番外編 榎の新しいお友達
ある日の夕方、榎は家路の途中にいた。
その日は特にやる事があったワケではないが、椿達と一緒にダラダラ過ごして、そろそろ時間も時間だからという事で別れたのだった。無駄と言えば無駄、素晴らしいと言えば素晴らしい、要は人それぞれの捉えようではあるが、榎にとっては満足のいく時間を過ごせていた。その為、今の榎は機嫌がイイ。
そんな榎の目に、あるものが飛び込んできた。
それは、榎の頭の高さくらいの塀の上をテトテトと歩いている。
それに目を奪われた榎は、足を止めた。
榎の目を奪った物の正体。それは、リスだった。シマリスである。
「ったくよぉ。ロクな議題も無いくせに会議開きやがって。わざわざ足運ぶこっちの身にもなりやがれってんだ。こちとら、四足の獣たちと違ってあんよが短ぇんだからよぉ」
リスは、その愛らしい外見とは裏腹に、口が悪かった。何かの会議があって、その帰り道の様だが、ぶつくさと不満をぶちまけている。食べ歩きしているドングリのカスを道に吐き捨てるその様は、まるでヤンチャしている子供が唾を吐き捨てているかのようだ。
そんな悪態をついているリスが、榎の顔の横を通り過ぎる。
「えいっ!」
と、榎は、両手で包むようにして、思わずリスを捕まえた。
「なっ…何しやがんだ?人間!」リスは、榎の手の中で暴れた。逃げようと必死だ。「離せコラ!噛むぞ!ドングリ投げんぞ!」
リスの止まらない抗議の嵐に、榎はたじろぐ。
「ご、ごめんなさい。つい…可愛かったから…」
リスを離すと、榎は謝り、取り繕うようにそう言った。
「わかりゃいいんだよ」と榎のことを許し、リスは器の大きさを見せた。
「はい。じゃあ改めて、触っていい?」
「おう!」
榎の申し出に、リスは快く答えた。それだけ、この小さなリスの器は大きい。しかし、そんな器の大きいリスでも、見過ごせない事があった。「あれ?」と違和感を覚えたリスは、「ちょっと待て!」と榎の手を止める。人差し指で頭をつつく仕草をし、頭を働かせる。
最初、リスは独り言で喋っていた。誰に聞かせるでもなく、ただ文句を垂れ流していた。そんな時、榎に掴まれた。その理由は、榎が言っていた。「可愛かったから」だ。リスは、当然可愛い。その事に疑いの余地は無い。つまり、リスが問題視しているのは、その後のことなのだ。リスの言った「わかりゃいいんだよ」という言葉に、榎は「はい」と返事をしたのだ。その前にも、榎は「ごめんなさい」と言ったが、アレはリスが暴れた為にとっさに出た言葉だと思えなくもない。それくらい、むしろ普通の反応と取っていいだろう。だが、その次の「はい」は違う。アレは、明らかにリスの言葉に反応して出た「はい」だった。
リスのこの疑問は、けして気のせいではない。何故なら、榎は、ある特殊な力を持っているからだ。その力のことを事細かに説明するのは省くが、その力で、榎は動物の言葉を聞く事が出来る。いや、正確に言うと、動物が何を言っているのかが解る。榎は。普通の人よりも次元を異にした領域で動物とのコミュニケーションが可能なのだ。
しかし、それは榎にとっては普通でも、一般的には普通ではない。このリスにとっても普通ではない。それ故に、リスは先に述べたようなことで頭を悩ませている。
――おいおい。どういう事だ、こりゃ?普通、人間は俺達アニマルの言葉は解んねぇよな。でも、さっきこのネエちゃんは、俺の言葉を理解した風だった。てこたぁ、解っているってことだよな?でも、人間って普通…あれ?
