第九話 天使と怒り(後篇)
言わなくてもいいことかと思いますが、この作品はフィクションです。
ホント、ただのフィクションです。
椿 Ⅱ
服屋の多い建物を出て、時計を見ると、今は四時を少し過ぎた頃だった。
榎と柊は、それぞれ服を何着か買っていた。満足そうな顔をして、散々待たせた俺たちの所へ戻ってきた時、世の中の彼女持ち、既婚男性の苦労がわかった気がした。
女が嬉しそうなのはいいが、男はただただ辛い。
それに、俺の辛さは、途中の天使との会話で一気に膨れ上がっていた。
この後する仕事で、俺が止める人間がしようとしている事ってのが、俺の想像を遥かに超えていた。つーか、今日は只の旅行だと思っていたから、俺は自分の武器であるDグローブを持って来ていない。話し合いで解決できればいいが、もしバトルに発展してしまった時、非常にピンチだ。
もしもの時、俺は自分の持つ力〝願いを叶えやすくする″と知恵だけが武器となる。しかし、それにしても、相手も同じ力を持っているらしいから、厳しい仕事になる事は間違いないだろう。
一抹とはいかない不安を抱えているが、仕事の時間は容赦なく迫ってくる。
時の流れは残酷で、俺を待ってはくれない。
これといった得策も思い付かないまま、仕事の時間になった。
「じゃあ、俺と椿はこっから別行動ね」
天使が言った。
別行動が遊びに行く事を指すのでなければ、仕事に行く事になる。つーか、この状況で遊びにいくワケないだろうということで、俺は、仕事をする為に気持ちを切り替える。
「あでも、その前に……はいこれ」
浴衣の袖口から取り出した写真を柊に手渡し、「それが、今から会うヤツ」と天使は言った。
「何でアタシに?」
写真をチラッと見て、柊は不思議そうに訊いた。
「いや、資料に居場所の予測は書いてあるんだけど、いかんせん、それは予測なんだよね。だから、柊に千里眼使って、そいつを捜して欲しいんだ」
「…わかった」
仕事だからか、柊は簡単に了承した。
柊は目を瞑り、アゴを少しだけ上げた。そして「みっけた」と、ものの数十秒で言った。
柊は、大体の位置とそこへ行く道順を教えてくれた。
「サンキュ、柊」
俺が礼を言うと、柊は「今は見つけられたけど、あんまり遠くに行ったらアタシじゃ捜せないからね」と忠告した。たとえそうだとしても、今見つけてくれた事自体は非常に助かったので、「分かった。サンキューな」ともう一度礼を言った。
「事が済んだら連絡するよ」
手で電話をかける仕草をしながら、天使が言った。
「じゃ、また後でな」
俺と天使は、榎達と分かれ、柊に教えてもらった場所を目指して歩き出した。
○
椿と楸が仕事に向かい、残された柊は、「この後はどうする?」と榎に訊いた。
柊としては、仕事に行った二人の事などどうでもいいのだが、榎は心配そうに二人の背中を見ていた。榎の様子に気付いていた柊は、別に遊びに行こうと思って、榎に訊いたワケではない。
だから、「二人に付いていってもイイかな?」と榎が言い出しても、驚きもしないし不満もなかった。柊は、そうなるのではないかと予想できていた。
「たぶん、私のことを気遣って、詳しい事は教えてくれなかったんだよね?心配させないように、って。だから、二人だけで行ったんだよね?」
榎は、怒っているのではなく、椿と楸に心配を掛けさせていたことを申し訳なく感じていた。
「……そうかもね。アイツらバカだから、隠そうとしていてもバレバレよね」
柊は、カレー屋での事などを思い出し、鼻で笑ってから、苦笑いを浮かべて言った。
柊も、楸の言動から察しはついていた。
「私、足手まといだから、みんなに迷惑かけちゃう。でも、だからって、私に心配かけまいとして、みんなが苦しむのは嫌なの」
椿や楸の気持ちも分かっているが、榎は、何の役にも立てない自分を歯痒く感じた。
悲しそうな顔で訴える榎に、「大丈夫。榎ちゃんは、足手まといなんかじゃないって」と柊は笑いかけた。
「前にも言ったけど、榎ちゃんより椿の方が、よっぽど足引っ張っているからね」
「でも…」
なおも榎の顔は晴れず、泣き出しそうなままだ。
「大丈夫だって。アイツらが、勝手にそうしたんだから。気を遣ったんだか知らないけど、アイツらがカッコつけたくて、アタシたちには内緒にしたんだよ。そうすることで、余計心配になることもあるってのにね」柊が困ったように首をかしげると、榎も頷いた。「だから、せめてアイツらが安心して仕事に行けるように、帰って来た時にホッと出来るように、榎ちゃんは笑っていようね。心配する気持ちも分かるけど、弱っちぃアイツらのために、アタシたちは強くなくっちゃ。だから、ほら…笑って」
もう一度、柊が笑い掛けると、「えへへ、そうだね」と榎は笑った。
榎が笑ったのを満足そうに見て、「よし。じゃ、行こっか」と柊は言った。
「どうせアイツら、すぐに見失ったとか言って、連絡よこすよ。だからどっちにしろ、アタシたちも近くには行かないとね」
「そうだね。それに椿君、方向音痴だしね」
楽しそうに笑いながら、榎が言った。
「でしょ。でも、後をつけているってばれたら、椿は文句言うだろうね。あんまり離れることもできないけど、近付き過ぎてもダメ。ホント、アタシたちの方が気を遣うよ」
面倒だと言いたげに、柊は襟首を揉んだ。
「ホントだね。じゃ、どっかで美味しい物でも買って、それ食べながら行こっ」
「いいね、それ」
榎の提案に、柊は笑って答えた。
椿たちの知らない所で、榎たちも二人のサポートとして動き出していた。
早速、クレープ屋の屋台に二人は向かう。
椿 Ⅲ
良く考えたら、相手は移動するかもしれないってことに気付いた。そいつが、柊が指示してくれた場所に留まり続ける保証も無いので、走って移動している。俺が走り始めると、天使は「下駄だと辛い」と、飛んで移動し始めた。
走って移動し、「この辺か?」と天使に訊いたら、「もっと先じゃない?」と言われたので、もっと先まで走る。
「たぶん、この辺」
地面に降り立ち、資料を見ながら、天使が言った。資料には目印となる物が書いてあるようで、辺りを指差して確認している。
この辺だということで、俺も周りを見渡し、その人間を捜してみる。
