こんな退屈な歴史に残る珍パーティーなんて二人でこっそり抜け出してさ、
王立学園における永久不滅の流行りと言えば。
悪役令嬢に婚約破棄、真実の愛に断罪、追放。そしてなにより、「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」だ。
悪役令嬢も婚約破棄も関係ない、心から婚約者を愛する俺のような木っ端貴族にとって大事なのは最後の一つだけ。
今夜こそだ。今夜こそやってやろうと思ったのだ。下調べも下準備も入念にして、婚約者のラゥラの手を取ってさあいざ決行、という段階になって。
何してくれちゃってんの殿下。
「ヘスティア!貴様は私の婚約者であることを傘に着てここにいるエミーナを随分と虐めたそうではないか!」
台座の上に格好よく立ち、婚約者である公爵令嬢を指差す殿下はもうはちゃめちゃにキマっている。王族らしいよく通る声は、学園の多目的ホールの外縁部にいる俺たちのところにもはっきり届いた。なんでこんな端っこにっていうのは勿論愛しのラゥラと抜け出すためです。
「はわわ…」
「あらあらまあまあ」
計画失敗の予感にオロオロする俺と違って、ラゥラは隣で扇を広げて目をキラキラさせている。周囲の様子を見ても大体そんな感じ。
婚約者に「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」をかまそうとしていた野郎共は額に汗を滲ませ目だけで辺りを見回し、「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」をかまされるはずだった何も知らないパートナーたちはゴシップの気配に興味津々。
「ぁっ、ぁっ、ぁっ、ぁっ、」
背後で死にかけのナメクジみたいな声を出しているのはマーキンソンだろう。あいつこのパーティーに人生賭けてたからな…。可哀想に…。
―――
さて何故この流行りが永久不滅であるか。少々説明しておこう。
別に大した話じゃない。
昔からこの王立学院に連綿と語り継がれる伝説だ。曰く、かつて元平民の男爵令嬢と運命的な恋に落ちた王子がいたとか、王子の婚約者だった公爵令嬢が悪事の限りを尽くしていたとか、王子と男爵令嬢が愛の力で公爵令嬢を断罪したとか追放したとかなんとかかんとか。そして二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、という有りそうなんだか無さそうなんだかな話。
ちなみに過去に卒業研究でこの伝説の真相を調べた先輩がいたそうだが、似たようなことはあったが伝えられるような内容ではない、という結論だったらしい。
元平民の男爵令嬢はいたが王子と恋に落ちてはいない。男爵令嬢と恋に落ちた王子はいたが婚約者はいなかった。王子と婚約破棄した令嬢はいたが他国の王女の輿入れのため。そんな感じだ。一つ一つを見てみれば、長い学園の歴史の中ではそんなこともあるでしょうね、という程度。
それらが切り貼りされて、継ぎ接ぎされて、いつの間にやら大袈裟なスペクタクル・ラブストーリーが捏造されたのだ。
それでも三度の飯より鷹狩りより星座とロマンチックな話が好きなのがこの国の貴族なものだから、王立学園に通う貴族の子女…つまり国内の全ての貴族に愛され憧れられた結果、この伝説は幾世代にも渡って語り継がれ、永遠に流行り続けてきた。
ただこの伝説、自分が元平民の男爵令嬢でも王子でも王子の婚約者でもなけれぱ、所詮他人事なのだ。
なのでその三者のどれでもない貴族たちの憧れはもっぱらこちら、「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」である。だってこちらは当事者になれる可能性が大いにあるから。
大好きなあの子の手を取ってパーティーを抜け出す自分、または愛するあの人に手を引かれパーティーを抜け出す自分。二人きりで星あかりの中駆け出して…王立学園に入学したなら誰でも一度は妄想するシチュエーションだ。
もちろん俺だって大いに妄想した。しまくった。一日中愛するラゥラとパーティーを抜け出すイメトレに励んだ。そしてそれは俺だけではなく、全ての男子生徒がそうだった。抜け出してぇよ、あの子とこの退屈なパーティーをよ。だって俺たちは三度の飯より鷹狩りより星座とロマンティックな話が好きな王国貴族だから。
これに目を付けたのが、今背後で「ぉぅっ、ぉぅっ、ぉぅっ、」とナメクジみたいな断末魔を上げているマーキンソンである。
マーキンソンは平民だが、父親が冒険者ギルドのギルド長をしている。そして冒険者ギルドの永遠の課題といえば、引退した冒険者の老後だ。いや俺は知らないけどマーキンソンがそう言っていた。
冒険者は腕はあっても学がないから、引退後に職が見付からなかったり詐欺にあったりと中々大変な目に遭うのがお決まりらしい。その度に冒険者ギルドが救済に乗り出していては予算がいくらあっても足りない。なので何とかセカンドキャリアの道筋を立ててやりたい。
そして貴族のお坊ちゃんお嬢ちゃんがパーティーを抜け出すのに永遠に憧れながらも、本当に抜け出すことはないのは何故か?
