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悪役令嬢の兄と悪役宰相閣下

作者: 小雪

 ルベン・ミュレーは現在侯爵の地位を賜っている。

 家族構成は少しだけ複雑だ。両親と異母妹がいる。

 両親がいるのに異母妹とはこの時点で穏やかでない家族構成だ。異母姉ではない。妹なのだ。

 妹はアデール・ミュレー。母親は侯爵家のランドリーメイドだった。

 アデールの母親はそれは可愛らしい女性だった。ランドリーメイドなので身分は平民だが、朗らかによく笑い、誰にでも優しく、彼女がいるだけで職場は明るくなるーーーそんな女性だった。上級召使いでもないのにルベンも母も知っていたし、気難しいメイド頭も母の侍女もアデールの母の事は気に入っていて、気立のいいよく働く娘だと褒めていた。

 アデールの母親が婚約した時、ルベンも母も喜んだ。相手は誰だと(貴族にあるまじき事だが)直接アデールの母に聞きに行き、ほんのり頬を染めて侯爵家に出入りする業者の下働きだと教えてくれた。流石に婚約者の顔は知らないが、召使い達はみんな真面目に働く好青年だ、アデールの母にはお似合いだと囃し立てていたので、悪い人ではないのだろう。

 でも悲劇は起きた。いや、ルベンの父親によって起こされた。

 婚約で嬉しそうに笑っていたはずのアデールの母は、ある時から笑わなくなった。それまでの明るい性格が嘘のように何かに怯え、特に男が話しかけると過剰なほどビクつくようになってしまった。

 心配したメイド頭が声をかけ、怯えるアデールの母に根気よく聞き出した結果、ルベンの父親が手を出した事が判明した。

 後から聞いた話では、婚約者をあの業者から追い出すぞ、殺す事など造作も無い、と脅されたらしい。

 アデールの母の事を盗み聞いてしまった時は、父親に対して子供心に絶望した瞬間だった。屋敷の召使い達もあの旦那様ならやりかねん、可愛い事が仇になった、可哀想に、と噂していたので、誰もアデールの母を責めたりはしなかった。

 ルベンの母は自分の監督不行き届きだったと落胆した。

 元々、両親は愛のない政略結婚だ。子供のルベンの耳に入るほど父親の好色ぶりは有名で、母もルベンが物心つく頃には呆れて何も言わなくなっていた。ただ母はルベンの事は血を分けた息子として愛していたし、侯爵家の領民や召使い達を愛していたので、屋敷に帰ってきた父親から召使い達が不当な扱いをされないよう守っていた。

 当然、召使い達は母の味方だ。

 屋敷の居心地が悪くなった父は屋敷に帰らず、好きな女の所にいる事が多くなったが、母は「これでここはわたくしの城よ!」と笑い、召使い達と楽しく暮らしていた。

 それなのに、自分の庇護下のランドリーメイドを守れなかったと母は悔しくて泣いていた。

 そうして母は父を責めたて屋敷から追い出した。執事や従者達には父が帰ってきたら何を言われようとも目を離すな、と厳命した。こんな屋敷には居たくないだろうと母の実家のランドリーメイドを紹介して、アデールの母は侯爵家を出た。

 アデールの母親は結婚しなかった。

 婚約者には知られたくない、とアデールの母が懇願したのもあって田舎の両親が病気になったので田舎にどうしても帰らなくてはいけなくなった、と屋敷の人間は口を揃えて婚約者に教えた。婚約者は落胆していたが、それなら仕方ない、お元気でと伝えて欲しいと言って去っていった。

 ここで一度は平穏を取り戻したのだ。

 でも数ヶ月後、母の実家から連絡があった。アデールの母親が懐妊しているという知らせだった。

 どう考えても父の子供だった。

 そのままアデールの母は母の実家で女児を一人産んだ。それがアデールだ。

 アデールの母は、ルベンの母の実家、つまりルベンの祖父母の家でアデールを育てながらランドリーメイドとして働いていた。アデールには優しい母親だったらしく、祖父の屋敷で母子で笑っていたらしい。

 けれど、彼女はずっと辛かったのだろう。ある時急に自害した。何の前触れもなく。

 アデールはまだ七歳だった。

 七歳で孤児となったアデールをどうするかーーー祖父は悩んだあげく、養女として引き取ろうとした。祖父はすでに隠居しており、爵位は伯父が引き継いでいたので祖父母の個人的な資産で女の子一人養うのはさしたる問題ではなかったから。