同じ力を持つ者同士、類は友を呼ぶといった感じで見つけられる気がする。それに、俺は主人公だ。主人公は、基本的に出会いに事欠かない生き物だ。
「ん?アレじゃない?」
天使が指差す方を見ると、そこには写真と同じ男と思われる人物がいた。
背中を丸め、ポケットに手を入れて、俺達の方に歩いてくる。
「……おい。俺より先に見つけるなよ」
「は?見つかったんだから、どっちでもいいじゃん」
その男に近付きながら、主人公としての苦情を天使に言ったが、のれんに腕押しといった感じで、相手にされなかった。
「俺にとっては、どっちでもいくないんだよ」
先を歩きながらボソッと呟くと、「気にすんなって」と背後で天使が笑った。
「っせぇよ」
最終確認として、すれ違いざまに間近で顔を確認した。
すれ違った後、天使に目配せをすると、天使は黙って頷いた。
「ちょっと、そこのあんた」
今すれ違った男が写真の男だと確信を得て、後ろから声をかけた。まどろっこしい方法は面倒だし、遠回りでいい方法が思い付かなかったので、単刀直入に訊いて、それで話し合って止めようと思った。
しかし、俺は確かに声をかけたはずなのに、男は足を止めない。
自分の事だと気付いてないのでは、ということで「ちょっと、そこのあんた」ともう一度声をかけた。
しかし、やはり気付かない。
都会人は冷たいと言うが、話しかけても全くの無視をするのか、と若干イラッと来た。
こうなったら力づくでも気付いてもらおうと思い「ちょっと、オイ!」と、男の肩を掴んだ。
男は振り返りざまに、俺の手を振り払った。
男の顔は、写真で見たもののように、眉間に皺をよせ、釣り目でこちらを睨んでいる。
「んだよ、テメェら」
いきなり肩を掴んで声をかけたのは無礼かもしれないが、初対面の相手を「テメェ」と呼ぶこの男も如何なものか。まぁ、そんなのは知らないが、第一印象は「ロクなヤツじゃない」だ。
男は不審感を抱いているというより、明らかに怒っている。俺もこの男の態度に怒りそうだ。が、その怒りをグッと堪え「俺らの事を教える前にさ、お前がしようとしている事が本当かどうか、ちょっと確かめさせてくんね?」と訊いた。
「は?何言ってんだ?」
と、男は眉間の皺を一層濃くした。
男は、俺よりも背が低いくせに、顎を上げ、俺を見下そうとしている。無駄なことだと思い知らせる為に、俺も同じようにして見下す。
そして見下したまま、「何って、お前…人を殺す気なんだろ?」と言った。
すると、男は一瞬目を見開いて驚いた表情になり、直後「ちっ!」と舌打ちをして、踵を返した。
逃げる気だ、そう思った時には、男は遥か遠くにいた。捕まえようとした手が伸び切る前に、遠くに逃げられた。
「ウソだろ、おい…。アレ、速過ぎないか?」
男のスピードに面喰っていると、天使も驚いていた。
「速いな。俺が本気出して飛ぶのと同じくらい速いかも…」
そして、あっという間に、男の姿は見えなくなっていた。
あまりの衝撃で追うことも忘れ、俺たちはその場で立ち尽くしていた。
「つーか、俺と同じ力で、あそこまで違うもんかよ」
あの男にも〝願いを叶えやすくする力″がある事は知っていたが、その力の差に愕然とした。
そんな俺の横で、天使はアゴに手を当て、思案顔になっていた。
「もしかしたらさ、アレがあの男の力なのかもよ」
「どういう意味だ?」
「うん。まぁ、元々の肉体の差って言うのもあるだろうけど、それだけじゃないと思うんだよね。で、一つ、予想っていうか、仮説なんだけど…いい?」
天使が正面を指差して、首をかしげた。
天使はたぶん、男を追わなくていいのか気にしているのだろう。しかし、追うにしても今更だし、柊にもう一度頼んで捜してもらえばイイ。それに、今度接触した時、またすぐに逃げられないようにするためにも、今はあいつの力について知っておくべきだと思う。
俺が頷くと、天使は仮説とやらを話し始めた。
「たぶん、あいつの力ってのはさ、脚力にのみ集約されているんじゃないかな?」
「脚力?」
「うん。椿と榎ちゃんでも違うから思い付いた事なんだけど、例えば、椿の力だと、色んなイメージした事を実現できるワケでしょ。それって幅は効くけど、悪く言えば、力が分散しているっても考えられないかな?」
「悪く言わなければ、オールマイティな力だな」
「で、あいつの力は、椿とは逆。腕力の向上やイメージ通りの動きをすることはできなくても、脚力が凄まじく上昇する」
「悪く言えば、一芸バカだな」
そして最後に「まぁ、コレはあくまで仮説だし、単純に全ての能力が椿の上っていう可能性もあるんだけどね。ていうか、そっちの方が濃厚かも」と付け足し、天使の仮説についての説明は終わった。
天使の仮説は正しい、と俺は思う。あの男のスピードは尋常じゃなかった。あの速さで難無く走るには、相当の脚力がいるはずだ。俺が同じ速さで走ろうと思えば、できるかもしれないが、脚の筋肉が断絶したりするのだろう。つーか、天使の仮説が外れていた場合、俺の存在が霞んでしまう。
だから、天使の仮説は正しい。
天使の仮説の正しさが証明された所で、俺はケータイを取り出した。
柊に連絡を取る。
何回かのコール音の後、『はい。終わったの?』と柊が出た。
「いや、まだ。つーか…逃げられた」
『ハッ。やっぱアンタら、ダメだね』
柊の後ろで、榎が『やっぱり?』と笑っているのが聞こえた。
「少し油断しただけだよ。次は捕まえるっつーか、止める」
『それで?』
分かっているくせに、柊はわざと言っている。しかし、こっちが下手に出るしかないので、「だから、もう一度捜してくれね?」とお願いするしかない。
『それで?』
「……お願いします」
『しょうがないね』
柊が勝ち誇るように笑っているのが感じられる。
電話口から離れたところで、柊が『ちょっと持っててちょうだい。熱いから気をつけてね』と言うと、その後ろで『うん。分かった』と榎の声がする。そんな謎の会話の後、柊の声はしなくなり、電話からは向こう側の喧騒のみが聞こえた。
数十秒後、『もしもし?』と柊の声が聞こえた。
そして、男が今いる場所、向かっている方向と、そこへの道順を教えてもらった。
不慣れな土地で、指示通りに行けるか自信はないが、「サンキュ」と、取り敢えず礼を言う。そして、気になっていたので、「何か食ってんのか?」と訊いた。
