第29話 大好きなひとたちにさようならを
「へっっくしょいっ!!!」
三月になった。花粉も絶好調で、僕はその日くしゃみばかりしていた。
「大丈夫ですか?佐久間くん」
「うん、ごめん、平気」
ずるりと洟を啜りながら、僕は麗衣那と歩く。
目的地は、逢川家。麗衣那の実家だ。
麗衣那の家は、学校から四十分ほど歩いた場所にあった。
僕の家から、三十分くらいだ。
あの日、僕の家が通り道だと言った麗衣那の言葉は本当だったようだ。
学校から僕の家の前を通って、そのまましばし歩く。
そうしてやってきた麗衣那の家は、馬鹿でかかった。
「ここが、麗衣那の家…?」
「はい」
一軒家とは思えないほどの敷地の広さがあるそこは、普通の一軒家がゆうに十件ほど入りそうだった。なんならいいマンションとか建てられそうな敷地の広さだ。
「ひ、広いな…」
そりゃいいところの企業のご家族の家だ。それなりに大きいことは想像していたが、まさかこれほどとは……。
麗衣那はやはり緊張しているようで、そわそわと落ち着かないようすで辺りを見回す。
死んだ日以来、初めての帰宅だ。
「よし、じゃあ、…押すぞ」
「はい…」
僕は玄関チャイムを鳴らす。
もし僕が入室を断られたら、麗衣那はドアを通過できるので、一人で帰宅する手はずとなっている。
できれば僕も傍にいてやりたいが、見ず知らずの僕なんかを家族が家に上げてくれるだろうか。
玄関チャイムにしては重くピンポーンというよりは、ボーンみたいな低い音がして、インターホンがガチャリと音を立てた。
『はい』
その声は低く、落ち着いた男性の声だった。
「あ、えっと、佐久間 桜士郎と言います。麗衣那…さんの、後輩で、えっと、線香でも上げさせてもらえないかと…」
しどろもどろになりながらそう伝えると、少しの間が合ってそれから返答があった。
『分かりました、どうぞ』
その声と一緒に、門が自動で開いた。
「おお……」
こんなのアニメでしか見たことがないぞ、と思いながら、僕は家の敷居を跨ぐ。
麗衣那も前を真っ直ぐに見据えて、僕の後ろをついて来る。
玄関扉の前に来ると、ガチャッと重そうなドアが開いて、一人の男性が顔を出した。
端正な顔立ちで、目元が涼やかな印象を与える。所謂イケメンではあるのだが、少し冷たそうな印象を受ける。僕と然程歳が変わらないような青年だった。
「こ、こんにちは…」
青年は僕をじっと観察してから、「どうぞ」と僕を中へと招き入れる。
見た目通りの少しぶっきらぼうな態度と言い方だった。
「お、お邪魔します……」
青年の後ろについて、僕は長い廊下を歩く。
隣を歩く麗衣那に、こそっと質問する。
「彼は、誰だ?」
「弟です」
「弟!?麗衣那、弟がいたのか…」
「はい」
こんなに一緒にいるのに、初めて聞く情報だった。
傍にいても、案外まだまだ知らないことってあるのかもしれないな…。
「何か言いましたか?」
麗衣那弟は、僕を振り返って訝しげな視線を向ける。
たしかに言われてみれば、どことなく麗衣那に似ているような…?
「あ、いえ、なにも!」
「そうですか。こっちです」
「あ、はい…」
いや、全然似てないな…。顔はどことなく似ているかな、と思ったけれど、その冷たい態度も、雰囲気もまったく麗衣那に似ていない。
麗衣那は穏やかで優しくて、どことなく天然っぽくて、どうして兄弟でこうも違うのだろうか。
「ここです」
麗衣那弟くんに案内されたのは、仏壇の置かれた大きな和室だった。
洋室の部屋や作りが多い中で、この仏壇の置かれた部屋だけが畳張りの和室だった。
「あ、ありがとうございます…」
僕は仏壇の前へとやってくる。
そこには色とりどりの花と、お茶やお菓子が並んでいた。
そして、奥には美しく笑う、麗衣那の写真が立てられていた。
麗衣那はそれを、無表情で見つめていた。
僕は線香をあげて、手を合わせた。
合わせても祈ることは、やっぱり思いつかなかった。
だって麗衣那はまだ僕の隣にいるし、僕が手を合わせたところで成仏できるわけでもないだろう。
僕が手を合わせている間も、麗衣那弟くんは、僕をものすごく鋭い眼光で見つめていた。
視線で刺されるのではないかと思うほどに、穴が開くほどに見つめられていた。
僕が手を合わせ終わるのを待って、麗衣那弟くんは口を開く。
「…佐久間さんって、姉とどういう関係だったんですか?後輩って言ってましたけど」
「ああ、えっと…」
たしかに後輩ではあるのだが、なんの後輩だろうか?
