4.月と太陽の契り
「これがムーンラントよ。1年に1度、1房だけ花を咲かせ、実をつける希少な植物」
そう言ったメリダ教授は、巨大な木の先にたった1つだけ実った蕾を指し示した。
「夜に咲いて、朝方には実が成るのだけど、翌日には腐ってしまうの」
あの後、僕らは温室の奥に案内され、説明を受けていた。何でも、周期的に今夜この花が咲くらしい。
フィズ先生はその実を収穫する役目だったらしいのだが、彼が採取に出たので、代わりに僕らがその役を務めることになった。他の学生はもう帰してしまったらしく、急遽の依頼だ。勿論、賃金有りで。
「フィズにお願いしたのはね、この子の実と混ぜ合わせる蜜なのよ」
「蜜ですか?」
「プロミネンスという植物の茎に蜜が詰まっていてね、それが必要なの」
メリダ教授によると、それらを掛け合わせることにより、とある薬ができるとのこと。
「薬効は?」
エリクが聞いたが、彼女は微笑むだけで、効果は教えてくれなかった。
「それと注意しなくちゃいけない事があるから、よく聞いてね」
メリダ教授はそれだけ言うと、小さく呪文を唱え始めた。非常に長い詠唱だ。しかも印まで切っている。これは呪法だ。学院生では最上級生しか習わない高等技術である。
「 護り 隠せ 」
発動音を教授が唱えると、ムーンラントの蕾が繭のようなものに包まれる。
「蕾に護りの呪いを掛けたわ、でもこれでも不十分なの。花弁が開けば、誘引が起こる」
「誘引とは、何か引きつけられるんですか?」
「スピリット」
「うぇ」
エリクが嫌そうな顔をする。スピリットとは魔物の魂と言われている存在だ。正確には分かっていないが、意思の弱い人に取り付いて、衰弱を引き起こす事例が記録されている。
「プロミネンスは魔物を、ムーンラントは魂を惹き寄せる。そう言われているわね」
「それは……もし寄ってきたらどうすれば……」
「それはね……あら、もうこんな時間!」
突然、校舎の壁掛け時計を見上げると、彼女が慌て出す。
「ごめんなさい、説明してる時間は無さそうだから、これを読んでね、今夜、街で会合があるのよ」
メリダ教授は慌てたように一冊の分厚い本を差し出すと、そのまま、そそくさと立ち去ってしまう。
「え、ちょっと、教授?!」
その場には、僕とエリクだけが残された。
「ありゃ、肝心なとこ教えてくれなかったな」
「うん。取り敢えず、本読んでみようか」
「そうだな」
「え、書いてないけど」
確かに、ムーンラントの記載はあった。しかし、対処法には護りの呪とだけ記されており、他は脚注に小さく、とにかく意思を強くとだけ書かれている。
「うーん。これ大丈夫なのか?」
「どうだろう……でも任されたからにはやり遂げないと」
ちなみにプロミネンスも調べてみた。黄色い花の挿絵があり、人の背丈を越えると記載されている。
こちらは年中花を咲かせており、その太い茎には、魔物を誘引する蜜が詰まっている。
脚注に、採取は命懸けとある。
「見た目はひまわりだな」
「ひまわり?見たことあるの?」
「あーいや、似たような花を知ってるってだけだよ」
「ふーん。これの採取をカリーナ先生に頼む予定だったというのはどういう事なんだろうね」
「あれ、知らないのか?」
「知らないって、何を?」
「カリーナちゃんてああ見えて、学院きっての武闘派なんだぜ」
「またまた冗談を」
「聞いたこと無いか、別離の魔女の話」
「切断魔法の達人だっけ?噂では少し聞いたことある」
「それがカリーナちゃんだな」
「本当に?」
驚いて聞き返す。
「本人は嫌がってたけどな、全然可愛く無いとかなんとか」
「何か、仲良いね。カリーナさんと」
「うっさい。黙れ」
それから僕らは、できる限りの準備をした。ムーンラントの実を収穫する為の足場を土魔法で作ったり、スピリットに効果があるとされる塩を用意したり。灯りの魔法具を置いたりと、こんな状況だが、友人との徹夜作業にはかなりワクワクする。
「ねぇ。エリクはさ、メモリーの魔法でどんな映像?だっけ、撮りたいの?」
