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天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
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第十四話 今回も見せ場が少ないけど頑張りたいと思う向上心の高い天使です(前篇)

今回の主役は、あいつです。


     楸


 理由は無い。思い当たる節も特にない。

 でも、どうしてもヤル気が出ない日、ってのもあるよね。

 今日は、そんな日なんです。

 今日は、そんな日なんですと片付けるわけにもいかないだろうから、とりあえず昨夜のことを簡単に振り返ってみよう。

 昨日の夕飯はカレーだった。美味しかった。その後、ゆっくり風呂に入って疲れを落とした。風呂から上がったら、本を読んだりテレビを見たり、榎ちゃんとメールして、返信を待つ間は椿に意味の無いメールを送って怒られた。やることも無くなったら、程良い疲労感を感じたまま布団に入り、いつの間にか朝を迎えていた。

 思い返してみると、椿のメールが若干引っかかるが、今日の俺のヤル気を削ぐような原因は無かったように思われる。

 だが、純然たる事実として、今日の俺のヤル気は無い。

 だけど、ノルマも溜まりつつあるし、仕事をしないといけない。



 簡単に身支度を整え、口にエネルギー源のアメも入れ、高橋さんの部屋に向かう。仕事をするにしても何をするにしても、一日の始まりとしてまず顔を出すのが習慣だからだ。

 高橋さんの部屋に来るまでに目覚めの悪いヤル気が起きて来るかも知れないと思ったけど、そんな事は無かった。どうやら俺のヤル気は、今日は一日中寝ているつもりなのか、それとも不在なのかもしれない。寝ているだけなら叩き起すことも出来るが、不在であればしょうがない。

 ヤル気が帰ってくるのを待ち遠しく思う。

 ヤル気不在のまま、俺は、高橋さんの部屋のドアをノックした。

「おはようございます」

 時間的に考えると「こんにちは」という挨拶でもおかしくない時間になりつつあるのだが、それでも間違いではないし、自席で書類整理をしていた高橋さんも「おう、おはよう」と返してくれたから、何の問題も無い。

 俺は、部屋に入るとまず、自分のデスクに座った。

 デスクの上を片付け、綺麗にする。何故かいつもすぐ汚くなるが、俺は負けない。

 片付けを終えると、引き出しから資料を探し出し、それを読む。特に目的の資料があるワケでもなかったから、テキトーに手についた資料を出し、それを読む。なんか資料に目を通していると仕事をしているっぽい感じが出るから、真剣に目を通す。

 目が疲れたからお茶にしよう。自分と高橋さんの分のコーヒーを入れたら、コーヒーを飲みながら、椿とメールでスケジュールの確認をする。やはり、今日は午後から仕事をすることになっていた。

 危うく忘れるところだった予定を思いだし、ガックリする。

 うな垂れたが、すぐに気持ちを切り替え、午後のイメージをする。仕事に関係ないようなことでも、万事に備えあれば常に冷静でいられるらしいから、決して無駄なことではない。むしろ必要なことであるといっても良いだろう。

 そんなことを思いながらイメージトレーニングしていたら、高橋さんに声を掛けられた。

「おい、楸」

「なんですか?」

 椅子を回転させ、高橋さんの方を向く。

 高橋さんは、自分のデスクの椅子にふんぞり返るように座っている。仕事に関係ある時や仕事に関係なくても必要な時は手招きなどで呼び寄せるが、そんな素振りも無い所を見ると、ただの雑談だろう。そう察し、俺も座ったままで話をする。

 高橋さんが、天井を見上げたまま言った。

「お前、新しい資格を覚える気はないのか?」

「なんです、急に?特にないですけど…」

 俺が答えると、高橋さんは椅子に深く腰をおろして座り直し、今度は俺の方を見て話す。

「いやな、楸が資格をあまり取る気が無いことは知っているつもりだが、どうかと思ってよぉ。今は色々と違うし、なにより相棒もいるワケだ。あいつをサポートしてやる意味でも、も少し資格の種類が多い方がいいんじゃないかと思ってな」

 高橋さんは、目に見えるほどに気を遣いながら、俺に提案した。

 高橋さんに言われた言葉を反芻しながら、俺は頭の中で考える。

 そりゃ、資格を取る事によって得られる力は大きい。仕事をする上でも有利に働くし、不測の事態が生じた場合に、資格があることで対応できることもあるだろう。そんなことは百も承知だ。

 だけど、俺は、資格を取る事には消極的だ。

 消極的というか、怖い。やっぱり、昔のことを思い出しちゃうと、怖い。

 資格の力があれば、それだけで何でも出来ると勘違いしていた自分。そのせいで犯してしまった取り返しのつかない過ち。だから、どんなに便利だと分かっていても、仮に俺に資格を取る力があっても、俺自身が未熟なままでは、資格は取れない。もちろん俺のケースみたいに資格が悪い方に働くなんて事は稀なことだとも思うが、それでもだ。

 だから、俺は正直にそのことを伝える。

「俺は、まだいいです。もっと成長して、自分の器を知って、それから見合った必要な資格を取ります。だから、まだいいです。それに、気に入っているんですよ〝テレパシー″。これだと椿と一緒になって仕事をして成長していける気がするから」

 俺が言うと、その言葉を受け入れるように、高橋さんは微笑した。

「くくっ。楸がそう思って決めたんなら、それでいい。…それがいい」そう言うと、今度は「ま、だったらテレパシーの一級を取れって気もするが…」と、挑発するような笑いを浮かべた。

「……それも、その内考えます」

 俺が答えると、高橋さんは「くくっ」と楽しそうに笑った。

「ま、なんにせよ余計なことを訊いたみたいだな」

「いえ……すみません」

「くくっ。謝ることない」俺が勝手に作ってしまった湿っぽい空気を払拭するように笑うと、高橋さんは気楽な雑談を始めた。「いやな、珍しくというか久しぶりに、柊が新しい資格を覚えたいなんて言うモンだからよぉ、楸もどうかと思っただけなんだ」

 俺も、お気楽モードに切り替える。

「柊が?」

「おう」

「あいつ、まだ力付ける気なんですか?」

 同僚の勤勉さに、感心を通り越して呆れた。

 俺には、もう充分に思えた。そう思えるぐらい、柊は有能だから。

「柊は、今もそうだが、一人で背負い込むところがある。だから、力もあるに越したことは無いと思っているんだろう」

「でもそれだと…」

 俺は、自分がそうだったから、少し不安に思った。

 だけど、高橋さんの顔には不安に思う様子は無い。

「大丈夫。あいつはバカじゃない」その言い方だと、俺がバカみたいだ。でも、それを気にせずに受け流し、高橋さんの話の続きを聞く。「それに、俺もあいつが道を踏み外すこと無いよう見守ってやるつもりだし、そんな必要が無いくらい柊はしっかりしている」

