第18話 幽霊彼女の気持ち
苦しい…苦しい…っ。
どうしてそんなふうに思うのか、自分でも分からなかった。
うちはとても裕福な家庭だ。
父は日本でも有数の大きな企業の社長さんで、母も名家のご令嬢だったと聞く。
私は小さい頃からたくさんの習い事をさせてもらっていたし、勉強もとても優秀な先生がついてくれていた。
お小遣いも多すぎるほどにもらっていたし、家政婦さんの作るご飯は毎日とっても美味しかった。
何不自由ない毎日を送っていたと思う。
それなのにいつからだったのだろう?
こんなに苦しいと感じるようになったのは。
中学、高校に上がるにつれ、周りは私をもてはやすようになった。
大きな企業の娘だから、とか。少し容姿が整っているから、とか。
父を褒めてもらえるのも、頑張っておぼえたメイクを褒めてもらえるのも、それはとても嬉しいことだったけれど、同時に少し息苦しくもあった。
お嬢様だから所作も美しく、綺麗であるに違いない。
日本を担う大企業の娘なのだから、勉強も常にトップであるに違いない。
スタイルもいいのだから、きっと運動も得意に違いない。
そんな周りのイメージや家のイメージを壊さないよう、私は努力せざるを得なかった。
ナチュラルメイクももちろんいいけれど、本当はもう少し派手なメイクもしてみたかった。
勉強は嫌いではないけれど、同じくらい本を読むことも好きで、本当はもっと読書の時間を取りたかった。
運動は本当は苦手だった。だから必死に走る練習をしたし、庭で球技の練習もした。
家のイメージを壊さないように。
私のイメージを壊さないように。
いつしかそんなことばかりを考えるようになっていた。
放課後は、寄り道をせずに一目散に帰宅する。
厳格な母が、それを許してくれなかったから。
せっかく貯めていたお小遣いも、使い道はまったくなかった。
帰宅してピアノの練習をして勉強して、スイミングに行って勉強して、書道を習って勉強して、そんなことの繰り返しだった。
土日は家庭教師の先生が来るから、一日ずっと勉強で、友人と遊ぶ機会はまったくない。
興味があることはたくさんあった。
メイクももっと練習したいし、みんなが好きだって言ってるアイドルのことだって知りたい。クラスではやっている動画アプリとか、回し読みしてる漫画とか、私にも教えてほしかった。
けれど、クラスメイトに声を掛ける自信もなかった。
一度私に漫画を貸してくれようとした子がいたけれど、「逢川さんはこういうの興味ないよね!ごめん!」と気を使わせてしまった。
本当は読んでみたかったよ。
私もみんなみたいに、普通の女子高生らしいことがしたかったよ。
放課後コヒバでお喋りして、カラオケ行って、テスト前は一緒にテスト勉強して。
彼氏だって、欲しかった…。
親が勝手に決めた婚約者である伊勢崎くんはいたけれど、付き合っていたわけではなかった。
伊勢崎くんは優しいけれど、やっぱりどこか私に気を使っていて、彼も私と同じように息苦しそうだった。
こんなに恵まれた環境にいるのに、なんだか息苦しいなぁ、って思うのは贅沢なことなのかなぁ。
私はもっと、みんなみたいに普通に過ごしたいんだ。
せっかく可愛い制服を着ていても、楽しいことはなんにもなかった。
もっと女子高生らしいことがしたかった。
ただただ穏やかで、友人達とくだらないお喋りがしたかっただけなんだ。
そんなときだった。
私が事故に遭ったのは。
その日もいつもみたいに朝伊勢崎くんが迎えに来てくれた。
「おはよう、麗衣那」
「おはよう」
伊勢崎くんはいつも、俺が麗衣那を守る、とか将来の夫だからもっと頑張らなくてはとか、そう言ったことを言っていて、それを聞かされるのがちょっとしんどいときもあった。
~しなければならない、~でなくてはならない。
ああ、この人も私と同じなんだな、そう思った。
人生ってこんなに厳しいものなのかな?
もっと、少しだけでも、ゆっくりしちゃいけないのかな?
そうして私は気が付けば死んでいた。
自分で自分の遺体を見たのだから間違いない。
「死んだんだ…私……本当に……っ!!」
当然誰にも聞こえていなかったけれど、私は病室内で泣き叫んだ。
こんなにも大きな声を出しているのに、お父様もお母様も、お医者様も私を視てくれなかった。
家や学校に行っても、誰も私を視てくれなかった。
「本当に幽霊になっちゃったんだな、私……」
そんな時に出逢ったのが、佐久間くんだった。
佐久間くんは驚いたようにこちらを視た。
その目はしっかりと私の目を視ていた。
ようやく、ようやくだ…。
私を視てくれる人に、ようやく出逢えた……。
佐久間くんはきっと、このときの私がどれほど嬉しかったかなんて、想像できないだろうな。
このままずっと彷徨っていたら、もしかしたら私は悪霊とかになっていたかもしれない。
そうならず、私が健全な幽霊として過ごせているのは、佐久間くんのおかげなのだ。
*
隣で眠る佐久間くんへ、少しずつ距離を詰める。
佐久間くんの腕に触れると、温かくてとても穏やかな気持ちになる。
「おやすみ、佐久間くん」
私は佐久間くんの腕を抱きしめて眠る。
*
朝起きて、右腕になにかが乗っているような重さを感じた。
若干腕も痺れていて、またこしあんか、と思ってどいてもらおうと寝返りを打つと、間近に綺麗な顔があって息を呑んだ。
僕の右腕は彼女の胸の間にあった。
二つの柔らかなものに挟まれ、痺れながらも幸せそうな腕。
ごくりと自分の喉が鳴ったのが分かる。
いかんいかんと思いつつも、やましい気持ちで見るなという方が無理だ。
「麗衣那、起きてくれ」
そう小声で声を掛けるも、麗衣那は目を開けなかった。
幽霊も眠るんだなぁ…、と現実逃避しようにも、腕に当たる柔らかなものに意識が向いてしまう。
「麗衣那、れ…」
そこで僕は気が付く。
麗衣那の目元に、薄っすらと泣いたような跡があることに。
ここに来たばかりの頃、夜にこっそり泣いていたが、まだ毎日、泣いているのだろうか……。
僕には麗衣那の気持ちなんて到底分かるはずもない。
死んでしまった人が、どんな気持ちで今を過ごしているのか、僕には分からない。
けれど。
目の前で眠る麗衣那の頭を優しく撫でてやる。
死んでしまっている彼女に対して、こんなことを思うのは変かもしれないが。
幸せになってほしい。
そう思ってしまう。
麗衣那にとって、何が幸せに値するのか分からない。
この世に未練なく成仏することなのか、はたまた別のことなのか。
生きていたときにはできなかった楽しいことを、これからも麗衣那にたくさん教えてやりたい。
僕は時折右腕に意識を支配されながらも、今度は二人でどんな青春の一ページを送ろうかと、想いを馳せることにした。




