2-1 <石国の民>
レゴリスの部隊がゼルフィア牢獄へと到着したのは、日がすっかり沈み、その日の戦闘は終了した後のようだった。夜の戦闘は互いに消耗戦となるだけだ。それによって勝機が開ける、勝敗が決する、といった場合以外は睨みあいながらも互いに引くのが定石。
朝までの休戦中とはいえ、牢獄からは、戦闘時独自のピリピリした緊張感が伝わってくる。
ゼルフィア牢獄を前に、父であるバラムラス・ブルーム元帥が、早馬でわざわざよこした伝令の内容について、どうしたものかとレゴリスは考える。遠征中に中途半端に伸びて邪魔になってきた暗黒色の髪を掻き上げながらゼフィラ牢獄を見つめる。
『お前のすべき事は、ゼルフィア牢獄にて、既に防衛戦を行っている兵士達の援護し、補佐する事』
今ゼルフィア牢獄にいるのは、囚人のみと聞いている。それら囚人が、どういう人物達なのかは分からない。レゴリス軍が近づくにつれ、見えてくるゼルフィア牢獄を守っている者の姿。その者達の動きは、統制のとれたものだと分かる。それぞれが己の役割を分かっていて、それを確実にこなす者の動きだ。
ゼルフィア牢獄からは、味方であるはずのレゴリスの軍勢に対しても、刺すような警戒した気配が伝わってくる。様々な事情で投獄された人物達にとって、王国軍という存在はマギラ軍以上に、驚異な存在なのだろう。
「レゴリス様 どうされますか?」
副師団長のイアン・ホルムがレゴリスに聞いてくる。
「命令に従うのみさ!」
ニヤリと笑い、一人前に進む。
「私は紫龍師団長レゴリス・ブルームだ! 微力ながら援軍の為駆けつけた! 代表者にお目通し願いたい」
五百メートルほど離れた距離でも、ゼルフィア牢獄内の戸惑うような気配が伝わってくる。
レゴリスはゼルフィア牢獄の正門の上にある物見棟に、人影が数人現れるのに気付く。
正門を警護している者達が、そちらに注目するのを感じる。あそこに今立っているのが、ゼルフィア牢獄の指導者だろう。
一人が手を挙げ門が開く。レゴリスの軍隊は、中に入る事が許されたようだ。
牢獄内で紫龍師団を迎えるのは、歓迎の拍手でも、救いを求め、すがるような眼でもなく、どこまでも冷たい視線と、緊張した空気。部隊の皆、覚悟していたとはいえ、その顔に不安の表情が浮かぶ。
レゴリス軍がいる正面広場を、囲むように設けられたバルコニーには、囚人、基、今やゼルフィア牢獄の主人となった者達が見下ろしている。
「レゴリス大将、このようなむさ苦しい場所へ、ようこそおいで下さいました」
声のする方を見上げると、茶色の髪の無精髭の男がニコやかに、正面部分のバルコニーから見下ろしていた。
年齢は四十ちょっと過ぎくらいか? 垂れ下がった眉と目尻をもつその男は、人は良さそうに見える。
しかし、この異様に緊張した状況で、ただ一人笑顔を見せている所からして、只者ではない。
薄汚れ、元の色が分からなくなった洋服を着ている。よく見ると、ついたばかりと思われる鮮血が飛び散っており、血に濡れた衣類を着て穏やかに笑う姿は異様だ。
その男の左には、熊のように身体中毛むくじゃらな巨躯の男が腕を組み立っていて、右側に黒髪の体格は良いがやや神経質そうに見える男が立っている。
三人の後方では小さな人影が二人、塀にもたれコチラを見ているようだ。
「猛将と名高いレゴリス大将率いる紫龍師団が、援軍にきて下さるとは光栄です。
我々ゼルフィアの民は、歓迎いたします」
指揮官と思われる男は、演技っぽい恭しげな様子で頭を下げた。
「我らも勇敢なる義勇軍の皆様に、こうしてお会いできて光栄です! 急いで駆けつけたものだから、そこまで大した物はもってこられてないが、食料・医療・軍医何か必要な物があれば言ってくれ!」
レゴリスも笑顔を作り、とりあえず敵意は無いことを形だけでも示しておく。
「それはありがたい! 食料の方は……潤沢とまでは言わないがまだあるが、いかんせん怪我人が多くてね! 薬がまったく足りてない。あと医者も一人しかおらずテンヤワンヤでね」
「わかった。 衛生兵を何処に向かわせたら?」
レゴリスは視線で、衛生隊の隊長であるカイルに視線をやり、頷いてから男に向き直る
「食堂にいる。ただ……」
男は、視線を食堂のある方向を示してから、レゴリスに視線を戻す。
男の眼が細められる。顔から笑顔が消えている。
「アンタの部下に言ってくれ。やんごとなき方たちにとっては、薄汚い血だらけの死に損ないかもしれない! だが、我々にとって可愛い仲間だ! ふざけた治療を行うつもりだったら物資だけ置いて、さっさと立ち去ってくれ!」
そう言い放ち、ジリジリした空気を漂わせた、鋭い視線を向けてくる。
先ほどの、草食動物を想わせる表情をしていた男とは、とても同一人物に見えない。獣の表情だ。これが、この男の本当の顔なのだろう。
「我々の勤めは、国民を全力で守り救うことだ! その勤めを疎かにする者は、私の部下にはいない」
「ほう、見捨てられた囚人である我々も、国民と認めて下さっているのは嬉しいね。
マルコ! 食堂に軍医の皆様を! アル、サム! お前らは、王国軍の方々をゼルフィア牢獄内にご案内しろ!
ところで、皆様のお泊まりは、警護官の寮の方でよろしいでしょうか?」
男の表情が再び、人の良さそうな穏やかなものに戻る。
「テントもあるので、お気遣いなく。貴方がたのベッドを借りるのは忍びない」
「我々は、鉱山の方に、元々の住まいがありますので、お気になさらずに」
男は嫌みっぽく笑う。囚人なので、牢で寝泊まりする、というのは卑屈で言っているのではない。コチラの反応をみてレゴリスらの本心を探る為の言葉なようだ。
とりあえず受け入れるが、信用なんて全くしていない。コチラが何か疑わせる行動をとったらとたんに、牙をコチラにむけて噛みついてくるのだろう。手負いの獣なみに、扱いには慎重さが必要になりそうで。
レゴリスは、顔を隠すように粉塵フードを被った囚人の集団の中に、チラホラ年寄りや女性の姿がいることにも気がついていた。彼らは強い男の陰に隠れというのではなく、王国軍の前に出て、レゴリスらを見下ろしている。
囚人全員の瞳に共通しているのは、王国軍に対して警戒心と、彼らの指導者への堅い忠誠心。
単なるごろつきの集団というわけではなく、強き指導者によって統制された軍隊、いや国家ができあがっている。支配するものと支配されるものではなく、集団を率いるものと付き従う者、恐怖ではなく、心で繋がった集団。
『なかなか、面白い』
レゴリスは、もうしばらく様子を窺うことにする。