リスは、頭の中で考えをまとめる事が出来ず、グルグルと不毛な思考を続けていた。
そして、どうやらこのリスは頭を使うことが苦手なようで、考えて仮説を立てるより、実際にやってみて証明したほうが早いじゃないか、と短絡的に考えた。
「おい、ネエちゃん」リスは、榎に声を掛け、口の中に入れていた非常食を取り出す。「これ食うか?」
「えっ、ドングリ?くれるの? 嬉しいけど…口から出したよね」
苦笑いを浮かべ、榎はやんわりと断った。
「………ブス」
「あっ、ひど~い」
あまりに脈略の無い悪口に、さすがの榎もムッとする。
「悪ぃ、嘘だ。あのよ…」リスは一度言葉を区切り、本題をぶつける決意を固める。「ネエちゃん、俺の言葉解るのか?」
「うん。解るよ」
ブスと言われた事は水に流し、榎は笑顔でそう答えた。
榎の言葉で確信を得ることは出来たものの、リスは、まだ何処か信じられず「マジかよ…」と呟いた。
「マジだよ」
「何で?え、なに、この場合 俺様がスゴイの?」
「どうだろ? たぶん、違うと思う」そう言った後、榎はある事を思いだし、ハッとする。「そうだ。ねぇ、リスさん」
「ん、なんだ?」
「私ね、外であんまり動物と話すなって止められているの」
「誰に?」
「友達」
「ふ~ん」
「だからね、私はもっとあなたとお話ししたいんだけど、この後ウチに来ない?」
この後 特にやる事も無いし、榎のことも気になったので、リスは「おう、いいぜ」と快諾した。「そうなると、だ。ネエちゃん、あんたん家にクルミやドングリなどの茶菓子はあるか?ピーナッツも可」
「ん~、ないかも。かりん糖ならあるよ。てゆうか、私はそんなのお茶菓子にしないもん」
「わかってないな。だがま、あの味はお子ちゃまにはわかんねぇか。いいぜ、俺も持参しているし、たまにはかりん糖も悪くないな」
そう言うと、リスは塀の上からぴょんと跳ねて榎の肩に乗り、さらに上を目指して登った。リスが頭の上で落ち着いたのを確認し、榎は家路を急ぐ。
リスを頭の上に乗せたまま、榎は帰宅した。
榎は、珍しいお客にお茶を出そうとしたのだが、「リスって何飲むの?」と訊いても、「別に何でも」と素っ気ない答えしか返って来なかった。だからどうしたものかと少し悩んだが、結局は小皿に水を入れて出した。
「はい、どうぞ」
「おぉ、悪いな」
榎は、自分にはコップに麦茶を注いだ。そして、言っていたように茶菓子としてかりん糖を出した。かりん糖を差し出され、口から大量のドングリを取り出したリスは、かりん糖を一心不乱にむさぼった。
「意外にうめぇな、これ」
「そう?よかったぁ」
リスは、かりん糖で腹を膨らませた。そして、何のためにか、数個を頬に詰めた。
それから、やっと本題に入る。
「で、ネエちゃんは俺の言葉を理解出来るんだな?」
「うん」と榎は頷くと、嬉しそうに語る。「私ね、少し変わった力を持ってて、それのおかげで動物の声が解ったりするんだ。だからね、キミだけじゃなく、他の動物の声も解るよ」
「ほぇ~。そりゃ、ん、すげぇな」
そう言うと、リスは、口に入れていた かりん糖を食べた。よほど気に入ったらしい。そして、喉を潤す為、今度は水の入った皿に顔をつっこむ。
榎は、そのリスの様子を微笑ましく見ていた。
「なんだよ?」と、榎の視線に気付いたリスが、不機嫌そうに言う。
「ううん。なんでもない」
「あっそ」
そう言うと、リスは水を飲み続けた。しかし、ある事に思い至ると、ピタッと動きを止め、目線だけを上げて榎のことを見た。
今度は榎がその目線に気付いた。しかし、リスとは違い、穏やかに「なぁに?」と訊く。
