番外編 榎のお友達のあの方が来てくれました
「嫌だっつってんだろ!」
「なんでよ!いいじゃん」
榎は、自宅であるアパートの一室にて、ささやかながらケンカをしていた。
誰と?
リスと。
リスは、本来ならば可愛い。実際今も普通の人には、このリスが少しじたばた暴れているようにしか映らないだろう。それは、何を言っているか分からず、「あぁ、もしかしたらお腹が空いているのかな?」等の様に、微笑ましい想像をするからこそ、人間の勝手な主観としてリスが可愛くなる。
しかし、現実は甘くない。
このリスは、今 お腹は満ちている。さっきドングリをたらふく食べ、クルミも食べ、今もその頬袋に非常食としてドングリを隠し持っている位だ。お腹が空いていないリスは、「いくねぇよ!俺にも決定権ってモノがあるし、それに、何でネェちゃんに決められなきゃなんねんだよ」と、榎の言葉に強く反論し、トストスと地団太を踏み、怒りを露わにしていた。
では、何をそんなに暴れる事があるのか?何故、榎とケンカしているのか?
少し時間を遡ってみよう。
その日、榎はバイト先から帰っている道中、夕焼けが綺麗だな、と目を細めながら沈んでいく太陽を見ていた。そしたら、赤い風景の中に小さなシルエットを見付けた。そのシルエットが何か、良く目を凝らして見ると、いつだかに会って仲良くなったリスだった。
リスは、「あ~疲れた」とぼやきながら、背を丸め、石塀の上を二足でテトテト歩いていた。榎の先を行くリスのその足取りは重く、歩幅が何十倍にも違う事を差し引いても、榎は走らずともすぐに追いつく事が出来た。
「リ~スさん」
と榎は、リスに追い付くと、先に回るでもなく、後ろから包むようにして捕まえた。それは、リスを見つけた事の嬉しさから〝思わず″してしまった事で、やってしまってから、榎の頭の中に「もし、リス違いだったらどうしよう?」という不安がよぎったが、それは杞憂であった。
全てのリスが似たような性格でなく、榎の知り合いのリスだけが少し変わっていて可愛げが足りない、という前提ではあるが、「何しやがる!」と暴れるその様、その声は、榎の知っているあのリスのものであった。
榎の手の内で暴れるリスは、突然の事に取り乱していた。自然に生きる者としての防衛本能も相俟って、冷静に周りを見ることが出来ないでいる。だから、榎は「わ、私だよ」と慌てて声を掛け、リスを落ち着かせる。
「っ!んだよ、ネェちゃんか…」
冷静さを取り戻したリスは、喜びの笑顔を浮かべる榎とは違い、偶然会えたというのに、どこか素っ気ない。それは別に、榎と会えた事が嫌なワケではなく、いきなり捕まれた事が気に食わないからであり、「で、何だよ?つーか、いきなりは止めろよ」と不満を隠す事もなく、榎に打ち明けた。
「ごめんね」と榎は、笑顔ではあるが、一応謝罪をする。すれば、心の広いリスは、「いいぜ。まぁ気にするな」とすぐに機嫌を直してくれた。
リスも落ち着き、機嫌を直した事だしと、榎はリスを改めて手の平の上に乗せた。今度はリスも、何も文句を言うことなく、黙って榎の手の平に腰を下ろした。
「で、何だよ?俺になんか用か?」リスは、もう一度榎に訊ねた。が、言ってすぐ、リスの頭には、ある事が閃いた。「もしかして、頼んでた赤Tシャツ、手に入ったのか?」
リスは、期待を胸に、上半身を乗り出すようにして榎に以前頼んでいた要件について訊いた。
しかし、榎の回答は、リスの期待を裏切るものだった。「ううん。まだ」
「は?」リスの顔に、若干の怒りが浮かんだ。
「特に用はないんだ。Tシャツもまだだし」
「じゃなんで?」
リスは訊いた。もし、その回答が自分の意にそぐわないものだったら、ドングリをぶつけてやろうと暗に想いながら。
そうとも知らず、榎は「なんとなく」と答えてしまった。
そして直後、榎のオデコに衝撃走る。
「痛っ!ちょ、やめてよ」
「うるせえ。人のこと驚かしやがって、その理由が何となくだとぉ?ふざけんなぁ!」
