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1、波瑠と久乃

久乃は幼いころから祖母に厳しく育てられていた。勉強はもちろんの事、バイオリンや英会話など息つく暇なく人生を過ごしていた。そんな久乃のたった一つの楽しみは、薬草を配合し祖母に黙って祖母の体で実験する事だった。健康になる祖母を見ると嬉しくなりそれを励みに生きて来た。久乃が18歳になった時、異世界の扉が開かれた。現世の記憶はそのままに。


「おかあたん、おかあたん。おくすりのんでくだしゃい。」と幼い女の子が大事そうに小さな両手一杯に赤や黄色など様々な葉っぱをお母さんの布団の上へパラリと落とした。


「はい、お医者様わかりました」と言いながらお母さんはその葉っぱをいくつかつまむと飲んだふりをする。


この親子のいつもの光景だ。


「ありがとう久乃、お薬飲んで元気を出さなきゃね。」とお母さんが微笑む。言ったそのそばから「・・・・こほっ、こほっ」と乾いたような咳を出す。

「おかあたん、げんきなる?」と美しい大きな瞳を輝かせ聞き返す娘。「おくすり、げんきなる?」と覗き込んでくる我が娘を母はか細い手でふわりと抱きしめ


「久乃は優しい子、良い子ね。いつもお薬ありがとうね。久乃のお薬飲んで元気になったわ。ほら見てごらん」と寝巻きを捲り腕をあらわにして力拳を作るが、その腕は青白く折れてしまいそうなほど細かった。


久乃と呼ばれる女の子が10歳の頃にとうとう母親は帰らぬ人となった。


母親は久乃の父親と死別してから女の細腕1つで久乃を育てて来たが、元々心臓に奇形があり久乃を生んでからは病気に対する抵抗力がだんだん低下していった。


だから死亡理由は流感、つまりは風邪だ。


久乃は母親が亡くなるとその葬儀の直後、父方の祖母に引き取られ預けられた。祖母の名前は波留と言った。


波留は借家住まいであったが、資産があるのか悠々自適の生活をしていた。そしていつもきちんと自分を装うことを忘れない、シャンと背筋を伸ばし優美でこ綺麗な粋なお婆さんであった。彼女が長キセルで煙を燻らせ喫煙を楽しんでいる姿はまるでフランス絵画のよう。と周りの借家のご近所さんたちは事あることにそう話した。それほど日本人離れした出立ちであった。久乃の顔立ちもその辺りは似ているのかも知れない。


またこの借家は長屋であったため壁一枚を隔てたお隣さんがいた。お隣さんは母子家庭の親子で、お母さんが朱美さん、その息子が亮と言った。亮は確か歳は10の頃だったか?


亮はこの波留のことが大好きで「俺、大きくなったら波留と結婚する!!」とよく抜かしていた。


波留はたばこの煙を燻らせながら「あっはは~、馬鹿をお言いでないよ。一人前の良い男になったら考えてあげる」と笑いながら良く亮を窘めていた。


波留は久乃に対して自分が今までの人生で得てきたものを全て叩き込む為、とても厳しく育てた。


波留に資産があったので勉強はもちろんの事、バイオリンや料理に裁縫、英会話まで習い事は多岐に渡った。元々久乃は賢い子だったし、波留は厳しいばかりでは無かった為、(例えば裁縫の出来が良かったり、バイオリンが上手く演奏できたりした時なんかは頭を撫でながら、久乃良くやったね。といってくれる事もあった)

だからどれだけ厳しくされてもおばあちゃん、おばあちゃんと懐いていた。


そんな久乃のたった一つの楽しみは「薬の配合」だった。薬の原材料を入手し(時には野原に生えている事もある)手元の野草図鑑を見ながら『薬草』と書かれている草を集めて調合して、こっそりとお茶にして波留に飲ませていたのだ。もちろんそんな素人が配合した薬草にそんな効果がある訳はなく、偶然にも波留が元気になると嬉しかったしその様子を見てまた頑張ろうと思えるのだった。


そんな波留も久乃が18歳の時にあえなく他界した。原因は突然の心臓発作だった。


波瑠の身内は誰1人として来ず、久乃は気丈に葬儀を出すとしばらくは嘆き悲しみショックを受けていたが、大家さんがここを建て替える事も有り退去を余儀なくされた。


久乃はこの場所に特に思い入れは無かった。また大した友人も居なかったので久乃はすぐに海外へ長期留学を決めた。波瑠の葬儀のあと久乃が日常を取り戻すと朱美さん親子は引っ越して行った。


