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天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
27/105

番外編 高橋暗殺事件


 ある日、楸はいつものように上司である高橋の部屋に向かっていた。そこに一回顔を出して少し休んでから、その後のことを決めるつもりなのだ。そこで決める事は仕事に関することだけではなく、もし仕事に気持ちが乗らなければどこに行って誰と遊ぶかなど、それはもう多岐にわたる。

 真面目な楸は、高橋の部屋に着く前から何をして遊ぶか考えている。

――どうしよっかな?たまには椿抜きで、榎ちゃんと二人っきりで遊びに行くってのもいいな。てゆうか、それがいいな。あとで榎ちゃんに連絡してみよ

 そう考えると、楸の足は軽やかになる。鼻歌なんかも交えながら、高橋の部屋へ急ぐ。

 目的地へ辿り着いた楸は、小気味好くノックし「失礼しま~す」と扉を開けた。

 しかし、その目に飛び込んできた物を前に、楸は凍りつく。

 高橋が倒れていた。



「何しているんですか?高橋さん」

 楸は、部屋の中央の床に大の字で倒れている高橋に声を掛けた。しかし、反応が無いので、もう一度「お~い」と呼び掛ける。しかし、高橋は動かない。

 これは何かある。そう察した楸は、ここぞとばかりに高橋のオデコをペシペシ叩いた。いつもは自分に頭が割れそうになるくらい強力なデコピン等の暴力を働く高橋に仕返しをするいいチャンスだと、オデコに「肉」の字でも書いてやろうかと閃いた。思うとすぐに実行したくなり、サインペンを探す。

「あっれ~?サインペンは何処にしまったかな?」

 楸は、自分の散らかり放題になっているデスクの上を探した。しかし、あまりにも見つからないので、柊のデスクを漁ろうかと考える。勝手に触ったらボコボコにされるだろうことは容易に想像付くが、それでもサインペンを借りるだけだし、バレなければ大丈夫だろう。そう思い、柊のデスクを探しに行こうとした時、背後にただならぬ気配を感じた。

「あれ?高橋さん、起きたんですね?」

 そう震える声で言った楸の額に、一気に冷や汗が噴き出る。

 楸の背後に立つ高橋は、両手の全ての指をボキボキ鳴らした。

「くくっ。おぉ、起きたぜ」高橋は笑って言う。楸も「ははっ」と乾いた笑いを返すが、その目は怯えている。「なんだかしらねぇが、随分な事やってくれたよな、楸」

「そいつならさっき逃げましたよ。俺、追いかけましょうか?」

 高橋から逃げようと、楸は脱兎の如く逃げ出した。

 しかし、すぐに浴衣の襟を掴まれた。

「くくっ。楸ならここにいるだろ?追ってくれなくていい」

「あれ?俺って楸でしたっけ?おかしいな、記憶がちょっとあやふやに」

「だったら、これでスッキリさせてやるよ」高橋はそう言うと、デコピンの構えに入る。「覚悟、出来てるな?」

「覚悟は、今ちょっと切らしていて…」



「で、何であんなところで寝てたんですか?」

 楸はブスッとした表情で不満そうに言う。というのも、オデコに痛みがまだ残っているからだ。その痛みを与えた高橋は、若干スッキリと言った感じで自分のデスクに腰を下ろした。冷蔵庫から冷えピタを取り出した楸は、それで痛むオデコを冷やし、高橋のデスクの前に行く。

「くくっ。よく似合うな。それで頭も少しはスッキリするんじゃないか?」

「茶化さないでください。てゆうか、あんたがしつこく何回もデコピンするから、マジで頭割れるかと思いましたよ」

「くくっ。それは悪かった」

 そう言うが、高橋の顔には反省の色は微塵も無い。楸もそれに気付いているし、そもそも高橋が反省するはずもないと思っているので、このことについてはこれ以上触れずに飲み込んだ。喉越しは悪く、楸は苦い顔になる。