リスの怒りは、そのままドングリを通して榎に伝わる。はずなのだが、いかんせんリスは非力だ。リスの激しい怒りの感情は、十分の一も伝わらず、榎も痛がっているが、心底痛いと思っているワケではなく、どちらかと言えばくすぐったかった。
そして、疲れるのは当然リスだ。
「はぁ~」
口の中にあったドングリを使っての攻撃は、非常食が減る一方なのにさしたる成果は見込めず、疲労感だけが残った。リスは盛大に息を吐き出すと、榎の手の平の上にグデェ~っと横になった。
「ちょ、ネェちゃん」
「ん?なあに?」
「わりんだけど、落ちたドングリ拾ってくんねぇかな。出来れば、口の中に戻してくれると助かる」
リスのその要求に、榎は戸惑った。果たして、一度地面に落ちた食べ物をまた口の中に入れてもいいものなのか、と。しかし、そこは少し長めの三秒ルールが適用されたと思えばいい。それに、おそらくリスが拾った時も、ドングリは地面に落ちていたはずだ。それらに気付くと、榎には断る理由が無くなった。
「うん。いいよ」
榎は言うと、一旦リスを自身の頭上に乗せ、地面に散らばったドングリを拾い集めた。投げた事によって散らばったとはいえ、そこはさすがにコントロール抜群のリスが投げた事もあって、ドングリは全て榎のオデコに命中していたので、何処かへ逸れて飛んで行く事もなく、全て榎の足元に転がっていた。
そして全てを手中に収め、拾い残しが無いか辺りを確認すると、榎はドングリに付いているかもしれない汚れをふーっと息を掛けて吹き飛ばした。目立った汚れも無いようなので、榎はリスを頭の上から下ろし、再び手の平に乗せ、ドングリを返した。
一個ずつ、リスは口の中にドングリを戻してもらう。ポカンと開けたリスの口の中にドングリを入れる作業は、まるでヒナ鳥に餌をやる母鳥のようだった。
ドングリが全て口の中に戻ると、リスは頭を下げた。
「ありがとな、ネェちゃん」
「どういたしまして」
ドングリも口に戻り、若干の気だるさは残ったが、器の大きいリスは、それで先程の蛮行とも呼ぶべき榎の挨拶の仕方を許すことにした。
さしたる用事も無いのに突然捕まえてしまった手前、榎は何か話題はないか探した。さすがにこのまま向かい合っているだけでは、間が持たない。なので、何か言おうと思ったのだが、リスの方が先に口を開いた。
「なぁ、ネェちゃん」
「なに?」
「今更なんだがよ、俺と普通に会話してて大丈夫か?誰が何処で疑惑の目を向けてるとも限らねぇぞ」
気になった疑問を、リスはそのままぶつけた。
榎は、ある力を持っている為、動物と話が出来る。しかし、当然他の者は、動物と会話なんてできない。すると、そこに認識の差が生まれ、大多数の自分たちこそが普通だと思っている者は、少数派であり普通なら有り得ない事をさも当り前にしている榎のことを気味悪がるか嘲笑し、差別する。
つまり、今のこの状況こそ、榎が大多数の人間から言われの無い差別を受けかねない原因を作っているのだ。
心の大きな優しいリスは、最初に遭った時もそうだったが、今も、榎の事が心配なのだ。しかし、それを大っぴらに表に出す事はしない。
「えへへ。ありがと」
小さなリスが隠した優しさを、榎は見逃さなかった。
「はあ?何が?」
「私の事、心配してくれたんだよね」
榎に笑顔を向けられ、気恥ずかしさから動揺の色を浮かべたリスは、「別にぃ~。んなことねぇし」と誤魔化しにかかった。照れているのだ。
「ねえ。私、この後暇なんだ。もっとお話したいし、よかったら今日もウチ来ない?」
榎にそう誘われると、忙しなくキョロキョロと動かしていた首を止め、リスは榎の事を凝視した。あまりにも真っ直ぐに見つめられるものだから、榎は「何か不都合でもあるのかな?」と心の中で疑問を発した。
榎が首をかしげていると、リスはようやっと口を開いた。
「ネェちゃん、そうやってすぐ男を家に連れ込むのか?あまり感心できんぜ」
