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天使に願いを (仮)  作者: タロ
春夏秋冬の半分(仮)
13/105

第八話 天使・イン・牢獄(後篇)


     楸 Ⅳ


「か~ん~しゅ~さ~ん」

 やっぱり暇を持て余し、看守さんを呼んだ。

 看守さんは椅子に座ってお茶とおせんべいを食べていた。

「なんだ?食うか?」

 看守さんはおせんべいを持って来て、訊いてくれた。もちろん、「いただきます」と喜んでもらう。

「あ、俺 今手錠されてるんで、食べさせてもらってイイですか?」

 俺は自分の手首に着いた手錠を看守さんに見せた。看守さんは「なんだか気持ち悪ぃな」と言いながらも、首を伸ばした俺の口におせんべいを入れた。

「うまいね、コレ。あ、お茶もイイですか?」

 俺がお茶も所望すると、看守さんは「やっぱ気持ち悪いぞ、コレ…」と呆れながら、お茶を飲ませてくれた。

「ごちそうさまです」

「おう」

 満足した俺を見て、看守さんはデスクに戻った。デスクに戻った看守さんは残ったおせんべいを食べていたが、「ん?」と何かに気が付いた。

「おい、楸。手錠付けていても、手渡しすりゃいいんじゃないか?」

「気付くの遅くないですか?」

 俺がそう言ってからかうと、看守さんは「なぁんだよ、もう」と、機嫌を悪くしてしまった。不機嫌になった看守さんは、おせんべいの食べカスも気にせず、勢いよくかじった。



 デスクの引き出しから新しいおせんべいを出し、看守さんは食べていた。食べながら、しきりに上を見上げている。

「どうしたんですか?看守さん」

 俺が訊くと、看守さんは「いや、上が騒がしくなったと思ってな」と言った。

「上?そうですか?」俺は何も感じない。

「そうか。気のせいかな?」

 そう言うと、看守さんはお茶をすすった。

 実際俺は何も感じないし、看守さんも気のせいとしたが、俺には何となく分かった。椿たちが来ているんだって。椿たちが来て戦っていて、それに天使たちも応戦している。

 俺は、椿たちが来てくれているんだと感じ、嬉しくなった。

「……何笑ってんだ?」

 看守さんが言った。

「え?俺、笑ってます?」

 看守さんに言われ、自分が笑っていることに気付いた。普段から出来るだけ笑顔でいるように心がけているとはいえ、この状況にあって看守さんに笑っていると指摘されたということは、それだけ嬉しそうな顔をしていたんだと思う。

 一応不謹慎かなと思い、手錠の付いた手で口元を隠した。

「いや、別に隠す必要はないぞ」

「あ、そうですか」

 手を降ろしはしたが、笑わないように気を引き締めた。

 気を引き締めたせいでおかしな顔になったのか、看守さんは俺のことを怪訝そうに見つめる。

「なんです?」

 俺が訊くと、看守さんは顔を元に戻す。

「いや、お前…じゃない楸は…」

「別に無理に名前で呼ばなくてイイですよ」

「おお。そうか」

「それで、何です?」

「おお。楸は昔、ここに入ったんだよな?それで、その時も俺が看守役だった」

 看守さんは昔を思い出しながら話す。

「はい。そうです」俺はハッキリと肯定の返事をした。それなのに、看守さんは疑いの目を向けて来る。「……なんですか?」

「……いや~。だいぶ雰囲気が変わったなと思ってよ」

「なんだ。そのことですか」

 看守さんが疑いの目を向けてきた理由が分かった。俺の雰囲気、印象が昔牢獄に入れられた時とだいぶ変わったからだ。

 看守さんが疑うのも無理は無い。俺自身、自分が結構変ったなって思う。

「そういや、俺が昔名前訊いた時、楸は『うるせえっ』つって教えてくれなかったよな?」

「そうでしたね。今思い出したんですか?」

「おいおい。俺さっき謝っちまったぞ」

「そうですよ。何謝ってんですか」

「おお。すまん」

 看守さんはまた自分が悪くないのに謝った。

 それが面白くて、俺は笑った。

「それにしても、随分変わるもんだな」

「そうですね」

「あの時より、俺は今の楸の方がいいと思うぞ」

 看守さんが明るくきっぱりと言うので、俺は照れ臭かった。照れ臭くて、何も言い返せなかった。それに、俺は今の自分がそれほどイイとは思えないから。

「前と比べて物腰が柔らかくなったし、それに目が変った」

「目、ですか?」

「おお。あの時の楸は全てが嫌で、今にも死んじまいそうな目をしていた」

 俺は、自分の目つきなんか分からないから、「ふーん。今は?」と看守さんに訊いた。

 看守さんは「今?」と訊き返すと、俺の目をじっと見た。俺はワザと険しい顔をした。看守さんがなかなか目を逸らさないので、自分から目を逸らした。

 看守さんは腕を組み、考えた後、「なんでか、幸せそうだな」と言った。

「へー。そう見えます?」

「おお……いや、悪い。不謹慎だな…」

 看守さんは謝り、申し訳なさそうに頭を掻く。

「いや、いいですよ。てゆうか、あながち間違ってないと思います」

 俺がそう言うと、看守さんは驚いたように「…幸せなのか?」と訊いてきた。

「まぁ、気分的にはハッピーですよ」

 俺が自分で認めたし、看守さんも自分で言っていたのに、看守さんは不思議そうに俺を見てくる。

「ハッピー、なのか?」看守さんは訊いた。

「はい。昔とは状況が違いますから」

「状況?」

「まず、今回俺 冤罪だし」

 俺がそう言うと、看守さんは眉間にしわを寄せ、苦い顔になった。

「分かってると思うが、冤罪かどうかは楸が決めることじゃない。お偉いさん方が決めることだ。そんで、お偉いさん方が黒っていえば、楸がどんなに違うと言っても黒になる」

 俺は、看守さんの言いたいこともその優しい気遣いも、今回のことも分かった上で「わかってます」と答えた。

「もし、万が一だぞ…それで、あの、死罪にならないとしてもだ…何かしらの罪を、罰を食らっても…」

 看守さんの話し方は歯切れが悪い。俺に気を遣ってくれているのだろう。だから、俺は看守さんの言いたいことを察して、「はい。罰を与えられたら、その時は受け入れます」と伝えた。

 優しい看守さんは、まるで自分のことのように悲しい顔をした。

 そして「……それでもハッピーか?」と訊いてきた。

 俺は、もしものその時を考える。

「その時はハッピーじゃないですよ。ただ、今はハッピーってだけです」

 考えた結果、こういう答えになった。

 しばらく看守さんは何も言わなかった。しかし、何かを思い出したように口を開く。

「……まず、って言ったな?」

「はい。良く憶えてましたね」

「まだ何か状況が違うっていうのか?」

「はい。たぶん、今の俺がこういうハッピーな気分でいられるのは、こっちの理由の方が大きいんだと思います」

「……訊いても、いいか?」

 遠慮がちに看守さんが訊ねてきた。

 俺は黙って頷く。そして、頭に思った事を出す為、口を開いた。

「昔の俺は、自分が独りだって思っていたから…」

「独りって…。あの時も高橋がいただろうが」

「そうなんですよね。俺はバカだから、あの時、自分が独りだって勘違いしてた。ホントは高橋さんがいてくれたのに…」

「なるほどな。今回は高橋がいるって思えているから…」

 看守さんの言葉を、俺は首を横に振って遮る。

「違うのか?」

「はい。今の俺には、高橋さん以外にも、俺の周りにいてくれるヤツがいるんですよ。そいつらはどう思ってるか分からないけど、俺は友達だって、仲間だって思いたいヤツらが」

「今 来ているってヤツらか」

 看守さんの言葉に、俺は頷く。

「いつもバカにしてからかっていても、なんだかんだで俺に協力してくれる柊。すごく純粋で、俺みたいなヤツにも優しい榎ちゃん。まあ、あの子は誰にでも優しいから、俺だけってことは無いんだけど…」

