青の章 第36話 VS蟹4
青の章 第36話 VS蟹4
俺は巨蟹との距離を詰めるために、駆ける。今や全く違和感の無くなった四足歩行は恐らく前世の人間が見れば驚くほど巨体のわりに俊敏だろう。
自身の爪を飛ばして来るなどと言うふざけた攻撃をしてくる相手に、距離を置いて戦う理由がない。だがしかもこちらには遠距離で使える攻撃手段が無い。
蝙蝠と戦った時の様に、ダンゴムシでもいればそれを野球のボールの如く打つ事が出来たが、この空間にはダンゴムシは居ない。ちょうど良い石等も都合よく転がっていないし、水晶蟹たちの死骸も使えないことはないが強度が十分とは言えない。
つまり接近戦に持ち込まないと、俺に勝ち目は無いのだ。
予想通りと言うか、急接近する俺目掛けて巨蟹は腕を構え、爪を発射する準備をしている。
巨蟹が爪を飛ばす攻撃を初めて見た時から何となく予想は付いていたが、巨蟹の爪が他の水晶蟹たちの様に、普通の蟹の爪の形ではなくペンチ型なのは、発射する際に真っすぐ飛ぶようにと、貫通力を上げるための構造なのだろう。なかなか理に適っている。
相手が俺の様に多少の知識が無ければ初見で獲物を殺す、そこまでいかなくても致命的な傷を付けることを可能にするだろう。
しかし俺は前の世界の記憶を持つ元人間だ。そう簡単には行かない。
真っすぐ飛ぶという事は、巨蟹の腕の直線状に入らなければかなりの確率で回避できるという事だ。
更に巨蟹の爪を飛ばす攻撃は、連射が効かない。見れば分かる事ではあるが、打つ度に爪を回収しなければならずその間爪は使えない。
そして巨蟹の爪を回収する速度は、発射に比べればかなり遅い。今現在俺の走っている速度なら、俺の居る場所からそこそこ離れている巨蟹の懐に到達するまで恐らく両腕一発ずつしか打てない筈だ。発射される両腕の爪を避けてしまえば爪を回収し終わる前に巨蟹の元にたどり着ける。
爪の回避率を上げるため、直線状に走るのではなく蛇行しながら走る。移動速度は下がるが、爪の直撃を受けるより遥かにましだ。
案の定、巨蟹は蛇行する俺にうまく狙いを定める事が出来ず、一発目の爪を外してしまう。背後で飛ばされた爪が地面に刺さる轟音と振動を感じながら、振り返ることなく進む。
流石に両手の爪を打ち出しては隙が出来る事を理解しているのか、あと数秒で俺の攻撃が当たる距離まで近づいても、残り一つの爪を発射しない。
ここまで来れば爪を振り下ろされるのも発射されるのも大して変わらない。相手の動きをよく見て避ければいいだけだ。
一先ず巨蟹の甲殻の堅さを確かめるために、速度重視の尻尾による攻撃『尾の瞬撃』を放とうとし、その瞬間、背筋に氷を入れられた様な感覚が伝う。
その感覚を信じ、即座に全力の回避で横に跳躍する。
瞬間、俺置いた場所を、とんでもない速度の液体が飛来し、地面を抉る。どうやら巨蟹も水晶蟹の様に口から水鉄砲の如く液体を出すことが出来るらしい。
その速度は水晶蟹の比ではなく、また水晶蟹の吐き出す液体は泡が多く混じって発射口である口から離れるほど拡散していき、それが回避のしにくさにつながっていたため、初めて見たときは避けきれなかったのだ。
しかし巨蟹の吐き出す液体には泡が混じっておらずほぼ直線に拡散せず発射されていた。更に泡の代わりに石の様なものが混じっていた。よく見ればそれは細く長い水晶で、抉れ、水溜まりの様になっている地面に数本突き刺さっている。
口から針の様な水晶を水と一緒に吐き出すって、どんな生態だ……。背中に水晶無いと思ったら、吐き出すのか。もし先程の攻撃を正面から受けていたらハリネズミになっていたかもしれない。