『ああ。たこ焼き』
「東京来て、たこ焼きかよ」
『ハッ。もんじゃ持ち歩けるかよ』と柊が嘲笑う。
「そういう意味じゃねえよ。もっと別の、クレープみたいな菓子食ったらどうだ?」
『それならさっき食べた。てか、無駄口叩く暇あんなら、さっさと追いかけな』
そう言われ、電話を切られた。
ケータイをしまうと、天使が「何だって?」と訊いてきた。俺は、今教えられた情報を伝え、「んで、クレープ食って、今はたこ焼きだとよ」と最後にどうでもいいことを付け足した。
「じゃあ、俺たちも何か食べようよ」
「追いかけんのが先だろ!」
俺と天使は、また走りだした。つーか、天使はまた飛びだした。
柊の言った場所へは、天使が導いてくれた。意外にも、俺の言った情報を基に、天使は道を把握していた。
そして、再び男を見つけた。
しかし、男は、ゲッという表情を見せると、すぐまた逃げ始めた。
「今度は逃がすかよ」
俺は自分の力を使うため、脚の速い自分をイメージし、逃げる男を捕まえたいと願う。
これで男は捕まえられる、そう思ったのだが、それは甘かった。
男は、脚が速いだけでなく、ジャンプ力もあった。信号待ちなんて煩わしい事はせずに、車も超える高さで横断歩道を文字通りひとっ飛びした。赤信号だと言うのに、あいつには常識が無いらしい。
これで、また男を逃がしてしまった。
信号が変わり、安全になった横断歩道を歩いて渡る。
渡った先で、地面に降り立った天使が「また逃げられたな」と笑った。
「っせぇよ。つーか、お前が捕まえろよ。さっきも飛んでただろ」
「それは無理だよ。だって楸さん、アレを捕まえるだけの腕力ないモン。ほら」そう言って、天使は細い腕で、盛り上がりの少ない力こぶを作った。「下手したら、あいつを落っことして大惨事よ。交通事故って、たとえ歩行者に過失があっても運転手が悪い事にされるから、そんなことしたら迷惑でしょ」
「あーそうかい」
責任の所在を確かめようと話していても、姿を消した男が見つかるはずもない。
そうであれば、また、柊に頼るしかない。
「今度は、お前が訊けよ」
「やだよ。これは椿の仕事だよ。楸さんはサポートだけ」
「だから、サポートしてくれよ。手の動かない相棒の代わりに、連絡を取ってくれ」
「だったらポッケから手を出しなよ。それで手は動くよ」
ここで揉めていても、姿を消した男は絶対に見つからない。
こうなったら、この方法しかない。
「「じゃ~んけ~ん、ポン!」」
正々堂々勝負した結果、俺のグーが、天使のチョキを打ち負かした。天使は、「三回勝負にして」と手を合わせたが、「命ってのは一個だろ」ということで、再戦要求はお断りした。
しぶしぶといった感じで、「しゃーねぇな」と言いながら、天使は電話をかけた。
「あ、もしもし柊ちゃん?ゴメン、ちょっと声が聞きたくて」
『キモい!』
天使の反応から察するに、電話を切られたようだ。
天使は、もう一度掛け直し、「もしもし、柊?」と言う。今度は余計な事は言わない。
『何?終わったの?』
電話から漏れ聞こえる柊の声は、先ほどの天使のセリフが癇に障ったのか、不機嫌そうだ。
「いや~それが、まだ」
『ハッ。いい加減にしなよ。アタシたちも暇じゃないんだ』
「そうかもしれないけどさ、また頼むよ」
そこで、会話が途切れた。
何かあったのかと思い、俺は天使の電話に耳を近付ける。
電話の向こうからは、微かに会話が聞こえた。しかし、それは天使に向けられたモノではなく、「おじさん、いくら?」「いいよ、私払っておくから」「そう?じゃあお願いね」という、またしても謎の会話だった。その会話は、当然天使にも聞こえているので、天使は不思議そうに、俺を見て、電話を指差しながら首をかしげた。
『もしもし、楸?』
柊の声がすると、天使は電話を耳に当て戻した。
「何?」
『今から捜すから、少し待ってな』
「うん。お願いね」
そして、また静寂。静寂の後、柊の『もしもし』と言う声が聞こえ、先ほどのように情報をくれた。
「ありがとね、柊」
『ハッ。そう思うんなら、ちゃんとやりなよ。じゃね』
「あっ、ちょっと待って!」
『何?』
「今さ、何してんの?」
『今?今は、イカぽっぽ買ってる。そんなことより、早く行きな』
それで、電話は切れた。天使はケータイをしまう。
「イカぽっぽだってよ。『ぽっぽ』って愛らしい響きだな」
ぽっぽと言う発音が気に入ったのか、天使は「ぽっぽ、ぽっぽ」と楽しそうに繰り返す。
「つーか、あいつら縁日にでもいるのか?」
「ぽっぽ?」
天使は首をかしげる。
「っせぇな。やめろ、それ」
天使のぽっぽを止めさせ、俺たちは、今度こそと誓いながら、また男を追いかけた。
男を追っていたら、周りの雰囲気が変わって来たことに気付いた。
「東京っつっても、人の少ない場所もあるんだな」
柊の指示した場所へ向かう途中、浮いて移動している天使に話しかけた。
「そりゃあるでしょ。おっ、いたよ!」
天使の言う通り、男がいた。俺達の先を歩いていく。
男の姿を見つけると、飛んでいる天使は高度を上げ、俺から遠ざかって行った。それは、別に逃げたワケではなく、俺らが事前に決めた作戦だから、何も言わずに見送る。
俺は走って男に迫る。
すると、男は振り返り、自分に向かって走ってくる俺の存在に気付いた。
「ちっ。何なんだよ!」
舌打ちをして、男はまた逃げた。
このまま捕まえられたら、それはそれで良かったのだが、逃げた時の為の作戦があるから、俺は慌てることなく男を追い続ける。
男のスピードは、悔しいが俺より速い。その差で生まれる距離が開いた事を確認し、男は、建物の間に逃げ込んだ。
作戦通りだ。あまりに巧くいったので、俺は思わずニヤッと微笑する。
今回の仕事は頭を使う必要があると事前に悟っていた。だから、使った。
そして思い付いた作戦がコレ、名付けて「挟み撃ち作戦」。
時として、作戦と作戦名はシンプルな方がいいという場合もある。そして作戦名の通り、飛んで行った天使が男の前に降り立ち、男の逃げ道を塞いだ。
男の正面には天使、男の後ろには俺がいる。これで逃がすことはない。
「さ、万事休すってところか?」
男に歩み寄りながら、俺は言った。
先ほどまでコケにされていた分を返す意味でも、余裕の態度を示す。
