魔女は妖精女王の森に迷い込みました
魔女旅シリーズ五作目です。
魔女は1人で旅をします。
深い深い森の中。
険しい険しい山脈の峰。
賑やかな港街。
寒さに打ち震える雪国。
夕陽が沈む荒野。
厳しい暑さに涙も蒸発する砂漠。
どんなに大変でも、魔女は旅を続けます。
魔女の魔法を待つ人がいる限り。
魔女の目的を達するために。
そして、生きるために……
「すごい!
見渡す限りの森だわ!」
箒にまたがり、晴れ上がった空を気持ち良さそうに飛ぶ魔女エレナ。
緑色のとんがり帽子を抑えながら、吹かれる風に、腰まである長い真っ白の髪がさらりと流れます。
「あら?
何かしら?
あそこ」
雲ひとつない青空に映えるエレナの夕日色の瞳が緑に埋もれる大地の一角に注目しました。
背の高い木々の少し上。
何もない空間に、ヒビのようなものがあります。
「空間のヒビ?
結界か何かが破れかけてるのかしら?」
エレナは好奇心から、エレナの魔法の発動媒体である手鏡を取り出し、空間のヒビがある森を映しました。
探求心や学習意欲といったものが人間よりも豊富な魔女なので仕方なかったのかもしれませんが、それは完全に悪手でした。
「んと……えっ!?」
覗き込んだ手鏡に映し出されたのは、空間のヒビから触手のようにはみ出す木の枝でした。
それらはまるで獲物をさがしているかのように、ウネウネと蠢いていました。
そしてそれは、エレナの手鏡に映されたことで動きを活性化。
一気にヒビから溢れ出して、何かが割れるような音とともに、エレナに襲いかかってきました。
「ひゃっ……きゃああああー!!」
エレナは箒を急旋回させて逃げようとしましたが、枝に捕まり、割れた空間の奥の森に引きずり込まれてしまいました。
「……いたたたた」
エレナは頭を振りながら痛む体を確認します。
擦り傷なんかはありますが、骨や内臓は問題ないようで、エレナはひとまずホッと一息つきました。
「……ここは森の中、よね」
エレナが周りを見渡すと、背の高い木々に囲まれた森の中にいるのが分かりました。
上を見上げると、生い茂る葉に太陽が遮られているはずなのに、不思議と暗くはありませんでした。
「……ここ、普通の森じゃないのね。
結界に守られてたのかしら。
だとしたら、その結界の綻びに私は落ちてしまったの?」
「誰だ、貴様。
なぜ人間がこの森に入れた?
……いや、人間ではないのか?」
「え!?」
前から声が聞こえ、上を向いていたエレナはバッと視線を前に戻しました。
「あ、あなたは?
……!」
エレナは目の前の生き物に尋ねようとしましたが、ハッと我に帰り急いで立ち上がると、とんがり帽子を取り、胸に抱えます。
「私は魔女のエレナと申します。
森の結界にヒビがあり、近付いたら吸い込まれてしまいました。
あなた方の森に勝手に侵入しただけでなく、森の一部を壊してしまい、申し訳ありません」
エレナはそう言って、ぺこりと頭を下げます。
「……ふん。
最低限の礼儀はわきまえているようだな」
現れた者はエレナが落ちてきた部分を見上げると、左手をそこに向けました。
「俺はスプリガン。
妖精女王に忠誠を誓いし、この森の守護者だ」
上を見上げたままスプリガンと名乗った者は背が低く、エレナよりも少し小柄でした。
石の鎧のようなものを身に纏っています。
背中に石弓を背負い、右手に石槍を持った彼がかざした左手に力を込めると、折れた木々の枝たちが蠢き、キズが直っていきました。
「すごい!」
その力に、エレナは興味津々でした。
「……ふん。
この森に入れたということは侵入者ではなく、女王に招かれた者なのだろう。
ついてこい。
女王の元に案内してやる」
スプリガンはエレナを一瞥すると、すぐに踵を返して元来た道を歩き始めてしまいました。
「あ、はい!」
エレナはさっさと進んでいってしまうスプリガンを慌てて追い掛けます。
しばらく森の中を歩いていると、エレナは自分たちに追走してくる小さな生き物がいることに気が付きました。
その生き物は粘土をこねて人型にしただけのようなシンプルな造形で、顔には目も鼻も口もありませんでした。
その子がエレナによじ登りたそうにしていたので、エレナはそっと手を差し出してあげました。
するとその子は嬉しそうにエレナの手のひらに乗り、そのままよじよじと上がってきて、エレナの肩にすとんと腰を下ろしました。
そして、歩くエレナの振動に合わせて、足をブラブラさせています。
エレナがその姿にふふと微笑むと、彼も嬉しそうに首を傾げました。
「……珍しいな。
木霊がよそ者に懐くとは」
スプリガンが歩きながらポツリと呟きます。
「木霊?
