12 賢者とクリス王子殿下の交渉事
クリスは、久しぶりに賢者の間の前まで来ていた。
ずっと、賢者が不在だった時は、自分が賢者の石の状態で数百年住んでいた場所だ。
まぁ、戦争が起きたら王妃に入っていたのだけれど。
本来、ただの王子の前で開くはずも無い賢者の間の扉は、クリスの前では難なく開く。
中に入ると光がファッと舞い降りて、クリスの目の前に賢者が実体となって現れた。
「来ると思っていたけどね。ロザリーの事?」
「そう。賢者と共有出来ない想いを持ってしまったみたいでね」
そう言って、クリスは肩をすくめる。
「別に、私はかまわないよ」
「僕がかまうの。君と混ざった状態だったら、何かあった時に、君が主導権握ってしまうだろ?」
賢者は、おやおやって感じになっている。
「私がロザリーに何かするとでも?」
「やりかねないだろう? ハーボルト王国の英雄王。君もアルンティルの暴君王と同類だ」
なるほどね、と賢者は思う。確かに、他国の姫なんて使えないと思ったら、即座に切り捨てるかもしれない。
「今世は、責任上。私も君の中にいないといけないんだけどね」
それはそれとして、と言う感じで賢者は言ってきた。
「私と分離させたいの? その結果、賢者の石の欠片である君自身が、砕けてしまうかもしれないのに」
賢者は、スーと目を細めてクリスを見る。
「そう、交渉事だよ。キャロルとしていたよね、魂と交換……というか、交渉条件はこの身体。最悪、クリス王子の身体だけ残れば良いだろう?」
リリーを助ける時、キャロルも同じ結論にたどり着いてた。
本来なら交渉にもならない、交渉。
やっぱり、子どもでも、女性の方がしたたかだとクリスは思う。
本人に、自覚は無かったのだろうけど、賢者とクリスを相手に、キャロルは自分の生命をかけて脅しをかけてきた。
その結果、根底に賢者の想いがあるとはいえ、当時、ユウキの事が嫌いだったクリスにまで、協力をさせてしまうとは……さすが、賢者の愛し子と言わざるを得ない。
クリスも、ある意味賢者に脅しをかける。
キャロルは、前回刺客に襲われたとき、クリス王子と賢者の見分けがついていた。
この身体に、単体で賢者が入ったらすぐにキャロルにバレてしまうだろう。
「……役目を放棄するんだ」
クリスの意図に気付いた賢者が、殺気が籠もった目をして言ってくる。
「君にだけは、言われたくないな。役目を放棄して何百年も好きな子の魂と放蕩していた賢者様?」
おどけたように、クリスも賢者に言う。
しばらく、お互いにらみ合ってしまった。
だけど、どちらからとも無く吹き出してしまう。
いや、根本は同じだから……。
ひとしきり笑った後、賢者は言う。
「でも、この賭け、君が一方的に不利なんじゃないかな。キャロルはクラレンスが緩和剤になったから消えなかったけど、マドリーンは、心身共に死んでしまったよ」
何でも無いことのように、賢者は言うけれど。
『それ、次世代組の前で言ってくれるなよ。みんな、結構なトラウマになっているのだから』と、クリスは思う。戦争にでもならない限り、そうそう会うことは無いだろうけど。
「さっきも言った通り、人間と違って君は賢者の石の欠片で出来てるからね。砕けて消える確率の方が高いよ? それでも……」
クリスは、穏やかな顔になって言う。ロザリーの事を想って……。
「もしも、消えてしまったらロザリーを頼めるかな。僕のふりをして、できたら幸せにしてやって欲しい」
その、クリスの様子を見て賢者は少し、溜息をついた。
砕ける瞬間、賢者がロザリーを傷つけないよう、クリスの能力の全てを使ってでも、制約をかけるつもりだという事に気付いて。
「わかった。いいよ。君が消えなかったら、現役引退後、人間にして上げる。私から完全に切り離して……輪廻転生出来るようにしてあげるよ。ただ」
次の人生以降もロザリーに会えるかは、分からないけどと賢者は言う。
そうして、クリスは、賢者に手を出した。
賢者から手を握られた瞬間、全身に激痛が走る。
意識を保っているのが精一杯って感じだ。無理矢理、一つの身体に二人分の魂のスペースを空けようとしているのだから、仕方無いのだけれども。
よくまぁ、クラレンスはこの痛みと衝撃をキャロルに一切振らずに、全て自分の負担にしたもんだ、とクリスは今更ながらに感心する。
(……僕が、願うのはロザリーの幸せだけ。それが叶うのなら……)
『こら。ロザリーから代価だけ貰って逃げる気かい? 彼女の運命に付き合うのだろう? だいたい、君のふりなんて、無理なのは分かっているだろうに……。キャロルが『私じゃ無い』って気付いたように、ロザリーも『君じゃ無い』って気付くよ』
賢者がクリスにあきれながら、叱咤する。
さっさと起きて自分の仕事しろ、という感じで起こされた。
「あれ?」
身体はだるいけど、自分だ。
「今世は大仕事が待っているんだ。私に負担させた分は、ちゃんと働いて貰うからね。クリス王子」
賢者はそう言って、クリスを賢者の間から追い出した。
クリスは自分の身体を確認した。表面的には、何が変わったと言うわけでは無いようだ。賢者の石の能力も今まで通りだ。
完全に人間になるのは、寿命が尽きる前くらいだろうか。