しかし、男も余裕を感じさせるように、「へっ。そうでもねぇよ」と不敵に笑った。
その瞬間、男が動いた。男は、建物の窓の桟など僅かな足場を見つけては、それに足を掛け、ジャンプした。そして、両側の壁をジグザグに、ジャンプを繰り返して登っていく。
あっという間に、高さ十数メートルはある建物の屋上に行ってしまった。
「へへっ。あばよ」
男は屋上から顔をのぞかせ、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ざけんな!忍者かよ、あいつ!身軽すぎんだろっ!」
「いいから、追うぞ!」
俺が男の消えた頭上を見上げて愚痴っていると、天使が手を差し出した。
○
建物の屋上に来た男は、通りに面した縁にまで歩いていた。
「ったく、何なんだよ あいつら。てか、何で俺の事知ってんだ?」
男は呟いた。
これで逃げ切ったと思い、安心した男は、屋上の縁から周囲を見渡す。この後の行き先を決める必要があるからだ。このまま下に降りれば、椿たちとまた鉢合わせすることも無いとは限らないと判断し、何かイイ道はないものかと思案する。
「これだったら道草なんて食ってないで、さっさと下見に行くんだったぜ」
男は、このまま次々と建物の屋上を跳んで渡って行き、ここから離れた場所で降りることに決めた。
そして、思い付いた方法でこの場を立ち去ろうとした時、背後に気配を感じた。
「つーかよぉ、もう少し常識で動いてくんね?」
椿 Ⅳ
男を追って、俺たちは屋上に来た。
俺は天使に差し出された手を握り、天使に連れられる形で来た。
屋上まで来て、天使の手を離し、颯爽と屋上に降り立った。天使も俺の横に立つ。
「いや…テメェらの方が非常識だろ。何だ、そいつ?」
面食らった様子の男は、不思議そうに天使を指差した。
指を差された天使は、「俺?」と自らも指を差して確認して、「俺は天使だよ。ほら、羽も生えている」と、浴衣をはだけさせた。
天使の羽を見た男は、いきなりの事で頭がついていかないようだ。目を丸くして信じられないといった表情のまま、何も言わずにいる。
天使は、すぐに浴衣を着直す。
「面喰ってるとこ悪いけどよ、少し話聞かせてくれね?」
俺が言うと、男は一度頭を掻きむしってから、「いいぜ」と不敵に笑った。
「俺も、テメェらに少しだけ興味が出て来た」
逃げる為か、屋上の縁にいた男は、俺らの方に歩み寄って来た。
男が会話することに承諾したので、早速、単刀直入に訊くことにした。
「じゃあ訊くけど…お前、人を殺す気なのか?」
「ああ。俺は、これから人を殺すぜ」
口の片端を釣り上げて、男は笑った。そして、宣言した事の証明のために、ポケットから取り出したナイフのカバーを外し、刃先をこちらに向ける。
「本当は、今日は下見のつもりだったんだが、チャンスがあったら今日にでも殺るつもりだ」
「マジかよ…」
「人を殺すってんだ。それなりの理由あんだろ?教えろよ」
男がナイフを取り出してから、急に真顔になった天使が訊いた。
「いいぜ、聞かせてやる」
そして、男は語り始めた。今からしようとしていた事、殺す人、その理由を。
「俺は、怒ってんだよ」
「怒ってる?まるでガキみたいな理由だな」
怒っていると言う割に笑みを浮かべて話す男に聞こえないよう、ボソッと呟く。
「国民性だか、県民性だか知らねぇが、勝手に俺らを我慢強くすんな!俺の怒りの沸点はすんげぇ低いぞ。最近の若者なんかより、遥かに低い!」
確かに低い。男は、急に声を荒げ出した。
「俺は頭悪いから吠える。吠えるけど、中身なんてねぇ。ただ、この国が今ヤベェことは分かる…何となく。だから、俺よりずっと頭がいいヤツが、何やってんだよってことだけは言いたい。今の政治が良くないことも、そのせいで国民の関心が薄れてることも、フワッとしか分かんねぇ。具体的な改善策なんか、思い付くワケねぇ。だけど、分かるヤツには分かるんだろ?分かんなくても、それを考える頭はあんだろ?だったら考えてくれよ!俺には出来ない。だから…頼むしかねぇ」
頭が悪いと自分で言っていたように、男の話は分かりにくい。
しかし、言いたい事は俺にもわかった。
政治家は、選挙の時だけ一生懸命。大事なことはロクに決められず、政権争いばかり。国民も政治に不信感を抱き、内閣支持率や投票率は下がる一方。これらの事を、男は歯痒く感じているのだろう。
「だが、俺はただ人任せにしたりしない。俺には考える頭はないけど、動く身体と力がある。だから、動く。俺の怒りを示して、本気の思いを伝える。その為に、今の首相を殺す。この国の為に、命を賭けてもらう」
そう言うと、男は目の前の見えない敵を切り裂くように、ナイフを振り降ろした。
「マジかよ…」
天使から、男の目的は「首相暗殺」だと聞いていたが、今この瞬間にあの男の口から聞くまでは信じられなかった。
「バカな事だってのは分かる。やれるだけやって、捕まってもイイ。死刑になっても、全然イイ。俺みたいなバカがいるってことが世間に知られれば、ただそれでいい。俺の怒りを示し、俺が起爆剤となって、この国を本気にさせる」
そこで、男の主張は終わった。興奮しているのか、男は肩で息をしている。
「俺の事は話した。次は、テメェらだ」
男は、再びナイフをこちらに向けた。
俺と天使は顔を見合わせた。
「あいつの言う事、間違っているけど、間違ってねぇよな?」俺は言う。
「意味分かんないよ。どっち?」
「俺もわかんねぇよ。ただ、あいつの主張も一理あんのかなって思っただけだ」
「あっそ。まぁ、俺には分かんないけどね。人間の政治に、俺たち天使は無関心だから」
俺と天使が話し合っていると、「俺の質問に答えろ、こらぁ!」と男が怒鳴った。
「俺は、テメェらが何者なのか訊いてんだ!」
俺と天使は、もう一度顔を見合わせる。しかし、ここで話し合うとまた怒られるので、何も言葉は交さない。
言葉は交さなくても、天使が言いたいことくらい分かる。「これは椿の仕事でしょ。だったら、椿の答えでいいよ」とか、そんな感じだろう。だから、ここは俺に任せてもらう。
「こっちの浴衣は天使だ。羽もあったろ。で、俺はヒーローだ」
ダークヒーローと言うと話がこじれそうだったので、ただのヒーローにした。
「ふざけてんのか!」