「もう一人いなかったか?高橋の話だと、来ているのは三人だと思ったが」

「よく憶えてますね」出来れば気付いて欲しくなかったなぁ。

「おお。まあな」

 看守さんは無駄に鋭い。もしかしたら抜けているフリをしているだけなのかもしれない。

 俺は、敢えて飛ばしていた椿のことを思い出す。

「もう一人のヤツは…なんだろ?よくわかんない」

「わかんない?」

「はい。すっごいバカで、すっごい臆病で、すっごいイヤなヤツなんです。俺のことを嫌ってて、名前を何回教えても、半年で一回しか呼んでくれない」

「ほお~」

「でもすっごい…いや、ちょっとだけ、ほんの少しだけ…いいヤツ。…俺の相棒」

 俺がそう言うと、看守さんは微笑んだ。心配そうな顔が、少しだけ穏やかになった気がした。

 そんな看守さんの顔を見て、俺は続ける。

「そういう皆が、今の俺にはいるんです。そいつらが、俺のために危険だって分かっている場所に来てくれてるんですよ。これで不幸だって言ったら、みんなに悪い。だから、俺は今、最高にハッピーです」

「もし、それで……このあと自分に罰を与えられてもか?」

「それを言わないでくださいよ。考えると気分が沈む。とりあえず、今はハッピーだってことにしたいんです。それに…」

「それに?」

「もし俺の無罪が決まっても、あとで辛い選択が待っているんです。もしかしたら、罰を受けるよりも辛い選択が」

 俺は、避けることのできない選択の時を考えてみた。考えると、今のハッピーが壊されそうだったから、考えるのをやめた。

「選択ねえ…」

「はい。だから、今のうちに少しでもハッピーな気持ちを味わいたいんです」

「そうか……」

「はい」

「あのよぉ、楸」そう言う看守さんに俺が眼だけで返事すると、看守さんは「お前の考え方…俺は好きだぞ」と言った。そして、鼻をすすった。

「なんです?まさか泣くんですか?」

「バカ野郎。そんなワケ無いだろ」

 看守さんは俺に背を向け、看守用のトイレに向かった。

「あのよ、楸」

 看守さんは振り返らずに、震える声をかけてきた。

「なんです?」

「さっき楸は、『仲間だって思いたいヤツ』って言っただろ」

「ホント、よく憶えている」

「余計なお世話かもしれないが、仲間だって思いたいじゃなく、仲間だって思ったらどうだ?相手に拒絶されても、自分だけでも、そう思い込んだら。それにきっと、楸が気にしなくとも、楸達は仲間なんだと、俺は思う」

「……考えときます」

 そう答えると、看守さんは扉を開け、トイレに入って行った。

 一人残った牢獄の中、俺は看守さんの言葉をかみしめた。

 あいつらを仲間だって思う。そう思いたいが、俺には出来そうもない。少なくとも今は。

 そう思った自分は、やっぱり臆病なんだと思う。


     椿 Ⅳ


 俺と榎は、天使の館内にいる。

 柊の作戦通り、館内のほとんどの天使は外に行ったようだ。しかし、館内を全くの無人にするほど天使達もバカではないらしく、たまに遭遇する。たまに遭遇した天使も、俺たちのことを人間だとは認識していないようで、視覚防壁を張っていない。おかげで、俺はまだ戦える、先に進めている。

 こんなに楽に先を進めるのは、ひとえに外に残って戦い、天使達の足止めをしてくれている柊のお陰と言えるだろう。俺が言いたかったセリフを言われたことについては、まぁ許そう。

 そんな柊にあまり文句は言いたくないが、一つだけ言うとしたら、

「つーかここ、広すぎだよ」

 ということを言いたい。

 作戦を聞かされた時にはシンプルな図で、小さな円で表現された天使の館は、実際は広かった。そもそも、館の形も円形・筒型の建物ではなく、四角い土地にある、角ばっていて丸みの少ない建物だった。

 柊は、館の地下にある牢獄にクソ天使は入れられていると言っていた。簡単に言うモノだから、つい確認を怠った俺にもほんの僅かに非はあるかもしれない。だが、そんな簡単な話ではなかった。広い建物で、上り階段はいくつもあるが、おそらく地下の牢獄へ続く階段は一つだろう。そんな階段を、初めてここに来た俺たちが容易に見つけられるワケが無い。

 と、いうことで。

 俺たちは今、迷子だ。この年になって迷子というのは気が引ける。しかし、迷子だ。

「どうしよ?椿君。 私たち迷子だね」榎は言った。

「迷子…ねぇ。もっと別な言い方はないか?」

「え?……迷っている人間?」

「味気ないな」

「もうっ!今はそんなのどうだっていいでしょ!」

 榎の言う通り、どうだっていい。

 迷っている人の俺たちは、館の中を地下への階段探して、迷っている。最初は走っていたのだが、あまりに広すぎる建物に辟易し、今は歩いている。

「つーか、こんな広い建物に案内板もなしかよ」

 愚痴りながらも、階段を探す。

 何回目かの通路を曲がった時、榎が慌てた声で、「椿君!そこに天使いるよ」と言った。榎のいう「そこ」がどこを表しているのか、俺には分からない。

「どこだよ?」

 俺が訊くと、榎は「目の前に、天使二人」と早口で答えた。

 俺には見えないモノが、榎には見えている。まずいと思いながら、俺は榎の指示する空間を蹴った。殴るよりは当たるかな、そう思って蹴ったら当たった。脚には何かを蹴った感覚がある。

「椿君、もう一人!椿君の右」

 俺はまた、榎の言う通りに空間を蹴る。また当たったようだ。脚に感覚がある。

 俺が蹴ったと思われる天使二人の姿が見えた。どうやら壁に打ちつけられて気絶したようだ。気絶して視覚防壁が取れたのか、俺にも二人の天使の姿が確認できるようになった。

「サンキュ。榎」

 俺はひとまず榎に礼を言う。

 礼を言いながら、俺は、自分たちの立場が危うくなってきていることに気付いていた。今の二人の天使がどういう意図で視覚防壁を張り動いていたのかは知らない。問題は、『俺たちが人間である』ということに天使側が気付き始めたかもしれないということだ。

 俺は辺りを見回す。天使らしい人影はどこにもないが、視線を上げれば監視カメラがあった。もしかしたら自分たちの今の居場所、今の衝突を見られたかもしれない。

「走るぞ、榎」俺は、言うと同時に駆け出した。

「どうしたの?」

「いよいよヤバくなってきた」俺は、自分が気付いたことに確信があるワケではないが、念のためにということで、榎に説明する。「俺たちの正体がバレているかもしれない。だから、こっから先、天使と遭遇したら、毎回俺に言ってくれ」

「うん。わかった」

 榎は了解の返事をし、俺の後ろを走る。



 そのまま館内を走り続けていたら、お目当てのモノを見つけた。

「おい。案内板あるぞ」

 地下への階段の次に探していたモノ、館内の見取り図、案内板が壁に掛けてあった。

 その案内板があるのは、やたら長い直線廊下の中間くらいの場所だった。もし、案内板を見て確認している最中に、両側から攻められたらどうしようか。そう考えながら、案内板より先に周りを見る。近くには曲がり角は無いし、外への窓もない。この通りには部屋が多くある。つーか、部屋しかない。部屋の中に入ったら袋のねずみになるが、それもしょうがないと思い、最寄りの部屋に掲げられたプレートを見る。そこには給湯室と書かれていた。さすがに給湯室では戦えない。結局、執るべき行動は、戦う時に不利になりかねないこの場所から離れる為、早く案内板を確認することだった。

「ねぇ椿君…。早く行こっ」

 先に案内板を見ていた榎が言った。

「ちょっと待てよ。俺まだ見てないから」

「いいからっ。私が案内するから。だから早く行こっ」

 榎はそう言って俺を急かし、俺の腕を掴んで、来た道を戻ろうとし始める。

「なんだ?来た道戻るのか?」

「うんっ。だから、早く!」

 俺が歩き始めると、榎は掴んでいた手を放し、俺のことを押し始める。

 榎の様子が、どこかおかしい気がした。

 妙に慌てているようだし、俺のことを先に押して進ませようというよりも、自分から遠ざける様に押してくる。もしかして、そう思い、振り返って榎の顔を見ると、必死だった。今までも天使を牢獄から出すために必死ではあったが、それとは違う必死さを感じる。