簡単だ。危ないからだ。ロマンティックの代償に払うのが誘拐・身代金・廃嫡の最悪のコンボではちょっと割に合わなさすぎる。いや割に合わないか…?引き換えに手に入るのが逃避行ロマンティックなら別に…。
いやいやいや、だがしかし愛する婚約者を危険な目に遭わせる訳にはいかない。誘拐・身代金・廃嫡は我慢できても婚約破棄は我慢できない。それが俺たち王国貴族。
実家ならともかくここは全寮制の学園、護衛はいない。なのでやっぱり逃避行は不可能。となるわけだ。
引退した冒険者の老後の問題点は、仕事が見つからないこと。
パーティーを抜け出したい貴族の問題点は、護衛がいないこと。
はい奇跡のマッチングきました。思い付いた瞬間にマーキンソンが授業中にも関わらず叫んだ言葉だ。ちなみにあいつが馬鹿野郎なせいで課題は三倍に増えた。
パーティーを抜け出したいなら、予約して金さえ払えば馬車と御者という名の強面凄腕引退冒険者をお前たち貴族の馬鹿息子のために用意してやる。
これを教室でぶち上げたマーキンソンに、俺たちは「そう上手くいくかよ」「甘ぇよ」「馬鹿野郎がよ」と言いながら行儀よく列に並び予約表に名前を書き「ぜひよろしくお願いします」と礼をした。
スイートハートが喜ぶと言われたら何でもしてしまうのが俺たちなのだ。マーキンソンが馬鹿野郎だとしたら、俺たちは大馬鹿野郎なので。
―――
つまりそういったわけで人生を賭けた新事業を立ち上げたいマーキンソンと、一世一代のロマンティックをぶちかましたい俺たちが選んだのが今日この夜。
聖鈴夜会、つまり正真正銘の退屈なパーティーだ。
大昔の聖人に思いを馳せつつ鈴の音に耳を澄ますだけ、という毎年必ずやる、毎年苦痛でしかない、もう本当に一体誰が一体何のために続けているか分からない夜会、それが聖鈴夜会。音楽さえないのだ。鈴の音を聞かなきゃいけないから。もちろんダンスもない。鈴の音を聞かなきゃいけないから。食事すら出ない。鈴の音を聞かなきゃいけないから。
でもその代わり、教師の監視も殆どない。だって問題の起こしようがないほど退屈だから。だからこそ馬鹿な十代が集結した学園でも開催される、とも言う。
俺たちがここしかないと思ったんだ。当然、もう一方の伝説の当事者たちもここしかない、と思うのは当たり前なんだよなぁ。
いやでもさ、だってさ、すると思わないじゃん、婚約破棄。
「まあ殿下、私がエミーナさんを?心当たりがありませんわ」
「しらばくれる気か!」
「いえまさか…真実を申し上げているだけです。大体、どこに証拠があるというのですか」
今のところ、どちらかというとヘスティア様が優勢なようだ。ヘスティア様は才女と名高い公爵令嬢だが、俺のような格下の貴族相手にも寛大で大らかな人格者だ。
対して殿下はいい人なんだがちょっと正義感と思い込みが強い傾向がある。いい人なんですけどね、間違いなくいい人ではあるんですけどね。
「た、頼むよスティッツベル…。頼む、頼むよォ…」
背後からマーキンソンがクラスで一番爵位が高く、クラス委員長も務めるスティッツベルに泣きついているのが聞こえる。
「マーキンソン、いいことを教えてやる。伯爵家の次男ごときにあの空間に入る度量はない。覚えておけ」
「ぉぉおぉ…」
スティッツベルあいつ、普段は「格下ども、伯爵家様の命令だぞさっさとノートを出せ」とか言ってるくせに。仕方ないマーキンソン、助け船を出してやろう。スティッツベルの野郎ムカつくもんな。
体を半分だけ後ろに向けて、スティッツベルの靴を舐めんばかりに縋り付くマーキンソンに囁いてやった。
「血筋!血筋!」
「あ、お前…」
「スティッツベル伯爵家様は建国以来の由緒正しいお血筋ですもんねェ!?」
「おいマーキンソンやめろ」
「建国王の側近の一番上にスティッツベルの名前は刻まれてますもんねェ!?」
