逃げた先で知るお母様の出自
シャーリーにドレスを着せてもらって、メイクをしてもらってる最中に扉がバンっと開かれる。振り向けば、タイガが息を切らして立っていた。
「タイガ」
「シフォン様、一緒に逃げよう」
「お父様たちの役に立つ、唯一のチャンスだもの。無理よ、タイガ。それよりも、バレたら怒られるわ」
タイガは使用人の子供らしく、いつも私のベッドから見える木の上で遊んでいた。小さい頃、たまたま窓を開けていた時に、木にいるタイガに気づいて話しかけたのが私たちの始まりだった。
タイガと一緒に空を眺めながらお話をしたり、動けない私に色々な花や鳥、虫も捕まえてきては見せてくれた。タイガは貴族ではないけど、かけがえのない私の幼なじみで親友。
「タイガに最後にあえて良かった」
「最後にしない。一緒に逃げる」
「逃げると言ってもどこへ?」
「俺の国に行こう。シフォン様を俺なら守れる。幸せにできる」
「タイガの国? タイガはこの国の人じゃなかったの?」
初めて聞く話に、目を丸くすればタイガはシャーリーと私を見比べて口をつぐむ。シャーリーも知らなかったようで、首を傾げていた。
「とにかく、俺と一緒に行こう」
「ダメよ、お父様たちをこれ以上困らせられない」
「シフォン様の幸せはどこにあるんだよ!」
「私は、幸せよ。役に立てるってことがわかって」
嘘ではなく、本心だ。それでも、走り回ってみたかったし、ドレスもこんなブカブカに浮いた醜い状態ではなく、お姉様のように着こなして見たかった。とは思う。思うだけ。だって、家のためにできる唯一のことが決まって、嬉しいんだもの。
タイガがドンっと強く膝を叩いて、涙を浮かべる。泣き虫なのは昔から変わらない。誰かと喧嘩をした、怒られた、と良く木の上でメソメソ泣いていた。
「私が居なくなったら、自分で立ち直るのよ」
「居なくならせない」
「タイガ……」
私をぎゅっと抱きしめてタイガがぐすんっと鼻を啜る。やけに熱い体温に、ジュウっと体が悲鳴を上げた。パッと離れてタイガが私を持ち上げる。
「シャーリーさん、おせわになりました。迷惑を掛けます、ごめんなさい」
タイガがぺこりとお辞儀をしてから、私を抱き上げたまま走り出そうとする。お父様とお姉様がちょうど部屋に入ってくるところで、鉢合わせてしまった。
「何をしてるんだ! このガキ!」
「シフォン様は幸せになる権利が、ある! お前らなんかに、シフォン様を預けていたのが間違いだった!」
啖呵を切ったかと思えば、タイガはぐるるるっと喉を鳴らした。お姉様の悲鳴を聞いて、執事やメイドが部屋に集まってきてる。
「タイガ、もうやめて。あなたが怒られるわ」
「やめない。俺は、シフォン様を幸せにするって約束したから」
「そんな約束してないわよ」
「シフォン様は目を瞑ってて」
そんな約束をした記憶は、全くない。タイガの言ってる意味がわからなくて、もう一度タイガを、止めようと口を開けば、タイガが走り出した。
お屋敷からだいぶ離れた。気がつけば、王都の門まで来ていた。高く聳え立つ壁を見上げて、家の外の初めての景色を目に焼き付ける。もう二度と見れないかもしれない。
「タイガ、もういいわ。ここまで来れただけで、私は……」
言いかけた私の言葉に、タイガは首を横に振って近場の建物の屋根に飛び乗る。高く見えていた壁も、屋根の上からであれば、家の前の門くらいの高さに見えた。
「舌噛むから喋っちゃダメ」
「飛ぼうとしてるの? こんな高さを?」
「舌噛むってば」
両手で口を押さえて、黙りこくる。タイガはそれを見て、ふふっと笑って本当に飛び上がった。門を軽々と超えて、目に映るのは広がる草原。山。道を走り抜ける馬車。全てが、本の中でしか見たことのない色、世界。
胸がどくん、どくんっと強く脈打つ。頬に吹き付ける風がひんやりとしてる。空を動く雲の柔らかさが、風に乗って自由に飛び回る鳥が、全てが、私にとって新鮮だった。
「……タイガ、世界はこんなに広いのね」
「シフォン様、無理矢理ごめんな。それでも、我慢できなかった」
「私は」
「戻りたいか?」
戻りたい、か。実家の喧騒を思い出して、悩む。このまま死ぬくらいなら、家の役に立って死にたかった。それでも、戻れば……私はもうどうなるか分からないだろう。迎えに来ていたはずの公爵家の御者から、嫁ぐ予定だった旦那様にも、きっと私が逃げたことは伝わっている。
今更帰ったところで、きっと婚約の話は頓挫しているし、役にも立てないだろう。そして、戻れば確実に、お父様とお姉様からの躾が待っている。
背中の傷が痛んだ気がして、タイガの腕の中で背中にそっと手を回す。骨と皮だけの醜い私の体。そこに刻み込まれた躾の跡は、嫁ぐまでの一日では治らなかった。
