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皇龍后龍  作者: 紅猫
第一章 ~村~
7/14

沈む白星、昇る黒星

「私のお気に入りの場所よ」

 木々が、まるでその場所を避けるようにして立ち並ぶ。

 マリアが案内したその場所は、森の中でも明るく開け、白爪草と蓮華草が一面に咲き乱れる花畑だった。

「こんな森の奥に…」

「私が増やしたの。

本当はいけないことなんだけど…」

 木陰となっていた薄暗い木々の間から、マリアが花畑に足を踏み入れて行く。

 途端に風が吹き抜けて花を拐うように巻き上げた。

 巻き上げたまま、花畑を回りマリアに戯れる。

 銀色の髪を花だらけにしながら、マリアは花畑の中央で花を舞わせる風を見つめた。

 白星の光を反射する銀色の目映さに、シエンは思わず目を細めた。

 眩しいがしかし、不快ではない。

「これを…見せたかったのか?」

 銀の髪を遊ばせ、花舞う風に囲まれるマリアに、シエンはようやく言葉を紡ぐ。

 薄暗い森に囲まれた明るい花畑は、まるでマリアの為に誂えられたようで。

 確かに美しい。

 風に舞う花を見上げていたマリアが振り向く。

「私、踊ることしか能が無いから…私の舞を一つ、貴方にあげるわ」

 ふと、シエンは広場で見た舞を思い出した。

 全てを閉ざす厳しい冷たさを振るい、春が来れば静かに消えていく冬。

 しかし耐え忍ぶ者達への称賛や敬意、さらに鼓舞が混じっていた。

「冬の舞か…?」

 あれをこの距離で見ることができるのかと、シエンは少しだけ胸を躍らせたが、同時にあの絶対零度の舞に耐えられるかどうか、さらに、この花畑ではあの冷たさが視覚的に半減してしまうような気もして。

