き、尻のポッケに手を入れた。そこから取り出したのは、ナイフだった。折り畳みのナイフを出し、手首のスナップで刃を出した。その一連の動作は、自身の影、石楠花からは見えないようにやった。

 男は、危機感に襲われた。犯罪の決定的な証拠を握られ、話の中から逃げ出せる活路を見出そうにも、話せば話すだけ自分の不利を知る。だから、残る逃げる手段として、強行策を考えたのだ。もしかしたら奥の手だったのかもしれない、ナイフを使って。

 突然動きだし、男は、石楠花に切り掛かった。

「ききっ。やべ…」

 と、石楠花の顔に若干焦りの色が滲んだが、命の危機にあっての反応としては、かなり薄い。言い方としては、ライフポイントが残り僅かなのに、思いがけず突然のボスステージまで来てしまった程度の焦りだ。所詮ゲームだ、と割り切ったように、あまり動じていない。

 だからといって、石楠花は命を粗末に思っているワケではないだろう。背中に眼でもあるのか、それとも最初から分かっていたのか。

「つーか、こいつには話してもらう事があるんだよ。勝手に殺すな!」

 椿が、男よりも速く動き、石楠花に切り掛かろうとする男の右手を蹴りあげた。椿の蹴りを受け、男はナイフを落とした。右の手首も痛めたようだ。もうナイフは握れないだろうし、もし可能だとしても、椿が男から遠ざけるようにナイフを蹴り飛ばしたから、とりあえず大丈夫だろう。

「ききっ。あ~助かった」

 やはり、思いがけない御助けアイテムで難関を乗り越えることができ、なんとかボスステージを超えられた程度の、大した感慨もなく、石楠花は言った。助けた椿が「っせえ。感謝しろよ」と非難しても、石楠花は、すでに男の方に意識を向けていた。

「あんた、自分の置かれている立場が、まだ分かってないようだ」男は、痛む右手を抑えながら、怯えによって鋭さが失われつつある目付きで、石楠花を見てくる。「ボスは、色んな意味でめちゃくちゃだ。さっきあのガキを助けたのもボスなんだが…例えば」

 石楠花は、右手を挙げた。

 その石楠花の行動に、男はビクッと身体を震わせた。

 そして、それと一瞬遅れ、男は額に鈍い痛みを感じる。まさか、と突拍子もない考えが浮かんだのか、男は額を抑えて、周りの建物を見渡す。しかし、狙撃手なんかいるワケが無い。もちろん、ボスとやらの仕業でもない。ただ単に、姿を消している俺が、石楠花の合図に合わせ、男にデコピンしただけだ。

 もちろん、それに気付くはずもない男は、まだ辺りを見ている。

「ききっ。驚いたか?」という石楠花の声で、男の視線はまた石楠花に集中した。「ボスは、普通じゃない。それは、思考回路もだが、不思議な力を持っているという事だ。超能力と言っても良いが、まぁ、呼び方なんてどうでもいい。普通なら信じられないようなことかもしれないが、その身を持って体感したあんたなら、わかるだろ?」

 男は、今度こそ、正真正銘の窮地に立たされている。奥の手らしきものも、もうないだろう。石楠花が近付いて来ても、身体を固くするだけで、反抗する事も、身を翻して逃げる事もしない。

 石楠花は、男の間近に立ち、仕上げとばかりに追い詰めた。

「ボスは、自分の名を汚したお前を消すよう指示したが、別に殺せとは言ってなかった」男の顔に、一瞬希望の色が差した。が、すぐに消える。「だから、消える方法、さすがのボスも面倒がって手を出さないような場所を教えてやるよ」

 一度そこで間を置き、石楠花は、それは、と続けた。

「それは、ムショだ」

 その言葉に絶望を覚えた男の肩に手を回し、石楠花は持っていたデジカメを見せながら、「ここに、決定的な証拠もある」と言った。「ムショの中ならボスも手を出せないし、今まで無自覚のうちとはいえやっていたように、あんたがボスの名を汚す事は間違っても無い。ボスも、これで自分の本当の興味の対象に気持ちを向けられるはずだ。だから、ボスに殺される…いや、もしかしたら死ぬよりも辛い実験を施されるかもしれないな、どっちにしろ、あんたはムショに行く方が身の為なんだ。それか、ムショに居るのと同じくらい大人しく日陰で暮らすか、だ」

