第十四話 今回も見せ場が少ないけど頑張りたいと思う向上心の高い天使です(後篇)
椿 Ⅲ
天使とのケンカは、一時中断する。
懸命に走り続ける俺と違い、天使は悠々と空を飛んでいる。そんな状態で言い合いのケンカをしていたら、俺の方が一方的に疲れてしまう。
だから、ケンカは一時中断して、少年の言っていた場所、おそらく彼の友達がいじめられているだろう場所、旧パチンコ屋へ急ぐ。
走ることに集中していたら、どこからか声を掛けられた。
「よう、バカコンビ」
声がした方向、俺達の頭上を見上げると、そこには柊がいた。
柊は、一気に高度を下ろした。それに合わせるように天使も降りて来て、二人は俺の側に降り立った。
俺達と一緒に居れば意中の柊に会えたというのに、と俺は呆れた。カイから、「短気は損気」だと言うことをその身をもって教えられたなぁ、と感謝していると、何も状況を知らない柊が口を開いた。
「どうした?息切らせて」
「いえいえ。息なんて切らしてませんよ」
「そりゃお前は空飛んでんだからそうだろうよ」
俺は言うが、天使は気にしない。
「そんなことより、柊姐さんはお仕事ッスか?それともおべんきょッスか?」
「ひがむな」と俺は、天使の頭を叩いて注意した。いい加減、この卑屈な感じに辟易していたから丁度良かった。
しかし、これも柊には身に覚えのないこと。不機嫌そうに眉をひそめながら、俺達の言動を黙って見ている。そして、元々そのつもりだったのだろう、「ハッ。良く分かんないけど、何か困ってんの?手貸そうか?」と言ってくれた。
「そんな、姐さんの手を煩わせるようなことじゃないッスよ」
「その『姐さん』っての止めな」天使の悪ふざけに注意してから、柊はもう一度「で、どうなの?」と探る様な眼で俺達を見る。
そりゃ、柊が来てくれるなら心強い。つーか、どんなことでも一瞬で万事解決するだろう。俺と天使、カイを合わせた戦力より、柊一人の方が何枚も上手だと、今までの経験から身にしみて分かっている。
だがしかし…だ。
俺と天使は、顔を見合わせ、無言の会話をした。
「いいよ。つーか別に、何も問題起きてねぇし」
「うん。そだね」
柊は、顔には決して出さないが、俺達を心配してくれている。だけど、俺達はそれに甘えるワケにはいかない。それは、俺達自身のプライドもそうだが、カイが一番嫌がる気がしたからだ。好きな女の力になるのは良くても、好きな女に力を貸してもらって喜ぶようなヤツじゃない。それに、これは最悪のケースだが、もしやられているようなことがあれば、そんな姿だけは見られたくないだろう。
だから、柊の助けは借りられない。
「ありがとな、柊。またな」
「おべんきょ頑張ってね、姐さん」
あまりだらだらと話しているとボロが出るから、俺達は逃げるようにその場を後にした。
これは後で気付いたのだが、ここで走り去った時点で何かあると思われたんじゃないだろうか?柊から見えなくなる位置までは、何事もないかのように歩いた方が良かったのでは?
そんなことが全く頭にない位、俺達は急いでたんだろう。
○
椿と楸が柊に会う少し前、柊は、カイのことも見付けていた。その時 柊は、カイにも声を掛けたのだが、カイの耳には届いていなかった。
カイは、怒っていた。
怒りを原動力にしているような男は、とめどなく怒りが溢れているので、疲れることなく走り続けている。
カイが走り続けている時間を利用して、少し昔話をしよう。
カイには、昔 たった一人の親友がいた。
互いに社交的な性格とは言い難く、小学生の後半からはずっと二人でいた。他に友達なんていらない、そう本気で思えるくらい、二人の仲は良かった。
しかし、そんな二人の友情も長くは続かない。
中学生に上がる頃と同時期に、カイの親友はいじめに遭っていた。
カイは、助けたかった。たった一人の友人を、なんとしてでも助けたかった。
だけど、出来なかった。
今度は自分がいじめに遭うかもしれない、その前に自分に出来ることなんかあるのか、そんなことを考えるだけで、結局何も出来なかった。
怖かった。
カイの友人は、中二になる時、親の仕事の都合で転校した。彼は、一年間、一人でいじめに耐えるしかなかった。
それから、カイは自分を責めた。
何も出来なかった自分、怖くて逃げ出した自分。そんな自分が、許せなかった。
この後、カイは力に目覚める。
力が無くて怯えているだけだった自分を払拭するように、カイは拳を振るい続けた。
力さえあれば、怯えることもない。
力さえあれば、守りたいモノを守れる。
そう強く願い続けた結果、カイは強くなった。他を圧倒し、自分の信念を貫き通せるくらいに。
そして、カイは地元では敵がいない、伝説と言われる男になった。
というのは、全て嘘だ。
こんな過去、カイには無い。
次からが、本当のカイの話だ。
カイは、ずっと一人だった。
お世辞にも社交的な性格とは言えず、思ったことをすぐ口にし、気に食わない事があれば誰かれ構わず殴った。そんなカイに惹かれる者、興味を持つ者はいたが、彼らがカイの友人となることはなかった。物好きというだけで彼と付き合えるほど、カイは生温い男ではないからだ。相手が間違っていると思えば、例えそれが自分に好意を抱いている者にでさえ、カイは躊躇なく怒り、時には殴った。損得勘定や理屈ではなく感情で動くような男なので、そんな厄介な男を利用しようとする者さえいなかった。
それ故、ずっと一人だった。
カイは、嫌いなモノが許せない。自分をイラつかせるモノは、特に嫌いだ。
ムカつくから。そんな、およそ常識のある者は取らないような理由で、カイは拳を振るう。それは、おそらくこれからも変わらない。
こんなことがあった。あまりにキレやすいカイのことを不安視した中学時代の担任の一人が、カイに「先に手を出した方が負けだよ」と教え諭した。しかし、カイは、その言葉の意味を理解出来なかった。『先に手を出した方が有利じゃないか、先手必勝と言うヤツだ。それに、我慢した結果、それが取り返しのつかない事になったらどうするんだ』それが、カイの思考回路だ。その思考回路によって導き出した結果、カイは校舎裏でカツアゲをしていた成績優秀なクラスメイトを殴った。
すごく危険な男だ。言ってしまえば、「痛い男」だ。
ただ、誤解しないで欲しいこともある。カイは、手当たり次第にケンカをふっかけているワケではないと言うことを。
カイは、自身の中に信念にも似た行動理念がある。それは、「ムカつくヤツはぶっ潰す」だ。この「ムカつくヤツ」は、当然カイの判断基準で、善悪が基準と言うワケではない。だが、幸いにして、豊富な知識をひけらかすだけで無害な人間などは、これに該当しない。カイにぶっ飛ばされるくらい彼を怒らせるヤツと言うのは、そのほとんどが社会的に悪党・不良と言われる類のヤツだった。別に、相手が社会的に悪いヤツであるとか、そういうことを意識しているのではなく、偶然にカイの逆鱗に触れるようなヤツは、そういう不良の類だったのだ。
カイという男を、少しでもお分かりいただけただろうか?
