無表情系幼馴染とのすごしかた
イージス・ウォードが学院の裏手にあるバラ園に続く道を歩いていると、どこかから人の声が聞こえてきた。
よく耳を澄ますと、それは幼馴染であるエーデルワイスの声のようだった。
「エトワール様、本日はどのようなご用でしょうか?」
「やあエーデルワイス、久しぶり。昔のようにエトと読んではくれないのかな?」
「私の記憶が確かなら、かつてそのようにお呼びしたことは1度もなかったと思いますが?」
そうだったかな、はっはっはとトボけたように笑うもう一人の声が聞こえた。
イージスの記憶が確かなら、その声の主はエトワールと言う名前の青年だ。
イージスは声のする方に近づくことにした。
ややあって、バラ園の中にエーデルワイスとエトワールがいるのが見えた。
「ハハハ、エーデルワイスは軽いなあ」
どういう流れなのか、エトワールがエーデルワイスを抱きかかえていた。
何やってんだアイツ。
「キャ、エ、エトワール様!」
「ちゃんとご飯は食べているのかな? ちょっと痩せすぎじゃないかい? ううん、体重は大体よ───」
ゴキ、と容赦のない拳が顔面にめり込んだ。
「あ」
と、エーデルワイスが声をあげる。
「すみません。つい」
エーデルワイスの容赦のない一撃は、エトワールに大分効いているようだった。
足元がおぼつかない。
エトワールはそれでも意地でもエーデルワイスを取り落とすような事はなく、優しく彼女を地面におろした。
イージスの記憶が確かなら、エトワールは外国からの留学生だ。
この国に来て三年になる。
噂では、さる大物貴族の嫡男だとか。
性格がさわやかすぎてイージスは苦手だ。
「ねえ、エーデルワイス。例の話は考えてくれたかい?」
「はあ」
「もし君が望むなら、最高級の待遇で迎える準備もある」
「そうですか」
「出来ればいい返事を聞かせてもらえると嬉しいな」
「………」
なんだか気分がよくなかったので、イージスは最後まで聞くことはせず、その場を立ち去ることにした。
「あれ、イージスさま……?」
◇ ◇
イージスにとってエーデルワイス・マクスウェルという少女はどんな存在だろうか。
学友、友達、幼馴染。
そもそも、イージスはエーデルワイスについて何も知らない。
例えば、成績優秀で並び立つものがいないとまで称されていたとか。
両親ともに既に故人で、家族と呼べる存在は妹くらいしか残されていないとか。
それくらいのことならば知っている。
でもそれ以上はよく知らない。
何が好きなのかとか、何が嫌いなのかとか。
「難しいねぇ」
「…………」
イージスの前に座っていたエーデルワイスが、首を傾げる。
「いや、なんでもないよ」
聞けばなんでも答えてもらえると思っているが、本人に直接聞くのは何故だか負けた気になる。
「ねえ、エリス」
と、イージスは、テーブルに頬杖をついて、彼女の顔を眺めながら呼びかけた。
イージスの言葉に、エーデルワイスは「?」と視線を彼に向ける。
対面に座るエーデルワイスは本を読んでいる。
ここは、王立学院の一角にある談話室だ。
学院の敷地の端の方にあるので、良い言い方をすれば穴場でほとんど人がいない。
悪い言い方をすれば寂れていて人が寄り付かない場所である。
とは言うものの、そのおかげでイージスはエーデルワイスと二人きりなので、善し悪しだ。
「別に用はないよ。ふっふっふ、呼んでみただけだから」
エーデルワイスは一度手をとめると、カバンを開けて何かを取り出した。
イージスさま、と呼びかけられて彼は「なに?」と注意を向ける。
と、一瞬の早業で、何かを口のなかに放り込まれた。
「………甘い」
口の中に放られたのは砂糖菓子だった。
「静かにしててください」
「物で釣られるほどやすい人間だと思われてるの? 心外だなあ。子供じゃないんだから」
と言いつつもイージスは口の中の砂糖菓子を舌で転がして味わう。
そんな彼を見て、エーデルワイスは「食べてるじゃないか」とでも言いたげな表情をする。
「ぼくは出された物は基本的に食べるようにしているんだ、育ちのせいかな。ハッハ」
と、イージスはうそぶく。
「ところでコレ美味しいね。もしかして手作り?」
貴族であるイージスの口にも合う食べ物だ。
「いえ、あまりものです。そういうの、くれる人がいるんで」
「え、なにそれ男?」
「そうですが?」
とエーデルワイスはあっさりと頷いた。
「なにそれ聞いてない」
「言ってませんから」
そもそも言われる理由もない。
とはイージスも分かってはいるが、なんだか釈然としない。
「うむむ。よくないなあ、そういうの。よくないよ。人を物で釣るような男にはロクなヤツがいないのは間違いないよ」
「彼も、あなたには言われたくないと思います」
「ぼくが言うんだから信憑性があるんじゃないか」
絶対にいけ好かないヤツに違いない。