「くそ…」
マーキンソンは正しく俺の言葉を受け止め、スティッツベルが絶対に引けなくなる単語を並べ立てた。よしよくやった。
スティッツベルが俺たちを睨みながらホールの中央に向けて足を踏み出す。もちろんその前にあいつの愛しいハニーパイを俺のラゥラに託して行くのを忘れない。
なにが「すぐ帰ってくる。待っていておくれ」だ、格好付けやがって。まあ俺も逆の立場なら、ラゥラに「必ず戻る。君の所にね」とか言うけど。
「頼むゥ…頼むゥ…」
マーキンソンが両手を摺り合わせながらその背中を見送った。
学園の外には既にマーキンソンが手配した馬車と引退冒険者たちが並んでおり、俺たちがパーティーを抜け出してくるのを待っている。そしてそれぞれが指定したとおりに、花畑だの星が見える丘だの下町の酒場だのに送り届けて俺たちがイチャついている間護衛をしてくれる手筈なのだ。王都は治安がいいので、現役の冒険者を引っ張って来ずとも引退冒険者だけで十分に護衛になる。
余談だが酒場コースを選ぶと、これまた引退冒険者が貸し切っている酒場に案内され、酔客のふりをした引退冒険者に囲まれてお忍び下町デート気分を楽しめるらしい。
「その時間、私は王宮で王妃教育を受けておりましたわ。お疑いなら教師にお聞きくださいまし」
「ぐ、ぐぬぅ…しかしヘスティア、お前がエミーナを嫌っているのは事実だ!」
「嫌う、ですって?今までお話したこともございませんわ」
ヒートアップする王子殿下とヘスティア様の声を背景に、スティッツベルはすぐに戻ってきた。その顔にはいっそ清々しいほどの微笑みを浮かべている。
「むりむりむりむり」
「なんでよォ!?」
「いや無理だぞあれは。近付けない」
「なんでよォ…」
「諦めろ」
「ぃやぁぁぁ…」
マーキンソンの悲鳴がか細い。たった今その手で絶望に突き落としたマーキンソンを無視して、スティッツベルが俺のラゥラに預けた婚約者を迎えに来た。
しかし奴のハニーパイとは軽くハグをしただけで、手を取り合った二人をそのままに俺の隣に並ぶ。おいどうした。
「しかし、自分に境遇が似ているとやはり重ねたりするんだな」
「ああ、確かに。そっくりではあったもんな」
そう、今年の王立学園は、いっそ恐ろしいほどに伝説とそっくりな状況だったのだ。
まず、王子殿下が在籍していた。王子殿下の婚約者の公爵令嬢も在籍していた。そしてレア中のレア、元平民の男爵令嬢までもが同時に在籍した。
男爵令嬢は男爵の庶子だか遠縁だかよく知らないが、とにかく元気で物怖じしない女の子だ。マーキンソンによるとまあ平民なら割といるタイプ、とのこと。
それにコロッとやられちゃった王子殿下。スティッツベルによると子供の頃から伝説の剣とか魔女に閉じ込められた姫とかを夢見ちゃうタイプ、とのこと。
そして王子殿下の婚約者の公爵令嬢。さっきも言ったが人格者で有名。有名なんだけども。有名なだけなら多分こんな事態にはなってなかったんでしょうね。
まあとりあえず、殿下、あの伝説にも憧れてたんだなぁ。感想はそれに尽きる。
「そのような者が国母に相応しいと思っているのか!?」
「まあ、では殿下はエミーナさんこそが国母に相応しいと仰るの?」
「そのような事は言っていない!今問題にしているのはヘスティア、君のことだ!」
「私の?」
「君は裏庭で怪しい男と密会を重ねていただろう!」
お、流れが変わった。さすがに興味を引かれてスティッツベルと一緒に騒動の中心を眺める。
おそらく今この騒動に興味を持っていないのは、俺とスティッツベルの足に絡み付いて「おおぉん…おおぉん…」と泣いているマーキンソンだけだろう。というかこいつ、平民だから魔力耐性が低くて殿下とヘスティア様が放出する魔力に酔ってるんじゃないか?
