表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
41/105

番外編 THE・残暑

なんと、作中では夏が終わりました。

まあ、時間の流れなんて気にしないでください。


 暦の上では、立秋を過ぎている。それなのに、まだまだ暑い日が続く。

 立秋を過ぎてなお暑さが残る事を、残暑というらしい。辞書で調べたので、確かだ。

 そして、残暑は、辛い。これは調べなくとも、肌で感じる、確かなことだ。

 立秋よりも前、つまり正当に暑い日、その時はそれほどまでに辛さを感じなかったはずだ。夏だから、暑いのは当然だ。暑くてだらけもするが、それも当然だ。暑いのは、辛い。全くもって、おかしな所は一つもない。

 が、しかし。夏を過ぎても暑い、これは反則ではなかろうか。

 我々は、夏だから仕方ないと、暑い日々を我慢してきた。それは、ひとえに暦が夏だと言っていたから、「ああ、夏だもの、仕方ないよ」と自分に言い聞かせ、鼓舞していたにすぎない。

 だが、もう暦は秋を告げているのだぞ。ならば、それ相応の気温にするべきではなかろうか。あれだけの酷暑であったにも関わらず、太陽は疲れ知らずのようで、これからがクライマックスだとでも言わんばかりの頑張りを見せている。

 要らぬ頑張りだ。誰も、応援なんぞしないぞ。

 だが、孤軍奮闘、太陽は頑張り、過ぎゆく夏への別れを惜しみ、夏の様な日々を作り続けている。

 だから、残暑だ。

 辛い夏を乗り越えたと思っていたのに、涼しい秋の季節が一向に来ないのであれば、それはもう、裏切られた気持ちも大きく、夏本番よりも暑さが辛く感じる。

 それが、残暑だ。

 そして、これは残暑に苦しむ者たちの、ある日の出来事を切りとった話だ。

 見るのも辛いかもしれない、辛さが伝染してしまうかもしれない。思い出したくもない残暑の苦い記憶が、不幸にもよみがえるかもしれない。

 が、全ては残暑のせいだと、割り切っていただきたい。



 楸は、残暑に苦しんでいた。

 いつ終わるとも分からない暑さに喘ぎながら、天使の館内の廊下を、高橋の部屋を目指し、懸命にその足を動かし続けている。

「あちぃ~。何でまだこんなに暑いの?フェアじゃないよ」

 楸は、高橋の部屋ならばエアコンが効いていて涼しいであろうから、そこまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせていた。もうすぐ、オアシスのような空間が待っている。ノルマも溜まっていないから、仕事なんかしなくていい。今日は、涼しい部屋で、一日中自堕落な生活を送ってやる。

 しかし、高橋の部屋に着いた時、楸を迎えたのは、オアシスではなかった。

 高橋の部屋は、閉め切られていた。が、それは涼しい空気を逃がさないようにする為にしているのではなく、ただ閉め切っているだけだった。部屋の扉を開けた瞬間、日差しによって暖められ、こもっていた空気が、逃げ場を見つけ出したように一斉に扉に向かい、結果として楸を襲った。

 熱気に満ちたムアッとした空気にたじろぎ、思わず、楸は扉を閉めた。

「んだこれ?超暑い」

 楸は、室内の有り得ない状況に驚き、同時に怒りも感じていた。「高橋さんは、何やってんだ?」と。

 とりあえず暑い空気だけでも逃がそうと考えた楸は、扉を開け、換気を試みる。

 空気を逃がしながら、楸は、室内の様子を見た。もしかして高橋さんは我慢大会でも開いているんじゃないか、と疑いながら。しかし、高橋は、そんなことはしていなかった。というか、高橋は、室内に居なかった。