「それで、もう一度訊きますけど、何であんなところで寝てたんですか?」

 楸は、語気を強めて訊いた。その言葉を聞き、高橋の顔は苦く曇る。何か言うのを渋っているようだったが、溜め息を一つつくと、「あれ、見えるか?」と戸棚を指差した。

「はい。戸棚です」

「そうじゃない。なんか、いつもと違わないか?」

 そう言われ、楸は戸棚をもう一度見る。

 確かにいつもと違う事に気付いた。「そうですね。酒が無い」

「正解。ご褒美に真相を教えてやろう」偉そうにそう前置きし、高橋は事の真相とやらを語る。楸は、どうせ一気に飲み過ぎて落ち込んでいるだけなのだろう、その程度に思い、呆れながらも耳を傾ける。「実はな、俺は暗殺されかけたんだよ」

「は?暗殺?」高橋のその口から出た予想外な単語の意味を、楸は考える。こっそり殺す事、そんな感じだよなと思い、「生きてるじゃん、高橋さん」と言った。

「だから、されかけたと言っただろ。俺は簡単に殺されるほどヤワじゃないから、気絶程度で事が済んだんだよ」

「ヤワじゃないのに気絶はしたんですね」

「くくっ。うるせぇよ。それでだ、楸」

「どれでだ?」とボソッと漏らす楸。

「お前、暗殺犯を探して俺の仇を討って来てくれ」

 高橋は楸のことを指差し、威勢良く言った。が、指を差された楸は、嫌そうな顔を露骨に浮かべている。

 楸がそのような顔をしているのには理由がある。まず、これから榎と会おうと思っていた所に水を差されたからだ。それだけでも充分な理由になるのに、まだ理由を持っている。それは、暗殺犯の正体が容易に想像できるからだ。

「それって…」と楸は、頭に思い浮かべた人物の名前を言おうとしたら、高橋に手で制される。「なんです?」

「真犯人の正体くらい、俺だって知っている。正面からやられたからな」

「それもう暗殺ですらないじゃん」

 そんな楸のツッコミを無視して高橋は続ける。

「だがな、楸。いきなり本丸を攻め込むのは危険過ぎるってモンだ。だから、周りを固める意味でも、事情聴取して地道に犯人を追いつめろ。それで、ここぞという時に攻め込め。俺の酒を取り返して来てくれ」

 高橋は言った。

「お酒が無い理由は没収されたからだったんですね」楸はそう言うと、この奇妙な流れについて考えた。おそらく高橋が自分で行くのが面倒だということもあるのだろうが…。「ひょっとして高橋さん、今日仕事する気ないでしょ」

「くくっ。大正解」

 やはり、高橋は自分が暇だから、楸を自分の遊びに巻き込みたいだけだった。それを知り、楸は肩を落とす。

――榎ちゃんとはまた今度にしよ



 楸は高橋の部屋を出た。

 上司の復讐ごっこに無理矢理付き合わされる事になり、その足取りは部屋に来た時とは比べ物にならないほどに重い。

 部屋を出る前、いきなり犯人に接触することは禁じられた為、何処に行けば悩んだ楸は「それじゃあ、何処に行けばいいんですか?」と感じた悩みをそのまま口にした。しかし高橋は、「犯人はこの館内に居る」と投げやりに言う。「そりゃそうでしょ。てゆうか、それだと容疑者が多過ぎるんですけど…」と楸が言い返すと、高橋は「しゃーねぇな。なら、この館のてっぺんから攻めてみたらどうだ?」と助言した。

 その助言に従い、楸は、この館内のトップである支部長の部屋へ向かっている。

 そしてその道中、「楸」と声を掛けられた。楸は、その声のした方を見る。

「柊、何してんの?」

 そこに居たのは、楸と同じく高橋の部下の柊だった。現在はワケあってこの館からは除名されてフリーの身となっているが、それでも高橋の部下で楸の同僚であることには変わらない。そんな同僚の柊が、本来なら用の無いはずの館内に居るので、楸は疑問を投げかけた。

