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君への手紙

君の生きる資格

作者: まさかす

 どんな綺麗事を口にしたとしても、誰だって金は必要であり、金が無い者は弱者である。だから私は金が欲しかった。だから周囲から何を言われたとしても、私は金を稼ぐ事だけに一心不乱に突き進んだ。


 いや、今思えば単に金を稼ぐという行為そのものが好きだっただけかもしれない。そしてその方法に於いては時に強引なやり方に及んだ事もあったかもしれないが、法の範囲内である事に間違いは無く、何らの罪も犯してはいない。結果間接的であれ直接的であれ、私のしてきた事で不遇な状況に陥った人も多いのかもしれないが、違法な事をしていない以上、それは私の責任では無い。


 資本主義の世の中に於いて綺麗事ばかりを口にする者も多い。資本主義とは資本の出資者が儲ける仕組みであり、儲ける為に出資しているのだ、リスクを負っているのだ。儲けたければ自らが出資者となって利潤を追求すれば良いだけの事だ。その行為をモラルという言葉で非難する者が稀に見受けられるが、とんだお門違いというのものだ。


 災害が起きれば復興に関する事業を行っている会社の株価が上がる。それは災害需要を見込んで株を購入している人や組織が居るという事だ。それで利益を上げてもそれを悪とは呼ばないはずだ。金儲けは何も悪い事では無い。違法で無いのなら合法だ。モラルだのを口にする者も多いが、そんな事を気にしていては金を稼ぐ事は出来ないのだ。


 エンターテイメント性の物事に公金を回せば「それらのお金を福祉に回せ」と言う人達もいる。エンターテイメントも経済の一部である事を分かっていないだろうか。福祉に回せばただ単に出て行くだけのお金であると言う事を分かっているのだろうか。資源が乏しいこの国が近代社会を維持するには経済でしか成り立たないという事が分かっているのだろうか。そういった福祉に対する原資が何で成り立っているか分かった上で言っているのだろうか。人の優しさとやらで成り立っているとでも思っているのだろうか。


「正しさ」を強要する人達、「聖人たれ」とでも言うように「高潔さ」「潔癖さ」を求めてくる人達、「もっと社会に貢献すべき」と、そんな事を口にする人達もいる。そのくせ医療や福祉、生活保障等では納めた物以上、労働対価以上のリターンを求める。更には過剰な道徳を求め、建前的な綺麗な働き方、綺麗なお金を求める。私にはそういった人達の言は国家や自治体、ひいては自分達を苦しめているだけにしか映らず傲慢にしか映らない。

 その人達は税収という収入のほぼ半分が医療や福祉に回っているこの国の現状を知った上で言っているのだろうか。経済大国と呼ばれるこの国が自転車操業に近い状態で運営されていると言う事が分かっているのだろうか。「それは自分の借金では無く政府の借金だ」と切り捨てるだけだろうか。自国通貨なのだから国、若しくは政府の借金など気にせず紙幣を刷って国民にバラ撒けば良いとでも考えているのだろうか。だとしたら貨幣の価値をどのように考え、働く意味、働いたその対価は何だと解釈しているのだろうか。そして各々の生きる意味は何だと考えているのだろうか……


 そんな「高潔さ」「潔癖さ」を求めてくる者達に対し、「それは妬んでいるのではないか、僻んでいるんではないのか」と問うと、相手は正鵠(せいこく)()たのか「私には生きる資格が無い」と感情的に口にする者がいた。それに対して「そこまで言う事は無い。生きる資格など他人が決める物では無い」と理性的に言う人もいた。まあ、もうすぐこの世を去る私にとって、今更そんな「生きる資格」など、どうでも良い事ではある。

 稼ぐ事ばかりに夢中になりすぎていた私は自身の体調管理を疎かにしていた。そして知らず知らずのうちに病にかかり、気付いた時には末期とも言える程に病状が進行し、私の全ての財をもってしても手の施しようが無く、出来る事は終末緩和ケアのみと言われる程の体となっていた。