カイは、イイ人ではない。自分がムカつくからと言うだけで人を殴り飛ばす、そんな危険な男だ。だが幸いにして、彼の怒りは、どこかで誰かを救っている。しかし、その行動から、カイが善人面していると思い、気に食わないと思う者は多い。すぐに拳が出るカイを恐れる者は多い。カイの生き方は、決して利口ではない為、彼をバカにする者は多い。色んな人から色んな理由で避けられるので、カイは一人だった。
そんなカイも、椿達とはウマが合う。
始めて自分と正面からぶつかったヤツ等。共通の価値観を持っているワケではないし、気に食わない、ムカつく所もあるが、それでも気の許せる仲間。
と言っても、カイが椿達と慣れ合うことは無いだろう。椿達が間違っていると思えば、例え殴り合ってでも、自分の意見をぶつけて来るだろう。そんな、崩れそうで危うくも、しかし確かに強く結ばれている絆を、カイは気付かぬうちに手にしていた。
これが、カイという男の「今まで」と「現在」だ。
これで昔話はおしまい。「今」に戻るとしよう。
カイは、少年の言っていた旧パチンコ屋に着いた。
建物の中の様子までは分からないが、広大な駐車場には数台の車しかなく、明らかに手入れされていない荒れ放題の雑草など、外の雰囲気からだけでも今このパチンコ屋が廃屋となっている事は分かった。また、駐車場を通り抜け、入口の近くにまで来ると、壁にはスプレーの落書きがあり、窓も所々割れていて、この建物がどういう状況に置かれているのか、カイは大体の察しがついた。
入口の前に立ち、カイは考える。
――どうすっかなぁ?あからさまに助けようとしたら、やっぱ不自然だよな。それだと、またいつか、今回のことで仕返しされっかも
考えたが、結論は出なかった。というより、まともな結論は出さなかった。
――関係ねぇな。ごちゃごちゃ考えんのは性に合わねぇし、正面突破でブッ潰しゃいい
決意を固め、入口の扉に手を掛ける。自動ドアではなく手動で開けるドアだったので、それを引いて開ける。その扉を開けると、今度は自動ドアがあった。が、それはもはや自動ではなくドアの役割すらも果たしておらず、開きっぱなしで来る者を一切拒まなかった。見ると、そのドアのガラスは割られているので、無理やり割って開け広げたのだろう。
店内に入ると、カイはすばやく身を隠した。いじめやリンチの話を全て真に受けたワケではないが、それでも、それがあることと前提して動く。不用意な行動は避け、慎重に動いた。
そして、耳に入ってくる音で中の様子が分かってくると、さらに気を引き締め、進んだ。
少年達は入り口側の見える所にはおらず、奥の方から話声が聞こえた。奥と言っても、カイが入ったのは二つある出入り口の店の後方なので、正確に言うと店の正面側から声が聞こえている。その声の主達の姿を確認する前に、カイはパチンコ台の影に隠れた。
しかし、本当ならばもっと状況を確認してから姿を現そうと思っていたのだが、それは止めた。所々倒されているパチンコ台を踏み越えて、声のする方に近付いて行く。
「何してんだ、テメーら」
声の主達の姿を確認すると、カイは声を掛けた。
カイの声には、不機嫌そうではあるが、まだ怒りは感じられない。その声がすると、店内は静まり返り、少年達は一斉にカイのことを注視した。
当初の予定を自ら破った今、カイは正面から堂々と状況の確認をする。
まず、少年が一人、椅子に座らされている。カイの位置からは見えないが、後ろ手を組まされているので、もしかしたら、両手をガムテープか何かで縛られているのかもしれない。この少年が、あの少年の友達であることは、容易に理解出来た。理解すると同時に、まだリンチは始まっていなかったようだと、少年のとりあえず無事な姿を見て安堵する。
次に、いじめられている少年の他に数人、彼と同じ学生服を着ているから、同じ中学の学生であろうことを知る。そして、今にも少年に手を出そうと興奮している こいつらが、いじめっこだと察する。
あと、少年達とは違う学生服を着崩している者、私服の者が十数人、これらは高校生なのか、それ以上なのか判別できないが、いじめっこ達の仲間であることは、そのイヤらしい薄ら笑いから判断した。そいつらは、椅子に座らされている少年とそれを囲む少年達からは少し離れていて、直接手を出す気はなさそうだが、いじめの様子を面白おかしく傍観していたいのだろう。
状況を確認したカイは、頭をぽりぽり掻く。想像では4~5人の少数相手だと思っていた為、相手の人数が予想以上に多過ぎたのだ。大人数相手では、先にぶっ潰してからというわけにもいかない、そう判断した。
「ねえ、お兄さん」いじめっ子中学生の一人が、カイに声を掛けた。「何しに来たんですか?用無いなら出てってもらえます?俺達けっこう忙しいんで」
そう言うと、周りの連中がクスクスと薄ら笑った。何が可笑しいのか、カイには理解できない。理解できないだけならいいが、その笑いがだんだんとカイの神経を逆なでる。
「うるせんだよ」
カイは、小声でそれだけ言った。
いじめっ子中学生は、「は?」と手に耳を当てた。「すいません。もう一度大きい声でお願いできます」そう言い、少年達は大声で笑った。
大勢の仲間や後ろ盾があるから、中学生達はカイを前にしても怯まない。一人一人だったらおとなしいのかもしれないが、群れることによって調子に乗っている。二十歳前後の青年が、いたいけな中学生である自分達を殴るワケが無いと高を括っていた。
そんな油断から生じた隙を、カイは見逃さなかった。
自身の持つ力を解放し、足に意識を集中する。少年達との間には、十メートル近い隔たりがあったが、そんなものカイにとっては無いに等しい。カイは、一瞬で間合いを詰めた。いじめられていた少年の側にいた一人を跳び蹴りで蹴飛ばし、少年を抱え上げる。そして、元の位置に戻った。
この間、わずか二秒。
油断しきっていた少年達にとっては、カイが一瞬消えてまた現れた位にしか見えなかっただろう。それくらい、カイの動きは常軌を逸していた。
少年達が 何が起きたのか分からないで困惑しているうちに、カイは今助けた少年の両手両足のガムテープをはがした。
「あ、ありがとうございます」
「気にすんな。別にお前の為じゃねぇ。俺がむしゃくしゃしてやったことだ。お前、邪魔だから帰れ」
少年の礼に、カイは愛想なく答えた。
助けられ、このままカイを見捨てて帰っていいものか、そう考えていた少年は、その場で立ちすくんでいた。その少年の様を見て、カイは舌打ちする。
「チッ。いいから帰れ!邪魔だ」
「は、はい!」
カイの迫力に押され、少年は逃げるように出ていった。
少年が自分の入ってきたドアから出て行くのを確認すると、カイは正面のいじめっ子達に向き直る。
少年達を見るカイの目は、鋭い。
少年達のカイを見る目も、また鋭い。先程の余裕面でなく、敵意むき出しである。カイをただならぬ人物だと、自分達にとって危険だと察知しての目だった。
