第30話 幽霊彼女と最期の……
その日、ついに桜の開花宣言がなされた。
ここのところ急に春らしい温かさが続いており、桜の木の蕾は膨らむばかりであったが、最後のひとつがなかなか花開かずで、ようやく今日、僕達の住む地域でも開花宣言がなされたのだった。
早ければ満開は来週末らしい。
「ついに桜の季節ですね」
夕食後、僕がニュース番組を見ていると、風呂から上がった麗衣那がソファに座る僕の隣へとやってくる。
こたつはつい昨日片づけてしまって、僕達は低いローテーブルを前にソファに並んで座る。
こたつがなくなって、こしあんも自分の座布団の上に戻るかと思われたが、相変わらず僕達の傍で丸くなっている。
麗衣那が来る前は部屋をうろうろとしていて、飼い主である僕の傍に来ることさえ珍しかったというのに、今ではすっかり並んでテレビを見る仲だ。
麗衣那がソファに座ると、こしあんがむくっと起き上がった。
「あら、こしあんちゃんも桜の開花ニュースに興味深々ですか?」
こしあんは僕の太腿を踏みつけて、麗衣那の太腿の上で丸くなった。
「桜、楽しみですねえ、こしあんちゃん」
そうしてこしあんに顔を埋める麗衣那。
麗衣那にすっかり懐いたこしあんは、麗衣那に猫吸いされても、特に気にならないようだった。
そんなようすを、僕は微笑ましく眺める。
麗衣那は今、きっとすごく幸せそうに笑っているのだろうなぁ。
そう思う。
僕の目にほとんど映らなくなった麗衣那は、もうだいぶ輪郭がぼやけて、そこにきっといるんだろうな、くらいにしか視えなくなった。
声ははっきりと聴こえているから、辛うじてそこに麗衣那の存在を確認できるが、そうでなかったら、もしかしたら見逃してしまうかもしれない。
分かっていたことではあるが、やはり寂しい。
幸せそうに甘いものを食べる顔も、少し拗ねたように頬を膨らませて怒る顔も、寂しさを我慢して微笑む姿も。ころころと変わる麗衣那の表情を、僕はもうほとんど視られなくなってしまった。
「少し早いけれど、今週末、お花見に行かないか?」
僕の提案に、麗衣那がこちらにきらきらとした瞳を向けて振り返ったような気がする。
「きっとまだ、半分も咲いていないだろうけど……」
僕達には時間がない。
僕は麗衣那と、どうしてもお花見に行きたかった。
麗衣那が以前言っていたからだ。
「桜が咲いたら、一緒にお花見に行きましょう」
と。
僕はそれを叶えてあげたかった。
それが僕にできる最後の青春の一ページだと思うから。
麗衣那の弾んだ声が耳に届く。
「はいっ!是非行きましょう!楽しみです!」
「お弁当も作って行かねばですねっ」とうきうきした声が聴こえる。
けれどきっと麗衣那も気が付いているはずだ。
僕と一緒に遊びに出掛けられるのは、これが最後だってことを。
「そうだ、麗衣那。この前買ったアイス食べようよ」
「えっ!今ですか!?食べちゃいます!?」
驚きながらも、食べる気満々の麗衣那の声に、僕は思わず笑みが零れる。麗衣那だってきっと食べたかったのだろう。
買って冷蔵庫に入れていたそのアイスは、小さなカップアイスにも関わらず、ひとつ三百円を超える、少々高級なアイスである。
「お風呂上がりのアイス、最高だと思わない?」
僕の言葉を魅力的だと感じたのか、「お風呂上がりの…アイス…!」と小さく繰り返す。
嬉しそうな声に、僕まで嬉しくなる。
「食べたいです!」
「よし、持ってこよう!」
「はい!」
僕は小さなスプーンと抹茶味のアイスを麗衣那に渡す。
麗衣那はどうやら抹茶味の商品が気に入ったらしく、何かにつけて抹茶味を選んでいた。コヒバの抹茶フラッペが相当美味かったんだろうな。