 部屋は、単に主が不在だから、閉め切られているだけだった。

「あのオヤジ、何処行ったんだよ?」

 心待ちにしていたオアシスが無い事を上司のせいにし、楸は、それによって生じた怒りの矛先を、高橋に向けていた。

 が、建設的な思考により、楸はすぐに気持ちを切り替えていた。

「いいや。五十嵐さんのトコ行こっと。ちょうど録画してたドラマも見せてもらおうと思ってたし。アケミがあの後どうなるか、気になってたし」

 そう考えると、高橋の部屋で目的もなく、ただぐうたら過ごすよりは、五十嵐の所を訪れた方が有意義に思えてきた。

 楸は、部屋の扉を閉めた。「どんどん暑くなって、ここへ来た高橋さんを蒸し焼きにするがいいさ」と捨て台詞を吐いて、高橋の部屋をあとにした。


 また暑い廊下を歩き、次なる目的地、五十嵐の部屋へと、楸は来た。

 ここもまた暑かったら、どうしよう。次は、何処に行こうか。などと一抹の不安を覚えながら、楸は、扉のノブに手を掛ける。

 扉を開けた瞬間、楸を出迎えたのは、先程の様に日差しによって暖められた空気でもなければ、冷房によってひんやりと冷やされた空気でもなかった。開けたからといって、廊下と大差ない、もしかしたら少し涼しいかな、その程度の空気が、楸を出迎える。

 そして、空気よりも一瞬遅れ、五十嵐の声が楸を迎え入れる。

「よお、楸。おめえも涼んでいくか?」

「涼んでいくかって、たいして涼しくないですよ、この部屋」

 それより、と楸は思う。「おめえも」と言う事は、他にもここで涼んでいった者が居るということになる。それは誰だ、と思う間もなく、その人物が誰か、判明した。

 それは、高橋だった。

 高橋は、五十嵐とテーブルを挟んで向かい合うようにしてソファーに座っていた。いつもの黒いスーツは、ジャケットが無く、黒いシャツも腕まくりをし、だらしなく第二ボタンまで開けていて、厚い胸板が見え隠れしている。

 高橋は、楸のことを視認すると、「よお」と手を挙げた。

「何やってんですか?高橋さん」楸は、言いながら、高橋達の方へと歩み寄った。そして、二人の足元を見て、「ホント、何やってんですか?」と呆れた。

 テーブルの下には、家庭用のビニールプールがあった。それは、プールとしてあるべき姿、つまり水がたまっていて、高橋と五十嵐は、ズボンの裾をまくり上げ、足を水に浸していた。

「何って、涼を楽しんでんだよ」

 楸の疑問には、五十嵐が答えた。

 五十嵐の言う通り、オッサン二人は今、涼を楽しんでいる。これは先程も言ったが、家庭用プールに足を入れている。開け放たれた窓にぶら下げられた風鈴は、風に揺られて涼しげな音色を奏でている。二人とも、片方の手には団扇を持ち、もう片方の手では、将棋を指しながら、手持無沙汰になると、テーブルの上に山の様に盛られた枝豆に手を伸ばしている。まだ日も高いから一応我慢しているのだろが、おそらくもう少しすれば、ここにビールなどのアルコールが入ってくるだろう。

 二人は、涼を満喫していた。

「俺達おじさんの身体には、冷たい冷房の風はこたえるんだよ。だから、なるべくなら自然の涼しさをと求めた結果が、これだ」

 高橋が、誇らしげに語った。

「にしても、やりすぎでしょ」楸は、呆れていた。「仮にもここ、職場ですよ」

「と言うがな、楸よ」と反論したのは、五十嵐だ。「俺たちゃ、あのヒナ嬢に健康に気を遣うよう、お達し受けてんだ。つまり、これは命令なんだよ」

「どんな屁理屈ですか」

「屁理屈じゃねぇよ」と、高橋も援護する。「これはな、出来る男の流儀でもあるんだよ。仕事に真摯な姿勢を持っているからこそ、常にベストパフォーマンスをと思う。だから、俺達はこうやって身体をいたわり、次の仕事に備えているんだ」

「ホントですか?」

 楸は、まだ半信半疑ではあるが、高橋達の言う事を受け入れ始めていた。確かに、暑いからと言ってダラダラしているより、二人の様に全力で休み、仕事にも全力で向かっていく方が正しいように思い始めている。それに何より、涼を求めていた楸にとって、二人が羨ましくもあった。

