出逢いは、晩春に
普段なら閑散として人の往来も少ない村唯一の石敷きの通りに、出店がこれでもかと並ぶ。
村を上げての春の感謝祭だ。
様々な焼き物の芳ばしい匂いや甘い果物の香りが混ざったなんとも言えない独特の空気に空腹を誘われながら、マリアは村の中心の広場を目指す。
「マリアちゃん、持って行きな!」
「?」
かけられた声に急いでいた足を止める。
振り向くと、誘惑に負けないようにと通り過ぎた一つの出店から差し出される手が見える。
その手には、メロの葉――爽やかな香りと防腐作用がある大きな木の葉――でくるまれた何かが乗っていて。
誘われるように戻ると、その手の主は村唯一のパン屋の主人。
肩が張ったがたいの良い体、綺麗に剃られた丸い頭、一見非常に怖いが、実は表情豊かでとても優しい、いわゆる“パン屋のおじさん”だ。
「朝ごはん食べてないんだろ?
持って行って、他の子たちとお食べ」
「ありがと!」
メロの葉にくるまれていてもわかる芳ばしい薫りに混じって、まったりとした甘い薫りがマリアの鼻腔を擽る。
「これ、蜂蜜パン?」
「その通り、だが…いつもの蜂蜜パンじゃあないぞ?」
「?」
得意げなパン屋の主人の言葉の意味がわからず、マリアは首を傾げた。
と、同時に鳴り出す鐘の音は、村の広場にある唯一の時計台のそれで、空を見上げれば昼の光を放つ白星が常輝星ベルシャリオに近づいている。
パンを受け取ると、マリアは再び走り出した。
往来に飲み込まれながらも振り向いて、大手を振る。
「おじさんも、見に来てねーっ!」
「必ず行くよー!」
雑踏雑音に掻き消えない会話を投げ合って、進行方向に向き直ったその時。
マリアの視界いっぱいに、人影が広がった。
「っ!!?」
ぶつかる衝撃。
どうすることも出来ずに、バランスを崩していくマリアの体。
咄嗟の事である上に、人だらけのこんな場所で受け身が取れるはずもない。
尻餅をつく痛みを予想して強張る体。
「………?」
しかし、いくら待ってもその痛みはこない。
腰にまわるしっかりとした腕の感覚。
「大丈夫か?」
真上からかけられる声は男のもので。
見上げれば、目深に被られた外套のフードから心配そうな瞳が覗く。
朝、現れたばかりの白星のような、夕方、沈み始める白星のような瞳が、煌めいて見える。
外套を着ていると言う事は旅人だろうか。
ぶつかった上に支えてもらった事に今すぐ礼の限りを尽くしたいマリアだったが、今は、無理だ。
「ごめんなさい、ありがとう!
ぶつかっておいて、すっごい失礼だと思うけど、お詫びも兼ねて踊るから、見に来てねっ!
その後で、きちんとお礼させてもらうからー!!」
朝、巣を飛び出していく蜜蜂達のように次から次へと言葉を押し付けて、マリアは旅人に手を振り広場を目指した。
雑踏に立ったまま、旅人は娘の一方的な言葉に呆気にとられていた。
そのままの状態で雑踏を縫うように走り去っていく娘の背中を見送ってしまう。
「渡しそびれてしまった…」
ポツリと出た呟きは、先程娘を支えた際に手にしていたメロの葉でくるまれたものに対してで。
ふわりと甘い薫りが漂う。
「シエン、探しましたよ…」
後ろからの声に旅人が振り向けば、同じように外套を着込みフードを目深に被った人間が一人歩み寄ってくる。
その人物に自らも歩み寄り、旅人は広場の方を見やった。
「アンナ…これから、広場で何かあるのか?」
「舞の奉納があります」
「………見に、行こうか」
「…本気ですか…?」
歩き出す男の旅人――シエン――に、女の旅人――アンナ――は驚きながらも、その後に続いて広場に向かった。
「ごめん、遅れたー!!」
広場に面する一件の家の扉を開いて中へ飛び込むように入り込むと、開口一番マリアが謝罪する。
同時に奥から、朱色のレースがあしらわれている踝丈の古風な白いワンピースを纏った女の子が出てくるやマリアに飛び着いた。
「マリア姐さん遅いです!
危ない人に連れて行かれたんじゃないかって、心配したんですよっ!?」
次いで現れるのは先程のワンピースの朱色のレースを赤に変えた衣装を纏った女の子と、緑に変えた衣装を纏った女の子。
次々とマリアに抱き付いては批難の瞳を向けてくる。
「ごめんってば!
