公爵令嬢アガテ 幼少時3
ハッピーエンドの定義は何なのか、まずはそこから考え始めることにした。
経緯はさておき、私はアガテとして愛されて生きてきた。
短くはあるがこの十年間、両親から与えられたものを恩義で返すべきなのだろう。
そのためにはやはり第二王子との婚約は然るべきだ。しかしながら、それで第二王子は幸せなのだろうかとふと思う。
第二王子というのは病弱でやや気弱な幼少時を過ごしてきた。
第一王子の影に隠れて育ってきたこともあって、兄の存在は切っては切れない闇と溝を残していく。
その闇と溝を癒してくれるのが男爵令嬢たる主人公の役目だ。
ならば自分は身を引くべきかと考えたが、その男爵令嬢がどのルートにいくかは定かではないし、ゲームに対する知識も疎らる事が気がかりである。
そもそも、この世界がゲームの世界そのままに進行していくのかも分からないのがネックだ。
「プランは三つ用意しておくべきね」
男爵令嬢が第二王子のルートに来た場合、そして来なかった場合。この二つが主になるだろう。
三つ目のプランはそのどちらでもない場合だ。
この世界がゲームの世界観と同じであってもまったく同じ展開にならない可能性も視野にいれるべきだろう。
それらを踏まえて、自分なりのアガテハッピーエンドを目指すべきだ。
「だとしたら……私は自分を磨かなければならないわ」
王宮へ行く、行かない。そのどちらでもない可能性。
それらを視野にいれてどのルートがきた場合でも対処できるような能力を手に入れなければならない。
幸いなことにアガテという女のスペックは高かった記憶がある。
主人公の障害となるのだから、当たり前といえば当たり前の話だ。
「礼儀作法、勉学、そして魔力……いいじゃない、やってやるわ。伊達に数十年生きてきてないわ」
完璧なアガテを目指そう。そう心に決め、再びベッドに潜り込んだ。
翌日、待っていたのは慰めと憐れみの言葉であった。
使用人からの態度は憐憫と、日頃の我儘からくるいい気味だという複雑な感情だ。
これに関してはアガテがアガテとして生きてきた証左なので仕方ない。
今後は改善していきたいものだが、あまり改善していっても齟齬が生まれてしまう。
できるだけ気付かれないよう、成長とともに性格が改善されていったと思わせるべきだろう。
「第二王子はわたくしのことをなんだと思っているの!!」
着替えを手伝ってくれた使用人にそう叫べば、彼女はいつも通りのアガテに多少安堵したようだ。
「ええ、まったくです。ですが、ご体調が優れないのは致し方がありません」
平坦な声でそう返ってくるのはこの使用人がアガテの慰め方について熟知しているせいだろう。
幼子は同意して適当に慰めてしまえば機嫌が取りやすい。特にアガテはそのような子であった。
「ご自分の体調と婚約者たるわたくし、どちらを取るべきなのかわかりきっているのに」
そう呟けば使用人は小さく笑った。
「ええ、そうでございますね。私が浅はかでございました。アガテさまを取るべきですね」
薄っぺらい笑みにアガテの境遇を嫌というほど思い知らされる。
だが、これで良いのだろう。アガテはこういう子なのだから。
「おお、アガテ。体調はどうかね!!」
荒々しく開かれた扉と同時に、父親が飛び込んできた。
「どうもこうもありませんわ。わたくしがっかりいたしました」
「そうかそうか、その事については私から言っておくから安心しておきなさい」
でれでれの顔を浮かべ、父親は私を抱きしめてくるりと回る。
「ご自分の体調を管理できずに婚約者に恥をかかせるだなんて!!」
いい放てば父親はうんうんと頷く。
「……おとうさま、あとでお体にいいものを送っておいてくださります?」
「うんうん、うん?」
頷いていた父親の動きが止まった。
近くに控えていた使用人も僅かに表情を崩したのを見逃さなかった。
「だって私が嫁ぐのですよ。そう簡単に死なれては困りますもの」
事実である。何度か死の淵を見てきたという記憶があるので、ここでルート外に外れてもらっては困る。
取り繕うようにいえば、父親は「ふむ」と小さく呟く。
「お前がそういうのは珍しいね」
「ですが、すべてはこの公爵家のためじゃありませんか」
「まあ、そうなんだが……今まで一度でも贈り物なんてしてこなかったじゃないか」
「釘をさすんですよ、おとうさま」
できるだけ可愛らしい笑みを携え、言葉を続ける。
「十の誕生日パーティーをけった王子に、おいめを残すのです。今後わたくしに逆らえぬように」
そう言い切れば使用人の表情は元に戻った。
「なるほど、確かに良いかもしれないなあ」
アガテはこういう子であった。幼いながらに癇癪や嫌がらせで人を困らすこともあれば、聡いやり方で爪を立てる事もある。
だからこそ王子は今まで欠かさずにパーティーへ出席してくれたのだ。
今回、どのような理由でそれを止めたのかは分からない。だがただでは起きないのがアガテという子だった。
「分かった、そのようにしておこう」
父親は二、三言葉を続けてからその場を後にした。
残されたのはメイドと私だけである。
「お嬢様、あまり第二王子を困らせてはいけませんよ」
「わたくしは昨日たいへん困らせられました。これくらいの仕返し、あたりまえでは?」
口角を上げて笑えば、メイドはわかりやすいため息を零した。