 嫌な予感がした。すごく、嫌な予感が。

「おい。お前、もしかして…?」

 俺が訊こうとしたら、榎に突き飛ばされた。

「ごめんね。椿君」

 榎は俺に謝った。それがどういう意味の謝罪か俺には分からない。ただ、榎の身に危険が迫っていることだけは分かった。

 たぶん、榎は狙われている。天使に、天使の矢で。

 さっき天使二人を倒した時、あそこには監視カメラがあった。もしあれで俺たちのことを見ている者がいたら、誰だって気付くだろう。自分たちの姿が見える厄介者は、俺と榎のどちらか。

 天使の姿も、矢の存在も俺には全く見えない。間に合うのかも分からないが、俺はすぐに体勢を立て直し、榎を覆うように抱いた。腕の中で榎が何かを叫んで暴れていた。

 そんな、榎の声さえ聞こえなくなるような絶望の中、誰かの声が耳に入った。

「ふ~っ。やれやれだ」

 先ほど確認した給湯室から、誰かが出てきた。

 羽があるから、天使だと思う。

「まさかホントに俺まで出張ることになるとはな」

 給湯室から天使の声は、男のモノだった。

 その男は、俺たちに背を向け、俺には何も見えない空間に向かって銃を構えた。

「ま、しゃーねーか」

 男はそう言うと、銃を連射した。何発撃ったのかも分からないくらい速く。

 男の撃った銃弾は、矢を撃ち落としていた。俺にも見えるようになった、折れ曲がった矢が、廊下に落ちている。

「あ…アンタ、誰だ?」

 俺がそう訊くと、男は振り返った。振り返ると、黒のスーツに身を包む、薄い色のサングラスをかけた男と目が合った。そして、男は名乗った。

「俺か? 俺は、高橋」


「高橋って…あの高橋さん?」

「あのってどのだよ?高橋なんて苗字、腐るほどいるだろうがよ」

「いや、でも…」

「くくっ。ああそうだ。あの高橋だよ。お前が言うところのクソ天使の、上司だ」

 高橋さんは、微笑した。

 俺がずっと会ってみたいと思っていた高橋さんとの初対面は意外な形となった。ホントは菓子折りの一つでも渡せればと思っていたのだが、今ここには菓子折りどころか何もない。

 とりあえず、俺は自己紹介をしてから握手でもと思い、立ち上がった。

 しかし、高橋さんは俺をスルーして、俺のそばで腰を抜かしている榎に近付く。

「悪かったな 嬢ちゃん。怖い思いさせた」高橋さんは、榎の頭に手を乗せた。怯えた子供にそうするように、大きな手で優しく榎の頭を撫でている。「くくっ。まったく、強い嬢ちゃんだ。普通自分に矢ぁ向けられて、黙ってるなんて出来ねぇぞ。それどころか、腐れ小僧を巻き込まないようにするなんてな」

「あの、腐れ小僧って…俺、ですか?」まさかと思い、俺は訊ねる。

「ったりめぇだろ」

 高橋さんは、あっさりと肯定した。俺は『腐れ小僧』にされたようだ。

 腐れ小僧にされたことのショックは思いのほか小さく、俺は高橋さんに「何でここに?」と訊けた。

 しかし、高橋さんは俺の声ではなく、何もない空間に反応した。

『高橋!なぜお前がここにいる?』

「あ?何でって、楸との約束だからだよ」高橋さんは、平然と応えた。

『貴様も裏切る気か?』

「くくっ。裏切る? 違ぇよ。言っただろ。俺はただ、約束を守りに来ただけだ。それとま、強いて言うなら、紳士の俺からしたらお前ら腐れ野郎どもの美しくない行動に、嫌気がさしたってとこか」

 高橋さんはそう言うと、何もない空間に銃口を向けた。

 俺が状況を飲みこめずにいると、高橋さんは「特別に俺が時間を稼いでやる。嬢ちゃんに言いたいことがあるんだったら今のうちにしな」と俺のことを見ずに言った。

 俺は、高橋さんにも言いたいことが沢山ある。黒いジャケットに薄いサングラスだと怖い人に見えますよ。天使は弓矢派って聞きましたが、アナタのそれは明らかに銃ですよね。つーか、何で給湯室から出てきた?あと、いろいろお世話になっています。ありがとうございます。

 俺はそれらを言うのを我慢して、腰を抜かした榎に向く。

 手を差し出すと、榎は掴んだ。立たせようと力を入れると、簡単に立ち上がった。

「なんで、あんなマネした?」

 俺の開口一番出た言葉は、それだった。

 本当はお礼を言うべきなのかもしれないが、俺はついキツく当たってしまう。

「だって…狙われたのは私だけだったから」

 榎は俯きながら、弱々しく答えた。

「それで?俺が巻き込まれたら危ないと思って遠ざけようとしたのか?」

「……うん」

 榎は静かに頷いた。

 俺はいろんなことに腹が立ち、頭をグシャグシャに掻いた。榎の勝手な行動。榎を狙った天使たち。そしてなにより、榎に守られなければならなかった自分自身。

「いいか!」と俺は声を高くする。「二度とあんなマネすんな。自分が犠牲になろうなんて、絶対思うな!」

「……ごめん」

「お前がいなかったら、俺はどうすりゃいいんだよ?」

「え…?」と榎は、驚いたように目を丸くした顔を上げた。

「悔しいけど、俺はお前らの助けが無いと何もできねんだよ」

「………そっち?」と榎は、呆気にとられたように呟いた。

「他にどっちだよ?」

「いや…別に」

「とにかく、俺にはお前が必要だ。だから、お前も俺に甘えろ!俺を頼れ!俺を信じろ!……じゃないと、俺はお前を守れない」

「……はい」

 榎は頷いた。

「よし!」

 俺たちの会話を聞いていたようで、高橋さんは「くくっ。勝手言いやがる」と笑った。そして、何もない空間に「おい。ちょっと待ってろ。あんまり腐ったことしやがったら、テメェら撃つぞ」と脅しをかけた。

 高橋さんは、何もない空間を脅した後、俺達に近付き、榎の頭に手を乗せた。

「そんな勝手なことばっか言われても困るよな。椿が頼りないから、嬢ちゃんは気張ってたってのになあ」

「あ、いえ」

「それに、どうやったら向かって来る矢を正確に伝えられるってんだよ。嬢ちゃんに分かってて、それを椿に伝えても、撃ち落とすどころか何もできずにブッ刺さってお終いだってなぁ」

 言いながら、高橋さんは榎の頭をグリグリ回した。

 高橋さんの言うことは俺にも理解できた。榎の指示がどれだけ正確だろうと、見えない矢を弾き落とすことは至難のわざだ。しかし、理解できても受け入れることはできないので「それは…気合とかで」と反論する。

