3 ぬくもりの記憶
三階の踊り場で、ジュジュはへたり込んだ。
息が浅い。胸が、痛い。
「あの赤子は無事かしら」
声が震える。
黒いもや。消えた姿。魔女の冷たい目。
背中が、ぞくりと粟立つ。
ブラックが袖を噛み、ぐいと引っぱる。
「……怖い。でも、見つけてあげたい」
扉の前に立つ。
『本当に入るのかい』
ジュジュは小さくうなづいた。
扉が開き、本の頁がめくれる。
『強くて働き者のお父さん。陽気で優しいお母さん。もう一度、会いたい――』
文字は滲んで消えた。
視界が揺れる。
巨大な洞窟だった。
ドン、ガン、と金属音が響く。
ジュジュの目の前を、男が胸に包みを抱えて、走り抜けた。
「きゅいん!」
ブラックが走り出し、ジュジュも後を追う。
男は石造りの家に飛び込んだ。
宝石がそこらじゅうに散らばっていた。
ここは――ドワーフの家だ。
「赤子がわしのトロッコに乗っていた!」
妻が包みを開くと、赤子が小さな手をぎゅっと握りしめ、声も出さずに震えていた。
「……かわいそうに」
赤子の服を替える妻の手が止まった。
「……あら」
細いしっぽがのぞいていた。
「乳は出ないよ。ヤギの乳をもらってこよう」
赤子が床に手を伸ばす。
「石が欲しいのかい?」
握らせると赤子はそれを、口に入れた。
「……食べた」
「ここで育てられるね」
ふたりは笑った。
ブラックは窓枠に前足をかけたまま、じっと動かない。
(生きてた……)
ジュジュは部屋の隅に身を寄せた。
時は穏やかに過ぎる。
父はルビーをあめ玉がわりに、子の口へ放り込む。
宝石を口にするたび、子は力をつけた。
母は「縫い物が楽しい」と、何枚も服を縫い、背丈の伸びた子に着せた。
少年となっても、坊やと呼ばれ、大切に育てられた。
ある日。
父が血相を変えて、帰ってきた。
「大変だ! 知らない女が坊やを探している」
「ここへ隠れるんだよ」
母は戸棚に押し込んだ。
扉が乱暴に開く。
魔女が立っていた。
「子どもを出せ」
「ここには、わしら夫婦だけしかおらん!」
「匂うんだよ」
戸棚から微かに物音がした。
「出ちゃだめ!」
母が扉を押さえる。
「魔力が戻るのに、十年もかかった――」
魔女が指を鳴らすと、扉はあっけなく開いた。
坊やから白いもやが立つ。
父は、宝石をかき集め、坊やの口へ押し込んだ。
前に立ちはだかり、坊やを背に隠した。
「邪魔だ」
魔女が指を鳴らした。
「地を這う姿が似合いだ」
父は、もぐらに変えられた。
ひっ、と短い悲鳴をあげた母が、坊やを抱え、外へ連れ出す。
「坊や! 逃げるんだよ!」
母はありったけの魔力を坊やに注ぎ込み、井戸へ放る。
――悲鳴。
気づけば、踊り場。
ブラックが鳴いている。
ジュジュは、本を見つめた。
「……これには、あの子の記憶が書いてあるんだ」
指先が、かすかに震える。
これは、ただの本じゃない。
あの子の――生きてきた時間だ。
階段を見上げた。
知りたい。
ジュジュは、息をひとつ吸った。
本を胸に抱き、もう一段上った。




