03.追憶
ベアードは貧しい下級衛士の家に生まれた。
王宮からの俸給だけでは生きていくのがギリギリの生活で、ベアードは父の休日に剣術を学びながら、それ以外の日は遠縁の商家の手伝いをして駄賃をもらうという暮らしをしていた。
そんな少年時代に、ベアードは王立図書館に本を納品した際に美しい女性とすれ違った。
ベアードは一瞬で恋に落ちた。美しい栗色の髪と端正な美貌、そして、身にまとったローブからは没薬の不思議な香りが漂っていた。
かろうじて字は読めたものの本などろくに読まなかったベアードは、その日から同じ夕刻に王立図書館に通い詰めることになった。
その女性の姿を一目見たい。かなうことなら知り合いになって話をしたい。
ベアードはその一心で図書館に通い続けた。
女性の名はエレーヌと言った。ベアードの恋心を悟った女性の図書館員が、それとなく教えてくれたのである。
エレーヌは10日に一度くらいの頻度で王立図書館を訪れて、一度に何冊もの本を借りて帰っていくのだという。
(エレーヌ、エレーヌ。なんて素敵な名前なんだろう……)
ベアードは恋心を募らせ、頭の中でエレーヌと架空の対話をする妄想などに駆られていた。
そして、ある時唐突にチャンスはやってきた。
「一度に運べないので、この本は取り置いてもらえますか?」
と、エレーヌは例の図書館員に言った。図書館員の女性はベアードに向かって手招きをして言った。
「ベアード君! よかったらエレーヌさんの本を運ぶのを手伝ってあげてくれない?」
「え? は、はいっ!」
ベアードは思わずとびあがるかと思った。
すぐさま貸出受付に駆けつけ、エレーヌの前に立って言った。
「ぼ、僕で良かったらお運びしますよ! エレーヌさん?」
「まあ。それはご親切に。もしお願いできるなら助かります」
エレーヌはにっこりと笑って言った。それが二人の初めての会話になった。
エレーヌは錬金術師として知られる魔導士ダイモスの娘だということだった。
「私は家でお父様の研究の助手みたいなことをしているのだけれど、お父様は出不精で図書館にすら行きたがらないの」
「ああ、この分厚い本はお父上が読まれるのですか」
エレーヌが4冊、ベアードが6冊、いずれも錬金術に関する専門書を二人で抱えて歩いている。
「私も一応目は通してみるけれど、半分くらいしか理解はできないの」
エレーヌは笑って言った。
ダイモス邸に到着すると、ベアードは驚かされることになった。本を抱えたままエレーヌは中に叫んで、玄関の扉をあけたのが双子の妹のビアンカだったからである。
「ふふふっ。びっくりした? 私たちのことを知らない人たちに仕掛けるいつものいたずらなの。突然双子が出てきたらちょっと驚くでしょう?」
「姉さん、それ好きだよねえ」
と、ビアンカはあきれたように言った。
「それはそうと、今日はずいぶん可愛い男の子を連れてきたものね」
「紹介するわ。ベアード君よ。本が重くて困っていたら親切にも手伝いを申し出てくれたの」
エレーヌが楽しそうに笑っていたのを、ベアードはいつまでも忘れなかった。