 そして、この五十嵐の一言が、楸の揺れていた心を撃ち抜いた。

「まあ、楸。ごちゃごちゃ言ってねぇで、おめえも休んで行けよ。冷凍庫にアイス入ってるから、それ食っていいぞ」

「ホントですか?いただきまーす」

 これで残暑も乗り切れる、そう思った楸だった。

 しかし、三人はまだ知らない。近い未来、時間にすると数時間後、あまりのだらしなさに、偶然部屋を訪れた支部長から御叱りを受ける事になるのを。



 榎は、残暑に苦しんでいた。

 夏も終わるというのに、夏本番よりも暑いのでは、と錯覚してしまう位に暑い日々が続き、榎は辟易していた。

 しかし、暑いからと言って、だらけてばかりも居られないぞ、と自分を鼓舞し、榎は残暑を乗り切る方法を考えていた。

「今日は、バイトも入ってないし、何しようかな? ウチの中は暑いし…」

 考えるだけで、汗が滲んでくる。動いてもいないのに、これでは何もしたくなくなる。だまって家の中でゴロゴロし、効果が無いと分かっていても、小さなこの部屋から、この夏への未練の様な、はた迷惑な残暑に文句を言い連ねていても良いように思える。もしかすれば、ここから発せられる苦情が何処かに届き、涼しくなるかもしれない。

 榎の中にも、怠惰への甘えがあった。

 が、榎は「そうだ!図書館に行こう」と決めた。「図書館なら涼しいし、本を読んで、たまには知的な休日を過ごそう」

 榎は、このままではだらしなく恥ずかしいからと、簡単に身支度を整え、薄く化粧もし、無料で利用できる市立図書館へと向かった。


 外に出て、榎は後悔した。もしかしたら、自分の考えは間違っているのではないか、と。

 確かに、図書館は涼しいだろう。そこで、知的な休日を過ごす事も、選ぶ本の種類と読書をし続ける集中力にもよるが、まあ出来るだろう。だが、榎は、この図書館までの道中がある事を失念していた。がんがん照り続ける太陽と、じりじりと蓄えた熱を放出するアスファルト、この暑い外を歩かなければ、図書館へは行けないのだ。

 しかし、榎は歩みを止めはしない。

 一度外に出て歩き始めた以上、後戻りをする事は出来ない。そうしてしまえば、僅かでも歩いた労力が水泡に帰す事になる。それよりも、暑くても歩き続け、涼しい図書館へ行く事を、榎は選んだのだ。

 心が折れないように、オアシスたる図書館での快適な時間を想い浮かべながら歩いていると、榎の眼に、あるものが飛び込んできた。

 それは、人の姿だった。

「あれ?カイ君?」

「おっ!榎さん、今日も暑いすね」

「うん。そうだね」

 簡単なあいさつを交わした後、榎は、カイの格好に目を奪われた。それは別に、服装が周囲の目を引くほどに奇抜だというワケではない。ストレッチ素材の短パンに、ノースリーブのシャツという服装は、何もおかしくはないだろう。何故なら、カイは今、ランニングの最中だからだ。むしろ自然な服装だ。

「スゴイ汗だね」

 カイの全身から噴き出るように流れる汗を見て、榎は言った。

「まあ」カイは、特に息を切らす事もなく、手の平で額の汗を拭うと、言った。「ほら、今日も暑いじゃないすか。もう、家ん中ただ居るだけなのに汗かくくらい」

 不快さを露わにした顔をして言うカイに、榎は「そうだよね」と同意した。

「で、俺、思ったんすよ。汗が止まらない事を鬱陶しいと嘆くより、どうせなら中途半端に汗かかないで、思いっきり汗かいてやろう、って」

 なるほど、と榎は思った。確かに、積極的に動いて汗をかいた方が、気持ちイイのかもしれない。実際、目の前に居るカイは、どこか快適さを思わせる。走った方が涼しいのかもしれない。

 榎が、「すごいね」と感心していると、さらにカイは言った。

「しかもすよ。ダラダラベトベトしてた汗も、走って思いっきり出せば、サラサラに感じてくるし、けっこう簡単に渇くんすよ」そして、「しかも!」とカイは一際大きな声を出した。「最初より、汗かく量が減ったんすよ」