 結果、私は稼ぎまくった金を使う時間も無いままに人生を終える事となる。そして継ぐ者もいない私の金は全て国庫に納まる事になり、それらの金は綺麗言を口にする者や過剰な福祉を求める者達に使われる事になるのだろう。いやはや何とも皮肉な話だ。まあ自分が死んだ後の事なんて、どうでもいいか。





 誰が書いたのかも分らないそんな内容の手紙を見つけた。いや、手紙と言うよりは遺書だろうか。随分と昔に書かれたと思しきその手紙は自身の最期に書き記したようではあるが、自死の様なネガティブな最期に悲痛な思いと歯ぎしりしそうな悔しさを滲ませながら書かれた物では無く、最後に嫌みの一つでも言っておきたいという思いで書かれた物のようだ。


 さてさてそれが誰かは不明ではあるものの、内容から察するに手紙の主が相当世間から叩かれる存在であったらしい事は想像に容易い。それはまあ置いておくとして、この手紙が書かれた時代には「生きる資格」が全ての人にほぼ平等にあったようで、その点が何とも不思議な話だ。


 現代に於いてはあらゆる資源が不足しているが故、優生思想的に人を選別するのが当たり前であり、生きている人は「生きる資格」を持つ人のみであり、その「生きる資格」は自分で取得しなければならない。


 現代では小中は勿論の事、高校も義務教育となっており、全ての費用は国が負担する。高校が義務教育となったのは『生価認定試験』を受けさせる為である。「生価」とは文字通り「生きる価値」という意味であり、その試験の為に学問や専門知識を平等に習得する場を与えようという趣旨である。そして高校迄の全ての義務教育課程を完了すると『第1次暫定生価認定試験』を受ける事になる。その試験で「生きる資格」「生きる価値」を得られるか、それとも得られないかが決まる。


 高校を卒業した後にそのまま働く事を希望する者は1回でいいが、大学や専門学校へと進む者は『第2次暫定生価認定試験』を学校卒業時に受けなければならない。生価認定試験に不合格の物は暫定ではあるが「生きる資格が無い」という判断が下される。さすがに試験日当日の不慮な事も考慮され、猶予策として1カ月後に再試験を受けられる温情はある。そこで合格すればよいが、不合格となると刑務所にも似た隔離施設に送られ、施設の中で労役の代わりに自習する事になる。そして年に1度施設内で行われる『特別暫定生価認定試験』による合否で以って、社会に戻れるかが決まる。

 

 とはいえそれで終わりでは無く、『生価認定試験』は30歳、40歳、50歳と10年毎に一生続いていく。そして30歳からの試験では「暫定」という言葉が外れる。その違いは大きく、30歳からの試験で不合格になった場合には、安楽死という方法で以って強制的にこの世を去る事になる。


 ただただ消費するだけの者、何ら生み出さない者、ただただ奪うだけの者はこの世から消えていく、不要な人間であると判断される――機械的に生殺与奪が発動される――という事であった。


 第1次、2次、特別という「暫定」の生価認定試験では施設送りになるにしても希望が残るが、30歳からは絶望しかない。


 私は罪を犯した経験は無いので詳細は知らないが、何らかの罪を犯した者に対する『生価認定試験』の試験内容は特に厳しいという。罪に相当する、否、それ以上の何かを生み出す、若しくは還元する事が求められ、他を圧倒する程の生きる意味、生きる価値が存在する事を要求される。


 今のこの国では平凡に生きる事すら難しい。既に消え去った同級生も数多く、両親も既に消え去った。そして来週、私は40歳の生価認定試験を受ける。


 今の私が『必要』か『不要』か判定される。

 今の私が『有用』か『無用』か判定される。

 今の私が『有益』か『無益』か判定される。


 今の私に『生きる資格』があるか否かが判定される。


2020年07月24日 5版 ちょっと改稿

2020年04月24日 4版 誤字訂正

2019年12月28日 3版 誤字修正句読点多すぎた

2019年11月18日 2版 句読点多すぎた

2019年04月21日 初版

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