「それ、柊に言ってやったら喜ぶと思いますよ」

「なにより…」俺がボソッと言ったことは高橋さんの耳には届いていなかったらしい。高橋さんは、俺の発言を気にせず続ける。「今回はいつもと事情が違うらしいしな」

「事情?」

「ああ。柊は、〝悪魔の剣″を会得した時もそうだったが、自分に足りないものを埋めたいからって、自分を追い詰めるように力を求めていた。こうなったのは自分に力が無いからだ、力があれば結果を変えられたかもしれない、俺にはそんな風に見えた。だけど今度は、誰かの為になりたいからって、今の自分ってモノを受け入れた上で力を必要としている。自分じゃなく誰かを見て、ほんの些細な違いかもしれないが、俺はイイ傾向なんじゃないかって思っている」

 そう言うと、高橋さんは、何かを思い出すように目を細めた。


     ○


 高橋は、柊が新たな資格を欲しいと言って来た時のことを思い出していた。

「アタシには別に必要ないかもしれないけど、椿や榎ちゃんを見ていると不安なんです。あの二人、特に榎ちゃんは、危険なことにも首を突っ込んでくる。アタシが守ってあげられたらいいんだけど、それにも限界はある。だから、その資格が欲しいんです」

 柊は、その真剣な眼差しを高橋に向けた。

 高橋も、柊の思いを受け止めた。自分が余計な心配をしなくてもよさそうだと察し、嬉しさから思わず口角が上がる。その高橋の笑みに気付いた柊は、何か不味いことがあるのではないかと不安になり、「なんですか?」と訊いた。

 高橋が微笑を浮かべたまま「くくっ。何でも無い。気にするな」と答えると、腑に落ちない感じはしたが、柊もそれ以上つっこまない。

「いんじゃないか。柊なら、きっとその資格をモノにできる」

「は、はい!」

 高橋に認められ、柊は笑顔になった。

 柊の元気のいい返事を聞くと、高橋はアゴに手を当てた。「ん~」と唸り、何かを考える。それはもちろん柊の資格に関係あることで、考えをまとめると、それを話し始めた。

「その資格についてなら、俺も全く知らないワケじゃないが、ほぼ無知と言っていい。というより、アレにはセンスも必要だから、俺にはセンスが無いと言った方が正しいな」

 高橋が卑下するようなこと言うと、柊は「そんなことは…」と否定しようとした。

 だが、高橋が手で制した。

「だからな、もし柊が真剣にその資格を会得したいと思うなら、気難しくて厄介なヤツだが、確かなセンスもあって詳しいヤツがいる。そいつに話 通しておくぞ」

 柊としては、他の資格を教えてもらった時の様に、高橋に教えてもらいたい気持ちがある。高橋のその時のスケジュールと気分に左右されもするが、上手くいけばマンツーマンでの指導もあり得る。そうなれば資格も覚えられて好きな人とも一緒に居られる、一石二鳥だ。が、わがままは言えない。

「お願いします」

 高橋のせっかくの計らいであるから、それを無下にも出来ず、複雑な気持ちを抱えたまま柊は了承した。しかし、高橋は、柊のその微妙な気持ちには気付かない。

「大丈夫だ。酷いヤツだが、悪いヤツじゃない」

「いえ、そういう意味じゃ…」

 高橋に心配させたのではと、柊は慌てて否定した。

 だが、高橋はそんなこと気にしていない。その後も勝手に一人でぶつぶつ喋っていた。

「いや…悪いヤツかもな。くくっ。猫かぶってやがるから、優しくされても油断しないこった」

「……はい」

 楽しそうに笑う高橋とは対照的に、その後 高橋の部屋を出てからもしばらくするまで、柊は、嬉しいけど残念、というような複雑な気持ちに表情を歪ませていた。


     楸 Ⅱ


 高橋さんは、目を細めて何かを思い出すようにしていた。おそらく柊に関することなのだろうが、「くくっ」と笑っている所を見ると、ちゃんと会話をしたのか、ちゃんとしたアドバイスをしたのか、かなり怪しい。

 でもまぁ、俺なんかが心配しなくても、きっと大丈夫だろう。

「ま、話は戻るが…」高橋さんが俺の目を見て話しかけて来た。その声で、俺も現実というか高橋さんとの会話に戻る。「柊も成長しようとしている。資格を取ることだけが全てじゃねぇが、楸も考えてみたらどうかと思っただけだ。せっかくいい相棒や仲間がいるんだ。あいつらの為に自分が出来ることを『考える』ことも……立派な成長なのか?」

「俺に訊かないでください」

「くくっ。そうだな」

 たまになる事だが、話の終着点を見失ってしまった。こうなる時は、高橋さんの考えは二パターンある。一つは、話を誤魔化したい時。そしてもう一つは、言い辛いことを伝えようとしている時。この二つ目の時に上手く出来ずに失敗すると、話の終着点を見失う。

 今回の場合は、どっちだろう?

 たぶんだけど、後者だと思う。高橋さんは、今の俺に足りない何かがある、そういった類の事を指摘したいのだと思う。

 だから、俺は考える。高橋さんの言いたい事は、俺に足りない事は、何かを。

 おそらく、今のままの俺でも、まだ出来ることはある。資格の話をしていたのだから、たぶん資格に関すること、特に俺の持つ〝テレパシー二級″レベルでの事だろう。しかし、考えてみるが何も閃かない。というか、無線で出来るが一方的に話しかけることしかできない能力と、双方向の会話が可能だが、俺の意思で創り出した見えない線をオデコに繋いでの有線でしかできない能力、この二つにまだ可能性はあるのだろうか?

 考えることに苦戦している俺を見て、高橋さんは楽しそうな笑みを浮かべた。

「ま、追々でいいだろ。今は出来ることを出来ればいい。普通って言う型にはまることもない」

「……はーい」

 相変わらず、何が言いたいのか分かり難い人だ。だから、いつもみたいに高橋さんの言葉を頭の隅っこ、出来ればすぐに見つかるような隅っこに置いておくことにする。



 高橋さんとの雑談の後、資格について調べることにしてみた。

 高橋さんの言っている事は、回りくどい上に解りづらい。だけど、何か意味はあるはずだ。だから、とりあえず俺の持つテレパシーと他の資格について、もう一度学び直して見ようと思った。

 しかし、それは難航した。

 最初は知っている人に訊けばいいと思い、確か高橋さんもテレパシー二級を持っていた事を思い出し、教えを請う事にした。だが、高橋さんの対応は「前に紙やったろ。資格について簡単にまとめてやったヤツ。あれどこやった?」と、門前払い同然の扱いを受けた。