 しかし、柊はその質問には答えず、楸のオデコを見て言う。

「アンタこそ、そのオデコの何?」

「あぁ、これ冷えピタ。さっき高橋さんに手酷くやられたもので」

「ふ~ん」

「それで、柊は何やってんの?」

「アタシは、ほら…ちょっと高橋さんに用があって…」

 柊は頬を薄く染め、そこに若干の動揺の色も足して言った。

 どうせそんなところだろうと予想できていた楸は、平然と言う。

「あー今はダメだよ。高橋さん、暗殺の被害者役だから」

「ハ?」

「だから、高橋さん暗殺されたの」楸がそう言うと、柊は必死の形相で「ハ?暗殺って何?」と楸の胸倉に掴み掛かってきた。楸が暗殺犯ではないというのに、まるで楸が仇であるかのように締め上げている。「ちょ…落ち着いてよ、柊。苦しい…」

「それで、高橋さんは今どこに?」

「あの人の部屋。大丈夫、ピンピンしているから」

 高橋の無事を聞くと、柊は楸から手を離した。柊は取り乱した事を恥ずかしく思い、取り繕うように咳払いした後、「何でそんな事になってるのよ?」と訊いた。

「さぁ?今からそれを調べるとこ。面倒だけど、あの人の遊びに付き合わされてお酒を回収しなくちゃいけない立場になっているの、俺は」

 楸のその発言に違和感を覚えた柊は、少し考える。それでもしやと思い、その疑問を口にする。「それってさ…」

「あーダメ!」柊の言葉はすぐに楸によって遮られた。「その人の名前は言っちゃいけない事になってるの」

「なんで?」と不服そうな柊。

「さぁ?高橋さんの命令で、事情聴取を繰り返して犯人に辿り着かなきゃいけないみたい」

「ふ~ん」と呆れるが、すぐに「楽しそうだね」と柊は微笑した。

「えっ?」

「アタシも一緒にそれやる。アタシもたまには高橋さんと遊ぶ」

 そう言うと、柊は楸の返答を待たず勝手に暗殺犯探しのパーティに加わった。柊が仲間に加わること自体は構わないが、楸は一応訊いておかなければならない事がある。

「ちなみに、柊が犯人ってことは…?」

「ハ?」

「いえ、何でも無いです」

 柊の「ハ?」から、「アタシを疑うって言うの?そんなワケ無いだろ。てか、ぶっ飛ばすぞ」そんな含みを感じ取り、楸はすぐに質問を取り下げた。



 柊をパーティに加えた楸は、高橋の指示通りに支部長の部屋に来た。

 支部長は、この館内では最も役職が高い偉い人で、本来なら楸はおろか高橋でさえも頭が上がらないような立場の人である。だが、それは他所の支部長であればの話で、ここの支部長に限っては、それはない。高橋の友人だという事もあるが、上に立つ者としてそれでいいのかと疑われるほどに人が良く、気さくな人物なのだ。そんな人物である為、上の人間は嫌いだと言う楸や柊も、ここの支部長には嫌悪感を抱かないで比較的普通に接する。

 来客用のソファーに通され、楸は、コーヒーを用意してくれている支部長に言う。

「突然すみません。今大丈夫でしたか?」

「うん。特にこれと言って何もしてなかったから、むしろ来てくれてうれしいよ」

 支部長はにこやかに言った。

 だが、楸たちは気付いていた。何もしていなかったと言うが、支部長のデスクに様々な資料が乗っている事を。それは、自分達の上司の綺麗に片付き過ぎているデスクとは違い、明らかに仕事の最中と言った感じだ。

 楸たちの気まずそうな顔に気付いた支部長は、「あはは。これは気にしないで。僕、ちょっと整理しながらやるのとか苦手なだけだから」とデスクの上をテキパキと片付けた。

 突然のアポ無し訪問に嫌な顔一つせず、自分達の様な下の存在に気まで遣ってくれる。そのことを申し訳なく思い、支部長がコーヒーを持って来て「それで、どうしたの?」と訊かれると、楸と柊は顔を見合わせて、正直に話すことにした。

「あの…すご~く言い辛いんですけど、用事って言う用事じゃなく…」

「はい。あの、高橋さんの暇つぶしの遊びで来たというか…」

 楸の言葉を継いだ柊も、楸と同じで歯切れが悪い。

 支部長は、その二人の態度で大体のことを察した。溜め息を一つつき、「まったく、高橋君は…」と高橋に対する呆れを見せると、「キミ達も彼に振り回されて大変だね」と楸たちの労をねぎらった。