「なっ!」リスが抱いていた感情は、榎への軽蔑だった。予想外の事に榎は戸惑い、「違うよ!そんな事してないもん。てゆうか、リスさんも男にカウントされるの?」と必死に弁解の言葉を並べた。
「バッカやろぅ。俺だって男だぜ。オスもみんな男なの。そんでオオカミなのよ」
「……リスじゃん」
「はいぃ?」
リスは、歌舞伎役者よろしく、顔をしかめて榎の言葉に噛みついた。
「とにかく!」と榎は、リスの誤解を解こうとした。「私は、すぐに男の人を家に連れ込むようなことはしません」
榎の弁解を聞き、少し考える間を開けてから、リスは「わぁったよ」と理解を示した。
「ネェちゃんは、すぐに男を家にあげる尻軽女じゃない。それに良く考えたら、ネェちゃん、男の知り合いも少ないだろうしな」
「あ、ひどい。勝手に決めつけないでよ」
「でも、多くはないだろ?」
「う、うん」
「それに、数少ない男の中には、例の玉無しもいるときた。考えてみりゃ、俺が邪推するようなこと、あるワケ無いんだ」
リスが自分で言うほどの邪推とは如何様なものか、榎にはわかるはずもない。しかし、何となく侮辱された気はした。が、リスの言っている事自体は、何も間違っていない。せめて椿の玉無しという呼ばれ方だけでも注意しようと思ったが、それもやめ、語気を強めて「そうだよ。私は、仲の良い友達しか呼びません」とリスの言葉に同調し、この一連の話に切りを付けた。
「それじゃあ、俺様はその『仲の良い友達』とやらに入っているのか?」
「うん。ダメ?」
「いや、良いけど…」
リスは、若干頬に朱色を混ぜながら、照れ臭そうに言った。
そして、「んじゃ、ここでくっちゃべってるのもバカくせえし、ネェちゃんチに行くか」と言って、榎の手の平の上から腕、肩と渡り、最終的に頭の上に落ち着いた。そこから、榎の髪を引っ張って、先を行くように促した。
榎は、家に着くと、リスに適当にくつろぐように言い、自分はお茶菓子などを用意して来客への対応を始めた。リスには小皿に水、自分にはコップに麦茶、それとお菓子を入れた器をお盆に載せ、リスがくつろいで待っているリビングに入る。
「お待たせしました」
「おう。悪いな。どうぞお構いなく」
リスは口だけそう言い、身体は既に茶菓子へと向かっていた。待っていましたと言わんばかりに飛びついたリスだが、器の中に入っているモノを見て、固まった。
「あ、それね」硬直したリスを見て、榎は器の中のものを説明する。「今度いつキミが来ても良いように、スーパーでクルミを買ってあったんだ」
榎の言う通り、器の中には、スーパーで売っている すぐにクルミ餅や白和えなどに使えるよう殻を剥いた状態のクルミが器いっぱいに入れられていた。
榎としては、リスの食べ物として真っ先にクルミが浮かび、親切心から用意した物なのだが、リスの反応は微妙だった。すぐにがっつくかと思ったのに、歓迎されてすらいない雰囲気もある。何でだろう?もしかしてお腹いっぱいなのかな?榎は不思議に思ったが、すぐに理由が判明した。
「かりんとうは?」リスは言った。
「え?」
「だから、かりんとうだよ、かりんとう」
リスは、かりんとうを所望していた。
以前最初にリスが榎の家に来た時、榎はクルミの類を切らしていたので、申し訳なさから もしよかったらという気持ちで、代わりにかりんとうを茶菓子として出していた。そしてなんと、その代用策として出したかりんとうだが、リスはそれをいたく気に入っていた。
だから、また榎の所を訪れれば あの美味しいかりんとうを食べられる、とリスは思っていたのだ。が…。
「でも、ああいう甘いお菓子は、たぶん動物の身体には悪いから。だから、今日はクルミにしとこ?」
榎も、リスの事を慮って、かりんとうを出す気はないようだ。
諭すように眉を下げ、首を傾けている榎の顔を、リスはまっすぐに見た。ここで駄々をこねることは容易だ。文句をつらつらと並べ、粘り続ければ、榎の方が先に折れることもあり得るかもしれない。