 仕方が無いので、高橋さんの言う『資格について簡単にまとめたヤツ』、それは以前高橋さんが俺の為にまとめてくれたA4用紙何枚かの手書きの資料なのだが、それを探すことにした。本当ならば、館内にある図書室兼資料室に行けば詳しいことが分かるのだが、専門書ほど解りにくい物は無い。専門書は、解るヤツが解る為だけに書かれた暗号書で、解る頭の無い俺みたいな普通の天使が読む物ではない。もっと簡単にまとめられた入門編もあるにはあるが、それは簡単過ぎる内容だ。いや待て、あれ、読んだっけ?……とにかく、俺が解るように高橋さんが作ってくれた資料がある。そんな素晴らしい物があるのだから、それを使わないテは無い。というか、他にあても無い。

 だがしかし、これが苦労した。書かれている内容を理解することにではなく、その資料を探すことに、だ。確か俺のデスクの引き出しの中に入れていた気がするのだが、なかなか見つからなかった。それもそのはず、目当ての資料は、使い勝手が良いと言えば良いのかもしれないが少なくとも俺はそう思えない、効率よく整理されていると言えばそう見えなくもないが俺の目には散乱しているようにしか見えない、つまり俺にとっては目を覆いたくなるくらい汚い引き出しの奥の方に入っていた。紛失もしくは読めないような状態になっているという最悪のケースも考えたが、引っ張り出した資料は無事だった。皺も伸ばせば、読む苦労も少しは減るだろう。

 早速、綺麗に皺を伸ばし、資料の俺が知りたい必要な部分に目を落とす。

『テレパシー三級→自分が強く思ったことを、対象者の頭の中に飛ばせる。テレパシー二級→創り出した線をオデコに繋ぎ、意思疎通できる。ただし、線は直接触れて繋がなければならず、線を切ったらそこで終了。テレパシー一級→線が要らないらしい。すごく便利だとさ』

 なにこれ?これだけ?

 高橋さんが作ってくれた資料に書かれていた内容は、覚え方なども省いた、本当に必要最小限のことだけが書かれているだけの物で、図書室にある入門編よりも簡潔だった。

 さすがにこれだけの内容からでは何も得られない。というか、この程度のことならば資料を見るまでもなく知っている。高橋さんを問い詰めて苦情の一つでも言ってやろうかと思ったが、高橋さんが俺のことをニヤついた顔で見ているのに気付き、止めた。

「どうだ、楸?それ、役に立つだろ」

「そうですね。前には進めないけど、基本に立ち戻ることは出来ました」

 皮肉のつもりで言ってやったのだが、高橋さんは笑っていた。



 そろそろ仕事に行こう。

 椿との約束を思い出し、待ち合わせのいつもの喫茶店に行かなければと立ち上がる。

 そしたら、高橋さんに「おい、楸」と呼び止められた。

「机の上、また散らかったままだぞ」

 見てみると、確かに本やクリップ留めされた紙の資料、アメなどのお菓子も散乱していた。来た時にせっかく片付けたのに、もお。

「帰ったら片付けますよ」

「今度は上だけじゃなく、中もやれよ。上の物を適当に引き出しん中に入れるから、引き出しん中から物探す時に中のモンひっくり返すはめになって、また汚れんだからよ」

「……そんなカラクリだったんですか」

 薄々気づいてはいたが、あえて驚いたふりをした。

 そして、これ以上長居すると、また小言を言われかねないと思い、逃げるように高橋さんの部屋を出た。

「後で片付けますから」

 と、言い残して。


     椿


 理由は無い。思い当たる節も特にない。

 でも、どうしてもヤル気が出ない日、ってのもあるだろ。

 今日は、そんな日だ。

 今日は、そんな日だと片付けるわけにもいかないだろうから、昨夜のことを簡単に振り返ってみよう。

 昨日の夕飯は、カレーだった。俺は出来立てのカレーが好きなんだけど、二日目のカレーも美味かった。飯を食った後は、風呂に入った。リンスが切れかけていて、代えも無いことに気付いた。今度買いに行かないといけないなぁ、とか思いながら、なんでシャンプーの減りと並行してないんだよとか疑問に思ったんだ、たしか。で、風呂から上がったら、榎からのメールに返信したんだ。ずいぶんほったらかしにしちゃったから怒っているのかなと、なかなか来ない返信を待っていたら、クソ天使からくだらないメールが来たんだ。その鬱陶しいメールをテキトーに返して、しばらくしたら榎からのメールも来て、その榎とのメールのやり取りの途中で寝たんだった。

 思い返してみると、あのクソ天使からのメールが若干引っかかるが、今日の俺のヤル気を削ぐような原因は無かったように思われる。

 だが、事実として、今日の俺のヤル気は無い。

 しかし、俺も自分で感心してしまうくらい義理堅いというか真面目だ。

 午前中は、ヤル気の回復やマンガの読み返しに時間を使った。ヤル気の回復の方は上手く出来なかったが、天使との約束もあるので、待ち合わせの場所の喫茶店に向かった。この日は天使の仕事をする予定なのだが、とある事情から、待ち合わせ場所は喫茶店になっている。喫茶店は、いつもの喫茶店だ。

 まったく、ヤル気が全然無い日にも関わらず、あのクソ天使との約束を守ろうとしているなんて、俺は意外にも義理堅く真面目な生き物だなと感心した。



 喫茶店に着くと、すでに天使が来ていた。浴衣を着て下駄を履いている人は、当然ながら他にいないので、嫌でも目につく。すぐに天使を見つける事が出来た。

「遅いよ、椿」

「悪かったな。あ、コーヒー一つ」

 天使にテキトーに謝り、店のコにコーヒーを注文した。マスターは、店内に流れるミュージックをどうしようかとレコードを選んでいるので邪魔出来ない。だから、テーブルを丁寧に拭いていた店のコに頼んだ。

 コーヒーを頼み、天使のいるテーブルに座る。

「やり直し」

 椅子に座るとすぐ、天使が言った。舐めていたアメを俺の方に向け、その声と顔は不満に満ちている。

「は?」

「だから、やり直し。椿の謝り方には誠意がまるでない。約束の時間から三十分も遅れているのに、ちっとも悪いと思ってない」

「思ってるよ。悪かった」

「やだ」

「謝罪に『やだ』って返されたのは初めてだよ」

 これ以上は何も言わなかった。いつも以上に面倒くさい天使が、まだ文句を言っているが、無視した。ほっておけば、いずれ治まることだろう。

 そして思った通り、天使はすぐに平常になった。俺が頼んだコーヒーが運ばれてくるまでの間、約五分間文句を言い続けていた天使は、俺のコーヒーが来たタイミングで、お冷を飲んで喉を潤した。ただの水なのに美味しそうに「ぷはぁ~」とまるで生ビールを飲んだ時の様に息を吐き出しているのは、それほどまでに喉が渇いていたからであろう。つまりそれは、五分間もだらだら喋り続けたことに起因しているように思われる。ともすれば、それだけ美味しい水を飲めたことは、広く解釈すれば俺のおかげでもあるワケで、感謝してもらいたい。