「くくっ。気合で?出来るわけねぇだろ」

 高橋さんは俺の反論を一蹴した。

 そして、榎の頭に左手を乗せたまま、銃を持ったままの右手を俺の頭に乗せた。銃が当たると痛いし、帽子がずれる。

「な、何すんですか?」

「いいから、黙ってろ」

 高橋さんは俺の質問には答えず、右手の俺と、左手の榎を近付ける。

「ちょ、ちょっ待て」

「な、なになに?」

 自分の手の中で暴れる俺たちを意に介さず、高橋さんは俺と榎のおでこをくっつけた。

「何すんスか!」

 力が緩んだ高橋さんの手から逃げた俺は、高橋さんに食ってかかった。榎は顔を赤くし、呆けている。

「くくっ。しっかりしな、嬢ちゃん。これくらいで何呆けてんだ」

 高橋さんは榎の頭をグリグリ回し、気を取り戻させた。気を取り戻した榎は、きょろきょろと辺りを見回す。

 その時、俺は自分の中のある異変に気付いた。

「あれ?見える…」

 先ほどまで何もないと思っていた空間には、こちらを警戒し、睨んだまま動かずにいる数人の天使がいた。いたと思ったら、また消えた。

 俺のその様子を見た高橋さんは「くくっ。どうやら成功したらしいな」と静かに語った。

「どういう意味すか?」

「今な、お前と嬢ちゃんを繋いだんだよ」

「繋いだって…まさかテレパシーで?」

 俺がそう言うと、高橋さんはニヤッと笑った。

「俺も楸と同じで〝テレパシー″二級の資格がある。それで前に楸がやったのを見てから、俺は考えたんだよ。自分以外の者同士を繋ぐ術はないか、ってな」

 高橋さんの言う『前に天使がやった』というのは、おそらく榎と榎の飼っていたウサギの大福を繋いだ時のことだろう。あの時、死にかけていて喋る力も無い大福と話をさせる為に、天使は自分を線にすると言って、榎と大福の意識を繋いだ。榎は動物と会話が出来るらしいが、俺も天使も動物と会話することはできないので、その時のテレパシーが成功したかどうかは知らない。それにしても、あの時のことまで高橋さんは見ていたのか?

 俺は疑問を持った目で高橋さんを見ていたが、高橋さんは気にすることなく説明を続ける。

「ま、考えてみても有効な方法は思い付かなかったから、今適当にやってみたんだけどな。成功したか」

 まさかぶっつけ本番であんなことされたとは思わなかった。

「それで、これで何ができたんすか?」

「簡単に言うと、お前と嬢ちゃんは意識を共有できるようになった。お互いに強く思ったことを伝えることができる。椿の反応を見ると、嬢ちゃんの見る景色を椿も感じることができるみたいだな。いやぁ、俺の作戦通りだ」

 適当にやったくせに作戦も何もないもんだ。俺はそう呆れて高橋さんを見たが、高橋さんは満足そうに「くくっ」と笑うだけだった。

「じゃあ、俺の視界からあそこの天使達がいたり消えたりするのは、榎が見ているかどうかによるってことですか?」

「さあな。俺はお前の眼じゃないから知らん」

 高橋さんは取り合ってくれない。しかし、そうなんだと俺は思う。榎がキョロキョロするのを止めてからは、ずっと天使の姿を視認できている。

「俺も初の試みだからよ、その状態がどのくらい続くかは分からん。だからさっさと行け」

 高橋さんは、手で追い払う仕草をしながら言った。

「あの…ありがとうございます」

 俺が礼を言うと、榎も黙って頭を下げた。それを見た高橋さんは「もう俺は必要ないな」と、銃をジャケットの中にしまった。

「椿。さっきお前が言ったこと、示してみせろ。嬢ちゃんは、お前がしっかり守れよ」

「はい」

「あと、お前は絶対楸のとこへ辿り着け。ここでやられたら、俺が殺す」

「…はい!」

 最後に笑顔で俺を脅した高橋さんは、給湯室のドアノブに手をかけた。そして、そこで「あ」と足を止め、俺の方を向くと「そうだ。お前は方向音痴なのか?同じ場所をグルグル回りやがって。あの腐れ野郎どもの向こう、突当たりを右に曲がったら、左手に地下への階段がある。分かったか、腐れ迷子ちゃん」と言った。

「は?」

 驚いている俺の顔を見て「くくっ」と笑い、高橋さんは給湯室の中に帰っていった。

 給湯室に消えた高橋さんを見送り、俺は、天使たちの方に向き直る。榎も同じ方を見ているから、俺にも天使の姿が見える。

「榎」

「なに?椿君」

「前だけ見てろ。道は俺が作るから、俺の前を照らしてくれ」

「……さっきから椿君、カッコつけてる?」榎が茶化してきた。

「っせぇ!たまにはいいだろ」

「でもさ、前以外、後ろや横から攻撃が来たらどうする?」

「そん時は、そっち見ろよ」

「さっき言ってたことと違う」

「臨機応変って言葉知らないのか?」

 俺を茶化した榎は「えへへ」と笑って、「知ってますよ」と答えた。その後はふざけることなく、榎は前を向く。

「ふーっ!」と大きく息を吐き、気を引き締める為に俺は帽子の位置を直す。高橋さんに乱された帽子の位置がまだしっくり戻っていないのに、天使たちは攻撃を仕掛けてきた。

てぇ!」

「椿君!」

 榎の声に反応し、俺は前を向く。今度はしっかり見える矢を、自分と榎に当たりそうな矢だけ弾き落とす。俺が帽子の位置を直している間に攻撃を仕掛けて来るのは、高橋さんの言うところの『腐ったこと』に当たると思うが、何も言わずに帽子の位置を直す。

 ようやくしっくりくる位置に来た。

「おっし!」

 俺は両拳をぶつけ合わせる。Dグローブは絶好調だ。

「行くぞ、榎!」

「うん」

 高橋さん曰く、今のテレパシーで榎と繋がっている状態がいつまで続くかは分からないらしい。だから、その時間切れの前に天使の所へ行こうと、俺たちは走った。

 基本的に見えてさえすれば、天使の5~6人を相手にするのは問題ない。

 道をふさぐ天使たちを蹴散らし、俺達は先を急いだ。



 道をふさいでいた天使たちを倒し、曲がり角を右に曲がった。そしたら、すぐに地下への階段は見つかった。

「あったね、椿君」

 階段を前に、榎が言う。

「おお。あったな」

 俺は榎を見ず、階段の先を見据えたまま応える。

「さっきまで、散々走り回ったのにね」

「っせぇ」

「あんなにカッコつけといて、椿君の作った道って短いね」

「っせぇよ!」

 ここぞとばかりに責めてくる榎を黙らせ、俺は階段に足をかける。

「恥ずかしいね、椿君」

 何に不満なのか、急にSになった榎は笑顔で俺の精神を攻撃し続けた。

 地下への階段は、途中折れ曲がっているが一本道だった。途中で別のフロアに出るでもなく、真っ直ぐに牢獄のある場所に続いている。

 俺は調子に乗ってカッコ付けたことを後悔していた。



「よう、クソ天使」

 階段を下り切り、牢獄のある場所に出た。

 そこは土がむき出しで、テーブルとどこかへ繋がる扉が一つある以外は、天使が入っている洞穴のような牢獄が天使の分ともう一つあるだけの、愛想の無い空間だった。

「ホントに来たんだ」

 俺が声をかけると、手錠を掛けられ白装束のような服を着た天使は、一瞬驚いた風だったが、すぐに笑顔になり、そう言った。

 天使は思いの外、元気そうだった。てっきり牢獄に入れられたら元気をなくし、やつれて行くものだと思っていただけに、天使のその様子は意外だった。

「ありがとね、榎ちゃん」

「おい、俺は?」

「ああ…いたんだ、椿」

 天使はわざとらしく俺を無視した。

「いたっつーの」

 俺が言うと、天使と榎は安心したように笑った。しかし、俺はここで安心するほどバカではない。俺はなおも緊張の糸を切らず、天使に話しかける。

「で、鍵はどこだ?」

「「え?」」

 俺の言葉に、笑っていた二人は笑いを止め、驚いたように俺を見る。

「え、じゃねぇよ。牢獄の鍵はどこだって訊いてんだ」

「いや、鍵って……椿持ってきてないの?」

「俺が持ってるワケ無いだろ」

「じゃあ何しにここに来たんだよ。鍵が無かったら、ここ開かないだろ」と天使は、焦燥からくる怒りをみせた。

「知るかよ。つーか、普通鍵なんてのは途中で落ちてるもんだろ。それか、牢獄のあるこの空間のどこかに置いとけよ」

「何?逆切れ?ゲームのし過ぎだ。世の中そんなに甘くないの」

「っせぇよ!」

 俺と天使が不毛な言い合いをしていたら、榎が何度か横から口を挟んだ。何を言っているかは分からなかったが、榎に構っている余裕は無いので無視していた。しかし、榎はそこで一層声を大きくして「椿君!後ろ!」と叫んだ。