あなた、木霊って言うのね。
私は魔女のエレナよ。
よろしくね」
エレナが再び木霊に笑顔を向けると、木霊もエレナの方を向いて、こくりと頷きました。
そして、3人はそのまま再び森の奥へと向かっていきました。
「誰?
だぁれ?」
「人間?
人間かなぁ」
「人間はここには入れないよ」
「そうだよねぇ。
なら誰だろ。
完全な人型はそんなにいないって女王様が言ってたよ」
またしばらく歩いていると、今度は小さな2人の妖精が楽しそうにおしゃべりしながら近付いてきました。
妖精たちは手のひらサイズで人の姿をしていて、背中に生えた半透明の綺麗な羽をパタパタと羽ばたかせて、うっすらと発光しながらエレナの周りを飛びます。
「こんにちは。
私は魔女のエレナよ。
あなたたちは妖精さんかしら?」
妖精に関しては少しだけ知識があったエレナは彼女たちに呼び掛けてみました。
「魔女、魔女なんだって」
「そうみたい。
それなら森に入れるわね」
「私たちは女王様に仕える妖精だよね?」
「そうそう。
でも、なんで魔女がここに来たのかな?」
「ほら、そろそろあの時期だからじゃない?
女王様が招いたのよ、きっと」
「あー!そうかもー!」
妖精たちはエレナの質問には答えつつも、基本的に妖精たち同士でお話する形を取っているようでした。
「あの時期?」
エレナは首を傾げますが、妖精たちは気にした様子もありません。
「でも久しぶりだね。
魔女なんて。
何年ぶりかな」
「そうだね、300年ぶりぐらい?
でも、あの時に来た魔女もこんな姿をしてたね」
「そうだね、魔女って皆こうなのかな」
妖精たちはエレナの姿をチラチラ見ながら楽しそうにおしゃべりを続けています。
「やかましいぞ、妖精ども。
客人に目障りだ。
去れ!」
「「ひゃー!こわーい!」」
その後、スプリガンに一喝され、2人は楽しそうに去っていきました。
「……しかし、本当によく似ている。
その髪。
その瞳。
初めに見た時は、少し驚いたぞ」
「……え?」
スプリガンの呟きに、魔女の格好のことを言っていると思っていたエレナは驚きました。
どうやら、300年前にこの森を訪れた魔女もエレナと同じ容姿だったようです。
「そ、それってどういう?」
「……すべては女王がお話しになるだろう」
「あっ」
スプリガンは答えようとはせず、再びザッザッと歩いていってしまい、エレナはとりあえずそれについていくことしか出来ませんでした。
「ここだ」
「ようこそ、お若い魔女さん」
ようやくたどり着くと、そこには大きな葉っぱのベッドに座る年老いた妖精がいました。
だいぶ高齢のようで、髪は白く、たるんだ瞼で瞳の色は分かりませんでした。
ですが、妖精にしては体は大きく、普通の人間の老婆のように見えます。
背中の灰色の羽で、ようやく妖精なのだと分かりました。
その羽も、今は力を失ってシワシワになってしまっていました。
エレナは緑色のとんがり帽子を胸に抱え込んで、深く頭を下げます。
「はじめまして。
魔女のエレナと申します。
この度は森を騒がせてしまいまして申し訳ありません」
「ふふ、魔女は高位の存在者。
妖精とは同列みたいなものだから、魔女の象徴である帽子を取る最敬礼は必要ないのよ。
さ、頭をあげて」
「あ、は、はい」
妖精女王に優しく言われ、エレナは少し照れくさそうに帽子をかぶり直しました。
スプリガンが女王の横につくと、エレナの肩に乗っていた木霊がぴょんと飛び降りて、女王の元までトテトテと駆けていき、女王に一礼してから、今度は女王の膝にピョンと飛び乗りました。
女王が木霊の頭を指で優しく撫でてやると、木霊はくすぐったそうに身をよじっていました。
その光景にエレナは驚きました。
木霊は自然そのもの。
無為自然。
あるがままにある木霊が女王に対しては敬意を払い、さらに母に甘える子のように身を任せています。
