第7話 幽霊彼女と学校生活
翌朝、スマホのアラームが鳴る前に麗衣那に叩き起こされた。
「佐久間くん、佐久間くん!起きてください!」
時刻はまだ七時前だった。普段の僕なら八時過ぎまで寝ているから、こんな真冬の夜が明けきっていないうちに起きるなんてありえないことだった。
「なんだよ…」
寝起き最悪の僕でも、麗衣那の綺麗な顔が間近にあれば、一気に意識が覚醒できることを知った朝でもあった。
そうだった……僕は美少女幽霊に取り憑かれているんだった。
「ち、近いんだけど……」
困ったように眉を下げたその美しい顔と少し距離を取ってから、麗衣那に事情を訊く。
「なに?どうした?」
麗衣那は切羽詰まったようにこう言った。
「佐久間くんが近くにいないと、料理ができないのです!」
「……は?」
「だから、朝食を作ろうと思ったのですが、佐久間くんから離れると私は物が触れなくなって、料理が出来ないんです!」
「あー……」
そういえばそうだった。
麗衣那が物を触れるのは自分の物だけ。それ以外はすり抜けてしまうはずが、僕の霊的な力が強いおかげで、麗衣那にもあらゆるものが触れるようになるのだった。
だから僕から離れると麗衣那は何も触れなくなり、ただの浮遊霊になってしまうのだ。
麗衣那は泣きそうな瞳でこちらを見てくる。
「そんなに気を使わなくてもいいのに。あとで適当に食パン焼いて食べるし」
「ええっ!!朝がパン一枚ですか!?育ち盛りの高校生男子なのに!?」
「そもそも起きられないんだ…朝に弱くて…」
「私が毎日起こしてあげます!さあ起き上がって顔を洗ってきてください!」
麗衣那は容赦なく部屋のカーテンを開ける。
まだ夜は明けていないが窓の外は少しずつ明るくなっていて、昨日とは打って変わって天気が良くなりそうだった。
「眠い…………」
僕は仕方なく起き上がることにした。
麗衣那が朝食を用意してくれている間、ほとんど寝ていたが、気付けばダイニングテーブルには朝食が並べられていた。
白米に豆腐のお味噌汁、昨日の残りの少しの肉じゃがにほうれん草のおひたし。
ここに焼いた鮭があれば、THE朝食の最高のラインナップだったんだが、僕のうちの冷蔵庫に魚なんて入っているわけがなかった。焼くのが面倒だし、後片付けも面倒だから。でも麗衣那だったら美味しく焼いてくれそうだなぁ。
「佐久間くん!朝食は一日の大事な活力ですよ!しっかり食べないと、ですよ!」
「はいはい。作ってくれてありがとう」
急にお姉さん感、いやお母さん感を出してくる麗衣那。
「いただきます」と手を合わせてゆっくりと食べ進める。
昨日も思ったが、こんな風に誰かとご飯を共にするのは、いつぶりだろうか。
いいな、こういうの……。
小さい頃の朝食の映像が脳裏にちらついて、僕は慌てて意識を朝食に戻した。
僕と麗衣那が並んで登校していても、当然誰もこちらを見ることはなかった。
もし麗衣那が生きているのなら、一発で注目の的だっただろう。
しかしこうして二人で肩を並べていても誰からも何も言われず、視線を向けられないことが、麗衣那が誰にも視えていないことを確信させた。
麗衣那は平然と登校し、自分の教室へと向かった。
「それでは佐久間くん、また」
「ああ、うん…」
昨日もそうだったらしいが、きっと今日も生きているときと同じように教室で授業を受けるのだろう。
本当、真面目だな……。
そう少し呆れながらも、僕も自分の教室へと向かった。
翌朝、水曜日。
緊急の朝礼が開かれた。
月曜日にも朝礼があったというのに、その二日後である水曜日に朝礼が行われるなんて、僕がこの学校に通い出してから初めてのことだった。
その日、麗衣那は朝から少し元気がなかった。
「麗衣那?どうかした?」
「あ、えっと……。…今日は一日、佐久間くんと一緒にいてもいいでしょうか?」
「え…?」
「……今日はなんとなく佐久間くんと一緒にいたいのです…」
もしその言葉が、麗衣那が頬を赤らめて上目遣いで言ってくれているのだとしたら、僕も少しはどきっとしたのかもしれないけれど、そんな雰囲気は微塵もなく、無理に笑顔を作る麗衣那に僕はただならぬ理由がありそうだと感じ素直に頷いた。
水曜日だというのに、緊急の朝礼に招集された生徒達は、何事かと少し浮足立っていた。
「では、校長先生、お願いします」
開会の言葉も適当に、五十代半ば過ぎくらいの痩せた男性が壇上に上がる。
ふと手が急に握られ、僕は思わず横にいる麗衣那に目をやる。
彼女はぎゅっと目を瞑りながら、僕の手を震えながら握っていた。
「………麗衣那…?」
僕が麗衣那に気を取られている間に、軽く一礼した校長は演壇のマイクの前へとやってきて、こう言った。
「えー、大変悲しいお知らせではございますが…。この度、二年B組の逢川 麗衣那さんが、亡くなりました…」
その言葉に、二学年の生徒達が並んでいる体育館の真ん中辺りがざわっとどよめいた。
「え?嘘」「麗衣那が…?」「そういえば昨日も一昨日も休みだった」「嘘だろ…」「逢川先輩…」などと体育館中が驚愕に満ちたざわめきでいっぱいになる。
麗衣那、二年生だったのか、先輩じゃないか。
平気で初対面からため口使っちゃったな、などと場違いなことを思っていたのはおそらく、僕だけだろう。
生徒達の動揺を見るに、先輩後輩同級生、誰からも慕われていたのが分かる。
教師陣すら、目元にハンカチを当てている。
麗衣那ってやっぱり、すごい人気者だったんだな。
こんな僕でも名前だけは知っていたくらいだ。ほぼ全生徒がその名前を知っていたのではないだろうか。
麗衣那はぼうっと体育館中を見ていた。
その表情は何を思っているのかは分からない。けれど、強く握られた手はそのままだった。
校長が少し何か話して、それから黙祷を行った。
校長の「黙祷」という言葉を合図に、生徒達はみな目を瞑って何かを祈る。
しんと静まり返っていた体育館内に、またすすり泣きのような、洟をすするような音が聴こえ始める。
それは次第に波のように、体育館中へと広がっていく。
僕は黙祷する生徒達をよそに、ポケットからスマホを取り出して文字を打ち込む。
呆然と体育館を見ていた麗衣那に見えるよう、そのスマホ画面を見せた。
麗衣那は僕に肩を寄せると、泣きそうな顔で笑った。
『麗衣那、今日は僕と放課後デートをしよう』