 突然畳み掛ける謎だらけの展開に、男は、どうすればいいのか、何が起こっているのか、分からないことだらけだ。そして、最後に一言、石楠花に「せいぜい奪った命の重さについて、考えな」と言われると、ひざから崩れ落ちた。

「ききっ。自殺なんてバカなマネも許さない。もしボスがそれを知ったら、お前の命を無理やりにでも繋ぎとめ、苦しめるだろうよ」


     椿 Ⅲ


 それからは、呆気なく始末が付いた。

 男に「どうすれば?」と問われた石楠花は、男に自首の仕方を教えた。まず、最寄りの交番に出頭し、事情を説明する。最初は信じてもらえないかもしれないが、人を殺したと言えば取り合ってくれるはずだから、詳しい話をする。もし、公になっている以外に死体を隠ぺいしたのなら、それを話せば確実に信じる。そういった感じで、自首の仕方をレクチャーしていた。その様は、緊迫感から解放された俺達には、どこか間抜けに感じた。

 最後に、石楠花から「ちなみに、ボスのことは話さない方がいいぞ。名前って言うか、都市伝説の話な。それ言えば、とたんに信憑性は欠けるし、犯罪の事実ではなく、お前の正常なはずの精神状態の方に疑いが掛かる。なにより、自分の活動を邪魔するような事をされたと知ったら、ボスが何するか分かったモンじゃない。あんたは、罪の意識に苛まれ、自首するんだ」と忠告され、男は姿を消した。

 果たして素直に自首するか、疑いの気持ちの方が強いが、石楠花は「まあ、大丈夫だろ」と言っていた。「自分の理解の範疇を超える事態に直面した時、それらしい道に押し出せば、意外と勝手に進む。それが、自分の本意でない、望まない道だとしてもな」

「そういうモンなのか?」

「さあ?」

「は?」

「最初っから興味無いし、一応 連続殺人犯を止めるという義理も果たした。これ以上、俺は何もしないし、あいつがどうなろうどうでもいい。もし、あいつが悪さをやめなかったら、ボスが懲らしめるだろ」

 そう言うと、石楠花は薄く笑った。

 本当に、もう関心を失ったのだろう。いや、最初から関心は無かったのか。

 まあ、男はもうこの場に居ないし、そうであれば俺らが出来る事もない。だったら俺も、もし何かあった時は、どっかにいるかもしれない不思議な力を持ったボスに任せるとしよう。



 事態が収束し、屋上から降り、誰かの帰り道に今いる。

 ずいぶん雲は流れていた。おかげで、街灯の少ない殺風景で寂れたこの裏通りも、月明かりに照らされて、それなりに情緒あるものとして受け止められる。

「つーか、結局、何がどうなってたんだよ?」

 業を煮やし、俺は訊いた。

 石楠花も天使も、俺の声がうるさいとでも言いたそうに顔をしかめたが、そんなことはどうでもいい。何だか、俺だけが置いてけぼりを食らっているようだし、ここまできて、何も知らないで帰る事は出来ない。帰っても、なかなか寝付けない。寝ても、寝覚めが悪い。

「しゃーねーなぁ」

 天使のこの言葉を皮切りに、石楠花も時折口を挟みながら、何が起こっていたのか、その真相が語られた。


     楸 Ⅲ


 石楠花に相談を持ちかけた土曜から、俺はある事が気にかかり、毎晩行動していた。

 土曜、日曜と続けて空振りだったから、どうしようかと悩んだ月曜の夜。本当はアケミの行く末から目が離せないところだが、五十嵐さんにドラマの予約は頼んだし、自分に鞭打って、その日も動いた。

 俺が動いているのは、石楠花の事が気になったからだ。

 空を飛べる俺一人で、しかも高橋さんに大体の居場所を教えてもらっていれば、石楠花を捜す事自体は容易にできる。事実、前二日も、捜す事は出来ていた。

 しかし、その後の動きが無く、空振りと終わっている。

 だが、この日は違った。

「ああ!何言ってやがんだコノヤロー!四の五の言ってっとぶっ殺すぞ!」

 静かで薄暗い夜道に、怒声が響いた。

 その声に驚き、帰路を俯きながら力なく歩いていた若いOL風の女性が、ビクッと身体を硬直させた。彼女は、その声に畏怖の念を抱き、その場から逃げるように立ち去った。

 彼女は、何も知らない。実は、自分を付け狙う車がすぐ後ろまで迫っていて、今にも自分を連れ去ろうとしていた事を。あと数秒、辺りへの注意力が戻らなければ、その車の開いている助手席側の窓から手が伸びて来て、催眠スプレーをかけられ、連れ去られていた。彼女は、知らない。彼女が驚き、恐れ、迷惑だとすら思った男の声が、実は自分を救っていた事を。