 榎に言われた通り、俺は後ろを向いた。しかし、そこには何もない。何だったのかと思い、榎を一瞥し、天使の方に向き直ろうと思ったのだが、出来なかった。

 良く分からないが、突然凄く眠くなった。

 何が起こったのか考えることもできず、俺はその場で倒れるように眠る。地面に当たった頬が痛かった……気がする。


     楸 Ⅴ


 椿が眠り、数十分が経つ。

「っく…。何だったんだ。つーか、顔痛ぇ」

 俺の隣の牢獄に入れられた椿が目覚めたようだ。

「よう。よく寝たか?」

 別々の牢獄に入れられているため、互いの姿は見えない。だから俺は、どこでもない場所を見ながら椿に訊いた。

「せぇよ。つーか、コレ何だ?手錠?」

 どうやら椿の手にも手錠がはめられたらしい。

 椿が目覚めたことに気付いたのは、俺以外にもいた。トイレに行ったままだった看守さんだ。看守さんは椿の方に近付き「おお。起きたか」と声をかけた。その声に、敵意は感じられない。

 看守さんのことは見えるが、どんなに首を伸ばしても椿のことは見えそうにない。

「……アンタ、誰?」

 椿の不機嫌な声が聞こえる。

「俺か?俺は今回の看守役を仰せつかってる天使だ」

「ふーん。あの、何個か質問していいすか?」

「おお。いいぞ」

「榎は?」

「おお。あの子は高橋に預けたぞ。白髪の子じゃないから、あれが榎とかいう子なんだろ?何やら高橋と楸の会話から、あの子は特別らしいからな。諸々の事情を知ってそうな高橋に預けた」

「あっそ。じゃあ、柊は?」

「あの白髪の子か?あの子は表で散々暴れ回った後、捕まった」

「柊、負けたのか?」

「いや、百人以上の天使を相手取って倒した後の、電池切れの様に動かなくなっていた所を捕まえたらしい。捕まった後は俺の所へ来たんだが、腹が減っただの、かつ丼がどうだのうるさいから、元上司の高橋に身柄を預けた」

「へー。じゃあ、俺も高橋さんのトコがいいんだけど?」

「それはダメだ。上からの命令でな、首謀者のお前さんだけはここに入れとけと言われている」

「首謀者?俺はそんなんじゃねぇよ!」

 淡々とした会話の途中、椿が声を荒げた。

「だが、広場で倒れていた天使の証言ではお前が首謀者、リーダーだと聞いている。なにやら大声で楸を出すと宣言したらしいじゃないか」

「アレかよ…」

 椿がうな垂れたのが分かった。というか、俺パートなのに俺が会話に参加できないんだが…。淡々と説明する看守さんの姿しか見えないから、まともにモノローグもできないし。

 落ち込んでいる俺を気にも留めず、椿と看守さんの会話のような状況確認が続く。

「じゃあ次。さっき何があったんだ?俺は何で倒れた?」

「おお、あれか。あの時な、俺はそこのトイレにいたんだ。そうしたら何やら外が騒がしいと思って、念のためにと視覚防壁を張って出た。そしたらお前さんと楸が口ケンカしてた。どうしたもんか悩んだが、何故か女の子は俺に気付いていたし、お前さんが俺を攻撃して来たら怖いしで、この『ねんねこ玉 ミニ』を使わせてもらった」

 看守さんはトイレの方を指さしたり、五十嵐さん作の『ねんねこ玉ミニ』を取り出して見せたり、丁寧な説明をした。それにしても、そんなことになってたんだな。

「んだよ…。道理で俺は気付けなかったわけだ。もうテレパシー切れてたんだな」

 椿がテレパシー?そう疑問に思って訊こうとしたら、俺より先に椿が「おい、天使」と話しかけてきた。

「ん、何?」やっと俺にも会話が回って来た。

「この看守が視覚防壁張ってても、天使のお前なら気付いてたんだろ?だったら早く言えよな」

「「ああ、それは無理だ」」

 俺の言葉に、看守さんの声が被った。嫌な予感がして早く喋ろうと思ったんだけど、遅かった。看守さんは俺から勝手に引き継いで説明する。

「さっき見たと思うが、楸にはお前さんと同じ手錠が付いている。その手錠には天使の基本能力や資格の力を抑える機能があるから、楸には視覚防壁を張った俺の姿は見えてなかったはずだ。今の楸は言うなら、羽が生えたただの人間だ」

「羽が生えてる時点でただの人間じゃないと思うがな」と不機嫌な椿の声がする。「つーかじゃあ、何で俺にも同じ手錠を掛けてんだよ?」

 俺が「それはあれだ…」と会話に交じろうとしたが、看守さんは「それはな…」と言ってやはり遮る。

「それはな、単純に動きを制限する目的もあるが、楸と接触したお前さんには、楸から天使の力を譲渡されているんじゃないかって疑いが、僅かにだがあるからだ。お前さんは多種多様な力を持つ人間の中でも特殊な方だ。強すぎる力に疑問を持ったお偉いさんの誰かが、疑いを持ったんだろうな」

「おお、まぁな」

 力を誉められたとでも思ったのか、椿は満更でもなさそうな反応を見せた。だから俺は「特殊ってのは、椿がバカすぎるからってことだぞ」と言ったら、「っせえ!」と怒られた。

「じゃ最後、俺のDグローブは?」

「ん?D?」

「俺が付けてた黒い手袋」

「おお、アレか。アレは五十嵐の作ったモノだろ?怪しいし、一応武器とも見えるから没収させてもらった」

「……後で返してくださいよ」

「おお」



 一通りの状況説明が済んだ所で、看守さんはデスクに戻った。引き出しの中からおせんべいを取り出した。それを持って、また俺たちの方に近付く。

「ほれ。まぁ食えよ」

 看守さんは椿の入っている方に行き、おせんべいを差し出している。

「あぁ、ありがとうございます。……んだよ。俺は動物じゃねぇ。普通に手に渡してくれればいいだろが」

「おお、そうか。すまん」

 たぶん、椿の口におせんべいを入れようとしたから、看守さんは怒られた。

「ほれ、楸」

「ありがとございます」

 看守さんは俺の口におせんべいを入れた。椿と違って俺は素直だから、看守さんの好意は喜んで受ける。

 俺たちにおせんべいを分け与えた後、看守さんは自分のデスクに戻った。椅子を回転させ、俺たちの方を向く。

 看守さんは、おせんべいを椿に向け「それにしてもあれだな。可愛い子二人に囲まれてここまで来たんだな」と言った。

「可愛い子?」

「二人ぃ?」榎ちゃん一人の間違いでは?

