第8怪 ジャーマンスープレックスババア
怪人「ジャーマンスープレックスババア」を知っているだろうか。
海に面した宵ヶ浜市に住む学生の間でささやかれる、都市伝説的存在である。宵ヶ浜の都市伝説は、大体がただの不審者情報なのだが、不審者情報を娯楽として楽しめる程度には、脅威のある不審者が出現しない平和な町である。
オカルト研究会所属、水川瑠璃子曰く、ジャーマンスープレックスババアは、一見温厚そうなおばあさんという風貌だが、だれもいない海岸でゴールデンレトリバーにジャーマンスープレックスをかけている事案が発生していると、まことしやかにささやかれているのだとか。
きっとそれは飼い犬とじゃれているだけだろう。
事案扱いするのも都市伝説化させるのもかわいそうだ。
瑠璃子は、ジャーマンスープレックスババアなら世界を滅ぼせるかな、とワクワクしながら語っていた。
瑠璃子が世界を滅ぼす日は遠い。
****
本日は、文芸部、もとい、オカルト研究会の三名で、宵ヶ浜市の名前の由来である宵ヶ浜海岸に遊びに来ている。
もちろん、オカルト研究会らしく、ジャーマンスープレックスババアの調査のためである。
ところで、高校近くの宵ヶ浜海岸に調査に来たはいいが、特に誰もいない。
イチャイチャと泳いでいるカップルも、浜辺で遊んでいる高校生もいない。
瑠璃子はわくわくした顔で、僕らに声をかける。
「ね、こういうところに来たら、手をつないでジャンプするのがお約束だよね?」
「瑠璃子、それは深夜アニメの登場人物だけだよ」
ツッコミを入れてやるが、多恵も同じ反応を返してくる。
「拙者も、きらきらジャンプやりたいでござる~」
「お前ら本当に自由だな」
女子二人の自由さに圧倒される。
結局、三人で海辺に並び、ジャンプを試してみる。
「せ~のっ」
三人で手をつないで、掛け声に合わせてジャンプしてみた。
見る人が見れば両手に花状態の僕をうらやましく思ったことだろう。
だが僕にきらきらジャンプは早かったようで、特に面白くはなかった。
「ね、誰もいないし、一旦、学校に戻って水着を取ってこようか」
瑠璃子が言った。
「そうだな」
どうせ誰もいないし。
「異議なしでござる」
多恵も同意した。
というわけで一反学校に戻り、下に水着を着たうえで、着替えを持ち、なぜか部室に用意されていたパラソル、レジャーシート、着替え用の簡易テントをついでに運んだ。
文芸部の部室のくせに海で泳ぐ用意が万全なのは、高校から歩いてすぐのところに宵ヶ浜海岸があるからだろうか。
「瑠璃子は学校指定の水着も似合うね。かわいいよ」
「ん、ありがと」
戻ってきた3人は全員、学校指定の水着姿になっている。
ちなみにオカ研部長の多恵は一足先に海岸に戻ってきて、早くもバタフライで泳いでいる。野生児か。
「ね、勇児、日焼け止め塗ってよ」
「まじか」
瑠璃子の見た目は色白病弱系少女であり、日差しに弱いらしく、日焼け止めは必須である。
彼女である瑠璃子とイチャイチャするのは、だんだんと彼女の愛の重さに慣れてきたせいで、普通にかわいいと思い始めている思春期男子としてはやぶさかではない。
ただ、日焼け止めを塗るのは、純情な男子高校生としてはいささか刺激が強い。
「塗ってよぉ」
「わかった。レジャーシート敷くからちょっと待て」
レジャーシートを敷き、パラソルも立て終わり、瑠璃子を寝かせて、背中から日焼け止めを塗り広げる。
相変わらず、姉と同じシャンプーのにおいがする。
病弱系少女の瑠璃子はあまり肉付きが良くないが、それでも彼女のやわらかい素肌に触れていくのは、思春期男子として欲望に支配されそうだった。
まだちょっと彼女に恐怖心はあるので、手を出そうとは思えなかったが。