 車は、彼女の横を、再び速度を上げて通り過ぎた。そして、彼女も、すぐにその場から居なくなる。

 その場に残るのは、俺と、怒声を上げた男・石楠花だけだった。

「何ガラにもなく、大声あげてんの?」

 石楠花の背後から、俺は、不意打ちの様に声をかけた。もちろん、姿を現して。

 驚くかな、と思ったが、石楠花は平然としていた。

「よお、浴衣のか」

 石楠花は、何処とも繋がっていない、待ち受け画面が表示されているケータイを閉じた。

「何してたの?」

「ききっ。なんて事はない。ただの調査だ」そう言うと、石楠花は、ケータイをポッケに入れ、そのまま手をポッケにつっこんだまま、話した。「あんたらと約束しただろ。あとは、俺が調べとく、と」

「じゃあ、さっきのが…?」

「ああ。あんたらの言う、偽物だ」

 俺の見ていない日中にも動いていたのだろうか、先程の車に乗っていた人物がそうだと、石楠花は自信を持って断言した。たった二日そこらで、どうやったのか気になって訊いたが、石楠花は「職業柄、裏のことも噂として入ってくるし、探しモノは得意なんだ」と言うだけで、詳しい事は教えてくれなかった。

「あんたら、というか、かりんとうは、最近起きた二つの自殺の件とライフ・リセッターの復活を混同して考えているようだが、全くの別物だ。さっきの車のヤツが、自殺の件に関与している事は調べて分かったが、ライフ・リセッターの名前は使っていない。ただの思い過ごしだ」

「じゃあ、石楠花の予想は外れたってこと?」

 俺は、からかうつもりも、バカにするつもりもなく、むしろ、それでよかったと思い、安心して訊ねた。

 だから、石楠花もムキになる理由はない。だが、平然と「いや、関係ない事は、最初から予想できていた」と言った。

「えっ?」

「根拠はいくつかあるが、何より、ただ殺人を犯すのにライフ・リセッターの名前を使う理由が、思い浮かばないからな」

「でも、こないだは?」俺は、納得できず、食い下がった。

「ああ。確かにあの時は、名前を語る理由は『脅し』だろうと言った。だが、あれはテキトーに言っただけだ」

「え?」

 その言葉に若干の衝撃を覚えたが、いちいち口を挟まず続きを聞く。

「良く考えてみろ。ライフ・リセッターの名前を脅しの手段に使うにしては、弱過ぎる。知れ渡ってきているようだが、それでもまだ、な。若い都市伝説だから、いくらでも作り替えるなりして利用しやすいと考える事も出来るが、脅しの手段とすると、使うメリットは少な過ぎる」

 なるほど、とも思うが、理解しきれないというのが正直な感想だ。石楠花は、調べたからなのか、それとも持ち前の推理力ゆえになのか、自信を持って話す。が、俺にはまだ、一昨日の聞いた話も全くのデタラメだとは思えない。

 どういう反応をするべきか悩むが、俺は、とりあえず今の石楠花を信じることにした。

「じゃあ、一昨日は何で?」俺は訊いた。

「あの時も言ったと思うが、あんたらが考え無く動いて偽物に警戒される事が、あの時点で一番厄介だと判断したからだ。だから、あんたらの余計な動きを封じる意味で、犯人像をでっち上げたにすぎん。全く真相に近付けていないとなると、あんたらは、自分達でも調べようと動くだろうからな」

「でも…」腑に落ちない事があった。石楠花の言う事が本当なら、石楠花は一昨日の時点で、自分とライフ・リセッターの無関係を主張することが出来たという事だ。そうすれば、石楠花は、俺達に協力する理由が無くなるはずだ。「じゃあ、石楠花が動く理由は?」