スプリガンがエレナに懐く木霊に驚いたのはそのためでしたが、女王はこの森そのものを従え、包み込む、実質的に森の女王なのだとエレナは実感しました。
そして、その優しき姿に、エレナはかつて救えなかった村の村長であった、祖母のような存在と姿を重ねていました。
「……それでね、あなたをこの森に招いたのは、あるお願いがあってのことなの」
「お願い、ですか」
やはりエレナは女王に招かれてこの森に落ちてきたようです。
「じつは、この森に張っている結界。
これは魔女さんに張ってもらったものでね。
時間がたつにつれて弱まってしまうから、そのたびに魔女さんを招いて結界を張り直してもらっていたのだけれど、近頃は魔女さんもすっかり減ってしまって、もう魔女さんはいなくなってしまったのかと思っていたのよ」
「……」
やはり近年の魔女狩りによって魔女はその数を急激に減らしているようでした。
「だから、今回は魔女さんが現れなくて、もうこの森も秘されなくなるのかと覚悟していたのだけれど、そろそろ限界かと言うときにあなたが現れたの。
これはまだ、この森を結界の中に入れておけという天命なのだと思うの。
だから、この森の結界を張り直してくれないかしら?」
エレナがここを通ったのはたまたまでした。
でも、もしエレナがここを通らなければ、空間のヒビに興味を持たなければ、この森の結界は解かれていた。
でも、それでもエレナはここに来た。
エレナはなんだか、それが自分に課された運命のように感じました。
「わかりました。
もとより、困った方々を助けるのが魔女の本懐。
断る理由はありません」
エレナがそう言うと、女王は少し驚いたような顔をしました。
「……あの?」
エレナが不安そうに窺うと、女王ははっと気が付いたように微笑みを浮かべます。
「……ふふ、因果なものね。
前回、この結界を直してくれた魔女さんも、あなたとまったく同じことを言っていたわ」
「え?」
「それに、その子もあなたみたいに真っ白な長い髪に、綺麗な夕日色の瞳をしていたのよ」
「え?
それって、まさか」
驚くエレナに、女王は優しく頷きます。
「おそらく、あなたのお母様でしょうね」
「お母さんが……」
魔女は長命です。
また、中年時代がなく、生まれてから20年ほどで老化が止まり、寿命が近くなると急激に老体化するのです。
そのため、300年前にエレナの母がエレナと同じ容姿でも不思議はありません。
「ふふ、あなたのお母様、ユナはあなたのようにとても優しい子でしたよ。
木霊が気に入るのですから間違いないでしょう」
「きゃっ!」
気付いたら自分の頭の上にまた別の木霊が乗っていてエレナは驚きました。
「ふふ。
ユナは自分の親を知らないと言っていましたが、もしかしたらその前に来た魔女さんもあなたたちの血筋だったのかもしれませんね。
もしそうだとしたら、運命というものは不思議なものです」
なんだか壮大すぎて、エレナにはうまく想像できませんでした。
「……あなた、魔法の媒体は何を使っているの?」
「え、あ、この手鏡です」
女王に言われ、エレナは懐から手鏡を取り出します。
「あらあら、まだそれを使っていてくれたのね」
「え?」
エレナの手鏡を見ると、女王は嬉しそうに頬を緩めました。
「その手鏡。
私が作ったのよ」
「ええっ!?」
エレナは驚いて、改めて手鏡を覗き込みます。
花の彫りこみがされている手鏡。
エレナは母の形見でもあるこの手鏡をとても気に入っていました。
「ユナは魔法の媒体を持ってなくてね。
うまく魔法を使えていなかったから、この森の木を使って手鏡にしてみたの」
「そう、だったんですか」
「魔女さんの魔法は事象の改変。
今ここにある事象を魔女さんのイメージする結果に改変し、確定する。
それが魔女さんの魔法」
「?」
「あら、ごめんなさいね。
旧時代の解析説明をされても分からないわよね」
エレナには女王の言っていることがよく分かりませんでした。