 楸と柊は、支部長の懐の深さにホッとしつつもどこか恥ずかしく、申し訳なくなり、俯きながら「はい…」と答えた。

「それじゃあ、その遊びっていうのは何をしているの?僕はどうすればいい?」

 支部長は訊いた。

 楸と柊は、気持ちを切り替えて本題に入る。

「それがですね、高橋さんが暗殺されまして」と楸。

「へ~高橋君が暗殺」と支部長は笑顔で興味を示した。

「はい。それでアタシたちは、その犯人を探していて、その犯人が奪ったらしい高橋さんのお酒を回収することになっているんです」

 柊が言うと、支部長はすぐに閃き「彼を暗殺できる人がいるとしたら、あの人じゃないかな?」と思い付いた人物の名前を口にしようとした。だが、「ちょっと待ってください!」とすぐに楸に止められる。

「え?」

「支部長が今思い付かれた人物、たぶんですけど俺達も察しが付いています。でも、高橋さんの命令で、なんでかその人物にすぐ行きついてはいけないそうなんです」

「え~、なにそれ?」と、支部長は困った顔になる。だが、すぐに持ち前の洞察力で事情を察する。「てことは、僕はさしずめ次への手掛かりを示す役ってことでいいのかな?」

「「は、はい!」」

 楸と柊は勢いよく返事した。支部長が話の分かる人物で良かったと、心から思う。

「う~ん」と暫し思考した後、支部長は「それじゃあ、お酒を奪われたってことは、高橋君の飲み仲間の五十嵐君が怪しいんじゃないかな?」と言った。支部長のその発言は、次を示しながらも犯人について確信的に触れておらず、完璧だった。


「「ありがとうございました」」

 楸と柊は、コーヒーを飲み終わると立ち上がって感謝の言葉を述べた。帰り際、部屋の前でもう一度頭を下げ、二人は部屋を出ようとする。

「あ、ちょっと待って楸君」支部長は言った。

「はい?」

「気になってたんだけどさ、そのオデコのやつは高橋君にやられたの?」

「あ、はい。デコピンされて、その痛みを抑える為の冷えピタです」

「てか楸。こういう時はそれ外しな」と柊は、楸を非難した。

「いや、いいよ 柊ちゃん。そうじゃなく、大変だなと思ってさ」

「はい。大変です」

 楸があっけらかんとしてそう言うと、支部長は一瞬驚いた風だったが、すぐに笑顔になり「そう」と言った。色々あったけど、楸も明るくなって高橋達と楽しくやっているようだ。そのことが支部長は嬉しかった。だが、楸はその支部長の笑顔の意味が分からず、「そうです」と頭にハテナマークを浮かべて言う。

「あ、ううん、何でも無い。それじゃあ、犯人探し頑張って。今度は何かお茶菓子を用意しておくから、また来てね」

「「はい。失礼しました」」



 支部長室を出て、支部長の助言通りに五十嵐の部屋を目指す二人。事情聴取をしに行ったというのに、その人柄から支部長を疑う事を全くしていなかったのだが、二人は気にしていない。というより、そのこと自体に気付いていない。

 五十嵐の部屋への道中、「楸」と声を掛けられた。

 今度は誰だ、と楸は声のした方を見る。

「看守さん」

 声の主は、この館内にある牢獄が使用される際に看守役を任される事の多い天使で、楸が以前牢獄に二度入れられた時に二度とも看守となった人物だった。この『看守さん』、本来の名前はちゃんとあり、それを楸にちゃんと名乗っているのだが、楸はその時のことを覚えておらず、ずっと「看守さん」と呼んでいる。看守さんも、それに間違いがあるワケも無い為、気にしていない。