 俺が訊くと、石楠花は、言葉を詰まらせた。自分以外の事を話す時は、あまり間を空けず、流暢に喋るだけに、僅かな間でも、不思議に感じた。

「あんたらなのか、かりんとうなのか、偽物もどきのしている事が許せないんだろ?」口元から笑みを消し、石楠花は言った。「俺も、謂われの無い事で悪者扱いされたくない。中途半端に首突っ込んじまったし、不意に芽生えた正義感、いや、義理を通すって感じかな」

 そう言って、石楠花はまた「ききっ」と笑った。

 榎ちゃんは、石楠花が無関係だと知ってホッとしていた。それに、もし連続殺人の様な事が起こっているならば、ほうっておけないとも言っていた。それは俺も同じ気持ちだ。

 だから、ただの気まぐれなのかもしれないけど、俺は石楠花の言葉を信じることにした。

「俺達は、どうすればいい?」

 俺が訊くと、まるで最初からそう決めていたかのように、石楠花は当日の計画について語りだした。

「まず、基本的な作戦は、あんたらが俺に使ったのと同じ、『釣り』だ。かりんとうを使って、偽物もどきを釣る」

「ちょっと待って!」俺は、早速反論した。「榎ちゃんに、危険な役はさせたくない」

「あんたの気持ちなんて知るかよ」にべもない態度だ、石楠花は取り合ってくれない。「あの小娘も、それなりに危険は覚悟していて首突っ込むつもりだと言っていた。それに、ああいう普通の非力そうなガキの方が、エサ役にはピッタリなんだよ」

 まだ言い返したかったが、しぶしぶ納得した。榎ちゃんも覚悟の上だという事は承知しているし、とにかく作戦の全貌を聞いてから、本当に危険かどうか判断すればいいと思ったから。

「続けるぞ。偽物もどきは、おそらくさっきみたいに車で拉致して、場所を移してから殺すだろう。だから、俺とニット帽で、拉致の現場と殺しの現場をカメラで撮って、証拠を抑える。そして、それを武器に、罪を認めさせる」

「俺は…?」

「あんたは、かりんとうの護衛だ。姿を消せるあんたなら、ずっとかりんとうのそばにいてやれるだろ。それこそ、手を握ってやっていても、偽物もどきにバレない」

「わかった」

 めったに来ないだろう、オイシイ役回りだ。榎ちゃんのピンチを颯爽と助ける俺。悪くない。

「かりんとうには電話で説明して、事前に心構えをしてもらう。が、あんたは丁度いいから、今聞け」石楠花は、真剣な面持ちで話す。「偽物もどきを調べたが、特に変わった人物ではない。おそらく、なんかの拍子に殺しのスリルにハマってしまったというところだろうな。殺すことに快感を抱いているが、同時に恐怖も持っている。殺しを楽しもうと言うだけなら、直接その手でやるはずだが、偽物もどきの殺し方は自殺に見せかけたものだ。だから、死ぬ瞬間を見ることを快感としていると言っても良い。しかし、それも今のうちだけかもしれない。もしかしたら、自分の手でと思うのが、次からかもしれない。わかるな?」

 俺は、唾を飲み込み、頷いて応える。

「殺しをしたいという興奮が、性的なモノに変わる事は少ないと思う。が、ゼロじゃない。車で移動して、どっかで突き落とすという場合以外、それは不測の事態だと思え。ききっ。あのガキ、傷つけたくないならな」


     椿 Ⅳ


「そんな感じで、俺と榎ちゃんは、あの男を自首させる為に、石楠花の指示の下、一芝居打ったってワケ」

 大体の話の流れを、掻い摘みながら、天使は説明した。

「だったら、何で俺にも姿 見えなくしたんだよ」

 どうにも納得できない。俺にも天使の姿が見えていたら、あんなにも取り乱す事は無かったはずだ。冷静に考えると、けっこう恥ずかしい事したんだぞ?

