第23話 カウントダウン開始
『僕は少しずつ麗衣那が視えなくなっている』
その事実に気が付いてしまったとき、座っているはずなのに、なんだか地面がぐらつくような、視界が揺らいで見えた。
息が苦しくなって、なにも考えられなくなる。
「佐久間くん?佐久間くん、大丈夫ですか?」
麗衣那の声に、僕ははっとする。
そうして視線を動かした先には、ちゃんといつも通りの麗衣那の姿があって、僕は酷く安堵した。
「ああ、うん、ごめん。大丈夫だ。…麗衣那こそ、もう大丈夫?」
「あ、はい。私はもうすっかり大丈夫です」
「そうか、それならよかった」
僕のどこか上の空な返事に、麗衣那はやはり訝しげに首を傾げる。
「よくないです!今度は佐久間くんの体調が悪そうじゃないですか。今日はもう帰って休みましょう?」
泣きそうなくらいに心配してくれている麗衣那の顔を、まじまじと見つめる。
大丈夫だ。僕にはしっかり、麗衣那が視えている。
「分かった、今日はもう家に帰ろう」
「はい」
「でもその前に、少しだけ視てまわりたいものがあるんだ」
やはり、どこを視てまわっても、そこに幽霊の姿はなかった。気配すら感じない。
みんながみんな急にいなくなるなんてことはないだろう。
麗衣那は「そこにはあまり行きたくないです」、と霊がいたであろう場所に近付こうとしなかった。
いたであろう場所、ではない。きっとまだいるのだ。
ただ単に、僕が視えなくなっているだけで。
家に帰ってくるなり、僕は玄関に倒れ込んだ。
「佐久間くんっ!?!?」
霊のいるところをうろうろしたせいで瘴気を浴びたのか、それとも気が付いてしまった事実に、心がついてこなかったのか。
僕はその日、高熱を出して寝込むことになった。
*
僕は生まれつき幽霊や妖怪の類が視える体質だったわけではない。
そうと自覚したのは、十歳になった頃。
友人を、目の前で失ったときからだ。
小さい頃は僕だって普通の子供だった。
当然幽霊なんて視えないし、きっとその頃はそういったものがいることすら、あまり信じていなかったと思う。
そんな幼少期。
僕には親友と呼べる友人がいた。
フルネームはしっかりと憶えていないが、僕は彼を、ようくん、と呼んでいた。
ようくんとは、近所の公民館で出逢った。
夏休みにだらだらとゲームをして過ごしていた僕は、母親に公民館でイベントをやっているからそこにでも参加してきなさい、と叩き出された。
公民館のイベント、と言っても、何か一緒に工作したり、勉強したりと、僕はどうしても行きたくなかった。
渋々公民館の入口にやってきたとき、同じように中に入るのを渋っている男の子がいた。
それがようくんだった。
ようくんは僕よりも一つ上の、小学五年生だった。
中に入りたくないと駄々をこねる僕に、「じゃあ、一緒にどこかに遊びに行こう!」と近くの川に連れ出してくれた。
水遊びをしたり、一緒に魚を釣ったり、水切りをして競ったり、陽が落ちるまで他愛もないことで遊んだ。
そんな日が何日か続いた。
あんなにぐうたらとしていた僕が、うきうきと公民館に行くようすを見て、母も特に言うことはなさそうだった。実際は公民館ではなく、川で遊んでいただけなのだけれど。
夏休み最終日。いつもと同じようにようくんと遊んだ帰り道のことだ。
陽が傾いてきて、帰ろうとしたとき、ようくんはぽつりと言った。
「明日から新学期だね……」
「げ、もう夏休み終わりかぁ」
「…………僕、学校に行きたくないな…」
「え……?」
いつも明るいようくんが、そのときぽつりと零した言葉。
それは僕だって行きたくない。できることならずっとだらだら遊んでいたいし、このまま夏休みが続いてほしいと思う。
ようくんは僕を見て、にこりと笑った。
「今年の夏休みは、すごく楽しかった!桜士郎くんと出逢えてよかったよ」
「僕も!ようくんと一緒に遊べて楽しかった!」
「最後にいい思い出ができて良かった」
最後?
その時の僕は、ようくんが何を言っているのかよく分からなかった。
小学校最後の夏休みかとも思ったけれど、ようくんはまだ小学五年生だし卒業まで一年ある。
「またね!」
僕がそう声を掛けると、ようくんは一瞬間を置いて、「…うん!またね!」と言った。
それがようくんと交わした最後の言葉だった。
僕がようくんから背中を向けたとき、後ろで車の急ブレーキの音がした。
続いて、車が何かに突っ込むような、ボンっだか、ドンっだか、そんな大きな音が聞こえて、僕は思わず振り返った。
僕はそのとき見た光景を、今でも鮮明に憶えている。
フロントガラスが割れた車がガードレールに突っ込んでぺしゃんこになっていて、その車の近くに、おびただしいほどの血が流れていた。
見たこともない大量の血の海に、僕はその場から動けなくなった。
え?何が起きたんだ?事故?
人がわらわらと集まってくる。
僕も恐る恐るその事故現場を覗いた。覗いてしまった。
するとそこには、血だらけで倒れている、ようくんの姿があった。
「ようくん……っ!!!!!」
僕はようくんに駆け寄ろうとして、しかし周りにいた大人達に止められた。
「ようくん!ようくん……っ!!!」
僕がいくら呼んでも、ようくんは返事をしなかった。
目を固く瞑ったままだった。
そうしてそのままようくんは亡くなった。
次の日の始業式。
朝礼で黙祷が行われ、新学期早々、暗い雰囲気に包まれた。
知らなかったけれど、ようくんは僕と同じ小学校に通っていたらしい。
体育館に集められた僕達は、みな一様に校長の「黙祷」という言葉に、目を瞑った。
けれど、僕は何も祈ることができなかった。
僕はただひとり、前を真っ直ぐに見つめ、悲しみよりも、怒りの方が勝っていたと思う。
ようくんは、自ら車に飛び出したらしい。
夏休みのようくんしか知らない僕には、学校や家庭で何があったのか分からない。
それでも、自ら命を捨ててしまったようくんに、僕は憤りを感じていた。
どうして相談してくれなかったんだろう。
どうして自分でなんでも決めてしまったんだろう。
今思えば、そんな僕の考えは間違っていたと思う。
相談したくてもできない状況や、相談しようにも、うまく言葉にできずひとり抱え込んでしまうひともいる。
けれど当時の僕は、ようくんに裏切られたような気がして、彼を許すことができなかった。
それからだった。
僕に霊や妖怪の類が視えるようになったのは。
そこかしこに人間の姿なのだが、なんだかびしょ濡れだったり、血だらけだったり、どろどろとした雰囲気の人がいて、僕はすぐに家族に相談した。
けれど、家族はまったく信じてくれなかった。
「見間違いじゃないか?」「変な映画の見すぎでしょう」と、取り合ってくれなかった。
そのうち僕は、霊が視えることを誰にも言わなくなった。
言ったところで信じてもらえないし、視えたところで、何ができるわけでもない。
急に視えるようになったかと思えば、なんだよ…。
今度は急に視えなくなるのか。
わけの分からないものが視える力なんて、ずっといらないと思っていた。
でも今は違う。
今視えなくなったら、困るんだ。
僕はこれからも、ずっと、麗衣那と一緒に…………。