「どしたどしたぁ~?」店の奥、いじめっ子達がいる場所よりもさらに奥の「スタッフオンリー」と書かれている扉の中から、声が店内に入ってきた。そして、声から少し遅れて、明らかにスタッフじゃない二十歳前後の若者がぞろぞろと出て来た。「なんだ、そいつ?」
「わかりません。突然入って来て」
若者の質問に、いじめっ子中学生の一人が答えた。
「ふ~ん」スタッフルームから出て来た若者の一人が、カイのことを品定めするような目つきで見る。「あんた、何?」
そう訊かれ、カイは睨み返したまま、口元には不敵な笑みを浮かべて答える。
「別に。この辺散歩してたら、うぜぇ連中がぞろぞろしてやがったから。俺、嫌いなんだよ。お前らみたいな、群れる虫。だから、害虫駆除?暇だしぶっ潰そうかなって」
そう言うと、カイは相手のことを見まわした。
カイの発言で怒りをあらわにする者、カイの発言を強がりと捉えて嘲笑する者、恐怖を感じながらも仲間も大勢いることから絶対的な危機感は無くこの場を楽しもうとする者。様々な感情を抱いている若者も、共通の考えを持っていた。
それは、自分達の敵を排除すること、だ。
店内に備えておいた鉄パイプや木材を手に持つ者もいて、臨戦態勢を整える。
カイも、イメージする。怒りで沸いている頭を「まだだ、まだだ」と抑え、目の前の連中のことを見ながら、イメージする。
――多いな。ざっと三十強ってところか。でもま、ガキも数人いるし、全員が闘えるヤツってワケじゃねえだろ。まずどいつかわかんねぇが、頭を叩く。そいつが囲まれることがあって無理そうでも、近くの強そうなヤツを倒す。圧倒的な力を見せつけりゃ、覚悟の無い雑魚は逃げ出すだろ。あとは…暴れりゃいいか
イメージを終え、カイは抑えつけていた怒りを爆発させた。
楸 Ⅴ
柊と別れ、俺と椿は走った。
パチンコ屋は結構遠く、着く頃には椿の息が完璧に上がっていた。
「あ~だりぃ!」
膝に手をつき、椿は大声で愚痴った。ぜぇぜぇと息が上がっているなら黙っていればいいのに、「だりぃ。つーか、今日走り過ぎだろ。お前らのスピードに合わせんの、けっこうしんどいんだぞ」と愚痴を言い続けた。
愚痴を言い続けることで、椿は息を整えた。
「もういい?」
俺は、椿に確認をとった。椿が「カッ」としか言わなかったので、それをOKの返事だと解釈する。
「ふーっ。んじゃ、行くか」
椿が躊躇なくパチンコ屋に入ろうとするので、「ちょ、待てよぉ」と俺は止めた。
「んだよ?」
「あれ、見て」
俺は、駐車場に止められている車を指差した。
「ああ。で?」
と、椿は平然と言った。ホントに解っていないらしい。
「はぁ~」と肩を落とし、俺は椿が理解できるように質問を投げた。「さっきの少年もその少年の友達も、その友達をいじめているヤツらも中学生。そして、ここは今はやっていないパチンコ屋。なのに、なんで車が何台もあるんでしょうか?」
「は?こんな時にクイズかよ?……あれだ、盗んだ車で走り出すような悪ガキだから」
「違うバカ」
「あぁ?」
「それも無くない可能性かもしれないけど、さっきの少年の言ってたこと思い出してよ」
そこまでヒントをあげると、さすがの椿も気付いた。
「あ」
「わかった?」
「ああ。車を運転できるようなヤツ、もし法的に運転を認められているなら十八以上のヤツがいる。で、車が何台かあるってことは、それぐらいの歳の連中が十何人もいるってワケだ」
「そ。で、これは俺の推測だけど、十中八九ここはアジトになっている。悪いヤツらが悪いことをするのに丁度いい立地になっているし、パチンコ屋がアジトって素敵じゃん」
「主観が交じった推測だな。でもま、分からなくもない」
「でしょ?」
ということで、このパチンコ屋は悪党のアジトということに決めた。
そして、それを踏まえた上で、これからの作戦を椿に提案する。
「それじゃあ、ここがアジトで中に大勢いると仮定した上で、これから中に入った時のことを、状況別に決めよう。①カイが相手を圧倒していた場合。この時は、カイがやり過ぎないようにブレーキを掛けてやる。②カイが苦戦している場合。手助けしてあげる。①②の場合は特に問題無いと思うから、その場で判断して対処することが出来るよね。で、最悪なケースとして想像し得ることも考えないといけないってことで、③――――――」
俺は、最悪なケースを想定した上で、それを回避できる方法を考えた。それを椿に伝えたら、「ま、いいだろ」と納得してもらった。
作戦を確認し、俺達はパチンコ屋の入り口を開ける。
○
椿と楸がパチンコ屋に着く少し前。
カイは、捕まっていた。
カイの〝力″とは、極端な話、速力を上げるだけの能力である。その力に付随する形で脚力としてのキック力も上がるが、常軌を逸する速力と比べると、キック力は人並み以上という位だ。また、腕力に関しては人並みでしかない。
つまり、攻撃力ということで言えば、人よりキック力が優れているだけで、絶対的な破壊力は無い。
また、カイの性格上、その攻撃は非常に直線的だった。
数人を蹴り飛ばし、持ち前のスピードで撹乱することは出来た。そうやって善戦はしたのだが、あまりに真っ直ぐ過ぎる攻撃は、簡単に対応されることとなった。攻撃が来ることが分かっていて、しかもそれが十中八九蹴りであると予測が付けば、それに合わせて武器を構えることは、そう難しいことではない。百五十キロを超える剛速球にも、それがストレート一択だと分かっていれば、それにバッドを当てるくらいそう難しくないのと同じ道理だ。先にも述べたが、圧倒的な攻撃力が無い以上、その蹴りを防がれた場合のダメージは、カイに行く。結果、足を負傷してしまうことになり、武器である速力にも支障が出た。
そして、捕まった。
人並みの腕力しかない為、一度捕まってしまうと、それを振り払うだけの力は無い。羽交い締めにされ、それまで暴れた分の報復として殴られ、サンドバック状態になっていた。
痛みはあるが、我慢できた。今までにも似たような経験をしていた為、ある程度の痛みには堪えることが出来る。
現状を打開する術が思い付かず、カイは我慢することに徹していた。ハラワタが煮えくりかえる程に悔しいが、そうするしか他になく、耐えていればいつか終わるだろうことは以前の経験から察しがついていた。
暇になったカイは、少し昔を思い出していた。今と同じように、無茶なケンカをしてボロボロになった時のことを。
それは、カイが高校生になってすぐのことだった。まだ夏も来ていない頃。
カイの通っていた高校は、荒れ果てて暴力が日常的に横行するような学校ではなかったが、学力や部活動などで特に力を注いでいる分野があるワケでもなく、不良の様なつっぱった学生も中にはいる、どこにでもある、ありふれた学校だった。
そんな学校で、入学後すぐ、カイは上級生に目を付けられた。特に何をしたワケでもないのだが、新入生らしからぬ何も恐れずに肩で風を切って校内を歩くカイの姿が、一部の上級生の目には生意気だと映り、気に食わなかったかららしい。
