第3話 美少女と一つ屋根の下
「え……?」
逢川さんの泊めてほしい、という言葉に僕はフリーズしていた。
泊めてほしい?うちにか?
目を丸くする僕に、逢川さんはぐいぐいと距離を詰めてくる。
「佐久間くん、お願いしますっ!なんでもするので、私をこの家に泊めてください!」
なんでも……?なんでもってなに?なにを頼んでもしてくれるのか?
なんでも、という言葉に一瞬思考を奪われそうになるが、僕は勢いよく頭を振った。
いやいや女の子が軽々しくなんでもするなんて言っちゃいけないだろ。
しかし逢川さんの懇願具合は、どう考えても何か理由がありそうだった。
「お願いしますっ!!」
深々と頭を下げる逢川さんに、僕はほとほと困り果ててしまう。
「えっと…すみません…。ひとまず理由を教えてくれませんか?僕と逢川さんは先程初めて出会ったばかりですよね?」
逢川さんは僕を窺うような上目遣いで小さく頷く。
「はい……そうだと思います……」
「男の僕が言うのもなんですが、女の子が軽々しく男の家に泊めて、なんて言うものじゃないですよ。変なことされても文句は言えないというか……」
大分マイルドに説明したせいか、逢川さんは「変なこと?」と首を傾げる。
そんなことも分からないのかと、僕はますます彼女が心配になった。
「……えっちなこととか、そういうことです」
僕の言葉に、逢川さんの顔はみるみるうちに真っ赤になる。
「あ、あの!えっと!わ、私、そういう経験はまったくなくて…あの!何をしたらいいのか分からないんですけど、えっと、精一杯佐久間くんのために頑張るので、なんとか泊めてもらえないでしょうか…!」
「いやいやいやいや!!!だめだろ!そこは考え直すところだろ!!なに前向きに話を進めようとしているんだ!?」
逢川さんは僕が思ったよりもどうやらかなり奔放な方のようだった。
ていうか、こんなに美人なのにそういう経験がないって…。彼氏がいないって話は本当だったんだな……。
尚も「何卒…!!」と頼み込んでくる逢川さんに、僕は渋々承諾を余儀なくされる。人からの頼まれごとを断るのは苦手だ。
それにこんなお嬢様が同じ学校というだけの見ず知らずの僕にわざわざ泊めてもらうように頼むなんて、なにかよっぽどの理由があるに違いない。
あとでご両親にバレて僕が怒られないといいけど…。
「分かったよ…泊めますから…」
そう言うと逢川さんの表情がぱあっと明るくなる。やはり美人は笑顔に限る。
「ありがとうございますっ!佐久間くん!」
「ああ、いえ…」
半ば押し切られた感じである。
やれやれと思いながらも、来客用のスリッパなんてないよな…と考えていると逢川さんが「あの、」と声を掛けてくる。
「それで私は、佐久間くんにどんなえっちなことをしたらよいのでしょうか?」
「せんでいいっっっ!!!」
なんだか面倒な霊や妖怪よりも、面倒な女の子が来てしまったようだ……。
2DKの小さな部屋のリビングの、これまた大きくはないソファにひとまず座ってもらい、一応タオルを渡した。
「これ、もし濡れてたら使ってください」
「え?」
逢川さんは驚いたようにタオルを見て、何故か恐る恐るタオルに触れた。
洗ったばかりのふわふわのタオルを受け取った逢川さんは、これまた何故かそのタオルを目を丸くして見ている。
なんだかやっぱり不思議な人だな、と思いながら、僕も濡れたブレザーを脱いで適当にハンガーに干して、それからホットココアの準備をする。
マグカップに牛乳を入れて、ココアの粉を適当に入れてレンジでチン。
一人暮らしではあるが、ちょうどいいことにマグカップは二つあった。ゲームのキャラクターの柄が描かれているものだ。
キャラクターグッズを集める方ではないが、こういう日常的に使えるものは気分も上がるし、買っておいて損はない。いずれ来るであろう僕の友人のために買っておいたのだが、こんなこともあるなら買っておいて正解だったと少し鼻高々である。
「はい、逢川さん。熱いから気を付けて」
逢川さんの目の前のローテーブルに熱々のマグカップを置く。
そうして僕も逢川さんの座るソファの隣に腰を下ろした。一人分くらいを空けて。
「あ、わざわざありがとうございます。…でもごめんなさい。私、飲み物は飲めなくて…あ、食べ物も食べられなくて……」
「え……?」
何を言っているのか分からず、僕は首を捻る。
逢川さんはどういう意味で言ったのだろうか?
お嬢様である逢川さんは、凡人男子の僕が出したものは口にできない。そういう意味だろうか?
僕が眉根を寄せていると、逢川さんは慌てたように顔の前で大きく手を振った。
「あ、ご、ごめんなさい!そういう意味ではなくて、えっと、物理的に、食事を摂取できなくて……!!」
「物理的に………?」
ますます何を言っているのか分からない。
彼女も必死で説明しようとするのだが、上手い言葉が見つからないようで、「えっと、えっとなんて言ったら……」と困り果てている。
……ふむ。どうやらやっぱり不思議な方のようだ。
と思っていると、「そうだ!」と逢川さんは手を打った。
「佐久間くん、見ていてください」
「え?」
逢川さんは美しい所作でココアの入ったマグカップを手に取り、それをこれまた美しく口に運んだ。
小さな部屋の窮屈なリビングが、一瞬どこかの貴族の茶会並みに空気が凛とした気がする。
こくん、と逢川さんの喉が鳴る。
普通にココアを飲んだ、ように見える。何かおかしなところはあっただろうか?
逢川さんはマグカップから口を離すと、大きな丸い目をさらに大きくさせてマグカップを凝視する。
そして今度は勢いよくココアを飲み干していく。
「?????」
僕は何を見せられているんだ……?逢川さんは何を見てほしかったのだろうか…?
僕はとうとう焦れて、逢川さんに直接訊いてみることにした。
「ごめん、逢川さん。何を見てほしかったのか、分からなかったんだけど」
そういうと、逢川さんは目をきらきらさせて僕を見た。
「見ましたか!?佐久間くん!私、ココアが飲めました!!とっても美味しかったです!」
「え……?ああ、うん、そうだな?美味しかったならよかったです…?」
何がそんなにすごいのか、目を輝かせてマグカップを見ていた逢川さんは、はっとして僕の方を見た。
「……佐久間くん、あなた、何者なんですか?」
「いやそれは僕が訊きたい」
さっきから話が支離滅裂過ぎて、逢川さんが何を言いたいのかさっぱり分からない。
結局彼女は何が言いたかったのだろうか……?
逢川さんは嬉しそうに続ける。
「私、死んでからご飯も飲み物も摂ることができなかったんです!物だって、自分の物以外は触っても通り過ぎてしまっていて……。それなのに佐久間くんが渡してくれたタオルは普通に触れたし、ココアだって生きてるときと同じように普通に飲めました!どんなマジックですか……!?」
「………………………は?」
逢川さんの言葉に、僕は思わず耳を疑った。
まさか、そんなはず……。
「ごめん、逢川さん。今、……なんて?」
「ですから、私、死んでから、」
「逢川さん、死んでるのか!?!?!?!」
目の前で品よく笑う美少女は、少し困ったように眉を下げた。
「はい、私、死んじゃいました」