第二場
第二場
場面。
一方に小高い丘があり、花野菜の畑と、高さ二、三尺くらいある青麦畠へと連なっている。丘の縁には山吹の花が咲き揃い、下は一面、山懐に深く崩れ込んだ窪地で、草原である。苗樹だけの桑が薄く芽吹いたのが、竹に似て、高さ不揃いに生えている。
もう一方は雑木山で、とりわけ樫の大樹が、高いのと低いのと二幹あって、葉は黒いまでに枝とともに繁って、黒雲の渦のよう。花野菜の空の明るいのと対照的である。
花道へかけての一筋は、皆、丘と丘との間の細道の趣がある。
遠景は一帯、伊豆の連山。
画 家:
(一人、丘の上の崖に咲いている山吹と、畠の菜の花の間の高いところで、静かにポケット・ウヰスキーを傾けている。鶯の声が遠くに聞こえる。二、三度鶏の声。遠くから河鹿の鳴き声。しばらくして、立ち上がり、少し何かに驚く様子。なおも窺おうとして、花と葉の茂みに隠れる)
夫 人:
(傘を片手に、もう片手に縄尻を取って――登場)
人形使い:
(猿轡のまま、蝙蝠傘を横、人形を縦にして十文字に背負い、後ろ手に人形の竹を持った手を、縄で縛められながら出て来る。肩を落とし、首を垂れ、屠場にでも赴くようである。しかも酔った足取りで、よたよたとして先に立ち、山懐の深く窪み込んだ小暗い方に入ってきた。と、両腕を解けば縄が落ちる。実は、縛られていたのではない。手で、そんな風に装っていたのである。人形を桑の一本の木に立ち掛け、跪いて拝む。そうやって、少し離れたところで、口の手拭いを解く)
奥様。そりゃ、約束の通りやってくだせぇ。(足や手を硬直して、突き出し、ぐにゃぐにゃと真俯向けになって草に伏せる)
夫 人:
本当なの? 爺さん。
人形使い:
やあ、嘘でこんな真似が出来るものかね。それ、やっつけて下せえまし。
夫 人:
本当に打つの?
人形使い:
血の出るまで打って下せぇ。息が止まるくらいにまでお願ぇだよ。
夫 人:
本当かい、本当に打つのだね。
人形使い:
何とももう、堪らねえ、待ちかねてますだ。
夫 人:
……あとで文句を言われたって、それまでのことだわね。――では、約束をしたのだから、本当に打つからね。我慢をおし。(雨傘で三つ四つ打ち、続けて五つ六つと打つ)
人形使い:
堪えねぇ、ちっとも堪えねぇ。
夫 人:
(鞭打ちながら)これでは――これでは――
人形使い:
駄目だねぇ。(寝ながら捻じ向く)これでもか、これでもか、とやってくだせえ。
夫 人:
これでも、あの、これでも。
人形使い:
そんなことでは、からきし駄目だ。待たっせいまし。(袖なしの木綿の綿入れと汚れ切った印半纏の両方とも脱いで、痩せた皺膚を露出する。よろりと立って、樹にその身を後ろ向きになって張り付く。振り向いて眼を睜りながら)傘を引き破いて、骨と柄になせぇまし。そうでなくては、バサバサするだけで、ちっとも肉へ応えねぇだ。
夫 人:
(ため息とともに)ああ。
人形使い:
それでだの、打つものを、この酔っ払いの乞食爺だと思っては、ちっとも力が入らねえだ。――奥様が『おのれ!』と思う、憎いものが世にあるべい。姑か、舅か、小姑か、他人か、縁者、友だちか。何でも構うことはねえだの。
夫 人:
ああ。
人形使い:
その憎い奴を打つと思って、思うさま引っぱたくだ。可いか、可いかの。
夫 人:
ああ。
人形使い:
それ、確りさっせえ。
夫 人:
ああ。あいよ。(興奮しながら、びりびりと傘を破る。そうしたため、疵ついて、指先、腕などに血汐が滲む――傘を取り直す)――畜生――畜生――畜生――畜生――
人形使い:
ううむ、(幽かに呻く)ううむ、そうだ、そこだ、ちっと、へい、応えるぞ。ううむ、そうだ、まだだまだだ。
夫 人:
これでもかい。これでもかい、畜生。
人形使い:
そ、そんな、尻べたや背骨だけでは埒が明かねえ。頭も耳も構わず打叩くんだ。
夫 人:
畜生、畜生、畜生。(自分を制せず、魔に魅入られたかのように踊りかかり、飛び上がり、髪を乱し、顔色も青ざめながら、打って打って打ちのめしながら息を切らせる)ああ、切ない、苦しい。苦しい、切ない。
人形使い:
ううむ堪らねえ、苦しいが、可い塩梅だ。堪らねえ、うう……、いい気味だ。
画 家:
(土手を伝わって窪地に下りる。騒がず、しかし急いで寄って来て、夫人を遮り止める)貴女、――奥さん。
夫 人:
あら、先生。(瞳を睜くとともに、腕がしびれ、足も萎えて、崩れるようにして腰を落とし、半ば失神する)
画 家:
(夫人の肩を抱く)ウヰスキーです――清涼剤に――一体、これはどうしたことです。
人形使い:
(びくりびくりと蠢く)
画 家:
(夫人を抱きかかえながら、人形使いを見て)どうした事情だか分かりませんが、あまり極端なことをしては不可い。
夫 人:
(ほっと息を吐いて)私、どうしたんでございましょう、人間界にあるまじき、浅ましいところをお目に掛けて、私どうしたら可いんでしょう。(ヒステリックに泣く)
画 家:
(どうしようもできず、手をさすり、背筋を撫でながら)気をお鎮めなさい。
人形使い:
(血だらけの膚を、半纏で巻いて、喘ぎながら草に手をつく)はい、……これは、えええ旦那様でございますか、はい。
画 家:
この奥さんの……別に、何と言うのでもないが、ちょっと知り合いだ。
人形使い:
はい、そのお知り合いの旦那様に、爺から申し上げます。はい、ええ、くどいことは、お聞きづろうございますで。……早い話が、はい、この八目鰻の生干みたいな、ぬらりと黒い、乾からびた老耄にも、若い時が一度ございまして、その頃に、はい、大きな罪障を造ったでございます。女子のことでございましての。はい、ものの譬えようもございません。欄間に居られる天女を、蛇が捲いたような、いや、奥庭の池の鯉を、蠑螈が食い破りましたようなことで。……生命も血も吸いました。――一旦夢が覚めますると、その罪の可恐さ。身の置き所もございませんで。……消えるまで、失せるまでと、雨露に命を打たせておりますうちに、――四国遍路で逢いました諸国を廻っておられたご出家――弘法様かと思われます――お坊様から、不思議なことに人形を譲られたでございます。竹操りのこの人形も、美しいご婦人でございますで、爺がこの酒を食らいます時も、さぞお可厭であろうと思いますで、遠くへお離し申しておきます。担いで帰ります折も、酒臭い息が掛かるのではと、口に手拭いを噛みます次第で。……美しいお女中様は、爺の目に、神も同然に拝まれます。それにつけても、はい、昔の罪が思われます。