「なんだお前さんら?あの子たちは可愛くないってか?」

 見た目高橋さんと同じくらいの、いい年こいたオッサンである看守さんは驚いたようにおせんべいを俺と椿交互に向ける。

「可愛いかどうか知らないけど。つーか、いい年こいたオッサンが何言ってんすか」

「いや、別に女としてタイプだとかそういう意味じゃないぞ。俺には愛する妻がいるし」

「それにしたって、榎ちゃんは可愛いけど柊はないでしょ」

「そうか?俺はむしろあっちの白髪の子の方が可愛いと思ったぞ」

「「はあぁ?」」俺と椿は、驚愕した。

「なんだよ、さっきから?」と看守さんは、不思議そうに言うが…。

「柊のことですよね?あの白髪で、目つきが悪くて、口も悪くて、それで胸が無いヤツのことですよね?」

 俺が訊くと、看守さんは溜め息を吐いた。そして「分かって無いな。俺はそういう外見のことを言ってるんじゃないんだよ」と呆れた顔を見せる。

「じゃあなんすか?」椿が訊いた。

「いや、あの子な、俺には悪辣で辛辣な態度だったんだよ。で、見兼ねた俺が高橋の所へ預けると言ったら、急に嬉しそうな顔したんだよ。俺はああいう風に自分の感情をちゃんと表に出せる素直な子の方が可愛いと思うがな」

「どういう意味?」理解出来ず、俺は訊く。

「なんだ、気付いてないのか?たぶんだが、あの白髪の子は高橋のことが好きなんだと思うぞ」

「「はあぁ?」」

 俺と椿は、再び驚愕した。顎が外れるんじゃないかってくらい驚いた。

 看守さんの言っていることの意味が九割以上理解できない。柊が可愛い?柊が素直?柊が高橋さんのこと好きぃ?理解できる一割弱は、柊の態度が悪かったという事くらいだ。

「それって、読心術一級の能力ですか?」

 俺が訊くと、看守さんは「そんな無粋なことしなくても、俺には丸分かりだがな」と胸を張った。

 看守さんのトンデモ発言でざわつきを見せ始めた牢獄トークだが、終わりが近付いた。

「そこの二人、来い!」

 階段を下りてきた知らない顔の天使が、俺と椿のことを呼んだ。

 来いと言われても、行ける状況じゃない。しかしそんなのお構いなく、俺たちは今回の件についての判決を聞かされるため、法廷へと連れて行かれる。

「二人とも」看守さんは言った。「幸運を祈る」

 最後にとんでもない爆弾を投げつけて人の精神状態を乱したくせに、神妙な面持ちで看守さんは牢獄を出る俺たちを見送った。


     椿 Ⅴ


 俺と天使は、手錠を掛けられたまま法廷と書いてある部屋に来た。

 その部屋の中はテレビで見たことある法廷の様だった。証言台が部屋の中央にあり、その後ろに傍聴人席、正面には裁判官席がある。

 証言台のすぐ後ろにある被告人席に、俺達は並んで座らされた。

 しかし、今の俺はとてもじゃないが判決を受ける気分にはなれない。

 榎も柊も、高橋さんも傍聴席にいる。榎は明らかに心配そうに俺たちを見ている。どう言うワケか、侵入者の中で俺一人が裁判を受けるらしい。

 まぁそれは置いておこう。いや、置いてもおけないんだが、とりあえず置いておこう。

 それよりも、今直面している問題から解決したい。

 さっき牢獄を出る直前に、看守の天使は『柊が高橋さんのことを好き』だと言っていた。俺も天使も信じられず、耳を疑った。しかし、どうだろう。今、俺の眼に映る光景は。

 高橋さんの横に座る柊は、大人しい。どこか畏まっている。そして、何よりも笑っている……気がする。なんか、嬉しそうだ。

 看守の天使が言ったことが先入観となっていて、柊がいつもと違って見える。そのせいで、いつもの見せないような穏やかな顔で、柊が高橋さんの隣に座っているようにも見える。俺と天使がこんな状況なのにぃ!

「なぁ、椿」

 柊の様子を観察していたら、天使に声を掛けられた。

「んだよ?」

「一旦柊のことは忘れよう。仮にも俺たちは罪を裁かれる身なんだから」

「せぇな。分かったよ」

 天使の言う通り、柊のことは一旦忘れることにした。

 しかし、気になる。



 待つこと数分。

 裁判官らしい天使が一人、部屋に入って来た。

 俺に裁判の流れが分かるワケが無いので、とりあえず指示に従うことにした。起立するように言われたので、立った。立って、裁判官らしい天使を出迎える。出迎えたら座っていいのかと思ったが、そうではなく、一礼させられた。何に対する一礼なのかと思っていたら座らされた。もはや操り人形のように指示通り動かされている。

 裁判官天使と目が合った。いよいよ判決が出るらしい。

 裁判官天使が何かを話し始めた。俺の耳には上手く入って来なかったが、どうやら掛けられている容疑について説明をしている。

 俺の耳に裁判官天使の話が入って来なかったのは、単に俺が集中できてないからだ。

 俺は考えていた。いや、考えると言うよりも振り返っていた。今日一日を。振り返っていたら、徐々に怒りが増してきた。それと共に、ある一つの名案が浮かんだ。

 裁判官天使は「……で、判決を言い渡す」と一通りの説明を終えていた。

「お前たちは……」

「ちょっと待て!」

 俺は立ち上がり、裁判官天使の言葉を遮った。

 裁判官天使は意表を突かれ驚いた風だったが、毅然として「なんだ?」と訊いてきた。

「判決を出す前に、見せとくモンがある」

「口を慎め!」

 俺の横にいる刑務官役らしい天使が怒鳴りつけてきた。

 その刑務官天使に対し、裁判官天使は「構わん」となだめ、器の大きさを見せてくれた。

「それで、その見せとくモンとは?」

 裁判官天使が、俺に訊く。

「この手錠。これって天使の力を抑えるんだよな。これをされているヤツはただの人間だ」

 と俺は、手錠を掛けられている両腕を掲げてみせた。

「そうだが」

 裁判官天使の言葉に満足し、俺はにやりと笑う。

 そして、

「だったら、俺はこれを壊す」

 と、先ほど閃いた名案を表明した。

 俺たちに掛けられている疑いの一つに、天使の力を譲渡しただとか言うクソみたいなものがあった。その疑いを晴らすために俺が思いついた策が、手錠を壊すことだった。他にも疑いが掛けられているかもしれないが、とりあえず浮かんだ名案はこれ一つだ。

「なっ?」

 裁判官天使だけではなく、俺の横にいた刑務官天使も驚いた。つーか、その場にいたほとんどのヤツが驚いた気がする。それが嬉しくて、つい頬が緩む。

 だが、ニヤついてばかりもいられない。俺は気合を入れたくて、手錠をされたままの手で帽子を直そうとしたが、頭には帽子が無かった。そういえばここに来る前に、裁判官に失礼だからと没収されたのを思い出した。

 仕方が無いので、帽子を直すふりだけする。

 大きく息を吐き出す。

 覚悟はできた。

「俺はこれを壊して、俺は元からただの人間じゃないことを、俺の力は俺のものだってことを証明してみせる!」

 俺はイメージした。強い自分を。何で出来ているかは知らないが、掛けられている手錠なんか引き千切れるくらい強い自分を。

「うぉおおお!」

 イメージし終え、力を入れる。

 俺は、柊に助けられっぱなしだった。アイツがいなかったら、この島に来ることも出来なかったし、絶対に途中で天使達にやられていた。

「よせよ、椿。腕ぶっ壊れるぞ」

「っせぇ!だぁってろ!」

 余計な心配をしてきた天使を黙らせる。

 俺は、榎にも助けられた。あいつに守ってもらうことになるとは思ってもいなかった。それにあの時高橋さんが来てくれなかったら、確実に榎に怪我させていた。つーか、俺が不甲斐ないばっかりに、榎には怖い思いをさせてしまった。

「もういいよ、椿!」

「だぁってろっつってんだ!」

「でも…」

「楸。やらせてやれ」

 と高橋さんに言われ、天使は黙って俺を見ているだけになった。

「ぐ…ぎ…ぎぃ…がぁ!」

 思った以上に手錠は硬い。なかなか壊れない。

 俺の方が先に壊れそうだ。なんか、血も出てきた。

「が……がっ……!」

 俺は、みんなに助けられた。だけど、俺はいったい何をした?まともな見せ場も無く、守られっぱなし。カッコつけても空回り。そんなの主人公じゃないだろ!

 俺はここに何しに来た?守られるために、来たんじゃないだろ!

 俺はなんだ?ダークヒーローになる男なんだろうが!

 願え!

 俺は、クソ天使を助けたい!

「ばぁああるぅすぁああああ!」

 ガキャンッ!

 手錠が壊れた。左右の輪を繋ぐ鎖が、千切れた。

 自分の手首に残った手錠の残骸を見る。繋がれていた右手と左手は、もう自由だ。

「はぁ…はぁ…ふぅ。この呪文、やっぱ最強だな」

 本当はもっと別に言いたいことはあった。俺たちが無実だという訴えや、俺がダークヒーローになることの宣言。それらを差し置いて、滅びの呪文の凄さを口にした。

 続けて何か言おうと思ったが、それも出来そうにない。

「大丈夫か?椿」

「椿君!」

 天使や榎、柊の声も聞こえたかな?