 おおらかな看守さんは、屈託のない笑顔で二人に話しかける。

「よぉ楸。それに柊も。二人とも元気そうで何よりだが、楸は風邪でも引いているのか?」

「…なんか言っている事がめちゃくちゃな気もしますが、はい元気です」

「そうか。冷えピタなんて貼っているから、てっきり風邪かと。柊も元気か?」

「…はい」と面倒そうに答える柊。

「そうかそうか」

 看守さんは満足そうに頷く。

 楸は、柊が看守さん相手に苦手意識を持っているようだと察し、このままこの場を後にしようかと思った。が、一応この看守さんも館内にいる人物である以上容疑者ではあるし、高橋との面識も無いワケではなさそうだからと、話を聞く事にする。

「実はですね、看守さん」

「おぉ、どうした?」食い付きの良い看守さん。

「高橋さんが暗殺されまして」

「なにぃ?高橋が暗殺?」

 楸の言い方が悪く、本気にしてとらえた看守さんはつい声が大きくなる。

 その看守さんの反応を見て、柊は、楸の頭を叩いて注意する。

「バカ!もっとちゃんと説明しな」

「ん?どういうことだ?柊」

「実はですね、高橋さんの冗談半分の遊びで、高橋さんは生きているんですけど、本当に襲われていて、それでお酒を取られたから…あれ?」

 急に説明したものだからちゃんとまとまっておらず、柊自身 話していてよく分からなくなった。話し手がそうであれば聞き手は大変だ。看守さんは、困惑して首を傾げたまま言う。

「つまり、高橋は生きているが暗殺され、ついでに酒も奪われたと」

「微妙ですけど、まぁそんな感じです。看守さん、心当たりか自首する気はありますか?」

 楸は訊いた。

「いや、自首したいのは山々何だが身に覚えが無くてなぁ」

「なんで自首したいんだよ」ボソッとつっこむ柊。

「協力してやりたいが、自首は出来そうにない」と申し訳なさそうに看守さんは言う。

「そうですか…」

「だが、心当たりはなくも無いぞ」

「え、なんです?」と楸は食いつく。

「俺の知っている高橋という男はな、一筋縄じゃいかないヤツだ。そんなあいつを倒せるくらいの者となると、そいつはなかなかの手練だ。気を付けろよ」

 看守さんは、神妙な顔で助言してくれた。

 二人は犯人に見当がついているだけに、看守さんの真剣さを滑稽に感じた。

「……はーい。気をつけます」



 看守さんと別れた後、二人は五十嵐の部屋の前にまで来た。

 だが、ここまで来て問題が生じた。

「いやだ!アタシは五十嵐とは会わない」

 柊がごねた。

 柊にとって、五十嵐は天敵だ。それは二人の今までの様々な積み重ねからなる対立なのだが、それをここで語るのは面倒だ。だが、簡単に言うと、五十嵐は柊のことをからかう。柊の気にしている胸のことをバカにして変なあだ名をつけたり、柊のしようとしている事の邪魔をしたりと、そんなところだ。五十嵐のやっていることは楸とそこまで大差ないのだが、それでも楸と違うところがある。楸の場合はすぐに柊による制裁を受けるのだが、五十嵐はのらりくらりとそれを回避する。それ故、柊はそのイライラを発散させる事が出来ず、五十嵐への怒りや恨みを募らせている。

 とまあごちゃごちゃ言わず、もっとシンプルに言おう。

 柊は、五十嵐の事が大嫌いだ。

「だったら柊、外で待っててよ。俺が話 聞いて来るからさ」

「でもそれだと仕事を放棄するみたいだから嫌!」

「何その無駄に強い責任感?それじゃあどうするのさ?」

「……五十嵐をぶっ飛ばす」

「いや俺ら何しに来たの?」

 その後もしばらく部屋の前で口論を繰り広げていたら、部屋の中から声が聞こえた。

「ひひっ。ワガママ言ってないで、さっさと入って来いよ。ペチャ子がペチャクチャって、たいして笑えないな。ひひっ」

 その声の主は部屋の主の五十嵐のもので、薄ら笑っている。

 しかし、部屋の外の二人は笑えない。楸は、一気に血の気が引き、柊の顔を心配そうに覗きこむ。そして、その柊はと言うと、顔を真っ赤にしてプルプル小刻みに震えていた。今にも怒りが噴火しそうだ。

