表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/36

第33話 僕の見ている世界



 麗衣那がいなくなって、何も考えられなくなった僕は、辺りが真っ暗になってようやく、ああ、帰らなくては、と立ち上がった。

 お弁当やレジャーシートを片付けて、僕はのそのそと歩き出す。


 気が付いたら家に帰ってきていて、玄関を開けると、珍しくこしあんが僕の足元にまとわりついてきた。

 そうして僕を通り過ぎて、僕の後ろを見つめたまま座り込む。

 こしあんはここのところよく麗衣那に懐いていた。もしかして、と僕はなにもない虚空に声を掛ける。


「麗衣那?そこにいるのか……?」


 しかし僕の声がドアに反響するだけで、当然返事はなかった。

 こしあんを抱え、こしあんの見ている場所を凝視する。

「麗衣那?」

 「にゃあぉ…」とこしあんがなんだか寂しそうに小さく鳴いた。

 こしあんには麗衣那が視えているのだろうか。

 それともいなくなってしまった麗衣那を惜しんで鳴いたのだろうか。

 僕はすっかり冷え切ってしまったお弁当の残りを食べることにした。

 お弁当を食べると、何故だか急に涙が溢れてきた。

 このお弁当を作ってくれたのは麗衣那だ。

 麗衣那はたしかにさっきまで僕の傍にいて、一緒にお弁当を食べていたのだ。

 それなのに…………。


『佐久間くん、今まで、ありがとうございました。……さようなら』


 麗衣那の最後の言葉が今も鮮明に耳に残っている。

 女の子らしく可愛い声だけれど、凛としていて綺麗な声。

 所作がいちいち美しくて、物の扱いも丁寧で、育ちの良さが窺えた。

 いつも一生懸命で、なんにでも興味を示して、僕の提案に大袈裟に喜んでくれて。

 そんな麗衣那が、僕は…………。


「美味しいよ……、麗衣那……っ」

 僕はぼろぼろと涙を零しながら、麗衣那が作ってくれた最後の料理を食べた。




 こんなにも泣いたのは、いつぶりだっただろうか。

 自分がこれほどに感情を動かせる人間だったなんて知らなかった。

 それだけ麗衣那は僕にとって、大きな存在になっていたのだ。



 僕は仕方なく布団に入る。

 どうせ眠れるわけもないけれど、起きていたってすることはなにもない。

 いつもなら僕が布団に入ると、それに続いて麗衣那が布団へとやってくる。

 狭い一人用のベッドだったというのに、麗衣那は文句のひとつも言わずに一緒に寝ていた。



「おやすみ、麗衣那」

「おやすみなさい、佐久間くん」



 毎日そう言って寝るのが当たり前になっていた。

 それを合図にしたかのように、僕は安心しきって眠ることができた。

 またきっと、眠れない夜がやってくるのだ。

 麗衣那が隣にいないと、僕は眠れない。

「麗衣那……、成仏したわけじゃないんだよな…?」

 麗衣那以外の霊や妖怪の類が視えなくなったことから、僕の霊力が弱まっていっていたのは明確だ。

 さっきだって、僕の霊力が完全になくなることを、何故か僕は知っていた。

 あんな別れで、麗衣那が成仏しているわけもない。

 きっとまだまだやりたいことだってあっただろう。


「麗衣那、僕は告白の返事をしていない…、いるなら出てきてくれ」


 僕の言葉に反応するように、ぽて…、っと何か音がして、僕は勢いよく起き上がった。

 床を見ると、麗衣那が大事にしていた、こしあんそっくりなマスコットが床に落ちていた。

 僕がバレンタインデーに麗衣那にあげたものだ。

 僕はそのマスコットを拾って、真っ暗な部屋に話し掛ける。

「麗衣那、いるのか……?」

 しかし、なんの反応もなく、ただただ静寂が流れるだけだった。

「麗衣那、本当にごめん…。君が成仏するまで、一緒に青春の一ページを埋められなくて……」

 成仏するまで手伝う約束をしていたのに、僕はその約束が守れなかった。

「……本当に、ごめん………っ」



 なんでこのタイミングなんだろうか。

 どうして急に霊が視えなくなってしまったのだろうか。

 何度も何度も同じ考えがぐるぐるして、やるせない気持ちになる。

 これも、神のみぞ知る、ってやつなのだろうか…。

 それなら僕は、神様のことが嫌いになりそうだ。

 「にゃあ…」と小さく鳴いて、こしあんが枕元にやってきた。


「今日はやけに優しいね…」


 こしあんは僕の隣に丸まると、眠りについたようだった。

 僕はこしあんを撫でながら、長い長い夜を、ひとりで過ごした。




「ん………今何時だ…」

 スマホは充電が切れていて、アラームが鳴らなかった。

 時計を見ると、午前九時過ぎ。

 春休みに入ったばかりではあるが、今日は先生方の離任式があり登校日だった。

 休んでもいいか、と思ったが、僕は起き上がり、学校の支度を始めた。


 学校に行けば、もしかしたら麗衣那に会えるかもしれない。


 麗衣那は死んでからも馬鹿真面目に学校に通っていた。

 今日、離任式があるのなら、もしかしたらちゃんと登校しているかもしれない。

 僕はキッチンへとやってきて、水を一杯喉に流し込む。