 それらに応えようと思ったけど、手を上げる以外、出来そうもない。

 立っているのもしんどくて、座ろうとした。思いの外椅子が遠くて、俺はその場で倒れこむ。どうせ倒れるなら前のめりだと思ったが、尻をついた。

 俺の目には天井を遮る天使の顔が見えた。

 あぁ……なんか、ダリィ…。


     楸 Ⅵ


「大丈夫か?椿」

 俺が訊くと、椿は軽く手を上げた。そして、その手を降ろすことなく、椿が倒れた。

 俺は慌てて、倒れた椿の顔を覗き込んだ。呼びかけても返事が無い。

「椿君!」

 半泣きの榎ちゃんが駆け寄って来た。

「椿ぃ!」

 柊も傍聴席から境の柵を飛び越えて来る。

 俺たちがどんなに呼びかけても、椿の反応は無い。

「どいてろ、腐れガキども」

 高橋さんも柵を越えて、ゆっくりとした足取りで近付いてきた。椿の周りに集まる俺たちをどかせる。

 高橋さんは、まず椿の頬を軽く叩き、脈を見て、瞼を開いて中を見ていた。

「くくっ。安心しろ。別にこのバカは死んだりしてねぇよ。倒れたのは、ま、力の副作用か過労だろう。すぐに起きるだろうよ」

 高橋さんの言葉で、俺は安心して胸をなでおろした。

 榎ちゃんも嬉しかったのか、倒れている椿に覆いかぶさるようにして泣いた。羨ましいと思ったが、今日のところは見逃してあげることにする。


     椿 Ⅵ


 目が覚めたら、消毒液の匂いが鼻に入った。何故か俺はベッドの上にいる。

「お、起きたか椿」

 頭が重く痛むが、起き上がれないほどではない。俺は上半身だけを起こして「どこだ、ここ?」と天使に訊いた。ベッドの脇で丸椅子に座っている天使は、白装束からいつも着ているような浴衣に着替えていた。

「ん?医務室だよ。天使の館内にある医務室」

「医務室?」

「うん。ほら、見てみろよ 椿!アレがホントの白衣の天使だぞ」

 天使に言われ、周りを見てみた。たしかにナース服を着て羽を生やした女性の天使がいる。その中の一人に「あ、ヒナさん。椿 起きましたよ」と天使が声を掛けた。

 ヒナさんと呼ばれた天使は、早足で俺の方に来た。

「あら、ホントですね。思ってたより随分早い」

 そう言うと、ヒナさんは、俺の血圧を測るなどの簡単なメディカルチェックを始めた。されるがままに検診され、「うん、問題なし」という結果を出された。

 メディカルチェックされながら俺は、自分が気を失った理由をヒナさんに教えられた。どうやら力の副作用で、身体を酷使し過ぎたことによる過労が主な理由らしい。頭が痛いのも副作用の一つらしいが、天使のヒナさんは〝願いを叶えやすくする力″については詳しくないから分からないと言っていた。

 ヒナさんは結果をカルテに書き込むと、「あとでそこの服に着替えてくださいね。もしかしたら手首にひびが入っているかもしれないから、後でレントゲンを撮ります。それまでは手首に負担を掛けないでください」とテキパキ指示を出し、どこかへ行った。

「いやぁイイね、ナース服。今のヒナさんも色気があってよかっただろ」何故か天使はテンションが高い。「もし榎ちゃんもナース服着たら、これもう大変だよ」

「おい。その榎はどうした?つーか、俺の腹、なんか濡れてるんだけど?」

 自分の腹を触ったら湿っていた。もしやと思ったが、湿っている場所は腹から胸にかけてで安心した。

「榎ちゃんは別室で休んでるよ。ちなみに柊も。腹は……寝小便?」

「腹から上で、か?」

 腹が濡れている理由について天使は知らないようで、何も教えてくれなかった。



 ヒナさんに指示されたとおり服を着替えた。病人服だ。俺の服は濡れていたし、ちょうど良かった。

「なあ。俺たちの判決はどうなった?先送りか?」

 ベッドの上に胡坐をかき、俺は、天使に訊いた。

「ああ…それね」

 天使が急に顔を曇らせた。その天使の様子が気になったので、「何か罪を下されたのか?」と問い詰める。

「いや、あの……取り敢えず、無罪ってことにはなった」

「取り敢えず?」

「うん。てゆうか、何て言ったらいいのかな?」

 無罪になったというのに、天使の顔は晴れない。

 俺はどこか胸騒ぎっつーか、嫌な予感がした。

「おい。何隠してる?」

 俺が睨むと、天使は諦めたように白状し始めた。

 今回の、俺が知らない、裏の事情を。

「いやさ、今回のことって仕組まれてたことって言ったらいいのかな?」

「はあ?」

「上の連中は俺のことを餌にして、椿たちを呼んだんだよ。悪魔と戦う訓練をしているって言っても、そんな状況が最近はなかなか無くてね。それで、たるんでいる天使たちの気を引き締める為にって。実戦っていう緊張感のある演習の場が欲しかったってとこかな」

 天使は、作ったような笑みを浮かべながら、そう言った。

 俺は天使の言葉を聞いて、うな垂れた。なんか一気に疲れが増した。うな垂れながら、「その仕組んだことを知ってたのは誰々だ?」と訊く。

「えーと、もちろん俺は知ってたでしょ。で、ここの支部長と上の連中数名に高橋さん、あとは柊かな。看守さんはどっちか分かんない」

 その面子を聞いて、色々と俺は気付いた。

 柊は、俺に話を持ちかけた時、行く理由よりも先に天使を出す手段を聞いてきた。そして、俺が『強硬手段でいく』と答えたら、助かると言っていた。それに戦う時、柊は峰打ちにこだわっていた。

 高橋さんは、俺と榎がピンチの時、都合良過ぎるタイミングで来た。来ても直接戦うことはなく、俺の手助けだけして帰った。

 看守の天使は……あの人だけは分からん。

 とにかく、俺は天使共の実戦演習の相手役として白羽の矢が立っただけということらしい。

「じゃあ、さっきの裁判はただの真似事か?」

「いや。上の連中にとっては二の次なんだろうけど、俺に疑いが掛かっていたのは事実だよ。人間と一緒にいるってだけで、色々面倒なことが多いからね。だから、椿たちが来てくれて、ホントに助かったよ」

「なんでだよ?」もう何を信じたらいいのか判らない。

「椿たちが来なかったら、俺はしばらく牢獄の中って言われてた。人間に天使のことを教え過ぎだっていう理由諸々で。でも、椿たちは来てくれた。それに最後は椿が暴走して、無茶なことしただろ。あれはあれで、僅かにあった力の譲渡についての疑いも晴れたし」

「俺がやったことの成果は僅かかよ…。つーか、良く分かんねぇんだけど…?」

「俺も詳しくは知らないよ。高橋さんは『一種の司法取引だ』って俺に話してくれただけだし。取引ってのがたぶん、俺の身の潔白を証明することと、天使たちの実戦演習のことだと思うけど」

 結局、俺は高橋さんの手の上で踊らされていたらしい。それだけは確実に分かった。

 良く分かんないことが多い中で、「お前に前科があるってのは本当か?」と、これだけははっきりさせておこうと思った。

 しかし、俺が訊こうとしたら、「とりあえず、今日はゆっくり休めよ。色々訊きたいことはあっても、それはまた今度にしてくれ。で、ちゃんとした事を知りたかったら、俺じゃなく高橋さんの所へ行けよ。てゆうか、高橋さんに全部訊け」と天使が口早に言った。