 楸は、柊から離れた。怒りのままに暴れる柊に巻き込まれたらたまらないと思ったからだ。

 そして、柊の怒りが爆発する。

「五十嵐ぃ!」

 バンッと勢いよく扉を開け、五十嵐をぶっ飛ばそうとする柊。楸はその様子を外から見ていようと思ったのだが、顔をのぞかせた時には事態は沈静化していた。

「ひひっ。まだまだ甘いな」

 そう言って笑う五十嵐の足元に、柊は倒れている。

「何したんですか?五十嵐さん」

「ひひっ。な~に、まともに来られたらひとたまりも無いんでな、少し寝てもらった」そう言った五十嵐の手には、催眠スプレーが握られていた。柊が部屋に入ってきた瞬間に、扉の横で待ち構えていた五十嵐がスプレーを吹きかけたのだ。「あんなに外でギャーギャー騒いで俺に準備させる時間を与えたというのに、警戒心ゼロで飛び込んでくるなんてバカだな」

「一応言っておきますけど、柊、女ですよ」と呆れを滲ませる楸。

「知ってるよ。だからと言って、俺ぁ死にたくないんでな。正当防衛だよ、正当防衛」

――五十嵐さんの方からけしかけといて、正当防衛も無いんじゃないか?

 そう思ったが、楸は口にしなかった。

 都合よく静かになった柊は寝かせといたまま、楸は、五十嵐に話を聞く事にした。といっても、五十嵐が「手短にな。じゃないと狂犬が目覚める」と言うので、立ち話のままで手短にする。

「それじゃあ早速。五十嵐さん、あなた高橋さんを襲いましたか?」

「ひひっ。俺が?あいつを?なんで?てか、手短過ぎるからも少し事情を説明しろ」

「あ、はい。あのですね、なんか今日 高橋さんが何者かに暗殺されかけたんですよ。それで、あの人のお酒も盗まれました。高橋さんの命令で、俺と柊で犯人捜しをしているんです。それで、五十嵐さんは何か知らないかなぁと思いまして、事情聴取に来た次第です」

 楸がそう言っても、五十嵐は高橋の心配など一切せずに笑う。

「ひひっ。あいつが、暗殺。ひひっ」ひとしきり笑うと、五十嵐は言う。「それなら、犯人は俺じゃない。てゆうか、楸も分かっているんじゃないのか?」

「まぁ、はい。でも、なんか一気に犯人に辿り着くのは高橋さんに禁止されていて、支部長の所に行って今は五十嵐さんの所って感じなんですよ」

「だったら俺ぁ何も言うめぇ。面倒だから、もう犯人の所に行けや」

「でも、何かヒント的なモノを…」

 楸は食い下がった。一応上司の課したルールは守ろうという意識はあるからだ。五十嵐も、楸のその気持ちを察し、しぶしぶではあるがその遊びに付き合おうと頭をひねる。

「それじゃあ、高橋の酒を奪ったってところにヒントがあるんじゃないのか。犯人は、高橋の酒が欲しかったのか、それとも別の目的で高橋から酒を奪ったのか」

 五十嵐がそう言うと、楸はパァッと顔を明るくし「五十嵐さん、ナイスヒント!」と親指を立てた右手を突き出した。このヒントならいよいよ犯人に迫る事が出来る、そう思ったからだ。

「おう。ほら、さっさと出てけ」

 五十嵐は、追い払うように手をパタパタ振る。

「はい。じゃあ、柊のことよろしくお願いします」

「バカ!この爆弾は持って帰れよ。おい、楸!」


 五十嵐の必死の説得で、楸は柊のことを持ち帰った。あれ以上柊のことを放置していると五十嵐が発狂するのでは、そう思えるほど五十嵐は取り乱し、いつもの余裕は微塵もなかった。

