16 記憶の間
ジュジュは花の蜜を集め、扉の前に立った。
本には毎日欠かさず蜜をあげている。
みんなにも、会えたらすぐに蜜を飲ませてあげたい。
「準備よし。行くよ」
蜜をたっぷり吸ったブラックは眠たそうだったが、扉の前に立つと、ぴょんと跳ねた。
火竜王は明るくて楽しい方なのかもしれない。
本から声が響く。
『……石の精霊王を訪ねて』
ミウ様が回復しているのだ。
母の蜜は本当にすごい。
「アオイたちと探してみます」
返事はない。けれど、淡く光った気がした。
「青生! 緑夏! 開けてー!」
扉が開く。
そこは、果ての見えない峡谷だった。
青みを帯びた緑の川が、轟音を立てて流れている。落ちればひとたまりもない急流だ。両岸には垂直に近い岩壁がそびえ立つ。
はるか下の谷底に、アオイたちが豆粒みたいに小さく見えた。
腕を大きく振ると、風が迎えに来てくれた。
ジュジュは水音に負けないよう声を張る。
「ここは、どこぉーー?」
「星の谷!」
「どうやって来たの!」
「もぐら父さんが連れてきてくれた!」
「夜になったら、岸壁の上まで連れていってあげる! 星がすごく綺麗だよ!」
「見たい! でも先に石の精霊王様を探さなきゃ」
「ジュジュを待ってた!」
アオイが地面を叩くと、土が盛り上がり、もぐら母さんがひょこりと顔を出した。
「うわっ!」
もぐらにされてしまったが、地中を移動できるのは便利そうだ。
「もぐら父さんは?」
「あの人なら先に行ってるさ」
母はポケットから小さな鍵を取り出し、岩壁に突き立てた。
鍵穴などないはずの壁に、見たこともない複雑な文様が浮かび上がる。
次の瞬間、人ひとりがやっと通れるほどの幅の石壁が、音もなく消えた。
「ここが、石の精霊王の洞窟の入口さ」
「壁が……消えた?」
「精霊王が許した者しか入れない。でも、この鍵は、うちの人が作ったからね」
「すごい……」
中に入るとすぐに壁は元に戻り、水音も消えた。さっきまでの轟音が嘘のように、静かだ。
曲がりくねり、いくつもの枝道も、もぐら母さんは迷いなく進む。
壁には光る石が埋め込まれ、暗さはない。だが、どこも同じに見え、目印はない。
はぐれないよう、アオイがジュジュの手を引いた。
ノリカは、羽が触れそうなほどの天井近くを器用に飛び回っている。
どれほど歩いただろう。
開けた場所に出た。大きな石のテーブルと椅子。
そこに座るふたりは、真っ赤な顔で酒を飲んでいた。
「あんたたち、ずっと飲んでたのかい!」
もぐら母さんが酒瓶を取り上げる。
「研石と小石ちゃんが、もぐらになっていたのには驚いたぞ」
「こら! 気易く真名を呼ぶな!」
どうやら古くからの友人らしい。
「ソウセキ。紹介するよ。この子があたしらの息子、アオイだ」
「ほう。来い、坊主」
石の精霊王ソウセキが拳を突き出す。
重たいひと突きに、部屋の空気が震えた。
アオイは、ぐっと腹に力を込め、両腕で受け止めたが、数歩押し下げられた。
「避けないか。力もある」
「わしの掘ったダイヤモンドを食って育ったからな」
もぐら父さんは嬉しそうだ。
「火は使えるか?」
「まだです。でも必ず」
「よし。――後ろの娘たちは?」
「風精霊チカゼの子、ノリカです」
「女王の子か。生まれた時に、ハヤテがすっ飛んでここにも知らせに来たぞ」
「父さんたら。恥ずかしいよ!」
笑いが起きる。
「木の精霊の子、ジュジュです」
森の子ではなく、木の精霊の子。
口にすると、誇らしかった。
「その魔力……イブキとミノリの子か?」
「はい。でも本当の両親を知ったのは最近です」
森人に育てられたと話した。
「魔界が不安定になると、古い大樹では支えきれん。代替わりが早まったのだろう」
「支える?」
三人が顔を見合わせる。
「何も知らんのか。……ついて来い」
ソウセキが手を触れると、石壁は音もなく消えた。
その先は、終わりの見えない廊下だった。
最初の壁画には、ふたつの巨大な光がぶつかる瞬間が描かれていた。
砕けた欠片が闇に散り、いくつもの小さな島が、宙に浮かんでいる。
「星の谷は、その最初の欠片だ」
次の絵には、水が溢れ、その上に一本の芽が伸びている。
やがて石が隆起し、風が巡り、火が灯る。
光をまとった存在たちが、それぞれの島に立っていた。
「強い者は王となった」
さらに進む。
ばらばらだった島々が、ゆっくりと引き寄せられ、ひとつの大地に重なっていく。
絵の中の人は、手のひらに小さな光を灯している。
「これは魔力?」
「人も使えたの?」
三人が顔を見合わせた。
「急ぐでない」
ソウセキは低く続けた。
次の壁には、光を奪う手が描かれていた。
――そこから、長い戦いが始まった。




