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皇龍后龍  作者: 紅猫
第一章 ~村~
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思惑は、森の中

 木から手を離し自立して屈伸運動を数回。

「うん、大丈夫みたい」

 ふらつきも脱力も見当たらない脚を見下ろしながら、マリアはホッと息を吐いた。

「……大丈夫か?」

 耳に届いた鼻声にマリアが顔をあげると、木の陰から見つめてくる金の双眸とかち合う。

 それはマリアの台詞だった。

「貴方こそ大丈夫なの?

体質的なのは、無理したらダメ。

酷いと死にかけたりするんだから、もう我慢しちゃダメよ?」

 歩み寄って腰に手を添え仁王立ちの状態で上半身を屈め視線を近付ける。

 目の前に人差し指を立ててしまえば、幼い子供を叱るお姉さんの出来上がりだ。

 しかし、かく言うマリアも、体質的にダメなものがある。

 慣れようと、本当にほんの少しだけ口にして、しかし無理だったのだ。

 口の中や喉から首にかけてが痒くなって、首においては発疹まで出てしまって、その日は水しか摂れなかった。

「あぁ、気を付けよう…」

 目の前の顔は神妙に頷いた。

 こうして改めて間近で見ると、男は非常に整った顔をしている。

 しっかりと鼻筋が通った、歪みの無く綺麗に左右対称の顔。

 吹き出物など無縁なのだろう血色良くも色白の肌は健康的で、女のマリアよりもきめ細かく見える。

 額を縦断する傷が気になるが、この際は捨て置いておこう。

 肌と同じようにやはり血色が良い唇は薄ら赤く、ひび割れも無く少し薄めで、今は真一文字に引き結ばれている。

 吊っても垂れてもいない目に収まる金色の瞳は森の木漏れ日で揺れ煌めき、さらにその奥に濃い金色の瞳孔があって、マリアを見つめ返す。

 その目は、風が揺らす長い前髪で見え隠れする。

 背中へ流れる癖の無い真っ直ぐな金色の髪は結ばれておらず、風に遊んで木漏れ日の中に入る度に煌めいて眩しく感じるほどだ。

「ほんと、憎らしいくらい真っ直ぐ…」

 ポロリと溢れたのはマリアの本音。

 マリアの前髪は真ん中で分かれる癖があり、ベールに隠しやすいように目の上辺りまでの長さにしていて、額も顔も露になる。

 後ろ髪は、伸ばせば伸ばすほど癖が強くなる質のようで、根元に近い肩辺りはまだフワフワで良い方だが、腰辺りはウネウネだし、さらに先端はクルクルの巻き毛状態だ。

 傷んでいるわけではないのだが、やはり真っ直ぐな髪に憧れてしまう。

 短く切ってしまえば楽なのだが、ここまで伸ばした髪を切ろうとするとその後の処理に困ると言うことで整える程度にしか切れていない。

 まだ十代の頃、長い髪の洗髪が面倒臭くなってざっくりと切ってしまったことがあった。

 切った髪はゴミだ。

 質や色の良い髪は時折鬘職人に買われて行くが、そんなのはほんの一握りに過ぎない。

 ゴミは村共同の焼却場で週に一回定期的に燃やされる。

 もう一度言おう、切った髪は本来ならただのゴミで、それ以上でもそれ以下でもしかないのだ。

 だと言うのに、その髪をゴミに出そうとして、焼却場の管理人に怒られた。

 国色の銀を燃やすなんてとんでもない、とそれはもう凄まじい剣幕で。

 そんな経緯で、おばさんの家の裏で自ら燃やしたのだが、それがいけなかった。

 髪が燃えるにおいの酷さと言ったら無い。

 そのにおいが風に浚われて無くなるまで、マリアは鼻を抓んだまま、出来なかった。

 考えるだけであの表現し難い焦げ臭いにおいが甦る。

 マリアの背筋をゾワリと悪寒が駆け抜け、思わず自分の体を抱き締める。

「君、本当に大丈夫か?」

 頬に触れる骨張った手に、マリアはようやく我に返った。

 目の前には、心配そうに眉根を寄せている男の顔。