戻ったところで、ただ床に伏せって死ぬだけの未来を待つくらいなら……お父様とお姉様のことだけが気がかりだけど。
「どうせ死ぬなら、見たことのないモノを見てみたい」
「シフォン様……」
「タイガの国って、どこなの?」
「ヒノデというんだ」
「聞いたことないわ」
「シフォン様は知らないかもな」
ヒノデ。口の中で繰り返してみれば、柔らかい音が心地よい。懐かしい音で、つい何度も口に出してしまう。
「タイガの国に行ってみたら、私は受け入れて貰えるかしら」
「当たり前だろ」
「そう……行ってみたい。タイガの国、ヒノデに」
「急ごう。まだ、温かいとはいえ夜は冷える。シフォン様の体には、きついだろう」
タイガが私を抱えたまま、風を切って山を進む。すれ違う生物たちは、タイガのスピードに、ぎゃあっと驚いて散っていく。様々な生き物がいると思いながらも、見てる余裕がないほどスピードを上げていく。
タイガが、息を切らして付いた先には、見たことのない建物や赤色に染め上げられた門がそびえ立っていた。
「ここが、ヒノデ?」
「あぁ、俺の国だ」
「タイガの国なのね」
門番らしき男の人たちにタイガが何かを見せて通る。門の中ではたくさんの人々が行き交い、活気付いていた。タイガと同じように額に小さいツノを蓄えた人。もふもふのしっぽを携えた人。色々な人がいるが、わたしの着てる服とは違う服を着てる人たちの方が多い。
「あれはなんていうの?」
一人の男の人をこっそり指させば、タイガは「ジンベイだ」と答える。初めて聞く音に、繰り返す。言葉ももしかしたら、ここの国は違うのかもしれない。私が話してる言葉は、大陸共通語だけど……街の人々の話に耳を傾ければ、大陸共通語もあれば聞き馴染みのない音もある。
「とりあえず俺の家に行くか」
タイガが少し嫌そうな顔をして、私を抱えたままゆっくりと歩き出す。すれ違う人たちは、タイガの顔を見上げて驚いたような表情をしていた。
* * *
他の建物よりも豪華絢爛に見える建物の前で、タイガが立ち止まる。ふぅっと深いため息を吐いてから、扉を足で蹴り上げた。
「帰ったぞ」
「タイガ? タイガなのか!」
「おかえり、タイガって、その子だれ?」
タイガと同じようにツノを額に蓄えた人たちがわらわらと大人から子供まで集まってくる。タイガの腕の中で恥ずかしくなって縮こまれば、それぞれ私の顔を覗き込む。
「邪魔くせぇ! 見んな! 見せ物じゃねぇ! 母さんは?」
「母さんなら、お出かけ中だぞ」
ドシンという音を鳴らしながら、階段を降りてきたのはタイガよりも一回りも大きそうな赤色の肌の男の人だった。その人は私の顔を見るなり、片膝を床について仰々しくお辞儀をする。
「アカネ様に、そっくりだ。トウガと申します。シフォン様」
久しぶりに聞くお母様の名前に、目を開く。この方は、私のお母様を知ってる。
「私のお母様をご存知なんですか」
「母さんが帰ってくるまでに、説明する。父さん、シフォン様を休ませたいから、まず部屋に」
周りの様子を窺ってから、タイガは目配せをした。ん? 父さんって言った? この人がタイガのお父さん……? タイガは使用人の息子だったんじゃ……
「そうだな、シフォン様。こちらです」
「あの、様なんていらないです」
「そういうわけにはいきません」
私は貴族令嬢だけど、その義務は果たしていないし、様付で呼ばれるような人間ではない。
トウガさんの案内で一室に入れば、扉をバタンと閉められてベッドの上にふわりと下ろされた。天蓋の付いたベッドは私の使っていたものよりも数段質がいいのだろう。さらりとしたシーツと、ふかふかのマットレスだ。
「で、タイガ。シフォン様を連れて急に帰ってくるとは、どうしたんだ」
「あいつら、シフォン様を勝手に変態ジジイに売りつけようとしたんだ」
「はぁ……そういうことか」
トウガさんがため息混じりにつぶやく。作られた表情は険しい。二人のやりとりに割り入るのは申し訳なく思いつつも、声をかける。
「あの、お母様と知り合いなんですか?」
「アカネ様は、我らが赤鬼一族が仕えるシゲン家のご令嬢だったんですよ。まぁ、家出をして、人間のところに勝手に嫁いでしまわれましたが」
シゲン家……聞いたことのない名前だ。お母様の過去を聞くこともできずにここまで生きてきた。お母様については知らないことばかりだ。
「えっとタイガは使用人の息子じゃなかったってこと?」
「アカネ様に支えていた父さんの息子だから、間違いではないよ」
「でも、えっと、ん?」
「アカネ様が家出したとはいえ、狙われる可能性も合ったから護衛がわりに嫁ぐ時に数人着いていったんだよ」
つまり、タイガはお母様に仕えていて、その流れで屋敷に居たってことで。狙われる可能性……?