スティッツベルも同じことを思ったのか、少し屈んで障壁を貼ってやっていた。
「お優しい…お優しいスティッツベルさま…お願いその優しさでこの場を収めてェ…」
「無茶を言うな」
「なんでェ…」
「そういえばこいつ、公爵令嬢の従兄弟だぞ」
「エッ!」
「うわ」
スティッツベルのおすまし野郎が余計な情報を漏らす。お陰でマーキンソンが俺の足を這い上がってきた。人って全てを打ち砕かれた後に希望をチラつかせられるとこうなるんだな。
「従兄弟…?え聞いてないよそれ。僕に黙ってたってこと?そんな大事なこと僕に言わなかったってこと?君と僕の仲なのに?許されないよねそんなこと何で黙ってたのねェ」
「知ってるか、マーキンソン。貴族の間では従兄弟という言葉には祖父母を同じくする者以上の意味はない」
「ぎィっ」
胸元まで這い上がってきていたマーキンソンの頭が、押しのけるまでもなくまた地面に落ちていった。これが夢破れし者の末路…。
そう、今まさに伝説どおり婚約破棄をされているご令嬢、実は俺の従姉妹なのだ。とは言っても年に数回会うか会わないかという交流の少なさな上、向こうは殿下の婚約者というお立場なので学園内でもそうそう顔を合わせることがない。
子供の頃はそれなりに遊んだりもしたが、今となっては疎遠もいいところだ。
「なんと!では邪竜と通じていたというのか!?」
「ぽむちゃんを邪竜などと呼ばないでくださいまし!あの子はとてもいい子なのです!」
「邪竜に名前を!?」
スティッツベルが無言で俺を見る。足下のマーキンソンまで黙って俺を見上げる。俺は誰とも目が合わないように、ただひたすら虚空に焦点を合わせた。
ちょっとね、ちょっと夢見がちな子なんですよ。ちょっとだけね…。俺が王子殿下の婚約者が従姉妹、なんていうアドバンテージを無視して疎遠になるくらいにちょびっとだけ夢見がちなだけなんです。あれさえなければ評判通り公平で寛大でいい子なんですけどね…。
人の姿を取れるほど力を持った邪竜に名前を付けて学園の裏庭で可愛がってたって、一族郎党縛り首くらいの罪かな。従兄弟って一族に含まれるのかな。
腕に付けた通信機は一方通行なので向こうの反応は分からないが、きっと祖父母も両親も叔父叔母も中継を見ながら阿鼻叫喚だろう。でもほら、祖父母の領地の森でフェンリル餌付けしてた時に既に兆候はあったから…。
さすがのマーキンソンもスティッツベルも、きっともう二度と俺の従姉妹がヘスティア様であることに言及することはないだろう。
「殿下の不貞の証拠はこちらにありますわ!」
「なんと!我々の純粋な交流を不貞などと申すか!」
「純粋な交流に服を脱ぐことが必要とは存じ上げませんでしたわ!」
朗報、形勢逆転。
縛り首と打ち首とどっちが楽なのかな、などと思いを馳せていたらなんか邪竜が有耶無耶になる気配がしてきました。
学園内での男女の度を超えた睦み合いは明確に規則に違反しており、学園内規則は王国法に則っており、王国法は王によって保証されており、つまり学則違反はかなりの大罪だ。そしてそれを犯したのが規範となるべき王子殿下であるなら、更に罪は重くなる。
「神よ…」
「神は多分この状況を大いに楽しんでおられるぞ」
呟きながら、ようやくマーキンソンがのろのろと立ち上がってきた。スティッツベルのツッコミが冴え渡る。
マーキンソンは最早ここまでと諦めたんだろう。だがまだ正気ではない。正気なら神に祈らない。だって神が見ているなら、この状況に手を叩いて大喜びしているはずだ。なぜなら我が国の主神は、戦争を愛し大魔術を愛し闘争を愛し破壊を愛する生粋の戦神だから。
いやこの小競り合いで神喜ぶかな…。パン屋の親父と粉屋の親父の大げんかで機嫌が直ったって伝説があるくらいだから大喜びかな。