「ききっ。言っておくが、俺にも浴衣のの姿は見えてなかったぞ」石楠花が言った。「浴衣のが見えれば、無意識に視線を送ってしまう可能性もある。そうすれば、要らぬ警戒心を偽物もどきに植え付けかねん。あんたみたいに事情を知らない自然な反応を見せるヤツが必要だったんだ」

「だったら」俺は、声をでかくし、石楠花に言い寄った。「余計な事言うなよ!マジでお前が裏切ったかと思ったぞ」

「ききっ。知るかよ」

 まさに、暖簾に腕押しだった。石楠花は、俺の視線からのらりと逃げ、榎の頭に手を置いた。ポンポンと二回ほど軽くたたき、「疲れただろ」と労いの言葉を掛けた。「あんたが一番大変だったな。ま、言い出しっぺだから当然とも言えるがな」

 労っているのかと思ったが、微妙だ。責任の所在を明確にし、自業自得だとバカにしているようにも聞こえる。俺なら「うるせえ」と言うのかもしれないが、榎は、石楠花のその言葉を、照れ隠しだとでも受け取ったのかもしれない。

「石楠花さん。協力してくれて、ありがとうございました」

「は……?」

 榎に頭を下げられ、石楠花は戸惑った。まさか、感謝されるとは思っていなかったのだろう。決まり悪そうに頭を掻いて、顔を背けた。

「感謝される筋合いはないな」そう言うと、石楠花は踵を返し、俺達に背を向けた。今 来た方に戻りながら、振り返らず、別れのあいさつの意味で手を挙げた。「女の夜の一人歩きは危ないから、そこのボンクラ共に一緒に帰ってもらいな。今日の事が怖くて眠れないなら、一緒に寝たらいい。明日は土曜だし、まだ夜は長い。せいぜい楽しみな」

 幼稚な仕返しのつもりか、セクハラ発言を残し、石楠花は去っていった。

 榎の「もおー」と怒る声に喜ぶ、「ききっ」という不気味な笑い声が、姿が闇の中に消えた後も、辺りに響いていた。



 石楠花の笑い声が聞こえなくなってから、俺達はまた歩き出した。

「榎。送ってってやるよ」

 石楠花が言ったからではないが、俺はそう申し出た。

「椿、スケベ」天使が、蔑むような目で俺を見ていた。

「っせえ!気持ち悪いこと考えてんじゃねぇよ。家の前までだよ」

 せっかくの善意で言った事なのに、スケベと邪推されたくない。しかも、だ。当の榎ですら、妙な考えを起こしているようで、「えっ…」と否定的な反応をしていた。なんかもう、無性に腹が立つ。

「帰る!」

 俺は、交差点で二人とは逆方向に曲がり、自分の帰路に着いた。

「ちょっと待ってよ、椿君。ゴメンって」

「うるせえ。一人で帰りやがれ」


     楸 Ⅳ


「どうした、浴衣の。忘れものか?」

「うん。ちょっと」

 椿と榎ちゃんと別れた後、俺は、石楠花の行った方へと急いだ。空を飛んで先回りし、石楠花が来るのを待っていたら、足を止めた石楠花が、驚きもせずに言った。

「ききっ。来ると思ってたぜ。あんた、さっきニット帽が『余計なこと言うな』と怒鳴った時、少し顔色が変わったからな」

「だったら話が早い」俺は、屋上でのやり取りの途中、椿が半泣きで立ち尽くしているのを見た時から感じていた違和感、もしかしたら不快感を吐き出した。「石楠花。椿に何言った?ていうか、お前には、何か本当の目的があったんじゃないの?」

 俺が問い詰めると、石楠花は「何回もタネ明かしをするのは面白くないが」と言葉は乗り気じゃなかったが、口角は上がっていた。

「俺はあの時、ニット帽にこう言ったんだ。信用してたヤツに裏切られ、死んでいく時、どうなるのか見てみたい、と。その為に、かりんとうには実験体になってもらう、と」

「やっぱり」というのが、率直な感想だった。それくらい、あの時の椿の顔には切迫していたものがあったし、絶望感があった。

「あんたら、本当に俺が正義感や義理で動くと思ったか?んなワケねえだろ」そして、石楠花はニタァッと口角をめいっぱい上げ、言った。「今回の俺の目的、それは『大切なモノが傷つく時、ヒトはどういう反応を見せるか』だ。それに興味があったから、動いていただけ。偽物もどきを退治したのは、事のついでに過ぎないんだよ」

「いつから」と、俺は平常心を意識しながら、訊ねる。「どのタイミングで、このシナリオを思い浮かべた?」

「思い付いたのは、パソコンをいじった後だな。最初に話を聞いた段階で、偽物の関与はないと推測できていた。その推測を確かなものにしようと思い、パソコンで調べたワケだが、確信を得ると同時にこのシナリオも思い浮かんだ」