 しかし、ここでクズな父親のクズな思考回路がとんでもない事をやらかした。

 政略に使おうとアデールを侯爵家の娘として引き取ると言い出したのだーーー後に公爵家三男との婚約という最悪な物を作る原因である。

 好色ぶりが有名な父親の家の養女。すぐに侯爵がどこかで遊んだ結果の子だろうと噂が広まり、どこかの探偵気取りの貴族が調べ上げたらしく、アデールの母親は平民である事も瞬く間に広がった。

 けれど、アデールはそんな噂が広がり心配する母をよそに、侯爵令嬢として十分な教育を受けて健やかに育った。

 元々、屋敷の召使い達にも人気のあったメイドの忘れ形見だ。召使い達もこぞってアデールを可愛がり、母も女の子を育ててみたかったからと可愛がり、周りがそんななのでルベンも妹を可愛がった。

 年々、母親に似てきて可愛らしい顔つきながらも凛としたアデールはまるでーーー。




「一輪の花!うちのアデールは本当に可愛いんだよ!」

「分かった。分かったってば、ルベン」

 うんざり顔でルベンをあしらうのは、この国の第三王子リオネルである。

 ルベンは可愛い妹について語りながら手は手元の書類を捌いていた。

「リオネル、分かってないだろう。うちのアデールは本当に可愛いんだよ!?例え第一王女にも、社交界一の美人だと言われるドロレ公爵夫人にも負けないね。あーーあんな馬鹿三男の嫁になんて絶対にやりたくない!」

「はいはい。これの参考になりそうな資料、頂戴」

「これか。それならこっちの本にあったな……あ、これだ。はい。それで今度アデールが王立学園に入るんだが、俺は心配で仕方ない!」

 リオネルとしてはここでルベンの妹自慢を打ち切りたかったのだが、ルベンは気にせずに妹への溺愛ぶりを披露していく。

「王立学園だぞ!?間違いなくアデールを馬鹿にする奴らしかいないじゃないか!」

「それは言い過ぎでしょう。まあ最近の高位貴族が腐ってるのは本当だけど」

「さっさと改革してくれ、リオネル殿下。あんな名ばかりの連中などとっとと蹴落としてくれ。そして俺に休みをくれ!」

「当分無理」

「うう…アデールとお茶したい。分からないだろう、リオネル。家に帰るとアデールが笑って出迎えてくれるんだよ?しかも淑女として完璧な所作で!それなのに今日は何をしていたのかと聞くと、嬉しそうに笑いながら俺の普段着用のシャツを洗っていたとか言うんだよ!?」

「おい、待て。お前、妹に洗濯をさせてるのか?」

「馬鹿言わないでくれ」

 リオネルのツッコミに間髪を容れずにルベンが返した。

「俺だってそんな事をアデールにさせたいわけじゃないけど、あの子にとって洗濯は母親との思い出なんだよ。言っただろ、あの子の母親はランドリーメイドだって。小さい頃は母親と一緒に祖父の屋敷で洗濯をしていた思い出が妹にはあるんだ。……あの子が洗濯をするのは亡き母親に思い出の中で会うためなんだよ」

 そう言われてしまえばリオネルは黙るしかなくなる。母親の不幸の末に生まれ、その母親との思い出もほとんどなく、母が恋しい気持ちは理解できるからだ。

 離宮に幽閉されたままの母親を思い出してリオネルは少しだけ感傷に浸った。

 リオネルの母親は王宮に士官していた女官だ。美しい人だったらしい。アデールの母と同じく、その美しさが仇となって国王のお手付きになった悲しい人だ。不本意な出来事の末、リオネルまで授かってしまった。

 リオネルに母親との思い出はほぼない。いつもリオネルの母親は、リオネルに冷たく、でも冷たく当たるたびに泣きそうな顔で凍りついていた人だった。

 大人になった今だからこそ分かるが、あれはリオネルに罪は無いと分かっていても自分を汚した男の子だと思うと憎しみが湧いて、でも何の罪もない子供相手に辛く当たる自分に絶望していたのだ。

 実際、母はリオネルに対して冷たい態度を取っても、環境はできうる限りで良いものを用意してくれた。信頼のおける執事や侍女でリオネルの周りを固め、暗殺されないように気を配り、王子として生まれたのに放置されているリオネルの為に、実家を頼って教師を付けてくれた。

 それに母は寝ているリオネルには優しかった。寝たふりをしていれば、母はごめんねと謝り、髪を撫でて愛しているわと呟いてくれた。

 起きてしまうとサッと母は顔色を変えて怯えるため、リオネルはよく寝たふりをしていたのをぼんやり覚えている。

 今、その母は心を壊して離宮に幽閉されている。

 ただでさえリオネルの母は記憶から抹消したいほど酷い目にあった王宮に閉じ込められてストレスが掛かっていたのに、そこへ嫉妬した王妃や側妃からの虐めがあったものだから、あっという間に心を壊してしまった。