長い長い時を生きている妖精女王はかつてあった古き時代の記憶を持っているみたいです。
「とにかく、とても強い力ってことよ。
だからこそ、魔女さんは心優しくなければならないの」
そこまで言って、女王はふっと微笑みます。
「まあでも、あなたは心配ないわね」
女王がそう言うと、いつの間にかエレナの両肩にも乗っていた木霊たちが楽しそうに揺れました。
「……はい」
エレナはそれらに微笑みを向けながら、しっかりと返事を返しました。
「じゃあ、さっそくお願い。
呪文の文言は分かるかしら?」
「あ、はい。
大丈夫だと思います」
魔女は紡ぎたい魔法の呪文が自然と頭に流れます。
「私の真下がちょうど森の中心で、結界の要なの」
「はい、わかりました」
女王に言われ、エレナは手鏡を女王の足元にかざします。
手鏡には女王の足元に弱々しく光がうつりました。
どうやら、これが結界の光のようです。
「……っ!」
そして、手鏡越しに女王を見て、エレナは驚きました。
ですが、まずは結界を直そうと思い、呪文を紡ぎました。
【ひなげしの葉
鏡花の蔓
深緑の針子
糸張りの夢
幻想の森を秘する守り子よ
いま一度、彼らに安息の守りを】
エレナが呪文を紡ぎ終わると、手鏡越しに見えていた光が現実にも現れ、それが強く輝きだして、やがて、その光は広大な森をすべて包み込みました。
「うまくいったようね」
しばらくすると、森を包んでいた光は収まり、元の静かで厳かな森に戻りました。
「はい……あっ!」
エレナは眩んだ目が慣れてきて女王に顔を向けると、驚きを露にしました。
妖精女王は先ほどまでの老婆の姿ではなく、年若い、大人の女性へと姿を変えていたのです。
髪は鮮やかな緑色。
瞳は綺麗な金。
そして、羽は色鮮やかな虹色をしていました。
「ふふふ、驚いたかしら?
私と森と結界は一蓮托生。
結界が直れば、森も私も甦るのですよ」
声も若く艶っぽいものになっていましたが、その優しい口調はたしかに妖精女王のものでした。
「そうなんですね」
エレナは驚きましたが、その優しい雰囲気はそのままで、なんだか安心しました。
「本当にありがとうね。
何かお礼をしないとね」
「いえ、そんな」
先ほど、結界が張り直された時に森全体からエレナに返礼の光が返ってきていました。
エレナにはそれだけで十分でしたが、女王は個人的に何かお礼がしたいようです。
「ああ、そうだ。
エレナ。
こっちへ来なさい」
「あ、はい」
自分の名前を呼んでもらえて、エレナは嬉しく思いました。
妖精は自分が覚えておきたいと思った名前しか口にしない気まぐれな存在だと学んでいたからです。
だから、先ほど妖精女王が母の名前を口にした時も、エレナは喜んでいました。
「……ん」
エレナが近付くと、女王はエレナの頭に手を置いて、何事かを呟きました。
すると、懐にしまった手鏡が光りました。
なんだろうとエレナが手鏡を取り出してみると、彫りこまれている花の1つが白く光っていました。
「それは妖精の加護。
あなたに危険が迫った時、一度だけあなたを助けてあげるわ。
旅のお供に持っていなさい」
「あ、ありがとうございます!」
優しく微笑む女王にエレナも笑顔で応えました。
「素敵な森だったわね」
女王とスプリガン、そしてたくさんの妖精と木霊たちに見送られ、エレナは再び空を飛びます。
懐から手鏡を取り出し、白く光る花を撫でて、ふふと微笑みました。
「お母さんに手鏡を作った人。
なんだか、お母さんのお母さんみたいだったな」
エレナは呟くと、手鏡を大切に懐にしまいました。
そして、雲1つない青空を緑色のとんがり帽子をおさえながら、再び箒で飛んでいきました。
次はどんな出会いが待っているのだろう。
そんな期待と、少しの不安に胸を弾ませながら。
ですが、すべてが良い出会いではないということをエレナが知るのは、もう少し先のお話。