12
リビングでは、大きな庭を臨む窓の前で、純次が項垂れていた。彰が、その近くのソファに座って、そんな純次の様子を見ている。
敦也は、やはり窓は、彰が言う通りガラスではなく割れないのだと、近付いて行った。
すると、純次の手にはブランズ製に見える、重そうな像があった。女神か何かを模したそれは、その女神が掲げる大きな玉の辺りに、時計が付いているので、置時計なのだと分かった。
「おい…やっぱり駄目だったんだな?」
登が言う。すると、純次は何も言わなかったが、彰が言った。
「だから言ったのに。傷一つ付けられなかった。上を見たら分かるのだ…このアクリル板は、厚さが10センチほどある。水族館の中規模な水槽に使われてもおかしくない厚さなのだ。そんな像如きで殴って、割れるはずはあるまいが。無駄な労力だ。」
言われて、敦也も登も、それが作り付けられている上の部分を見た。すると、そこは彰が言う通り、10センチほどの窓枠があるのが透けて見えていて、それがそのまま、この窓の厚みなのだと知ることが出来た。
「どこの窓もこれですか?」
敦也が問うと、彰は首を振った。
「いや。私の部屋の窓は、これほど分厚くはなかったな。せいぜい5センチほど、それでも十分に強力だがな。個人個人の窓も、各々調べてみるといいだろう。恐らくは同じだろうと思うぞ。」
登が、見かねて純次の肩に手を置いた。
「もう、今は出ることは考えずにおこう。無理だと分かって絶望するだけだ。」
玲が、じっと様子を伺っていたが、頷いて言った。
「そうだよー。運営だって、ここに頭のいい人達が集まってるのは把握してるんだもん。閉じ込めるつもりなら、完全に出口は塞がれてると思うよ。多分一番頭が良さそうな彰さんが言うんだもの、いろいろ見て考えた結果のことだと思うんだー。」
彰が、息をついて立ち上がると、アクリル板をコンコンと叩いた。
「キッチンの着火用ライターを持ってきて炙ってもみた。少しジリジリ音を立てたがこの通り、表面が少し変質しただけだ。」見ると、彰が叩いた辺りだけ、少し丸く曇っていた。「ここまでやるなどあっぱれだと私も匙を投げた。まあこれだけの山奥なのだ、外へ出れば獣も居るのかもしれないし、外からの脅威は心配しなくて済むと考えを変えて、今はとりあえずゲームを早く終わらせる事だ。確実に人狼を吊り、狐を占えばゲームは終わる。皆で真剣に向き合おうじゃないか。ゲームが終わっても解放されなかった時に、また考えれば良いのだ。」
全員が、黙ってそれを見ている。純次は、彰を見上げた。
「…あなたが頭が切れるのは分かってるが、オレだってこの厚さを見たら無理だと分かる。でも、そんなに簡単に諦められないし、誰かの言いなりでゲームなんかしたくないと思ってるんだ。無理でもなんでもやってみようと思う。どうしてそんなにあっさりあきらめられるんですか?」
それには、彰は立ったまま腕を組んで、ため息をついた。
「私は無駄なことが嫌いなのだ。それをやって改善するならやるし、像どころかソファを木づち代わりにして皆で体当たりでもなんでもしようと煽るだろう。だが、それでこれが物理的に破れないと知っているのに、なぜにそんなことをしなければならない。君は本質を見失っているぞ。不安を感じるとはどういう状況だからなのだ。身の危険を感じているからではないのか。では、自分の身を守るためにどうするのが一番なのか、選択肢を自分の中で作り、最善だと思う結果を皆に伝えている。私が何も考えずにあきらめたと思うのか?君はおおよそ医師らしくないな。感情に左右されて情報を集めてそれを精査しないのは、患者を殺すぞ?」
純次は、むっとしたように彰を向き合って背を伸ばして立った。
「ちょっとアクリル板を調べたぐらいで偉そうに言われる筋合いはない!この板を壊せないなら、枠を壊すなり考えられるだろう!」
彰は、面倒そうに一瞬、鼻で息を吐いて口をつぐんだ。しかし、次の瞬間、思い直したように、嫌々という風に口を開いた。
「…だから無駄なことは嫌いだというのに。」彰は、そうつぶやくように言ってから、声を大きくした。「私の精査が間違っていると言うのか。これを壊すのは、無理だ。ではこの、厚さ10センチ縦250センチ横360センチのアクリル板の、重量は?」
純次は、一瞬ためらった顔をした。重量…?