「あのよ、もしかしたらこんなこと言われたくないのかもしえねぇけど…」と、リスは歯切れ悪く前置きをした。だが、榎が「いいよ。言って」と先を促すと、申し訳なさそうに言った。「あのさ…ネエちゃん、その力を持ってる事、後悔してたりしないか?」
その質問に、榎は何も答えない。
部屋が一瞬、静寂に包まれた。
その静寂を破り、リスは話を続ける。
「俺の仲間にもな、見た目が異形だってだけで迫害されたヤツも居た。中身はいいヤツなのに、それを知られることなく外見だけで判断されて、それで苦しんでいるヤツも居た。人間も、すぐに群れを作るだろ?俺達と一緒なら、それから外れて生きていけるヤツってのは、ほとんどいない。のくせに、お前らは俺達よりも仲間外れってのを簡単に作ろうとするだろ。平等意識だか何だか知らないけど、少し周りと違うだけで、少し考え方が異なるだけで、たったそれだけで仲間外れだ。個性が無いとか言ってもさ、個性があったらあったで辛い事もあるんだよな。だから、なんていうか…」
そこで、リスは言葉を躊躇った。榎の事を気遣ったのだ。リスは、「お前も仲間外れにされたんじゃないのか?そのスゴイ力のせいで、異端視されて来たんじゃないのか?」と訊きたかった。だが、それを訊く事が出来ない。
リスが言葉を選んでいると、リスの気遣いに気付いた榎が、その先を察して答えた。
「うん。辛かったよ」
「……そっか」
何事も無いように榎は言ったが、リスは申し訳なく感じた。余計な事を聞いてしまったと反省し、頭をソワソワ動かし、顔をポリポリ掻いている。
「でもね」榎が言うと、リスは榎の顔を見た。榎の顔は、穏やかな笑顔だった。「でもね、私には友達がいたから。そりゃ、多くはなかったけど。でも、素敵な人たちが居てくれた。だから、辛いと思う事もあったけど、仲間外れにされた事もあったけど、すごく幸せだったって思えるよ。だから、力を持ってた事には、ちっとも後悔なんかしてない。それに、この力が無かったら、こうして今キミとおしゃべりも出来ないし」
榎がそう言うと、リスはもう一度「そっか」と言った。榎の笑顔にホッとした。そして、詫びの意味を込めて「野暮なこと訊いたな。ほら、これ食べろよ」とかりん糖を渡した。
「ありがと。でも、これ元々私のだよね」
「うるせぇ」
リスは、そう言い顔をしかめた。
榎は、受け取った かりん糖を食べた。
「ん?」そこで、リスはある事に気付いた。「そうだよな。そういえばさっき、『友達に外で動物と話すのは止めろって注意された』とか言ってたよな?」
「うん」
「気遣ってくれるいいヤツがいるんじゃねぇか」と、リスは声を弾ませた。
「うん。いいヤツがいるよ」
榎は、完璧に平静を装えたと思ったのだが、榎のその言葉の僅かな違和感に、野生の動物であるリスは気付けた。
「もしかして、それって男か?」そう訊いたリスの声には、色恋話を楽しもうとする期待が滲んでいた。榎は、何も答えずに、顔を少し赤くした。それだけで、リスにとっては充分な肯定の返事だった。「そうだろ」と喜んだリスは、榎の肩に乗り、榎の頬を肘でつつきながら「やっぱ男か。あれだろ、ネエちゃん、そいつのこと好きだろ。いいヤツなんじゃなく、もはやイイ人になってんじゃねぇのか?」
「そ…そんなんじゃありません」
「照れんな照れんな。そうかそうか、うん。よっしゃ、なんか悩みがあったら俺様が相談に乗ってやるよ」
「えっ!」
「だ~いじょぶだって。俺はリスなんだから、ネエちゃんが俺に何を言おうとも、俺からその男に漏れることはねえよ。ま、そいつが動物かネエちゃんと同じ力を持っているなら話は別だが。どうなんだ?」