麗衣那はなにか部活動に所属していたりしただろうか?それなら部活の後輩です、って簡単に言えるのだが、それすらも僕は知らない。
「え、えーっと…」
僕が口籠っていると、麗衣那弟くんは更に僕を怪しむように睨み付けてくる。
そこでずっと黙っていた麗衣那が助け舟を出してくれた。
「佐久間くんは、恋人です!」
「そう!恋人!……って!!は!?!?」
麗衣那の言葉を聞いたまま口走ってしまい、僕は麗衣那を振り返る。
麗衣那は何故だか楽しそうにくすくすと笑っている。
「え……、恋人…?」
麗衣那弟くんは、目を丸くして僕を見ている。
「あ、いや、」
「姉さんに、恋人なんていたのか……」
やばい、これは絶対に怒られるやつだ……、そう咄嗟に思った。
は?お前みたいな平平凡凡の凡人野郎が、姉さんの恋人?そんなわけないだろ、嘘ついて何企んでやがる!違います!誤解です!!
そんなやり取りが脳内に瞬時に浮かんで、僕は頭を抱えた。
くそ、麗衣那、なんてこと言ってくれたんだ……。
しかし麗衣那弟くんの反応は、まったく予想だにしないものだった。
「そうか…姉さんにも彼氏がいたんだ……よかった……」
「え……?よかった?」
僕は思わずその言葉を聞き返してしまう。
麗衣那弟くんは、きつい表情を少し緩めて話し始める。
「姉さん、生きるのが苦しかったんじゃないかなって」
「え…」
「知っているかもしれませんが、うちは両親ともに厳しくて、姉さんはほとんどの楽しいことを知らずに死んでしまったと思うんです。例えば、放課後に友達と遊んだり、部活に入ったり、恋人を作ったり。姉さんは真面目で、いつも両親の期待に応えようと努力していました。優秀な人でもあったから、両親は姉さんにかなり期待していたみたいです。でも、それが本当は苦しかったんじゃないかなって」
麗衣那弟くんは、ちょうど麗衣那のいる方に目を向ける。当然その姿が視えているわけではない。
「僕は一応長男ではありますが、姉ほどなんでもできたりはしないので両親からの期待も薄く、結構のびのびやってたんです。でも姉さんは違う。僕はそれがずっと気になっていた」
あまりに何もしたことがなさすぎると思っていたが、やはり相当ご家族が厳しかったのか…。
「姉さんが死んだ、と聞いたとき、自殺かと思ったくらいです。不慮の事故だったみたいですけど」
麗衣那弟くんは、眉間に皺を寄せながら、それでも少し安心したかのような表情で僕を見た。
「だから、佐久間さんのような人が姉さんにもいたんだって思ったら、少しほっとしました。あんな真面目な姉さんでも、普通の高校生みたいに過ごせていたのかなって」
横の麗衣那に目を向けると、麗衣那は困ったように弟くんを見ていた。
「えっと、今日ご両親は…」
「仕事です。相変わらず忙しい人達ですが、姉さんのことを考えないようにますます仕事にのめり込んでいるみたいです」
「そう、ですか……」
「姉さんの部屋、見て行きますか?」
「えっ」
「特に日記のようなものはつけていなかったようですけど、まあもしよければ」
ちらりと隣の麗衣那を見ると、OKと指でサインを作ってくれた。
「あ、じゃあ……」
僕は麗衣那の部屋に案内してもらうことにした。
麗衣那の部屋は、これまた僕の部屋よりかなり広くて、僕の部屋四つ分くらいか?、でもそんな広さがあるというのに、本棚と勉強机、ピアノが置かれているだけで、他には何もなかった。
あまりに生活感がないというか、殺風景と言うか、女子高生の部屋とは思えない部屋だった。
「じゃあ、僕はリビングにいますので、何かあったら声を掛けてください」
「あ、はい、ありがとうございます…」
そう言って麗衣那弟くんは、部屋を出て行った。
夕陽がちょうど差し込んでいて、部屋全体がオレンジ色になっていた。
「麗衣那」
「はい…」
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
麗衣那は思ったよりも冷静に、しっかりと言葉を紡ぐ。
「まさか麗衣那に弟がいるなんて思わなくて、びっくりしたよ」
「あら、私、話しそびれていましたか?」
麗衣那は少しとぼけたようにそう言った。麗衣那は家族の話をしようとしなかったから、知らないのは当然だ。
「佐久間くん、今日は一緒に来てくれてありがとうございました」
麗衣那は、深々と頭を下げる。
「なんだよ、改まって」
「私、ずっと海威里のことが気掛かりでした」
海威里、というのは、麗衣那の弟くんの名前だろう。海威里くん、というのか。