「えっ?」

「簡単なことだったんすね。汗かくのが嫌なら、全部出しゃよかったんすよ」

 カイは、これぞ名案だ、とでも言いたそうな口ぶりだが、榎は心配していた。細かい事は分からないが、少なくとも、それって脱水症状になるんじゃ、ということぐらいは理解できていた。

 しかし、榎が何か忠告してやろうとするよりも早く、カイは「じゃ、俺そろそろ行くんで」と言って、止めていた足を動かし始めた。「二時間くらい走ったせいか、腹も減ってきて、ちょっとフラフラしてきたんで帰るっす」

 それ、やばいよ。榎は、心の中で思ったが、口にはしなかった。元気をたぎらせるカイを前に、もしかしたら自分の知識が間違っているのかもしれない、運動しているカイの方が正しいのかもしれない、と考え始めてしまったからだ。それに、帰ると言っているから大丈夫だろうと、心のどこかで安心していたのかもしれない。

 榎が何か言おうかと悩んでいたら、すでにカイは走り出していた。

 これがラストスパートだ、とでも言わんばかりのその走りは、榎の心配を何処かへ吹き飛ばしてくれそうだった。

「うん。私は、図書館行こう」

 榎は、カイの真似は出来ないし、やらない、と結論付け、図書館へと急いだ。



 椿は、残暑に苦しんでいた。

 夏も暑かったのに、今もまだ暑い。夏の分の疲れもまだ残っているし、余計に身体が悲鳴を上げている。喉が渇くが、飲むと汗が出る。しかし、飲まないとやってられない。けど、汗うぜぇ。

 どうにもならない暑さに苦しみながら、椿は、動く気にもなれず、ただ自室で本を読んでいた。

 と言っても、図書館で借りて来るような文学ではなく、マンガが数本掲載している週刊誌だ。しかし、椿にはそれでいいのだ。難しい本は、余計な熱を発生させ、頭がショートしてしまうから。

 麦茶の入ったボトルと氷の入ったコップをお盆に載せ、自身の周囲に週刊誌をまとめておき、椿は、読書をして過ごしていた。

 まだ頑張り続ける蝉の音をBGMに、読書を続けていたら、ケータイに着信があった。蝉の音と張り合うように鳴るケータイはまるで、早く出ろよ、と椿を急かしているようだ。が、椿の反応は鈍い。それは、動きが緩慢なだけでなく、無駄も多いからだ。ケータイが鳴っている事に気付いた椿は、一度週刊誌を置き、ケータイに手を伸ばしたのだが、そこである事に気付いた。

 それは、「指黒っ」だ。

 結露により表面に水滴が付いたコップで麦茶を飲めば、自然、手も濡れる。一応は手を服で拭ったつもりでも、指は確かに湿っていた。その手で週刊誌を持とうものなら、当然インクが落ち、指を黒く汚してしまっていたのだ。

 椿は、ケータイが鳴り続けるのを放置し、指をこすり合わせ、インクの汚れを落としにかかった。が、すぐに「っせぇな」とケータイの着信音が気になり、指に付いたインクも軽く落とせた事だしと自分を納得させ、電話に出た。

「はい。もしもし」

『あ、椿くん?俺だよ、俺。そう俺 俺。俺だよ、十六夜だよ』

 ケータイからは、幼馴染の無駄に元気な声が聞こえて来た。

 椿は、幼馴染からの電話を鬱陶しく感じたが、相手が相手だし、いちいち腹を立てるのもバカ臭い、と自分をなだめた。一度大きく息を吐き出し、やんわりとツッコミを入れる。

「あのよ、十六夜。それすんなら、まず名前隠せよ。つーか、俺の名前も出してるし。関係性とか偽る気、さらさらねぇじゃねぇかよ」

『椿君…はぁ~』電話の向こうで、十六夜が盛大な溜め息をついた。『僕はね、別に詐欺をしたいワケじゃないんですよ。それなのに、ご丁寧にやり方を伝授されると、なんか幻滅です。椿君、いつからそんな詐欺師の道に堕ちたのか、って』