「ふざけてねぇよ」
不満そうな顔で、男が睨んでくる。しかし、俺は目を逸らさない。ここで目を逸らしてはいけないことは、先人達が教えてくれている。だから、男の目を真っ直ぐ見据えた。
「ちっ。テメェらみてーなバカの正体はどうでもいいか…」
「おい、バカはお前だろうが」
「うっせえよ!テメェも十分バカだろうが。そんなことより、テメェらは、俺の邪魔をする気なのか?」
嵐の前の静けさ、そんな不気味さを感じさせる冷静さをみせ、男は訊いて来た。
「ったりめぇだよ」俺は答える。「つーか、俺の勘だと、お前の目論見ははずれんぞ。たいしたことも出来ずに殺人未遂で捕まって、テレビやネットでめちゃくちゃに叩かれて、お前の気持ちは伝わらない。せいぜいワイドショーに話題を提供する位にしかならねぇ。んで、迷惑なヤツがいたなぁって感じで、お前の存在は世間から消える」
「うっせぇ!やってみねぇと分かんねえだろうが!」男はまた、冷静さを失って叫ぶ。「わぁった。テメェらは、俺の理想を止めるってんだな」
「カッ!何が理想だよ。…つーか、だったら、理想で対決してやんよ。努力や苦労はあっても、誰かが不幸になるような犠牲の無い幸せ。コレが、俺の理想だ。名前も忘れた今の首相もだけど、お前を不幸にさせない為にも、俺はお前を止める。俺の理想の為に」
俺は、男に合わせて、不敵に笑って見せた。
それに応えるように、同じように男も笑う。
「いいのかよ?そうすっと、テメェが不幸になるぜ」
男のナイフが、たしかに俺に向いた。
「いいのかよ?そうすっと、お前の理想は止まんぞ」
男を挑発する為に、自分の腹を叩いて見せた。
「大丈夫か?アイツの方が上かもよ」
今まで黙っていた天使が、不安そうに俺を見る。
「心配ねぇよ。離れてろ」
男からは目を逸らさず、天使を遠ざける。
天使は尚も不安そうだったが、空に浮かんで離れた。
「悪いけど、俺の邪魔すんなら容赦しねぇ」
男はナイフを握り直した。そして、それを俺に向ける。
「上等だよ」
俺は、気合を入れる為に帽子の位置を直した。本当はDグローブがあれば良かったのだが、今は無い。その為、また頭を使って闘う必要がありそうだ。
もう一度、自分の腹を叩いて「やってみろよ。俺の腹筋はかてぇぞ」と挑発した。
「へっ」
男は、一足飛びで俺の前に来た。そして、ナイフを振りかぶった。
「っざけんな!」
予想外のことに、俺は慌てて横っ飛びし、男のナイフを避けた。
一瞬の攻防の後、天使が降りて来た。
「ちっ」
天使という存在の不可解さを警戒してか、男は攻撃してこない。舌打ちをした後、ナイフを構えたまま、こちらを見て機を窺っている。
「何やってんの?椿。 余裕そうだったのに、無様に取り乱して」
呆れて苦い顔をしている天使に訊かれた。
「っせえよ。あいつが、セオリー無視すっからわりぃんだよ」
アゴにまで垂れてきた冷や汗を拭い、俺は言った。
「セオリー?」
「おう。俺の上着のポケットには、財布が入ってんだ。だから、俺はそこを突き刺すようにあいつを挑発したんだよ。っのに、あのクソ野郎、斬りかかってきやがった。財布でガードして、そんで出来た隙を突くつもりだったのによぉ」
俺が軽く実演を交えながら説明してやっているのに、天使は納得していないようだ。
それどころか、信じられないと言いたげに、溜め息をついた。
「んだよ?」
「いや。椿ってこんなにバカだったっけと思って」
「はぁ?つーか、どいてろよ。勝負の邪魔だ。あいつがセオリーを無視すんなら、こっちは意地でもセオリー通り闘ってやるよ」
俺の考えについて来られない天使は、不思議そうに首をかしげ、「大丈夫なの?」と訊いてきた。だから、俺は「大丈夫だよ」と応え、自分の腹を叩いて見せた。
「後は頼むな」
俺がそう言うと、天使は納得したようで「任せて」と微笑した。
また空に浮いた天使に、男は気を取られた。その隙に、俺は動く。
「心配すんな。お前を止めるのは俺だ。あいつは手出ししない」
仕込みを終え、男に声をかけた。
男は、得体のしれないヤツよりも、目の前の俺に集中した。そして、ナイフを向けたまま、「いいのかよ?奇襲は失敗して、打つ手ねぇんじゃねぇの?」と言った。
「カッ。バカ言え。奇襲なんか失敗しても関係ねぇよ。まだ、奥の手がある」
そう言い、男に笑って見せた。あくまで、俺が上だと思い込ませたい。
俺の思う壺、男はキレて「死んで後悔すんなよ!」と動き出した。
俺をかく乱させる為に、周囲を走り回っている。
その動きは確かに速く鋭く、目で追うと混乱しそうになる。
俺は、目を閉じた。
そして、自分の力を信じ、感覚神経を研ぎ澄ませる。
耳を済ませ、男の位置、動きを把握する。
俺の左側で、一際強く地面を蹴る音がした。
「死ねぇ!」
「悪いな。死ぬのは怖い」
俺にはナイフを止める術が無い。よしんば避けられたとしても、攻撃の術も無い。ナイフ持ちに、素手で近付く気も無い。だから、待った。男が近付く一瞬を。
俺は、喫茶店で天使から取り上げ、ポケットに入れたままにしていた『ねんねこ玉ミニ』を、左側から飛び掛かってきた男に向けて放った。
空中にいる男に、ねんねこ玉を避ける事は出来ず、見事に命中した。初めて自分以外の者が食らうのを見るので、どうなるのかと思ったが、予想通りねんねこ玉から白い煙が出て、男の周囲を覆った。近くにいた俺も、その煙に巻き込まれた。
「テ…メェ…卑怯…だろ」
男は、眠る間際に言った。
「っせぇ。相打ち…も…セオリー…だ」
いつもより効き目は薄いが、やはり俺も眠くなった。
睡魔に抵抗してみたが、負けた。
「起きなさい。何時だと思ってるの」
目を覚ますと、目の前に天使の顔があった。取り敢えず、うるさい口を塞ぐ為、頬を潰す。天使の口がタコのようになった。
「っせぇよ!」
「学校に遅刻するわよ」
「……よくそれで喋れんな」
効果が無いようなので、天使の顔から手を離した。
起き上がって周りを見ると、公園のような所にいることに気付いた。俺が寝ていたベンチの横のベンチで、男がまだ寝ている。
「東京の公園デビューはどんな気持ちだ?」
「悪くない」
効果が薄かっただけに、いつものねんねこ玉より、起きた時の不快感などが少なかった。