ある日の放課後、カイは呼び出しをくらった。その頃は、ケンカにも慣れてきていたので、面倒くさいとは思いつつも、特に危ないとは思っていなかった。注意されることがあれば、それに適当に「はいはい」と言っておけばいいし、殴り合いのケンカになっても何とかなる自信があった。
呼び出した上級生は、五人いた。その中のリーダー格の男は、カイの態度を注意した。
「あんまし調子にのんじゃねぇぞ。舐めたマネしてっと、マジぶっ飛ばすから」
彼らからすれば、それは牽制だったのかもしれない。出る杭は打っておこう、その程度のことだったから、威嚇はするものの臨戦態勢はとっていなかった。
だが、カイの返答で、状況は一変する。
「あ?なんでだよ?」
カイは、ケンカを売ったつもりはない。理由が分かれば「はい」と返すつもりだったのだが、本当に上級生たちの言っている事の意味が理解出来なかったのだ。学校はお前らのモノじゃねぇだろ、俺がどんなふうにしててもお前らに関係ねぇだろ、そう思っての返答だった。
しかし、理解できないカイに、一から十まで教えてあげるほど上級生の気は長くなかった。その後は、互いに睨み合い、一気に殴り合いのケンカになった。
高校に入学したばかりのカイと高校三年生の相手では、極端な話、肉体的には中学生と大人くらいの差があった。
その事を直感的に理解しているカイは、最初から全員倒せるなどとは思っておらず、相手のリーダーだけは倒す覚悟をしていた。だから、そのリーダーともう一人倒せただけで満足だった。たとえ自分が大怪我を負っても。
ボロ雑巾のようにされた末に解放されたカイの身体は、入院の必要は無いまでも、身体を引きずってしか歩けない様な、それなりの大怪我だった。
その日、家に帰ると、カイは父親にぶっ飛ばされた。父に怪我の理由を聞かれ、はぐらかそうとしたのだが出来ず、正直に話した結果、ぶっ飛ばされたのだ。上級生のどんな攻撃より、その一撃は痛かった。
殴られ、倒れたままのカイに、父親は言った。
「別にケンカした事を怒ってんじゃねぇんだよ。ただな、お前があんまりもバカだから殴った」
「あ?」
カイは上体を起こして声を荒げて反論したが、すぐに目で制された。
「いいか?ケンカはしてもイイ。男なんだから、そりゃあ譲れねぇ時ってのはあるもんだ。だがな、相手がムカつくからって理由だけでケンカするのはよくねぇ。男が拳を振るう時ってのは、大事な何かを護る時って相場は決まっててな、お前にはそれがねぇ」
「は?意味わかんねぇよ。じゃあなにか?それが無かったら、ただやられろってのかよ?」
「ああ、それも仕方ない。別に殴り合うだけがケンカじゃねぇ。ただジッと耐え続けるってことも、時としては立派なケンカだ」
カイは、父親の言っている事の意味が理解出来なかった。それは、その日 上級生たちが自分に言った事以上の難問で、カイは考えることすらも放棄した。
そんなカイを見て、父親は薄く笑った。そして、続ける。
「大事なモノってのはな、別に人じゃなくてもいい、信念とかプライドとか、他人からすりゃあ取るに足らないちっぽけなモノでもいい。そういう大切なモノが、いつかお前にも見つかるはずだ。だから、その『譲れねぇ大切なモノをぜってぇ護る』そういう心意気を持ったケンカをしろよ」
カイは、その時の事を思い出していた。意識していたワケではなく、不意にアルバムから落ちた写真を眺める様に、思い出していた。
――親父、そういえばそんなこと言ってたなぁ。全然意味わかんなかったし、結局我慢するケンカなんてしたこともねぇなぁ。だってよ、やっぱムカつくヤツはぶっ潰してぇから、我慢なんか出来ねぇよ。……俺の譲れねぇ大切なモノって、なんだ?護りたいモノって、なんだ? まだわかんねぇよ。 だってよ 親父、俺、生まれて初めて好きな人が出来たんだ。その人、すげぇ美人で、すげぇ優しくて……あんまし言葉で言えないけど、すげぇいいヒトなんだよ。一目惚れだったけど、でも、大好きなんだよ。だから、もしかしたらその人が俺の「大切なモノ」かもって、俺の「護るモノ」じゃないかって思った。でも…違った。その人、すげぇ強ぇんだ。俺なんかがいなくても、全然余裕なくらい。俺が護る必要なんて無いんだよ。ダセェよな。…そうだ。他にもいいヤツらがいるんだよ。大切かどうかは別として。ムカつくし意味わかんねぇトコだらけだけど、いいヤツら。そいつらも、俺なんかがいなくても充分強い。俺と違って、ちゃんと助け合うってことも知ってた。俺なんかよりずっとずっと出来たヤツらだよ。みんな、俺の力なんか必要としてない。俺が護らなくても、ぜんぜん…。だから…
「俺の護りたいモノ、譲れないモノ…」
カイは、呟いた。
殴られた。
口の中が切れ、ペッと血を吐き捨てる。
――そういや親父、あの後 母ちゃんにぶっ飛ばされてたな。「息子に何バカな教育してんだ」って。親父、母ちゃんに弱ぇもんなぁ
思い出したら、おかしくなった。声を出さずに笑ったら、殴られた傷が痛んだ。
「何ニヤけてんだ!」カイの薄ら笑いを見て 男が一人、声を荒げ、カイの顔を殴った。カイの微笑が癇に障ったのだ。「二度と笑えねぇようにしてやんよぉ!」
男は、拳を振りかぶった。
――あぁ…今回はマズったな。ばれたら親父に殺される
カイは、目を閉じた。
もう何も考えず、ただ目の前の現実を受け入れることにした。いつ終わるのか、それとも先に自分が終わるのか。途方もない苦しみになるだろうけど、それを受け入れることにした。
それは、覚悟ではなく諦めだった。
しかし、受け入れることを決めたカイの身体に、何の痛みも襲ってこなかった。
「あいつの予想は的中したらしいな」
痛みよりも、声が、カイに届いたのだ。
そしてその声は、カイ以外の耳にも入り、カイを殴ろうとした手も止まっていた。
楸 Ⅵ
カイは、驚いていた。その弱く開いた目で、椿のことを見ている。
「つーか、あれか? ③…じゃないな。3・5、いや2・5ってとこだな」
椿は言った。
俺は、想像し得るケースとして、③少年とカイが捕まっている、ということを挙げた。だから、厳密に言うと③のケースに該当しているワケではないのだが、状況的には③に近いということで、俺と椿は動く。
「何しに来たんだよ、椿」
力ない声で、カイは言った。力を振り絞って、なんとか叫んだ。
カイは優しいから、今のこの状況を作り上げてしまった責任を感じているのだろう。そして、それに俺達が巻き込まれんとしていることを、カイは嫌がっている。
だが、俺も椿も、そんなことは気にしない。
切羽詰まっているカイと違い、椿は面倒そうに言う。
「何しにって?……つーかあれだ、あんま喋るな。舌噛むぞ」
「は?」
椿の登場で、敵は怯んだ。いきなり行動しようという輩はいない。椿の助言で、カイも黙った。口は開いているけど、まぁいい。
さて、俺の出番だ。
実は俺は、椿と一緒に建物の中に入って来ていた。しかし、姿を消しているので、椿以外の人間には俺の姿が見えない。ちなみに、この時はカイからも見えなくしている。敵を欺くにはまず味方から、その考えにのっとり、姿を椿以外に見えなくしている。では、姿を消した俺は、何をするのか?
