村への逃亡者 10
コンコンコン。今日も空は快晴。真っ青な空に私が王だとでも主張するように太陽が二つ。今日も暖かな陽射しが降り注いでいた。
「どなたですか?」
いつもの常套句であるように、ドアの前で警戒するように彼女は言った。
「やぁ、今日は陽射しが柔らかくて気持ちがいいよ。」
ゆっくりと薄い扉が開くと、そこには薄い桃色の紅をつけ、どこかお姫様然とした姿の女性がいた。
「・・・。」
声が喉元でせき止められるように、口を薄く開け見てしまった。化けた。そう思った。
「どうか・・・されましたか?」
声は確かに彼女である。だが、姿はどうか。普段の彼女も美しかったが、めかしこむとここまで妖美となるのか。
「・・・今日は何かいいことでもあったかい?」
「いえ・・・、気分、です。ただの気分。」
「そうか。・・・今日は―――そうだな。少し外に出てみないかい?いつも小屋の中にいるだけじゃつまらないだろう。」
「お気持ちは嬉しいのですが、セリカもいますし。」
「ならセリカも連れて行こう。なぁに木陰の過ごしやすい処もあったんだ。どうだい?偶には。」
彼女は迷ったように視線を振ると、恐る恐るといった体で頷いた。
「何も怖がらなくていいだろうに、凛としなさい。貴女はそれに見合う存在だ。」
彼女は目をきょとんそさせると、
「臭いですね。」
と思わずだろう、言った。
「ははっ、俺たち騎士は臭いセリフを吐いてなんぼの世界だからね。それで騎士として周りを助けられればそれでいいだろうさ。」
「・・・変わられましたね。」
「そうかな?どうだろう?君の気のせいではないかな。さっ、セリカを連れてきたまえ。準備ができ次第行こうではないか。」
彼女の後ろ姿は女性としては華奢で俺のような無作法者では容易く折ってしまいそうである。だが母としてならばその立ち居振る舞いはなんと力強いものかと感嘆してしまう姿勢であった。
このまま彼女をここで埋もれさせるべきではない。
「さて、どうするべきか。」
やはり最近は来ていないようだが、あの男の存在が大きいだろう。
「あまり陽の下にはいられませんが。」
簡単な装いをした彼女は布で最低限覆ったセリカを抱え、小屋からでてきた。
「かまわないとも。では、参ろうか。」
小屋の裏、茂みの奥へ歩みを進める。最初茂っていたこの辺りも今では人が通れる程度にまで草が分かれている。
まさかこんな近いところにあんな所があったとは、と見つけた当初は驚いたものだ。
まぁもともとこの小屋が村からだいぶ離れているからでもあるだろうが。
歩くのに十分もかからない、彼女はここを知っているだろうか。見たことがあるかもしれない。
まぁ偶にはあんな薄暗いとこにいるよりかはマシであろう。
「どうだい?」
俺は幾つもの茂みを抜け、ようやくといった感じで最後の茂みを抜けると彼女の視線を通すように脇へそれた。
「―――――。」
「もしかしたら来たことがあるかもしれないがね。なに、最近はこういうところに来れてないかなと思ってね。」
「―――――っ。」
「おや?どうした、嬉しくなっちゃったかい?そんな喜んでくれて嬉しいよ。」
「―――ええっ、ありがとう、ございます。」
俺はそのままゆっくりとその頂上まで歩みを進めた。
てっぺんには他の木々とは比べ物にならないくらいの巨木。
その大木の周囲を咲くように白いブレスメイドの花が咲き満ちていた。
ここまで綺麗に咲くのかと思えるほどに鮮やかな白い花が陽の光に照らされ、そよ風に揺られて踊っていた。
「ここは葉が茂っているからね、下が日陰でちょうどいいんだ。どうだい?久々の外は。」
「とても、綺麗です。」
「―――そうかいそうかい。」
彼女は大木にもたれると、眼下に広がるブレスメイドの花園を見つめた。
柔らかい表情だ。俺が最初に見た、鬼気迫るものとはかけ離れた年相応の、笑顔。
「人生そうでなければ。」
「―――え?」
「いや。どうだい、もっと近くで花をみてきていいよ。セリカは預かろう。」
どこか逡巡したあと、少しだけ、といって彼女はセリカを俺に預けると、近くの花へ近寄った。
「君のお母さんは美しいね。君もきっと将来そうなるのだろうね。」
布一枚めくると、小さなお姫様はあぶあぶ言いながら手を動かしていた。
「ほら見てみな、年相応の表情を。常に周囲を警戒し続けたんだ。こういう日もあっていいものだろう。苦労は永遠にするものじゃないさ。―――って言っても君には分からないかな。」
お姫様の手が指を覆い、不思議な生き物を見るかのように見つめている。
白いドレスような花に囲まれた彼女は小さな一凛の花を摘むと鼻へ近づけたり、茎をくるくると回して花を揺らしたり楽しそうに見ている。俺は小さな宝石を彼女へ向けると、透き通る宝石の中で妖精のように踊っているようだった。指で小突くように宝石を弾くとチリンと涼しげな音が鳴る。ふふん、風情があるだろう?