せめて、朝に晩に、この身体を折檻されて、拷問苛責の苦を受けましたら、何ほどかの罪滅ぼしになりましょうと、それでも、はい、後の世の地獄は恐れません。現世の心の苦しみが堪えられませんので、いつもいつも、そのことばかり望んでおりますだが、同じ木賃宿に泊まっている者や、お堂やお宮の縁の下で一緒に寝ているような婆、嬶ならいつでも打ちも蹴りもしてくれましょうが、それでは思いが届きません。さあ、乞食が不心得をしたために、お生命までもお失いにならっせえましたのは、美しいお方でございましたもの。やっぱり、美しいお方の責めでのうては、血にも肉にも、ちっとも響かないのでございます。――またこの希望が、幽霊や怨念の念願と同じことでございましての、この面一つを出しただけで、大概の方は遁げますで。……よくよくの名僧か徳のお高い方、もしくは豪傑な御仁でないと、聞いてさえ下さいません。――この老耄が生まれまして、六十九年、この願望を起こしましてから、四十一年目の今月の今日。――たった今、その美しい奥方様が通りがかりのこの乞食を呼んで、願掛けの一つ、一カ条、何なりとも叶えてやろうとおっしゃいます。――未熟ではありますが、家業がら、仏も出せば鬼も出す、魔物を使うような顔色で以て威してはみましたが、この幽霊にも怨念にも恐れなさいませんお覚悟を見抜きまして、そうであれば、お叶え下さいまし、とかねての念願を申し出まして、磔柱の罪人が引き廻される格好をさせていただき、路傍ながら、隠れ場所のこの山崩れの窪地へ参りまして、お有り難い責め折檻、苛責を頂いた次第でございます。……旦那様。
――もし、お美しい奥方様、おありがとうございます。おありがとうございます。
夫 人:
(はじめて心を落ち着かせて)お前さん、痛みはしないかい。
人形使い:
何の、貴女様、この疼痛は、酔った顔にそよそよと春風が靡いたり、観音様に柳の枝から甘露を含めて頂きますのと同じ嬉しさでございます。……直ぐ傍で見ます、ただ今の、美女でありながら、夜叉羅刹のような奥方様のお姿は、老耄の目には天人、女神そのままに、尊く美しく拝まれました。はい、この疼痛が残っておりますうちは、骨も筋も柔らかに、血も二十代に若返って、楽しく、嬉しく、日を送るでございましょう。
画 家:
(人形使いのその姿を見て、頷き、また耳を傾け、冷静に金口煙草を燻らす)お爺さん、煙草を喫むかね。
人形使い:
いやもう、酒が閼伽桶の水とすれば、煙草は亡者の線香でございます。
画 家:
喫みたまえ。(真珠の飾りのついた小箱のまま、衝と出す)
人形使い:
はッ、これは――弘法様の独鈷のように輝きます。あぁ、もったいない。(這い出して、画家の金口煙草から吸い付ける)罰が当たるよう――もったいない。この紫の雲に乗りまして、ふわふわと……極楽の空へ舞いましょう。
夫 人:
爺さん、もう行くの。……打たれただけで、ほんとに可いのかい。
人形使い:
たとえ桂川が逆さに流れましても、これには嘘はございません。
夫 人:
何か私に望んでおくれ。どうも私は気が済まない。
人形使い:
この上の希望と言うなら、まだもう一度、もう三度もご折檻、ご打擲を願いたいだけでございます。
夫 人:
そして、それから?