答えは、カイの救出だ。
少年が居なかったことは不幸中の幸いで、助ける対象がカイ一人で済む。それに、この状況は以前どこかで似たような体験をしていたなぁ、と俺は思い出していた。
だから、俺は、その時と同じようにした。
姿を消したままカイの方に近付き、カイを羽交い締めにしている男の後頭部を蹴った。俺が蹴った男のオデコがカイの後頭部に命中して頭突きのような図になってしまったが、それも別にいいだろう。結果としてカイを掴む男の力が緩み、カイが逃げられることになったのだから。
つまり、③のケースにおける作戦とは、椿の登場によって相手の注意を椿に向け、動きの止まった不意を俺がつく、というものだった。
「すげぇ既視感…」
椿は、呆れを滲ませていた。
敵は、地面に降り立ち姿を表した俺の、突然の登場にビビった。また、その俺がカイを救出したことは知る由もないが、カイが自由を取り戻せたことにもビビった。そして更に、椿が相手の頭上よりも高くジャンプして俺達の方に跳んできたことにもビビった。一瞬にして三回もビビってしまった男達は、突然のことに対処しきれず、本能的に「離れる」という選択肢をとった。
俺たち三人から一定の距離をとり、敵はそこから動けないでいる。いくら数で勝っていても、突然現れた男と素早過ぎる男、あと椿を相手に、迂闊な行動を取れないでいた。それは、俺達にとって丁度良かった。話す時間が出来た。
俺達は、俺たちを取り囲む敵の方に注意を払い牽制しつつ、話し始める。
「どうしたよ、カイ。あれか?まだ俺は本気を出してねぇとか言うヤツ?」
カイを挑発するような薄ら笑いを浮かべ、椿は言った。
以前の事を知らないカイは、「うるせえよ」と言い返すことしかできないので、俺が代わりに言ってやる。
「てゆうか椿。前にこれより少ない人数にやられてたんだから、あんま偉そうな事言えないよね」
「っせぇな」
椿は怒った。いい気味だ。
しかし、せっかく仇をとってあげたのに、カイの顔は曇ったままだ。
「どうして来たんだよ?」カイは言った。
「あ?」
「ほっときゃいいだろうが、俺のことなんて!」
そのカイの言葉に、俺達は頭を悩ませた。それに答えられるだけの、カイが満足行く理由なんて、俺達は持ってなかったからだ。
だから、俺達は顔を見合わせ、各々思った事を言うしかない。
「……どうしてって、仲間だからでしょ?」
俺の言葉を、椿が継いだ。
「面倒だけど仕方ねぇんだよ。先人たちの教えでな、仲間を守れねぇようなヤツは、ヒーロー失格なんだとさ」
俺の言葉を継いだにしては、それはあまりにお粗末だった。
「……へっ。やっぱ意味わかんね。バカだな、お前ら」
俺も?
ひどく心外な括られ方をされ、俺は怒りたかった。でも、椿が怒っていて、俺まで怒ったら収拾がつかなくなるし、敵さんもそれを許してくれないだろうから、俺は不満を飲み込んだ。
俺が喉越しの悪さを感じていると、ひとしきり怒った椿が言った。
「さて、どうする?たぶん話し合いで解決するにゃ、石楠花のような口達者野郎を呼ばないと無理そうだぜ」
椿の問い掛けに、俺はほとんど考えずに手を挙げた。「あ、俺に考えがある。ちょっとそれやらせて」俺がほとんど考えもせずそう言えたのは、事前に考えてあったからだ。しかも、それはごくごく最近考えたもので、記憶を引っ張りだすのも楽チンだ。椿もカイも異論ないようなので、俺は続ける。「細かい説明は省くよ。どうやら敵さん、そろそろ待つの限界みたいだから」
俺が言うと、椿とカイは相手に睨みを利かせてくれた。どうやら、これでもう少し時間が稼げそうだ。
二人が稼いでくれた時間で、俺は素早く行動に移す。
まず、頭の中に三角形をイメージした。ただの直線でなければそれでよく、別に三角形で無くとも形は構わないのだが、俺達は三人なので三角形を。頭の中に三角形をイメージしたら、実際に両手の人差し指と親指で三角を作ってみる。そして、頭の中のイメージに重ね合わせ、両手を徐々に離して指先から出る線を伸ばしていく。
そうやって出来た透明な線を、俺たち三人のオデコに繋いだ。
これで、完了。
『出来たっぽい?』
俺が心の中で問い掛けると、椿が『出来たっぽいって、やった本人が訊くなよ』と返してくれた。だが、カイは普通に口で、「なんだこれ?なんか頭ん中に直で…」と返して来た。
この二人の反応により、俺は成功したのだと確信を得る。
とりあえず、カイに『あ、テレパシー繋いだから、強く思えば相手に伝わるよ』とテレパシーについて簡単なレクチャーをし、それから、二人に『んで、これはテレパシー二級の資格を応用して、俺たち三人を繋いでみました』とコレの説明をする。
思えば、高橋さんが書いてくれた紙には、『双方向』という単語が無かった。最初はてっきり、テレパシーというものが双方向 (三級は一方向だったけど)で行われることが普通だから、高橋さんも省略してもいい事だと思って書いていないのだと思った。だけど、俺は考え方を変えてみた。というより、高橋さんの言葉をそのまま解釈することにした。
つまり、テレパシーは、電話のように双方向の会話だけでなく、チャットのように複数人との同時コミュニケーションが可能な資格なのだと解釈した。
そして、その解釈によって生まれた仮説を、実際に検証してみたら出来た。
俺は、成功による喜びを感じながら、説明を続ける。
『これで、俺が二人の行動をサポートするよ。俺は闘えないから、全力でサポートする。ちなみに、もしかしたら視覚を繋いで視える景色を共有することも出来るのかもしれないけど、いきなりそれは難しいだろうからやんないよ。あくまで声だけ』
これで、補足を含めた説明は終わった。
質問を受け付けようとしたら、説明が終わるのに間髪入れず、椿が言った。
『つーかだったら、俺とカイを繋ぐ意味は?』
『だから、実験だって』
『だからって、何も言ってねぇだろ』
椿の文句がうるさいので、『出来たみたいだし、そっちは今使わなくても別にいいよ』と言うことで無理矢理終わらせた。
うるさい椿はほっといて、何も言わず静かになったカイに訊く。
『カイは?何か疑問や苦情があるなら今のうちにね』
『……いや、ねえ。よろしく頼むわ』
『まかして』そう言ったところで、俺は重要なことを言い忘れていた事に気付いた。『あ、そうだ。今回俺、登場でけっこう目立っちゃったしさ、これ以上は目立ちたくないワケ。一応天使なもんで。だからさ、姿は消さないから。少しジャンプ力のあるヤツのフリしてパチンコ台の上とか棚の上とかちょこまか逃げてるから、俺が万全のサポートするためにも、二人は俺を全力で守ってね』
『へっ。まかせろ、楸』
『カッ。めんどくさ』
椿の態度に引っ掛かりを感じるが、これで不安要素は無くなった。
椿は、ポッケからDグローブを取り出してはめた。その手で、ニット帽をクイッと押し上げる。カイは、屈伸運動や脚首を回したりしている。
俺達の準備が整うのを待ってくれていたかのように、敵の一人が口を開いた。
「すいませ~ん。何いきなり黙ってるんですか?」途中から俺達のやり取りは、全部テレパシーで行われていたので、相手がそう思うのも無理はなかった。「もしかして恐怖で何も言えなくなっちゃったとか?なんなら、土下座の一つでもしてくれたら許してあげなくもないかもしれないんですけど、どうします?逃げる気に見えるけど、それはあんましオススメできませんよ?」
相手のその言葉に、俺とカイは身構えた。
絶対にする気はないが、たぶん土下座しても許してくれないだろうし、相手の纏う空気もそう言っていない。好戦的と言うか挑発的と言うか、明らかに土下座や謝罪の言葉だけで許す気が無いのが分かる。
だから、俺とカイは身構えたのだが、椿は違った。棒立ちのまま相手のことを指差し、実際に「なあ」と声に出して俺に訊く。
「どうしたの?椿」
「どうしてああいうヤツ等の使う敬語って、尊敬とかそういう事からかけ離れた感じがするんだろうな?なんか、頭悪そうって言うか」
椿が、相手を挑発しているのが分かった。
ったく。たいして強くもないくせに、なんでケンカ売るようなマネするのかな?そう思ったが、後には引けそうにないし、面白そうなので俺も椿に乗っかることにした。
「そりゃあ、実際に頭が悪いからじゃない?」
「やっぱし?」
椿のその言葉が、開戦の合図となった。
作戦通り、俺達は闘った。