しかし、リスはそんなことしない。
榎が自分の事を想って用意してくれたクルミだ。その気持ちを無下にする事は、リスには出来ない。それだけ、リスの器は大きく、立派なのだ。
だからリスは、しぶしぶ「まあいいや。ありがとうよ」と礼を言うと、一旦口の中に入れていたドングリを取り出し、榎の用意してくれたクルミを食べた。「うん。これも、なかなかだな」
「ホント?良かったぁ」
榎の喜ぶ顔を見られて、リスもこれで良かったのだと、自分に言い聞かせた。
しばらくは他愛もない話をしていた。主に、リスが身近で起こった自然の話をして、榎はそれを興味津々に聞いていた。人間とはまた違う視点で生きるリスの話は、榎のことをずっと飽きさせることが無い位、興味深く面白い物だった。
弾む会話の途中、話の区切りが一つついた所で、今度は榎が自分から「そういえばさ」と話題を持ち出した。
「ん?なんだ?」
「リスさんの名前、考えたんだけど…」榎は、以前考えたリスの名前を言おうとした。が、リスの反応は、「は?名前?」と歓迎している風ではない。しかし、それを戸惑いであり拒否ではないと判断した榎は、命名することに緊張し、恥ずかしさも相俟ってモジモジしてしまう。とはいえ、ここまで言っておいて、何も無かった事には出来ない。意を決し、榎は言う。
「うん。あのね…アマリリスってどうかな?」
「アマリリスぅ?」
リスは、榎の考えた名前を復唱し、眉間に皺を作った。
リスの反応が変わらず良くない事を察し、榎は、慌てて言い訳するように、「ほら、リスさんって、あんまり普通のリスっぽくないでしょ。意外と怒りっぽいっていうか、無邪気な可愛らしさが少ないっていうか、なんていうか、とにかくちょっとイメージと違ったの。だから、あんまりリスっぽくないから、アマリリス。ね?」と名前の由来を説明した。
しかし、その説明を聞いて、「ああ、なるほど」とはいかなかった。むしろ、リスを怒らせる事になった。
「あんだよ それ!ネェちゃんのイメージなんて知るかよ!俺様は、生まれた時からこうなんだよ。生まれた時からずっと誇り高いリスだ。それをネェちゃんのイメージと違うからアマリリスだぁ?ふざけんな!」
リスは、一気に怒りをぶちまけ、榎に器から一つ掴んだクルミを投げつけた。
「痛っ。なんでよ、いいじゃん。可愛いよ」と怯む事無く、榎はリスに名付けようとする。
「可愛いって何だよ?俺ぁオスだぞ!嫌だっつってんだろ!」
「なんでよ!いいじゃん」
「いくねぇよ!俺にも決定権ってモンがあるし、それに、そもそも何でネェちゃんに決められなきゃなんねんだよ」
一向に承服する様子を見せないリスの言葉を聞き、榎は、少しでも場が好転することを見込み、もしかすれば譲歩する時の判断材料になるかもしれないからと、「じゃあ、リスさんの名前は何て言うの?」と訊ねた。
「あ?名前なんて特にねぇよ。リスはリスだし、俺は俺だ」
リスは、即答した。その答えは、榎の予想していた通りだった。というか、普通は人間が動物に名前をあげるものだと思っているので、もし名前があったら戸惑う。出来れば自分で考えた名前を付けてあげたいとしていただけに、もしあったら困るし、なくて良かったとすら思い、とりあえずホッと胸をなでおろした。
リスに名前が無いことも判明したので、次は、「じゃあ、リスさんはこういう名前だったらイイとかっていう、何か候補はあるの?」と質問を続けた。
「候補?」そう問い掛けられ、リスはしばし頭をひねらせた。「んじゃあ、愛に生きるリスって意味で、アイリスってのはどうだ?」
リスは、会心の名付けだと自信満々の笑みを浮かべたが、「え~可愛くない」と榎に却下された。
「は?なんでだよ?つーか、俺は可愛さなんていらないんだよ」
「そっちこそ何でよ?せっかく可愛い見た目なんだから、名前も可愛い方がイイでしょ」