 椿は、電話を切った。

 しかし、またすぐ、電話が掛かってきた。

「んだよ!」と、電話に出てすぐ、椿は怒りをぶつける。

『切ること無いじゃないですか』と、十六夜もやや怒りを滲ませている。『こっちは用があって電話したっていうのに』

「だったらさっさと用件だけ言えよ」

『はいな』快活な返事をすると、十六夜は言った。『あのですね、僕、この前スイカの名産地に行ったのですよ。友達が出来たからとかじゃなく、なんとなくですね』

「へえ~」

『はい。まぁ今の嘘なんですけど』

「嘘かよ!」

 と椿は怒鳴ったが、平然と、十六夜は続ける。

『それにしても椿君。テレビ電話出来る?』

「それにしてもの使い方おかしいだろ。…テレビ電話は、出来ると思う」

『ホントに!』十六夜の嬉しそうな声が聞こえ、椿は顔をしかめた。『でしたら、折り入ってお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?実はですね』

「おい、まだ承諾してねぇよ」と言う椿を無視し、十六夜は続ける。

『スイカ割りの指示を、椿君にはお願いしたいんですよ』

「スイカ割りの指示ぃ?」

『うん。実はですね、今僕の目の前に、スイカの名産地かどうか、産地は分からないんですけど、スイカが一玉あります。あと、修学旅行で買った記憶もないのに、木刀〝正宗″もあります』

「何であんだよ?」

『目の前に、スイカと木刀。これはもう、スイカ割りをしろってことじゃないでしょうか?』

「いや、知らねえけど…」

『だから、これから僕は、スイカ割りします。そして、指示を出してもらう人が必要になったワケなのですが、そこはもう、僕には素敵な友人が居たじゃないかよ、おいこら』

「いや、知らねえけど…。つーか、指示出すのは別にいいが、呼べよ。電話じゃなくよぉ」

『いえいえ。わざわざスイカを割るのに、そこまで御足労願うのは忍びない。電話でいいですよ』

「いや、呼べよ。忍びなくねえよ」

『それじゃあ、またかけ直しますね。今度は、テレビ電話で』

「人の話聞けよ!」

 椿の怒りの苦情は、十六夜の耳には届かなかった。いつの間にか、ツーツーという電子音が椿の耳に入るだけで、十六夜はすでに電話を切っていたのだ。


 十六夜のマイペースさにうんざりしながらも、椿は電話が掛かってくるのを待っていた。

 電話を切った時、てっきりすぐまた掛けてくると、椿は思っていた。しかし、ケータイは、先程放置して鳴かせ続けた事に不満を抱き、拗ねてしまったのか、うんともすんとも言わない。が、これはケータイが拗ねたのではない事くらい、椿は分かっている。たぶん十六夜が、割った時にスイカが汚れないように、外にビニルシートを敷いたり、目を隠す為のタオルを用意したりと、スイカ割りをする為の準備をしているのだろう。

 実際、十六夜は、スイカ割りの準備をしていた。楽しみにしている椿を待たせては申し訳ないと急ぎ、十分少々で準備を終えた。

 そして準備が終わると、十六夜は、椿に電話を掛けた。

『もしもし椿君?ちゃんと見えてる?』

「ああ。お前の耳が、暗いけど見えてるよ。つーか、テレビ電話なんだから、耳にあてんなよ」

 椿の注意を受け、『それもそうか』と十六夜は、顔からケータイを離した。『ちょっと待ってて。今、向きを合わせるから』

 十六夜は、ケータイを途中まで折ると、テーブルの上に乗せた。スイカ割りの様子全体が見えるように、カメラの向きを合わせるためだ。

『斜角よーし。方角、六時の方向にぃ!』

 十六夜、楽しそうだな。そう呆れながらも、椿はケータイの画面に目を落としていた。

『椿君。だいたい見えそう?』

「ああ。つーか、室内でやんのか?」

 ケータイの画面には、十六夜の部屋が映し出されていた。普段の物が散らかった床は、綺麗とは言い難いが、それなりに片付いていて、画面の右端には、ビニールの袋に入ったスイカがある。十六夜は、木刀を右手に持ち、左手を振っていた。

