公爵令嬢アガテ 幼少時6
あの後、リカードは二杯目の紅茶を飲み干してから直ぐに席を立った。
去り際の挨拶は簡素なもので、最低限という印象が見受けられる。
アガテの顔色を窺うような態度はなく、それが少し新鮮に感じられたのはアガテを取り巻く環境故だろうか。
ここの使用人はいつだって私の顔色を窺っている。
咎めないのも主たる父親が私に甘いせいもあるだろう。
飲みなれない紅茶、その最後の一滴を飲み干し席を立つ。
時間にして30分程度の遅れが出たが、多少のサボりは許される。だって私はアガテなのだから。
「……疲れた」
一日のスケジュールをこなし、だだっ広いベッドに寝転んだ。
夜の紅茶は断っているので残された僅かな時間は自由時間となっている。
ごろりと寝返りを打ち、思い浮かべるのはリカードについてだ。
ゲームに出てきた幼少時のリカルド、そのほとんどは回想シーンによるものである。
どの彼もアガテの顔色を窺っている気弱な少年だったはずなのに、今日であった彼にその気配は無かった。
いったいどうして、なぜ。
考えてみたところで何も分からなかった。
ただ、思っていたよりも悪くない関係性を築けるのではないか、という望みは生まれた。
彼は思っていたよりも強かで、そしてそこまでアガテのことは嫌ってなどいなかった。
本当に嫌っていたのならば面倒なスケジュールに従うはずである。
ああして二杯目の紅茶を飲み干していったところを見るに、嫌悪こそしてはいるが逃げ帰るような感情まではいってないのだろう。
ゲーム本編ではそうでなかったはずなのに。
もぞり、と身を丸める。
だとしたら彼はこれからアガテの事を嫌悪していく流れだったのだろうか。
いや、それだと過去に見た回想とはまた流れが変わってしまう気がしてならない。
「………………」
しかし目指すところは私なりの、アガテなりのハッピーエンドだ。
過程はどうあれ、結果だけがすべてなのである。
「引き留めてしまったことを手紙にしよう」
足をばたつかせ、勢いよく起き上がる。
彼の時間を奪ってしまった。その旨を書けば悪いようにはならないだろう。
小さなアガテの我儘に付き合わせてしまっただけだ。
そこまでするべきかとも考えたが、リカードに恩を売っておいても損はないだろう。
たった一回きりの恩でも売れるものはうっておく。それが我が公爵家ベーアリの信条なのだから。
たった一回きり、そう思っていたのだが。
「今日は薔薇のフレーバーなんですね」
「はあ、まあそうですわね。庭師がはりきっていので」
「そうでしたか。好みの味を出してもらえるのはうれしいですね」
彼は一週間に数度、私の休憩時間に合わせて訪れるようになっていた。
二回目は恩着せがましさをちくちくとつつきながらティータイムに付き合っていたので釘でも刺しにきたのだろうと思っていたのだが、三回目四回目と続くとなればそうとは考えられない。
何が目的なのか。怪訝な顔を見せれば、彼はにっこりと微笑んだ。
「利用できるものは利用するにかぎります」
リカードに十歳らしからぬ大人びた表情を浮かべられ、思わず舌打ちが出そうになる。
彼は彼で私というていのよいスケープゴートを見つけたのだろう。過密なスケジュールを壊すための。
「そうですわね、せいぜい感謝してくださいまし」
「君も感謝していいのでは?」
「あら、ひとりきりのティータイムを邪魔されてこまっているのに?」
「君だってスケジュールには困らされているだろう」
実際にその通りなので困っている。
第二王子が来るともなればある程度はさぼっても何も言われないのだ。
それどころか両親には応援される始末である。なんとしてでも王宮との繋がりを保っておきたいらしい。
そうなると、やはりこのまま結婚をする流れに持ち込むのがベーアリ家にとってはベストなのだろう。
私にとってはベストになるかどうかは男爵令嬢に掛かっているのだが。
「どうにでもなあれ」
聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声量で呟けばリカードは目を開いた。
ああ、らしからぬ言動だったなと思いなおし咳ばらいをする。使用人が言っていたと適当に言ってしまえば、なんとかなるだろうと口を開きかけた。それよりも早く、リカードは右手を上げる。
「こう、杖をくるくるとして?」
ああ思い浮かぶ。掲示板などで使われていた古いアスキーアートだ、
「そうそう、星だが魔法をちりばめて――」
そこまで答え、思わず片手で口を覆った。
どうして、リカードがそれを。知っているのだ。
訪れた沈黙に、ちらとリカードのほうを見やる。
彼も同じようなポーズをして動きを止めていた。
「あの……リカード、それは」
「こう、猫とか。熊とか、ありますよね」
その言葉に思わず勢いよく立ち上がる。
ギギと嫌な音を立てて鉄製の椅子が僅かに後方へと押しやられた。
「コンビニの新商品とか――」
「わたくしは――私は仕事帰りに買っちゃってました」
「ああ、そうだ。そうなんだ。そっか、私は――いや、俺は、コンビニじゃなくてファミレスに寄る派だな」
へらり、と笑った男に高貴さなどは微塵も感じられなかった。