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結局のところ人間と言うのは独りでは生きていけない。
いやまぁ、中にはそういう人もいるのかもしれないが普通は無理だ。
どうやったってこの世界で人と関わらずに生きていくのは無理だし。
どんな形であれ独りで生きていくのは不可能に近いことだ。
俺も正直姉貴がいなければ生きていけない。
他にもたくさんの人のおかげで生きていられる。
それが当たり前で、誰もが持つ無意識の支え。
たとえ失ったとしても、その相手との思い出に支えられて人の人格と言うのは形成されていく。
だから俺のこの性格も間違いなく両親の影響を少なからず受けているはずだ。
それは間違いないと思うのだが。
「やっぱり、わかんねぇんだよなぁ……」
愚痴っぽくこぼしてしまう。
どうしても両親を思い出せなかった。物心付いたときからいなかった両親。
姉貴も覚えていないらしいし。
にしたって何も覚えていないし影も形もない上自分たちにその両親をにおわせる何かもない。
いや、姉貴の性癖と俺の性質なんかはもしかしたら両親の影響であると言うのは否定できない、のか?待てよ、だとしたらどんな親だよ。
指をくわえるのが大好きな姉とヘタレで先端恐怖症な弟。想像できねぇな。
「んー、ぶくぶくぶく」
風呂の中に顔まで半分浸かりながら息を吐き出して泡を作って遊ぶ。
風呂はいい。考え事をするのにちょうどいい時間だ。
頭もいい感じに緩やかで考え事がスムーズに進む。
まぁ、解決に至ることはほとんどないわけだが。
姉貴に女の子より長いお風呂ってすごいよねーとか言われたが中で考え事してると時間を忘れてしまうだけだ。かく言う今もすでに一時間半ほど入っていた。
湯沸かし機の時間が示すだいたい九時半と言う表示。
姉貴のほうが入ってから俺が入るのでこんな時間になる。
自分の指を見た。もちろん自分の方を指すことはない。
自分の指でも見ることができない先端恐怖症。
指を指されたり先端のとがったもので自分の方を指されるとすごく気分が悪くなる。
なんかのトラウマなんだろうか。
んん、よくよく考えてみると俺も姉貴も指に関係した性癖と性質なのか?さすがにそれは早計か。自分のことはなかなか客観的に見られないからよくわからない。
「ゆぅちゃーん、入っていい?」
「うぃー」
脱衣所の外からの声。当然姉貴だった。
俺の返事を聞いて中に入ってきた姉貴は洗濯物を洗濯機に入れていく。
「まだ出ないの?」
「もうちょいしたら出るー」
「寝ちゃわないようにねー」
「わかってるー」
またぶくぶくしながらそちらに手を振った。しかし何故か姉貴が出て行く気配がない。
「なんだ、なんかあったのかー?」
「え?ううん、別に。ただ、最近ゆぅちゃんと一緒に入ってないなぁって」
「高校生になって一緒に風呂入る姉弟はいねー」
「他の姉弟よりうちは仲が良いと思う!」
「だからなんだよ……」
嫌な予感しかしない。何を考えているのか手に取るようにわかってしまって俺はうんざりとした声になった。
この姉貴がこういう態度を取るときは必ずと言っていいほど暴走する。
どうも他の姉弟と比べられたくない、と言うか他の姉弟に勝ちたいという謎の欲求がある模様。
ものすごい迷惑だった。
バァン、と勢いよく浴室の扉が開かれる。仁王立ちの姉貴がそこにいた。
髪を上げてタオル一枚と言うすでに風呂に入る気満々と言う出で立ち。
「ゆぅちゃん!背中を流してあげよう!」
「開けんなよ!?却下だ。すでに身体は洗った」
「じゃあ一緒に湯船に!」
「せめぇよ。もう子供じゃないんだから」
「わたし小さいから大丈夫!」
「大丈夫じゃねぇよ!?」
「あ、ちゃんと水着着てるよ?」
「そういう問題じゃねぇ!!」
「え、脱いだ方がいいの?もう、ゆぅちゃんのえっち……」
「脱ぐな!?お前少しは俺の気持ちも考えやがれ!!」
「……ゆぅちゃんなら、いいよ?」
「俺はよくねぇええええ!」
「お姉ちゃんの裸そんなに魅力ないのかなぁ?」
「泣きそうな声で弟に返答困る質問すんじゃねぇ!?マジでどうすればいいんだよ!?」
「一緒にお風呂はいろ♪」
「結局そこに行き着くのかよ!?絶対にイヤだ!!」
「そう、だよね。お姉ちゃんと入るなんて気持ち悪いよね……」