 そのまま出ようと思ったのだが、麗衣那に朝食のことで怒られたことがあったのを思い出した。


『佐久間くん!朝食は一日の大事な活力ですよ!しっかり食べないと、ですよ!』


「………………」

 僕は渋々菓子パンをつまんで、家を出ることにした。




 学校への通学路は、相変わらず静かなものだった。

 当然のように、人しかいない。

 他の人にとっては、それが当たり前のことなのかもしれないけれど。

 僕にとっては騒がしかった通学路が、今はなんだかものすごく、恋しく感じた。



 僕が大遅刻で学校へ到着すると、当然のようにみな下校を始めていた。

 離任式だけだったので、午前中で終わってしまったようだ。

 僕が教室へと顔を出すと、ちょうど伊勢崎がまだ残っていた。

「佐久間…?」

 伊勢崎は僕の方へとやって来る。

「今更登校か?もう終わったぞ。まったく、離任式だけだからと言って登校日をサボるな。一応出欠だってとって……」

 そこまでお小言を言っていた伊勢崎は、僕の顔を見て目を丸くした。

「佐久間……?どうした?何かあったのか?」

「え……?」

「酷い顔だぞ。ちゃんと飯食ってしっかり寝ているのか?」

 伊勢崎まで麗衣那みたいなことを言う。ふたりとも馬鹿真面目なんだ。

「大丈夫だよ……」

「とてもそうには見えないが……」

 伊勢崎は訝しげに僕を見て、はっとしたようにぼそりと言った。

「……麗衣那、か…?」

 その名前を聞いただけで、洟の奥がつーんとして感じた。

「……そうか、麗衣那はようやく成仏できたのか…」

 伊勢崎の言葉に、僕はふるふると首を振る。

 僕に麗衣那が視えなくなったこと、僕と麗衣那が一緒にしていた、青春の一ページのことも、伊勢崎にすべて話した。

 どうしてわざわざ伊勢崎に話したのか、僕には分からない。

 何故だか勝手に口が動いていた。

 伊勢崎にも、知らせる必要があると、思ったからかもしれない。


 黙って話を聞いていた伊勢崎は、いつかの日のように僕の肩をぐらぐらと揺さぶる。

「佐久間、お前っ!!!麗衣那と一緒に暮らしていただと?!そんな羨ましいことをしていたのかっ!?!?」

「うっ……」

 伊勢崎の三半規管に影響を与えるような行為は、寝不足の身体には堪える。

「まさか麗衣那のあんな姿やこんな姿を見たんじゃないだろうな!?」

 あんな姿やこんな姿ってどんな姿だ?

 僕が更に顔色を悪くしていると、「あ、悪い」と言って解放される。ううっ、気持ち悪い……。

「…そうか、佐久間にも視えなくなったのか…」

 伊勢崎は先程とは打って変わってしんみりと呟いた。

「それで佐久間は、ちゃんと伝えたのか?」

「え………?」

 伊勢崎は大袈裟にため息をついてみせる。

「お前は俺からなにを学んだんだ?俺の告白を見ていただろう?」

 見てたよ。

 伊勢崎はどうしても伝えたいことがあるって、そう言っていた。

 そうして麗衣那に気持ちを伝えていた。

 それなのに僕は……。

「もっとはっきり言っておけばよかったな…」

 そう言って伊勢崎は、僕を抱きしめた。

「俺は佐久間のおかげで、麗衣那にちゃんとさよならを言えたんだ。だからと言ってこの悲しみが早々に落ち着くものでもない。きっと一生、この先他の誰かを好きになるとしても、俺は麗衣那を思い出して泣くだろう。けれど、それを少し軽くしてくれたのは、佐久間だ」

「…………」

「お別れをしっかり伝えられたからこそ、俺は少し前を向こうと思えた。ありがとう、佐久間」



 大好きな、大事な人が死んで、前を向くことなんてできるはずがない。

 伊勢崎はきっと、そう思っていた。

 麗衣那が僕のクラスに来て座っていた席は伊勢崎の席だ。

 伊勢崎は麗衣那が死んでから、学校をしばらく休んでいた。




 ある日突然、大事な人がいなくなっても、世界はまわり続ける。

 自分の人生も、変わらず続いていってしまう。




 僕だって、覚悟はしていたはずなのだ。最初から。

 麗衣那と出逢ったときから、別れのときが来ることなんて。

 分かっていたし、覚悟もしていたつもりだった。


 だけど…………。

「……僕は結局…っ、なんの覚悟もできていなかった……っ」



 もっと麗衣那に気持ちを伝えれば良かった。

 毎日美味しいご飯を作ってくれてありがとう。

 楽しい時間をありがとう。

 安らかな夜の時間をありがとう。



 麗衣那が好きだよ。



 いつだってそうだ。

 僕達は失ってから気が付く。

 それがものすごく大事なものだったことに。




 伊勢崎は僕が泣き止むまで、なにも言わずに待っていてくれた。

 そうして伊勢崎は最後に僕にこう言った。

「佐久間なら、大丈夫だろう」

「え……?」

「麗衣那にきっと想いを伝えられる」

 伊勢崎がどうしてそんなことを言うのか、僕には分からなかった。



 僕にはもう、麗衣那に想いを伝えられる機会なんて、ないはずなのに……。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