我々が神に祈って手に入れられるのは、都市を破壊し国を水没させる大魔術とそれによる戦勝のみ。平和も平穏もそこにはないんですね。だからこそ我々王国貴族は三度の飯より鷹狩りより星座とロマンティックな話が大好きなのだ。だって星座とロマンティックな話は平和と平穏の中にしかないから。人は持たざるものをこそ求めるんですよ。
まぁ大魔術しか使えないから、街中では護衛が必要なんですけども。チンピラに絡まれる度に王都を半壊させるわけにはいかないので。
チンピラども、こっちがそうそう街中で大魔術なんて使えないと知っていてちょっかい出してきやがる。
事態は王族の醜聞に公爵家の大失態にと多すぎて、とっくに一学園生の手に負えるものではなくなっている。
どたばたと走り回る教師たちにだってきっと手に負えない。つい一年前まで平民だった件の男爵令嬢はどんな気持ちでいるんだろうなぁ、と見やったが、殿下の影に隠れてよく見えなかった。まあこうなったらなぁ。隠れるしかないよなぁ。こんな大騒動になるなんてなぁ。
俺たちは揃ってぼんやりと中央付近を見ていた。もう何を話していいかすら分からなかった。俺たちも、俺たちの周りにいる野郎どもにも、諦めだけが漂っていた。
「なんだか…大変なことになりましたわね」
ラゥラが俺にそっと身を寄せる。邪竜だ不貞だと不穏な単語が飛び出して不安になったのだろう。愛しいラゥラ、今夜伝説の主役になるはずだった美しいラゥラ。
「ラゥラ、大丈夫だ。君のことは何に代えても守るから」
「まぁ…」
微笑んで見上げてくれるラゥラの手をしっかりと握る。その手を握り返して、ラゥラは心から嬉しそうに頬を染めてくれた。
確かに今夜はもうどうしようもなくて、とてもじゃないけど退屈とは言えないパーティーになって、よりによって渦中には俺の従姉妹がいて、俺たちはホールの外縁部で為す術なく立ち尽くすしかなくて、俺の手を握る愛しいラゥラは不安そうに眉尻を下げている。俺だって正直ちょっと泣きそうだ。
でもさぁ。でもだよ。
でも、だって、俺、この子とパーティー抜け出したいんですよ。
こんなに可愛く俺の瞳の色のドレスで着飾ってくれたのに、今夜のラゥラはすっかり観客の一人にされてしまった。俺にとってはいつでもヒロインだけどそういうことではない。
今夜、ラゥラはいつだか友人と頬を染めて語り合っていた伝説の主役になれるはずだったのに。
憧れの「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」がラゥラのものになるはずだったのに。
でも俺はまだラゥラを今夜の主役に、物語の登場人物に呼び戻す魔法の言葉を持っているのだ。
ステンドグラスは割れ、飛び込んできた邪竜が火を吹き、シャンデリアが傾き、王族が怒鳴り、高位貴族が叫ぶ。俺は肩に乗っていたマーキンソンの腕を振り落とし、握っていたラゥラの手を一度離すと、腕につけていた通信機を近くのテーブルの上に置いた。そのままもう一度、今度は真っ直ぐラゥラに向き直ってその両手を握る。
「ねぇラゥラ」
「あらなぁに、フィル」
「ね、こんな退屈な…」
ラウラの瞳が輝く。背後で「ォッ」と死んだはずのナメクジが息を吹き返す音がする。スティッツベルのハニーパイが「まっ」と息を飲む。
このパーティーが退屈かは人によるとして、少なくとも俺たちには退屈だとして。
俺はもう一度、大きく息を吸い込んだ。
「こんな退屈なパーティーなんて二人でこっそり抜け出してさ、一緒に星を見に行かない?俺のストロベリーマカロンちゃん」
「…ええ!」
この時のラゥラの笑顔を、きっと俺は生涯忘れないだろう。
俺たちは手に手を取り合ってホールの出口に向かって駆け出した。俺たちに一番近い出口は、幸いにもまだ邪竜に破壊されていない。
マーキンソンが「ぁ、信じてっ、信じてたよ!愛してるゥ!」と叫んで俺たちを追い越して行った。そうだぞマーキンソン、正気を取り戻せ。お前この事業を成功させて大金持ちになって、お前のシュガーマフィン…子爵家の三女のあの子との結婚を認めてもらうんだろう。ぼんやりしている暇はない。
