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皇龍后龍  作者: 紅猫
第一章 ~村~
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風と共に、風を供に

 広場を囲むように並ぶ煉瓦造りの家々。

 屋根もやはり焼き煉瓦で、全ての家が赤茶色で統一されている。

 その尾根を、マリアを抱いたままバランスを崩すこと無く走り抜けていく。

 前を見れば、やはり女が前を走っていて。

 マリアも、何度か屋根に上ったことはある。

 しかし、それはおばさんの家の屋根を直すためで、おばさんの家は平屋であるから、こんなに高い屋根に上った経験は無い。

 森の高い木に登った時のようなそんな景色。

「君の家がわからなかったからな。

自分の家は、見えるか?」

 見上げれば何事もないように平然とした顔で男が見下ろし問い掛けてくる。

 困惑と混乱で思考がまとまらないマリアは、何も言えないまま、おばさんの家を指差した。

 その指の先を確認すると男は屋根を飛んで方向を修正していく。

 その気配に気付いたのか女も進路修正し、男の隣に並ぶ。

「アンナ、人攫い達は?」

「まだ下に」

「……裏路地を走ったのはまずかったか…」

「どうしますか?」

 高さの違う家々の屋根を飛び降りては走り、飛び上がっては走りを繰り返す二人の息は全く弾んでおらず、落ち着き払ったもので。

 屋根と屋根の間を飛び越える際に視線を走らせれば、女の言う通り、下にはあの隻眼の男を筆頭に見るからに柄の悪い男達が垣間見えた。

「Al Widy」

 男が呟く。

 ふと、向かい風だった風が止んだ。

 走っているのに、風が無い。

「Ow wis

Sild,f al enems」

 さらに続く言葉に、マリアの心臓が跳ねた。

 その言葉は、マリアが唯一覚えている母との思い出。

 母の歌に使われている言葉の一節。

 似ているなんてもの、ではなく、同じ単語。

「うわっ?!」

「つ、旋風っ!?」

「こんな吹き溜まりに…っ」

 下の方から響く男達の声。

 振り向き見れば聞こえた言葉の通り、路地がある屋根の間から一本の旋風が巻き上がっている。

「シエン…」

 批難めいた女の声に、男はやはり笑う。

 その顔は、旋風巻き上がる路地を振り返り、さらに笑みを深めた。

「構え、使え、遊べ、とうるさかったからな…調度良いだろう?」

「……」

「そうピリピリするな。

私が言わずとも、多分起こしていただろうさ」

「知りません」

 そこまで言って、女はマリアの視界から消え失せた。

「しっかり口を閉じて、舌を噛まないように!」

 突然降ってくる声にマリアが男を見上げると、同時に襲ってくる強い浮遊感。

 男は、マリアを抱いたまま屋根から飛び降りていた。

 内臓が飛び出てしまうのではないかと思うほどの浮遊感に、マリアは耐えきれず目をきつく瞑った。

 男の服を握りしめる手にも力が入り、着地の衝撃を覚悟して歯も食い縛るが、一向にその衝撃は来ない。

 そろりと目を開けると、そこは村と牧草地を囲む森の中だった。

「この国の風は…とてつもない世話焼きらしい」

 楽しげな声が降ってきて、見上げれば声相応に笑みを湛える男の顔があり、視線を巡らせると外套の女が先程と同じように隣を走っている。

 風が後ろから吹いている。

 さらに不思議なことに、先程から男は一度も木の枝に引っかかっていない。

 目の前の枝を風が押し除けているように見えるのは、気のせいだろうか。

「シエン…貴方と言う方は…」

「私は命令していない」

「………」

 それきり女は口を噤み、男はさらに楽しげな笑みを顔に張り付けた。

 二人は、牧草地に沿いながらおばさんの家に向かって、森を駆け抜ける。


 ようやく家の裏手につくと、追ってきていたならず者達が追ってきていないことを十分過ぎるほどに確認して、男はようやくマリアを地に降ろした。

「ありが、と…ね」

「!」

 途端にへたり込んでしまうマリアに、男が慌てたように手を差し伸べる。

「腰抜けた…」

 腰が抜けた状態では、男の手を借りたとしても立ち上がれない。