 だが、次に天使の口から出た言葉は、俺への感謝ではなく、ただの愚痴だった。

「てゆうか、聞いてよ」

「あ?」

 今の「あ?」はただの反応だ。別に天使の話を聞くことに「イエス」の返事をしたワケではない。しかし、天使は話し始める。

「柊さ、また新しく資格取るつもりなんだって」

「へぇ~、すげぇな」

「へぇ~、すげぇな、じゃないでしょ!」

 天使は、声を荒げた。

「っせぇな」

「っせぇな、じゃない。まったく、柊はどこへ行こうとしてんだか…」

 どうやら天使は、柊が新たな資格を取り、自分との差が開くことが気に食わないらしい。柊との天使としての優劣に関して、今更気にした所でどうしようもない位に、それこそ天と地ほどの差があるはずなのに、天使は今更 気にした。それで不機嫌になるなんて、どんだけ小さい男なんだか…。

 能力だけでなく器の大きさ的にも負けている天使に呆れていたら、気になって然るべきあることが気になった。

「ところで、柊は何の資格を取る気なんだ?」

「……さぁ?」

「は?」

「そう言えば、そこんとこ聞くの忘れてた」

 そう言うと、天使は「ははっ」と笑った。

 本当は柊との差なんて気にしてないんじゃないか、それともっつーかやっぱりただのバカなのか、そこのところは追及しない。しなくても後者だろうと想像がつく。

 その代わりに、柊の会得しようとしている資格が何なのか、そっちに頭を使おう。

「つーか、柊はどの位 資格を持っているんだ?」

「んとね、俺が知っている限りだと…天使の資格については、読心術の二級と千里眼二級、テレパシーは三級だった気がするし、矢は持っているのか微妙。で、悪魔の能力については、まず〝悪魔の剣″でしょ。あとは、〝空間凍結″に〝変身″するヤツ…だけだったと思う。俺が知っているのはこれくらいだけど、他にも隠してるかも」

 天使は、思い出しながら指を折って数えていた。そして、最後に嫌そうな顔を浮かべた。

「意図的に隠してるワケじゃないだろ…。つーか、結構多いな」

 いざ数えてみると、そう思った。つーか、他の天使については、目の前の天使と高橋さんについてしか知らない上、高橋さんの持つ資格についてはほとんど知らないので、柊の持つ資格や能力の種類が天使一般にみて多いのか判らない。だが少なくとも、使える資格がテレパシー二級のみの相棒がいるせいで、多いように思うし、実際それだけあれば仕事上で困ることは無いんじゃないのかと思う。

「なに、その目?」

「あ?」

「なんか言いたげって言うかさぁ…」

 どうやら、相棒に対する呆れの感情が目から溢れ出ていたようだ。瞬きを数回して流れ出る呆れを止め、話を戻す。

「つーかさ、そんだけあったら充分だろ。事実、柊は一人で仕事をこなせているワケだし」

 俺が言うと、天使は、しぶしぶといった面持ちで戻った話についてきた。

「ね、俺もそう思う。これ以上何が不満なのかね、あの娘っ子は」

「娘っ子って…」

「無いモノ求めんなら、もっと別な何かがあるんじゃないのってハナシだよな」

 この天使の発言については、俺はノーコメントという姿勢を取らせてもらおう。天使の言う、『柊に無いモノ』については、だいたい想像がつく。だからこそのノーコメントだ。口は災いのもと、余計なことを言うと命の危険もある。冗談じゃなしに。

 柊にぶっ飛ばされると分かっているはずなのに、天使は柊の悪口を止めようとはしない。バカな天使は反省という事を知らず、ぶっ飛ばされても懲りることなく柊を怒らせるような言動をする。これ以上天使に好き勝手に喋らせておくと、俺にも危険が生じかねない。どこに耳があるかもわからないし、とばっちりを受ける可能性もある。

 だから俺は、それとなく話を逸らしてみた。

「つーかさ、いきなりどうしたんだよ。今までは特に気にしてなかったのに、柊が新しい資格一個取ろうとしているぐらい、そんな気にすることじゃないだろ」

 これで柊についての話から天使自身の話に移り変わればいい、そう思った。そしたら案の定、天使は自分の事について語りだした。

「いやさ、俺も資格にこだわる気は無いんだけどさ、高橋さんの期待にも応えたいっていうか、もう少し出来ることに幅を持った方がいいんじゃないかって思ってみたっていうか、言われたっていうか…。それに、今のままの俺でも、まだ知らないだけで出来ることがあるようなニュアンスのことを高橋さんが言うからさ…」

 と、照れたり、悩んだり、口ごもったりしながら、天使は今日ここに来る前のことを話してくれた。

 具体的なことは分からなかったが、どうやらこの天使にも向上心なんてモノがあったらしい。だとすれば、相棒の向上心の妨げになるようなことはせず、むしろ協力してやるのが筋ってモノであろう。

「つーことは、飛んだり姿消したりっていう天使の基本能力のことじゃなく、テレパシーを用いることで、まだまだ出来ることの可能性はあるって解釈していいのか?」

「たぶん…」

 考える方向性を定め、俺も少し考えてみた。

 今まで経験した事を振り返っていたら、案外簡単に思い浮かんだ。

「あのよぉ、テレパシーって普通、お前と誰かを繋いで意思の疎通を図っていただろ?」

「そうだね。二級だと楸さんが創り出す線を対象者のオデコに繋いでやらないといけないから、必然的にそういう形になるよね」

「だけど思い出してみろよ。出会って間もない頃、榎と大福を繋いだだろ」

 俺が言うと、天使は少し眉をひそめて考え、「ああ、大福って榎ちゃんの飼ってたウサギの名前だったっけ」と、思い出したようだ。

 天使は、榎の飼っていたウサギのペット・大福が寿命で死ぬ直前、自分自身が線になることで、榎と大福の意識を繋いだ事があった。それによって、二人の意思疎通の懸け橋となったのだ。