一通り作業も終わり、温室のベンチに2人で腰掛けて後は待つだけ。ふと、気になって僕は彼に聞いてみた。
「あーそうだなー。誰も観たことのないものだな」
「なにそれ?まだ開発してないんだから、誰も観たことのないなんて当然でしょ」
「まぁ、そうなんだけどさ、物語の本とかを読んでるとさ、頭の中にイメージが広がっていくじゃんか」
「それは分かるかも」
「でさ、映像がその想像を超えた素晴らしい代物になるとさ、凄い感動があると思うんだよな」
確かに歌劇とか素晴らしい役者やストーリーに感動する事は分からないでもない。
「俺はそれを死ぬまで感じていたいし、世界の人々にもその感動を知って欲しい」
「世界かぁ。僕らに出来るのかな?」
「絶対に出来る」
エリクは断言した。
「人が想像し得る事は実現できる」
「凄い言葉だね」
「俺が尊敬する人の言葉だ」
エリクの目は輝いていた。
人が想像し得る事は実現できる。
うん。好きかもしれない。その言葉。
「じゃあ、付き合うよ。その新しい世界に」
「そりゃあ、助かるな。百人力だ。なんせ学科首席がついてる」
「茶化さないでよ」
エリクはやおら立ち上がると、手を差し出してきた。
「よし、決まりだ。アルフ、お前は世界最初のカメラマンになれ!」
「カメラマンていうのがよく分からないけど……」
「いいんだよ。ほら手を握れ」
思ったよりも分厚い手だった。固く握手をする。
そうして僕らは、誓った。世界を変える。
僕らのこの手で。
変化は突然。
夜も深まり、微睡んでいた僕らの鼻に香しい匂いが届いた。蕾が開花したのだ。
「エリク!起きて!」
「……うーん?」
「咲いたよ!本当に咲いた!」
花弁は5枚、濃い紫の花は芳醇な香りを放っている。
「ほぅ……こりゃあ、綺麗なもんだな」
様々な角度から、ムーンラントの花を観察する。
艶のある花弁の中心には黄色の雄しべ、その周りに白色の雌しべが広がり、調和の取れた美しさがある。
「なんか、想像したよりも凄いかも」
「ははは、あぁそうだな」
エリクが突然笑い出した。
「エリク?どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。ほらアルフ」
そう言うと、魔石を1つ放ってくる。
「記録しとけよ。最初の一枚だ」
受け取った魔石を見つめて、ムーンラントを見る。
そうして、しばらくこの花が一番映える場所を考える。月明かりに映えると思うんだよな。だから出来れば上から、そして……
「ごめん、少しの間、灯りを消してもらえないかな」
「……あぁ、分かった」
土台の上から、月明かりに照らされたムーンラントを記録する。
「開花したムーンラントの記録なんて貴重も貴重だぞ、これで婆さんも喜ぶだろ」
エリクが肩を叩く。
「婆さんて。君は本当に礼儀が……」
その時、視界の隅に何かが映った。
「エリク!来た!スピリットだ!」
「ッライト」
咄嗟にエリクが放った強力なライトによって周囲が照らし出される。
スピリットは球状で半透明の本体に朧げながら顔らしきものが浮かんだ状態で浮遊していた。それが3体。
「さて、婆さんの呪いが効くのかどうか」
スピリットは急速にムーンラントに近づくと、見えない何かに弾かれて後退する。
「よし、花のほうは大丈夫そうだな」
「そうなると、次は近くの術者を探すわけだね」
「来るぞ!」
怨嗟の声を上げながら、僕らの周りにスピリットが展開した。魔法が効かないのは分かってる。塩壺を握りしめて備える。
スピリットが顔の隣で停滞した。口から怨嗟の声を上げ始める。絶望の声。
「なんだ、これ……体の力が抜けてく……」
「耐えろ!こいつらは人の精神力を喰う」
そこからは耐える時間だった。どれだけの時間がたったのかも分からない。
頭で楽しいことを考えようとする度に悲しい出来事だけが頭をよぎる。
僕だけ、なんでこんな、嫌だ。
どうして、助けて……父さん、姉さん……母さん……
意志が折れそうになって隣を見た。エリクはどうして耐えられるんだ。
「こんなんに……負けてたまる、かよ……」
エリクも泣いていた。しかし、その顔は前を見ている。スピリットは嘲笑うがの如く、縦横無尽に飛び回る。