「だからって、アマリリスは可愛いのかよ?つーか、ハッキリ言ってヤダ」
「………じゃあ、マリーちゃん」
「もっとヤダ!」
リスの名前についての議論は、白熱した。ただし、あまり大きな声を出すと隣人からの苦情が来ないとも限らないし、苦情よりも、榎が一人で騒いでいると誤解され、ともすれば榎の頭を心配されて救急車なんてことも無きにしも非ずだ。したがって、ほどよい声の大きさにも注意を払い、激しく意見をぶつけ合った。
ここらで場面は最初に戻る。
約一時間後。リスは頑として認めなかったが、やはり「リスさん」のままだと味気ないし、それに他の名前の候補も上がって来なかったので、リスの名前は「アマリリス」、通称「マリーちゃん」と決まった。
「マリーちゃん」
「………………」
「ちょっと、もお。無視しないでよ」
「うるせぇな。なんだよ?」
リスは、不機嫌だった。しかし、それでも器の大きいリスは、いつまで不貞腐れているような小さい男ではない。気持ちの切り替えってモノを心得ている。だから、仕方ないな、という諦めの気持ちを抱きつつも、榎の呼び掛けに応えた。
榎は、いつの間にかすっかり暗くなっていた窓の外を指し示し、「ねぇ、今日泊ってかない?」と提案した。
リスも、いつの間にこんなに暗くなったんだ、と外を見て驚いた。それに、榎の提案にも。しかし、特に動じる様子を見せず、「おいネェちゃん。そんな簡単に男泊めてイイのかよ?」と返す。その顔は、榎の軽薄さに対する呆れを持っていた。
「男って、リスじゃん」
「リスでもオスだぜ?オオカミかもよ?」
「……リスじゃん」榎も、リスの過剰な心配と、くだらない冗談に、呆れを見せた。「別に私、誰でも泊めたりするような軽いことしないよ。ただ、マリーちゃんは友達だし、リスだし、もう外暗いし、いいかなって。いつも夜は一人だから、たまには寂しくなくていいなって、ちょっとは思ったけど」
榎は、しょんぼりした。
寂しそうな榎の顔を見て、リスは、「まあ、俺はネェちゃんの友達だし、リスだし、外ももう暗いし、たまには屋根の下で寝るのも良いぜ」と榎の提案を受け入れた。「ま、一晩かけてでも、俺様をマリーちゃんと呼ばせるのをやめさせてやるよ」と付け足して。
リスが泊っていくと言うのを聞いて、榎の顔はパアーッと明るくなった。
「ホント?じゃあ、とりあえず夕飯の支度からするね」
「おう。俺の分は、かりんとうで頼まぁ」
「少しだけね」
そう言うと、榎は立ち上がり、廊下にある台所へと行こうとした。
「ネェちゃん」リビングから出ていこうと扉に手を掛けた榎に、リスが声を掛けた。「さっきの芝居、人間の男にやれば、さすがの玉無しでも落ちるかもしれないぜ?」
「えへへ。ばれた?」
先程のしょんぼりとした顔が芝居であると、リスはしっかり見抜いていた。
仲良く二人で夕飯を食べた後、榎は風呂の準備をした。
榎は普段、冬でもない限り、毎日湯船に湯を張る事はしない。とくに夏場は風呂にゆっくり浸かることも少ないので、節水を兼ねて、週末ぐらいにしか湯をためて入る事はしない。榎の中のサイクルで言うと、この日も湯船に湯を張る日ではないのだが、例外として湯を張った。
「マリーちゃん。お風呂入ろっ」
と榎は、リビングで横になって、テレビの内容というよりテレビ自体を興味深く見ているリスに声を掛けた。
「入ろうって、まさか、ネェちゃんと一緒にか?」
リスは、上半身を浮かせ、探る様な眼をして言った。
「うん。ダメ?」
「ダメっつーか、ネェちゃんも女なんだから、も少し恥じらいっつーモンをだな…」
リスは、完全にテレビに背を向け、榎に教え諭そうとした。が、当の榎は、「何で?」と首をかしげている。「マリーちゃん、リスでしょ?リスでもオスだと、人間の女の裸に興味あるの?」
「いや、これっぽっちもねぇよ」とリスは、平然と応えた。「たとえ、ネェちゃんの身体がもっとバーンと色っぽくてもな」