 あれほど嫌がる母を王宮に閉じ込めていたくせに、心を壊した女は邪魔だと離宮に追いやって閉じ込めた連中をリオネルは心底憎んでいる。せめて最初から離宮に住まわせていればあれほど王妃達の虐めも凄まじくなかっただろうし、ストレスの元から離れれば母ももう少し穏やかに過ごせていたかもしれないのに。

「はー……アデールを愛でたい。アデールとお茶したい。アデールと流行りのレストランに行きたい…」

「……ちょっと黙ってくれるかな、ルベン」

 感傷から情緒もへったくれもなく現実に引き戻されてリオネルは頭を抱えた。

 後ろ盾の無い第三王子に付いても旨味はない、と陰で散々揶揄されていたリオネルに「いや、今の王族でまともなの貴方しかいませんから」と自分から側近になってくれたルベンは、本当に有能な側近だが、妹の溺愛ぶりだけがうざい。

「無理。喋らせて。アデール不足なんだよ。誰かさんが三日も王宮に閉じ込めるから!!」

「いや、帰っていいって言ってるだろ」

「この量を抱えてるお前を置いてか?できるわけないだろ!俺はお人好しなんだ!」

「…自分で言うのか…」

「ぐすっ……この仕事を終わらせたらアデールとお茶をするんだ……そうしたらアデールが目をキラキラさせて『お兄様、さすがですわ』って褒めてくれるんだ……いや『お疲れ様ですわ』かなぁ…それで何かお菓子をくれるんだよ……。それからアデールを思いっきり甘やかすんだ……あの子はあまり甘えてくれないからね。レストランでもいいけど、祖父の屋敷に行ったら喜ぶかなぁ…それで一緒に洗濯するんだ……」

「お前も洗濯するのか……」

「するぞ。洗ったシーツを二人で広げるんだ。少し勢いを付けるとアデールが少しだけ頬を膨らませるんだ。それで『お兄様、勢いが良過ぎです』って怒るんだ……普段はどこに出しても恥ずかしくない淑女なのに、家族の前だと気を抜いて普通の女の子になるんだ……可愛らしい!!」

「……おい、ここの地図くれ」

「ん?はい。アデール、兄上は頑張ってるぞぉ……家から応援してくれぇ…!」

 これに溺愛されている顔も知らないアデール嬢は大変だなと少しだけ同情する。

 本当に有能なんだが、妹自慢だけはどうにかして欲しいと心底思うリオネルだった。





 さて妹を溺愛してるルベンだが、家ではちょっとシスコン気味程度に抑えている。

「今日も可愛いね、アデール」

「ありがとうございます、お兄様」

 何でもない日もアデールを褒める。慣れた妹は顔色一つ変えずに礼を言う。これがミュレー侯爵家の日常だ。

 ルベンにとってアデールは本当に可愛い妹だった。

 少しシャープな小顔の上に、大きな瞳に血色の良い小ぶりな唇、すっと通った鼻が乗っていて、ふわふわの髪がその顔を飾っている。

 控えめに言って超可愛い。

 何より母と家庭教師の教育の賜物で、アデールは高位貴族としての立ち居振る舞いが完璧にできている。

 控えめに言って素晴らしい。

 終始が万事こんな感じなので、ルベンの周りの友人達はリオネルも含めてちょっと引いている。

 ……のを本人も知っているが、改める気はない。だって妹はこんなにも可愛いし、素晴らしい。

 こんな可愛い妹があんな馬鹿公爵家三男に嫁ぐなんて本当に嫌だ。

 そもそもこの国は長く続く貴族制度が一部の高位貴族の選民意識を高め、自分は平民より賢い、素晴らしい、強いなどの勘違いを助長したため、今や高位貴族など八割方が腐っている。妹の婚約者の所も例に漏れず腐っており、能力もないのに財務部にいるため、下っ端の財務官達はいつも合わない帳簿に苦心している。

 このミュレー家が腐っていないのは偏に母のおかげだ。

 母は元は子爵令嬢であった。領地も山ばかりで狭く、とても貴族とは言えない貧乏さであったらしい。

 しかし、山ばかりだと思っていた領地から金鉱が発掘され、母の実家は潤いを見せ始めた。

 すると金鉱にミュレー家が目を付け、母に父との婚約話を持ってきた。

 子爵家で侯爵家に逆らうのは難しい。母は家族や領民を守る為にミュレー家に嫁ぎ、そして高位貴族の現状に目眩を覚えたそうだ。

 主人の気まぐれな怒りに怯えた召使い達、過剰な税金で搾取されるばかりの領民、それなのにおかしなほど贅沢な屋敷や調度品、衣類の数々。

 母は元々貧乏令嬢だ。嫁ぐまでは領民に混ざって羊の毛を刈ったり、羊毛の生地を作ったりしていたため、母は選民意識などなかった。ただノブリスオブリージュだけは理解していた。