マーキンソンの策略に乗せられてやっていた大馬鹿野郎たちが、慌てて彼らのシナモンロールやキャラメルヌガーに「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」をかましている。
だってそうだ、王子も元平民の男爵令嬢も公爵令嬢も彼らの登場する憧れの伝説の中にいるのなら、俺たちだって俺たちが当事者になれる伝説を実現しなければならない。
飛び出した先には、地味な外装の馬車がずらりと並んでいた。それぞれの御者席に剣を持った男や、弓を背負った女が座っている。彼らが一斉に俺たちを見て、ほっとしたように息を吐いたのが分かった。
大騒動の気配がするのに依頼人が一人も出てこないことを随分心配していたのだろう。
「十三号車だ!」
「ああ」
紙の束を持って馬車の横に立つマーキンソンに指示された通りにラゥラの手を引いて十三号車に近付いたら、斧を背負った男がニヤリと笑って「お似合いじゃねぇの」と言った。その瞬間にこいつと年間契約しようと決めた。御者の引退冒険者が気に入ったら、年間契約したらいつでもお忍び城下街デートができる、とは契約時のマーキンソンのセールストークだ。
周囲の馬車にも人が乗り込む気配がする。窓にかかったカーテンを少し開けたら、ちょうど学園のホールが轟音と共に吹き飛ぶ所だった。
俺は全てを見なかったことにして、隣に座る俺のラゥラ、愛しいストロベリーマカロンの瞳を覗き込むのに集中することにした。
―――
ここまできたらきっと諸氏もその後が気になる事だろう。
大事なことをまず言っておくと、ラゥラはその後も「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」をした夜を「あの素敵な星の夜」と呼んでことある事に懐かしみうっとりしてくれた。そしてその度に俺にキスしてくれるので、俺はあの夜の思い出話がしたくて仕方がない男になった。
年間契約した引退冒険者は俺とラゥラを連れてあらゆる所へお忍びデートに行ってくれて、気が付いたら俺の実家との契約に変わって両親のデートも護衛していた。
聖鈴夜会を抜け出したことを咎められることはなかった。なぜなら俺たちは三度の飯より鷹狩りより星座とロマンティックを愛する王国貴族で、「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」はすべての王国貴族が憧れる伝説で、それを成し遂げた息子は一族の誉れだからだ。
王子殿下と元平民の男爵令嬢と従姉妹の公爵令嬢についても一応言うと、ホールを修復するための少々の休みのあと、彼らもまた何事もなく学園に復帰した。あの夜の出来事は王子による皆を楽しませるための余興だったらしい。俺たちは「王族って余興で文化財のステンドグラス粉々にするんだな」と言ってヘラヘラ笑った。
マーキンソンは奴のシュガーマフィンと無事結婚を認められた。スティッツベルの少々の口添えがあったことは言い添えておく。俺もことある事に「奴の助けがあってこそパーティーを抜け出せた」と言って回ったが、恐らくそんなことをしなくても奴の結婚は認められただろう。
俺たちは三度の飯より鷹狩りより星座とロマンティックが好きな王国貴族で、そして愛する人のためにロマンティックな伝説を現実にしようと奮闘する男は、王国史上類を見ないほどロマンティックなので。
かくして王国学園では今日も悪役令嬢に婚約破棄、真実の愛に断罪、追放。そしてなにより、「こんな退屈なパーティー二人で抜け出さない?」が大流行している。
ついでに言うと、最近では伝説に邪竜と不純異性交流も加わったとかなんとか。
いずれにせよロマンティックを手に入れた俺と俺の愛しいラゥラには関係のないことだ。
王国貴族は三度の飯より鷹狩りより星座とロマンティックな話が好き。戦争はもっと好き。