リスの言い方に若干の引っかかりを感じたが、「だったらいいじゃん」と榎は、諦めずに風呂に誘った。
「入ろっ?動物用のシャンプーもあるし、たまには綺麗な身体になるのもいいでしょ?」
そう言うと、榎はリスのことを抱きかかえた。自分の着替えは脇に挟み、リスを連れてそのまま風呂場へと向かう。
「いいけどよ…。ネェちゃん、興味が無いっつったら、あの玉無しとでも一緒に風呂入んのか?」
「ばっ…!そんなワケ無いでしょ!」
榎は、顔を真っ赤にして怒鳴った。手に乗せたリスの顔を近付け、リスの軽口を何度も何度も注意し、バカな妄想が出てこないように口を動かし続けた。
リスとの入浴は、困難を極めた。
リスは入浴することを承諾したのに、いざシャワーを掛けられて、その毛が濡れることになると、とたんに暴れ出した。が、縦横無尽に浴室を逃げ回り、隅っこに追いやられた結果、榎に捕まり、リスは身体を洗われた。
しかし、身体を洗うだけでは、事は済まなかった。
榎は、最初にリスの身体を洗い、自分は後回しにした。リスの全身をシャンプーを使って洗い終えると、リスが洗面器のぬるいお湯に浸かっていたので、その間に自分の身体を洗った。リスは、意外にも洗面器の湯船は気に入っていたので、その間だけはゆっくりできた。が、問題は風呂から上がった後だった。濡れた毛のままではいけないからと、榎はリスにドライヤーを掛けようとした。が、リスは、ドライヤーを嫌がったのだ。噴き掛けられる温風を嫌がり、暴れ、ドライヤーを掛けようとする榎の手から逃れ、走り回った。
何とか榎の懸命の努力の甲斐あって、ドライヤーも無事掛け終わり、リスとの入浴は終わった。
リスに先にドライヤーを掛けたので、榎は自分の髪を後回しにしていた。その為、榎が自身の髪を乾かす間、リスは入浴における工程をすべて終了させていたので、先にリビングに戻り、再びテレビを興味深そうにしげしげと見ていた。
榎も髪を乾かし終わり、リビングに戻る。その顔に、若干の疲労の色を滲ませて。
その後は、また他愛のない話に花を咲かせた。
そして、夜も更けて来た頃、「それじゃあ、そろそろ寝よっか?」と榎はベッドに入った。「マリーちゃん、一緒に寝よっ」
榎は、布団に入ると、リスの入る分のスペースを開け、笑顔で呼びかけた。
「だからさ…ネェちゃん、も少し…」
「恥じらいを持て、でしょ?」リスの言葉を、榎が継いだ。呆れていたリスは、言葉を奪われ、呆気にとられている。そんなリスにはお構いなしに、榎は言う。「わかってるよ。というか、マリーちゃんは変に気を張り過ぎて、逆に変だよ。私達は性別違うけど、友達だし人間と動物なんだから、マリーちゃんが気にするような間違いは起こらないよ。だからさ、細かい事は気にしないで、一緒に寝ようよ」
リスは、しばし葛藤した。榎はそう言うが、やはり男と女であることには変わりない。だからこそ、リスとしてはたしなめるべきなのだが、一方で、榎の言う事も理解できる。所詮、人間と動物なのだ。ならば、榎もその辺の分別はあるようだしと、リスは納得した。
「いいぜ。俺様は、可愛いしモフモフしてるからな。仕方ねぇから、ネェちゃんと寝てやるよ」
「えへへ。ありがと」
布団に入ってからも寝付くまで、暗い部屋の中で二人は会話した。
「ネェちゃんの寝巻、そりゃ何だ?」
「これね、高校の時のジャージ。結構着心地いいんだよ」
「そりゃあいいかもしれんが、俺から言わせりゃ、あまりデザインの方は良くねえな」
「そうかな?」
「そうだよ。も少し可愛い寝巻にした方が、いざって時 助かるぞ。今のままだと、女子力たったの5のカスだぜ」
「そんなヒドイかな?てゆうか、カスは言い過ぎだよ」
「わかってるって。冗談だろ」
「それに、いざって時は無いから。別に誰か泊りに来る事もないだろうし」
「それもそうかもな」
「そうです」
「ふ~ん。なぁ、ネェちゃん。話変わるけど、ネェちゃんって意外と積極的だよな?」