 だから母は嫁いだ身で必死に召使い達を守った。父や今は亡き父方の祖父母が理不尽に召使い達に手を上げないよう心を配り、時に暴力暴言から身を挺して召使い達を庇った。

 そうすると召使い達の意識も変わってくる。

 まずはメイド頭が変わった。嫌がらせをしようと勝手に母の部屋に入ろうとする祖母を、扉の前から頑として動かず侵入を阻止した。

 一人変わると二人、三人と変わっていく。

 執事はお金の相談を母にするようになったし、彼も父や祖父に上手い事用事を持ってきて、母に関われないようにした。

 メイド達は母の言いつけ通り二人一組で動いて互いの身を守るのと同時に、母以外の動向を観察し、彼らのご機嫌取りに必要なもの、注意点を報告した。

 従者達も祖父や父の動向に目を光らせ、母やメイド達に手を上げそうな時はそっと間に入って牽制した。

 一度反抗してしまえば、召使い達は気がつく。

 どう考えても下働きの力仕事をしている男達の方が太っているだけの大旦那様、威張り散らすだけの旦那様より強いよな?と。

 どう考えたって大奥様の無理難題のために屋敷を走り回っているメイドの方が、着飾るばかりの大奥様よりすばしこいよな?と。

 しかもすでにこの家の財政は執事とルベンの母が握っている。

 そこまでいってしまえば、屋敷の中で革命が起きる。

 それまで怯えていた召使い達は殴られそうになっても避ける、防ぐなどするようになった。給金を無しにしてやる!という脅し文句にも屈しない。だって遊び呆けていた彼らはこの家の財務など握っていない。自分達の給金はルベンの母によって約束されている。

 召使い達の変わり身に祖父母達は怒り狂っていたが、それまでの不摂生が仇となったのか、怒り過ぎて内臓に狂いでも生じたか、とにかくバタバタと亡くなり、父は早々に他の女の家へ逃げ、屋敷は母の天下となった。

 それからも母は使用人達には優しい女主人であり続けている。

 だから、ルベンは公爵家三男に嫁ぐ妹が心配で仕方ない。

 あの家は腐っている。冤罪で体中を鞭打たれて追い出された下働きを保護した事もある。財務官を散々泣かせているのは、能力もないのに飾り立てる事ばかり優先して予算以上の物を買おうとしたり、勝手に物を買ってきてこれは財務の金からだと用途不明金を増やすからだ。まともな財務官達が本当に申し訳ありません、とリオネル殿下に頭を下げているのを何度見た事か。

 そんな家にアデールが嫁ぐ?あのクソ親父め。なんて余計な事をしてくれたんだ。

 自分だったら一生ミュレー侯爵家でアデールの面倒を見るのに!

 いや、それはそれで問題だろ、と心の中のリオネルに突っ込まれた気がしたが無視した。





 あれから三年後。

 相変わらずルベンはリオネルの片腕として働いている。

 リオネルは現王子達の中で最も後ろ盾が無く、高位貴族に軽視されており、第三王子なのに未だ婚約者もいない。

 だが政治家としての能力は本物である。

 いや、本当にありえない。現国王や現王太子なんかよりよほど政治手腕は確かだし、外交だって自国の不利益にならないように調整できるのに、なんで王族・高位貴族はリオネルを軽視するのか。

 ……おかげで色々やりやすいが。

 王太子の座を奪わんと第二王子、第四王子が画策しており、王太子の座にいる第一王子もその権力を保持しようと必死なので、後ろ盾の無いリオネルがこそこそ動いていても誰も気にしない。高位貴族が気にするのはどの王子に連なるのが己の権力に繋がるかという事ばかりだ。おかげで次期宰相の座は守れそうだ。まあ現宰相が多少なりまともなので、大丈夫だろう。

 市井では貴族社会を倒そうという動きもあるのに、全く頓着していないのはいっそ天晴れである。どうせ選民意識の塊である彼らは平民など貴族に敵うわけがないと思っているのだろう。国の何パーセントが貴族だと思っているのか、一度聞いてみたい。