「シフォン様はまだ知らなかったね。シゲン家の人間は大代々幸運を運ぶと言われているんだ。ザシキワラシというのの末裔らしくてね」
「幸運を運ぶ……?」
「そう、家に幸せを運ぶと言われていて、まぁ実際、シゲン家の人間が居る家は栄えるんだ。だから、あの家だって栄えていただろう。アカネ様がいる間は。いや、そうか、シフォン様は栄えていた時代を知らないのか。元々はただの男爵だったあの人が伯爵にまでなれたのは、アカネ様の幸運を運ぶ力のおかげだよ、なのに、あいつときたら……」
はぁあああとタイガがため息を吐きながら説明をしてくれた。お父様は、お母様以外に愛人がいたらしい。お姉様が私に冷たく当たっていたのは、お母様が私のせいで亡くなったから、ではなく。お姉様はお母様の子でもなんでもなくて、愛人の子だったから。だそうだ。
お母様が亡くなったことをいいことに、お父様が引き取ろうと会いに行ったは良いものの、お姉様のお母様もすでにご病気で亡くなっていた。それをお姉様は、私のお母様がこの家にいたせいで、お父様が会いにこなかったから、病気を治すこともできず……だったと思っているらしい。
タイガが見てきたかのように語るから、真実のように聞こえるけど。
「シフォン様は知らないだろうけど、隠密も居たんだよ。まぁ、後でこっちに帰ってくるよ」
「シャーリーは?」
「シャーリーさんは、普通の人間だよ」
「そう……」
もしかして、と思ったけど違ったらしい。隠密。想像も付かないけど、色々調べてくれていたそう。
「暴力からは守れなくてごめん……追い出されてシフォン様のそばに居られなくなったら何もできなくなっちゃうと思って……早く止めたかったのに」
悔しそうにぐっと唇を噛み締めて、タイガは涙を目に浮かべる。思ってくれていた人がいるという事実だけで、私は嬉しい。
「ただいま、帰ったぞ! タイガ!」
扉がパンっと開いて、キレイなお姉さんが部屋に入ってきた。長い黒髪を靡かせて、私を見つめて目をきらめかせる。
「アカネ様にそっくりじゃないか! シフォン様、か? ようこそ我が家へ! 赤鬼族代表のアカリだ、よろしくな! アカネ様からフタ文字もらった正真正銘のアカネ様の忠臣だ!」
ハイテンションなアカリさんは、私の頭を優しく撫でてた後、布団越しにぎゅっと私を抱きしめた。
「母さん! シフォン様は体が弱いんだから! 火傷しちゃうだろ!」
「布団越しだ、安心しろ! 辛い思いをさせてしまって申し訳なかった、これからは大丈夫だから」
優しい声色に、お母様を思い出す。色とりどりの壁も、みんなの着てる服装も、何一つ知らないもののはずなのに、こんなに温かい。
そういえば、いつもだったら起き上がってるのすらきつくなってくるのに、今日は、何故か大丈夫だ。
「シフォン様、ごはんを今用意させます」
「あ、いえ、あの私……」
「タイガからの連絡で聞いてるから、大丈夫だ! シフォン様も食べられるようにスープをメインに用意させる」
「ありがとう、ございます」
ぺこりとお辞儀をすれば、トウガさんもアカリさんも頭を優しく撫でてくれる。タイガは安心したようにぐーっと伸びをして「さすがに疲れたから寝る」と言って、私の布団の上に顔を突っ伏して寝始めてしまった。
トウガさんは「いってくるな!」と部屋を飛び出していき、アカリさんはベッドの横のイスに座り込んだ。私はシゲン家の血を引いているのに、家に幸運を運べなかった。本当にお母様の子なんだろうか。
タイガの説明を脳内で考え込んでいれば、アカリさんが察したように口を開く。
「まだ、ザシキワラシの能力に目覚めていないんだろう」
「目覚めるっていうのがあるのですか?」
「アカネ様は、男爵だったシフォン様のお父様と恋に落ちた時に、胸の中で花が開く感覚がしたと言っていた。そして、それが能力の開花だとも」
「私にもいつか目覚めるということですね」