「…アクリル板の重さがどうしたというんだ?」
彰は、心底面倒そうだったが、それでも辛抱強く言った。
「計算すれば分かるだろう。この一枚板の重量は、1トンを超える。私の知っているアクリルとして重さを計算すると約1071キログラム。違う素材だったとしても、恐らくこのぐらいで間違いないだろう。その重量を支えている枠を、壊せると思うのか?壊せたとして、こちらへ倒れて来るのを阻止できるのか?あちらへ倒れるように、1トンを支えている頑丈な枠を考えてうまく壊すという事が出来ねば下敷きになるぞ?それが可能か?君はそこまで考えて私に枠を壊すことを考えたかと聞いたのだな?」
純次は、ぐっと黙った。
敦也も登も、それを聞きながら心底純次に同情した。自分で墓穴を掘ったとはいえ、彰にこてんぱんにされることを考えたら、とても自分なら耐えられないと思ったからだ。しかも、こうして皆がそろっている前で。
「まあまあ、不安になると感情的にもなるんですから。」登が、割って入った。「彰さんが、いろいろ考えて結論を出して、皆を不安にさせないように黙っていたことは十分に分かりました。とにかく、今は脱出は無理だ。身の安全を考えたら、理由はどうあれここに閉じ込めている運営の望み通りにゲームを続行して、全ては終わった後のあちらの対応を見てからまた決めるという事でいいですか。」
彰は、幾分気を落ち着けたのか、頷いた。
「そうだ。それしか今は出来ないと思っている。先々何が起こるか分からないが、それはその時その時で最善の方法を考えて行くよりないと思っている。」
美津子が、見かねて言った。
「じゃあ、この話は忘れましょう。希美さんが言っていた携帯が圏外なのも合わせて…全ては、終わった時に考えるということで。」
それには、彰が片眉を上げた。
「携帯?スマートフォンか?確か通信は禁じられているはずだが。」
やっぱりそこに気が付いたか。
敦也が思っていると、希美がバツが悪そうな顔をして言った。
「すみません…昨夜、あまりに暇だったので友達とメールでもしようかと思って。そうしたら、圏外だったんです。山だし仕方ないなあと思ったんですけど、でも閉じ込められているとしたら…とても、怖くなって。」
彰は、もううんざりだというように、自分が決めているらしい、一人用のソファに座ると、言った。
「私は禁じられていることには手を出さないようにしているから、それには気付いていなかった。というか、君達も気を付けた方がいい。こんな大層な方法で私達を閉じ込めてゲームをさせるような連中なのだ。禁止事項を行うことのリスクは大きいと思うぞ。とにかくは、登が言った通り、あちらの望む通りに行動しておく方が良いと言っておこう。」
というと、ひじ掛けに腕を立ててその上に顎を乗せ、スッと窓の外へと視線を移した。表情は険しく、もう、こちらとは話はしたくないといった雰囲気をそこに感じる。
登はそれを見ると、急いで純次をせっついて言った。
「さあ、純次も。昼飯も近いし、何か食わないか?このことは一旦忘れよう。ゲームに勝たなきゃならん。吊り先も午後までに考えようって言ってたのに、みんなそれどころじゃなかったんじゃないか?しっかりそれを考えて、今日は人外を吊らなきゃな。」
純次は黙って登に従ってキッチンの方へと足を向ける。彰は、それに目もくれなかった。
他のみんなも、登の言葉を聞いてパラパラとキッチンの方へと向かい始め、そうしてその場は、不安を残したまま収まった。