「ふふっ…まぁ、見ていて。

損はさせないから、ね?」

 シエンの一抹の不安を他所に、マリアは酷く楽しげで。

 これ以上の会話は舞の邪魔になる。

 そう判断したシエンは、一本の木の根本に腰を落ち着けた。

 花畑の中央でマリアが恭しく頭を下げる。

 それまで花を舞いあげていた風が止み、花が降ってくる。

 同時に、マリアの舞は始まった。

 言葉は出なかった。

 穏やかに。

 緩やかに。

 鮮やかに。

 艶やかに。

 華やかに。

 一輪の花が開き。

 揺れるように。

 流れるように。

 戯れるように。

 銀色の花が舞う。

 止まっていた風が、舞うマリアに合わせて再び動き出していた。

 ただ無秩序に花を巻き込んでいた風が、今度はマリアに合わせて舞っている。

 マリアは、花舞う風が動きを合わせているにも関わらず不審がることなく舞い続ける。

 この状況を既に何度も経験しているのか、もしくは気付いていないのか。

 薄暗い森を背景に、足元には白と薄紅色の花畑を広げて、風と共に、風に舞う花を供に、舞い踊る。

 それは、広場で見た極寒の舞とは全く違うものだった。

『楽しい』

『温かい』

『嬉しい』

 マリアと共に舞う風が、代わる代わるシエンに囁く。

 たったの一言ずつ。

 けれど、それだけで、十分だった。


 花舞う風達とマリアの舞は静かに幕を閉じた。

 舞い始めと同じように頭を下げる。

 体力を消費した心地良い疲労感から、その場に寝そべりたくなる衝動に駆られるが、なんとか堪えて旅人二人に歩み寄る。

 荒い呼吸で肩が上下するが気にしない。

「ど、う…だった?」

 乱れた呼吸は言葉を途切れさせるが、それも気にしない。

「あぁ…」

 木の根本に座ったまま頷く男は、それだけで、継ぐ言葉は無い。

「……で、どうだったの?」

 さらに顔を近寄せて問い詰める。

 呆けていた男も、至近距離に近付いたマリアに我に返ると同時にたじろぎ後退する。

 が、後ろは木だ。

 逃げられない。

「花が、咲いて…風に舞っていた…」

 言葉少なく表現される感想に、一般的な賛美の言葉は無い。

 しかし、それこそがマリアにとっては十分な賛美だった。

 男の言葉に満足して、マリアは花畑に腰を下ろした。

 花畑の中央の方では名残惜しいのか余韻なのか、まだ風が吹いて花と舞っている。

 ここの花畑が一面に花咲く晩春から初夏にかけてのこの季節だけ見れる光景だ。

 秋は秋で落葉が舞い、冬は冬で雪が舞う。

「今のは、風花(かざはな)の舞。

私が作った、春の舞」

 まだおばさんにも、ジュダにも、村人の誰にも見せたことの無い舞だった。

「そうか」

 男は言葉も少なく、マリアを見つめてくる。

「……少し、物足りないな…」

「へ…?」

 祭りに続けて舞ったマリアの体力は既に限界で。

 男の言葉に間抜けな声が漏れてしまう。

 と、外套に隠れていた男の腕がマリアに伸びる。

 明るいところで見れば剣の稽古で出来たのか、たこが多い手だ。

 また頬に触れるのだろうかと見つめていたその手はしかしマリアの頬を通り過ぎ、後ろの何かを絡め取ってくる。

 光を受けて緩く反射する、マリアの銀の髪だ。

 前へと連れてこられた一房は、花がいくつも絡んでいる。

 骨張っている男の指が、その容姿に似合わぬほど器用な動きで花を一輪外していく。

 白爪草だ。

 まだ咲き始めの、青みの抜けきらない小さな球体の蕾を、金の瞳が見つめて、瞼が下りて。

 男は白爪草に口付けた。

 次いで、そろりと目を開けてマリアを見ると、緩やかに笑った。

「また会えたら、その時、また見せて欲しい」

 今ここでもう一度見せてくれと言われないのはマリアにとって願ってもないことだ。

 しかし、マリアはこの村を出るつもりは無い。