驚きを通り越して呆れを滲ませながら、再び巨蟹に接近し『尾の瞬撃』を脚目掛けて放つ。
しかし、水晶蟹の脚を何度も折ってきたこのスキルも、流石に三倍もの大きさの巨蟹には通じず、堅いものを叩く音だけが空間に響く。
ある意味予想通りの光景に内心舌打ちしながら、急いでその場から離れる。
巨蟹が脚を持ち上げ俺を踏みつけようとしたためだ。流石にこんな短時間に同じ失敗は二度もしない。あんな巨体に踏みつけられれば、それだけで俺など死んでしまう。
この分だと何発当てても『尾の瞬撃』では巨蟹の甲殻を砕くことは出来ないだろう。
すでに巨蟹は先ほど発射した爪を回収し終え、両腕が自由に使える状態だ。両腕の振り下ろしと爪の発射、加えて口から発射される水鉄砲水晶入りを警戒しなければならない。
俺は駆け回り、執拗に巨蟹の側面と背後に回り込みながら攻撃する戦術を取った。巨蟹の正面に居なければ吐き出される液体には注意しなくてもいい。
後は踏みつぶされない様に立ち回りながら、振り下ろされる爪を避けつつ一本ずつ脚をへし折って機動力を削ぐ。水晶蟹にも使った戦い方で、何とかの一つ覚えの様だが、俺の頭じゃこれ以上の戦い方は咄嗟に思いつかない。
正直水晶蟹との連戦で、走り回るのもきつい。肺と脇腹が痛いし呼吸する度に鈍痛がするのはいただけない。直ぐにでも横になりたい気持ちが溢れる。
自分の体力が尽きるのが先か、巨蟹を仕留めるのが先か。
「グガァァァァァァァァァ!!」
自信を奮い立たせる為に咆哮を上げながら、俺は巨蟹の脚に『尾の重撃』を放った。
巨蟹との戦いが始まって恐らく十分は経っただろう。
絶えず走り回りながら戦っている俺の感覚ではその三倍程の時間を体感しているが、実際にはおそらく十分程度だろうと残りの体力から予想できた。
流石に未だ幼い身体で休まず走り回ることは出来ず、先ほどから速足程度の速度で回避に集中している。その為に攻撃の機会が殆ど無い。
やっとの思いで巨蟹の脚を左右一本ずつ折ることに成功したが、『尾の重撃』でも一撃で巨蟹の脚を折ることは出来ず、右脚は『尾の重撃』を三発、左脚は『尾の重撃』一発と横に薙ぎ払う形での『尾の転撃』一発で何とか折ることが出来た。
尻尾を使い過ぎて、途中から感覚が無くなっている。ちらりと己の尻尾を目端で捉えれば十枚以上の鱗が砕け、血が滴っている姿が映る。
それでも、生きる為、巨蟹を倒すために攻撃を避けながらこちらが攻撃する機会を伺う。
――正直尻尾が巨蟹を倒すまで持つかは、微妙だな。
何十回目かの爪による振り下ろし攻撃を避けながら、自身の尻尾の耐久度を心配する。
尻尾が使い物にならなくなれば、残るスキルでは相手に噛みつく『咢の一撃』しか無い。
スキルによる強化があるとはいえ、爪では巨蟹はおろか水晶蟹の甲殻にも殆ど傷を付けることが出来なかったのだ。
どうにかして尻尾以外で巨蟹にダメージを与えられないかと考えていると、先ほどまでせわしなく俺を攻撃していた巨蟹の動きが止まる。
「グゥ?」
巨蟹は自身の身体を縮ませる様に脚を折り畳み、体制を低くした。俺の攻撃から身を守ろうとしているのかという考えが一瞬頭を過ったが、その考えは直ぐに否定された。
巨蟹は折りたたんだ脚を一気に伸ばし、真上に跳んだのだ。
攻撃を仕掛けようと巨蟹に近づいていた俺は、一瞬で視界から居なくなった巨蟹に驚き、脚を止めてしまった。
そんな俺の上に巨大な質量を持つ巨蟹が降ってくる。
洞窟内に大きな物が落ちる音と、何かが潰れる音が響いた。