「え?そうかな?」
「そうだと思うぜ。少なくとも、俺にはそう見える。で、何だ…あの玉無しにもそうやって積極的に行けてんのか?」
「どうかな?自分が積極的なのか、良く分かんないよ…」
「そうか…。……あのな、余計な御世話かもしれないが、一つ言っておくぞ」
「うん。何?」
「俺達アニマルは、人間に比べると生きていられる時間が短い。だから、『いつかまた』なんて不確定な未来に賭けて、今を逃げ出すようなことはしない。『いつかまた』を待っている間に死んじまうかもしれねぇからな。だから、想いを伝える時は、迷わず直球勝負だ」
「え?じゃあマリーちゃん、ひょっとして好きなリスに気持ちを伝えたりしてるの?」
「いや…。俺は、まだだ」
「なんだ…」
「なんだってなんだよ!残念そうに言うな。俺はな、ネェちゃんと違って、ただ好きなヤツがいないだけだ」
「あ、そうなんだ」
「そうなんだって…だからってネェちゃんの方が上ってことじゃねぇぞ。現状、そうだって話だ」
「え~? でも、想いは伝えてなくても、好きなリスちゃんはいないの?」
「いねぇよ。つーか、その女子みたいなノリ止めろ」
「だって、女子だもん」
「あっそ。とにかくな、俺から言わせると、いつ何があるか分からないんだから、後悔しないうちに想いを伝えた方がいいぞ。話で聞く限りだとあの玉無し、相当鈍いか、かなりのバカみたいだから」
「うん……。でもね…マリーちゃん」
「ん?」
「私達人間の時間って、結構長いんだ…たぶん。だから、視えない未来にも期待しちゃう。それに、私…椿君がホントに好きなの。…うん、大好き。だから、下手なこと言って嫌われるより、今の曖昧な関係でも、それでもいいかなって甘えたくなるんだよ」
「へー。良くわかんねぇや」
「うん、そうかもしれないね」
「ああ。俺からすれば、種の存続の事も考えちまうから、玉砕覚悟でもすぐに愛を伝えたくなるけどな」
「へ~。そっちの方が、素敵かもね」
「だろ?俺達は、時間が短い分、無駄にできる時間もない。だから、躊躇っている無駄な時間を無くして、想いを伝え、それで相性が合えば、すぐにでも交尾スタートだよ」
「……でも、マリーちゃん、好きなヒトいないんだよね?もしかして、昔はいたとか?」
「興奮すんな。あと、俺は今も昔も、俺の愛を捧げられる相手を探し中なんだよ」
「なぁんだ」
「なんだとは何だよ。ガッカリすんな。つーか、俺の話は置いとけよ。とにかく、後悔しないように、ネェちゃんも動いた方がいいぞ」
「そうかもしれないね」
「そうだよ。玉無しにいくら遠回りなアプローチ仕掛けても、食いつかねぇ可能性の方が大だぞ」
「そうかもね」
「だからさ、思い切って『大好き』だって伝えた方が早いぞ」
「うん…。……でもね…」
「ん?」
「やっぱり、怖いよ」
「……あっそ」
「うん。……私、ズルイね」
「さあ?……いいんじゃね?悩める時間があるんだから」
「うん。ゴメンね」
「別に気にするな。テキトーに悩めよ。それだけ、ネェちゃんの想いが純粋で強い、真剣なモノってことだからな」
「うん。ありがと」
「どういたしまして」
「「………ZZZ…ZZZ……」」
前話(お化け屋敷の所)に引き続き、暗がりだからといってセリフ以外書かないという…。
手抜きではありません、そーゆー演出です…きっと…たぶん……うん。
リスは「器の大きな硬派な男、短気な所が玉に瑕」という設定です。サブタイトルを含め、リスを大物に見せようという小賢しい演出がありました。少し鬱陶しくなってしまったでしょうか?
榎は「好きだよ」という好意はアピールしますが、「好きです」とは言いません。だから「ズルイね」です。
受け取り方は色々あるでしょうが、批判があれば、それは榎にではなく、もちろん私も勘弁していただきたいので、椿にどうぞ。
榎が重い雰囲気になるのは苦手なので、こういう話は暫くやりません。
色恋を書くのは苦手だし…。




