エッセイ・短編 命・言葉・愛・感謝・希望等をテーマにした作品です
命の行方
夜の静けさは、時に人を壊す。
時計の針が、罪のない音で刻むたびに、胸の奥で何かが削られていく。
彼女が殺されたのは、三か月前のことだ。
赤信号を無視した車が、歩道を越えて突っ込んできた。
ニュースは「不運な事故」と言った。
裁判では「過失」で済まされた。
加害者は今日、執行猶予付きで釈放された。
「申し訳ありませんでした」
その謝罪の言葉が空虚に響いた。
あの日から、世界は一度もまっすぐに見えたことがない。
昼の光も、他人の笑い声も、無関係で異質だ。
彼女がこの世にいないという事実だけが、常に現実であり続けている。
裁かれた?
笑わせるな。
法は、生きている人間のためのもので、死んだ者の痛みには届かない。
彼女はもういない。
でも、あいつは生きている。
罪を抱えて? 反省して? だから何だ。
苦しめば許されると、誰が決めた。
許しとは、せめて取り戻せるものがある人間にだけ、訪れる権利じゃないか。
部屋の中は暗い。
手にはあいつの住所と、手紙と、重たいものが入った袋がある。
たとえ人生が終わっても構わない。
明日を失っても構わない。
あいつが呼吸をしている限り、彼女との差は歴然としてある。
もうないのだ彼女にはこの世界での時間は。
これを誰がどうしてくれるというのだ。
でも――
玄関のドアに手をかけた瞬間、ふと浮かんだ。
彼女が生きていたとき、誰かを憎んでいた顔を見たことがあっただろうか。
自分が今からすることを、彼女が見たら、どう思うだろうか。
――いや、そんなのは意味がない。
死者の心を語るのは、いつだって生き残った者の都合だ。
ドアノブにかけた手を回す。
答えなんてない。
正義なんて、いつだって他人のために書かれた言葉だ。
でも、たったひとつ思った。
きっと、ただの復讐というだけで片づけられるのだろう。
愚かな行為だと。
――それが、どうした。
俺はあいつの苦悶に歪む顔を見て正直、心が踊った。
瞳から生気が失われ、動かなくなった、あいつの体を見下す。
これでやっと対等だ。
彼女と同じ、この世には存在しない。
迷いなんて生じる訳がない。
空しさなんて微塵の欠片もない。
むしろ喜びに満ち溢れている。
煙草に火をつけ、紫煙を見つめる。
彼女の笑顔が、そこにある。
煙草を終え、俺は警察に電話をかける。
「人を殺したよ」
裁判の日俺はこう述べた。
「私はこの人間を、自分の意志で殺しました。
理由は、私の最愛の女性を殺した犯人だからです。
彼女は死んだのに、なぜあいつは生きているんですか?
命が大切というのなら、命を奪った代償は、命でしかないはず。
私は、自分の命を使って、この痛みに返答したかった。
さあ、裁いてください」
お読み頂きありがとうございます_(._.)_。
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*付随作品 「言葉は争いの始まりだった 」「沈黙の民」「命は本当に“大切”なのか」も良ければお目通し頂けましたら嬉しく思います。