私の力が開花するなら、タイガやシャーリーのためになって欲しい。私を助けてくれていた人たちだったから。お父様の愛人の話や、本当の話をタイガに聞いてから、家族への思いがどんどん薄まっていくのがわかる。
愛してるから育ててくれていたと、思い込んでいた。でも、お父様からしたら私はどこかへ嫁入りさせる道具でしかなかった。タイガからの話だけなのに、信じてしまう程度には、お父様の私への扱いはあまりにも、トウガさんやアカリさんとは違いすぎる。
きっとこの温もりが本当の優しさ……
「目覚めるわよ、大丈夫よ」
「持ってきたぞー!」
トウガさんが持ってきたおぼんには、白いつぶつぶ、海藻と白い正方形が浮いた茶色のスープ、それに、魚を焼いたものが載っていた。どれもこれも初めて見るもので、戸惑っていればスプーンとフォークを渡してくれる。
木の枝のようなものが二本添えられているが使い方はわからない。
「スプーンとフォークを使えばいい。箸も使えるならと思って持ってきたが、無理には使わんでいい」
「ありがとうございます」
せっかく用意してくれたご飯をまた、いつもみたいに戻してしまったらどうしよう。不安で胸がバクバクと鳴る。タイガのご両親だもん、私にひどいことはしない。わかっているのに、うまく手が動かない。
「こんな見てたら食べにくいよな、私たちは出ていくから、ゆっくり食べるといい。冷めるだろうけど、タイガの分はここに置いておくから起きたら伝えてくれ」
「あ、はい、ありがとうございます」
トウガさんとアカリさんはもう一度私の頭を撫でてから、部屋を出て行った。そっとスプーンで白いつぶつぶを掬い上げる。一口試しに食べてみれば、ほんのり甘い。それ以外の味はしないけど……
スープを啜ってみれば、魚のダシだろうか? 海藻はちゅるんっとしているし、白い四角形のものはすぐに崩れるくらい柔らかい。おいしい。久しぶりにまともなものを口にできた。少し待ってみるも、いつもみたいな気持ち悪さは起きない。
焼かれた魚をフォークで崩して口に運んでみれば、塩味が口の中に広がった。食べれることが嬉しくなって、パクパクと食べていれば、いつのまにか起きていたタイガが嬉しそうに私を見つめている。
「食べれたな」
「おいしいよ、ちゃんとした固形物、私、食べられるんだね」
嬉しさから涙がぽつりとこぼれ落ちていく。あんなに受け付けなかったのに。ここのごはんは、温かくて、優しくて、おいしくて、私の体が拒否しない。
「俺も久しぶりの和食食おっと」
二人で向き合って、一口一口感想を言い合いながら食べ進める。
「この白いつぶつぶは何?」
「オコメっていうんだって」
「オコメ。ほんのり甘いと思ったけど、焼き魚と合わせると、おいしいわね」
「だろう?」
「この茶色いスープは? あとこの白い四角形も」
「ミソシルとトーフだ」
ミソシルとトーフ。やはり、知らない食べ物だ。ベッドの上で何冊も読んだ体にいいとされる本にも載っていなかった。体の隅々まで栄養が染み渡っていく感覚がする。
「とてもおいしかった、ありがとうタイガ」
「少しずつ、体になっていくといいな」
「……私、もしかして、死ななくていいの?」
「これだけ食べれれば、大丈夫だろ」
出してもらったごはん、全て平らげてしまった。いつもスープを数口飲み込むだけで精一杯だったのに。ここのごはんならいくらでも食べられる気がする。
「これから、いっぱい食べて、いっぱい元気になって、幸せになるんだよ、シフォン様は」
「私、幸せになっていいのかな」
「当たり前だろ。それに、アカネ様の願いでもあるから」
「お母様の?」
「亡くなる時に、約束したんだ。シフォン様を絶対幸せにする、って」
タイガが約束した、とあの時口にしていたのは、お母様との約束だったのね。私には、記憶がなくて当たり前だ。
「ほら、ゆっくり休め」
「うん、連れてきてくれて、ありがとう、タイガ」
ゆっくりと目を閉じる。体がいつもより軽い気がして、すぐに眠気が襲ってきた。