名前は知らないけれど、イージス勝手にはそう思った。
パチパチと暖炉の火が立てる音が二人の間に響く。
イージスはゆっくりと手を伸ばして、対面に座るエーデルワイスの頬に触れる。
指先に柔らかな触感が返ってくるが、当の本人は抵抗もせずにされるがままだった。
「ふうむ」
とイージスは頷く。
「なんですか?」
「怒った?」
「怒ってません」
イージスは大抵いつもニコニコ笑った顔を作っているが、笑いながら少女にチョッカイかける姿は、はたから見れば危ない人だ。
「ほら、危機感がない」
「はあ、そうですか」
エーデルワイスは気のない返事をする。
「ねえ、エリス」
「なんですか?」
「いや、真剣な表情の女性って魅力的だと思うよ。でも、ぼくの事を見てくれたら、もっと魅力的だと思うな」
「そうですか」
抑揚のまるでない声でエーデルワイスは相槌を打つ。
「きみはあんまり笑わないよねえ、昔から。是非笑って欲しいな。女の子は笑顔が一番だと思わない?」
「そうですか」
そこでようやくエーデルワイスは手を止めて、とても面倒そうに視線をイージスに向けた。
本は読み終わっていた。
「きみは有名だったからねえ。昔から注目されてたんだよ、色んな意味で」
優秀で優良血統、その上可愛いときたら関心が向かないわけがない。けれど誰も笑った所を見たことがないとは、もっぱらの評判だった。
「そうでしたか? 気がつきませんでした」
本当に知らなかったようで、なぜでしょうとエーデルワイスは首をかしげる。
知らぬは本人ばかり。
「わたしも、昔、イージスさまの話はよく聞かされました」
「へえ? どんな?」
「泣かせた女は星の数、怒らせた男も星の数。ふらふらふらふら女の子を取っ替えひっかえで、放蕩貴族のロクデナシって」
「よぉく言われるんだ。なぜだろう」
ふしぎだね、とイージスは笑う。
「噂ってあてになるんですね」
「エリスはぼくのことをよくわかってくれるねえ。流石幼馴染だね?」
「………そうですか。そうだといいですね」
と、しみじみとエーデルワイスに呟かれてしまった。
「それで、イージスさま、なんで怒ってるんですか?」
「え、怒ってる? ぼくが? ハハハ、なに言ってるの? ぼくが怒ってるように見える?」
「そう見えるから言ってるんです」
「………」
べつにイージスは怒ってなどいない。
本当だ。
でもエーデルワイスは、イージスが怒っているように見えるらしい。
「不思議だねぇ」
「自覚がないんですね」
と、エーデルワイスが呟いたが、イージスにはよく聞こえなかった。
「イージスさまがわざわざわたしを探しに来るのは、大抵怒っている時くらいです」
「そうかな。そんなことはないと思うけど」
イージスは首を傾げた。
「そうだなぁ、じゃあ、全然まったく関係ないことだけど、エリスってどんな人間が嫌い?」
「なんですか、その質問は?」
「いいから」
「…………」
エーデルワイスは突然の謎の質問に困惑した。
「イージスさま、わたしは一人が好きです。そして、誠実でない人は好みでありません」
「それってエトワールみたいな人が好みってこと?」
「は? なぜそこでエトワールさまが……。あぁ…」
エーデルワイスは何かに納得したように言葉を漏らした。
「ところで、わたしも全然関係ない話をしますが、卒業後に国に来ないかと、その件のエトワールさまに声をかけていただいています」
「へえ、そうなんだ」
「ええ。なんでも青い品種が欲しいそうです」
「んん?」
青い品種?
「エトワールさまの国にはない品種ですからね」
「なんの話?」
「ですから、バラです。わたしに青いバラを作って欲しいと言っていました。まあ、我が家にはバラ園ありますし、そう言うの好きなので」
「ああ、そう言えば、学院の裏庭のバラ園の手入れしてるのってエリスだっけ……」
「一角を貸していただいているだけです」
青いバラは非常に育ちにくいが、エーデルワイスは昔から上手に育てるのが得意だったな、とイージスは思い出した。
「でもなんでバラ?」
「エトワールさまのご実家はバラ栽培で有名なんですよ? 知りませんか?」
「ああ、そうなんだ」
それは知らなかった。
やはり知らないことばかりだな、とイージスは思った。
「イージスさま、わたしは誠実でない人は好みでありません。でもイージスさまのことは…」
イージスはふらふらと何処かに行ってしまうが、結局は最後に一人の所に戻ってくる。そんな人間なのだと、エーデルワイスは知っている。
「ごめん、最後よく聞こえなかったんだけど」
「いえ、なんでもないです。もう言いません」
「ええ、ひどいな」
「イージスさまほどではないです」
「それもそうだね」
イージスは笑った。
それにつられて、エーデルワイスも誰にも気づかれないくらい微かに、微笑むのだった。