お姉ちゃんの邪魔をした理由
はじめにいくつか言っておく。
これは、紙に書かれた芝居である。劇場のオーナーは読者である諸君だ。もちろん、演出もキャスティングも諸君らに委ねよう。なんと贅沢なことだろう。
筆者の描写は雑である。いちいち登場人物の姿なんぞ描写しない。せいぜい美しいとか、華奢な、とか、あるいはゴリマッチョな心は乙女は、止まりである。
そうそう、これも言っておく。『?』は英語の疑問符じゃなくて、漫画の『?』である。突然、文脈に合わない疑問符が現れた場合は、『え、マジで言ってる?』『え、わっかんねぇかな?』あるいは、『え、知らないの? こうゆう意味よ?』『おい、てめぇ、わかってんよなぁ?』的に機能するじつに便利な圧縮ワードだ。マンガ疑問符バンザイ。それから、『識る』と書いて『しる』、『微笑』と書いて『わら』、『演奏』と書いて『や』、『呪』と書いて『シュ』、この物語の独自ワード『神爪』二字なら『ツメ』、四字なら『シンソウ』と置き換えて欲しい――じつに便利だ。ジャパニーズサブカルチャー圧縮ワードis『ルビ』。お陰で、表現は最小に雑に済む。ビバ、サブカル圧縮ワード。どうぞ、それらを適宜読み取っていただきたい。
はじめにいくつか言っておく。これは神代の物語。もっともモミアゲに不思議な8の字ヘアーは登場しない。もちろん、貧相な古代ファッションなんかもだ。あれらは、記紀が成立した年代で流行っていたから、その年代のファッションが反映されていたのだと筆者は判ずることにする。それから、名前についても言っておく。筆者はテンポの良い文章が好みである。故に長い呼び名は採用しない。たとえば、八意思金神。長いのでシキンとか省略する。頼れるネット先生が居る昨今、調べることなど雑作もない。筆者は博識とは言わないが、無知でもないのだと言っておく。
いまひとつ。素戔嗚尊さまと言えばヒゲ面のムキマッチョ――斯様な固定観念は、わたしのこの芝居を観劇する際には捨てて欲しい。本劇の主人公は、中学校一年生くらいの愛くるしい少年だ。もちろん、不思議ヘアーはキメていない。ヒゲなんぞ生えちゃいないし、ムキムキでもありやしない。貧相古代ルックもキメちゃいない。主人公の姉も腰まで伸びたロングヘアー。もちろん、とっても綺麗な美人さんだが、そこは読者が自由にキャスティングしていただいてかまわない。
さぁ、タイトルコールのお出ましだ。それでは物語を始めよう。
これは、一人の少年がヒトリマエの大人になるまでの物語。
畦道に立つ女性が、
「お姉ちゃん、これは根腐れ起こすからヤメろって」
その美しい姿と、とても優しい笑顔とは裏腹に、
「言ったよなッ! なッ?」
とても低く、底冷えしそうな冷たな声音に、
「ね、姉ざまッ? ななかっ中身出ちゃうぅぅ」
「あと、くっせぇからッ! これッ!」
自身より頭二つ分ほどの背丈の低い少年のことを叱りつけていた。
「全力でアイアンクローは…」
そうアイアンクローで少年の視線を自身の視線にあわせるように吊し上げながら…
「…ヤメて、ヤメてくださいぃぃ!」
「お姉ちゃんいつも言ってるよね? お話してる時は相手の目を見なさいって」
少年の視線は彼女のタナゴコロを捉えている。しかし、声音は容姿に見合った優しげなものへと変わっている。
「こ、心の目ぇッ! 心の目で見てますからッ!」
そう理不尽――これは理不尽そのものだが躾である。故に、
「あれれ? スサくんのオメメはお顔にないのかなぁ?」
スサの姉であるテラスは、速やかな謝罪に移行しない弟を吊るす手にいっそうの力を籠め始めた。それに彼女は、
「心にオメメがあるなら、お顔のオメメは…」
「ご、ごめんなさいッ! あっ、謝りますぅ。おっ、お顔のオメメ大事ですからッ! つぶ、潰さないでッ!」
曲がったことが大嫌い。嘘や屁理屈の類いを病的なまでに嫌うタチにある。
姉の逆鱗に触れたを瞬時に悟ったスサは即座に謝罪の言葉を口にし、
「も、もう許して姉さまぁ…」
泣く。この姉への抵抗手段は、全面降伏以外に存在しないことをスサは知っている。
苛立ちを吐息に捨てて、テラスはスサを解放してやる。
ストンと畦道に足がついたことに安堵の吐息をつきつつ、両のコメカミを諸手でさすりながらスサは涙目の上目遣いに姉へと臨む。テラスは胸の前で腕組みをしてスサの釈明を待った。
「と、トライアンドエラーって…」
恐る恐る言葉を紡ぎ始めたスサへ、
「トライもエラーもしています。もちろん、それらを記録もしていますよスサ?」
テラスは容赦なく言葉を被せてくる。
「そ、それは姉さまの経験であって、ぼ」
「スサぁ?」
ヒッ――と、小さな悲鳴をあげてスサは肩を震わせるが、
「それは、ぼ、おれの経験じゃありません! それでは学びを得られない、と、思った、んですぅ…」
尻つぼみな釈明の言葉を絞り出す。
テラスは己の髪を乱雑に二掻き、
「埋めるよ。手伝いな…」
深いタメ息に諦めを流し、目をギュっと固く瞑って怯える弟の髪を乱雑に掻き乱し、自ら鍬を手にとる。
「おれって一人称、あんたにゃ似合ってない」
スサも鍬を手にとり、肥を流した畔へと土を運ぶが、
「そ、そんなことないもんッ!」
テラスの一言へと抗議を籠めた涙目で噛みついた。
「お姉ちゃん、粗野なヤツ嫌い。あとチャラいヤツ。具体的にはツクヨ」
ツクヨとはテラスの弟で、スサの兄だ。典型的なオレさまタイプだが、
「チャラいところは、ぼ、お…ぼくも嫌いです」
「あっ、もうヤメちゃうんだオレさまキャラ」
「あ、兄さまにも尊敬できるところはありますから」
弟に幻滅まではされていない。
「そ」
「そ。です」
しばらく黙々と手を動かし、
「それで?」
「決めてますよ」
沈黙を破ったテラスの問いへ、微塵の怯えもない声音に、
「と言うか、はじめから揺らいでいません」
スサは答えた。
「そ」
「そ。です」
「お姉ちゃん、嫌いなタイプ増えちゃったかも」
と呟く姉へと、
「そ。ですか」
と、スサは流し。
「そ。です」
と、テラスも流した。
これ以上は諍いになる。
そう判じてスサとテラスは口を噤んで畔を埋め、肥えの薫らぬ畔を掘る。