椿とカイは、自身の持つ力を行使して闘い、俺は、逃げ回りながらもサポートに徹した。
『まいったな。最近「桃鉄」とかしかやってねぇから、闘うイメージを思い出せねぇ。つーかやっぱ、もっと「ストファイ」とか「キンハー」とかやっときゃ良かったよ』
『うるせぇよ椿!黙って闘え』
『おっ。ちゃんとカイにも繋がるみたいだな』
『余裕そうな会話のとこ悪いけど、ちゃんとしてよね、椿』
まったく、サポートする方の身にもなって欲しい。
俺は、椿とカイに対し7対3の割合で指示を出していた。指示の内容は、主に危険の報告や次に取るべき行動の選択肢の提示だ。ケンカ慣れしているらしいカイは、一人でもほぼ問題なく闘えているようなので、大勢を相手取るのが苦手な椿の方に、指示を多く割いた。だからと言って、カイの方を全くほったらかしにしているワケではない。むしろ、精神的な面で言えば、カイの方に多く力を割いている。なぜなら、カイの攻撃が直線的過ぎるからだ。この欠点を補う為に、俺は力を使った。その力とは、テレパシー三級によるものだ。これは、椿とカイの二人が闘っているからできることで、簡単に言えば、俺は相手の注意力を削いでいるのだ。たとえば『右から攻撃が来る』と相手の頭の中に送る。すると、相手は、それが仲間からの指示、もしくは自分の危機察知能力が研ぎ澄まされたことによる無意識の反応だ、とでも捉えるだろう。しかし、それは大きな誤りで、仲間の声でも自身の中の声でも、また右からの攻撃も、ない。相手の意識を右側に逸らし、開いた左側にカイが攻撃する。これは例えであるが、だいたいこうなるように、俺はテレパシーを飛ばしていた。
こうやって順調に闘い、敵の数も減ってきた。
過度に逃げ回る必要も無くなった為、俺はパチンコ台の上から戦況の把握に努めていた。そしたら、あることを発見した。
『椿。見知った顔があるよ。景品交換所の方見てみて』
そう言うと、椿もそれに気付いた。
敵もほとんど倒れるか逃走している。果敢にも残る数人程度ならカイ一人に任せても大丈夫だろうと判断し、俺と椿は景品交換所の方に向かう。
そこには、逃げ遅れたのか、それとも果敢に隠れていたのか、丸くなっている男がいた。
そいつは、椿の顔を見ると、一層怯えた。
「ひぃっ」
「よう。久しぶり、だな」
椿は、男に声を掛けた。初対面ではないので、椿は比較的友好的な態度なのだが、相手は素っ気ない。というより、椿を見ないように顔を背けている。
「あの…何処かで会いましたっけ?」
男は、はっきりととぼけた。
この男は、名前は知らないが、俺も椿も一度会っている。こちらもまた名前は知らないのだが、『彼に悪い女が寄りついちゃったんじゃないの?じゃ、尾行でもしてみる』って事をした時、不良グループのリーダー格だったこの男と、俺達は会っている。不完全だったけど、俺と椿が初めて一緒に闘った時に懲らしめた相手の親玉だ。
俺達とは面識ないとしらばっくれる男に、椿は言った。
「覚えてねぇワケねぇだろ?もっかい殴って、記憶をよみがえらせてみっか?」
「ちょ待って!俺、あん時殴られて無いッスよ」
「覚えてんじゃねぇかよ!」
椿は、男の頭に拳骨を落とした。
そして、自分の後方、もう既にカイによって全滅させられている連中の方を親指で指示し、椿は尋ねる。
「つーかなに?お前、こいつらのリーダーなの?」
「はぁ、一応」
俺達は驚いた。俺達の足元で、椿に怯えて委縮しているこの男に、どんな魅力や人徳があって、三十を超える男たちが集まっているのか理解できなかったからだ。
しかし、椿はすぐに驚きを引っ込めた。薄ら笑い、この好機を利用する。
「で、どうする?土下座でもするか?許してあげなくもないですよ」
椿がそう言うと、男は膝をついて地面に手をついた。本気で土下座するつもりらしい。
「待て待て」と、土下座を促した張本人の椿が慌てて止めた。男は、椿のことを見上げ、次の言葉を待つ。「いや、別に本気で土下座してもらいたいワケじゃねぇよ。つーか、そんなん意味ねぇし。だから、土下座はイイから誓え。もうくだらない事はしません、って」
「は、はい!誓います」
「俺のダチな、お前らがしようとしていたイジメみたいなこと、大っ嫌いなんだよ。見ず知らずの相手だってのに、首突っ込みやがる。そうすると、俺まで面倒事に巻き込まれる。だから…俺の言いたい事わかるよな?」
「はい!もう悪いことしません!」
「よし」
椿は、満足そうに頷いた。俺も、これで肩の荷が一つ下りた気分だった。この場はこれで良くても、俺達に任せてくれた少年やいじめられていた少年に、言いがかりのような報復があっては、何の意味も無い。二度も椿に怖い思いをさせられたのだ、この男もバカな事はしないだろう。
これで一安心。
ホッと一息つくと、椿は、「んじゃ、次に何すりゃいいか分かるよな?」と男に問いかけた。男は、それ以上言われなくても、その言葉だけで理解していた。ケータイを取り出すと、おそらく逃げ出て行った連中の誰かだろう番号を呼び出し、「おい、戻って来い!引き上げるぞ」と言っていた。その後すぐに、男の仲間数人が戻ってきた。店内に倒れる仲間達の惨劇に驚いていたが、男の指示で動けない者の補助などをし、迅速に撤退していった。この時だけは、この男にリーダーシップというモノを感じた。
さて、これで一件落着した。椿もDグローブを外している。
どっと疲れが押し寄せて来たと思ったら、押し潰された。
「あれ?」
俺は、倒れた。
椿 Ⅳ
天使が倒れた。
「おい、どうした!」
「楸!」
俺とカイは、すぐに天使に駆け寄った。
一瞬心配したが、天使はへらへら笑っていたので、とりあえず大事は無いと安心する。
「どうしたんだよ?」
「いや、わかんない。なんか、意識はハッキリあるんだけど、身体が動かないってゆうか、なんかだるいってゆうか…初めての経験」
天使も、自分の身に何が起こっているのか理解できていないようだ。
俺とカイはどうしたものかと困惑したが、休憩するにしても何するにしても、とりあえずここから場所を移そうという事で、カイは足をけがして引きずっているし、怪我は無く体力のある俺が、天使に肩を貸して引きずって行く事にした。
建物を出る直前、カイが「なあ、ちょっといいか?」と言うので、俺達は足を止めた。
「なんだ?」
「前にも訊いたかもしんねぇけど、どうしてお前らはそんなふうに闘えるんだ?初対面のヤツの為に身体張って、そんなボロボロになってまで」
俺は、怪我をしてない。天使も、動けないだけで外傷はない。この場で一番ボロボロな男にそう訊かれ、俺達は戸惑った。もしかしたら、これはカイなりのとんちの利いた問答なのかもしれないと疑った。だが、違った。
カイは、真剣な顔をして続ける。
「お前らの護るモノって何だ?譲れないモノって…。何がお前らをそんなに動かすんだよ?」
カイは、言った。苦しそうに、切実に、自分自身に問い掛けるように。
その真剣さに、俺達は答えたくなった。
「それ聞いて、カイはどうするの?」天使は言った。「間違ってたら悪いんだけど、俺にはカイが自分自身に問い質しているように聞こえるんだよね…」
「俺にもそう聞こえたな」俺も、天使に続けた。「つーか、お前にはあんのかよ?そういうモンが」
「俺には……ない」
カイのその答えは、俺達にとって、ある意味予想通りだったが、信じられるものではなかった。
何て言おうか悩んでいたら、先に天使が口を開いた。
「あのさ、カイ。これも俺の想像なんだけど、カイにはもうあるように見えるんだ。大事なモノ、護りたいモノが」
「んなもん…!」
カイは、すぐさま何か言い返そうとしたが止めた。天使の真剣な表情が、それを許さなかったからだ。
天使は、続ける。
「俺さ、カイの考え方好きだよ。力無い者の為に、誰かの為にって怒ってあげられる強さも。だからさ、そんな事を普通に出来るカイなら、そういうモノも持っていると思うんだ。てゆうか、俺達に言うけど、カイだって初対面のヤツの為に身体張ってボロボロじゃん」
天使にそう言われ、カイは暫し黙った。何かを考えていると言うよりは、頭の中の想いをどう表現しようかと悩んでいるように、俺には見えた。そして、恐る恐ると言った感じで、カイは胸に引っ掛かっているモノを打ち明けた。