 五十嵐の部屋を出て二分弱で、柊は目を覚ました。

「んぁ…あれ?アタシ…」

「あ、起きた?柊。 柊ね、また五十嵐さんに負けたみたいよ」

「そうだ、あんの野郎!今度会ったらぶった斬る」

 柊は、そのいつかを想像し、強く拳を握りしめる。が、すぐに自分の置かれている状況を察し、戸惑いの色を濃くしていく。

「あのさぁ、起きたなら自分の足で歩いてよ。それとも、まだ具合悪かったりするの?」

 そう文句を言う楸の背中に、柊は居る。

 柊は、楸におぶられているのだ。柊は顔を赤くし、楸の背中で暴れる。

「ちょ…降ろせ、バカ!」

「わかったから暴れないで!てか、あっ!」

 腕力の無い楸に、暴れ馬を御し切る事は出来なかった。柊は、楸の背中からずり落ちた。

「ったぁ~!アンタねぇ!」と痛めた腰を抑え、楸を睨む。

「ちょちょ、不可抗力だって!」



「どうしたんですか?楸君。 ボロボロですね。それに、風邪でも引いているの?」

 二人は医務室へ行き、そこで楸は、ナースの雛罌粟から手当てを受けている。

「はい。そこの凶暴女にボコボコにされまして。あと、オデコのは気にしないでください」

 楸は、恨めしそうに柊のことを指差したが、柊は「フンッ」とそっぽを向いた。

 雛罌粟は、そんな二人のことを微笑ましく思い「うふふ」と笑い、楸の手当てを続ける。

 消毒や絆創膏などの簡単な手当てのみで済む怪我だったので、それを手早く行い、「はい、終わり」とあっという間に済ませた。

「ありがとうございます」

「い~え」

 雛罌粟は、そのまま後片付けに入る。

 手際良く後片付けをする雛罌粟を見て、楸と柊は神妙な顔を見合わせて頷く。

「あの、ヒナさん」

 楸が切り出した。

「なんですか?」

「…あなたが、高橋さん暗殺の犯人ですね」

 楸は言った。

 その場が、一瞬の静寂に包まれる。

 何事か状況を飲み込めずにキョトンとしていた雛罌粟が「あぁ~」と全てを把握して微笑んだ。

「そうですね。あれを暗殺と言うなら、はい、私が犯人です」

 雛罌粟の口から出た言葉を聞き、二人は無駄に入れていた肩の力を一気に抜く。

「何があったのか、その辺の事情を説明してもらっていいですか?」柊が言った。

「いいですよ」

 そして、雛罌粟の口から全てが語られる。



 高橋暗殺事件発生前。

 高橋の部屋に、高橋と雛罌粟の二人がいた。雛罌粟が高橋に用があって来たのだ。

「高橋さん、いい加減にしてください!」

 雛罌粟は、自席でふんぞり返る高橋に詰め寄り、デスクをバンッと両手で叩いた。しかし、真剣な顔で詰め寄る雛罌粟と違い、高橋は何事か掴めてもいないので「は?」と素っ気ない。

「何言ってやがる。俺が何かしたってのか?」

「はい。率直に言います。お酒を止めなさい」

「率直に言おう。嫌だ、帰れ」

 自分を追い返すように手を振りながら言う高橋の態度に、雛罌粟はカチンと来た。しかし、何とか堪え、自分が主張している事の理由を言う。

「私 言いましたよね、お酒を控えてくださいって。それでも貴方は変わらずに呑み続けている」

「そりゃそうだろ。俺は、中途半端ってのが嫌いなんだ」

「だから言っているのです!中途半端が嫌なら、いっそお酒を止めなさいって!」

「バカかお前、バカ……バカか」

「反論が幼稚過ぎます!」

 雛罌粟はツッコミ、頭を抱える。今は全く問題が無いとしても、このまま酒を呑み続けていればいつか身体を壊す。それをどう この男に分からせようか、その方法を考えた。しかし、あの手この手を講じても、それでたいした効果を上げられると思えない。そう諦めそうになるほど、高橋という男は聞きわけが無い。

 雛罌粟が頭を悩ませていると、そんな雛罌粟の気苦労を知らない、知ろうともしない高橋が口を開く。

「まぁそうカリカリすんな。そうだ、今度一緒に呑もうや。そうすればお前の考え方も少しは変わるだろうよ」

「だから…」

 と、雛罌粟が更なる反論をしようとしたら、高橋は続けて言う。

「あんまり怒ってばっかだと、どんどん老け込むぞ」

 そう言った瞬間、場が凍りついた。それには高橋も気付いたが、気付いた時には既に遅い。目の前の恐怖に、さすがの高橋も動揺を隠せない。まさかこんな所に地雷があったとは、そう後悔するが一度口から出た言葉は回収できない。