 それはつまりこの男が、再びこの村を訪れなければ再会は成立しないと言うことで。

「貴方…また来る気なの?」

「あぁ、また来る」

「危ないって話したわよね?」

「それでも、また来る」

「来ないって言う選択肢は…」

「無い」

「あ、そう…」

 また来る、の一点張りだ。

 ここまで言うには、何か理由があるのだろう。

 マリアは、考えた。

 男が再びここへ来る理由は何なのか。

 男は探し物、と言うか求め物を探しにここへ来ていて、確か見つかったとか言っていなかったか。

 それならば再び来る理由は無いのではないか。

 では、男が再びここへ来る理由は何なのか。

 グルグルとマリアの思考は空回りを繰り返し、同じ答えに行き着いてしまう。

「うーん…?」

 頭を抱えて唸り声を漏らすと、目の前の男が目に見えてオロオロと慌て出す。

「頭が痛いのか?」

 貴方のせいでね、と言いそうになる口を慌てて閉じるとマリアは頭を横に振って否定して、笑顔を繕う。

「次は何を見せようかと思って」

「そうか」

「えぇ」

 マリアの言葉を信じたのか、それとも誤魔化されてくれたのか。

 非常に短い返答だけでは、マリアには判断がつかなかった。

「シエン…そろそろ…」

 男の後ろに控えたままいた女が木の陰から出てくる。

「あぁ」

 頷き立ち上がる男は、手にしていた白爪草の小さな蕾を胸の憲章に差し込む。

 どう見ても騎士服にしか見えないその胸元に収まるちんまりとした白い花は、酷く異様だ。

「森の外まで案内する?」

 胸元に揺れる花から無理矢理男の顔へ移すと同時に問いかけた。

 マリアの言葉に、男は空を見上げる。

 ついで、花畑を見渡すとマリアに視線を戻して首を横に振った。

「いや、ここで良い」

「そう…それじゃあ、私も行くわ」

 立ち上がり、スカートに引っ付く花と葉を払う。

 おばさんの家のある方の森へ、足を踏み出したマリアの腕を、何かが捕まえた。

 ゴツゴツとした大きな手であることは、触覚だけでわかる。

「何?」

 振り向けば、やはり男で。

「人攫いには気を付けて」

 苦笑しかできなかった。

 この村に余所者が来ることは滅多に無い。

 祭りの時は別として、何もない時に余所者が来れば立ち所に噂になって村中に知れ渡る。

 あそこまで派手に騒ぎを起こした奴等が、祭りの終わった村に再び来れば、噂が立つのは目に見えている。

 ついでと言っては何だが、実はこの村、非戦闘員が少ないのだ。

 原因は青年団で組織された自警団にある。

 二十代から五十代の男性で組織されるそれの戦闘力は、実は竜騎士仕込みだ。

 元々背骨を痛めていた村長が五年程前歩行困難になると同時に帰郷してきた息子が、銀竜騎士団勤めだったのだ。

 その息子が、騎士団での槍操術を、訓練した人間でなくとも使えるように簡易化した上で実践的且つ実戦的に改良したのが棒操術だ。

 これを、普段から鍬や鋤を扱う青年層は簡単に吸収し、その簡易さから自らの子供や妻、まだまだ現役の父母に教えたことで、非戦闘員が小さい子供や寝た切りの老人などの数える程しかいないと言う状態を作ってしまったのだ。

 子供は喧嘩遊びに、女性は体型維持に、老人は老化防止に、村人のほぼ全員に広がっている。

 まぁ、基本的に平和で平穏なこの村で、それを実戦で見る機会は非常に少ないのだが。

 と言うことを説明しようにも、言葉にしようとすると非常に面倒くさく長々しい。

 マリアは苦笑いを浮かべて。

「はいはい」

 と、答えるしかなかった。

 しかし、男はマリアの答えに不満げで。

「危険だと、本当にわかっている?」

「はいはい」

「マリア」

 咎めるような男の声音に、マリアは遂に明後日の方向へ視線を投げ捨てた。

「あーもう、わかったわよ!