『もちろん。中でやるよ』

 十六夜は平然と言うので、椿はもう「あっそ」としか言えなかった。

『それじゃ、行くよ』

 十六夜は、タオルで目を隠すと、床に突き立てた木刀に額をつけ、くるくると回転し始めた。十回くらい周り、程良く三半規管に影響が出ると、十六夜は、木刀を構えた。『椿君。指示を!』

「いや、指示出すけどさ…お前、それでいいのか?」椿は、十六夜の構えに疑問を持った。十六夜は、木刀をまるで納刀状態から居合でも放つかのように、腰の位置で構えていた。「普通、正面の中段に構えるか、上段じゃね?」

『そうかもしれないけどね、椿君』と十六夜は、諭すような口ぶりだ。『室内で普通に木刀を振りまわしたら、天井にぶつかるじゃないですか。だから、この構えですよ』

「そういうかもしれないけどな、十六夜。だったら外でやれよ」

『でもさ、椿君。居合の方が鞘走りする効果があるとかで、より速く一撃を入れれるって言うよ』

「スイカ割りで速さ要らねえだろ。つーか、鞘の無い木刀で何言ってんだ」

『もう、ぐちぐちうるさい。いいから、早く指示を』

 十六夜がじっれたそうに言うと、椿も、もうどうでもいいか、とつっこむ事をやめた。

 そして、椿は、十六夜のスイカ割りに付き合い、指示を出した。

「まず、回れ右だ。回り過ぎだ。左向け左。違う、元に戻ってどうすんだよ。また回れ右だ。そしてら、ゆっくり前に進め。速ぇよ、スイカ通り越してんぞ。戻れ、だいたい五時の方角だ。何悩んでんだよ?さっきお前も使ってたじゃねえかよ。右斜め後ろだ。もうちょい。そう、そこ!」

 椿の指示を頼りに、十六夜は、木刀を振った。

「『やった!』」

 十六夜の木刀は、しっかりとスイカを捉えていた。木刀だから真っ二つとはいかないが、それでも、ちゃんと割る事は出来た。

 嬉しそうに割れたスイカを見る十六夜を見て、椿も、自分が達成感を持っている事に気付いた。デタラメであったが、いや、デタラメだからこそ、達成感があるのだと、椿は思った。

『椿君!』

 カメラの前に立ち、十六夜は言った。

「あ?」

『今さ、ウチに誰もいないんだ。でさ、僕も一個は食べきれないし、良かったら椿君、食べに来ない?僕が割ったスイカを食べに』

 だったら最初っから呼べよ。そう思ったが、テレビ電話を通してやるスイカ割りも、これはこれで達成感があり、椿も満足していた。だから、本来ならば怒るだろうが、椿は「おう!すぐ行く」とご機嫌で応えていた。

『ついでにさ、僕 お昼まだなんだけど、そうめんを湯がこうと思っているんだ。椿君、流してくれない?セットは作ったから』

「……お前、夏満喫し過ぎだろ…」



 柊は、残暑に苦しんでいた。

 しかし、暑いからと言ってだらけてばかりいると、暑さに負けた気がして悔しい。

 柊は、夏バテもしたくないし、残暑の理不尽さにも屈したくない。暑さに負ける様な、弱い自分は嫌いだからだ。だから、毅然とした態度を崩さない。

 が、暑いものは暑い。

 本当ならば、榎でも誘ってプールや海の様な涼しい所に行きたい。が、柊は、水着になることに、拒絶こそしないが、若干抵抗がある。スタイルに自信が無いからだ。知らない人が大勢いるプールや海の様な場所は、行きたいが、行けないのだ。視覚防壁でも張って姿を隠せば済むような問題でもあるのだが、それでは榎と一緒に楽しめない。それでは、寂しい。