「あーゆう風にさ、お前以外の二人を繋ぐことだって出来るんだよ」

 ほぼ確信を持って俺は言ったのだが、天使の渋い顔を見る限り、納得できていないようだ。

「うーん…でもさ、榎ちゃんには悪いけど、ぶっちゃけアレ、成功したのか俺自身分かってないんだよね。ほら、俺達は榎ちゃんと違って動物の言葉なんて分からないでしょ」

 そう来ると思っていた。

 俺は、まだテレパシーの資格の持つ可能性について、心当たりがあった。だから、「たぶん、あれは成功していた」と自信を持って言える。

「なんで?」

「前にお前が捕まった時にな、高橋さんが俺と榎のことを繋いだんだよ。高橋さん、お前が榎と大福を繋いだことから着想を得たっつってな、俺と榎のデコを直接くっつけて、それで線を繋いだらしい」俺と榎がデコをくっつけたと言ったら、とたんに「え、なにそれ?」と天使は不機嫌になった。が、俺は気にせずに続ける。「そん時、姿を消していたらしい天使の姿が俺にも見えたんだよ。どうやら、俺と榎の視界なのか意識なのかも繋げられたらしい。実際、榎が目を逸らすと、姿を消した天使は俺には見えなくなった」

 そう説明すると、天使は意外そうな顔をした。「そんなことも出来たんだ」と呟いていた所を見ると、この事をできることの可能性として考慮に入れていなかったようだ。

 それから、天使は解決の糸口だけでもみつけることが出来たようで、黙って考え込んだ。俺は、経験上知っている事は話したが、資格について詳細な情報を持っているワケではない。その為、出来る事と出来ない事の境界線も分からないので、余計なことは言えない。真剣に考えているようなので、俺はコーヒーを飲みながら、あとは黙って見守ることにした。



 その後、会話の無い時間が流れた。

 マスターが選びに選び抜いたジャズが、俺達の沈黙を埋めている。

 天使にしては珍しくずっと頭を使い続けで、壊れてしまうんじゃないかと、少し心配してしまう。

 だが、まだ煙も出ていないようなので、脳細胞の重大な欠損もないだろう。

 やることも無いのでボォ~と窓から外の風景を眺めていたら、不意に天使が口を開いた。

「そういえば、カイは何時に来れるの?」

「あー確か四時過ぎって言ってたな」

 俺と天使は、今日、天使の仕事をするつもりだ。それ以外の理由で、こいつと二人っきりで会うワケが無い。だったら喫茶店で話なんてしてないで、さっさと仕事に行けという感じもするのだが、そうもいかない。

 何故なら、今日はカイも来るからだ。

 先日、カイが「俺、最近仕事してないよな」と思い出すように言うと、「仕事しろよ。俺もついてく」と身勝手なヤル気を出したのだった。そして、俺達が仕事をしようと予定している日を告げると、「あ、俺その日ダメだ、授業だ。俺終わるまで待ってろよ」とさらに身勝手なことを言った。

 しかし、俺達は、広い心でその身勝手さを受け止めた。カイがいれば、面白いものを見られる確率が上がるし、あいつは意外に頑張り屋さんだから、仕事も早く終える事が出来るのではと踏んで、だ。

「『その日は最後の方まで授業入ってやがる』とか不満垂れてたし、たぶん四時半も過ぎるんじゃないか?」

 俺が言うと、天使が「じゃ、そろそろ行く?」と、カイと待ち合わせの場所に指定している公園へ行くことを提案した。店内にかかっている時計に目をやると、たしかに時間も時間だし、俺は、「そうだな」と首肯する。

 同時に席を立つと、天使が思い出したかのように言った。

「そういえば、前から気になっていたんだけど、椿ってちゃんと大学に行ってるの?なんかいっつも暇そうにしてない?」

「……行ってる」

 そう答え、店の出入り口へそそくさと向かう。

 単位を頭の中で数えると、頭が痛くなりそうなので止めた。

 この後の仕事に支障が出るといけないし、しっかりと気持ちを切り替えよう。


     楸 Ⅲ


 喫茶店を出て公園へ向かっている途中、俺はさっき考えていたことを振り返っていた。

 というか、高橋さんも人が悪い。テレパシーに出来る事について、あの人は俺よりも知っていたし、実践もしていた。それなのに、俺には何一つ教えてくれない。教えてくれたと言っていいのか微妙だが、情報をくれたのは、資格について簡単過ぎるほどにまとめたあの資料のみだ。

 あんなに簡単にまとめた内容では、まだ入門編の方が詳しく載っている。最初はそう思い、腹が立った。

 だが、今は違う。

 考え方を変えると、アレは、あえて情報を絞ったのではとも思える。最小限の基本的事項だけを挙げ、あと応用するのは俺の発想に任せる。そういう意図があるのかもしれない。

 つまり、俺に足りないモノとは、応用力だ。

 だとすると、俺にもぼんやりと出来る事の可能性が見えて来た。

 でも、それを細かく形にするのは、まだ先。というより、いつかちゃんと椿や榎ちゃんの協力を得た上で、仮説を確かなものだと確信する必要がある。

 だから、これはまだ、俺の中に留めておこう。

 そんなことを考えていたら、いつの間にかカイとの待ち合わせ場所の公園に着いていた。


     椿 Ⅱ


 公園には既に、カイが来て待っていた。

「おっせえよ!俺、授業終わりでソッコー来たっつーのに」

 カイは、不機嫌だった。不機嫌さを全面に出し、俺達を非難している。

 俺達がカイを待つ時間がどれだけあったのか、こいつは知らない。だからこんなに横柄な態度を取れるんだ。目安としての待ち合わせ時間は、四時半と指定している。だから、カイがどんなに早く来ていたとしても、俺達は十分少々しか遅れていない。喫茶店で天使と二人、二時間近く雑談して待っていた事に比べれば、こいつの十分なんて一瞬でしかないだろう。

 だから、俺達は、カイの不満を聞き流している。

「どんだけ待ったと思ってんだよ。三十分だぞ、三十分!三十分もあれば、なんかぁ……あれだぞ…長ぇぞ!」

 三十分も待たせていたらしい。が…。

「長ぇぞって、何が出来たとかで例えてみろよ、おい」

「それに、約束からは十分くらいしか遅れてないよ」

 俺と天使は、呆れた。

「うっせえ!」カイは、恥ずかしさを隠そうと大きな声で言い返してきた。が、すぐに怒りの表情が、キョトンとした疑問顔になり、「なあ。今日、榎さんは?」と、俺に訊いた。

「何で俺に訊くんだよ」

「何でって…?」

「俺はあいつの保護者じゃねぇんだから、いちいち知るかよ。あでも、今日はたぶんバイトの日だな」

「知ってんじゃん」とカイは納得すると、忙しなく表情を変え、今度は照れながら、「それで…柊さんは?」と、天使に訊いた。

「知らない」

「マジ?」

「うん。基本的にあいつが何処で何やってるのか、俺は知らない。でもたぶん、今頃真面目に勉学に励んでるんじゃない?」

 天使は、答えた。何事も無いかのような平静さで答えたが、その回答には先程 喫茶店で天使が露わにしていた不満が見え隠れしていた。

 カイは、「あっそ」と何処か残念そうに言った。そして、それ以上柊について追及してこなかった。榎の不在よりは気にしているのだろうが、それを隠そうとしている。まぁ、隠しきれてないけど。

