4ー3ー2 アニメ制作の裏側で
ビルの中で。
スタッフの方々がスタジオの入れ替えをするというので僕も手伝おうと思ったが、スタッフの皆さんが全部やるから良いよと言われてしまった。前の収録作品も今回の僕たちの収録作品もかなり有名作品なのでスタッフの数がとても多い。
キャストの僕がやるまでもなく入れ替えができるのだという。だから僕は待っていて入れ替えが終わった後に一番に入るつもりだった。そうすればドアの開閉ができる席も確保できるだろうと思ってのことだ。三時間以上スタジオの外で待つのは初めてだったために飲み物を飲みすぎたようだ。
トイレは大丈夫だけど休憩の際に水分補給ができないくらいに減ってしまった。喉を潤すためにも水分はアフレコに必須だ。差し入れがあったら水分が欲しくなるだろうし、休憩時間に飲み物を買いに行くのは短い休憩だからこそ嫌だ。
差し入れはほとんどが原作者の先生や制作会社のお偉いさんからのものなので食べないわけにはいかない。そういった方々やスタッフさん、キャストさんと雑談ができる貴重な時間が休憩時間だ。その時間を無駄にするわけにはいかない。
初めて来るビルだったので自販機が設置されている場所はどこだろうと案内図を見ながら行くと、男女の話し声というか諍いの声が聞こえてきた。
──この声、根本さんと矢口遥香じゃないか?
矢口は演技面で問題がありすぎる人物だ。僕の事務所であるペパームーン全員が共演NGを出すくらいにはヤバイ人物。根本さんとも何かあったのかもしれないと思って本当は走っちゃいけないんだけど声がする方へ走る。
正確には足の痛みを我慢して可能な限りの早足だったけど、それが僕の全速力だった。普通の人より遅いことがこんなに恨めしいと思ったのは久しぶりだ。
二人が居たのは僕が目指していた休憩室の近く。喫煙所も近いところで根本さんが矢口と言い合っているようだった。
「だから、間に合っているので結構です!」
「奢るよ?共演していた千早ちゃんと一緒に行くんじゃなかったら誰と一緒にご飯に行くのさ?」
え?
これ、ナンパ……?矢口が根本さんと強引に食事に行こうとしている、のだろうか。初めて見た。
根本さんは嫌そうにしているし、間に入った方が良いかもしれない。
「根本さん……?どうかされたんですか?」
「あ、みーちゃん⁉︎え、見られたくなかったー‼︎」
それは悪いことをしたと思う。けどあれだけ叫んでいる知人を放っておくことはできない。
僕が声をかけたことが気に食わないのか、明らかに嫌そうな顔をした矢口が僕を睨んできた。
「お前、何?学生服着てるけど明菜ちゃんの知り合い?」
このビルにいる学生服って段階でわからないのか、矢口は。収録関係のビルで根本さんと知り合いって時点で声優か芸能界の関係者ってわかりそうなものだけど。
このオカマ、化粧とかはオカマっぽいのにしっかり『男』なんだな。嫌われている異性を名前にちゃん付けとか気持ち悪い。
「初めまして、矢口遥香さん。声優の間宮光希です。根本さんとはレギュラー作品を一つ一緒にやらせていただいています」
「マミヤミツキ?全然知らないな。僕のことを知っていたことは褒めてあげるけど子供が口を出すなよ。これは大人の男女の話なんだから」
これ、僕の昔のことはバレていないな。このまま初対面で突き通そう。
気付いていたら気付いていたで昔のネームバリューを使っていただけだし、向こうが知らないのならお前よりも優れている子供だと知らしめるだけだ。
「大人だろうが子供だろうが、相手の嫌がることをするのが人間のすることですか?根本さんは嫌がっているように見えます」
二人の間に入って根本さんを庇うように立つ。身長的には根本さんとあまり変わらないけど、ここは前に立たなくちゃいけない場面だ。
僕は矢口遥香のことを碌に知らない。演技が酷くて声優としての態度も最低で、オカマだということくらいしか知らない。だからこの人に反発すると暴力を振るわれるかどうかもわからなかった。そんなもしもに備えて根本さんが殴られるよりは良いだろうと根本さんを後ろに回す。
いやホント、この人なんで現場でナンパなんてしてるんだ?常識がなさすぎる。
「根本さんも嫌でしょう?」
「うん。あんまり知らない人と二人で食事に行くなんて無理。女の子ならまだしも男の人となんてねえ。そもそもこの後私、梨沙子先輩とご飯に行くのにこの人とご飯行けるわけがないんだよね。先約を優先するのは当然でしょ?」
「そうですね。福圓さんは事務所の先輩でもあるので優先すべきはそちらかと」
予定があるならしょうがない。
ってなるのが普通だと思うんだけど。それが通用しない人もいるんだなあ。芸能人って一般人と感覚がだいぶ違うって話だけど、ここまで我が強いとちょっと酷すぎると思う。