 せっかくの綺麗な顔が歪んでいる。

 マリアはそれまでの回想を紛らすべく、笑顔を作って貼り付けた。

「大丈夫、変なこと思い出しただけ。

そんな顔してたらイイ男が台無しよ、ほら、眉間を伸ばしてー口角上げてー」

 男の眉間を揉みほぐし、両の頬を挟んで持ち上げれば口角が上がり、無理矢理の笑顔が出来上がる。

「笑顔笑顔!」

 マリアになされるがままの男は、ただマリアを見上げてくる。

 真っ直ぐな視線。

 偽りの笑顔など簡単に抜け落ちてしまう。

 頬を持ち上げるマリアの手を、男が優しく掴んで外す。

「無理に笑う必要はない」

 無理矢理笑顔を作っていた頬を、また男の手が撫でる。

 しっかりした骨格の男らしい指と、少しだけ肉がついて柔らさのある温かい手のひら。

 血の気が失せて頬が冷えていたせいだろうか、とても温かいその手にマリアは自然と表情を緩ませた。

「……温かい…」

 マリアが落ち着いたのを見計らうように男の手は離れ、今度はマリアの指と絡む。

 遊ぶように、戯れるように絡む男の長い指はマリアの指が逃げようと動けば絡み、離れない。

 知らぬ間に冷えていたらしいマリアの指が、男の手の温かさで本来の体温に戻っていく。

 ほっとする人の体温に甘えながら、ふと、マリアは振り向いた。

 そこには先程から空気のようにその存在を感じさせなかった女が立っている。

 さっきはこの男を見ていたように思えたが、今は牧草地の方を向いていて、その顔は見えない。

 と言うか元々フードを目深に被っている為に、声で性別を判断することしか出来ていないのだ。

 鼻から下の顔半分しか見ていないが、色白の綺麗な肌だったことは覚えている。

 そんな女が顔を隠すように着込んでいる外套は、色は違えどシエンの物とよく似ていて。

「私とこんなことして、奥さんに怒られても知らないわよ?」

 そこから、マリアは二人の関係性を“夫婦”と導き出していた。

「………おく、さん?」

「え?」

「ん?」

「伴侶のことです」

 マリアと男が互いに首を傾げてしまうと、女の言葉が投げ入れられた。

 チラと振り向いて見ると女は変わらず牧草地の方へ視線を投げたままでこちらに向く気配は無い。

 マリアは男に向き直る。

 女の言葉からして、奥さんと言う言葉の意味がわからなかったらしい男は、納得したように頷いて、次いで笑った。

「彼女は私の友の伴侶であって、私の伴侶ではないよ」

 伴侶とは添い遂げるべき相手のことで。

 友の伴侶と言うことは、彼女は誰か別の男性と結婚していると言うことで。

 突っ込み処満載の返答に、マリアは困り果て、取り敢えず落ち着くべく溜め息を吐き出した。

「貴方…友達から奥さん借りて旅してるの?」

「この国に詳しい者が他にいなかったからな…」

「………」

 やはりこの二人はこの国、銀の国の人間では無いらしい。

 しかし、それならばさらに問題ではないか。

「…住んでる私が言うのも変だけど、この国、危ないわよ?」

「仕事ですから」

 答えたのは女だった。

 振り向けば、やはり女は牧草地を向いたまま微動だにしない。

 未だに戯れて絡む男の指を振り切って女に歩み寄るとその肩を捕まえて振り向かせる。

 下半分しか出ていない顔からは表情が読めないが、その輪郭や首筋の様子からやはり女であることが再確認できる。

「仕事だからって、この国に付き添って来たの?」

「えぇ」

「本当に、危ないのよ、この国」

「外洋側には行きませんから」

 銀の国は北から西にかけて長い対角線を持つ菱形の島だ。

 その対角線上に高い山脈が連なり、島を外洋側と内洋側に分断している。

 そんな山々を越えて吹き下ろしてくる冷気と、皇龍が住まう黄金の島から流れてくる暖かい海流から昇る雲がぶつかるため、銀の国の積雪量は半端ではないのだが、しかし、その山々が無ければこの銀の国には人間など一人も住めなかっただろう。