 涼しい場所を探すのも良いが、柊は、手っ取り早くお手軽に、髪型を変えることにした。

 いつもはおろしている、肩よりも長い白髪を、ポニーテールの様にして結んでいた。

「あら、柊ちゃん」

 天使の館内の廊下を歩いていたら、柊は声を掛けられた。

「あ、ヒナさん。こんにちは」

「こんにちは」雛罌粟は、柊の挨拶に穏やかな雰囲気を持って応えると、柊の髪に目を留めた。「その髪型、似合ってるわね」

「ホントですか?」

 誉められ、柊は顔を明るくした。

 柊としては、ポニーテールは特別変わった髪型ではない。仕事をする時やちょっとした作業時には、わりと良くやる髪型だからだ。しかし、ちょうど柊がポニーテールの様にする時、雛罌粟はその場に居合わせない事が多い。だから、柊にとっては普通でも、雛罌粟にとっては新鮮だったのだ。

 しかし、柊にとっては特別じゃない普通なことであっても、褒められれば嬉しい。

「あの…ちょっと暑かったからですね、首出して風通り良くしたかったんですよ」

 と、首筋を撫でて、柊は訊かれてもいないのに、この髪型にした理由を説明した。それは、恥ずかしさからくる、照れ隠しの様なものだったのだが、それがアダとなった。

「だったら、もっと別の髪型にしてみない?」

「……はい?」

 今の髪型に特別なこだわりが無い事を知ると、雛罌粟は、目を輝かせた。

「柊ちゃん可愛いから、もっと別な髪型も色々見てみたいの。ねっ、お願い」

 それは、可愛い着せ替え人形があるから遊びたい、と言っているようにも聞こえた。しかし、柊は、あまりの雛罌粟の勢いに気圧され、断る事が出来ず、つい「はい…」と気の無い返事ではあるが、了承してしまった。


 雛罌粟の職場である医務室にて、これもいい、あれもいい、と柊の髪型が次々と変えられていた。柊も、最初は、自分の変化を楽しむだけの余裕があった。楽しむ余裕を持てるだけ、雛罌粟の技術が確かだという事もあるが、それ以上に、柊も女の子だったのだ。普段は面倒くさいからとしない事でも、たとえそれが髪型だけであっても、いつもと違う新鮮な自分を発見できるようで、楽しかった。

 しかし、余裕は長くは続かなかった。柊以上に楽しむ雛罌粟は、柊の髪の毛をいじるだけでは飽き足らず、ショートヘアーやウェーブのかかった物など、様々なウィッグにも手を出した。仕舞には、「服も変えてみない?」と言いだした。着せ替え人形よろしく、めまぐるしいほどに雛罌粟の手によって変化を続けた柊は、すっかり疲弊していた。

「いや、もういいです」

 やっと言えた。やっと解放される。雛罌粟には悪いが、柊は安堵していた。

 雛罌粟は、やや物足りなさを感じていたが、柊の顔に疲労の色が浮かんでいる事にも気付いたので、終わりを告げた。

「じゃあ、最後に…この髪型にさせてね」

 と言って。


「嫌です!離してください」

 柊は、抵抗していた。

「何でよ?せっかく可愛くしたのだから、楸君か高橋さんに見てもらいましょうよ」

 柊の悲鳴のような声とは対照的に、雛罌粟の声は弾んでいた。

 柊は、必死に抵抗をしているが、雛罌粟に手を掴まれ、引きずられていた。雛罌粟が柊を引きずっている理由は、雛罌粟の言に出ているように、柊の髪型が変わったのを見てもらう為だ。柊は、それが嫌で、抵抗している。