「違うけど…」
「だろ。だからほれ、言ってみ?」
器の大きいリスは、榎の事を置き去りにして、ノリノリで恋愛相談を始めてしまった。
榎は、かなり躊躇ったが、確信に触れないように少しずつ相談した。
椿という男のことを。まずは名前。そして、最初に自分に手を差し伸べてくれた時のことから始まり、最近のことまで。少しだけのつもりだったのだが、リスが食いつくので、結構話してしまった。
そして、椿の人物像を知ったリスの感想は、「そいつ、玉無しか?」だった。
暫らくお喋りし、外が薄暗くなってきたことに気付いたリスが「そろそろおいとまするぜ」と言ったので、榎は玄関まで見送りに行った。
「楽しかったぜ。縁があったらまた会おうや。それか、またくるぜ」
「うん。私も楽しかったよ。また来てね」
リスは、お土産として頬に大量のかりん糖を詰めていた。榎も、言葉に嘘は無いが、心労はかなりあった。リスの追及に疲れたのだ。しかし、笑顔でリスのことを見送る。
「じゃな」リスは、榎にドアを開けてもらって出て行こうとしたのだが、ある事を思いだし、踵を返した。何だろう、と榎もドアを一度閉める。「ネエちゃん。頼みがあるんだけど、いいかな?」
「何?言ってみて」
「あのよぉ、俺のダチに熊がいるんだけどさ、そいつが赤いTシャツを欲しがってんだよ」
それを聞き、榎の頭にあるキャラクターが浮かんだ。しかし、そこには触れずに言う。
「熊の友達って素敵だね。その熊さんって、かなり大きいのかな?」
「いや、そこまでじゃない。たしか、二メートルも無い位だ」
目の前の小柄なリスが、二メートル近くある熊を大きくないと言うのが可笑しくて、榎は笑った。しかし、すぐに笑いを飲み込む。
「わかった。私の持っている服だと小さ過ぎるから、友達を当たって見るよ」
「友達って、例の玉無しか?」
玉無しと言う表現に困惑したが、榎は「……うん」と頷いた。
「じゃ、頼むわ」
「うん。もし無かったら、おっきい服買っておくからさ、今度来た時に渡すよ」
「そこまでしなくても…」と、リスは申し訳なく感じたが、熊の事を思い、榎の厚意に甘えることにした。「…じゃ、頼む」
「うん」
榎が笑顔で頷くと、リスも満足そうに微笑んだ。
そして、今度こそ帰って行った。
こうして、榎に新しい友達が出来た。
お節介が過ぎる所もあるリス。恋バナに興味を示し、榎を混乱させるリス。かりん糖が好きなリス。頬に常に何か食べ物を隠し持っているリス。とても器の大きいリス。
榎は、リスの使っていた皿を片付けながら、リスのことを頭に思い浮かべた。
「今度、椿君に会わせてみよっかな」
と、次の楽しみも出来た。
その日の晩。
榎は、「玉無し」とリスに言われた椿のことを思い出し、笑った。
そして、ベッドに入ってからは、リスの名前を考えた。今度会った時も「リスさん」では味気ないと思ったからだ。もしかしたら嫌がるかもしれないけど、一つ候補が浮かんだ。
あんまりリスっぽくないから、「アマリリス」。これでいこうと決め、榎は眠る。
せっかく『力』の説明をしたというのに、榎が力を使う機会がないように感じたので、こういう話を作りました。
リスについて。
榎の友達となる動物の条件として、仲良くなってどこか行く時に『榎の頭の上に乗れること』を、私の中で決めました。だから、リス。
リスがかりん糖を食べていることについては、大目に見てください。石楠花から貰ったかりん糖がまだあるんだろうな、となんとなく思ったからあげちゃいました。
私は、リスの生態について詳しくありません。なので、リスのほお袋を四次元ポケットと認識しております。