人形使い:
はあ、その上の願望といえば、この身体が粉々になりますまで、朝に晩に、毎日毎夜、お美しい奥方様の折檻を受けたいだけでございます。――最早、酔いも覚めました。もう世迷言も言いますまい。
――昼は遠慮がございますが、真夜中は、狸、獺、化け物同然になって湯に浸っても咎める人はございません、この独鈷の湯へ浸ります嬉しさに、立野の木賃宿に巣くって、しばらくこの山道を修善寺へと通いましたが――今日を限りに、下田街道をどこへなと流れて行きます。雲水の流れ、とは言うものの、お二人の行かれます天の川と私の行く溝の流れとに分かれましては、もはやお姿は影も映りますまい。お二方様とも末永くお栄えなさいまし。――静御前様、へいへいお供をいたします。
夫 人:
お待ちなさい。爺さん。(決意したように、着物を正して)私がお前と、その溝川へ流れ込んで、十年も百年も、お前のその朝晩の希望を叶えてあげましょう。
人形使い:
ややや。(声に出さず、顔色のみ)
夫 人:
先生、――私は家出をいたしました。余所の家内でございます。連れ戻されるくらいなら、どこの隅にでも入って身を隠しますが、このままでは隠れるにしても、身の置き所がありません。――溝川に死ちた鯉の、あの浅ましさを見ますにつけ、死んだ身体の醜さは、こうなるものと思いましても、やっぱり毒を飲むか、身を投げるか、自殺を覚悟していました。ただ、余りにお煩さくお思いになったのでしょうけれど、「こんな姿になるのだけは、堅く止める」と、おっしゃいました。……あの先刻のお一言で、私は死ぬのだけは止めたのでございます。
先生、――私は今はただ、名ばかりの貧乏華族、小糸川の家内でございます。
画 家:
ああ、子爵でいらっしゃる。
夫 人:
何ですか、もう、……――あの、貴方、……以前は、貴方が、西洋からお帰りになった時、よくお仲間とご贔屓にしていただき、いらしって下さいました、日本橋の……(うっとりと更に画家の顔を見る)――お忘れでございますか、お料理屋の「ゆかり」の娘の、縫ですわ。
画 家:
ああ、そうですか。お縫さん……お妹さんの方ですね。綺麗なお嬢さんがいらっしゃるということを、時々風説に聞きました。
夫 人:
(はかなそうに)ええ、先生は、寒い時に寒いと言うほど以上には、お耳には留まらなかったでございましょう。私は貴方に見られますのが恥ずかしくッて、貴方のお座敷だけは、お敷居越しにも伺ったことはありませんが、蔭ではお座敷においでになる時の、先生のお言葉は、一つとして聞き洩らしたことはないくらいでございます。奥座敷にお見えの時は、天井の上で俯向けになって聞きます。裏座敷においでの時は、小庭を中にした湯殿に入って、衣服を着てばかりはいられませんから、裸体で壁にくっ付きました。その他、小座敷でも広間でも、我が家の暗を隠れ忍ぶ身体はまるで鼠のようで、心は貴方の光の周りに寄せられる蛾のようでした。ですが、苦労人の女中にも、訳知りの姉たちにも、その気配さえ悟られたことはありません。身振り素振りに出さないのが、ほんとの自分の身体で、口へ出して言えないのが真実の心ですわ。ただ恥ずかしいのが恋ですよ。――ですがもう、その時分から、ヒステリーではないのかしらとか、少し気が変だとか言われました。……貴方、お察し下さいまし。……私は本当に気が変になりました。貴方がご結婚をなさってからというもの、丸一年、ただ湧くものは涙ばかり。うるさく伸びるものは髪ばかり。座敷牢ではありませんが、付添達の看護の中で、藻抜けのように寝ていました。死にもしないで、じれったい。……消えもしないで、浅ましい、死なずに生きていたんですよ。