 平民達が何とか革命を起こさずにここまで来ているのは、平民に近い貴族達が身を削って彼らを守っているからだ。

 ルベンもできれば革命は避けたい。革命が起きれば少なくない人の命が失われるだろうし、混乱に乗じて力のない女子供、老人の命や尊厳が踏み躙られるだろう事は想像に難くないからだ。

 アデールの母親を見たから、人の尊厳を奪う事の酷さをルベンはよく知っている。

 だから、貴族制から議会制にしようとするリオネルにルベンは協力しているのだ。

 そんな中、アデールが学園の卒業パーティーに出るらしい。

 だが、その実情を知ってルベンは青筋を立てた。

「…あの馬鹿三男から、ドレスどころか装身具の一つも贈られてないのか?」

「贈られてません」

 ルベンの元へ最愛の妹、アデールが訪れたのは数分前。

 妹は卒業パーティーのドレスを用立てるお金が欲しいとお願いに来たのだ。

 ありえない。この国の貴族が通う学園の伝統で、卒業パーティーでは普通なら婚約者の男性が女性にドレス一式を贈ると決まっている。

 昨今は金銭的な事情からドレス一式は不可能な下位貴族も多いが、それでも婚約者がいる者は女性にパーティーで使用できる物を贈るのが定番で、ルベンが卒業する時だって周りの婚約者持ちの貴族子息は何かしら贈っていた。

 それなのにアデールには何もない。だから彼女は恥を偲んで兄であるルベンにドレス一式を用立てるお金を使ってよいか聞きにきたのだ。

 ちなみに言っておくが、アデールにも個人的に使えるお金は十分に渡してあるのでわざわざルベンに確認に来る必要はないはずなのだが、毎回彼女は確認に来る。

 そのいじらしさといったら!

 なのにあの馬鹿三男、うちの可愛いアデールを馬鹿にし過ぎだ。

 アデールはどこか申し訳なさそうにするので、ルベンは最愛の妹を飾り立てて笑顔にしようと決める。

「よし、なら王都で一番の仕立て屋に行こう」

「一番の?…いえ、あそこは……」

 可愛らしい顔を曇らせて渋るアデールにルベンは極上の微笑みで応えて頭を撫でる。

 王都で一番の仕立て屋と聞いて、王族や高位貴族御用達のルグラン・ドレスメーカーを思い浮かべたのだろう。

 だが、あそこは魔の巣窟の始まりでもある。だからルベンは使わない。

「大丈夫だよ。ルグランじゃない。フィエルテという店で、母上やアデールが助けた女性達が作ったドレスメーカーだよ。ほら、うちで保護した女性達の自立先が必要だろう?そこで針子としてやっていきたい人達の為に資金を出して作った店だ。ドレス以外にもワンピースとか女性物の服を作っててね、アデールがドレスを作って欲しいと言ったら喜んで作ってくれるよ」

「まあ」

「覚えているかい?アデールが助けたアリスという女性を」

「覚えてますわ。とても能力のある女性でしたのに、確か見た目が悪いという理由だけで虐待されていました」

 アリスは妹を助ける為に火事に飛び込んだせいで頬から肩にかけて赤い火傷の跡が残っており、そのせいで今更傷が一つや二つ増えても関係あるまいという人間とは思えない思考のとある貴族に奴隷より酷い扱いを受けていた。たまたまアデールがお茶会の席でその様子を見かけて、こっそり助け出したのだ。

「うん。彼女、本当に商才があってね。まあ妹を助ける為に燃え盛る炎に飛び込むくらいだから、元々根性もあるんだろうけど…最初は俺がフィエルテを経営してたんだけど、最近はアリスに任せっぱなしなんだ。俺が出した資金だけ回収したらアリスに店ごとあげようかなぁ、って思ってるくらいには優秀」

「本当ですか?よかったです。アリスを虐待していたあの一族に今のアリスを見せつけてやりたいですわ。貴方たちが冷遇していた女性は金の卵を産む素晴らしい女性だったのだと。…他の方にも言える事ですが」

 ふう、と物憂げなアデールの頭をもう一度撫でる。どうして平民だというだけで同じ人間を虐待できるのか理解できないのだろう。ルベンも理解できないが。

「さて、じゃあそのフィエルテに行こうか」

「え、今からですか?」

「勿論。母上も連れて行こう。皆ね、十分に働けるようになったらアデールや母上に会いたいって言ってたんだよ」





 ルベンはフィエルテに母と妹を連れていった。

 共同経営者であるアリスやお針子達はルベン達を大歓迎し、アデールのドレスを作る事を喜び、全力で飾り立てると誓った。

 おかげで、後に届けられた卒業パーティーのドレスはアデールの淑女としての美しさと、生来の可愛らしさを存分に引き立てつつ、少女から女性への過渡期を嫌味なく現した素晴らしいドレスだった。靴もドレスで隠れてほとんど見えないというのに、ダンスがしやすいようにだろうか、太いサテン生地のリボンをシューズストラップとして使用し、足首の後ろで結ばれたリボンが解けないよう蝶のピンを付けている。