 つまり、俺達はかなり最初の段階から、石楠花の手の平の上で踊らされていたワケだ。そして、椿は、特に弄ばれた。

 そのことが、無性に腹が立った。

「ききっ」俺が怒りをぶつけようとしたら、石楠花が笑った。「イイ顔だ」

「え?」

 俺は、突然顔を褒められ、間の抜けた声を出した。

「あんたの顔だよ」と石楠花は、俺の顔を指差した。「何も、ニット帽だけを実験体にさせてもらったワケじゃない。むしろ、あんたの方が関心は大きかった。天使という人外の存在が、果たして人間に感情移入しているのか」

「……え?」

 ちょっと冷静になろう。

 もしかして、俺が一番弄ばれた? んで、石楠花の反応から察するに、石楠花の好奇心を満たすような反応を、俺はしていたの?

 さっきまでのグツグツとした怒りの感情はどっか行って、急に恥ずかしくなった。

「ききっ。この瞬間、この場面を創り出すのにかなり神経削ったが、それだけする価値はあったな。あんたのさっきの俺を睨む眼、なかなかそそられた」

「……変態」

 悔しくて、そう言い返した。

 石楠花といるとロクな目に遭わない。この場を去ろう思い、俺は、飛びあがった。

 最後に、ちょっとした仕返しを思い付いた。

「でもさ、石楠花、今回良い人だったね」

 石楠花を見下ろしながら、俺は言った。

「あ?」

「結局、月曜の女の人も救ったし、殺人犯も自首させた。良い人じゃない」

「うるせえよ」石楠花は、不満そうに言った。やはり、石楠花は、誉めると嫌がる。「あれは、月曜が一番 人の気落ちする曜日だから、それでエサとして利用させてもらったんだよ」

「でも、土曜も日曜も、積極的に動いてくれたじゃん」

「っ…動いてねぇよ」石楠花にしては珍しく動揺し、声を大にした。「てか、忘れんなよ。俺は、あんたらのお仲間じゃない。今回は、俺の目的のついでに手ぇ貸したにすぎん。だから…あれだ、あんま調子こいてっと痛い目あわせるぞ」

「はいはい」

 なんか、勝った気分だ。思いがけない、偶然の勝利だが、気分は良くなった。

 椿たちには急用があるからと言ったけど、戻って、俺が榎ちゃんのエスコートしよっかな。そうだよ。俺、今回 榎ちゃんの護衛役だから、最後まで護衛しないと。もしかしたら、あのチキンが野蛮なオオカミになるかもしれないから、護らないと。

 いや、チキンだし、それはないかな。

「おい、浴衣の!聞いてんのか!」

 騒ぐ石楠花にバイバイと手を振り、俺はまた、さっき来た道を戻った。

 空を見上げると、いつの間にか月明かりの綺麗な夜になっていた。

「おいコラ!浴衣の!」 


後書きという名の言い訳。


石楠花の登場回を書いた時から、模倣犯と石楠花の対決は書くつもりでした。そんな小賢しい狙いで、あの話の最後が『ライフ・リセッターがまだいるの?』みたいな雰囲気で終わっています。しかし、いざ書いてみると、書いていてあんまり面白くなかったし、石楠花は私の中で強い敵 (とてもそうはみえないかもしれませんが)というイメージがあって追いつめられる姿が想像できなかったので、途中から変更しました。『失踪者』の話が出ているのに無関係だったのは、変更前の名残です。

変更後は、『復活したらしい(模倣犯の)ライフ・リセッターを倒そうとする傍ら、石楠花が敵のような動きをする』という話にしました。サブタイトルの?マークは、『ライフ・リセッターが復活して(その偽物と)また戦うの?』『それとも石楠花と戦うの?』という作者の葛藤です。楸も言っていたように、石楠花の好奇心は若干変態チックでもあります。

前にも触れたとおり、石楠花はすごく頭のいいキャラとして設定したのに、作者の頭レベルは低いのです。だから、彼の推理や行動に無茶があると感じられた場合、広い心で「そういうものか」と納得していただけると助かります。石楠花の発言にはいろいろ気を遣うというか、少しでも頭脳キャラに見えるように神経を削っています。だからか、お気に入りのキャラクターでもあります。


楸は、車に乗っているときもずっと、榎のそばにいました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