「んじゃ、さくっと仕事しちまおうぜ」

 と、気持ちを切り替えるように、明るく元気に、朱に染まりつつある空に向けて高く、カイは拳を挙げた。

 カイのヤル気に引きずられるように、俺達も仕事に気持ちを向ける。

 だが、無駄に元気なカイに引きずられている最中に、俺達二人はずり落ちそうだ。



「ジャララッラチャラ~♪コ~レ~」

 ダミ声で言いながら、天使は、浴衣の袖口に手をつっこみ、人形を取り出した。

 人型の白いその人形は、たしか『天使を呼べ!叫べ!お前の気持ちをさらけ出しちゃいなよ、君 4号』とか言う名前で、天使の助けを必要としているような、自分一人ではどうすることも出来ないようなことで強く悩んでいる人を探し当てる人形だ。その際、見付けだした人間の抱いている感情に基づいて、色を変え、行動に表し、俺達のことをその人間の所まで導いてくれる。

 天使が何も説明しないので、ここで俺が代わりに言っておいた。

 説明もせず、天使は人形を動かす。

 まず、地面に座らせた。次に、人形にデコピンする。これが起動方法らしい。デコピンをされて倒れた人形は、めげずに起き上がる。起き上がると、人間が眠りから覚めた時の様に大きく伸びをした。そして、ここから人間を探し始める。辺りをキョロキョロと見回し、設定した範囲内に対象となる人間がいれば、先に述べたような反応を示すのだが…。

「相変わらず、何回見てもコイツ面白いな」とカイ。

「いいから黙って見てろよ。……おっ、色が変わり始めたぞ」

 俺たち三人は、人形の変化を見逃さないよう、注目した。

「あ、青になった。あれ、黄色になった。あれれのれ、緑になった」

 と天使は、逐一変化を声に出した。

「緑は確か、病気だったか?」

 もし病気であれば、俺達に出来ることは限られてくるし、最悪何も出来ないって言うケースもあり得る。俺は、厄介な色に変わってしまったなと思いながら、確認するように天使に訊いた。

「んにゃ、この場合は違うと思う」天使は、首を横に振った。俺とカイは、人形から天使へと視線を移し、その説明を聞く。「最初に青になったでしょ。で、黄色に変化してから、更に緑になった。この場合、最初の二色が主に抱いている感情で、最後の緑は、青と黄色が混ざった結果ってこと。これは、五十嵐さんの遊び心が付けたオマケ機能だね」

「つーことは、どういうことだ?」

 眉をひそめて人形を指差し、カイは訊いた。

「だから、青くなったのは、落ち込んでいる証拠。黄色くなったのは、危機迫る状況に焦っているってこと。だったと思う」

 天使は最後に不安になるようなことを付け足した。

 だが、概ね合っているのであろう。その根拠は、人形が示している。人形は、しゃがみ込んで頭を抱えた。時折ガバッと顔を上げると、すぐにまた俯き、頭をぐしゃぐしゃに掻いている。その様は、天使の言ったことと整合している。

 となるとだ。

「んじゃあ、急いだ方がいいんじゃねぇのか?マジでピンチだったら、一分一秒争うだろ」

 深刻さを顔に浮かべたカイの発言に、俺達は頷く。天使は、「まぁ、色で表せば黄色ってだけだから、人形が大袈裟に言っているだけって可能性もあるけど…」と言っていたが、カイの言葉自体を否定するつもりはないらしい。

 天使は、しゃがみ込んでいる人形を抱き上げた。すると、人形は、頭を抱えていた片方の手で、対象となる人間がいる方を指差した。

 俺達は、その人形が指し示す方向を確認し、足を踏み出す。

「急ぐぜ」

「待て、オイ!」

「早く来なよ、椿。置いてくよ」

「っせぇな!つーか、飛ぶの反則だろ!」

 一番に動き出したのは、カイだった。コイツは、俺や榎のように〝願いを叶えやすくする力″を持っていて、その力によって速力が常人より突出している。それにより、同じような力を持っていて普通の人よりは足が速いと自負している俺でさえ追い付けないようなスピードで動くことが出来る。

 カイのスピードについて行けるのは、俺の知っている限りでは今のところ、天使だけだ。こいつは、いつもは浴衣の中に隠している羽を出すことで、普段飛ぶ時よりも圧倒的速さで飛ぶことが出来る。

 つまりだ。

 全力を出したカイと、浴衣をはだけさせて羽を出した天使が飛べば、俺のスピードではついていけない。

 あっという間に、二人は俺を置いて行ってしまった。


     楸 Ⅳ


 俺とカイは、椿より一足早く、人形が見つけた人間のいる所へ来た。

 俺は気を遣って飛んだ。お構いなしに走り続けるカイと違い、椿が迷子にならないように気を遣っていたのだ。

 俺は飛ぶ時、普通の人間に俺の姿が見えないようにしている。見えてしまったら、ちょっとした騒ぎになりかねないから。だけど、椿達には見えるよう、上手く調節した上で姿を隠している。

 だから当然、ここに来るまでの道中も、椿には俺のことが見えていて、曲がり角なんかでは椿が道に迷わないよう、目印になってやっていた。ちなみに、目的地が分からないくせに走り続けるカイが道に迷わないよう、テレパシーを送って指示を出してもいた。

 まったく、おバカが二人もいると、俺は疲れる。

「速ぇよ、クソ野郎共が」

 息を切らした椿が、一足遅れて、対象となる人間がいる場所、河原に来た。

「椿が遅いんだよ」

「へへっ。だな」

「っせぇよ」

 俺の言葉に、カイは笑顔で肯定してくれたが、椿は不満げだった。



 椿の息が整ってから、俺達は、人形が見付けだした人間にアプローチしてみることにした。

 その人間は、中学生くらいの男子で、学生服を着ている所を見ると、学校帰りのようだ。しかし、学校帰りに河原に寄るなんて、青春ってヤツなのか?少年は、俺達の方に背を向けて膝を抱えて座り、ただ茫然と川の流れを見ていた。

 遠くから見ているだけでは何も始まらないということで、カツアゲ目的の不良だとか勘違いされないように穏やかさを心掛け、声を掛けてみる事にした。

 ゆっくりと近づき、俺が少年の背後から「どうしたの?」と声を掛けた。その声に少年は一瞬ビクッと身体を強張らせたが、逃げ出すようなことはなく、ゆっくりと振り返った。

「な、なんですか?」

 そう言った少年の顔は、いきなり見知らぬ男に声を掛けられたことに驚いている事を差し引いても、明るいとは言い難い。青白く、落ち込んだような顔をしていて、ともすれば泣き出すんじゃないかといった感じだ。