 マリアが男の手を遠慮すると、男が隣に屈み頭を撫でてくる。

「恐ろしかったのだな…」

 男はあのならず者達の事をいっているのだろうが、マリアが腰を抜かした原因は別物だ。

「まさか…飛び降りるとは、ね…」

「?」

 見上げれば、案の定、見つめてくる金の瞳がきょとんとしていて。

「あんなに高い屋根から飛び降りるんだもの、ビックリしちゃった」

 よく考えれば、色々と有り得ないことだらけだが、本来ならマリアがお礼をすべきなのに助けてもらったのだ。

 取り敢えず気にしないでおこう。

「私のせいか?」

 男が女を見上げる。

 女はただ頭を縦に動かして肯定して。

 男は気まずげに頭を掻いた。

「すまない…彼女が平気だから、君も大丈夫かと…」

「私を基準にしないでください」

「……はい…」

 憮然とした女の言葉に悄気返る男は、まるで叱られた子供のよう。

「……ぷっ」

 マリアは堪えきれずに吹き出した。


「あははっ…っ、くく…」

「「………」」

 腹を抱えて笑い出す少女――マリア――に、シエンとアンナは互いの顔を見合った。

「…何か、薬でも嗅がされたのですか?」

「いや…そんな様子は無かったはずだが…」

 二人が言葉を交わす間もマリアの笑いは止まらない。

 腹筋でも痛み出したのだろうか、背を丸め腹を抱えながらさらに笑い続ける。

 窺うように、シエンはマリアの顔を覗き込んだ。

 空色の瞳は笑い過ぎによる涙で揺れている。

 そして、よくよく見てみればその手は腹を抱えながら、自らの服の生地を握り締めて震えていた。

 服を握りしめる指は、そこに込められた力を見せつけるように白んでいる。

 恐怖を通り越して、感情も感覚も麻痺してしまっているらしい。

 自然と眉間に力が入ってしまう。

 酷く深い縦皺が刻まれていることだろう。

 ともかくマリアの気を紛らわせなければならない状況で、シエンはふとあるモノの存在を思い出した。

「胃に何か入れれば落ち着くか…」

「ふふ、っ?」

 未だ笑い続けるマリアに問い掛けるわけではなく、自問自答。

 次いで、後ろに控えて辺りに気を配っていたアンナに向けて手を差し出す。

「……背に腹替えられん、今返す」

「どうなっても知りませんよ」

 シエンの言葉にアンナが向き直ると外套の中から腕が差し出されてくる。

 同時に甘く鼻を擽る匂いがシエンの鼻腔を突いた。

 アンナの手にはメロの葉の包みが、シエンが渡した時と寸分違わぬ姿で乗っていた。

 その包みを受け取って、マリアの目の前に差し出して見せる。

「君のだろう?」

 アンナ曰く、蜂蜜パンと言うものが中には入っているらしい。

 シエンの狙い通り、マリアの笑いはピタリと止まった。

「拾、ひっく…って、くれ、ひっく…たの?」

 しかし笑い過ぎで横隔膜を酷使したせいだろう、しゃっくりが出始め、マリアの言葉を途切ってしまう。

 切れ切れの言葉を拾ってシエンは頷いた。

「渡す前に走り去ってしまったからな…預かっていた」

「ひっ、く…ありが、っく…と」

 しゃっくりしながら少女が笑う。

 屈託も飾りも裏も無いその笑顔に、シエンは一瞬だけ思考を奪われた。

 風が悪戯にシエンの頬を撫でていく。

『かわいいでしょう』

『わたしたちの、あるじ』

『つぎの、ぬし』

『マリア…たいせつな、ドラゴ』

 囁いていく風達。

 その言葉達に、シエンの鼓動が一つ強く高鳴る。

 そのあまりの衝撃にシエンが思考停止している一瞬の内に、マリアはシエンが差し出した包みを受け取っていた。

 そして、その包みが、少女の手によって開かれた時には、全てが後の祭りだった。

「ふ…ぇっくし!」


 いきなり聞こえた奇声は、所謂くしゃみで、見れば男が外套で鼻と口を押さえている。

「ひっく……ひっ、ぅ?」

「すまない、気にせず食ぶぇっくしょぃ!」

 明後日の方向を向いて謝罪しながら、豪快なくしゃみが飛ぶ。

 急なくしゃみは体質的な物の場合が多い。

 体が何物かを拒絶して起こるのだ。

 背を向けてくしゃみを繰り返す男の背中をさすってみる。

「だいじょ、ひっく…ぶ?」

「大丈…ぶえっくし!