「ていうか、疲れたよ。大の男を二人、こんなところまで運んでさ。腕が折れるかと思った」
「つーか、こいつのナイフは?」
感謝の言葉が無いことに天使はムッとしたが、「もちろん取り上げたよ。危なっかしいからね」と、ケースにしまったナイフを見せた。
望まない睡眠で固まった身体を動かす為、立ち上がった。
「ちっ。何だったんだ?」
軽いストレッチをしていたら、男が目を覚ました。眠気を覚ます為、自分で頬を叩いている。そして、すぐにナイフが無いことに気付いた。
「おい!俺のナイフ返せ!」
「やだよ。危ないから、俺が没収しました」
天使がナイフを見せると、浴衣の袖に入れた。
何か言おうとしていたが次の言葉はなく、しぶしぶナイフを諦めた男は、俺と天使を睨み上げながら「俺は止まらないぜ」と言った。その顔にはまだ怒りが滲んでいる。
「今止めても、ナイフを奪っても、俺は止まらない」
「だったら、また止めてやるよ。今度は正々堂々、拳で勝負してやる」
そもそも、Dグローブさえあれば、あんな姑息な手は使わなくてすんだのだ。だから、次やる時は、言った通り、正々堂々闘ってやる。その意思を示す為、拳をぶつけ合わせた。
俺が再戦の要求に応じたのに、男はあの不敵な笑みを浮かべる事は無く、理解できないと言った表情で、俺らのことを見ている。
「何でテメェらは、こんな事してんだ?俺を止めて、テメェらに何の得がある?」
男は、言った。
しかし、何でと言われても困る。顔を見合わせてみると天使も困っているので、俺は「まぁ、仕事だからってのもあるが、簡単に言うと、俺がヒーローだからだな」と応えた。天使も異論はなさそうで、笑って「そうかもね」と言った。
「意味わかんね」
そう言うと、男は寝たまま、身体を伸ばした。どうやら、今すぐに動き出す気はなさそうだ。その気持ちは、同じくねんねこ玉を食らったことのある俺には分かる。アレを食らうと、起きた時、色んなことにヤル気が出ない。
男が逃げるそぶりも無いので、「つーかさ、お前ももっと別の方法を考えろよ。殺人なんて物騒なやり方じゃなくても、他にもあるだろ」と男に話しかけた。
男は、「考えたけど、ただ叫んだ所で、俺の声は誰にも届きそうにない。だったら、行動で示すしかないだろ」と言って起き上がった。
「それこそ、やってみないとわかんねぇだろ」天使が言った。
「簡単に言うな」
「いいだろ。言うのは簡単だから。お前も叫んでみろよ。叫ぶのも簡単だぞ。中身が適当でもさ、案外届くかもよ」
「へっ。かも、じゃ意味ねぇよ」
天使の言葉を受け流すと、男はもう一度横になり「あ~。なんか、ヤになった」と声を洩らした。
「お前らみたいなバカに邪魔される位なら、もっと別の、お前らが口を挟んで来ないやり方にすっかな」
どうやら男に殺意は無くなったようだ、と天使と目を合わせて確認し合う。互いに頷いた後、「出来んのか?お前、バカなんだろ?」と言ってやった。
「出来るだろ。お前みたいなバカがやる以上の事くらいは」
「はあ?」
「俺もお前らみたく、俺の力で、まずは少しずつ幸せってやつを守ってみっかな。今は国より人をどうにかして、いつかは国だ。俺の力があれば、多少足踏みしても、追い付けるだろ」
「やってみろ」
男が笑うので、俺も笑い返してやった。
俺の事をバカと言った事は、特別に許す。
「終わったよ」
『はいよ。割と近くにいるから、すぐに行く』
男を止めるという仕事は完了したので、天使が柊に電話をかけた。互いに一言ずつの短い会話で、電話は切れた。
俺は男に訊きたい事があったので、結果的に短い電話でも待っていられず、天使が電話をかけ始めると同時に男に訊いていた。
「お前にも力があるんだよな?」
「ああ。良く分かんねえけど、この力については噂程度に聞いた事はあった。まさか自分にと思ったが、どうやら、目的を持ったヤツが怒りを爆発させて発動させるらしいな」
「何だそれ?」
「てか、お前にもってことは、お前も力があんのか?」今度は男から訊かれた。
「ああ。俺は〝願いを叶えやすくする力″って呼んでいる。イメージして願った事を実現化する為の力だと、俺は思っているが…」
「へ~。俺のは何でか、脚力が上昇するのみだな。腕とかは力出ねえ。アレか、疾風怒濤ってヤツ。怒りで風になるみたいな」
男は、同じ力を持っている同志だと思ってくれたのか、先ほどよりも親しみやすい雰囲気になった。なんというか、トゲトゲした感じが無くなった。
男の纏う空気が変わったことよりも、男の力が全ての面において俺の上を行くものでは無いことが、俺は嬉しかった。
「そういや、お前ら、名前は?」
男に訊かれた。
そういえば知りたいことがもう一つあったことを思い出した俺と天使は、「俺は椿」「俺は楸」と早口で簡単に名乗り、「「お前は?」」と訊いた。
俺等の異様な食いつき方に「なんだよ、二人して…」と男は引いていたが、そんなことは気にしない。俺らが黙って待っていると、男は名乗った。
「俺は梅花皮だよ。梅に花に皮って書いて、カイラギって読むんだ」
「カイラギ?」
「ああ。呼び辛かったらカイでいいぜ」
予想外過ぎる読み方に、俺も天使も信じられないでいた。
しかし、取り敢えず家に帰ったら辞書を引くことにして、確かに呼び辛いし、柊とも被るので、こいつの呼び方は「カイ」にする。
まぁ、仕事が終われば呼ぶことも無いと思うが…。
自己紹介という名の難読漢字答え合わせが終わり、少しして、榎達が来た。
「大丈夫、椿君?怪我無い?」
駆け寄ってくると、心配そうな顔した榎に訊かれた。
「ねぇよ。つーか、お前らはまた食ってんのか」
榎と柊は、それぞれ両手にコロッケのようなモノを持っていた。
「うん。さっき買ったの。コロッケだけど食べる?」
榎が片方のコロッケを差し出してきたので、それを受け取ろうと手を出す。が、後ろからカイに襟を掴まれて邪魔をされた。
コロッケを貰い損ねたまま、天使と一緒に、カイに引っ張られた。
「何だよ?」
浴衣の乱れを正し、天使が文句を言った。
榎達から離れた場所まで連れられ、何事かと思っていたら、「あの子、どっちかのコレか?」と、カイが小指を立てた。
「は?彼女じゃねぇよ。どっちも友達だ」
「まぁ、俺としては、榎ちゃんとは恋仲になりたいけど」