 あまり女性のファッションに詳しくないルベンでもアデールの靴は可愛らしいと思う。ドレスに隠れるなんて勿体無い。

 それらを身に着けて、元々持っていた装身具を着けてアデールはパーティーに出発した。

 それを見送ったルベンは王城に向かい、そこでリオネルと共に仕事をしながら散々アデールが心配だと愚痴を溢した。

「分かった。分かったってば」

「いいや!分かってないね!あの馬鹿三男、アデールに何一つとしてプレゼントを贈ってこないんだよ!?パーティーでもアデールを蔑ろにしてるに決まってる!絶対にエスコートもしてないね!」

「さすがにそれは…」

「ある!あの大馬鹿野郎、アデールに何かをプレゼントした事がないんだぞ!?半分平民だと馬鹿にしやがって!アデールの母親は真面目に働いてたのに!お前の方が大馬鹿野郎だ!金を食うだけのうじ虫め!」

 ひたすら公爵家の三男を貶すルベンに、リオネルは頭を抱えた。

 リオネルは分かっている。ルベンは優秀だ。若いのにミュレー侯爵を名乗っているだけあり、リオネルが議員制にする為にあれこれ策を練っているのを助けてくれるし、それを実行する手腕もあるし、老害の高位貴族達をやり込める口の上手さも持っている。本当に助かっているのだ。

 ……妹さえ絡まなければ。

 未だに顔も知らない妹への溺愛ぶりは知り合った頃から変わらない。

 昔から妹への溺愛ぶりを披露するため、リオネルは少しだけアデールという少女に興味があった。

 ただルベンは掌中の珠である妹を誰かに見せびらかす事をしないし、リオネルも第三王子とはいえ冷遇されているので王城の夜会にしか参加した事がない(しかも最初に顔を出したら早々に退散する。長くいると王妃派や側妃派から陰口を叩かれて針の筵だから)為、今まで会った事が無かった。

 それに、改革の為とはいえ立て続けな仕事に疲れていたのもあるだろう。

「……分かった。ルベン、こうしよう」

「何だ」

「今日の仕事は切り上げて、学園へ行くぞ」

 だから変な提案をしてしまったのだ。

「は?」

「妹のアデール嬢が心配なんだろう?見に行けばいいじゃないか」

 卒業パーティーを覗き見するくらいリオネルやルベンにとってさしたる難題ではない。

 そんな訳でリオネルはルベンと信頼する従者を連れて学園へ向かった。




 

 そして学園にて。

 リオネルの目には凛と咲く一輪の花のように気高い女性が映った。

 婚約破棄されても慌てたりせず、自分の行いを悪く言われても冷静に対応していた。

 母親を悪様に言われた時も母親の自害という本来なら醜聞になる事実を恐れる事なく話し、その上で母に非など無かったと言い切った。

 しかも誰もが言えなかった事を、貴族というだけで驕る馬鹿どもなんぞ、気高くも何とも無い、と言ったのだ。

 なんて気高い女性なのだろう、と思った。ルベンの話から平民の母親を慕っている事は知っていたし、溺愛ぶりから可愛らしい妹なんだろうと勝手に考えていたが、実際に見てみると確かにつんと取り澄ましている中に可愛いらしい顔をしているものの、凛とした佇まいは自分の生まれも生き方も誇りに思っており、恥ずべき所などないと胸を張った美しい女性だった。

 いいな、と思った。

 沢山の令嬢に囲まれて、颯爽と会場を後にするアデール嬢。

 公爵家の馬鹿三男を一発、いや百発は殴る!と息巻くルベンを抑えるのが大変だったが、会場を友人達と出たアデール嬢はやっと気心の知れた友人達に囲まれたせいか、張り詰めていた頬を緩めて笑顔を見せ、オデット嬢とかいう令嬢に誘われて全員でのお茶会を約束していた。

