プロローグ 『背景両親へ、異世界に連れて行かれそうです。』
気がつくと、見知らぬ部屋にいた。
その部屋は、窓も扉も照明もないくせに心地よいくらいの明るさは保たれている。実家のような安心感はないが、不安にならない謎の親近感のようなものがあった。
部屋には、真ん中に一人用のソファーとサイドテーブルが一台、壁に隙間なくソシャゲの二次元アイドルキャラクターらしきポスターが貼られ、棚にはフィギュアがずらりと並べられている。
「私の名前は、橋本 心羽、十九歳の花の女子大生を夢見た腐女子オタク。日本の中途半端な田舎に生まれてコミケに行くのと人生の中でかっこいいセリフを言って死ぬのが夢。うん、基本的な記憶は覚えてる。」
少々特殊な自分の存在確認を済ませ、この部屋で目覚めるまでの記憶を遡る。思い出せる限りの記憶には、この場に対してのヒントはないようだった。身なりを確認するために、スマホで自撮りをすると、学部内で三番目に美人(自己評価)ないつもの姿があった。
「ダメだ。重要そうなことは何にも覚えてない。オフイベで会ったアマメ先生と一緒に三日月×星空のてぇてぇカップリングの薄い本吟味してた記憶しかない。」
推し活の金を惜しみながら買った、ベストとシャツのセットアップの今期一軍のコーデを身に纏っているので、アマメと行った「とらの○な」が最後の記憶で間違いなさそうだ。しかし、自分の置かれている不可思議な状況も気になるが、もう一つ気になることがあった。
「それにしても、この部屋の主人さんも結構いい趣味してそうなのよね・・・」
今一度、部屋に飾られているグッズの数々に目をむける。謎の親近感の正体がわかった。
「うわー、私的にぐうしこなビジュばっかだわ〜。ちょっと語りて〜。しかし・・・知らぬキャラクターばかりなのが解せん。」
アニメやゲームに関しては多少知識があると思っていたが、この部屋に飾られているほとんどのキャラクターは見たことがない。
「私の好みにドンピシャなのに、知らないキャラクターしかいないなんておかしい。んーー、やっぱりわからん。」
ここに至るまでの記憶がない点、見知らぬアニメキャラのグッズの数々、変わっていない端麗(あくまで自称)な容姿と服装。ここから考えられる回答を導く。
「私、もしかして異世界転生される流れじゃね?」
オタク文化に毒された発想だが、『普通なら恥ずかしくて言えないけど人生で使ってみたいワード』の一つ「異世界転生」をとりあえず言ってみただけというのが本当のところである。一応常識的な知性があるので、ちょっと恥ずかしいかった。
「まぁ、一番はこの部屋窓もドアもないしおかしい所だらけなんだけど。私どっから入ったん。」
出られそうにもないことがわかってるので、とりあえず部屋を調べる。基、主の趣味でも漁ることにした。これに関しては、人をお宝の山に放置しておいて、姿を現さない方が悪いだろう。ルパンの前になんの警備や策もなしにお宝を置く銭形が悪い。三年テニサーの前に新入生女子を配置する新歓の方が悪い。
端の方からひとしきりフィギュアを眺めていく。
黒髪イケメン、金髪イケメン、ショタ、ガチムチ系イケメン、おとこの娘?ダウナー系イケメン・・・
「正直、私の趣味ってところが本音だけど・・・この方タイプドンピシャなんだわ。想像主さん、神なん?ねぇ、神様なん!?」
少し癖のついた黒髪に三白眼が特徴的なイケメンな好青年キャラ。すらっとした細身の体からチラ見えする腹筋がエロエロのエロで、とにかくエロエロだった。誰に説明するでもないが、兎にも角にも語彙力が喪失するほどタイプとだけが伝わるだろうか。
隣に目を移すと、別キャラとのカップリングフィギュアがあるのが目に入った。ギリギリ年齢制限かからないくらいには過激な絡みをしているがこのフィギュアには、少々思うところがある。
「まって、なんでこっちがウケの構図なん?うわ、めっちゃメスの顔になってる。ビジュアル的に攻めじゃん。いや、ギャップあって萌えるし、私はリバオッケーな方だけど、このカップリングについては話し合いの余地があると思います!原作知らんからなんとも言えんけど!!でも、言わせて。とりあえず、ごちそうさまです!!!」
激しい興奮と歓喜に悶絶しそうな心を抑えるのに必死になるが、声となって漏れ響いていた。
『じゃあ、まず原作読んでみて〜左の棚にあるから。あと鼻血、垂れてるよ。』
心羽が独り言のカップリングフィギュアの構図に対しての意義の念を熱く語っていると、背後ろから女性の声がした。
この部屋には、扉も窓さえないのにどうして・・・なんて疑問よりも先に目線は後方に流れていた。振り返るとそこには、心羽よりすこし年上くらいの女性がソファーに足を組んで座り、左手を顎にそえ、まるでミステリー小説でも読んでいるような格好の付け方で薄い本を読んでいる。
目の下にあるくっきりとした隈、ペタついた髪、頬いついた現世で見たことがあるポテトのスナック菓子のカス、これまたよく見たことのある任○堂のゲーム機も机の上にある。美人なのに身なりが残念なことになっている残念美人が目の前にいる。糸のほほつれかけた座部屋着のジャージ姿で良くもここまでのカッコつけられるなと思うばかりである。
「三日ってところかな・・・」
「せいか〜い。さっきの魂の叫びといい、さすが心羽たん。やっぱりちゅき〜。」
『三日入ってないってマジかよ』
声にはしないが、驚嘆を声を心の中で叫んだ。
当てたくはなかったが、『風呂に入っていない日数クイズ』に正解してしまったらしい。ジャージの女は、何処からともなく取り出したワイングラスに赤い液体を注ぎ、高級なワインを嗜むように飲み始めるが、まず風呂に入れという思いが先行してしまう。
「えっと・・・どちら様でしょうか。」
最初に聞くべきことだと思ったことを問うが、ジャージの女は心羽の問いかけに答えることはなく、手にしている本を真剣に読み続ける。心羽は、『まず風呂に入れ』と思う以外何もできずにいる。
しばらく沈黙が続いて、ジャージの女が一冊本を読み終わると、「どした?早く読みなよ。」そいうって一点の蟠りもない旧知の中に酒を進めるが如く、もう一度漫画を勧めてきた。
「あの〜その前に、あなたは一体誰なんでしょう。テンプレ的に言えば女神さまとか異世界の案内者とかその辺の立場の人かな・・・とか思ってるんですけど。」
お茶を濁すように、冗談を言うように、心羽はジャージの女にもう一度話しかけるが、なんの答えも返ってこない。
いつの間にか出現したもう一つのソファーとサイドテーブルのセットと、原作漫画全十四巻が準備されている。
「話はこれを読んでからってことね。」
ソファーに腰を落とし、一巻を開く。
それと同時に、
「心羽たんはやっぱり察しがいいね〜。私こそが、心羽たんを異世界に召喚させる女神様だよ♡♡♡」
十年程度昔に流行ったグラビアポーズのような姿勢で、ジャージの女が言うが漫画を読み始めた心羽の集中は、漫画に向いていて意図せずに発言を完全無視してしまった。
顔を赤らめたジャージの女が、再び薄い本を手に取って読み始める。
二人の会話が、成り立つようになるのはもう少し先のお話・・・
ジャージの女が風呂に入るのももう少し先のお話。