――正気に戻りました時、歳は二十歳を三つ越していました。広い家同様、心も広く、目一杯に我が儘をさせて可愛がってくれました母親が亡くなりました。盲目の愛がなくなりますと、明るい世間が暗くなります。今まで我が儘が過ぎましたので、身内ともその上の我が儘が出来ない義理のような関係になりました。それでもまだ我が儘で――兄姉たちや、親類が、確かな商人、あるいは、もの堅い勤め人と、相手を見立ててくれましたけれど、その縁談をすべて断って、ただ、今の家へ参りました。
姑が一人、出戻りの小姑が二人、皆、女の意地の悪い性格を持ち合わせています。夫に仕える道がこの家の第一の家風だと言って、郊外の住居ですから水も私が井戸から汲まされます。野菜も切ります。……夜はお姑のお供をして、風呂敷でお惣菜の買い物にも出ますんです。――それを厭うものですか。――日本橋の実家からは毎日のおやつと晩だけのご馳走は、重箱と盤台(*寿司飯などと入れる円形の桶)で、その日その日に、男衆が遠くから自転車で運ぶんです。しかし、刺身の角が寝ていると言っては料理番をけなしつけ、玉子焼きの形が崩れたと言っては客の食べ残しを持ってきた、無礼だなどと、お姑に重箱を足蹴にされたこともあります。初めのうちは、自分が不束なせいだと、怨めしい気持ちも、口惜しい思いも、ただ謹んでいましたが、一年、二年と経ちますうちに、その心がよく解りました。――夫をはじめ、――私が実家に所有している財産に目をつけているのです。今は月々のその利息分で、……そう言っては何ですが、内中の台所だけは保っているのでございますけれど、そのくらいでは不足なのです。――それ、姪が見合いをする、従妹が嫁に行くと言って、私の晴着、櫛笄は、その度に無くなります。盆暮れの使い物、お交際の義理ごとに、友染も白地も、羽二重、縮緬、反物は残らず売り払われます。実家へは黙っておりますけれど、箪笥の中は大抵空なんです。――………………………………………それで主人は、詩をつくり歌を読み、脚本などを書いて投書するのが仕事です。
画 家:
それは弱りましたな。けれど、将来のお見込みはありましょう。
夫 人:
いいえ、その将来の見込みも、私が財産を持ち込みませんと、いびり出されるだけなんです。咳をしたと言ってはひそひそ、頭を痛がると言っては、ひそひそ。姑たちが額を寄せ合い、芝居や、活動写真によくある筋の、例の肺病持ちだから家のためにはしょうがない、という相談をするのです。――夫はただ「辛抱せよ、辛抱だ」と言うんですが、その辛抱をしきれないうちに、私は死んでしまうでしょう。ついこの間も風邪を引いて三日寝ました。水を飲みに行こうとする廊下で、「今度くらいが潮時じゃ。……養生だといって実家へ帰したら」と、姑たちが話すのを、不意に痛い胸に聞いたのです。
画 家:
それは薄情だ。
夫 人:
薄情くらいで済むものですか。――私は口惜しさの余りに風邪が抜けて、あらためて夫に言ったんです。「喧嘩をしてでも実家から財産を持って来ます。その代わり、ただ一度で可いですから、お姑さんを貴方の手で、せめて部屋の外へ突き出し、一人の小姑の髻を掴んで、もう一人の小姑の横面を、ぴしゃりと一つお打ちなさい」と。……
人形使い:
(じりじり乗り出す)そこだ、そこだ、そこなんだ。
画 家:
ははは、痛快ですな。しかし、穏やかではない。
夫 人:
(激昂していたが、忘れたように微笑む)穏やかではありませんか。
画 家:
まず。……そこで。
夫 人:
きさまは鬼だ、と夫が言いますと、いきなり私が座敷の外へ突き飛ばされ、倒れるところを髻を掴まれ、横面を打たれました。――その晩――昨晩ですが――その晩の夜はかえって目に着きますから、昨日家出をしたんです。先生……金魚か、植木鉢の草みたいになって、おとなしくしていれば、実家でも、親類でも、身一つは引き取ってくれましょう。しかし、私は意地でも、それは厭です。……この上は死ぬ以外にない身体ですが、その行き所を見付けました。(決然として人形使いへ向き直る)このおじさんと一緒に行きます。――この人は、女を虐げた罪を知って、朝に晩に笞の折檻を受けたいのです。一つは世界の女に代わって、私がその怨みを晴らしましょう。――この人は、静御前の人形を、また、美しい人を礼拝します。私は女に生まれました。誇りと果報をこの人によって享けましょう。――この人は、死んだ鯉の醜い死骸を拾いました。……私は弱い身体の行き倒れになった肉を、この人に拾われたいと思います。
画 家:
(あるいは頷き、また打ち傾き、少し考え込む)奥さん、いや、更めて、お縫さん。
夫 人:
(うれしそうに、あどけなく笑う)はァい。
画 家:
貴女のそのお覚悟は、他に変えようはないのですか。
夫 人:
はい、このまま、貴方、……先生が手を引いて、旅館へ連れてお帰り下さる外には――
人形使い:
そうだ、そうだ、そこなんだ。
画 家:
(再び沈黙する)
夫 人:
(すり寄る)先生。
画 家:
貴女、それはご病気だ。病気です。けれども私は医師ではない、断言は出来ません。――貴女のお覚悟はよくありません。しかし、私は人間の道について、よく解っておりません。何ともご助言は申せません。それから私が貴女の手を取ることですが、是非善悪はさて置いて、それは今、私に決心がつきかねます。卑怯で回避するのではありません。私は自分の仕事が忙しい。今、あれこれ考えを巡らす余裕が――人間が小さいために、お恥ずかしいが出来ないのです。しかし一月、半月、しばらくお待ち下さるなら、その間に、また、覚悟をしてみましょう。
夫 人:
先生、私は一晩隠れるのにさえ、顔も形も変えています。運命は迫っています。
画 家:
ごもっともです。――(顔を凝視されるのも堪えられないように、人形使いに目を返す)爺さん、必ずお供をするかね。
人形使い:
犬になって――
静かに夫人を抱き起こし、その腰の下へ四這いになり、その背に夫人は自ら腰を掛けるが、なおも倒れようとする手を画家が助け支える。
馬になってお供をするだよ。
画 家:
奥さん――何もかもご自身の思うままに。
夫 人:
貴方、そのお持ちになっているお酒を下さい。――そして媒酌人をして下さい。
画 家:
(無言で、罎を授け、酌をする)
夫 人:
(ウヰスキーを一気に煽り、ホッと息をつく)爺さん、何か肴になるものは?
人形使い:
口上っぽく小謡の真似でもやりますか。
夫 人:
いいえ、その腐った鯉を、ここへお出しな。
人形使い:
や。
夫 人:
お出しよ。刃物はないの。
人形使い:
野道、山道、野宿をするだで、犬おどしは持っとりますだ。(腹掛けのポケットから錆びたナイフを抜き出す)
画 家:
ああ、奥さん。
夫 人:
この人と一緒に行くのです。――このくらいのものを食べられなくては。……
人形使い:
やあ、面白い。俺も食うべい。
画 家:
(衝と立ち上がって、顔を逸らせる)
――南無大師遍昭金剛。――南無大師遍昭金剛――遠くに多人数の人声。童男童女の稚児二人だけが先ず練り出して来る。――
稚 児 一:
(いじらしく)南無大師遍昭金剛。……
稚 児 二:
(なおいじらしく)南無大師遍昭金剛。……
初めは二人、紫の切れ下げ髪と、白丈長の稚髷とで、静かに練り出て来るが、やがて人形使い、夫人、画家たちを怪しむように、ばたばたと駈け抜けて、花道の半ばに急ぐ。画家と夫人は、言い合わせたように二人して稚児たちに向かって立ち、手招きをする。人形使いもそれを真似るように、稚児たちに向かって手招きし、こちらに来るように差し招く。この光景、慄然とするほど怪しい。妖気が場内に充ちる。稚児二人が引き寄せられる。
画 家:
いい児だ。ちょっと頼まれておくれ。
夫 人:
可愛い、お稚児さんね。
画 家:
(外套を脱ぎ、草に敷く)奥さん、爺さんと並んでここにお座りなさい。
夫 人:
まあ、もったいない。
画 家:
いや、そのくらい、何でもありません。が、貴女の病気で、私も病気になったかも知れません。――さあ、二人でお酌をしてあげておくれ。
夫人、人形使いと並んで坐る。稚児はまるで鬼に操られたように、代わる代わる酌をする。静寂。雲は暗い。鶯は忙しく鳴く。笙篳篥の音色が幽かに聞こえる。――南無大師遍昭金剛――次第に声が近づき、やがて村の老若男女十四、五人が繰り返し唱えながらやって来る。
村の人一:
ええ、まあ、お身たちぁは何をしとるだ。
村の人二:
大師様のおつかい姫だと思うで、わざと遠くへ離れるだに。
村の人三:
うしろから拝んで歩行くだに――悪戯をしてはなんねぇ。
村の人四、五、六:
(口々に)行こうよ、行こうよ。(今度は稚児を真ん中に)南無大師遍昭金剛……(そう唱えながら幕に入る)
夫 人:
(外套を取り、塵を払い、画家に着せ掛ける)たった一度だけありましたわね。――お覚えはありますまい。酔っていらしって、手をお添えになりました。この手に――もう一度、この世の思い出に、もう一度。……本望です。(草に手をつく)貴方、お名残惜しゅう存じます。
画 家:
私こそ。(ため息をつく)
夫 人:
爺さん、さあ、行こう。
人形使い:
ええ、ええ。さようなら旦那様。
夫 人:
行こうよ。
二人が行こうとする。雨が本降りになる。
画 家:
(つかつかと歩み出て、雨傘を開き、二人にさしかける)お持ちなさい。
夫 人:
貴方は。
画 家:
雨くらい、何の支障もありません。
夫 人:
お志、頂戴します。(傘を取る時)ええ、こんなじゃ。
いきなり思い切って裸足になり、片褄を引き上げる。緋の紋縮緬の長襦袢が息を呑むほどに艶麗である。爺の手をぐいと曳く。
人形使い:
(よたよたとなって後に続きながら)南無大師遍昭金剛。
夫 人:
(花道の半ばで振り返る)先生。
画 家:
(少し後に続いて見送る)
夫 人:
世間へ、よろしく。……さようなら……
画 家:
ご機嫌よう。
夫 人:
(人形使いの皺だらけの手を、脇に掻き込むようにして、先に立ち、番傘をかざして、揚げ幕へ。――)
画 家:
(佇み立つ。――間。人形使いの声が揚げ幕の内から響く)
――南無大師遍昭金剛――
夫人の声も、また聞こえる
――南無大師遍昭金剛――
画 家:
うむ、魔界かな。これは、はてな? 夢か、いや現実だ。――(夫人の駒下駄を見る)ええ、俺の身も、俺の名も棄てようか。(夫人の駒下駄を手にする。苦悶の表情を表しながらも)いや、仕事がある。(その駒下駄を投げ棄てる)
雨の音が止む。
福知山修禅寺の暮六ツの鐘が鳴る。
――幕――
「神、彼に罰を下して 一人の女の手に与え給う」
ユディットの書 十六章七
「毛皮を着たビーナス」の冒頭の一節です。(*注参照)
私が鏡花のこの戯曲を読んで、最初に思い浮かべたのが、この「毛皮を着たビーナス」でした。
マゾヒズムの語源ともなったと言われるマゾッホのこの小説、もちろん、背景や、物語の内容はまったく違いますが、主人公ゼヴェリーンがワンダという女性に鞭打たれるシーンは、人形使いが夫人(縫子)に打たれる姿と相似形に思えました。
鏡花はこの小説を知っていたのではないだろうかと思えるほどでしたが、この「毛皮を着たビーナス」は1871年(明治4年)作で、日本語訳が出されたのが、当時「性の受難者」という題名で、奥付を見れば、大正12年(1923年)12月28日に青樹繁訳として、小西書店から出版されたようです。
鏡花の「山吹」が発表されたのは大正12年の6月ですから、半年ほど早く、単純に考えれば、鏡花がこの「毛皮を着たビーナス」と知っていたとは考えにくい。しかし、それでも同時期にこのマゾヒズム的な作品が日本に現れたことは興味深いものがあります。
