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もう見てられない


 幼なじみのタイガが、私を抱き上げて走り出そうとする。お父様もお姉様もそれを見て私の髪の毛を掴んで引き留めた。ここで痛いと言えばきっと、また怒られてしまう。


 ぎゅっと唇を噛み締めて痛みに耐える。グルルと獣のような鳴き声がして、顔を上げる。タイガのおでこに、ちょこんっと小さい二つのツノ。私と同じくらいの身長だったはずのタイガは、私を包み込むくらい大きく見える。


「タイ……ガ……?」

「シフォン様を離せ! 恩も義理も知らぬ人間がっ!」


 パッと髪の毛が離されて、私はタイガの腕の中にすっぽりと収まる。包み込まれた体温は火傷しそうなくらい熱くて、額から汗が噴き出てきた。そっとタイガが地面に私をおろしてから、上着を脱いで私に被せた。


「少しだけ、少しの間だけ我慢して」


 上着越しに持ち上げられれば、熱さはほんのりと布越しに伝わる程度になった。お父様もお姉様も腰を抜かして座り込んでいるけど……私は、一体どうなってしまうのだろう。


 私を抱き上げたまま、タイガが走り出して閉まっている門を高く飛び越える。お父様が「追え!」と言う声が聞こえた。タイガの腕の中からそっと覗き込めば、執事もメイドも、ただ怯えたふりをして追いかけるそぶりもない。


 いつもこっそりスープを運んで来てくれていたシャーリーの口が「お元気で」と、動いているのだけはわかった。


*  *  *


 バンっという大きな音ともに、やけに機嫌の良さそうなお父様が部屋に入ってきた。こほんっと乾いた咳が出たのをごまかすように、唇を押さえる。いつもなら「嫌味のような咳をしおって」と怒られるところだけど、本当に今日は機嫌が良いらしい。


 後から入ってきたお姉様が、釣書を掲げながら笑い声を上げる。


「お前の嫁ぎ先が決まったわよ」

「身体も悪い、子も望めないだろう、お前でも受け入れてくれる方がいたんだ! もっと嬉しそうな顔をしろ!」

「お父様があつらえてくださった婚姻が不満なの? 何もできないくせに、要求だけはご立派ですものね」

「いえ、そんなつもりは……」


 お母様が私を産んで亡くなったからだろうか。お姉様は私を嫌っている。お父様は、嫌ってるわけではないだろうけど、邪魔に思っている。


 それもそうだろう。私は何を食べても戻してしまい、そのせいで体も弱く何一つ一人でこなすことはできないのだから。ただお金だけの掛かる金食い虫。お父様とお姉様から何度も言われた言葉は心を蝕んでいる。


「ありがとうございます、お父様……」

「公爵様は、御年八十歳……まぁ少々年齢差もあるようだけど、お前でも良いというのだから、ありがたく嫁ぎなさい」


 ベッドに座り込んでいる私に、投げ捨てるようにお姉様が釣書を渡してきた。開いてみれば、おじいちゃんと言えるような見た目の方。それでも、金食い虫の私を受け入れてくれるという奇特な方なんて、この先見つからないだろうことはわかる。


「明日には迎えにきてくださるようですから、身を整えて……と言っても無理よねぇ。まともに動けすらしないんだから」

「送ってくださったドレスがあるから、それは最低でも身につけるんだ! 公爵様の邸宅に着いたら、すぐさま支援金を送ってもらうように伝えるんだ、それくらいできるだろう? 金食い虫のお前が、初めて役に立てるんだ、わかるな?」


 ぽんっとお父様の手が肩に置かれる。太い指輪が、肩に食い込んで痛みが広がっていく。痛いと声に出せば、激昂して、また「お前は!」と始まることだけはわかっていた。


 ぐっと唇を噛み締めれば、メイドのシャーリーが恐る恐る部屋に入ってくる。


「旦那様、お食事の準備が整いました」

「あぁ、これにもいつものを出しておけ」

「はい」

「お前の辛気臭い顔を明日から見なくて良いと思うと、やっと人生が明るく見えてきたわ。本当に存在自体が迷惑なんだから」


 やれやれと手を振ってお姉様が部屋から出ていくのを見届ける。楽しそうに学校に通っているお姉様が、私は羨ましかったのに。舞踏会に参加するため、ドレスを身に纏ったお姉様に憧れを抱いていたのに。私はいつまでも、迷惑な存在でしかなかったのだと思うと、じんわり涙が浮かんできた。