「なぜ小さな幸せすら得ることが許されないのか。彼女はただ他に比べて容姿が少し優れているだけで、他と変わらないのに。おや、きみほっぺた柔らかいね。なんだい、最近の子は赤子から美顔でも心掛けているのかい。」
おうおうおうと思わず、セリカの頬を触りながら小さなお姫様の表情を楽しむ。
「おおう!?」
お姫様のご機嫌取りに勤しんでいると、頭から白い花が降り注いでくる。
思わず顔を上げると、彼女は楽しそうにくすくす笑いながら俺たちを見ていた。
「どう?おどろいた?」
「あぁ、びっくりして胃が飛び出そうになったくらいさ。」
「そう。」
彼女は嬉しそうに俺の横へ腰を下ろすと、セリカの頭を撫でる。
「ありがとう。」
「どうってことないさ。たまたま見つけたからね。誰かに自慢したかっただけだよ。」
「―――私ね、魔女だったんだよ。」
彼女は昔を懐かしむように言った。急な告白だった。
「本当に?」
「本当。それでね、この村に騎士が来て、このままじゃ危ないと思って村を飛び出したの。だいぶ前にね。」
「バレると思ったから?」
「―――そうとも言えるけど、あとは、・・・好きな人がいたから。その好きな人と結ばれたかったから。」
「それで駆け落ち?」
「そう、あ、この騎士私を狙ってるってわかったから。そういうのに敏感だったから。」
彼女は草むらに落ちた花を摘み、見つめながら言った。
「それでね、切り落としたの。」
何をと、聞くまでもないだろう。魔女の証明を、魔女の力を捨てたのだ。
「あぁ、これでもう大丈夫なんだって思った。これで死なずに済むんだって。これで彼と一緒に幸せに暮らせるんだって。」
その彼が、今は君の隣にはいない。
「けど―――、彼、殺されちゃった。魔女を匿った罪だって。」
彼女は左胸を切り落とした、魔女と証明できないのだ。それで終わればよかった。教会もそれで終わらせればよかったのだ。その先までわざわざ踏み込まなくても。
「左胸がない。それは魔女だということを隠すためである。よってお前は魔女だと断定する。―――ってね。」
そして教会は魔女だったかもしれない存在まで断罪の対象としてしまったのだ。
「その時殺された場所がね、綺麗な花畑だった。黄色とか白とかピンクとか、色とりどりの花畑。王都のはずれに小さな教会があってね、その裏側がそうだった。彼がね偶々見つけたんだって言ってたんだけどね、その前日、帰りがやけに遅くて、けどとっても上機嫌でね、あ、この人なんか良いことあったんだなって。ふふ、彼とっても楽しそうにしてたのよ。」
―――殺されるその時まで。
「あとはね逃げるようにしてこの村に戻ってきた。―――どう?なかなかのもんでしょ。」
それは物語ということか、それともそれまでの彼女の精神力というべきか。
「もう―――終わりにするのか?」
「何言ってるの、まだ死ぬとかじゃないから。ただ、そう、私の人生の一部を知ってほしかっただけ。私がここにいたんだって。―――まさか物語みたいなこと本当に言うとは思わなかった。なんかね誰にも知られないって寂しいなぁって思っちゃったのかも。」
―――それでね、もし、もしの話だからね。私がもし死んでしまったら、セリカをどこか、安全なところに連れてってあげて。
「はっ、なんだそりゃ、そしたらあんたも一緒だ。アンタとセリカ、二人が幸せに暮らせるところに連れて行く。」
「ねぇ、あなた誰かになるのはうまいけど情に流され過ぎね。」
「―――おや、そろそろ夕暮れですね。まだ外は冷える、戻りますか。」
「―――そうね、今日は連れてきてくれてありがとう。とても・・・とても幸せだわ。」
「そう言っていただけてなにより。では、参りましょうか。」
「あ、セリカをお嫁にとってもいいからね。」
「けっ、俺にロリの気はねぇよ。」
夕暮れ時、二つの影が連なって歩いた。一人は騎士然とし、一人は赤子を抱え。ゆっくり歩くさまは、名残惜しむように、現実へ帰るのに抵抗するかのように。
彼女は家に着いたあとも上機嫌だった。今度は早くから言って外でお昼を食べようなんて提案するほどだった。
そして三日後、―――彼女は朝日の光を浴びながら目を覚ますことは無かった。
水曜、木曜はお休み。
おっちゃんは漫画を読んで爆睡。