「俺には……やっぱ無い。あっても、違う……てゆか、うん…やっぱ違うんだよ。プライドとか信念とか、そういうモンじゃねぇ気がするし、実際さっき暴れてたのも、やっぱただ俺がムカついたからだ。だからたぶん、手の届かない所にあって、それは、俺なんかが触れていいモノじゃないから、俺の力は要らないから…。わりぃ、よく分かんなくなった」
そう言うと、カイは顔を伏せた。
本人によく分からないモノは、俺にもよく分からない。つーか、俺には全く分からない。ただ、目の前で悔しそうに唇をかみしめるカイに、何か言葉を掛けてやりたかった。けど、俺には上手い言葉が見つけられそうも無いので、俺の肩を貸してやっている天使に視線を送った。
天使は、「しゃーねぇな」とでも言いたそうに息を一つ吐くと、カイに言った。
「もしカイの大切なモノや護りたいモノってのが自分の外にある何かなんだとしたら、これだけは言っておくよ。完璧なヒトなんていない。どんなに完璧そうに見えるヤツでも、どんなに強そうなヤツでも、みんなどっかに弱さを抱えている。護らなくても大丈夫だとか思うな。カイが護りたいって思うなら、全力で護ってあげればいいだろ。邪魔だって、鬱陶しいって思われても、護りたいなら護れよ」
天使は、どこか投げやりだったが、力強い言葉をカイに送った。そして俺も、「ま、あんまりウザ過ぎて引かれるようなら、少しブレーキ掛ければいいしな」とアドバイスを送る。
しかし、俺と天使から素敵な言葉の贈り物を貰っても、カイの表情は晴れなかった。やはりまだ引っかかりを感じているのだろう。
だが、俺と天使は、言いたいことは言った。これ以上何かを言うつもりはない。後はカイ自身の問題だと、再び建物の外へと足を動かし始めた。
旧パチンコ屋を出ると、他に誰もいない駐車場に一人、俺達を待っている人物がいた。
柊だ。
「ハッ!どうした、その様は?」
心配もせず、柊は俺達をバカにするように微笑していた。
まさかケンカしてこうなったとも言えない。だが、言わなくても見ればわかるくらい、特にカイはボロボロだ。カイは、自身の恥を隠すように俺達の影に隠れた。無言を貫き通すつもりのようなので、俺もその意思に沿う事にした。
「別に」
しかし、柊を誤魔化す事は出来ない。猜疑心を持って俺達を観察し、事態を把握した。
「ふーん。楸は一人で歩けないほど疲労しきっていて、カイは右足を引きずっている。これでも『別に』なの?」俺達の容体を的確に見抜いた柊は、さらに続ける。「大方、ケンカでもしたんでしょ。さっき、それっぽい連中が大勢出てったし」
図星だった。
俺はカイの意思を酌んだのだが、柊は自ら知ったのだから、もういいだろう。
何よりもまず、俺は天使の状態が知りたかった。
「なぁ、柊。これ、どうしたんだ?いきなり倒れたんだけど、何かわかるか?」
肩に乗っかる天使を指差し、俺は訊いた。
柊は、天使のことをジッと見て「ハッ。外傷も無いようだし、ただの力の使い過ぎよ」と判断した。その判断は、以前柊にもあったことだったので、俺は「なるほど」とすんなり理解出来た。「で、楸。何やったの?」
柊の質問に、視線を外して天使は答えた。
「えっとね、二級のテレパシーで俺たち三人を同時に繋いで、そのままの状態で三級のテレパシーを何回か飛ばした」
「ハッ。分かっていると思うけど、普通、資格の力は一度に一つずつが原則なの。なのに、そんな応用技に無茶も加えれば、そりゃ力なんてすぐに無くなるわね」
「ごもっともッス…」
柊は、嬉しそうだった。楽しそうと言っても良いが、とにかく、天使の無様な姿に満足感を浮かべている。特に助言や励ましの言葉は無かった。
そして、柊の視線は、俺達の影に隠れるカイへと移る。
「で、アンタは?」
「いや…俺は別に…」
カイは、そう言った。たとえ隠しても、足を怪我している事は既にばれているし、その傷だらけの顔を見れば、「別に」なんてことはないとバレバレだ。
柊は、呆れ顔で溜め息をつくと、俺達の横を通り抜け、カイの方へと歩み寄った。
逃げようとするカイだが、すぐに柊に捕まる。
柊は、片膝をつき、カイのズボンをめくり上げ、怪我で出血し腫れあがっていた脛をジーっと見た。
「ちょっといい?」
「は、はい」
柊の問い掛けに、顔をほんのりと赤くしたカイが頷いた。
何をするのかと、俺と天使も、カイの怪我が良く見えるように柊の背後から覗き込む。
柊は、両手を傷口にそっと当てると、目を閉じた。何が起こっているのか分からなかったが、次第に傷口からの出血が無くなっている事に気付いた。そして、柊が目を開ける頃には、傷が無くなっていた。
「マジ…?」
「柊…これって…?」
天使が言うと、柊は大きく息を吐き出した。そして立ち上がり、「そっ。アタシ、新しく治療系の資格を取ったの」と言った。
何かの資格を取ろうとしている事は知っていたが、それが治療系だとは知らなかった。
「え、マジで?柊、出来んの?」と異常に驚いている天使のリアクションから察するに、治療系の資格は他とは一線を画する難しいモノのようだ。
驚いている俺達を尻目に、柊は得意そうに言う。
「今ね、ヒナさんの所で資格の勉強してんの。けっこう難しいけどほら、打撲ぐらいまでならもう余裕で…」
そう言うと、柊は今 治したカイの脛を叩いた。それは、「ぺしん」位の弱さだったのだが、カイは「ぎっ…!」と痛みに悶えた。
「いや、治って無いじゃん」
「え、ウソ!」
予想外の事に、柊は慌てた。バカにしている天使なんか眼中に入れず、カイの傷口を見る。俺も、血が止まったから治ったと思ったのだが、よく見ると腫れ自体は引いていなかった。
「や、大丈夫っすよ、柊さん。お陰で完璧治りました。ほら」
そう言って、カイは脚を動かした。
だが、脂汗も滲んでいるし、強がっているのは明白だ。
柊は、困惑しつつも「いいから。じっとしてな」と無茶をするカイを制した。「どうして?どこ間違ったの?」とうろたえる柊には、いつもの毅然とした感じは無かった。
柊は、片膝をついたまま顎に手をやり「おかしいな?どこをどう間違ったの?」と悩んでいた。そんな柊を見下ろしていたカイは、一瞬フッと笑ったかと思うと、大きく息を吐き出し、真剣な表情になった。どこか照れを滲ませた真剣な顔で、カイは言う。
「あの…ひ、柊さん」
「ん?なに?」
柊は、顔を上げ、カイの事を見上げた。
俺と天使は、カイの突然の行動に身構える。一言も聞き洩らさないように、柊の背中越しにカイの事を見る。
カイは続けた。震える声で、確かに言った。
「あ、あの…俺、強くなります。もっと強くなります。柊さんよりも強くなって、絶対デカい男になります。大切なモノ、護ります。だから…」
カイは、そこで一度言葉を切った。
もしやこれは?俺と天使の頭の中に、共通の閃きが浮かんだ。
カイは、告白するつもりだ。
しかし、カイの次の言葉はなかなか出てこない。じれったいので、この空いた時間を利用し、俺と天使は『次の言葉は何か』で賭けをする事にした。
「負けた方はこの後メシ奢ることね。俺は、『好きです。付き合ってください』で」
「うわっ、本命とりやがった。じゃあ俺は、『俺の大切なモノになってください』で」
俺と天使は、小声で予想を出し合った。
運命の時を待つ。
「だから…」ともう一度言い、カイは気持ちを固めた。
そして、カイの言った言葉は、これだった。
「俺の事、見ていてください」
「「え?」」
「絶対、でかくて強い立派な男になるんで、見ていてください」
俺と天使は、拍子抜けした。そして、白けた。
そこはお前「好きです」の一言ぐらい言えばいいのに、と心の中でカイの事を罵ってみる。しかし、罵ってみるが、カイの気持ちというか覚悟は分かった。
つまり、カイは、自分の「大切なモノ」「護りたいモノ」は見付けたのだ。つーか、見付けていたけど認めていなかっただけで、今それをやっと認めることが出来た。だけど、いくら天使に何を言われようとも、今の自分自身に納得がいっていないから、胸を張って「大切なモノ」と向き合えるよう、もっと精進していくという決意の言葉なのだろう。
つくづく面倒くさいつーか、バカな男だ。
そんなバカを見ていたら、ふとある事が気になった。
柊は、どんな気持ちでカイの言葉を待っていたのか、が。
俺と天使は、カイの気持ちを知っているからというのが多分にあるが、てっきり愛の告白だと思い込んでいた。では、カイの気持ちを知らないであろう柊は、どんな気持だったのだろうか?