って言うか、心配し過ぎよ貴方……えっと…シエン、で良かった?」

 そう言えば、名前を聞いていなかった。

 女が何度も呼んでいた名前を思い出して、口に出してみる。

 視線を戻せば、男はマリアを見て固まっていた。

「いや……違う…」

「?」

 男の首は横に振られて否定を示す。

「シェン、だ」

「シェン?」

「そう、シェン…シェン・ドラグと言う」

「シエン!」

 いきなり割り込むのは女の悲鳴に近い非難めいた声。

「……シェン…ドラグ…」

 そんな女の声も余所に、マリアはたった今初めて聞かされたはずの男の名前を繰り返した。

 どこかで聞いたことがあるような気がするのに、記憶を辿っても出てこない。

「……シエン…は、愛称とかそう言うこと?」

「そうなる、かな」

 目の前の端整な男の顔を見つめながら、マリアの悩みは深まっていく。

 こんなに見事な金の髪ならば、一度会えば忘れる事など無いだろう。

 それなのに、聞かされた名前は何度も口に出している感覚がある。

 どういうことなのだろうか。

「シエン……シェン…ドラグ…?」

 マリアが首を傾げれば男――シェン――の頭も傾ぐ。

「どうした?」

「初めて会ったのに、名前は聞いたことがある気がする…なんて、ね」

 これではただの軟派言葉だ、とマリアは自らの髪を掻きまわし、それまでの思考を投げ捨てた。

「それは…」

「シエン!」

 何かを言いかけるシェンの言葉を再び女が遮る。

 見れば、その指は空を指している。

「もう、刻限です」

 指先に誘われるようにして見上げる空は、いつの間にか暮れ始めていて、木々によって円形にくり抜かれたその片隅を朱色に染め始めている。

 ずいぶん時間が経ってしまっているらしい。

 朱に染まる空の反対側は既に黒星(くろほし)が昇り夜の闇を放ち始めているらしく、青い空が藍色に染まりだしている。

 いい加減戻らなければ、おばさんが心配しているだろう。

「私もそろそろ帰らなきゃ」

 特に門限は決まっていないが、今日は感謝祭だ。

 と言う事は、夕飯は、祭り料理だ。

 様々な香辛料を使った焼き魚に、柔らかい白パンと、香草のサラダ。

 おばさんの家の方向から夕餉の匂いが漂ってくる。

 匂いに釣られて森を振り向くマリア。

 しかし、その腕を、再び男が掴まえた。

「なに?」

 振り返り直せば、眉間に皺を寄せて、さらに眉尻を下げてしまっている男の顔。

 例えるなら、飼い主に待てをされたまま置き去りにされた飼い犬。

「名は聞こえる…どんなに離れていても…。

君の声なら、きっと…いや、絶対に、風が届けてくれる」

 腕を掴まえた男の手は、手に移り、名残り惜しげに、まるで縋るように、絡む。

「君の声で、呼んで欲しい」

 有り得るはずがない。

 声が風に乗るなど。

 届くはずがない。

 それなのに。

 男に会ってから、見た数々の風が起こした現象が思い出される。

 裏路地に巻き起こったつむじ風は、男が紡いだ言葉に反応して起こったように見えた。

 森で小枝を押し分けて道を開けた追い風は、枝が男を傷つけないようにしているように見えた。

「何かあったら…呼ぶかも、ね」

 そう答えるのがマリアの精一杯だった。

「それで良い」

 寂しげな顔が、一瞬で満足げな笑みに変わる。

 その笑みが、余りにも穏やかで。

 同時に、あれほどに執拗に絡んでいた指が、離れる。

「さぁ、お行き…白星が完全に沈んでしまう」

 見上げれば空は藍色の範囲を増して黒に変わり始め、白星が沈む方角は、最後の足掻きと濃い赤を残して紫の空が見える。

「じゃあ、ね…………シェン」

 迷った挙句、シェンの名を声に乗せる。

「あぁ、また会おう」

 シェンの笑みは、闇に染まり始めた中なのに、酷く鮮やかに見えて。

「…また、ね」

 釣られた、と言うのが一番近いだろう。

 もう会う事など無いだろうに。

 ポツリと呟くと、何故だか居た堪れなくなって。

 まるで逃げる様に闇が迫る森へ、マリアは駆け出した。


 暗い森に駆けていくマリアの背中を見送る。

「シエン…貴方と言う方は…」

「叱るのは無しの方向で…」

「却下です」

「手厳しいな」

 アンナの冷たい声音に、シエンは苦い笑いを浮かべるしかなかった。

 見れば、フードの下から、普段なら隠されていて見ることも叶わないアンナの瞳が覗いている。

 闇の中でも鋭い眼光を宿してシエンを睨んでいるのがわかる。

「名を教えるなんて、何を考えているのですか」

 理由など一つしかない。

「彼女に、彼女の声で、ただ、呼んで欲しかった…」

 それに尽きる。

「……風が届ける、なんて巧い嘘でも吐いたつもりですか」

 アンナの瞳が揺らぎ、逸れた。

「全て嘘、と言うわけでもないからな…」

 白星が沈んだ途端に闇に染まり果てた空を見上げれば、濃紺の闇の中に深く黒い闇を放つ黒星が在る。

 その黒星が生み出す闇を退けて輝くのは、常輝星ベルシャリオだけだ。

 この世界に、満天の星空、と言うものは存在しない。

 闇夜にあって光を放ち輝くのはベルシャリオただ一つだけで、恒星と言うものが他に無いからだ。

「記憶混濁は無いようだな」

「ソフィアが手伝ってくれましたから」

「……アレか…」

 非常に聞き覚えのある女性の名前。

 そう言えば会わなくなって久しいような、最後に会ったのはいつだっただろうかと、シエンは記憶を巡らせた。

 しかし、時間概念が抜け落ちた体と頭では、わかるはずもない。

 シエンは思考を切り換えるべく、闇が覆う空から、マリアが消えた森の方へ視線を移した。

 昼間とは打って代わって陰鬱な様相を見せるその奥に、微かな灯りがチラチラと見える。

「二十年は、長かっただろうな…」

 シエンに、時間の長さはわからない。

 けれど、二十年も経てば大抵の人の子は親になり、大抵の獣の子は老いた先に巡廻する。

「すまない、マリア…もう少しだけ…私にお前の母を貸してくれ…」

 灯りの元で一緒に暮らす人間と夕食を囲んでいるだろうマリアに、シエンは謝罪した。

 許しを乞うわけではない。

 これは、ただの自己満足だ。

「シエン…」

「仕方ない、な…そろそろ、赤青辺りが心配し始めるか…」

 アンナの呼び掛けに、シエンは再びの溜め息混じりに外套を脱ぎ渡す。

『また、来て』

 風が囁く、と同時に、額を隠していた金の髪を撫で、額を露にした。

 顕れるのは額を縦断する切り傷のようにも見える、あの痕で。

 その痕を上の方から指でなぞり降りていく。

 すると、指が触れた箇所から、ゆっくりと左右に割れ開く、のではなくその奥から現れるものに押し広げられていく。

 痕を押し広げて現れたのは、第三の目とも呼べる様相の、闇夜の中でも煌めく光を揺らす黄金色の宝玉だった。

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