 そして、そのまま逃げるように立ち去ろうとする。

「おい。ちょっと待てよ」

 俺が呼び止めても無視すると思ったが、天使は立ち止まり、振り返った。

「あのさ、椿。ありがとな、いろいろ……マジで」

「お…おぉ」天使の声が妙に落ち着いていたからだろう、俺は呆気に取られた。

「あと、ゴメン」

 頭を下げはしなかったが、天使は口だけで笑い、俺に謝った。

 何に対する謝罪なのか、解らない。これでまた一つ、高橋さんに訊くことが増えた。

「じゃあな、椿」

 俺は天使を見送り、モヤモヤした気持ちを抱えたままベッドに横になった。横になるとすぐ、「ヒナさん、バイバーイ」と言う天使の声が聞こえた。

 心配して損した。

 アイツは元気そうだ。


     楸 Ⅶ


 俺は医務室から出て、そのままの足で高橋さんの部屋に行った。

 高橋さんの部屋の来客用ソファーでは榎ちゃんが寝ていた。今回は榎ちゃんにもかなり迷惑を掛けた。

 医務室に居た時、榎ちゃんは、椿が目を覚ますまで付いていると言っていた。だけど、かなり疲れているようだったし、俺が少し椿と二人で話したかったので、高橋さんの部屋で休んでもらっていた。

「榎ちゃん。椿、起きたよ」

 肩を揺らしながら声を掛けると、榎ちゃんは勢いよく起きた。

「ホント?私行くね」

 榎ちゃんは軽く髪を整え、すぐに部屋を出て行こうとした。

 行くのはいいが、榎ちゃんは医務室の場所を知らないはずだ。

「柊。嬢ちゃんについて行ってやれ」

 自分のデスクで酒を呑んでいる高橋さんが、柊に命令した。高橋さんも榎ちゃんが医務室の場所を知らないことに気付いたらしい。

 榎ちゃんの向かい側のソファーに座ってた柊が「はーい」と立ち上がった。看守さんが変なことを言ったせいで、やたら柊が従順に感じる。 



 柊と榎ちゃんが出て行った部屋に、俺と高橋さんは残っている。高橋さんはもちろん、俺も椿の所へは行く気は無かった。

 高橋さんは、ウィスキーをロックで呑んでいる。既に日は暮れているし、仕事もないのだろうけど、職場で呑んでいいモノではないはずだ。だけど、それもいつものことだから俺は特に何も言わない。

「楸も呑むか?」

 ウィスキーのボトルを見せ、高橋さんが訊いてきた。

「結構です」丁重に断り、来客用テーブルにある一個ずつ包まれたチョコレートを数個掴み、高橋さんのデスクの上に無造作に置いた。

「お、悪いな」

 高橋さんは、俺が置いたチョコレートを食べながら、グラスの中を飲み干した。

 どのくらい呑んだのか知らないが、高橋さんは全く酔っている様子が無い。というか、俺は高橋さんが酔っ払っているところを見たことが無い。たまに酒に付き合っても俺が先に酔い潰れるし、今みたいに一人で呑んでいたり五十嵐さんと呑んでいたりしても、酔った姿は見られない。前に高橋さんが呑んでいる物はカッコいいボトルに入れたウーロン茶ではと疑って呑んだら、普通に純度の高い酒だった。

 気味の悪い人だと思って見ていたら、「何か話があるんだろ?」と声を掛けられた。

 図星だったので、俺は思わず「別に…」と、来客用のソファーに逃げた。

「くくっ。椿には全部話したのか?」

 空になったグラスにウィスキーを注ぎながら、高橋さんは俺の後頭部に言った。

「いや。今日は話す気になれなかったから、何も言わないで逃げてきました」俺も高橋さんを見ないで答える。「てゆうかさ、俺からは何も言えないですよ。言いたくない」

 俺が話しているのを高橋さんは黙って聞いてくれている。もしかしたら興味が無いだけかもしれない。高橋さんの様子を確認するためにソファーの背もたれに肘を掛けて振り返った。高橋さんはチョコとウィスキーに夢中だった。それを確認し、俺は元の姿勢に戻る。

 俺は話を続ける。真剣に目を見られるよりは話し易い。

「ホントはさ、高橋さんに言われて椿の所へ最初に行った時、俺は面倒だと思ってた。なんだったら、椿をただ利用してやるくらいの、そんな適当な気持ちで近付いたんです」

「そのようだったな」

 高橋さんは聞いていた。でも、目線はチョコレートに向いている。

「でもさ、すぐに気持ちは変わった。椿があんまりにもバカで、俺に似て臆病だから、ほっとけなくなった。次第に、あいつといるのが楽しくなった」

「くくっ。楸は単純だからな」

 高橋さんの言葉に、俺は頷く。

「だから、自分から別れを告げるようなこと、俺は言いたくない」

 俺が拳をぎゅっと握りながらそう言うと、高橋さんはやっと俺の方を見た。

「じゃあ、どうすんだ?」

 高橋さんに訊かれた。けど、俺の答えは決まっている。それをお願いするために、ここに来たんだから。

「迷惑ばっか掛けて悪いんですけど、高橋さんに頼みます。俺のことや、椿が知りたがること、それらを話してやってくれませんか?」

「全部か?」

「はい。俺がついたウソとかも、全部」

 俺が言うと、高橋さんは一度顔を伏せた。そして「何でだ?」と訊いてきた。

「何で、今更話す気になったんだ?それに今回のことも。俺から持ちかけといて何だが、楸は断ることも出来たんだぞ?」

「……嘘をついたから、ですかね。色々騙すようなこともして、このまま偽りであいつらと付き合っていくのはしたくない。だから、俺の中でのけじめです」

 高橋さんは静かに頷いた。

「くくっ。分かった、引き受けよう」

「よろしくお願いします。俺は、あとは椿の選択を待ちます。どんな結果になっても、甘んじて受け入れます」

 来客用のテーブルに腕を伸ばし、チョコを取った。開けて食べた。甘いと思って食べたチョコは、ビターチョコだった。苦い。

 甘くないチョコに用は無い。

 俺は部屋を出て行こうと思い、立ち上がった。

 部屋のドアの前まで行った時、高橋さんに「楸」と呼び止められた。

「なんです?」俺は高橋さんの方に向き直り、訊く。

「俺が昔言ったこと、覚えているか?」

「高橋さんには色々言われたから、何のことか分かんないんですけど」

「くくっ。そうだったな。じゃあ、訊き方を変えよう。お前は強くなったか?敵はでかくなったか?」

 そう訊かれ、何を言っているのか分かった。

「俺は少しだけ強くなった気がする。敵は予想以上にでかくなった。厄介な仲間まで加えて、俺を追い詰める」

 俺は答えた。

 俺が答えると、高橋さんは「くくっ。だから言っただろ」と微笑し、ウィスキーを呑んだ。

「あの……場合によっては、俺はもう椿と会えないんで、あいつのことよろしく頼みます」

「ああ。分かってる」

 高橋さんに頭を下げ、俺は部屋を出た。

 今日はハッピーの気分で終えるつもりだったんだけど、最後の最後でアンハッピーになった。

 苦い気分を変える為に、俺は浴衣の袖口からアメを取り出した。

 舐めたら、甘かった。

 でも、あんま美味しくなかった。 


最初の頃に「十話くらいで一つの話にします」的なことを言った気がするのですが、ちゃんと数えてみたら九話でした。次が、諸々のひと段落ということになります。

よかったら、そこまでお付き合いください。



どうでもいいけど、個人的なこだわり。

椿の力の名称が〝願いを叶えやすくする力″という微妙なものであることについて。

この力は、あくまで『きっかけの力』に過ぎません。だから、『願いを叶える力』とはなりません。椿もここまでいろんなシーンで力を使って、使用時の願いが力の使用によって叶えられたのは、(今回も結局直接関係はないので)バドミントン少年と試合をした時と、楸とホッケーゲームをした時だけだと、私は記憶しています。

それに何より、ほかに名前を考えるのが少しアレだったため、この名称に定着しました。



どうでもいい話。

今回五十嵐が登場しないのは、面倒事を嫌った五十嵐が、自室にこもって録りためていたドラマなどを見ていたからです。

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