特に福圓さんなんて今話題の人だ。その人に食事に誘われているのなら矢口なんて優先順位としてはかなり低いだろう。
男女で二人っきりで食事なんて……。僕、根本さんと叙々苑行ったなあ。僕とはOKだったんだから矢口が嫌なんだろう。いや、あの時はかなり特殊な状況だったからノーカウントじゃないだろうか。
「お前、本当になんなんだよ。邪魔だって言ってるのがわからないのか?僕は明菜ちゃんとデートをしたいんだよ」
「相手の了承なく連れ出すのはいけないことだってわかりますよね?しかも根本さんはきちんと用事があると言っています。引き留めていることそのものが迷惑ですよ」
一般常識で責められることが嫌なのか確実にピキッているお相手。
ファンにはキャーキャー言われているから女性にはモテるとでも思っているのだろうか。ぶっちゃけそんなにキャーキャー言われるような人物ではないと思う。
「嫌がっている方をこんな公共の場で引き留めるのはおかしいと思います。僕よりも歳上なのですから、高校生の僕にこんなこと言わせないでください」
「マミヤさあ、俺のこと舐めてるだろ?声優としても人生から見ても先輩の俺を、下に見てんじゃねえぞ!」
ドンッ!と近くの壁を叩いてペルソナが剥がれた醜いオカマ。僕の後ろでいきなりの怒声に驚いたのか根本さんがビクゥ!と震えていた。声を生業にしているだけあって声は大きかったけど、全然威圧的な感じはしなかった。
向こうは激昂している風だけど、声に震えがないから全く怖くなかった。この人、声を生業にしている割に声もできていない。声優としてもやっぱり尊敬できない人だ。
子役の頃に真正面から叱ってくる俳優さんの方が怖かった。それと比べるとチワワが無理に吠えているようにしか見えない。チワワほど可愛くないけど。
「根本さん、もう行って大丈夫ですよ。こんな風に怒る人と一緒に食事なんて怖いでしょうから」
「いやいや、みーちゃん置いて私だけ行けないでしょ。この人もすっごい怒ってるし」
「じゃあ外まで一緒に行きましょうか。その後はタクシーでも拾って福圓さんと合流してください」
「みーちゃん収録は?」
「まだ始まらないので。ちょっとくらいなら大丈夫だと思いますよ」
ちょっと周りを見てそう言う。マネージャーさんとか迎えに来てくれないだろうか。僕一人じゃちょっと手一杯だ。
僕たちの、この人よりはよっぽど仲のいいやりとりにまた怒りゲージが溜まっているようだけど、これ以上関わるのが馬鹿らしい。
いっそ手を取ろうか。それくらいは根本さんも許してくれそうだ。
「俺のことを無視するな!」
「根本さん、ちょっと危ないので外に行きましょうか。噛み付かれても困りますし、いっそ手でも繋ぎます?」
「み、みーちゃん⁉︎」
「帰ったらすぐに事務所に連絡を入れてください。恫喝されたと」
恫喝という単語を使った瞬間血の気が引くオカマもどき。これ、芸能界だろうが一般社会だろうが犯罪だ。それを出した瞬間怯む目の前の男。これは勝ったな。
「事務所同士の問題でもありますし、収録で問題があったら作品にも影響が出ますし。今電話をした方が良いのでは?」
「そうだね。作品に迷惑をかけたくないし。私の評価にも関わるから早めに対処しないと」
根本さんがスマホを出す。それが決定打になったのか顔面蒼白で逃げていくオカマの皮を被った勘違い野郎。
「おまっ、そんな女だったのかよ⁉︎ポワポワしてて狙いやすいと思ったのに!ふざけんなよ!」
そんな捨て台詞を吐きながら立ち去る。無様だなあ。
と思いながらも確実に足音が去ってから大きく息を吐いてその場に蹲る。
「……声優人生終わったかと思った……」
「みーちゃん、何で助けてくれたの?本当に危なかったと思うよ?」
「助けるに決まってるじゃないですか。本当に危ないところだったんですから……。そこで見捨てるほど薄情な人間になったつもりはありませんよ。それに周りに大人もたくさんいましたし」
僕が指を指すと、スタッフさんやらキャストさんやらが影から見守ってくれていた。それがわかっていたから少し強気でいられたわけだ。
根本さんは知らない仲じゃないんだし、助けるに決まってる。
根本さんは大人たちに囲まれて外に行ってタクシーに乗って帰っていった。無事で良かった良かった。
収録が始まる前に、花井さんに揶揄われた。
「いやあ、ナイトみたいだったよ。カッコよかった」
「見てたなら助けてくださいよ……」
「大人はね、最後の最後で手助けするものなんだよ。面倒なこととか受け持つのが俺たちの仕事。若い子が前で無茶するものなのさ」
「そうですか……」
丸く収まったから良いけど。
収録は結局さっきのこともあって十八時を過ぎてから始まった。
次も日曜日に投稿します。
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