「そんなこと言ってないだろ!?姉貴と一緒に風呂入るとか俺がおかしくなるわ!」
「え?」
「うぁー!?」
頭ぐるぐるになって俺は浴槽から立ち上がって洗面器にお湯をたっぷり入れて頭にぶっ掛けた。
「ちょ、ゆぅちゃん何やってるの!?」
「ぎゃぁあああああああ、中に入ってくんなアホ!?」
「ゆ、ゆぅちゃん……。ご、ごめんねー!」
俺の身体の一部分を見た瞬間に顔を真っ赤にして姉貴は叫びながら突っ走ってどっかにいってしまった。
終わりだ。何もかも終わりだ。もうヤダ。帰りたい。わけわからん。どこに帰るんだ。イヤー。俺、もうなんかどうでもよくなってきた……
「なんか、すまん」
「ち、違うの!そんなつもりはなかったの!」
「いや、うん。わかってる。だから、すまん」
「ううん、お姉ちゃんが悪いから、ごめんね」
風呂から出ると姉貴は居間のソファの上で正座をして待っていた。何やってんだよ。
「いやもう、俺吹っ切れた」
「え?」
「もう俺変態でいいです。シスコンの変態だよすまん!」
「えぇえ!?」
「人のこと言えなかった。姉貴のこと変態変態言ってすまん。俺も変態だった」
「え?え?何?どうしたのゆぅちゃん?」
「姉貴を見てると熱くなるんだよ!どうしようもない!俺頭おかしくなったみたいだ!」
「ちょ、ちょっとゆぅちゃん?」
「引いたよな、さすがに引いたよな。うん、俺自分でもおかしいと思――」
あれ?なんかおかしいな。姉貴が歪んで見える?いや、世界そのものが。
「ゆぅちゃん!?」
そうして世界は赤に染まって――
「ん、あ?」
「あ、起きた。大丈夫?」
「おねえ、ちゃん?」
「ゆぅちゃん、寝ぼけてる」
「え?」
頭がぼんやりしていた。ここどこだ?視界が少しぼんやりしていた。
姉貴の顔が見える。後頭部に感じる柔らかな感覚。
額の上にあるあたたかくてやさしいもの。
「ゆぅちゃんのぼせちゃってたんだよ」
「俺、なんか……」
「ゆぅちゃんは変なんかじゃないよ。のぼせて意識が朦朧としてただけ。だから、大丈夫だよ」
「そう、なのか?」
だんだん意識がはっきりしてくるにつれて状況がわかってくる。
俺はどうやらのぼせて倒れてしまったらしい。
そしてここはソファの上、姉貴に膝枕されて寝ているようだった。
額の上には姉貴の手。やさしくゆるりゆるりと撫でてくれていて気持ちがいい。
「ゆぅちゃんは変態なんかじゃないよ。わたしのことだって姉弟だから、好きなの」
「……」
姉貴のその声はとてもやさしくて、心地がよかった。
言い聞かせるようだけどやさしい想いのこもった言葉。
「わたしは確かに変態なのは間違いないけどね」
くすりと苦笑い気味にこぼす姉貴の声。少し自虐が入っていて、あんまり心地よくない。
そんな顔は見たくない。姉貴の頬に手を伸ばす。やさしく触れると姉貴は空いていた手でその手を覆って握り締めてきた。
「姉貴は変態じゃない」
「指大好きでおいしそうなゆぅちゃんの指を見ると食べたくなっちゃうのに?」
そう言って姉貴はおれの指に口を寄せる。
しかし、くわえるわけではなくキスをした。やさしく、愛しげなキス。
「それには何か理由があるはずなんだよ」
「ゆぅちゃんの神秘論?」
「そう。俺と姉貴はたぶん同じ原点を持ってる」
頬からゆるりと手を移動させて姉貴の柔らかな唇に触れる。
ぷにぷにとしていてしっとりとした薄紅の、おいしそうな唇。
男の自分とは違ってどこかしこがやわらかくて、あたたかい。
「おそろい、なのかな?」
「そうだな、きっとそうだ」
「ちょっと、嬉しいかも」
「俺もだ」
そう思うと少しだけ、自分の性質も嫌いじゃなく思えて。
姉貴の指フェチもかわいく思えたりした。変態チックではあるのだが。
両親がいない今、たった二人の家族。絶対的な繋がりってのが少しでもほしくて。
似ていると言うことがとても嬉しいことに思えていた。
照れたようにはにかむ姉貴の唇からもう一度頬に手を移す。
やさしくなでていると姉貴は甘えるようにスリスリと俺の手に頬を寄せてきた。
立場が逆みたいだ。
そうか、お互い甘えあってるのかもしれないな、俺たち。
まぁ、それでいいんだろう。家族なんだから、遠慮せずにわがままに、ありのまま。
そうやって愛し合えたら、それはとても、素敵なことだろう?