この蜂蜜パンで許……あれ、パンがない」
一緒に食べるように言われた包みを三人の前に出そうとして、マリアは自分がパンを持っていないことにようやく気がついた。
三人の女の子は首を傾げるしかない。
「マリア姉さま、寝惚けてるんです?」
朱色の服の女の子がマリアの頬をつついて遊びながら笑う。
そのくすぐったさに笑いながらも納得がいかないマリアはさらに唸って首を傾げた。
「えー、なんでーっ?
確かにパン屋のおじさんに…まさか、何処に落と………もしかして…ぶつかった時?
あーあ、もったいないことしちゃったなぁ」
溜め息しか出ないマリアの背中を、最後に現れた赤の服の女の子が奥へと押し始める。
「どうせ、あたしたちは緊張でパンなんて食べられません。
早く着替えてください。
マリアさんに先頭切ってもらわないと始まるものも始りませんので」
言うなり三人が寄って集ってマリアの服を脱がしにかかる。
壁には三人と色違いでお揃いの青の衣装と、それに合わせた三人には無い群青色のベール。
「自分で着替えられるからぁー!!」
マリアの悲鳴は、虚しく響くだけだった。
人混みがごった返す広場の外れで、その二人は人混みに囲まれた舞台を眺めていた。
そんな中でアンナの方が口を開く。
「ところで、シエン…私は貴方に金銭を渡した覚えが無いのですけど、その手に持っているものは、一体どうしたのです?」
フードで隠れていても、アンナの視線はシエンが手にしているメロの葉のくるみに向いているのがわかる。
片やシエンの方は鼻が気になるのかムズムズと弄りながら手に持ったままのそれに視線を落とす。
「とある娘が持っていたんだが…ぶつかった拍子に投げ上げてな、娘を支えた際に一緒に手にして、渡しそびれた。
……その時から鼻が蜂蜜の匂いしか感じないんだが…私の鼻が変なのだろうか?」
首を傾げて鼻を鳴らすシエンに、アンナは堪らず小さく笑い出した。
「それ、蜂蜜パンですもの」
クスクスと堪えることなく笑い続けるアンナに、シエンは溜め息しか出ない。
メロの葉の包みをアンナに渡してしまえば外套の襟元を伸ばして鼻っ柱から覆ってしまう。
そんなシエンに、アンナは笑いを深めた。
「渡しに行かないのですか?」
「ぶつかった詫びも含めて踊るから、見てくれと言われた。
その後で礼もしたいと言っていたから、その時でいいだろう?」
「まぁ…その子が踊り子だったのなら、大遅刻ですね」
二人で再び人混みの向こうの舞台を見やる。
舞が始まる気配はない。
ふとアンナがシエンを見上げれば、その瞳が微かに揺れ煌めいている。
「……気になるのでしたら舞台が見える場所にご案内しますが?」
アンナの提案に、人混みを眺めていたシエンはフードの内側で眉間に盛大な縦皺を刻んだ。
フードを目深に被り直し、隣に立つアンナを見下ろす。
「人混みを突っ切るのか?」
「…さぁ、どうでしょう。
迷子にならないように、手でも繋げば行けるようになるのですか?」
笑うばかりのアンナは静かに歩き出し、二度と人混みは御免被りたいシエンそっちのけで人気の無い裏路地の方へと入って行く。
その背中を見送りかけながら、我に返ったシエンは慌ててアンナを追い掛けた。
着替えや控え室として借りた家から、直ぐそばの舞台袖へ走る。
その時に、ふと視線を感じたマリアは走りながらその視線の主を探した。
見つけたのは村の集会所の二階の部屋へ繋がる階段の踊り場。
外套を着込んだ二人の人影。
頭一つ分くらいの身長差がある二人。
背の高い方の人の外套には見覚えがある。
ぶつかってしまった人と同じ物だ。
見に来てくれた。
安堵と嬉しさを感じながら、マリアは舞台袖に入り込む。
先に入っていた三人と顔を見合わせる。
この舞は本来ならば成人する前の未婚の村娘が舞うものだ。
二十四歳になったマリアが舞うなど、前代未聞のことで。
しかし、青の衣装を着て舞うはずだった少女は練習中に足を挫き、その代役として、舞の経験者であり、さらに未婚のマリアが引っ張り出されたのである。
成人前の村の娘は足を挫いた子と、今マリアの前にいる三人と、年端もいかない幼い子達が五人。
マリアより若い成人した女の子達は皆結婚している。
「私が踊るのは、これが最後だからね?」
「「「はい」」」
神妙で複雑な面持ちでマリアが言えば返事が三つ重なって戻ってくる。
マリアも頷いて返し、階段の先に続く舞台を見上げた。 ベールが舞で外れないか、髪の毛が溢れていないか、最後の確認をして、自らの頬を挟むように叩く。
痛みで閉じた瞳を開ければ、空色の瞳は氷の瞳に。
「私は、冬の精…」
自分に言い聞かせるように、マリアは先頭を切って舞台に上がった。