その答えを知りたくて、俺と天使は柊の表情だけでも見たかった。これで色白の柊の顔に赤みが差していたら、少しでも期待していた事になると思ったから。その為には、背後からでは柊の顔が見えないので、こっそり自然な感じで柊の前に回り込もうとした。だが、俺達より先に、柊が動きを見せた。
柊は立ち上がると、カイに言った。
「ハッ。アンタがアタシより強くなるって?出来るもんならやってみな」
柊は、挑発的な言葉をカイに返した。
自分の決意を一蹴されたような気がしたからだろう、カイは視線を下げた。
しかし柊は、落ち込み、顔を伏せようとしたカイの頬に両手をあてた。
何をするのかと思い見ていると、柊は、カイの顔の傷を治していた。みるみる傷が無くなっていく。そして、顔の傷が全部治ると、言った。
「ま、頑張りな。ね」
そう言った柊の声は、さっきの挑発的な声と違い、例えば榎に向ける様な、穏やかで優しいものだった。
そして、そこでまた、俺達の頭の中にある疑問が生じる。
そう言った柊の顔は、笑顔なのか?だ。
基本的に柊は、俺達に笑顔を向けない。榎は別として、少なくとも俺や天使に笑いかけた事など無かったように記憶している。いつもバカにしたような顔や余裕に満ちた顔、呆れた顔や不機嫌な顔、ギリ不敵な笑みはあっても優しさスマイルは見せられた事が無い。
だからこそ、興味がある。
柊は、カイに笑顔を向けるのか。
しかし、柊の背中からは表情を読み取ることが出来ない。苦肉の策として、カイのリアクションから判断しようにも、それも無理そうだ。
なぜなら、カイは顔を真っ赤にすると、そのまま倒れてしまったからだ。おそらく、柊に顔を触られた辺りから、もう既に意識を失っていたのだろう。気絶したカイの表情は、どこか嬉しそうだった。
「ちょ、アンタ?えっ…またアタシ失敗した?」
気絶したカイに寄り添いながら、柊はオロオロとうろたえていた。柊の治癒自体は成功したのだろうが、カイの気絶した真意は、柊には分かることは無いかもしれない。
「アンタたち、笑ってないでなんとかしてよ!」
柊に怒られたが、俺達は笑うのを我慢できなかった。
喜びで気絶するカイと、それをうろたえながら介抱する柊が、すごく面白かった。
やっぱ、カイと一緒に仕事をして良かった。
この後、どうせ目覚めたときにはご機嫌だろうから、カイにメシを奢ってもらう事に、俺と天使は決めた。
梅
椿達と仕事をした次の日、俺は家の中でじっとしていられず、授業が終わっても外をアテも無くブラブラと歩いていた。
俺は今日、すこぶるハッピーだ。
昨日、柊さんに「強くなる」ってカッコつけといて、その後すぐに気絶しちまった。いきなり弱いトコを見せてしまって後悔したけど、後悔を吹き飛ばすほどのハッピーがあった。
なんと、あの柊さんが、俺の顔を触ったんだぜ!
あぁ、今でも信じらんねえ。幸せすぎて俺死ぬんじゃね?
柊さんの手、あったかくて柔らかかったなぁ。いい匂いしたし。てゆうか、すげぇ可愛かったつーか、いつも美人なんだけどいつも以上に光ってたっつーか…あぁー!
あの人こそまさに天使だよ。人がご機嫌なとこをたかってくるようなヤツに比べたら、万倍も天使だ。
って、もともと天使だっつーの!
こんな感じで、いつもはやらないような自分ツッコミを頭ん中で炸裂させるぐらい、今日の俺はハッピーな気分だった。
あとまぁ、これは俺が今日ハッピーだからそう思っただけかもしんねぇけど、他にも少しイイ事があった。
幸せ気分で歩いていたら、昨日の中学生を見かけた。あの俺達が見つけた方のヤツと、そいつの友達だっつってたいじめられてたヤツ、二人を見かけた。
そいつらが、一緒に下校していた。
何話しているのか分からなかったし、興味も無い。てゆうか、俺とアイツらは無関係だから、別にどうでもいい。
ただ、辛い事があっても仲良くやってくれてるといいなとは、少しだけだが思う。
ま、心配ねぇか。
あいつらの楽しそうに笑った顔が、俺の中から何か一つ、わだかまりを奪って行ってくれたような気がした。
「……っしゃあ!走っかぁ!」
カイのお話でした。
カイは、現在親元を離れ一人暮らしをしています。そのため、あの独白部分が長くなってしまいました。
カイは、理不尽なことが嫌いです。でも、短絡的思考回路の持ち主なので、深く考えません。だから、九話のようなことをします。今回も、いじめられているなら助ける、それだけを思って動きました。
カイは、自分が無力だと思っています。だから、理不尽なことが多い世の中で、怒りを感じることはたくさんあるけど、それを自分では解決できるとも思っていません。だけど、動きます。
柊に対しては、高嶺の花だ、という思いを持っています。ですから、自分がふれていいものではない、とかも考えています。でも、今回のことで、少し吹っ切れました。
カイの「大切なモノ、譲れないものモノ」は柊だけではありません。
カイは、単細胞だけど結構悩む、そんなやつでした。
椿の言った「先人たち」について。
マンガやアニメの登場人物です。
カイについては消化不良な説明となったので、ちゃんと話として表現できたら、と思います。