天使が言うと、カイが驚いた顔になった。「あの子、榎さんっていうのか?あの白髪の子、楸は好きなのか?」と、その口ぶりには戸惑いがあった。
「は?なんでだよ!」天使は心底嫌そうに言う。「俺が好きなのは、その隣の可愛い子。あの白髪は柊。アレでも女だよ」
「柊さんって言うのか」
カイは、柊の名前を口に出して確認した。
つーか、今度は俺が驚いた。カイが、初見で柊を女と認識できたことに。
俺がただ驚いていると、天使が「まさか…カイ、柊に惚れた?」と訊いた。
「は?あるかよ、んなこと」
俺は否定したが、当の本人は何も言わない。さっきまで首相を殺すとか言っていた男の顔が赤くなる。
「マジ?」
「いや、惚れたとかじゃねぇよ。でも、単純に可愛いなって」
「「はぁ?」」
柊に可愛い要素を見出せない俺と天使は、声を揃えて驚愕した。
「アレだよ?見えてる?ホワイトアスパラよりも出っ張りの無い身体してるよ。白い色鉛筆の方がまだ色気あるよ」
さすがに俺は、天使のような失礼なことは言えない。が、「それにな、あいつ、あんな細いくせにめちゃくちゃ食うぞ。昼に二キロのカツカレー食って、クレープ、たこ焼き、イカぽっぽ、今はコロッケ。そんなに食うのに、身長しか伸びなかったヤツだぞ」と教え、カイの目を覚まさせようとした。
しかし、俺と天使の説得は全く効果がないようで、「いいじゃん。俺、細身の子好きだし、いっぱいメシ食う子も好きだぜ」と言う。終いには、「ていうか俺、胸は小さい方がいい」とまで言い出した。
俺と天使は、開いた口がふさがらない。
仕事の時よりも大変なことになった気がするが、それでも好いた惚れたは人の自由ということで、「だったら告ったら」と出会ったばかりの貧乳フェチを送り出すことにした。
今度は止めない。
「バカ言え!んなことできっかよ」
とても首相を殺すと喚いていた男とは思えない動揺を見せ、自ら止まった。
しかし、いくらカイが尻込みしていても、このままではいけない。何より、コロッケが冷めてしまうということで、カイを置いて、榎達の方に戻った。
「お…おい」
カイが呼び止めようとするが、それを無視した。天使もついてきた。
「アレが仕事で止めることになってたヤツ?実物は大人しそうだね」
コロッケをかじりながら、柊が言った。
とてもおとなしいヤツではなかったが、今はとある事情から大人しくなっている。そんな大人しくなったカイに、「おーい。アンタもコロッケ食べる?」と柊が声をかけた。
どうなるのかと見ていたら、カイは「あ、いただきます」と近寄って来た。
「俺の分は?」と天使が言ったので、柊は「ったく」と面倒くさそうに、カイにあげようとしたコロッケを半分にした。
柊から半分にされたコロッケを貰い、天使が俺の隣に来た。俺も榎からコロッケを受け取ったので、天使と一緒に食べながら、面白くなりそうなこの状況を見物する。
柊が「ほら」と残り半分のコロッケを手渡すと、カイは「あ、ありがと、ございます」とぎこちなく礼を言い、コロッケを受け取る。「てか、アンタ何するつもりだったの?」と柊に訊かれると、首相を殺そうとしたカイは「い、いえ。ちょっと」と口ごもった。
俺と天使はその様子を見て、声を殺して笑う。俺たちの様子を「どうしたの?」と榎が不審がるが、「気にすんな。コロッケが美味かっただけだ」と誤魔化した。
「そういえば、アンタ、名前は?」
「あ、俺、カイラギって言います。梅に花に皮って書いて。はは、変でしょ」
そう言って、照れ臭そうにカイが笑うので、俺たちも腹を抱えて笑った。
「へ~。変わってるね。アタシの名前は柊って言うの。似てて紛らわしいから、アンタはカイでいい?」
「あ、はい!」
俺達の腹筋がヤバくなってきた。
「アレで、カイラギって読むんだ。分かんないよね?」
榎が話しかけて来るが「ああ、そだな」と適当な受け答えしかできない。コロッケも喉を通らない。
柊は名前が気になっていただけのようで、名前を知ると、すぐにカイから離れた。
柊に続くように、カイも、俺達の方に近寄ってきた。柊と話してご機嫌になったのか、俺と天使の背中を思いっきり叩いてきた。
「ってぇな!」
叩かれた衝撃でコロッケが変な所に入ったのだろう、むせている天使の分も文句を言ってやった。
「へへっ。気にすんなよ」
カイが謝らず、そう言った。
俺達の様子を気持ち悪いモノでも見る様な目付きで見ていた柊は、「で、高橋さんっていつ来るの?」と天使に訊いた。
「ゲホッ!さあ?あの人の気分次第かな?」
天使が適当に答えると、「くくっ」と笑い声が聞こえた。
「気分で来るかよ。俺は、お前らの監視もしてたんだぞ」
高橋さんが何処からともなく現れた。
柊は、高橋さんの姿を見たとたん、大口を開けて食べていたコロッケをちびちび食べ始める。
「見てたんなら、どうでした?これでイイ感じですか?」
天使が仕事の出来を、上司の高橋さんに確認した。
「ま、いいだろ。カイって言ったか?そいつも、もうバカなことはしないだろうしな」
カイを見ながら、高橋さんが仕事の出来を評価してくれた。どうやら、しっかりと出来ていたらしい。
これで、今日の仕事は終わった。
仕事が終わり、高橋さんが「どっかで飯でも食ってから帰るか?」と提案した。
俺たちは、反対する理由も無いので、その提案に乗った。
「お前はどうする?」
高橋さんが、カイに訊いた。
「俺?」
「おお。楸の奢りだから、遠慮すんな」
「何で俺なんですか?ここは普通、上司の高橋さんでしょ!」
「何言ってんだよ。俺のやった金、一銭も使ってねぇだろ」
「それだったら、椿だってそうでしょ」
「は?俺はこの後、親に土産買うけど」
「ほれ」
天使はさんざん喚いたが、結局天使の奢りとなった。
「じゃあ、行く」
カイも飯を食いに行くことに決めた。
公園を出た後、特に食べたい物があると主張するヤツもいなかったので、高橋さんの一存で「もんじゃでも食うか」と決まった。
初めて食べるもんじゃは、一瞬躊躇する見てくれだったが、食べてみると美味かった。
「しゃーねぇから、俺が払っといてやるよ」
みんなが食べ終わると、高橋さんが言った。
結局、高橋さんにご馳走になった。
飯を食べた後、駅に行き、駅構内の売店で土産を買った。定番なのかは分からないが、東京と書いてあるバナナの焼き菓子があったので、それを買った。