 これは、下手なことを言える状態じゃない、下手なことも出来ない、と俺達は顔を見合わせて確認した。

 何も言わずにカイは一歩下がる。口下手な自分がどうこう出来る状況じゃないと察したようだ。それなのに、たいして口が上手いワケじゃないのに、椿は一歩前に出る。

「どうかしたのか?悩みなら聞くぞ」

「いえ…別に」

 少年の反応は、もっともだと言える。いきなり見ず知らずの人に、何を相談すればいいのか。

 椿も、特に言い返す言葉が見付けられないようなので、俺が話を続けさせてもらう。

 少年の隣に腰を降ろし、目線を合わせたところで口を開く。

「別にってことは無いでしょ。明らかに何か悩んでいる雰囲気は、遠くからでも分かった。それに、キミの顔から察するに、なかなかに切羽詰まった状況なようだ」もちろん、俺にそんな事が分かるワケ無い。全部 人形が示していたことから適当に話を合わせているだけだ。しかしそれでも、人間は自分のことを理解してくれる人に対しては、気を緩めやすい。相手の言っている事が図星だった場合、少しは疑うものの、更に気を緩めやすい。そんな状況につけ入り「手遅れになる前に、話だけでも聞かせてくれないか?何か力になれる事があるかもしれない」と救いの手を差し伸べた。

 言い方は悪いが、これで狙い通り、少年は話してくれた。

「実は…俺の友達が、いじめにあっているんです」

「いじめ…」

 その言葉の持つ不快さを感じながら、俺はオウム返しした。

 少年は、最初こそ戸惑っていたが、きっと誰かに話を聞いて欲しかったのだろう、堰を切ったように喋り出した。

「俺の友達、いじめられているんだ。理由は、わからない。俺も友達多い方じゃないし、あいつもそうだから、最初はなんとなくハブられているだけなんだと思ってた。だけど、物隠されたり暴力されたりって、されることがエスカレートしていっているんだ。それで…」少年は、そこで一度口をつぐんだ。ギュっと唇をかみしめている。きっと、言い難いことなのだろう。もしかすると言葉にするのが怖いのかもしれない。言ったら、それが現実に起こりそうだと思って。しかし、ようやく話す決心がついたのか、震える拳を強く握りしめ、「それで、今日、リンチされるって話を聞いて…」と言った。

 俺達は、口には出さないが「マジか…」と驚いた。中学生くらいの「ぶっ殺す」とかいう類の威嚇の言葉は、大概強がりで表層的なものだ。本気で言っているワケではないし、そういうことを平気で口にするヤツに限って、たいしたことはない小物だったりもする。

 しかし、目の前で怯える少年に、軽率な発言は出来ない。

 少年の話の真偽はともかく、少なくとも彼は、これからなのか 今もう既になのかは分からないが、現実に起きることだと思っている。

 何も言えないでいると、俺と椿の後ろから、カイの怒りの熱を帯びた声がした。

「てかよぉ、お前、ダチがいじめられているトコ見てたんだろ?だったら、なんでそん時に助けてやんねぇんだよ?」

 そう言われ、少年はビクッと震えた。

 俺と椿は、慌ててカイを睨む。

「無茶言うなよ」椿が言った。「ガキのいじめってのは、結構面倒なんだよ」

「は?」

 椿の説明だけでは不十分なので、俺が補足する。

「あのね、今回の場合もそうだと思うんだけど、いじめている側ってのは、特に意識してないんだよ。なんとなく目付きや態度がムカつくから、暇だから、面白半分で。そんな理由から、誰かをいじめたりすることだってあるんだよ。そういう特に理由の無い いじめってのは、止めようとすると、今度は止めようとした人がターゲットにされる。だから、迂闊には手が出せない」

 俺は、言ってから「しまった」と思った。少年の心に、余計な不安を与えしまった。

 だが、カイは何も気にしない。

「だからぁ、そんなの知るかってんだよ。んなムカつくヤツ等、全員ぶっ潰せばイイだけだろが。仕返しされないくらい、完膚なきまでに」

「お前はそれでイイかもしれねぇけど…」

 と椿は、カイに食ってかかった。椿は、あくまで少年の立場で考えているが、カイは、明らかに自分基準だ。カイの言葉は、カイの様に立ち向かう強さがあるから言えることで、それが他の者にも出来るかと言えば、そうではない。

 俺も、気持ち的は椿側だ。

 しかし、カイは、俺達の制止を完全無視し、少年の前に歩み出た。

「おい!」怒っているカイに声を掛けられ、少年はそれだけで泣き出しそうだ。「そのいじめのヤツらがいる場所、お前分かるか?」

「え…あの…」

「わかんのか!」カイは、一際声を大きくして、もう一度尋ねた。

「あ、はい」

「何処だ?」

「たぶん、市街地の外れ、あっちの方にあるパチンコ屋の建物分かりますか?」少年は立ち上がり、随分アバウトに言った。だが、少年の指を差した方向、ここからだと3キロ位先に思い当たる建物がある。「今あそこ、パチンコ屋が潰れて建物だけが残っているんですけど、人通りも少ない所にあるから人目にも付きにくいって、よく利用されているって…」

 半ば脅される形で、少年はカイの質問に答えた。

 カイは、答えてくれたことに礼を言う代わりに「チッ。場所も分かってんなら行けよ」と悪態をついた。そして、少年の指差した方に歩みを進め、俺達に背を向けたまま言う。

「いいか。俺は今から、そいつらぶっ潰す。それは、俺がそいつらにムカついたからやるだけで、それでテメーのダチが助かっても、俺は関係ない。テメーら腰抜け共は、ここで黙って震えてやがれ」

 そう言うと、カイは走り去った。

 たった数分のことで、あいつの怒りは爆発してしまったらしい。

 あまりに掛け脚な展開に、俺は立ち上がっただけで、追いかける事が出来なかった。



「テメーらって、俺も腰抜け扱いかよ。つーか、普通はまず確認とかすんじゃねぇの?」

 椿が不満そうに言った。

「あの…」俺達よりも状況の変化について行けない少年は、戸惑いを全開にしていた。「あの人は、てゆうか、あなたたちはいったい?」

 少年の問いに、俺達は口ごもる。どう言えばいいのか、どう答えれば少年が納得してくれるのか、判断が付かないからだ。

 俺と椿は、顔を見合わせた。

「あいつは、アレだ…ただのバカだ。短気な単細胞」

「椿と大差ないね」

「っせぇな」

「ははっ」俺は、椿を無視して、少年に向き直る。「あいつも言ってたけど、俺達がキミの代わりにキミの友達を助けるよ。なんとか上手いことやるから、報復だとかそういうことは心配しなくていいよ」