* * * *
知られてはいないが、実は、青樹繁は鏡花とは馴染みの仲。
「鏡花秘話集 菊の巻」に面白い記述があって、それを現代語勝手訳として要約して書き表せば……。
ある時、二人はいつもの小料理屋で、創作談義。
鏡花「噂で聞いたが、何か君、最近面白い本を訳しているそうだな」
青樹「おっと、さすが早耳だな。実は今、オーストリーグラアツ大学教授でザッハァ・マゾッホという人の書いた『性の受難者』というのを訳しているのさ」
鏡花「むむ、題名からして面白そうだ。で、どんなストーリーなんだ?」
青樹「これこれ、こういう筋なんだが、主人公が美しい女に鞭打たれるのを最高の悦びとするところが、何とも奇妙でね。まだ、作業は途中なんだが、そういう性癖を持った人物って、興味ないかい?」
鏡花「や、それは面白い。どうだい、その話、ちょいと貸してくれないか?」
青樹「おいおい、よせよ。これから俺がする仕事だぜ」
鏡花「いや、絶対君には迷惑を掛けない。ストーリーも中身も全く違った話にするからさ。その鞭で打たれて悦びを感じる男の話、こちとら、日本の慎ましやかな女の物語にする。男にしたって、まったく背負っているものも違うことにするから。今、いいアイデアを思いついたんだ」
青樹「おい、本当に大丈夫だろうな。俺の邪魔をしないでくれよ」
鏡花「もちろんだ、約束する。だから、頼むよ。今日のところは全部俺が持つからさ」
青樹「うっ、そうかい。分かった。俺と君の仲だ。では、俺はじゃんじゃん飲むぜ」
鏡花「ああ。そうしてくれ。うん、今日はいい日になった」
* * * *
てな調子で、戯曲「山吹」は完成したのでありました……。
……なんて、これはまったくの嘘でたらめの妄想話。
スミマセン。
なお、「毛皮を着たビーナス」やマゾッホに関しては、無知な私が何をか言うよりも、我らがセイゴオ先生の「千夜千冊」586夜をお読みいただいた方がいいと思います。
もう一つ、この「山吹」の最後のシーンで、画家島津が脱ぎ棄てていった夫人の駒下駄を手にして、苦悶の表情をしながら、「いや、仕事がある」とその駒下駄を投げ棄てる場面があります。
これを実際に舞台で表現するのは、非常に難しく、下手をすれば「失笑ものになる」と須永朝彦氏は「鏡花コレクションⅠ」の解説で書かれています。
確かに、夫人と人形使いとが二人だけの魔界とも言える世界に入って行く傍で、現実的な考えを持ち出すその大きなギャップは舞台では表現しにくいのかも知れません。
しかし、この「いや、仕事がある」というこの一言は、なくてはならない台詞なのだと思ったりします。
話はまったく飛びますが、渡辺淳一に「失楽園」という小説があります。男女二人が不倫の果てに服薬自殺を図るストーリーで、この小説の最後に「終章」があって、そこには自殺を図った二人の医学的な「死体検案調書」が詳細に書かれています。
私の知っている人から、
「せっかくのラブストーリーを、わざわざ最後に現実に引き戻すようなことをしなくてもいいのに」と言う声を聞きました。
しかし、私としては、この終章がないと、ラブストーリーが浮き上がってこないと考えます。
男女二人の熱い想いを持った世界と現実の覚めた客観的世界との大きな差を描いてこそ、この小説は完結するのだと思ったりします。
「山吹」もそれと同じで、画家の台詞がないと、単に夫人と人形使いだけの世界で終わってしまい、それはそれでいいのかも知れませんが、「いや、仕事がある」と言う現実的な表現があってこそ、もう一つの世界が活きてくるのだと考えます。
ただ、実際に、この短い台詞で締めくくるのは上至難の業であるとは思いますが。
*注 「毛皮を着たビーナス」L・ザッヘル=マゾッホ 種村季弘 訳(河出書房新社)から引用