「私が死んだ後、海威里が辛い思いをしていないかなって、それだけが心配で…」
そうか、麗衣那は自分が死んだ後、弟の海威里くんが自分と同じように青春を楽しめていないのではないか、両親から厳しくされているのではないかと、心配していたんだ。
「両親とは、死んだその日に病室でお別れを言ったのですが、海威里は部活の試合でその場にはいなかったんです。だから、どうしても最後に様子を見ておきたくて…」
最後……か…。
「でも、元気そうでよかったです」
麗衣那はやっと穏やかないつもの優しい表情を浮かべる。
「…僕も、たまには実家に顔を出すことにするよ」
「え?」
僕はずっと実家を避けていた。
小さい頃から僕を信じてくれなかった家族に、ずっと心を閉ざしていた。
けど、麗衣那と海威里くんを見て、僕も会える時にちゃんと会って、たまには話でもしてみようかな、なんて、そんな風に思えた。
家族のことは好きか嫌いか、本当のところはよく分からない。
けれど、そういう気持ちも含めて、家族と話してみてもいいのかもしれない。
いつまでもこの時間が続くわけじゃない。
会える時に会っておいても、いいのかもな…。
麗衣那のおかげで、僕も家族に対して少しだけ、前向きに考えられるようになった気がした。
「さて、帰ろうか」
「はい!」
麗衣那は自分の部屋を見つめる。
「なにか持って行くものある?」
「いえ、なにもありません。大事なものは、もう持っています」
「そうか」
すっきりしたような表情の麗衣那と、僕は逢川家を後にすることにした。
「お邪魔しました」
「またいつでも来てください。きっと姉さんも喜ぶと思うんで」
「はい…」
海威里くんの言葉に、僕は曖昧に頷く。
「それじゃあ、」
僕が軽くお辞儀をして背を向けようとしたとき、何故か身体が軽くなったような気がして、僕は海威里くんの方へと振り返っていた。
そうして勝手に口が開く。
「海威里!恋人いる?」
それはたしかに僕の声で、僕の口から発せられた言葉だった。
「え……?」
一瞬驚いたような表情を見せた海威里くんはしかし、すぐに目を細めて優しく微笑む。
ああ、たしかにこの微笑み方は、麗衣那にそっくりだな、と初めて思った。
「いるよ、彼女。すげー可愛いひとが」
僕の頬は自然と上がっていて、きっと笑ったのだと思う。
海威里くんは嬉しそうに僕達に手を振った。
「麗衣那、僕の身体勝手に使ったのか?」
「あ、いえ!そんなつもりは、…なかったのですが…!」
麗衣那は慌てたように頭をぶんぶんと横に振る。
逢川家からの帰り道、僕達は夕陽を眺めながら歩く。
さっき僕の口から発せられた言葉は、麗衣那のものだ。
「僕、本当に麗衣那に取り憑かれていたんだな…」
「あの!本当にそんなつもりはなくて…!」
麗衣那の慌てようがおかしくて、なんだか笑ってしまった。
「いいよ、別に。今更だろ」
まさか麗衣那がそんな力を持っているとは思わなかったけれど、海威里くんもなんだか嬉しそうだったし、麗衣那の言葉だと、彼なら気が付いたのかもしれない。
「ていうか、なんで恋人いるのか聞いたんだ?」
元気でね、とか、さようなら、とかならまだしも、突然「恋人いる?」ってどんな質問だ一体……。
麗衣那に問いかけると、麗衣那は淡々と答える。
「海威里はちゃんと青春してるのかなー、って思ったんです。この質問が、一番分かりやすいかなって」
「まあ、そうかもね」
麗衣那はそういうことさえ、やはり禁じられていたのか…。
「ってそうだ!さっきの!」
「さっきの?」
麗衣那はきょとんと可愛らしく首を傾げる。
「海威里くんに僕のこと、麗衣那の恋人だって紹介しただろ!?」
「そう紹介したのは佐久間くんじゃないですか~」
「うっ…いやたしかに僕がそう言ってしまったわけだけど、そもそも麗衣那が僕の後ろで恋人だなんて言うからだろ!」
「うふふ、まさか本当にそのまま言うとは思いませんでした」
「こいつ……」
麗衣那は何故かすごく嬉しそうで、未だにくすくす笑っている。とんだおてんばお嬢様だ。
「あ!そういえば佐久間くん!今日はコヒバで新作のフラッペが出ますよ!」
「え、そうなの?」
「はい!桜をイメージした味だそうです!帰りに寄って帰りましょうよ!」
「桜か…どんな味なんだろう…」
「さあ!行きますよっ!」
「あ、ちょっと麗衣那っ!」
僕は麗衣那に腕を引かれながら走る。
その姿も、その笑顔も、限りなく薄く視えた。
 