すまん、そのパン…えっくしょん!」

 男がくしゃみ混じりに指差す先には、先程返してもらったメロの葉の包み。

「パン……蜂蜜パンだけど…食べれば治る?」

 葉一枚で綺麗にくるまれていたそれは、もっこりと膨らんだ少し歪な形の茶色いパン。

「ちがっぅえっくし!」

「っく…?」

「とおざぇっくしょん!」

「……っ、ぅ?」

 しゃっくりの止まらぬマリアと、くしゃみの止まらぬ男。

 くしゃみ混じりの言葉、と言うよりも言葉混じりのくしゃみは非常に聞き取り難い。

 くしゃみし続けながら、少しずつマリアから距離を取っていく背中を追って手を伸ばす。

 そんな男とマリアの間に女が立った。

「蜂蜜の匂いを嗅ぐとくしゃみが止まらなくなるのだそうです」

 女が言う理由に、驚きを通り越して呆気にとられてしまう。

「……面倒な体質ね…」

「えぇ、全く」

 色んな意味でのあまりの衝撃に、マリアのしゃっくりは引っ込んでいた。

 マリアの手に乗る蜂蜜パン。

 見てくれが少々歪なのはふくらし粉を多く使ってあるためで、しかし口に含めばふかふかの食感が堪らない、所謂菓子パンだ。

 少し大きめに千切って口に放り込む。

 頬張った途端に広がる柔らかな甘味は、紛れもなく蜂蜜の味。

 同時に花の香りが鼻に抜けていく。

 その薫りは、マリアにとって忘れようにも忘れられない二つの花のそれだった。

「もう子供じゃないのに…いつまで経っても、子供扱いして…」

 パン屋のおじさんの言葉を思い出しながら、胃に納めていく。

 くしゃみを続ける男はマリアから離れた木の影に蹲るように屈み込み、それを女が見守っている。

 くしゃみの原因が蜂蜜の匂いであるならば、それを発する元が無くなれば良い。

 早食いしてはもったいない気もするが、背に腹かえられない。

 黙々とパンを平らげながら、何とはなしに眺めていると、女がチラと振り向いた。

はひ(なに)?」

 頬張ったままの状態で視点を定めて問い掛ける。

 口に食べ物を含んだまま喋るのは行儀が悪い、なんてことは重々承知の上だ。

「……いいえ、何も…」

 眺める間も、女は、時折マリアの方に視線を向けてくる。

「蜂蜜が原因なら食べちゃえば解決、でしょ?」

「……え、えぇ…はい」

 急いで食べているせいで頬がリスの様に膨らんでしまっているが、気にしない。

 最後の一欠片をようやく口に放り込むと、ただの葉に戻ったメロの葉は丸めて森の茂みに投げ捨てる。

 断じて自然破壊ではない。

 メロの葉は、自然に住む動物達にとって貴重だ。

 その大きさから、落葉すれば冬を越すための食料になる上に、この葉は色変わりすると防腐効果が消化促進効果に変わるのだ。

 冬眠しない草食動物達は、枯れた草、苔、木の皮など消化が良いとは決して言えないものを口にして厳しい冬を耐え忍ぶ。

 ある動物は色変わりして落葉したメロの葉を今の内に食べ貯め、また別の動物はまだ青いメロの葉を摘んで巣に持ち帰り保存する。

 そんなメロの葉を、使わせてもらうのだ。

 返さない、と言う方が自然破壊なのである。

 最後の一口を嚥下して、手近な木を頼りにマリアは立ち上がった。


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