別れ際に亮が涙ぐみつつ「おい久乃!!お前は波瑠ばあちゃんほどじゃあ無いがまあまあだ。大丈夫だ問題ない。絶対にいい男が捕まるぞ!!」と慰めているのか貶しているのかわからないセリフを吐いて去って行った。「久乃ちゃんごめんね。あいつ口悪くってさ。あれで久乃ちゃんを励ましているんだよ。わかりにくくてホントごめん」と申し訳なさそうに謝っていたのが記憶に新しい。



バンバンバン、と埃をはたきながら久乃が波留の私物を片している。埃がたまった物も多く掃除半分、片付け半分だ。特に波留名義の資産らしい資産は残っていなかったのでその辺りは手間を掛けずに済んだ。生前、波瑠はゆっくりと時間をかけて資産を少しづつ久乃に移してくれていた。特に遺書などは出てこなかったのでこの長屋の物が波瑠の財産のほぼ全てだったのだろう。


古い書類などは劣化が激しくぼろぼろなのも多い。心の中で『おばあちゃん全部残してあげられなくてごめん』と謝りながらゴミ袋にせっせと詰めて行った。


最後に波瑠が使っていた机が残った。「おばあちゃん机も片付けるね。だから開けるよ?」と一言断ってから古びた机に引き出しを開けた。きちんと整理整頓されていたが使い込まれたペンや物差しに交じって、見慣れない言葉が書かれたメモがたくさん出て来た。そう言った訳の分からない物は次々とゴミ袋に詰めて行く。




机の一番下の引き出しには古い日記があった。鍵が掛かっていたが何とか開けられるようだ。

立て付けが悪く開くのに苦労したが、開いて見てみると何て書いてるのか全然わからない。日本語でも無ければもちろん英語でもない。でも何だか大切そうにしまってあったので、処分するには忍びなかった。綺麗に表紙を布で拭き久乃のカバンに詰めこんだ。


この日記の他にも久乃と二人で撮った写真や波留の若い頃の写真なども手元に残しカバンに入れた。波瑠おばあちゃんは若い頃から本当に綺麗な人だったんだ。と久乃はあらためて思った。


このお家の大家さんのご厚意で要らない物は置いて行って良い事になっている。まとめて処分してもらえるらしい。久乃は粗大ゴミやぱんぱんに詰まったゴミ袋を玄関に集めて置いた。




ーーーーもういい。要らない物は全て置いて行こう。どうせこれから先は自分一人だ。



大家さんの指示で出て行く時は鍵は閉めなくていいと言われた。なので手荷物を持つと大家さんの所へ挨拶に行った。留学先に既に大半の荷物は送付済みだ。


「こんにちは~、大家さん」と大家さんの家の玄関の扉を開けると、奥から恰幅の良い女性が右足を引きずりながら出て来た。大家さんは数年前から足を痛めていて日常生活なら差し支えないが、重たい物を運んだり扉の修繕などはもう無理だった。「あら、久乃ちゃんお片付け終わった?」と大家さんが話しかけた。


久乃は鍵を大家さんに渡しながら、「はいお陰様で。大家さん長い間ありがとうございました。私はこれから日本を離れます。どうか大家さんもお元気でいて下さいね。」そう話すと


初老の大家さんは涙ぐみながら「ごめんなさいね、本当はもう少し置いてあげたかったんだけど、息子が丁度良いからって建て替えを決めたのよ。もう私も年だしね。息子には逆らえないわ。」と謝ってくれた。



「では飛行機の時間がありますのでそろそろ失礼します。」とおじぎをし大家さんの家を後にした。大家さんは久乃が見えなくなるまで手を振り見送ってくれた。


・・・・回覧板やお裾分けを届けたりした時に必ずと言って良いほど、オヤツをくれたりお駄賃をくれたりと大家さんに久乃は良く可愛がって貰っていた。


長屋の近くまでタクシーを呼びそこから空港へのシャトルバスに乗るために最寄りの駅へ向かった。シャトルバスはちゃんと時間通りにやって来たが、シャトルバスが時間通りに空港に到着することは永久に無かった。


空港に着く直前、急カーブを曲がり損ねた大型トラックが追突し、乗員乗客全員死亡と言う大惨事に見舞われた為だ。




久乃は死ぬ直前、誰かに呼ばれた気がした。




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