天使も、ふわふわの生地の中にカスタードクリームが入っている、仙台銘菓を買った。
「はい。これ、東京の土産です。後で食べましょうよ」
そう言って、仙台銘菓を高橋さんに渡していた。
やることもやって、カイもそろそろ帰るというので、俺たちも帰ることにした。カイは、バスで帰るらしいから、バス停まではついて行った。
「じゃあな」カイがそっけなく言う。
「お前のせいで、東京見物が台無しだったな」
俺が言うと、カイは振り返り「うるせぇよ」と応えた。
「さっさと消えろ。お前らと会うことはもう無いだろ」
カイが言うと、天使は笑った。
「いいのか、それで?」
天使が柊の方に目配せをして、カイに訊く。
カイは、心残りなのか、顔をクシャっと歪めたが、すぐに元の不機嫌そうな顔に戻る。
「うっせぇよ」
そう言い、カイはバスに乗り込んだ。
柊もそれを見ているが、何も言葉を発しない。
バスが発車するまでまだ時間はあるらしく、バスは動かない。
あまりにも居た堪れないので、俺たちはそのまま、その場を後にした。
窓から顔をのぞかせるカイに、手を上げた。
高橋さんの持つ資格〝空間移動″で地元に帰って来た時、改めて地元が好きになった。
そのままみんなと別れ、家に帰ると、やっぱり我が家が一番だと思った。
俺は暫く、東京には行かない。
後日、学生としての本分を思い出し、仕事の疲れも無いので、大学に行った。大学に行って、まず真っ先に食堂に行く。朝飯がまだだったので、腹が減った。
食堂でカレーを頼み、空いているテーブルを探した。どいつもこいつも真面目に授業に出ていないので、空席が無い。二人で四人席を使って雑談しているヤツ等もいるし、一人で四人席を使い、勉強しているヤツもいる。
仕方ないので、一人で四人席を使っている、勉強してないヤツを探した。探している間に席が空けばいいが、空かなければ相席も仕方ない。
そう思って探していると、何処からか「椿じゃねぇかよ、おい!」と、最近聞いたことのある声が聞こえた。
振り返って声の出所を探していると、ラーメンを食べているヤツが手を振っていた。
マジか、と俺は目を疑った。
「なんでお前がいるんだよ?」
ラーメンを食べているヤツは、カイだった。
カイは一人で四人席を使っているので、そこに相席させてもらう。
「何でって、俺が訊きてぇよ。お前って、関東の人間じゃなかったのか?」
「俺は生まれも育ちもここだよ。この前は、お前の為に東京に仕方なく行ったんだよ」
「マジかよ!俺も今はこの辺だぜ。実家は少し遠いけどな」
そう言うと、カイは笑った。東京で見せたような不敵な笑みでは無く、人懐っこい表情をしている。
「つーか、だったら何で、あの辺にいたんだよ?お前の目的を達するんだったら、霞が関のある所じゃねぇのか?」
「千代田区な。そうだけどよ、折角だから、下見の前に色々と東京見物してたんだよ」
まさか、首相暗殺を企てたヤツと、それを止めようとしていた俺らが、同じ東京見物をしていたとは思わなかった。俺がガクッとうな垂れていると、カイがラーメンのスープを飲み干し、俺に箸を向けて来た。
「椿がいるってことはよぉ、楸や榎さんもいるのか?あと…柊さんも」
辺りを気にしながら、カイは声をひそめて訊いた。
「ああ。普段どこにいるかは知らねぇが、仕事で会うぞ。まぁ、榎とは結構頻繁に会う」
「マジで!」
唾が飛んだ。とっさにカレーの皿を避ける。
俺がカレー皿を持って食べていると、何か考えていたカイが口を開いた。
「仕事って何やってんだ?それやってると柊さんに会えるのか?」
「まあ、柊は仕事の度に会うワケじゃねぇけど、たまに榎か天使が遊ぼうとか言い出すし」
「じゃあ、今度仕事とやらをすっ時は、俺も呼べよ!」
「ヤダ」
「いいだろ。ケチ!」
俺が断ったのに、カイはしつこく頼みこんでくる。
今のこの状況が面倒だというのもあるが、カイの為にもなるので、「つーか、柊も天使だぞ」と教えてやった。正確には「聖なる堕天使」だと言っていたが、別に差異は無いだろう。
「マジ?」
カイは驚き、持っていた箸を落とした。
先日、東京に行った時、カイは柊の羽などは見えていないはずだ。柊は普段、視覚防壁を使い、羽や剣を俺と榎以外の人間には見えなくしている。だから、カイには柊の姿が、普通の白い貧乳の女にしか見えていないはずだ。
身分どころか種族違いの恋だと知れば、カイも諦めるだろ。
ハッキリと諦めさせるために、追い打ちで「だからよ、ついて来ても意味ねぇぞ」と言おうとしたら、「だからよ、ついて来ても…」とまで言った所で、カイが口を挟んだ。
「俺の天使」
口を挟んだというよりは、ボソッとつぶやいただけなのだが、結果、俺の言葉を遮った。
「マジかよ?」
カイは、うっとりとどこか遠くを見ている。
まったく…主人公は出会いに事欠かない。
変なヤツと知り合ってしまった。
おまけ 届け声
梅
俺の声って、誰かに届くのかな?
六畳一間で叫んだら、隣の部屋から「うるさい」と壁を叩かれた。
外に出て叫んだら、遠くからパトカーのサイレンが近付いてきた。
街中で叫んだら、道行く人に白い目で見られた。
ビルの屋上から叫んだら、誰にも気付かれなかった。
叫び続けたら、喉が潰れた。
かれた声で、キミの耳元で囁いた。大きな声は出せなかったけど、キミは笑った。
俺の声は、確かに届いた。
「つーか、うるせぇよ。何喚いてんだ?」
「発情期か何かか?」
椿と楸が、迷惑そうに言っていた。
「せめて思春期だろ。てか、今日は柊さんいねぇの?」
カイという新キャラクターの登場です。
少しだけ熱くておバカな彼ですが、よろしくお願いします。
カイは、根っからの悪人ではなく、作中でも言っていたように短気でおバカな為、今回のような事を企みました。だから私は、ろくに知りもしない東京を舞台にしなければなりませんでした。
カイも増えて「力」を持つ人が増えたので、一度どこかでちゃんとした話で説明します。
最後のはおまけは、なんとなくつけてみました。先に短編小説として別の形で掲載していますが、こちらが最初です。あれ、カイのイメージからできた話なので。
ちなみに、カイの身長は170もなく、柊より少し低いものと設定しています。