 できるだけ邪魔にならないように。できるだけ、癇に障らないように。病弱なことで迷惑をかけている自覚があったから、我慢をし続けてきた。やっとお姉様とお父様に恩を返せるのね。家に置いてもらって、ごはんを用意してもらって……公爵様は、私に何を求めて婚姻を結んでくれると決めたのだろうか。


「聞いてるのか!」

「はい、お父様」

「たとえ離縁されたとしても、お前の帰ってくる場所はないからな」

「肝に銘じます」

「公爵様には愛想を振りまけ! そして、我が家に支援してもらうように頼み込むんだ。いいな?」

「はい」


 お母様が亡くなってから、我が伯爵家は赤字の一途を辿っている、と家庭教師の先生は教えてくれた。帳簿や、経営の一切をお母様が取り仕切っていたのだとか。お母様が蓄えていた貯蓄と領民からの税金で今の生活が成り立ってるらしい。私が嫁ぐことで、少しでも黒字になる可能性があるのなら……


 私が唯一のできることなら……


 それでも、やはり住み慣れた家を出ること。そして、幼なじみのタイガと離れることは怖い。


 コンコンというノックに「はい」と返事をすれば、シャーリーがいつもの食事を持って入ってきた。パンと焼いたお肉。それに、揚げた野菜たち。どれもこれも私が食べれば戻してしまうものばかり。


 それらに加えて、料理長が気を利かせて野菜を煮込んだ薄味のスープを付けてくれている。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「えぇ、大丈夫よ」

「いくらなんでも、旦那様もひどすぎます。あんな年齢の人のところに……」

「私が唯一できることだもの。むしろ、嫁に貰ってくれるところがあってよかったわ」


 スープだけ受け取って、残りはシャーリーがベット脇に座って食べ始める。食べていないとバレたら、お父様とお姉様に叱られてしまうからだ。シャーリーに最初は断られていたけど、今では代わりに食べてくれるようになった。


「何がダメなんでしょうね、スープは大丈夫なのに」

「私の体が弱すぎるのが悪いのよ。今日のスープもおいしいわ。料理長にありがとうって伝えてね」

「もちろんです」

「タイガに、明日伝える暇はあるかしら……」

「私が伝えておきますよ。お嬢様は朝早くの出発になるみたいですので」

「朝早くなのね……」


 お姉様が決めたのだろう。私の顔も見たくないくらい嫌っているもの。わかっていても、考えれば胸にちくんっとトゲが刺さった。


「タイガと離れるのは寂しいわね……もちろん、シャーリーや、料理長たちとも離れたくないけど」

「わかってますよ」

「シャーリーは、私のお母さんみたいだなって思ってたの」


 今だからと言葉を口にする。シャーリーはパンを食べていた手を止めて、私を見つめた。見つめ合えば、瞳が潤んでいる。いつだって私を心配してそばにいて、優しくしてくれたのはシャーリーだから。本当に、お母様みたいだと思っていた。


 お母様の記憶は、私にはないけど。


「シャーリー、今までありがとう。料理長にも直接伝えられたらいいのに。歩けなくて、ごめんなさい」


 シャーリーがぎゅっと私を抱きしめて、声を振るわせる。パンが布団の上にころんっと転がってしまった。そっと拾い上げてシャーリーの背中に手を回す。人のぬくもりも、優しさも、全てシャーリーが教えてくれた。

 

「お嬢様が謝ることでは、ありません! 何もできなくて……申し訳ありません」

「シャーリーはたくさん優しさをくれたわよ」

「お嬢様……」

「公爵家でも、優しくしていただけると、嬉しいわね」


 希望的観測を口にして、涙が溢れた。私は生きていること自体間違いなのかもしれない。動けもしない、役立たずの私が嫁いだところで、迷惑をかけるしかないのだから。

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