因みに僕はストロベリー味だ。この果肉が入っているのが好きで、このアイスを買うときは必ずストロベリーにしてしまう。
「「いただきます」」
僕達はソファに戻ってきて、並んでアイスをつつき始める。
「んー!美味しいですっ!」
麗衣那が頬を抑えて、美味しさを噛みしめている、ような気がする。
「こっちも美味しいよ。一口食べる?」
「はい、いただきたいですっ!」
僕は一口スプーンによそうと、麗衣那の口があるであろう辺りに、スプーンを向ける。
はむっと麗衣那がそのスプーンに口を付けた。
「ストロベリーも美味しいですね~!佐久間くんも良かったら抹茶どうぞ」
「ありがとう、貰う」
そうして僕も麗衣那から抹茶味を一口貰う。
「うん、うまい」
「ですよねっ」
僕は引き続き自分のストロベリーアイスを食べようとして、気が付いてしまう。
あれ、これって間接キスになるんじゃ……。
麗衣那はそんなことまったく気にしていないようで、アイスがどんどんと減っている。
今更だよな…。
一緒に住んでいて、今更間接キスでどぎまぎするなんて変な話だ。友人間で食べ物のシェアなんて当たり前のことだろう。
ただこうして麗衣那とちょっと贅沢なアイスを食べながらテレビを見るだけだというのに、何故だか酷く愛おしくて幸福な夜だと感じた。
こういう時間をきっと、人々は幸せと呼ぶのだろうなぁ、と他人事のように思った。
「さて、そろそろ寝るか」
「そうですね」
電気を消して、一緒の布団に入る。
最初は女の子といっしょのベッドで寝ることに、あんなにもドキドキして、そわそわしていたというのに、不思議なことに今では麗衣那が隣で寝ていることにとても安心する。
麗衣那と過ごしていくにつれ、一緒に寝ることが当たり前になって、すごくよく眠れるようになった気さえする。
僕はもともと寝付きが良くなくて、だからこそ朝も弱かったわけだけれど、麗衣那が隣にいると何故か安心して穏やかに眠れるのだ。
僕もなんだかんだ言って、本当はひとりが寂しかったんだろうか…。
そんなことを今更になって思う。
こしあんはずっといてくれるけどね。
「麗衣那」
「はい」
僕が声を掛けると、布団がもぞもぞと動いて、麗衣那がこちらを向いたのが分かる。
「今日は星がよく見える」
僕はカーテンの隙間から見える小さな空を指差した。
空が澄んでいるのか、やたらと星が輝いて見えた。
「本当です、とっても綺麗ですね」
麗衣那はもう眠いのか、小さく掠れたような声を出す。
「いつか、天体観測に出掛けるっていうのもいいかもしれないな」
「わ、いいですね、天体観測」
「キャンプ場とかに行って、ただ星を見るっていうのもいいな」
「キャンプ…行ったことないです…」
「最近はグランピングっていうのも流行ってるらしい。キャンプ道具がなくても楽しめるんだそうだ」
「楽しそうです…」
麗衣那の声がどんどんと小さくなる。きっともうほとんど寝ているのだろう。
「麗衣那、おやすみ」
「おやすみなさい…佐久間くん…」
間もなくして、麗衣那の寝息が聞こえ始める。
「寝たか……」
幽霊だというのに、麗衣那は僕達と同じようにぐっすりと眠る。
夢は、みるのだろうか。
麗衣那はどんな夢をみているのだろうか。
「麗衣那……」
僕は眠る麗衣那をぎゅっと抱きしめる。
その姿は透けていても、しっかりと彼女に触れることができた。
柔らかくて、いい匂いのする、温かな……幽霊彼女。
頭を撫でると、なんだかくすぐったそうに微笑んだ。
僕がみる夢は、きっともう叶わない夢ばかりだ。
僕達は、ついに最後の青春の一ページを埋めることになる。