 自分を頼る人には迷わず手を差し伸べる優しさがあるから、彼女に心酔する令嬢達に囲まれているのだろう。

「ルベン。君、間違いなくミュレー侯爵だよな?」

「あ?何を言ってるんだ」

「いや…」

 侯爵なら問題ない。しかもルベンがリオネルに付いている事は周知の事実だ。

「それより放せ。あの大馬鹿野郎を蹴っ飛ばしてくる…!」

「駄目だよ」

 暴走しようとする右腕を羽交締めにしながらリオネルは学園を離れた。

 翌日、ミュレー侯爵家に王族からの婚約の申し入れがある事をルベンはまだ知らない。





 確かに、確かにだ。あの馬鹿三男は我が妹には相応しくなかった。だってあいつは妹を蔑ろにしていたし、妹の素晴らしさの一割も分かっていなかった。

「………だからといって、何でお前がアデールに結婚を申し込むんだ!?」

 目の前の第三王子に向かって声を荒らげる。

 そんなルベンにリオネルは苦笑で応える。

「ダメかい?あの馬鹿三男よりはマシな自信はあるけど」

「確かにマシだ。マシだよ?マシだけども!!」

 何かを殴りたくて振り上げた拳を降ろす事もできず、ルベンは怒りに悶える。

 確かにあの三男よりずっとマシだ。リオネルはアデールの血が半分平民だからと馬鹿にしないし、自分の生まれのせいもあるからまず浮気不倫なんてしないだろうし、戯れに女に手を出したりもしない。後ろ盾は無いが王族ではあるので身分としてもほぼ最高だろう。頭もいいし、乗馬も得意だ。外交だってそつなくこなすし、平民の為の政治をしようと様々な改革をしようとしている。リオネルの改革が推し進められれば、きっとアデールやリオネルの母親のような哀れな女性も減るし、屋敷で保護しているような貴族に理不尽な仕打ちを受ける使用人達も減るだろう。

 だから、マシだ。マシだとも!あんな馬鹿三男より遥かにマシだ。

 しかし感情は納得しない。

「何でうちの可愛いアデールを貴様なんかの所へ嫁がせなきゃならんのだ…!!」

「いいじゃないか。変な奴に嫁がされて会えなくなるよりは」

「はあ!?俺がアデールの嫁ぎ先に変な奴を選ぶもんか!くそっ、一生アデールを侯爵家で面倒見たってよかったのに…!」

「……おい」

「…ああああ…可愛いアデールをもう少し溺愛したかったなぁ……」

「…君、本当に妹に関する事はポンコツになるね。というか、君こそ結婚しないといけないだろう…」

「俺はいいんです!もう婚約者いるんで!」

「…そうだね。結婚式には呼んでくれ」

「結婚式には呼びます。でも、アデールとは別の席ですからね!?」

「……で、とりあえず、僕は婚約の申し入れの返事が聞きたいんだけど?ミュレー侯爵」

 リオネルに与えられた執務室、そこで普段ならルベンはリオネルの傍らにある机で執務を手伝っているが、今日はリオネルの机の前に直立している。

 理由は簡単。今、リオネルが言った。ルベンはミュレー侯爵として王家から申し入れに対して返事を持ってきたのだ。

 できれば返事をしたくない、と思うがそれは許されないので、ルベンは直立した姿勢からすっと優雅に頭を下げた。

「ミュレー侯爵家は、第三王子リオネル殿下と我が妹、アデールとの婚姻を受け入れます」

 王家からの申し出だからと言って、たぶん断れない事はない(今まで断った貴族を聞かないだけだと思いたい)と思う。リオネルなら断っても怒らないし、それでミュレー侯爵家に目に見えた不利益があるわけでもない。

 それでも受け入れた理由は三つ。

 一つ、学園内とはいえ公然の場で非難された妹にはもう碌な嫁ぎ先がない事。

 二つ、リオネルならアデールを大切にしてくれるだろう事。

 三つ。これが一番、ルベンの渋る背中を後押しした。アデールが「受けます」と言ったのだ。




 王家の使者が帰った後、ルベンは妹にリオネルが婚約の申込みをしてきた事を伝えると、アデールは少し考えた後「受けます」と答えた。

 ルベンが誰と働いているかはアデールも知っているので、元々の心象も悪くなかったのだろう。

「お兄様がずっと一緒に働いている王子殿下でしょう?例の改革を推し進めているという」

「…そうだ」

「でしたら受けますわ。そういう方なら、これからもわたくしが誰かを保護してもお怒りにはならないでしょうし」

 ふふ、とアデールが上品に笑う。

「それに王家からの申し出は断れないでしょう?」

「いやそんな事ないよ!?」

 思わずムキになると、アデールは呆れた顔をしてぴっと人差し指を立てた。

「お兄様ったら…これ以上無茶をしてはいけません。それに平民の味方というリオネル殿下には興味もございます。お兄様の弱点になるよりは、強みになるような方に嫁いだ方がお兄様もお義母様も安心でしょう?」