 雛罌粟は、笑顔のまま高橋に迫る。その不気味な迫力に押され、高橋は後ずさる。

「くくっ。ブ~ス」

 高橋は、これはもう逃れられないと諦め、負け惜しみのように言った。



「以下略」

 雛罌粟は、そこで説明を打ち切った。

 楸と柊は、舌足らずな説明だが、それで納得した。その後の事について、高橋がボッコボコにされたのだろうと容易に想像がついたからだ。

「楸君」

 雛罌粟に不意に声を掛けられ、楸は「は、はい!」と背筋を伸ばして返事をする。

「私、まだ若いわよね?」

「はい。ヒナさん、まだまだピッチピチですよ。すごく美人です」

「やだ、楸君ったら」

 今の雛罌粟はご機嫌の様だが、下手な事を言えば自分も高橋の二の舞だ、そんな自覚があったので必死にゴマをすった。

 さすがの柊も、目の前の底知れない不気味な恐怖に、好きな人を襲った事を非難できないでいる。だが、勇気を振り絞って言っておかなければならない事があった。

「あの、それで…高橋さんのお酒は?」

「要る?」

「いえ、結構です」

 押されっぱなしの柊を可笑しく思い、楸は笑った。すぐに柊の眼に恐怖し、黙った。


 全ての謎を解いた二人は、医務室を出た。

 帰り際に雛罌粟から、「あの人に言っておいてくれますか。お酒を返して欲しかったら、人を遣わせないで自分で来なさい、って」という伝言を貰って。



 二人は、謎を解いた報告と雛罌粟の伝言を言いに、高橋の部屋に来た。

「よぉ、ご苦労。それで、犯人は分かったのか?」

「「はい」」

 高橋に出迎えられ、二人は全てを話す。自分達の辿った短い道のり、犯人の名前、その動機、言伝、全てを。

 高橋はそれを黙って聞いていた。

「くくっ。成程な」と高橋は笑う。「良く分かった。あのアマ、どうやら本気らしいな」

 そう言うと、高橋はふんぞり返っていた自席から立ち上がる。雛罌粟の所へ行くのだ。集中する為、いわゆるバトルモードに入る為に掛ける薄い色のサングラスを掛けて、部屋を出て行く。

「俺にもし何かあったら。その時は頼むぞ」

 そう言って、高橋は戦場へと消えた。



 残された二人は、どうすればいいのかわからない空気の中に取り残されていた。

「てゆうか、何を頼まれたの?そんで、あの人死ぬの?」

 楸は、呆れ顔で言った。

 楸の言うようなことは有り得ないと思っている柊は、何も言わずに来客用のソファーに腰を沈める。

 楸も柊の向かいに腰を下ろして言う。

「アレだよね、高橋さんってすごくたまにガキみたいなこと考えるよね」

「うん」

「普段真面目にしている反動なのかな、時々バカみたいなことするし」

「うん」

 楸の言う悪口を、柊は受け入れていた。

――それでも、そんな高橋さんも好き

 そんな事を思い、頬を薄ら染め上げる柊だった。



 しかし、そんな二人の思いもよらぬ事が、医務室で起きていた。

 有り得ないと思っていた事が現実に起きようとしていて、よく分からない頼まれごとを受け入れなければならなくなりそうになっている。

 そして、楸は知る。

 この館内で真の最凶は誰かを。


天使組一同が出ました。

高橋さんは、本当ならもっとクールな人を当初予定していたのですが、話を進めていくうちにダメな部分ばかりが目立っているような気がします。が、ま、いっか。


ヒナさんは、見た目年齢三十前後という意識で書いています。だから、高橋からすれば年下の後輩で、楸からすれば年上の先輩です。


支部長は、名前は既に決まっているのですが、「支部長」と表記した方が都合がいいので、そうしています。

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