「やっと見つけたんだぞ!」
強い言葉だった。
「俺はこの世界に生まれて、悲しかった。もうあの体験は出来ないんだって思った。でも、見つけたんだ。希望を。大好きな映画を。この世界の人たちにも観てもらいたいんだ。他人の人生を生きて、無限の銀河を旅して、燃えるような愛を感じて欲しいんだ」
跪いていたエリクは立ち上がる。
スピリットが僅かに後退した。
「どれだけ時間がかかったっていい。どれだけ高い壁が立ちふさがったっていい。それもまた面白い!」
スピリットは対抗しようとして声を高くする。
しかし、エリクはもう微動だにしない。
「お前らに喰れてやるよ!俺の溢れる情熱を!」
意志の逆流が起きた。太陽にも似た閃光が放たれ、スピリットたちは苦しんだ表情のまま断末魔の声を上げ散り散りになる。
静寂が訪れた。
「消えた?」
「……ふぅ」
どうやら危機は去ったらしい。二人して息を吐く。
いつの間にか日が昇り始めていた。ふと、ムーンラントを見ると、花弁の下に真っ白な果実が実っている。
「あ……」
「おー」
ふらふらと近づき、手を伸ばして、実をもぐ。
「それがムーンラントの実か」
瓜のような見た目で、どこにでもあるような果実。
「やったなアルフ」
「なんか凄い疲れた」
「そうだな。来年も頼まれたら、即断る自信があるよ」
「僕もだよ。それにしても、これどうすればいいんだろ」
持て余したムーンラントの実を眺めていると、温室に誰かが入ってきた。
「あら、無事収穫できたみたいね」
メリダ教授だ。その柔和な笑顔を見ると安心からか、涙が出そうになる。
「スピリットにやられて今日一日はベッドの中かと思ったけれど、中々やるじゃないの」
そう言って、僕らの頭を撫でてくれる。亡くなった祖母を思い出した。生きていたら、こういったこともしてくれたんだろうか。
「あの、教授。お見せしたいものがあります」
僕は魔石を見せて、メモリーアウトを唱えた。
月明かりに照らされたムーンラントの花。
「あらまぁ、この魔法は?」
記録魔法メモリーについて、仕様と詠唱をメモした紙片を渡す。
「これを使用すれば、様々な植物の記録をとっておけます」
「まぁまぁ、ねぇ、これ凄い魔法だわ!」
メリダ教授は興奮した様子で紙片を握りしめると僕を抱きしめた。
「ちょっとメリダ教授?!」
「やだ、ごめんなさい。私、ちょっと驚いてしまって……あ、そうだわ」
彼女は思い出したかのように、懐から2つの巾着袋を取り出す。
「忘れないうちに、はい、約束の報酬よ。本当にありがとう」
僕らはそれぞれ受け取ると、手を振る教授を後に温室を退室した。3年生になったら、魔法薬学を選択してもいいんじゃないかと思うほどには、興味深い体験が出来たと思う。
「中々出来ない体験だったな」
「そうだね。もうスピリットはこりごりだけど」
2人で外縁から学院本舎への帰り道をとぼとぼと歩いていた。今日は休みだから、のんびりだ。
「あ、そういえば」
「どうしたの?」
「結局何の薬に使うか教えてくれなかったな」
「あーなんだろうね。媚薬とか?」
「あの婆さんがか?」
「2つとも誘引効果があるものを重ねてるから、それぐらいしか思い浮かばないな」
「んー、でも危険を冒してまで、手に入れたいものだからなぁ」
「あ、それで言うと、フィズ先生大丈夫なのかな」
「あー、あれだけ自信満々だったからな、あの人も戦えるタイプの魔法使いなんだろう」
「そうだね、僕らが心配することじゃないんだろうけど……」
その時、外縁のさらに外、タイ・オー山に連なる森の方から、大きな音が響いた。
「なんだ?」
外縁に沿うように建てられた土柵越しに、奇妙なものが見える。
触手の生えた、頭?
「嫌な予感しかしない」
「同感だ」
「助けてくれぇ!」
柵を飛び越えて、人影が飛び出してきた。
フィズ先生だ。手に籠を抱えている。
「危ない!」
誰の叫びか。次の瞬間、土柵は巨大な棍棒で粉砕される。
姿を現したのは身の丈が人の倍はありそうな、巨大な人型。
「タイトロールだ!」