「…あのね。俺も母上もアデールが幸せなのが一番嬉しいんだよ?家の為なんて馬鹿げた理由…」

「馬鹿げてませんわ。わたくしの友人達の多くは家の為に嫁いでます。わたくしもお兄様の力になりたいのです」

 駄目ですか?と可愛らしく小首を傾げた妹にルベンが勝てるわけがない。

 そんな訳でルベンは妹の婚約を認め、今日ここに来たのだ。

 目の前のリオネルは少し微笑んだ。

「それならよかった。なら何とか休みを作って顔を合わせなくては」

 そう言って手を動かし始めたリオネルに、ルベンは敬意も尊敬もかなぐり捨てて、一言吠えた。

「俺も同席するからな!!」





 あれから六年。

 ルベンは妹の住む屋敷を訪ねていた。

「今日も可愛いね、アデール」

「お兄様、それはお義姉様に言ってください」

「妻と妹の可愛さは別物だろう?」

「一緒だと思います。お義姉様に嫉妬されるのは御免ですわ」

「でもねぇ、シャルロットもアデールの事が大好きだし、嫉妬しないと思うよ?」

「それでもです。お兄様は妹離れをして下さい。リオネル様にも聞きましたよ?お兄様ったら、城で私の事を話すとか」

 ギクッとルベンは肩を跳ねさせた。じとりとアデールに睨みつけられてルベンは冷や汗を流す。ずっと妹には妹の溺愛ぶりを隠してきたのに!

 ーーー辣腕の宰相を支える知謀家の男も妹の前では形無しである。

「だ、だってね、アデール…」

「言い訳は結構です。昔からお兄様はわたくしに甘いと思ってましたが、まさか城で自慢してたなんて……しかもリオネル様に言ってたなんて……」

 剣呑に瞳を細めるアデールの頬はほんのり赤い。羞恥心だろう。きっとそうに違いない。

 そこへ小さな笑い声が響いた。

 そちらへ目を向けると上司兼友人、そして改革の同士であるリオネルが階段から降りてきていた。

「ルベンもアデールの前だと形無しだねぇ」

「あなた」

「いつまで玄関ホールで立ち話してるの?入っておいでよ」

「あら、わたくしとしたことが」

 そこでアデールはどこで立ち話をしていたかを思い出したらしい。

 可愛い妹はルベンを応接間に案内し、気心の知れた三人でのお茶会が開催される。

 そう、気心の知れた三人のお茶会。

「次の夜会で決行する」

「ついにか」

「ああ」

 つまり、密談である。

 何年もかけてリオネルが計画した救出作戦だ。

「やっと母上を助け出せる。………母上は僕なんか、見たくないかも知れないけれど」

 少し悲しげに目を伏せるリオネルに、そっとアデールが手を伸ばして腕に手を添える。

 そんなアデールにリオネルが少しだけ微笑んで、小さな手を柔らかく叩く。まるで大丈夫だと言うように。

 六年間で作られた信頼が見て取れた。

 最初、アデールはリオネルに愛情なんか無かった。それは間違いない。リオネルへの態度が、完璧淑女の仮面を付けたままだったからだ。ルベンや母と一緒にいる時の方がよく笑ったし、リオネルが贈った装身具や花にもどこか冷めた目をして義務的に対応していた。

 今は違う。二人の間に何があったのかは知らないが、はっきりと態度に好きだと見せるリオネルに、いつの間にかアデールも心から信頼して愛情を寄せており、ごくたまにこうやってそれを見せつけてくる。

 シスコンとしては頂けないが、兄としては妹が幸せなのは嬉しい。

 お茶会を終えて二人がルベンを見送ってくれる時も、アデールはずっとリオネルに尊重されていて、妹もそれを当たり前に享受しているが、しっかり感謝を述べている。

 うーん、複雑。

 馬車に乗り込み、走り出した馬車の窓からそっと妹夫婦を見ると、アデールは夫から頬にキスをされてじんわりと微笑んでいた。

 そんな様子をうっかり見てしまってルベンは大きな溜め息を一つついてから、少し乱暴に馬車のカーテンを閉じた。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] スッキリ読めて面白かったんですけどジャンルはローファンよりは異世界恋愛かヒューマンドラマじゃないかなって…
[良い点] 続き(((o(*゜▽゜*)o)))♡ありがとうございます♪ [一言] 次の夜会で決行する件..前回の王様の話で軽く触れてましたが、どんな感じになるのか..想像するだけでワクワクします(*´…
[一言] pixivでアンソロジー収録のコミカライズを拝見しまして、原作の短編と併せてこちらも拝読いたしました。 コミカライズ拝見の時点でお兄様のキャラが立っていて良いなあと思っていたので、こうしてお…
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