 銀の国は、魔物が生まれる黒の国と竜が生まれる白の国に挟まれている。

 海を隔ててはいるが魔物も竜も空を飛ぶ。

 海峡など障害にもならず、両者は銀の国上空で激突する。

 その様は、戦いと言うよりも、自然災害だ。

 火、水、氷、風、雷、土、岩、木、他諸々。

 竜も魔物も自然にある物に訴えかけて操る、または自らの口から吐き出す。

 山の向こうは、そんな竜と魔物の、自然災害としか表現出来ない熾烈で苛烈な戦いが起こる戦場なのだ。

 銀の国の人々が住まう地は、そんな戦場と、山脈を隔てただけの場所なのだ。

 大体の竜と魔物は高い山脈を越えるほどの飛翔能力を持っていない。

 しかし、例外はあるもので。

 飛翔能力の高い竜や魔物が山を越えることがある。

 そうなった時、人間に抗う術は無い。

 自然災害を防ぐ術など無く、ただ、過ぎ去るのを待つしかない。

「本当に、わかってる?」

「えぇ」

「旦那さん、怒らなかったの?」

「私の夫は巡廻(じゅんかい)を終えていますから」

「え…」

 巡廻(じゅんかい)

 それは、命が外洋の先に流れ、皇龍の元へ戻ることであり。

 端的に言えばその者としての命を終えたと言う事だ。

「アンナ…それは…」

 振り向いて見れば男が何か言いたげに表情を歪めながら、口をつぐんでいる。

 苦痛そうにも見えるその視線の先は女に向いていて、しかし女の顔はマリアに向いている。

「私の言いたいことは、わかりましたか?」

 言葉の出ないマリアが、その意味を知らないのかと考えたらしい。

「……、…」

「結構」

 首を立てに動かすマリアを見届けたようで、女は再び牧草地の方へ向き直る。

 マリアは居たたまれなくなって、女の肩を掴んでいた手を下ろしていた。

 表情が全く見えない女のその背中が何処か痛々しい。

「…安心しなさい、シエンの用が済めば帰ります。

…そのシエンの用も…済んでいるはずです」

「………確かに…見つけはしたし、私としてはこれ以上無いが…」

 見つける、と言うことは探し物でもしにきたのだろうか。

 いや、これ以上無い、と言うことは探し物ではなく、求め物だったのだろうか。

「それじゃあ、私が早くお礼をして、二人を解放すればいいわけね」

 探し物ならぬ求め物を既に見つけ、既に用が済んでしまっていたらしい二人を引き留めてしまっているのは、単にマリアがすべきお礼だ。

 マリアが言えば女は背を向けたまま頷いた。

「戻ればシエンの仕事が増えているでしょうから…出来る限り早く戻りたいのです」

「先程の人攫いが…」

「しばらく見つからなければ、諦めるでしょう。

人攫いは立派な犯罪である上に、あそこまで騒ぎを大きくしたのですから、この村に長居をすることは有り得ません。

…まぁ、念のために、牧草地の方から見えない程度にもう少し奥の方へ移動して頂きたいのは事実ですが」

 牧草地を見ていたのは、その向こうにある村の中心部の方から、先程のならず者達が来ないかと言う警戒のためだったらしい。

 ここはマリアの出番だ。

「この森はどう見ても深…」

「この森は私の庭。

お礼をするにもここじゃ無理だし、二人ともついて来て」

 一々反論する男の言葉を、女と同じように遮るように言うと、マリアはさっさと森の奥へ足を向けた。

 木々をかき分け、道なき道を作り進む。

「木の枝に引っかからないようにね」

「私もアンナも、そこまで柔肌ではないよ」

「………そう」

 色白で柔らかげな顔肌をしながら、何を言っているんだか。

 呆れた返事しか出来ない。

 マリアはもう何も言うまいと決めて、木々をかき分けて行く。

 しばらく進むと、目的の場所が見えてきた。

「…あれは……」

 直ぐ後ろから男の呟きが聞こえる。

 驚きに微かな感嘆が混じる声音に、マリアは振り向き、自慢げに笑って見せた。

2013/03/21 髪の毛の件を改定。

物語の大筋には、ほとんど影響無い……と思います。

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