 しかし、柊の抵抗むなしく、二人は高橋の部屋の前にまで来ていた。

「高橋さん、居ますか?」

 雛罌粟は、ドアをノックし、返事を待たずにドアを開けた。

 柊は、初めて高橋が居ないことを願ったのだが、高橋はいた。ついでに、楸もいた。

 雛罌粟の声が聞こえ、返事を待たずに入ってきたのを見ると、高橋は、露骨に嫌そうな顔をした。

「不在だ。帰れ」

「居るじゃないですか」ぞんざいな扱いを受け、雛罌粟もつい声を大にする。

「不在だよ。俺の心は、今不在なんだ。お前の様な腐れ酒泥棒を歓迎するような心は、たぶん永遠に不在だろうな」

「何ワケの分からない事言ってるのですか!というか、いつまで根に持っているのです。もとはと言えば、ばかばか酒ばっかり呑むあなたに問題があるのですよ」

 雛罌粟は、高橋への不満をぶちまけた。が、椅子にふんぞり返る高橋を見ていると、暖簾に腕押しだ、と思えてきて、雛罌粟は溜め息をついた。

「用が済んだら帰れ」

 と高橋に言われ、ムッとしたが、それも飲み込んだ。

「まだ済んでいません。今日は、見てもらいたいものがあって来たのです」

 雛罌粟の言葉に、初めて高橋も「見てもらいたいもの?」と興味を示した。ついでに言うと、来客用ソファーでアメを舐めていた楸も、興味を示し、入口に立つ雛罌粟の方を見た。

「くくっ。何だよ?まさか、禁酒促進用のVでも作ったか?」

「違います。作ってもどうせ観ないでしょうに」

「くくっ。そんな事はない。じっくり形を見て、飛びそうだと思ったらフリスビーの代わりに使わせてもらう」

 高橋の口ぶりに、雛罌粟はまたイラッとしたが、我慢した。

「そうじゃなく、見てもらいたいのは、柊ちゃんの事です」

「柊?」予想外の名前が出て、高橋は興味を強くした。楸も、首を伸ばした。「柊が、どうしたってんだよ?」

「いいから、まず見てくださいよ」そう言うと、雛罌粟は、扉の外に控える柊を呼んだ。が、柊は出てこない。「やっぱり無理です!」という声だけが返って来るので、雛罌粟は一度部屋を出て、柊を無理やりにでも部屋に入れる事にした。「大丈夫。可愛いから」

「無理ですぅ!」

 しかし、というかやはり、柊の抵抗は意味を成さない。

 柊は、雛罌粟に背中を押され、部屋に入った。

 柊のいつもと違う髪型を見て、まず真っ先に反応を示したのは、楸だった。

「ぷはっ!」と噴き出すと「どうしたの、柊。その頭」と笑った。

「うるさい!黙れ!」

 柊は、涙目で凄んだ。

 いつもと違う柊に一瞬驚いた高橋だったが、にやりと口角を上げ、柊のことを見つめた。

 柊は、いつも髪を縛るなら、ポニーテールか別の、なんにせよ一つに結ぶ。しかし、今の柊は、髪を二つに結んでいた。高い位置で結ぶ、ツインテールというやつだ。雛罌粟は「可愛い」と太鼓判を押してくれたが、柊は、ただただ恥ずかしかった。ツインテールは、幼い子供がやる髪型だと思っていたし、鏡に映る自分も、変に幼く感じたからだ。

 だから、抵抗していた。

 予想通り、楸には笑われた。これで高橋にも笑われたら、かなりへこむ。

 ここから消えたいという気持ちを抱えながら、柊は、高橋の反応を待った。

「くくっ。それ、ヒナにやられたのか?」

 高橋に訊かれ。柊は元気なく「…はい」と頷く。

「くくっ。柊、可愛いぞ。どっか幼い感じもするが、まあ、悪くないと思う」

 高橋としては、それが精一杯の賛辞だった。下手なことは言えないし、とりあえず誉めておけば、後で柊が本当は気に入っていないと分かっても、雛罌粟のせいにできる。そう思っての発言だった。

 もしかしたら反感を買うかもしれないと思っていたが、それは高橋の杞憂に終わった。

 高橋に「可愛い」と言われ、柊の気持ちは絶頂にあった。楸の嘲笑も耳に入らないほど、柊の気持ちは高ぶっている。

「高橋さん。これ、似合ってます?」

「ん?おお。似合ってると思うぞ。可愛い」

 柊は、頬を紅潮させた。

 もはや残暑なんて気にならないほどに、柊の体温は高くなっていたという。 


カイがやったことは、本当に危険なことなので真似しないでください。私も以前、初夏の頃に汗を出し切ろうという目標を持って走り続けていたら、くらっと眩暈がしました。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