背中から肩、腕を塗り広げ、後は自分でやってほしいと言おうとしたときに、後ろから視線を感じた。
いつの間にか男子水泳部の同級生たちが泳ぎに来ていたようで、海岸に降りるための階段付近から多数の舌打ちが聞こえる。チッチッチ、と舌打ちのオーケストラが開かれた。
「男子の嫉妬がこわいな~」
「世界滅ぼしたらあいつらも死ぬから問題ないよぉ」
瑠璃子は世界を滅ぼしたがるだけあって、周囲の嫉妬を全く気にしていなかった。
やっぱり瑠璃子もこわいなぁ~。
男子水泳部メンバーが泳ぎに行くのを見つつ、瑠璃子と水をかけあう恋人っぽい例のアレをやっていると、多恵が戻って来た。
多恵も加えて砂浜で城を作り始めて十五分くらいしたころ、ようやく、バウバウ鳴く犬を連れたおばあさんが現れた。
僕は思わず声を上げてしまう。
「……多くね?」
ジャーマンスープレックスババアこと禅林民子さん、御年六十五歳は、八匹のゴールデンレトリバーとじゃれあっていた。
確かに順番にジャーマンスープレックスをかけているかのように、戯れている。
禅林民子さんは職業がロックバンドのボーカルらしく、パワフルであった。
名前や職業は、宵ヶ浜北高校の文芸部を名乗って、僕が話を聞いてわかったことだった。
もともと取材のつもりだったので、メモ帳も持って来てある。
十八番の曲までインタビューしてばっちりメモした。
話を聞いている最中、瑠璃子と多恵が八匹のゴールデンレトリバーにもみくちゃにされていたのには、僕も禅林さんも笑った。
「ババアにも孫がいて、うちに来たときはああやって、あの子たちと遊んでくれるのよ」
「そうなんですね。あっ」
倒されていた瑠璃子が、乗っかっているゴールデンレトリバーたちと波に流されていった。
大丈夫かな。
それを見た禅林さんは、優しそうな表情から一転、般若のごとき形相に変貌し、両手でメロイックサインを決めて、舌を出しながら叫んだ。
「ゴォォォトゥゥゥゥ、ジョウドォォォォ! マルコォォス! ロドリゲェェス! ニンゲンイスゥゥゥゥ! 助けに行きなあああ!」
「えっ? こわ」
禅林の急な変貌ぶりにはビビった。
僕が大丈夫じゃないな。
さすが、ジャーマンスープレックスババアとして都市伝説になるだけある。
バシャバシャと、猛烈な勢いで犬かきをした三匹が、瑠璃子に近づいていく。
僕が助けに行くまでもなく、流された瑠璃子はロドリゲスに救出された。
ロドリゲスは救助犬の訓練でも受けているのか、とても優秀だった。
ニンゲンイスは瑠璃子の枕になっている。
さすが人間椅子という名前を付けられただけある。
ペットのゴールデンレトリバーと踊っているロックなババア、それがジャーマンスープレックスババアの正体であった。
ちなみに、都市伝説が有名になり始めたので、最近、ロックバンドの名前も、ジャーマンスープレックスババアに変更したそうだ。
「都市伝説も宣伝に利用する人間の狡猾さ、それが一番恐ろしいのかもしれませんね」
オチをつけるべく、ボソッとつぶやいた。
「つまらないこと言っていると、クラスの男子に瑠璃子の日焼け止め塗った話を広めるでござるよ」
ひえっ!
「円子様、それはマジでやめてください」
明日、男子から、からかわれる未来が見える。水泳部に見られたからもう遅いかもしれないが。
とりあえず、土下座をしながら懇願する。
僕が今回の取材で一番恐怖を感じたのは、この瞬間だった。
続く
お読みいただきありがとうございます。
ホラー、ホラーってなんだ。
次回は、もう少しホラー回(仮)です。
今回の怪異
ジャーマンスープレックスババア:特に害はないが、海岸でゴールデンレトリバーと踊っているロックなババア。禅林民子さん65歳。Go to 浄土。