「はぁ…」

 と、少年は気の無い返事をした。

 それに笑顔を返し、俺は続ける。

「あと、あいつは厳しいこと言ってたけど、俺は、キミは強いと思うよ」

「え?」

「だってほら、友達のことを心配して苦しんでたでしょ。別に腕力が無くても良いんだよ。いじめている連中を返り討ちにしてやろうとか、仕返ししてやろうとか、そんなことは重要じゃない。重要なのは、友達と一緒に居ること。そりゃあ、友達を苦しみから救ってあげられるなら、それに越したことは無いけど、でも、それが出来ないならせめて、友達と一緒に居てあげて。決して見て見ぬふりをして、見捨てたりはしないで。それが出来れば、俺は良いんじゃないかなって思う。あ、あと、あんまり自分のことを責めないでね」

「そうだな」俺に続いて、椿も話し出した。「少なくとも、お前の友達を思う気持ちが俺達を呼んだんだ。大袈裟に言えば、お前が友達を救ったことにもなる。だから胸を張れ。お前は、充分強い」

 椿はそう言うと、少年の頭に手を乗せた。

 おそらく、俺今イイ事言った、とか思っているに違いない。そんな相棒に茶々を入れたくなった。「でも、まだ救ったワケじゃないけどね」

「っせぇな。つーか、たかが中学生のガキだろ?もしリンチがホントなら、俺達が行くまでもなく、あのバカがぶっ飛ばしてるよ。だから俺達は、アレが暴走し過ぎないように止めればいいんだよ」

「そうだね」

 本当にそう思った。カイが、怒りのままにやり過ぎないか、そっちの方が心配だ。

 しかし、カイが向かった時点で少年の友達が救われたと思っている俺達と違い、少年の顔は未だ晴れない。

 どうしたのかと少年の顔を覗き込むと、少年は「中学生だけじゃないと思います」と零すように言った。

「「え?」」

「いじめているヤツ等、聞いた話では高校生の知り合いもいるって。たぶん、もっと上の人もいるかもしれないし、もしかしたらヤクザとかも…」

「ヤクザって…」

 と、有り得ないだろといった面持ちで椿は呆れているが、少年は本気で怯えている。

 俺は、少し考えてみて、思い付いたことを言ってみた。

「ヤクザは無いにしても、繋がりっていうことでは有るかもね」

「どういうことだよ?」

「まず一応彼の不安要素を減らす為に言うけど、ヤクザみたいないわゆる本物は、子供のいじめみたいなことでいちいち顔を出したりはしない。一文の徳もないからね」そう説明すると、少年は少しホッとした表情を浮かべた。それを見て、俺はさらに続ける。「で、繋がりがあるかもって方についてだけど、いじめとかするヤツ、特に不良みたいなやつだと分かり易いと思うんだけど、そう言うヤツって、社会一般の秩序は毛嫌いするくせに不良間の秩序は守ろうとするんだよ。それと同じで、不良間の上下関係は重んじる。そんな関係性が気付かれているとしたら、どうなると思う?」

 椿に質問の矛先を向けた。椿は考えた末、「一匹狼が出て来る」と自信満々に答えた。

「違うバカ。流れ読め、バカ」俺は、椿の回答を一蹴し、椿に質問をしたこと自体を後悔した。が、話は続ける。「上の者は、自分を慕う者を守ろうとする。舎弟が可愛いとか、そんな所だと思う。で、そんな関係が続いていると、学校っていうコミュニティーの中では知り合うことが無かった歳の離れた相手でも、兄貴の兄貴、舎弟の舎弟みたいに繋がりが出来る。そんな繋がりが出来れば、中学生のいじめ問題に、二十歳そこそこの暇を持て余したヤツがしゃしゃり出て来ても、そう不思議なことじゃない」

 そう言い、説明の最後を「ま、俺の推測だけどね」としめた。

「カッ。猿山の大将にいるのは、成長しても猿レベルのバカには楽しいってことかね」

 椿は、そう言った。だが、その相手を見下したような言葉とは裏腹に、そのヤバさにも気付いたはずだ。顔に一抹の不安が浮かんでいる。

 もしも、中学生といえども後ろ盾の存在を得ていて、中学生以上に危なく厄介なヤツも大勢いたら、カイが危ない。

 そういう共通の危機感を、俺達は抱いた。

「しゃーねぇけど、俺達も行こうか」俺は言った。

「だな。つーか、アイツが一人で突っ走らなきゃ済むハナシなんだけどな」

「だよね。あ~俺、暴力沙汰は嫌なんだけどなぁ」

 ヤル気が不在な俺達だけど、やらなきゃいけない時はやるよ。

 カイの後を追う為、カイが走り去った方を向いた。

 そして、さぁ行こうと言う時、少年に声を掛けられた。

「あの…なんであなた達は、見ず知らずの俺の為に動いてくれるんですか?」

 少年のその質問に、どう答えたらいいものかと、俺と椿は逡巡した。

 どうしてかと改めて訊かれると、答えに窮する。

 俺と椿は、顔を見合わせてから、少年に答える。

「それは、仕事だからだよ」「それは、俺がヒーローだからだ」

 そう言うと、俺達は走り出した。

 カッコ良く答えを合わそうとしたのに合わず、それが出来ず、俺達はもう一度顔を見合わせる。ただ、一刻を争う事態に発展しかねないと言うことで、少年には悪いが、カイのことを追いかけながら意見をぶつけ合う。

「なんだよ、椿。そこは仕事だからで合わせてよ」

「はぁ?それだといまいちカッコつかねぇだろ。んなのより、ビシッとヒーローだから、これでイイじゃねぇかよ」

「なんで?ヒーローになりたいのは椿だけでしょ。俺は天使よ。合わせてよ。てか、ダークの部分は何処行ったの?」

「っせぇな。いいじゃねぇかよ、ヒーローで。つーか、ダークの意味も俺、未だに良く分かってねぇからな」

「……ダメじゃん」

「あぁ!」

 俺と椿の言い合いは、しばらく続いた。

 少年には不安になる光景だろうに、少年は俺達の背後で、黙って頭を下げていた。

 しかし、重ね重ね少年には申し訳ないが、俺達の言い合いは、もうしばらく続いた。


今回の主役は、カイです。

彼のことについて深く触れようと思った時、「いじめられている子を救う」という展開が一番わかりやすいと思い、こういう話になっています。話としてはベタかもしれません。「いじめ」については、デリケートな問題なので、深く踏み込めませんでした。中途半端なことをしてしまい、申し訳ありません。



資格について。

それぞれ取得難易度に差はあります。テレパシーは比較的簡単な部類です。天使の矢や空間移動は難しいはずです。

取得難易度に差はあるといいましたが、どれも一級は難しいと思ってください。


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